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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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病気が流行る前,すでに絶滅していた

 しかし,この物語にはもう少し付け加えておくことがある。アメリカグリ伐り口に腰掛けている木こりたちの小さな姿を見てほしい。これは,今まさに伐り倒されようとしている巨木の死刑執行直前の姿を写したもので,クリ胴枯病が蔓延する何年も前,19世紀に撮られた写真である。実のところ,アメリカグリの天然林はこの菌が現れるずっと以前に,ほとんどその姿を消していたともいわれている。
 クリ胴枯病菌に殺されたアメリカグリの大半は比較的若い木で,ヨーロッパ人が西へ向かって開拓の歩を進めるのにつれて,激しくなった生物的ホロコーストの跡に再生した二次林の構成樹種だったらしい。先に述べたように,アメリカグリは伐採や火入れ跡地などに入って,他の広葉樹を抑えて繁殖する樹種,いわゆる先駆樹種のひとつである。場合によっては,人間の荒らした跡がクリの純林になり,それがクリ胴枯病菌に襲われる結果になったといえなくもない。また,若木は遺伝的多様性に乏しく,古代から続いてきた天然林に生えていたものほど病気に強くなかった可能性が高い。
 この一斉単純林の樹種構成も,複雑な生物社会を再構築するのには不向きだったのだろう。
 人間が荒らした大陸では,アメリカグリが絶滅するのも避けられない宿命だったのかもしれない。この現象は人と菌との関わりの中で現れた生物学的破滅の最悪の例かもしれない。このほかにも,さまざまな興味深い例があるので,ひとつずつ紹介していこう。


ニコラス・マネー 小川真(訳) (2008). チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話:植物病理学入門 築地書館 p.36
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電力消費が大きいからといって

 脳機能イメージングで示される「局在」は,こうした広汎なネットワークの中で,同時に活動するニューロンの数が多く,血流変化としてそれが検知できる部分のみであるといってよい。ややとっぴなたとえになるが,脳活動を新聞社の活動に置き換えてみよう。脳機能イメージングでは,脳の部位ごとの血流の相対的な変化を,その部位の活動とみなす。では新聞社の各部門の活動はどのように評価すればよいのだろうか。新聞社の最大の出力は,活字による情報だろう。その部門で作られる活字情報の量が,新聞社の各部門の活動の最も的確な指標かもしれない。しかし,執筆や編集作業の流れを正確につかむことは極めて困難な作業になる。同様に脳の各部位に生起している神経活動の質的な意味合いを正確につかむことは不可能だ。脳機能イメージングは,そうした質的な活動の代わりに,脳の各部位のエネルギー消費量が反映した血流を代用した。新聞社の評価を,出力される活字情報量ではなく,各部署で消費される電力で代用するようなものである。
 新聞社の各部署ごとの消費電力で,社内の活動を測定するとどんな結果が出るだろうか。実際に測定したわけではないが,たぶん巨大な輪転機の回る印刷部門が最も電力消費の多い部署になるのではないだろうか。では,新聞社の活動の中心は,輪転機のある印刷部門であろうか。もちろん印刷部門がなければ新聞の発行はできないから,重要な部門であることは確かだ。しかし,新聞社の活動の中心はなんと言っても,取材や取材からえられた情報に基づく記事の執筆であろう。記事の執筆には多大なエネルギーは要さない。電力を指標とした新聞社の活動の評価では,記事の執筆という低エネルギー作業は決して明らかにはならないのである。運動をすれば,一時運動野や補足運動野の活動が最も目立つが,運動を可能にするエネルギー消費の少ない脳部位の活動は,脳機能イメージングによる検出感度以下である可能性があるのだ。もちろん,そうした制約があることは,脳機能イメージング法で研究を行っている研究者本人は熟知している。実験方法を工夫して,想定されるネットワークの全容を捉えることを目標に日夜努力を続けているのである。しかし,一般社会に流布される情報は,大きく脚色されている。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.138-139

長期増強現象

 現在,学習の脳内過程として唯一確からしいと思われているメカニズムは,長期増強現象と呼ばれるものだ。長期増強現象は,シナプスが一定時間の間に頻回にわたって活動(神経伝達物質の分泌,シナプス後膜の脱分極)することによって,同じ刺激で,より大きな膜電位が生じるという現象である。プリスという研究者によって海馬で見出された長期増強現象は,記憶や学習のメカニズムを説明しうる最有力の現象だ。
 長期増強現象によって,シナプスの数が増加しなくても,学習によって脳はより高い機能を遂行することができる。現在でも早期教育の効果の宣伝などに,乳幼児に刺激を与えて脳のシナプスを増やす,といった科学的に証明されていない情報が語られているのを目にする。学習や記憶のメカニズムは,シナプスの刈り込みやシナプスの整理などの,シナプスのミクロな構造の変化と長期増強現象などが複雑にからみあったプロセスであり,まだ十分に解明されていないのである。
 こうしたミクロの構造上の変化を可能にするためには,もちろんエネルギーやシナプスの微小な構造の変化などが必要だが,決してそれは筋細胞がもりもりと太くなるような,大量消費モデルではなく,より少ないエネルギーで同等の効果を生じさせるような,エコロジカルな変化ではないだろうか。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.128-129

炭水化物や脂肪の好みの遺伝

 一卵性双生児と二卵性双生児の研究では,炭水化物(とりわけ甘いもの)への好みに遺伝的な要素が見出されている(0.4〜0.6の相関)。マウスでは,炭水化物に対する好みは,明らかに遺伝する。しかし,動物でも人間でも,体重が多様な集団内では,炭水化物に対する強い好みが見られるのは,肥満した個体ではなく,痩せた個体である。これは,一般の人々の予想とは逆かもしれない。たとえば,マウスを角砂糖が自由に食べられる状態におくと,痩せているマウスは,肥満マウスに比べ,砂糖からより多くのカロリーを摂取する。これはおそらく,痩せている個体のほうがすぐに使えるカロリーをより必要とするからである。一方,炭水化物の形でカロリーを摂りすぎてしまうと,余分な量は脂肪として蓄えられ,肥満のもとになる。
 脂肪に対する遺伝的好みは,炭水化物ほどは強くはないが(人間では0.2〜0.5の相関),この場合,もっとも強い好みは,肥満の人に現れる。動物でも人間でも,「食物が肥満の原因」があるが,これは,食物中に占める脂肪のカロリーが相対的に高いこと(40%以上)に起因する。2人の人が,毎日同じ量のカロリーを摂取し,代謝が同じであっても,摂取形式によってカロリーの使い方に差が出てくる。脂肪を通じて摂取したカロリーは,すぐに体の組織に脂肪として蓄えられるのだ。このように,食物中の脂肪を好む遺伝的傾向は,「獲得性の肥満」----遺伝的BMIを越える肥満----になる大きな要因である。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.229
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

行動には複数の遺伝子が影響する

 ここで,本書で述べる内容の多くを理解する上で重要になる考え方について解説しておこう。ある遺伝子の突然変異が特定の行動を変化させる(たとえば,カルモジュリン遺伝子の突然変異が刺激に対するゾウリムシの動きに影響する)ことが発見されたとしても,その行動がその遺伝子のみによってコントロールされているということにはならない。それが意味するのは,その遺伝子がその行動になんらかの形で関与しているということだけである。行動そのもの----ゾウリムシの場合は前進と後退----には,ほかの多くの遺伝子も関与している。たとえば,ゾウリムシが動き回るのに使う繊毛を調整しているすべての遺伝子や,動き回るためのエネルギーを生み出すのに関与している複数の遺伝子が,そうである。行動が単一の遺伝子の結果であるということはほとんどないか,あったとしてもほんの数えるほどだ。ゾウリムシのような単細胞生物でさえ,そうなのだ。人間のような複雑な生物の場合なら,なおさらである。これが,単細胞生物の行動の研究から得られるもっとも重要な知見のひとつである。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.46-47
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

遺伝子型という重要な概念

 遺伝子型は,重要な概念である。個体のすべての生物学的特性は,究極的には,その個体のもつ遺伝子型の影響を大きく受けるからである。ある遺伝子型のなかの特定の遺伝子やその組合せの発現によって生じる観察可能な特性が,その個体の表現型の全体を作り上げる。いくつかの表現型の特性は,遺伝子型によって----単一の遺伝子のみによって,あるいはほかの遺伝子と一緒になって----直接決定される。しかし,ほかの表現型(行動はその最たるものだ)は,究極的には,遺伝子と環境の相互作用の結果として生じる。遺伝子と行動に関するデータをあつかう場合には----データが間接的なものにならざるをえない人間の場合にはとりわけ----つねにこのことを念頭においておく必要がある。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.39-40
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

同じ設計図から生じるランダムな部分

 まったく同一の遺伝的設計図から2人の人間が発生してくる場合でも,その道筋は,まったく同じというわけではない。とりわけ,すべての行動の中枢である神経系の場合,脳や末梢神経の各部分の発生のしかたはある程度ランダムである。胚や胎児の時期に,新たに形成された神経細胞は,その周囲に向かって神経繊維をどんどん伸ばしてゆくが,この伸ばし方がかなりランダムなのである。これらがほかの神経細胞や近接する筋細胞との間に連絡を形成するかどうかは,ある程度偶然に左右される。神経細胞は,連絡を作ることができなければ死んでゆき,いったん連絡を作ってしまうと,基本的には生きているかぎり,それを維持する。しかし,遺伝的に同一の双生児でさえ,少し違った神経細胞の連絡のパターンを発展させ,こうした違いも,彼らの間の差異の一因になる。一卵性双生児の脳の詳細な分析から明らかにされているのは,神経解剖学的には小さな違いがあり,この違いが重要かもしれない,ということだ。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.8-9
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

誰も知らないきょうだい

 ふたごは,実際の出生数が示すよりもはるかに多い。アメリカでは,出生児1000人あたり,二卵性双生児がほんの4組であり,一卵性双生児となるとたった1組の割合である。しかし,妊娠初期に超音波を用いて詳しく調べてみると,妊娠の8回に1回----おそらくはそれ以上----が複数の胚である。これらのほとんどは,妊娠後の最初の数週で失われ,通常の状態では,母親も医者も,その存在に気づくことはない。



ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 p.6
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

調べるヒトが明らかに減少している

 一個の種複合体(メタスピーシーズ)の半分ずつを構成するイチジクとイチジクコバチは,ひとつの生態系の中で生じている共生の姿を見事に示しているとはいえ,実はこれは極端な例だ。植物と花粉媒介者がこれほど互いに依存していることも,このような関係がうまく続くことにこれほど多くの他の種が依存していることもめったにない。ふつうは,もっと結びつきが弱く,パートナーを失った場合の影響が目立つこともない。花粉を媒介してくれるあるひとつの種が消えたとしても,その植物が絶滅に追いやられるようなことは通常ない。それよりよく起こるのは,着実な崩壊,つまり復元力が着実に失われていくことだ。花粉媒介者の数が減るにつれ,受粉を頼っている植物の数も減っていく。もしかしたら穴埋めをしてくれるほかの花粉媒介者が出てくるかもしれないし,そうでないかもしれない。数を減らしつつある植物や花粉媒介者のほとんどは要石となる根源種ではないだろう。ほとんどはアーチを構成しているただのレンガだ。でもレンガだって,じゅうぶんな数を取り除けば,アーチは必ず崩壊する。
 今,アーチはどれぐらい頑丈なのだろう?原野の復元力はどれほど頑健なのだろう?残念ながら,そのほとんどについては,だれにもわからない。科学的研究は資金のあとを追いかける。通称もないほど目立たない野生昆虫の研究などには,誰も金を出さない。全米研究会議の「北米における花粉媒介者の現状に関する委員会」の委員長であるメイ・ベレンバウムは,2007年,CCDに関するアメリカ連邦会議の諮問の場で,「信頼に足りるデータが全国的に欠落しており,このようなデータを収集しようという努力も実質的に全く払われていません」と証言した。彼女はこう皮肉っている。「アメリカ合衆国において花を訪れる昆虫の個体群が減少していることを立証するデータは不十分ですが,このような昆虫が識別できる昆虫学者,ひいてはそれらを観察しようとする昆虫学者については明らかな減少パターンが見出されます」と。たとえ受粉昆虫の現在の個体群数がわかったとしても,比較するための過去の基準値が存在しない。つまり,アーチにはどれだけのレンガが使われているのかもわからないのだ。わかっているのは,毎日のようにレンガが崩壊しているということだけだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.265-266.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

復元力を失った生活

 もしあなたの祖先が,私の祖先と同じようにヨーロッパからやってきたのなら,その人たちは,おそらく黒死病を生き残った人々だったろう。天然痘も生き残ったかもしれない。私たちが今ここに存在しているのだから,祖先は運がよいほうの人だったことは明らかだ。疫病が不幸な出来事以外の何ものでもないことに反論を唱える人はいないだろう。それと同時に,疫病が去ったあとには,復元力の強い遺伝子を持つ人たちがあとに残るという事実も否めない。かつて私たちの免疫系が守りについていた最前線を抗生剤と消毒薬が守るようになった今日,私たちはおそらく過去数百年でもっとも流行病に弱い立場にいるに違いない。
 イタリアのミツバチは,何十年にもわたって,復元力とはほとんど関係のない特質を伸ばすように交配されてきた。伸ばしたい特質のトップを飾っていたのは蜂蜜生産力で,仲間を増やす力も同じくらい乞われていた。性格の穏やかさも欠かせない要素だった。自立に資する特質,すなわち寄生虫や病気への抵抗力,越冬能力,餌が少なくても耐えられる力などは,あまり重視されなかった。というのは,このような問題は,石油化学に頼って解決したほうが効率がよかったからだ。冬の間フロリダにトラックで連れて行ったほうが安くあがるのに,誰がわざわざ越冬可能な蜂を欲しがる?初春に米国南部やオーストラリアから女王蜂と種蜂を新たに買い入れたほうが安上がりなのに,なぜ蜂が自立できるかどうか心配する?異性化糖のコーンシロップが安くじゅうぶんに手に入るのに,なぜ自分で餌をまかなえる蜂など交配する必要がある?巨大な化学企業複合体が提供するダニ駆除剤,殺菌剤,抗生剤が簡単に手に入るのに,なぜわざわざダニと病気に抵抗力を持つ蜂の繁殖に何年も費やさなければならない?
 いったんこのような安易な手段に手を染めるときりがない。ミツバチを大陸横断サバイバルレースに無理やり出場させたり,アーモンド受粉のために冬期に巣を冬蜂で溢れ返らせたりすることにより,養蜂家は蜂をどんどん不自然な暮らし方に追い込んでいった。その過程で,必要になったときに初めて気づくような目立たない特質が失われていったことは間違いないだろう。自然のシステムに,本来それが意図していないようなことをさせるのは可能かもしれない。けれどもそれにはいつでも壊滅のリスクがつきまとう。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.218-219.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

家畜の肥育につきまとう問題

 面白いことに,タイロシンは家畜にも投与されている。私はつねづね,いわば巨大なたんぱく質の塊である牛が,たんぱく質含有量の低い草を食べるだけでどうやってあれだけの体を築くことができるのかと不思議に思っていた。だが今では「第一胃」,つまり牛の胃の最初の小部屋がその鍵を握っていることがわかる。第一胃は,基本的にはバクテリアの詰まった発酵タンクだ。バクテリアは消化しにくい草のセルロースを特殊な酵素で分解し,それを食べてウサギのように急速に繁殖する。バクテリアの一部は第二胃に運ばれて,今度は牛が消化することになる。60パーセントがたんぱく質のバクテリアは,ミクロサイズのステーキのようなものだ。ある意味では,私たちが牛を飼うように,牛もバクテリアを飼っていると言えるかもしれない。
 けれども,肥育場の家畜が草の代わりにトウモロコシを食べさせられると,第一胃の環境はバクテリア群を死滅させる形に変わってしまう。その結果,さまざまな病原菌がはびこって,タイロシンが必要になるのだ。『雑食動物のジレンマ The Omnivore’s Dilemma』で,マイケル・ポーランは肥育場の獣医に,抗生剤の投与を止めたら牛がどうなるかと尋ねている。獣医の答えはこうだった。「死亡率が上がり,うまく育たない牛が増えるだろう。今みたいに餌を与え続けて太らせることができなくなる。もし,牛に大量の草とスペースを与えたら,私は商売上がったりになってしまうさ」。牛を放牧して草を食べさせるより,病気の牛をひとところに集めてトウモロコシとタイロシンを与え,獣医を待機させておいたほうが費用効率がいいのだ。だから,ほとんどのビーフはこのように生産されている。
 これはミツバチについても同じだ。放牧は高くつくが,コーンシロップは安い。肥育型の養蜂につきまとう病気と闘うために必要となる抗生物質も安い。けれども,薬がかえって蜂を病気にしているとしたら,このような飼い方は結局安いとは言えないだろう。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.192-193.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

現代のあるミツバチの一日

 典型的なある1日を想像してみよう。あなたは一晩ぐっすりと寝て気持ちよく目を覚まし,筋肉と頭脳にたっぷりエネルギーを送ってくれる健康的な朝食をとる。きょうも1日効率よく働く準備は万端だ。会社では,1日中居心地の良い環境で仕事をする。ほとんど邪魔も入らないし,室温も適度に保たれているので,震えたり汗をかいたりして余分なエネルギーを使うこともない。有害な物質にさらされる程度も最小限だし,友人や家族もしっかり支えてくれている。あなたは1日じゅうリラックスして過ごし,生産性を最大限に引き出すことができる。
 ここで,もうひとつのシナリオについて考えてみよう。あなたは大陸を横断する長旅のあと,充血した目つきでよろよろと空港に降り立ち,ペプシコーラを朝食の代わりに飲んで元気をつける。すぐにレンタカーに飛び乗って,得意先との会議に向かうが,車のナビゲーションシステムが壊れていたせいで道に迷ってしまう。ようやく遅れて会議にたどりついたときは,いらいらして,震えが止まらない。会議中には,下痢をもよおしてトイレに駆け込まなければならない。腹の具合がずっとおかしいのdが,抗生剤の効き目がちっともあらわれないのだ。足元の絨毯にはノミが飛び回っているのか,何かが靴下の中にもぐり込もうとしている。会議に戻ってしばらくすると,害虫駆除会社の連中がやってきて,吐き気をおよおす白い煙を部屋中に撒き散らす。会議でのあなたのパフォーマンスは最低だ。期待していた取引もまとめることができない。けれども,くよくよしている暇はない。すぐに次の会議に向かわなければならないから。実は,このあとも夜遅くまで,いくつもの会議が目白押しだ。そのあと,とんぼ返りで飛行機に乗り,目を充血させて家に戻ることになっている。ゆっくり座って食事をとる時間などないので,車を運転しながら,ドーナツにかぶりつく。
 あなたの調子は最低だ。不可能な詰め込みスケジュールのせいで常にいらいらしているだけではない。睡眠不足,糖分の多い食事,化学物質による汚染が免疫系に重い負担をかけている。おそらくこれからさまざまな病気にかかり,仕事の業績もどんどん落ちていくだろう。ついに妻の待つ家にたどり着いても,ロマンチックな気分などにはとてもなれない。心配事があまりにも多すぎるから。子どもたちに何らかの学習障害があるらしいこともそのひとつだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.183-184.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

ミツバチは人間の力を借りて世界征服を成し遂げた

 私たち人間は,自然を操作していると思い込みがちだ。だが,実は操作をしているのは人間の側だけではない。私は,人間とミツバチの協力関係を,共進化の典型的な例とみている。蜂だって,少なくとも私たちと同じぐらいの恩恵はこうむってきているのだ。17世紀のイギリスの作家ジョナサン・スウィフトが言うように,「(蜂蜜の)甘さと(蜂ろうで作ったろうそくの)光というもっとも崇高な2つのものを人類にもたらすことにより」,蜂は私たちを夢中にさせて,彼らの遺伝子を地球全体にばらまかせた。それもあっという間に。花との間に「受粉対花蜜」の取引を成立させるには数百万年を要したのに,少量の甘味を餌に,人間に大変な思いをさせて巣箱を作らせ,それを方々に運ばせるには,たった数千年しかかからなかったのだから。
 もちろん,人間はこの協力関係を意識していても,蜂にその意識はない,という議論もあるだろう。だが,進化は,それに関わるものの意識や意図など一切おかまいなしだ。結果だけがものをいう。おして,結果ははっきりしている。ミツバチは,人間の力を借りて,世界を征服したのだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.48-51.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

遺伝子以外の影響を免れることはない

 エソロジストが生得性をテストするときの古典的な方法は,ある行動が誕生時もしくは誕生後すぐに存在すること,もっと一般的には,その個体が環境の刺激から学ぶ機会がないうちにその行動が現れることを証明することだった。ところが1950年代にアメリカの動物心理学者ダニエル・ラーマンが,いかに厳密に隔離しても出生前や誕生直後に起こる出来事は避けられないから,個体が遺伝子以外の影響を完全に免れることはありえないという説得力のある主張をした。その結果,エソロジストたちは行動の発達のエピジェネティックな(遺伝子と環境の相互作用による)性格を受け入れて,さまざまな種に特有の行動パターンを解明する努力を重ねるうちに「生得的(innate)」や「本能的(instinctual)」という語を使わなくなり,,「種に典型的な(species-typical)」という語をよく用いるようになった。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.123-124
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

母胎内環境の重要性

 早期の胚は感覚系をもたないので外部環境から直接的な知覚情報を得ることはほとんどない。しかし,発達の最も早い段階でさえ,遺伝子は完全に外界から独立して働くわけではない。胚の化学的環境は必然的に母体の化学的環境と直接接触している。胚は脳と身体の発達に必要なタンパク質を形成するアミノ酸を自分自身でつくることができず,母体からもらわなければいけない。母体は自分が食べるものからそれを得る。母の食べるものが胚にとって望ましくないものの源になることもある。食物に含まれる毒素や食品添加物などだ。望ましくないものをもたらしかねない点では,母の吸う空気,(医療目的ならびに快楽目的での)薬,煙草なども同じだ。母の感じるストレスのレベルがホルモンの状態に影響し,それが胚に影響を与えることもある。また母体が感染と闘うためにつくる抗体も胚に影響することがある。脳の特色は遺伝子による設計図で決められている(そのおかげですべてのヒトの脳がほぼ同じような形態と機能をもっている)が,計画どおりに仕上がるには,ニューロンが発達するための一定の杯内化学環境が必要だ。遺伝子と胚の化学環境の相互作用がかき乱されると,脳の正常な発達もかき乱される。遺伝と環境はいちばん最初から相互に作用しているのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.99-100
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

創造論がもたらす被害

 創造論はどんな形であれ,計り知れない被害を及ぼす。これほど多くの科学的な発見をむしばむ疑似科学はほかにないだろう。進化論を無視するかぎり,天文学,人類学,生物学,地質学,古生物学,物理学,動物学を正しく理解することはできない。そして,こうした無知がもたらす社会的,政治的,文化的な損失もまた計り知れないほど大きい。こうした分野の専門家を育成しない社会が,競争力のある経済国に発展できるわけがない。「ダーウィニズム」を拒絶することで,開発途上の世界は西欧の堕落した価値観に対してモラル的な優位を示しているつもりなのだろうが,そういう問題ではないのだ。科学的な方法そのものを拒絶してしまっているわけであり,そうすることで未来の世代に物質的な貧困だけでなく知的な貧困をも運命づけてしまっているのである。

ダミアン・トンプソン 矢沢聖子(訳) (2008). すすんでダマされる人たち:ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠 日経BP社 pp.70

時計の進化

 現代の時計はもちろん日時計から進化したものである。そして時計が発祥した北半球では,日時計の柱(vane)の影は文字盤上を「太陽回り」で動いていき,これを私たちは現在「時計回り」と呼んでいる。しかし,ひとたび日時計が手動の時計仕掛けに取って代わられると,時間を太陽回りで表す理由はただちに消滅した。にもかかわらず,この段階では,人々の時間表現の習慣はすっかりしみこんでしまっていたため,結果として,地球上のほとんどすべての時計がいまだに太陽回りの動きを使ってるのである。
 しかし,ここで,議論のために,私たちが現代の時計を直視することになり,そして根っからのダーウィン主義者として,なぜその針が今のような動き方をするのか理由を知りたがっていると仮定してみてほしい。感覚の場合と同じように,問いを提起すべき2つのレベルがあるだろう。
 もし,そもそもなぜ時計は針をもっているのかについて問うのであれば,答えは比較的単純である。何らかの形で時間の経過を示すために,時計はある種の針をもつ必要がある----ちょうど私たちが,体表に与えられた刺激を何らかの形で表象するためにある種の感覚をもつ必要があるように----のは,明白である。
 しかし,時計の針がなぜ今のように時計回りで動かなければならないのかについて問うならば,答えはもっと深いものになるだろう。なぜなら,現在では,時間を表すと言う職務は,逆向きに回転する動きでも同じようにうまく果たすことができる----ちょうど,感覚刺激を表象するという職務が今日では質(クオリティ)を逆転させた感覚によっても十分に果たせるのと同じように----からである。実際,すでに見たように,時計に関するこの第2の問いは,それに先立つ歴史を参照することによってのみ答えることができる----ちょうど,私が感覚についてこれから論じようとするように。

ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.115-116

水中出産とアクア説

 もう少し最近の2005年に発表されたイタリアの研究は,水中出産の安全性を確認したばかりか,その利点をも示してみせた。この研究はある病院で8年間にわたり,1600例の水中出産を同病院での同時期の通常の出産と比較観察したものだ。
 まず,母子ともに感染症にかかる割合は水中出産だから高いということはなかった。むしろ,新生児が吸引性肺炎にかかる割合は水中出産のほうが低かった。赤ん坊は顔に直接空気が触れるまでは肺に空気を吸い込まない。水中にいる潜水反応によって,息を止めている。ちなみに,母親の子宮内にいる胎児も「息」はしているが,吸い込んでいるのは空気ではなく羊水だ。この擬呼吸運動は肺の発達に欠かせない。さて,通常の出産法では,赤ん坊は顔に直接空気が触れたときにはじめて息を吸う。このとき,医者や助産師が赤ん坊の顔をきれいに拭いてやる前に赤ん坊が大きく息を吸ってしまうと,分娩時の残余物や母親の汚物がいっしょに肺の中に入ってしまい,感染症を引き起こす場合がある。これが吸引性肺炎だ。だが,水中で出てきた赤ん坊はまだ呼吸をしていないので,汚れた水を「吸う」ことはない。医者や助産師は赤ん坊が水中にいるあいだに落ち着いて顔を拭いてやり,それから外に出してやればいいのだ。
 この研究では他にもさまざまな利点が浮かび上がった。水中出産した初産の妊婦は分娩第一期の時間がひじょうに短かった。温水につかることで張りつめていた神経や筋肉がほぐされたのか,あるいは何か別の効果があったのか,ともかく分娩が加速された。
 また,水中出産した妊婦で会陰切開が必要になった人の割合も少なかった。会陰切開とは,妊婦の膣口が避けるのを防ぐためにあらかじめメスで切って広げておくという外科処置で,病院での出産では日常的におこなわれている。だが,水中出産では皮膚がやわらかくなるので,この処置が必要になるケースは少ない。
 そしてもっとも注目すべきは,水中出産した妊婦のほとんどが鎮痛剤なしですませたことだ。通常の出産では66パーセントの女性が求める硬膜外麻酔を,水中出産の女性は5パーセントしか求めてこなかった。
 水中での新生児のふるまいを観察すると,アクア説がますます確かなものに思えてくるかもしれない。子どもの発達を研究していたマートル・マクグローは1939年に,乳児は水中で反射的に息を止めるだけでなく,水をかくように腕をリズミカルに動かすことを本に書いた。マクグローは,この「水になじんだ」動作が本能的なものであること,生後4か月頃まで続くことを見出した。4か月を過ぎると水中での体の動きはぎこちなくなる。
 生まれてすぐに泳げるなんて,アフリカのサバンナの暑く乾いた大地で進化したとされる動物の赤ん坊にしてはできすぎの能力ではないか。その赤ん坊は,生まれたときにはお乳を飲むか眠るか息をする以外のことは自分で何ひとつできないというのに。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.241-243

子育てが遺伝子に影響する?

 2004年,カナダのマギル大学のマイケル・ミーニー教授は,デューク大学のマウス実験に匹敵するようなセンセーショナルな実験結果を発表した。子どもは生まれたあとも,母親とのやりとりを通じてエピジェネティックな変化を引き起こすメチル化を受けているというのだ。
 ミーニーは,出生直後の数時間に母ラットからどんな扱いを受けると,子ラットの行動がどう変わるかを研究した。母ラットからやさしくなめてもらった子ラットは,冷静にストレスに対処できる自信に満ちたラットに成長した。一方,母ラットからかまってもらえなかった子ラットは,神経質で自信なさげなラットになった。
 これは「生まれか育ちか」というおなじみの議論の実験のように思えるかもしれない。「生まれ派」はこの実験を,母ラットの社会性に欠けるという感情的に問題のある遺伝子が子ラットに伝わって,社会性に欠ける不安定なラットに育つのだと勝利宣言するだろう。安定したラットは,安定した母ラットの遺伝子を受け継いだのだ,と。たしかにここまでの話なら「生まれ派」に軍配が上がりそうだ。ただし,ミーニーの研究チームは母と子の組み合わせを変えていた。血のつながった母子だけでなく,血のつながりのない母子の組み合わせも作って,そのすべてを観察したのだ。結果は,血のつながりとは無関係に,愛情深い母ラットになめてもらった子ラットは安定したラットになった。
 どうも「育ち派」のほうに分があるように思えてきたのではないだろうか?受け継いだ遺伝子にかかわりなく扱われ方によって個性が変わるのなら,それは育児方法に反応したことになる。「育ち派」に1点。
 ちょっと待った。
 遺伝子を分析すると,2種類のラットにはメチル化のパターンに大きな差が見られた。血のつながりのあるなしにかかわらず母ラットに体をなめてもらった子ラットの,脳の発達に関係する遺伝子のまわりではメチル化の指標が減少していた。どうやら母ラットは,愛情深く子ラットの体をなめながら,ついでに子ラットの脳の発達を阻害する遺伝子を発現させるメチル化指標まで舌でなめて取り去ってしまったようだ。その子ラットの脳では,ストレス反応を鈍らせる部分が発達していた。「生まれか育ちか」ではなく,「生まれも育ちも」かかわっているらしい。
 ミーニーの論文は科学界に大きな衝撃を与えた。親が子の体をなめてやるというただそれだけの行動が,出生後の遺伝子の発現を変えるというのだ。この概念はあまりに過激で,おなじ分野の専門家からも一部,「受け入れがたい」という声があがった。この論文を審査した専門家の一人は,じっくりと検証した上でなお,これが真実だとはとても信じられないとコメントした。こんなことが実際に起こるとは考えられなかったからだ。
 しかし,このラットには起きていた。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.202-203


エピジェネティクス研究の衝撃

 デューク大学の実験の衝撃はあまりに大きく,それが発表されてからというもの,エピジェネティクス研究は爆発的に増えた。その衝撃がどんなものかを紹介しよう。
 まず,遺伝子設計は消えないインクで書かれているとされていた常識を,エピジェネティクスは消してしまった。それ以降の科学は,遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった。まったくおなじ遺伝子セットであっても,ここの遺伝子がメチル化されるかされないかで異なる結果を生み出す。遺伝子コードという土台だけでなく,その上にかぶさる別の層の条件が出現したのだ(エピジェネティクスの「エピ」はギリシャ語の接頭語で,まさに「上にある,あとから,別の」という意味である)。もっとも,この実験の結果に全員が全員,驚いたというわけではない。一部の研究者は50年も前から,遺伝子が同じでも,それで出てくる結果はかならずしもおなじでないことを指摘してきていた。一卵性双生児の指紋は似ているけれど一致するわけではないことがいい例だ。
 つぎに,このデューク大学の実験はラマルクの亡霊を思い起こさせる。母親が生きているときの環境要因が子どもの形質遺伝に影響することが示されたのだから,環境要因はベビー・マウスが受けついたDNAを変えてはいないが,DNAの発現のしかたを変えている以上,やはり遺伝を変えていることになる。
 デューク大学では最初のマウス実験のあと,別の研究チームが別の発見をした。妊娠したマウスの食事にコリンという物質を少量混ぜてやると,子マウスの脳が異常に活性化することがわかったのだ。コリンはメチル化を引き起こし,その結果,通常なら脳の記憶中枢で細胞分裂を制限する遺伝子のスイッチを切った。細胞分裂抑制器の電源をオフにされたマウスは,記憶細胞を遠慮なく作った。そのマウスの記憶力は増強された。がんがん送られてくる情報を,どんどん受け取り,ためていった。超「脳」力をもったマウスは成長すると,これまでの迷路レースの記録をつぎつぎと塗り替えた。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.192-193

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