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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「認知・脳」の記事一覧

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分類は生存に有利に働いた

 民俗分類がヒトにとって根源的な認知分類行為の反映であることを考えれば,生物分類学のルーツをどこに求めるかはおのずと明らかになる。多様な対象物を適切に分類し続けることは,ヒトにとって最節約的に記憶を整理すると同時に,より効率的な帰納的推論を可能にしただろう。そのような認知能力をもつことは,ヒトが自然界の中で生き残る上で有利に作用したにちがいない。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.284-285
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染み付いた見方は受け入れよ

 心理的本質主義はヒトの心に巣食う原初的想念である。進化的思考は,存在論的本質主義はもちろんのこと,心理的本質主義とも根本的に対立する考え方である。この世界が離散的な自然種から構成されているという本質主義的世界観は,対象物間に由来によるつながりがあり相互に移行すると見なす進化的世界観とは両立しない。本質を共有する自然類は互いに切り離された離散的な類であり,それらの間を移行するということ自体が原理的にありえないことだからである。進化的思考がこの本質主義を蛇蝎のごとく忌み嫌うのも当然のことであろう。
 しかし,現代のサイエンスがどのような新しい世界観を私たちに示そうが,私たちにもともと深く染みついているものの見方までかき消すことはできない。進化的思考者を自認している私でさえ,自分が心理的本質主義者であることを否定しているわけではない。私たちの心が産み出す産物は,たとえそれが心の中に矛盾や葛藤を生み出すものであったとしても,そのまま受け入れるしかないだろう。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.269-270

分けたい

 「分類」とか「分類学」と言われれば,生物の分類をすぐさま連想することが多いのがふつうだ。人間の目から見てさまざまな姿形をもつ生きものたちは,われわれが本来もっている「分けたい」という衝動を激しくかきたてる。しかし,分類はもともとその対象物を選びはしない。図書館でおなじみの本の分類(たとえば十進分類システム)やメンデレーエフによる化学元素の分類(周期律表)はいうまでもなく,分類学や分離の理論について何一つ学んだことのないはずの一般人や幼児でさえ,日常のさまざまな状況で「分類」を実行しながら生活している。折り詰め弁当に入っている「醤油鯛」であれ,街角の工事現場に立っている「おじぎびと」であれ,あるいは,いまや世界的キャラクターとなった「ポケモン」であれ,分類の対象はその裾野を無限に広げる。対象を生物に限定しない(その意味で「普遍的」な)分類は実際にある。とすると,そのような普遍的分類を論じる「普遍的分類学」もまた可能であろう。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.149-150

To classify is human.

 生物がいるところ必ず分類がある。いや,生物だけではなく,どんなものであってもそれらを分類することは,私たち人間にとって根源的な行為のひとつである。「分類するは人の常(To classify is human)」とは格言そのものだ。フォーマルな「学」である以前に,分類とはもっと身近なもの,つまりふつうに生活していればごく自然に身についている素朴な分類思考に根ざしているとみなしても問題はないだろう。たくさんの対象物をひとつひとつ覚えられるほど,私たちの大脳は性能がよくない。ばらばらの対象物を少数のグループ(群)に分類して整理することによって,はじめて記憶と思考の節約ができる。

三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 p.33.

ヒトは分類するもの

 ヒトは無意識のうちにオブジェクトを分類してしまう生きものである。系統を推定することにより,オブジェクトがたどってきた歴史が解明される。一方,分類したとしても,オブジェクトに関して何かが解明されるというわけでは必ずしもない。そのとき,私たちヒトは,オブジェクトが存在する現象世界を認識するためにのみ分類していると言わざるを得ない。分類することの根源的意味を問い直すには覚悟が必要だろう。分類思考を支えてきた概念装置は,私たちヒトのもつ認知的特性に深く根ざしていると私は考えている。


三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.18-19

すべて記憶できると思考しなくなる

 彼は苦もなく英語,フランス語,ポルトガル語,ラテン語などをマスターした。しかし,彼には大して思考の能力はなかったように思う。考えるということは,さまざまな相違を忘れること,一般化すること,抽象化することである。フネスのいわばすし詰めの世界には,およそ直截的な細部しか存在しなかった。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). 記憶の人,フネス 伝奇集 岩波書店 p.160

記憶したすべてに名づける

 17世紀にロックは,個々のもの,個々の石,個々の鳥,個々の木の枝などが固有の名前を持つという,不可能な言語を仮定した(そして否定した)。フネスも一度,類似の言語の発明を試みたけれども,あまりに包括的で,あまりにも曖昧だというので放棄してしまった。実際,フネスは,あらゆる森の,あらゆる木の,あらゆる葉を記憶しているばかりか,それを知覚したか想像した場合のひとつひとつを記憶していた。彼は,過去の日々のすべてを7万ほどの記憶に要約して,あとで数字によって固定しようと決心した。ふたつの考えがそれを思いとどまらせた。この作業は終わるときがないという考えと,それは無益であるという考えである。死のときを迎えても,幼年時代のすべての記憶さえ分類が終わっていないだろうと考えたのだった。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). 記憶の人,フネス 伝奇集 岩波書店 pp.158

すべてを記憶できる人,フネス

 われわれはテーブルの上の3つのグラスをひと目で知覚する。フネスはひとつのブドウ棚の若芽,房,粒などのすべてを知覚する。彼は,1882年4月30日の夜明けの,南にただよう雲の形を知っていて,それを記憶のなかで,一度だけ見たスペインの革装の本の模様とくらべることができた。これらの記憶は単純なものではなかった。視覚的映像のひとつひとつが筋肉や熱などの感覚と結びついていた。彼はあらゆる夢を,あらゆる半醒状態を再生することができた。2度か3度,まる1日を再現してみせたこともある。1度もためらったことはないが,再現はそのつどまる1日を要した。彼はわたしにいった。世界が始まって以来,あらゆる人間が持ったものをはるかに超える記憶を,わたし1人で持っています。また,いった,わたしの眠りはあなた方の徹夜のようなものです。さらに,彼は明け方にいった,わたしの記憶は,ごみ捨て場のようなものです。黒板に描かれた円周,直角三角形,菱形などは,われわれも完全に直観できるフォルムである。イレオネの場合,若駒のなびくたてがみや,ナイフの角の柄や,絶えず変化する炎や,無数の灰のやまや,長い通夜の死人のさまざまな表情について,おなじことがいえた。彼は無数といってもよい星を空に見ることができた。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). 記憶の人,フネス 伝奇集 岩波書店 pp.155-156

時間も柔軟に

 目を閉じて両腕を交差して,誰かに右手と左手に時間差をつけてポンと叩いてもらう。で,どっちが先だった?と訊くと,差が大きければ間違えることはないけど,この時間差を短く,具体的には10分の1秒以下まで縮めると,わからなくなる。時間の感覚によっては左右のタイミングが逆転してしまう。
 こうした実験が証明しているように,時間の感覚なんて案外と簡単に崩れてしまうものなんだ。僕らは時間を物理的な絶対基準として置きがちだけど,実は,脳は時間に柔軟性を持たせている。時間はガチガチに固定したものではなく,伸縮自在に流れている。場合によっては,先後が入れ替わるくらいフレキシブルに脳内時計は時を刻んでいる。

池谷裕二 (2009). 単純な脳,複雑な脳:または,自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義 朝日出版社 p.296

方向音痴は記憶の問題

 方向感覚のよし悪しは感覚の問題ではなく,空間に関する記憶の問題である。一度歩いたルートを覚えていれば,道に迷うこともないし,方向音痴と感じることもない。問題は,歩いたルートすべてを覚えていることができない点だ。
 私自身方向感覚はよい方だが,覚えられないルートや目印は少なくない。要は何を覚えるべきかという問題なのだ。方向音痴の人は,目印にならないような特徴,つまり遠くから見えなかったり,あちこちにあって「ここだ」と決められないようなもの,あるいは動くものに注目し,肝心のナビゲーションに必要な目印を覚えていない傾向が強い。
 また,方向音痴の人は,せっかく目印を覚えても,それが「どこ」にあったかに注意を払っていないようだ。目印は,それがほかの場所とどういう位置関係にあるかが把握できて初めてルートをたどる目印として機能する。特徴的な目印を見たら,それがルートのどこかを意識する習慣をつけるといいだろう。
 注目すべき目印は,曲がり角である。曲がり角にどんなものがあったかに注意を向けてそれを覚える。帰路のことを考えると,曲がり角を曲がった後,その角を逆の方向から来るとどのように見えるかを振り返って確認するとよい。同じ場所を通っても,反対から来れば目印の見え方が異なる。往路の視点から見ないと目印を確認できないのでは,その目印も有効には使えない。曲がり角で振り返ることが,道迷いを防ぐ上で有効なことは,心理学の実験でも確かめられている。

村越 真 (2003). 方向オンチの謎がわかる本 集英社 pp.204-205

方向音痴は手段の問題

 このような経験からすると,「方向感覚」の悪さは固定した能力の問題ではなく,方向感覚を発生させるために必要な行為を怠りなく行うかどうかの問題であると思える。
 この意味では,「方向音痴がなおる」とは,喫煙習慣や肥満の解消に似ている。いずれも目標とすべき状態もそのための手段もはっきりしている。喫煙習慣から脱するにはたばこを吸わなければいいのだし,そのためには手元にたばこを置かないといった簡単な方法がある。また肥満の解消なら,使うエネルギーと摂取するエネルギーのバランスを取ればよい。そのためには,運動をしたり,カロリーを控えればいいことははっきりしている。
 いずれの場合も,問題も解決法もはっきりしている。それでもなかなか喫煙習慣を脱することができなかったり,ダイエットが成功しないのは,解決法を継続することができないからである。そしてこれは,方向音痴にも共通している。目的地から迷わず帰ってくるには,1つ1つの曲がり角の特徴を覚え,そこでどちらの方向に曲がったかを覚えておけばいい。おそらく方向音痴の人たちは,こうした行為を継続して行うことができないのだろう。

村越 真 (2003). 方向オンチの謎がわかる本 集英社 pp.197-198.

エピソード記憶の低下

 高齢者は一般に,「何」に関する情報は比較的よく覚えているが,「どこ」「いつ」といった情報を覚えているのが不得意なようである。たとえば,作り話を聞かせて,それを覚えているように要求する実験があった。この実験では話自体を高齢者は比較的よく覚えていた。ところが,その話が男の声で語られたか,女の声で語られたかに関して,彼らの記憶は劣っていた。「どこ」や「いつ」は経験に付随するエピソード記憶の重要な部分であるが,その記憶が劣るのはエピソード記憶の低下と関連があるのかもしれない。
 記憶力がなぜ低下するのかという点に関しては様々な仮説があり,どれも一長一短で,決め手に欠けている。生理的な証拠からは,前頭葉が加齢に対して敏感であると言われているが,前頭葉は,抑制,注意など制御に関連している。空間に対する注意の向け方のまずさが,低い空間記憶につながっているのかもしれない。

村越 真 (2003). 方向オンチの謎がわかる本 集英社 p.127

知識のゆがみ

 このような知識のゆがみは,認知地図だけのことではない。どんな分野でも,人は経験したことをすべてそのまま覚えていることはできない。記憶は欠落し,その欠落を様々な推測で補う。そこに図式化のプロセスが働き,認知地図がゆがむのだ。
 もっと大規模な空間でもこうしたゆがみが発生している例を紹介しよう。次の質問の答を考えてほしい。
 (1)東京と秋田ではどちらが西にあるか
 (2)東京と鳥取では,どちらが北にあるか
 答えはいずれも東京である。(1)は秋田を,(2)は鳥取を答えた読者が多いのではないだろうか。このような地理関係の判断間違いの例は数多くある。
 たとえば,シアトル(アメリカ)とモントリオール(カナダ)はどちらが北か,パナマ運河の太平洋側の入り口と大西洋側の入り口とどちらが西にあるか。これらの質問はいずれも多くの人の予想とは異なっているのである。

村越 真 (2003). 方向オンチの謎がわかる本 集英社 p.42

覚醒と睡眠の連続性

 ラバージらはまた,意識の状態を「覚醒」と「睡眠」の2つに限定すべきではないと考えている。この20年間のさまざまな夢の研究が明らかにしたように,意識の状態は脳の生理的なバランスによって変化する。レム睡眠中に鮮やかな夢を生む意識状態の特徴の多くは,外界からの情報が遮断されることに加えて,脳内でセロトニンとノルエピネフリンのレベルが急に下がり,アセチルコリンが急上昇することによってもたらされる。その状態で,注意を集中する前頭葉の領域がめざめることで,明晰夢が生まれるのだろう。神経伝達物質のバランスのちょっとした変化も関係しているかもしれない。
 レム睡眠中はもっともドラマティックな意識の変化をかいま見せてくれるが,そのほかにもさまざまなときに意識の状態が移り変わる。たとえば新聞を読んでいるとき。記事の半分くらいまできて,何を読んでいたか,さっぱりわからないと気づいたら,おそらくあなたの脳の中ではノルエピネフリンとセロトニン・レベルが下がり,アセチルコリンが急増したのだろう。それによって頭がぼんやりし,白昼夢の中にさまようと,ハーバード大学の神経科学者スティックゴールドは説明する。「詰まるところ,これが正常という意識の状態はない。起きているときは,睡眠中より正常なのではない。集中しているときか,ぼんやりしているときより正常なわけでもなければ,冷静に落ち着いているときが,興奮してわれを忘れているときより正常というわけでもない。どういう意識の状態が必要かは環境によって変わる。私たちの体は環境の変化に対応するため,臨機応変に状態を変えなければならないのだ」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.258-259

明晰夢の科学的根拠

 明晰夢はオカルトじみたものと見られがちだが,きちんとした科学的な根拠のある現象であることは疑う余地がない。夢を見ているときに夢の世界にいることを意識するのは可能なのだ。しかも,人によっては,夢の展開を意図的に操作でき,外界に合図を送ったり,眠る前に出された課題を実行することもできる。ラバージは睡眠実験室で被験者が眠る前に課題を出すことにした。明晰夢を見ているときに呼吸のパターンを変えるというものである。この課題を選んだのは,レム睡眠中に自由に動かせるのは眼球を動かす筋肉と呼吸筋だけだからだ。ラバージは3人の被験者に,まず眼球の動きで明晰夢が始まったという合図を出してから,呼吸を早くしたり,ちょっと息を止めるよう指示した。指示された通りに呼吸のパターンを変えることができたケースは全部で9回あった。いずれも脳波計その他のモニター装置のプリントアウトで,レム睡眠中に実際に呼吸パターンが変化したことを客観的に確認できる。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.238-239

思考は一貫性を作り出す

 夢に現れるこのような七変化は昔から科学者の興味をそそってきた。19世紀末のベルギーの心理学者ジョセフ・デルブッフはこうした変化について分析を試みた。それによると,私たちは他人に夢の話をするときにネコが女性に変わったとは言わない。「私はネコと遊んでいた。気がつくと,相手はネコではなく,若い女性だった」というふうに話す。このことから,私たちはまずネコの夢を見て,その後でそれとは別に女性の夢を見る。そして,思い出すときに2つをつなげてネコが女性に変身した話にするのだと,デルブッフは推測した。「デルブッフが明らかにしたように,夢の一貫性のなさは,夢だけに特有のものではない。起きているときの思考も実は夢と同じように混沌としている。ただ,覚醒時の思考は論理的に結びつけられた知覚を伴うために,一貫性があるように見えるだけだ」と,スイス・ジュネーブ大学の生理学・臨床神経科学部の夢研究者ソフィー・シュワーツは説明している。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.199-200

睡眠は学習に必要

 スミスをはじめ多くの研究者たちの着実な研究の積み重ねで,さまざまな睡眠段階での夢と認知プロセスと学習との関係がわかってきた。眠りに落ちてまもなく,私たちは第2段階の浅い眠りに入る。音楽家やスポーツ選手,ダンサーが新しい技術を練習して1日か2日後によく経験するパフォーマンスの向上には,この段階がかかわっているようだ。2002年にハーバード大学のマシュー・ウォーカーらが発表した研究では,運動技能が20%向上するかどうかは,おもに朝目がさめる2時間前の最後の第2段階の眠りにかかっていることがわかった。「新しいスポーツなり楽曲なりを習得するとき,練習効果を最大にするには,少なくとも初日の晩は,起きる前の第2段階の睡眠をとりそこねないよう,たっぷり睡眠をとることです」と,スミスは言う。
 第2段階の睡眠に続いて,レム睡眠に先立つより深い睡眠段階,徐波睡眠に入る一晩の睡眠時間の前半では,叙波睡眠が多く,全体の8割を占める。後半では,レム睡眠の割合が大幅に増え,第2段階の睡眠と交互に現れる。叙波睡眠は,歴史の試験に必要な暗記など,意味記憶のからむ学習に重要な役割を果たす。これとは対照的に,夢を多く見るレム睡眠は,新しい行動戦略の学習も含めたハウツーのカテゴリー,手続き学習に不可欠だ。実験では,被験者にそうした課題の訓練を受けさせた直後にレム睡眠が増えることが確認されただけでなく,とりわけ訓練の初日に,レム睡眠を奪うと,パフォーマンスが低下することも立証された。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.152-153

テトリスが夢の中に現れる

 脳がどんな記憶をいつ,どのようにして呼びさますか,その手がかりを得るために,スティックゴールドは入眠時に的を絞り,幻覚の内容を操作できるかどうか実験してみようと考えた。被験者に山登りや急流下りをさせて怪我でもされたら,訴訟沙汰になりかねないので,もっと安全な非日常的活動をさせることにした。その実験で,スティックゴールド自身も驚くような結果が得られた。
 最初の実験では,コンピューターの画面上を落下するブロックを積み重ねるテトリスというゲームを被験者にさせることにした。27人の被験者が3日間にわたって1日7時間このゲームをした。うち10人は任天堂のゲーム機ですでにこのゲームを経験済みだったが,残りの人たちは初めてだった。スティックゴールドは初めてのグループに記憶障害の患者を5人入れた。ゲームのイメージが夢に現れるかどうか見てみようと思ったのだ。記憶障害の患者は新しい経験を覚えられないので,おそらく彼らの夢にはテトリスが現れないだろうと予想していた。
 最初の2晩は,眠りに就いて数分後に被験者を起こして聞くと,6割以上が少なくとも1回はテトリスのイメージが浮かんだと答えた。初日ではなく,2日目に浮かんだケースのほうが多かった。「テトリスを入眠時幻覚でとりあげるかどうか,脳が判断するには少し時間がかかる,あるいはテトリスをもう少しやってみる必要がある----言ってみれば,そんな感じだった」と,スティックゴールドは報告している。
 驚いたのは,記憶障害の患者も入眠時にテトリスのイメージを見たと語ったことだ。起きているときは,彼らはテトリスをやったことを覚えておらず,毎日ゲームを始める前にあらためてやり方を説明しなければならなかった。「まったく予想外の結果だった。入眠時には,もっぱらエピソード記憶が夢の材料になると考えていたからだ」
 記憶障害患者の入眠時幻覚にテトリスのイメージが現れたということは,エピソード記憶,つまり名前,時,場所などと結びついた意識的に想起できる詳しい情報が,入眠時の夢の材料ではないことを意味する。記憶障害の患者も保持できるタイプの記憶,すなわち新皮質のより高次なレベルで生まれる手続き記憶と意味記憶が材料になっているということだ。新皮質は,ある経験から感覚情報をまずとりこみ,既存のエピソード記憶と結びつける。それまで新皮質が提供するイメージや記憶は,レム睡眠中や入眠後かなり時間がたってからのノンレム睡眠で見る,より幻想的な夢の材料になっていると考えられていた。しかし,入眠時にはその日の現実の出来事がはっきりした形で再現されることから,夢のイメージはすべて新皮質からもたらされると,スティックゴールドは結論づけた。夢のイメージは,新皮質が最近の出来事の断片と以前の記憶を結びつけようとするときに生じるというのだ。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.142-144

夢は覚えておくものではない

 ウィンソンによれば,夢は覚えておくものとしてつくられていない。私たちが夢を思い出すのは,本当は見てはいけないオフライン状態の脳をちらっとのぞき見るようなものだ。「われわれが夢を見ることに気づいているのはただの偶然であり,夢の機能とは何ら関係がない」とウィンソンは述べている。人間は言葉をもっているから,夢に出た出来事と覚醒時に起きた出来事の記憶を区別できる私たちは子供の頃に自分にはとてもリアルに感じられる経験が「ただの夢だ」と大人に教えられて,現実と夢を区別するようになる。だが言葉をもたない動物が,夢を覚えていたらどうなるか。むしろ適応の妨げになるだろう。「夢が自然と忘れられるように進化したおかげで,私たちも私たちの祖先も,幻想と現実を混同するというリスクを回避できたのだろう」と,ラバージは言う。「たとえばあなたのネコが,隣家のどう猛な犬が死んで,代わりにネズミが飼われているという夢を見たとする。目が覚めたときに,ネコがその夢を覚えていたら,どうなるか。夢とは知らず,ネコはごちそうがあると思ってフェンスを飛び越える。そこに待ち受けているのは凶暴な犬だ」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.121-122

レム睡眠中に脳の配線工事

 このようにさまざまな証拠から,人間でも他の動物でも,レム睡眠中に脳の配線工事が行われると,多くの研究者は考えている。レム睡眠中にニューロンが活発に働いているのは,神経回路を確立し,遺伝子に書き込まれた生存のために不可欠な情報,つまり狩りや交尾,その他の重要な行動を実行できるようにするためだろう。レム睡眠にこうした用途があるというアイデアは,多くの動物のデータに支えられた数少ない仮説の1つである。
 つまり,私たちが見る夢は,より下等な動物から受け継がれたメカニズムであり,遺伝子に書き込まれた生存のためのプログラムと,日々の体験から得た重要な情報が,レム睡眠中に脳の中で処理され,統合されるということである。夢では,言葉よりも感覚,とくに視覚的なイメージが大きな比重を占める。この点からも,人間の夢のルーツは初期の哺乳類にあると考えられる。「人間の夢は,行動戦略を設定したり,修正したり,参照したりする,乳幼児期から行われているニューロンの活動をのぞき見る窓のようなものだ」と,ウィンソンは述べている。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.117-118

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