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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「認知・脳」の記事一覧

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脳が比喩を好むから

 夢に奇妙なモチーフが現れるのは,脳が比喩的な思考を好む傾向があるからかもしれない。ふだんものを考えるときにも私たちは比喩を使っているが,夢の中でも脳はその能力を利用して,視覚的なイメージや行動で,感情や関心事を表現する。認知科学者によると,比喩はセンテンスを華やかに修飾するだけでなく,思考プロセスの重要な一部であり,自己と世界の概念を形づくるのに不可欠なものである。私たちは具体的なモチーフを使って抽象的な概念を表現する。たとえとして使われるモチーフは日常生活から引きだしてきたもので,こうした表現方法は子供でも身につけている。カリフォルニア大学バークレー校の著名な言語学者・認知神経科学者のジョージ・レイコフによると,私たちは覚醒時の思考を組み立てるために豊かなメタファーの体系をもっており,それは私たちの日常的な概念体系の一部になっている。レイコフはその例としてさまざまな慣用表現をあげている。「袋小路に突きあたる」「袂を分かつ」「無駄骨を折る」「岐路に立つ」などである。
 こうしたメタファーの豊かさによって,夢の奇妙な特徴の一部を説明できそうだ。ほとんどの人が見る夢に,空を飛ぶというものがある。大学生を対象にドムホフが行った2つの調査では,半数以上がこうした夢を報告しており,その多くが夢の中で空を飛んでいるときは楽しかったと語っている。おそらく空を飛ぶことは幸福の比喩的な表現なのだろう。覚醒時の思考でも似たようなメタファーが使われる。「天にも昇る気分」「舞い上がる」「地に足がつかない」などだ。やはりよくある夢で,調査対象者の約半数が報告したものに,裸か場違いな服装で人前に立っているというものがある。これは多くの場合,思春期から夢に出てくるシチュエーションだ。英語の慣用表現に恥をさらすという意味で「ズボンを下げた姿を人に見られる」というものがあるように,こうした夢には羞恥心や不安が反映されているのだろう。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 p.112
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レム睡眠中には作業記憶が働いていない

 記憶を一連の順序に並べる領域や,進行中の出来事を一時的に覚えておく「作業記憶」に関連した領域はレム睡眠中には働いていない。だが,ブラウンによると,長期記憶の形成と引きだしにかかわる領域は覚醒時よりも活発に働いているという。これは,レム睡眠が長期記憶の処理に重要な役割を果たすのにうってつけの条件だ。「レム睡眠は,スイッチがオフになった状態で長期記憶を強化したり削除したりといった処置をするためにあるのではないか」と,ブラウンは推測する。「ただし,レム睡眠中に生じた情報はちゃんと処理されない」
 長期記憶の処理中枢は活発に働いているのに,現在の体験(つまり夢)を記憶するのに必要な領域はあまり働いていない----レム睡眠中の脳がこうした状態にあるために,私たちは午前8時に食べた朝食のメニューは思い出せても,午前4時に見た夢を思い出せないのだ。しかしブラウンによれば,実際には夢の内容は記憶に刻まれている。だから昼間に前の晩に見た夢と関連のある何かを見たり,感じたりすると,ふっと夢の断片がよみがえる。夢をよく思い出せないのは,記憶の中からうまく引きだせないからである。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 p.92

fMRIの利点

 PETに比べてfMRIには多くの利点がある。第1に人体にほとんど影響のないものとはいえ,PETでは放射性同位元素でラベルした薬品を注射しなくてはならない。しかしfMRIでは何も注射する必要はない。ガンの転移などの臨床的な検査では,検査の重要性が,わずかとはいえ人体に影響を与える可能性のある放射性同位元素による身体への影響を大きく凌駕するために,倫理的な問題はほとんどない。しかし,健康な人を対象に行う基礎的な脳研究では,わずかな身体への影響でも倫理的な問題になるのである。
 2つ目の利点は,その解像度の高さである。PETでは,描出できる最小の脳部位の大きさは5〜10立方ミリメートルであった。しかしfMRIでは約3立方ミリメートルの大きさまで描出できる。ほぼ1ミリメートルの直径があれば検出可能なのである。最初はPETで研究を行っていた世界中の脳科学者が,次第にfMRIを使ってさまざまな研究を行うようになってきたのである。
 さらに,fMRIの測定は数秒ほどで可能なために,測定に数分かかるPETに比べてより速い血流変化を測定できるようになった。もちろん,ニューロンの電気的な変化にはミリ秒単位のものもある。こうした速い変化の検出はfMRIでも困難であり,脳磁図などのさらに新しい脳機能画像装置の登場によって可能になるのである。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.69-70

脳が活動するという意味

 では脳が活動している,というとき,それは何を意味しているのだろうか。それは,たとえば手を動かすという私たちが注目した神経活動に関わるニューロンのネットワークの中を流れる電気的信号(脱分極)が,手を動かさないとき(手を動かすという活動が休止しているとき)よりも増加しているということを示しているに過ぎないのである。では,手を動かすときに作動する神経細胞は,手を動かさないときには伝記的に活動していないのかといえば,そうではない。手を動かしていないときでも,手を動かすときに電気的な活動が増加する神経細胞も,ブドウ糖や酸素を消費しているのである。自動車でいえば,アイドリング状態にあるといってよいだろう。
 PETで検出しているのは,たとえば手を動かすときと動かさないときの,手の運動中枢の血流の「相対的」な変化ということになる。相対的な変化を見る,ということからすぐに分かることは,1回の測定では何も分からないということだ。手の運動で言えば,手を動かしていないときに1回放射性同位元素を注射して測定し,こんどは手を動かしているときに再び放射性同位元素を注射して測定したガンマ線量の差を計算し,増加した部分に色をつけて可視化したものなのだ。
 脳活動によって変化するのは,脳全体の血流の絶対量ではなく,その相対的分布なのである。PETで,まったく色がつかない部分は,森氏の本にあるように「活動停止状態」ではなく,注目している活動(たとえば手を動かす)によって,血流量に変化が見られない部分なのである。手を動かすという「注目している活動」によって,相対的に血流が増加する部分が,その注目している活動の遂行に関わっている可能性は高い。しかし,相対的血流の増加が見られないところは,その「注目している活動」に関係がないとは言いきれないのである。

榊原洋一 (2009). 「脳科学」の壁:脳機能イメージングで何が分かったのか 講談社 pp.64-66.

謙虚さ

 人は生産的になればなるほど,自分がいかにわかっていないかに気がつきます。脳に関する私たちの知識は,脳の複雑さに比べて悲しいほどに不十分です。あなたにも私にもわからないことだらけなのです。謙虚さなど不要とおかしなことを考えてはいけないのです。

(by アントニオ・ダマシオ)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.123-124


意識というシミュレーション

 1958年12月,イングランドのロイヤル・バーミンガム病院で,52歳の男性が角膜の移植手術を受けた。自分の角膜は,生後わずか10ヶ月の時に目の感染症にやられ,それ以来,全盲だった。手術は大成功という評価を受け,イングランド中で大々的に報道された。『デーリー・テレグラフ』紙は,その男性の視覚が手術後わずか2,3時間で機能を回復した様子について,連載記事を組んだ。
 そうした新聞報道の読者の中に,心理学者リチャード・グレゴリーがいた。彼は認識にまつわる心理学に興味を持っていた。そして,同僚のジーン・ウォーレスとともに,その患者に世界はどう見えるかを研究し始めた。2人は学術文献の中では,患者をS・Bと呼んでいる。
 手術前のS・Bは活動的で満ち足りており,普通,目の不自由な人がするとは思えない活動を,数多く習得していた。(目の見える人に肩を支えられながら)自転車に乗ることも,様々な道具を使いこなすこともでき,白い杖なしで歩いた。手探りで歩き回り,義兄の車を洗いながら,その形を想像するのを楽しんだ。
 グレゴリーは,手術後に起こったことを,次のように報告している。「初めて目の包帯が外され,もはや盲目ではなくなった時,彼は医師の声を耳にした。そちらを向いたが,何かがぼうっと,おぼろげに見えるだけだった。声を聞いていたから,それが顔にちがいないとは思ったが,よく見えなかった。彼には,私たちが閉じていた目を開けた時のようにすぐには,物のあふれる世界が見えなかった」
 しかし,それから2,3日で視力を回復すると,S・Bは,動物,自動車,手紙,時計の針など,かつては感触でしか知らなかったものをいくつも,難なく認識することができた。すぐに絵を描くコツを覚えたが,ときどき珍妙な間違いを犯した。たとえば,1960年代には,もうバスにスポークタイヤは使われていなかったのに,そういうタイヤのついたバスを描いた。彼が子供の頃,バスに触るのを許された時には,確かにスポークタイヤだったからだ。
 S・Bが心から驚いたものはあまりなかったが,例外の1つが月だった。彼は空に浮かぶ三日月を見て,あれは何かと尋ねた。そしてその答えに当惑した。三日月というのは,スポンジケーキを4等分したような形だと,ずっと思っていたからだ。
 S・Bが使ってみたいとずっと夢見てきたものの1つに,旋盤があった。グレゴリーとウォーレスが,ロンドンの科学博物館で,ガラスケースに入った旋盤を見せたが,S・Bは見えないと言う。ケースが開けられ,S・Bは目を閉じて,しばらく旋盤の上に手を滑らせ,それから一歩下がって目を開けると,こう言った。「さあ,これで触ったから見えるぞ」このように,初めのうちS・Bは,触感を通して知っているものしか見えなかった。
 S・Bの話は悲劇的な結末を迎える。手術のわずか1年後,彼はすっかりふさぎ込んで真だ。世界を見て,幻滅させられたのだ。S・Bは,夜,明かりを消してじっとしていることが多かった。S・Bの話は,前もってシミュレーションしたことのないものを見るのが,いかに難しいかを物語っている。見れば信じられる,というのは真実ではない。信じるから見えるのだ。
 普通の人が世界を知覚する時,様々な感覚器官から入ってくる感覚が結びついて,内面で1つのイメージになる。それを私たちは体験する。人は,1つの感覚を使って別の感覚を助ける。スピーチは,話し手が見える場合のほうが聞き取りやすい。
 しかし,1つの感覚器官からの感覚データに不足があるときだけ,ほかの感覚を使うわけではない。経験という作用,ひいては意識という作用は,多くの異なるインプットを,自分が知っているものの単一のシミュレーションにまとめることに尽きる。
 グレゴリーが,S・Bの事例から提起した疑問に,次のようなものがある。「子どもの時,見えるけれど触れることのできない,鏡の中のような世界で,じかに物に触れる経験をせずに育ったら,どれだけ物が見えるようになるだろう。その答えは,ほとんど見えない,であることは,まず間違いない。そういう状況で目にするのは,物体ではなく,パターンだからだ。知覚が『物体仮説』を打ち立てるために必要な,相互関係が欠如しているのだ」

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.362-364.

ブランスフォードとジョンソン(1973)の実験

題名1:40階から平和行進を見る
題名2:人の住んでいる惑星への宇宙旅行

 その光景は心ときめくものだった。窓からは下の群衆が見えた。こんなに距離があるので,見るものはすべて極端に小さくなった。しかし色とりどりの衣装はそれでも見ることができた。みんなは整然と同じ方向に動いているように見えた。また大人だけでなく小さな子どももいるようだった。着陸はふんわりと行われ,幸運なことに大気は特別な服を着る必要がないほどだった。はじめはたいへんにぎやかだった。そのあと,演説が始まると,群衆は静まり返った。テレビカメラを持った男がその舞台や群衆の写真を何枚も撮った。誰しもみんな大変親しげで,音楽が始まった時には歓喜しているように見えた。

「着陸は・・・」の文章は,題名1では意味を成さない文章であり,文章呈示後の記憶成績は悪かった。題名2を呈示した後では,この文章は話の構造と適合してずっとよく記憶することができた。

指示されたテーマが異なってしまうだけで,わたしたちは異なった理解を構成してしまうし,全体の中での部分の意味ある位置づけが最終的になされているわけで,それがうまくいっているときに「よく理解できた」という感じをわたしたちは持つ。うまく位置づけできない,全体の中でおさまりの悪いものが残っている場合には,わたしたちはよく理解できた感じを持てないということになるのだ。新しい概念を学習する場合などは例をたくさん示すと同時に,その例がすべてもれなく理解できるような原理とその適用の確認を行わないと,わかった感じが十分得られないのである。

北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.55-56


利用可能性ヒューリスティックの例

10個の停留所があって,2個の停留所に止まるバスと8個の停留所に止まるバスを考えた場合,どことどこに止まっていくかのバリエーションを考える。10個の停留所から止まる2個の停留所を選ぶ場合の数も,止まらない2個の停留所を選ぶ場合の数も全く同じである。しかし,様々な個数の止まり方の場合の数を推定してもらうと,結局多くの人が2個の駅に止まるパターンの方が8個の駅に止まるパターンよりもずっと多いような回答を行う。2個のバリエーションを考える方が自由度が高くてたくさんつくることができる感じがするので,多くの選択肢があるように思ってしまうのである。(Tversky & Kahneman, 1973)


北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.72


行動を変えよ

非意識的な傾向を変化させる第一歩は,行動を変えることである。非意識的なレベルで偏見を持っているのではないかと心配な人は,可能な限りいつも,偏見の無い方法で行動するよう最善を尽くすことが出来るだろう。そうすることで,2つの方法で自動的なレベルの変化を導きうる。第1に,先に述べた自己知覚過程に従って,行動から非意識的に,自分は偏見のない人であると推論する機会が得られる。すなわちそれは,態度と感情を推論するための新しい「データ」を,適応的無意識に提供する。
 第2に,ウィリアム・ジェームズが述べているように,ある行動をすればするほど,それはより習慣的で自動的になり,努力と意識的注意を必要としなくなる。社会心理学の変わらぬ教えの1つは,態度や感情の変化にしばしば行動変化が先行することである。このように,自分についての意識的概念に一致するように行動を変えることは,適応的無意識に変化をもたらすよい方法である。

ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.277

非意識的な心

非意識的な心は,いわば見えないところでインターネットをスキャンし,私たちにとって興味深い情報に出会ったら電子メールで知らせてくれるコンピュータプログラムのようなものである。私たちの心の一部は,注意の焦点にないものをスキャンし,何か興味深いことが起きると注意を喚起してくれる。非意識的フィルターは,シドニーが胆嚢手術をしたことをだらだら話しているのを聞いた場合には,無視しようと決断する。しかし,彼が私たちの名前を口にしているのを聞いたときには,ただちに意識的注意に知らせるのである。

ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.39


潜在学習

 潜在学習をあざやかに示して見せたのが,パウエル・レヴィッキ,トーマス・ヒル,エリザベス・ビゾーによる研究である。実験参加者に課された課題は,4分割されたコンピュータ画面を注視することだった。コンピュータ画面には,試行のたびに「X」という文字が1つの区画に現われ,参加者は4つのボタンのどれか1つを押して,それがどこに現れたかを答えた。参加者は知らなかったが,「X」の呈示方法は12パターンに分かれており,複雑な規則に則っていた。たとえば,「X」が同じ区画に2回続けて現れることは決してなかった。また,3番目の呈示位置は2番目の呈示位置に依存しており,4番目の呈示位置は,それに先行する2つの試行に依存していた。そして「X」は,少なくとも他の2つの区画に現れるまで,元の場所に「戻る」ことは決してなかった。正確な規則は複雑だったが,参加者はこれを学習しているようであった。試行が進むにつれ,遂行成績は着実に伸び,「X」が画面に現れた時に正しいボタンを押すまでの時間がどんどん速くなっていったのである。しかし,その規則がどのようなものだったか,またそもそも何かを学んでいたということさえ,誰1人言うことができなかった。
 彼らが複雑な規則を非意識的に学んでいたということは,実験の中で次に起きたことから明らかになった。研究者たちが突然,規則を変更し,「X」が現れる場所を予測する手がかりを無効にしたのである。すると,参加者の遂行成績はがくんと低下した。彼らは「X」の呈示位置を検出するのに非常に多くの時間がかかるようになり,間違いもいくつかするようになった。参加者は,課題をうまくできなくなったことに気づいたが,それがなぜかということは誰もわからなかった。彼らは,今では通用しなくなった規則を学んでいたことをまったく自覚していなかったのである。かわりに,成績が急に悪くなったことに対する別の説明を,意識的に探していた。

ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.36-37

意識の処理量

 私たちの五感は,あらゆる瞬間に1千百万要素以上の情報を取り込んでいる。科学者たちは,各感覚器にある受容細胞と,これらの細胞から脳へと向かう神経を数えて,この数字を割り出した。両目だけで,1秒当たり1千万以上の信号を受信し,脳に送信している。科学者たちはまた,人がどれだけ早く文字を読めるか,さまざまな光の点滅を意識的に検知できるか,異なるにおいを嗅ぎ分けることができるかといったことを調べて,任意の時点において,どれだけの信号が意識的に処理されうるかを明らかにしようとしてきた。その最も多い見積りでも,人が意識的に処理できるのは,1秒あたり約40要素の情報である。私たちは1秒あたり1千百万要素もの情報を取り入れているのに,意識的に処理できるのはそのうちのたった40要素にすぎないのである。いったい,残りの1千99万9960要素はどうなったのだろうか。このように信じがたいほど鋭敏な知覚を備えているにもかかわらず,入力情報を利用できる能力が非常に少ないシステムを設計するのは,あまりに無駄というものである。しかし幸運にも,私たちは,意識的自覚のないところで,この非常に多くの情報を有効に利用しているのである。

ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.33


さざ波

こうした発見は,最近の画像処理技術を使った脳の研究から生まれている。この研究のおかげで,人間が話をしているとき健康な大脳皮質がどんな活動をしているか観察できる。そうして発見されためざましい成果の1つは,単語を発するだけで皮質にさざ波が横切るような独特のパターンが生まれることだ。たとえば「ねじまわし」という単語を聞いただけで,運動野(運動皮質)と呼ばれる脳の一部が明るくなる。運動野は運動のコントロールに関係しているところで,おそらくその単語が,ねじまわしを使って何かしている記憶を作動させたのだろう。


スーザン・グリーンフィールド (2001). 脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ 無名舎 p.238

ハイブリッド夢

 10の夢報告のそれぞれ場面ががらりと変わる部分で,ハサミで2つに切り離す。こうしてできた20片を再びつなぎ合わせる。このとき,半数はもとの報告どおりにつなぎ合わせ,残りは前と後ろが別々の人の夢報告からなる”ハイブリッド夢”に組み立てた。すなわちハイブリッド夢では,前後の内容の間に因果関係はないはずである。
 この実験を行う前には私自身,たとえ夢の場面が変わっても,1つの夢に何らかの因果関係を見出せると思っていた。ところが実際には,どれがハイブリッド夢でどれが1つの夢なのかを区別できなかった。それも私だけではない。他のみんなもそうだったし,ベテランの臨床心理士でさえ,このように場面変化を伴う場合,ハイブリッド夢かどうかの区別がつかなかったのである。  じつに素朴な実験ながら,考えさせられるところが多い。
 何事に対しても当然のように「こうなるには,こういう理由があるんだ。だからこうなんだ」と決めつけている。どんなことにも因果関係を探し出そうとするのが人間の心理なのだろう。それがあるからこそ私たちは生き延びてこられたのだろうし,科学も進歩してきたのである。
 ただし,それによって誤ることもある。そして誤ったことに気づくよりも,気づかないことのほうが多いようである。


アラン・ホブソン(著) 冬樹純子(訳) (2003). 夢の科学 そのとき脳は何をしているのか? 講談社ブルーバックス p210-211

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