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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「政治・法律」の記事一覧

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再分配の意味

 この点に関して,プーショとメザールのネットワーク・モデルは概括的な教えを与えてくれる。それは,他の状況が同じであれば,「交換」を促すことが,富をより平等に分配するのに役立つというものだ。プーショとメザールは,リンクを伝わって移動する富の量を増やしたり,あるいはそのようなリンクの数を増やしたりしたとき,つねに平等性が増すことを発見した。逆に,投資の見返りに伴う変動の激しさと予測の不確実性を大きくすると,逆方向の作用が働き,平等性は減少した。後者の場合,「金持ちほどますます豊かになる」影響が増幅されるのだから,不平等性が増すことになんの不思議もない。もちろん,このモデルはきわめて観念的なものであり,社会政策に事細かな勧告を提供するためのものではない。それでも,明白なものもあればそれほど明白でないものもあるとはいえ,どのようにすれば富の分布を変更できるか,いくつかの非常に基本的な提言を与えてくれるかもしれない。
 たとえばこのモデルから,金をまがりなりにも平等なやり方で社会に再分配することを考えるなら,(別に驚くことではないだろうが)課税が財産の格差を平準化する一助となりそうなことがわかる。結局のところ,課税はネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義で,富はそれらのリンクづたいに富者から貧者へと流れていく。課税によってパレートの法則が変わることはないが,課税によって冨の分配は多少なりとも平等なものとなり,富者のパイの分け前はそのぶん小さくなる。ちょっと意外かもしれないが,プーショとメザールのモデルは,経済全体での消費の増大を目指す経済手段であれば,どんなものでも結果的には同様の富の再分配がもたらされることを示唆する。ということは,たとえば贅沢品の販売にさまざまな税を課すのは,消費を抑えることになるため,富の格差を拡大するのに資しかねないのだ。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.312-313
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)
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なぜ日本にはわざわざ相続性を払う人がいるんですか?

 日本の税法においては,1年を超えて日本国内に居所を有しないか,事前にそのことが明らかな場合は「非居住者」と見なされる。たとえば,子どもが1年超の契約でアメリカに赴任するなら,日本を出発したその日から日本の非居住者になる。
 一方,アメリカの税法では相続(贈与)税は財産を贈った側が支払う。受贈者がアメリカ国内に居住していても,贈与者がアメリカの非居住者で,米国債などの金融資産を相続・贈与した場合は,アメリカ側で納税の必要がない。
 おのふたつを組み合わせると,きわめて簡単に贈与税を非課税にできる。プライベートバンクは,受贈者となる資産家の子女にアメリカ国内で勤務する仕事を紹介する(留学は不可)。次いで,贈与すべき財産をドルに換えて米国債を購入し,非居住者(アメリカの居住者)である子女に贈与する。たったこれだけのことで,たとえ何百億円,何千億円の財産であっても贈与税を納める必要はないし,そのうえすべての手続きが合法なので,将来,日本国内に資産を戻しても課税されるおそれはない。スイスのプライベートバンカーが「なぜ日本にはわざわざ相続性を払う人がいるんですか?」と聞いたのは,このことを指している。「日本は相続税率が高い」とずっと批判されてきたが,多くの場合,納税者は支払う必要のない税金を納めてきたのである。

橘 玲 (2006). マネーロンダリング入門:国際金融詐欺からテロ資金まで 幻冬舎 pp.210-211

政治の記録も残る

 インターネットの隆盛によって,若い有権者が手にしているのは,態度を反転させた政治家の行動の膨大なアーカイブである。しかし,今日の政治家が信頼関係を破れば,どんな些細なことでも記録されてしまう。あらゆる映像や音声がオンラインにアップロードされてしまう。今日の若者の多く,特に大学生は,時事問題に対する辛辣な解説で有名なバラエティ番組「ザ・デイリー・ショー」を見ている。この番組が得意とする手法は,政治家の最近の発言と過去の発言を比較することだ。目に余る矛盾はいつも笑いの種になる。この番組は,ネット世代の観察能力,そして,誠実性を欠く人物に対する攻撃能力を強化している。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 p.390

行政もネットをうまく利用せよ

 ここで私が提案しているのは,国民が夕方のニュースやウェブサイトで毎晩投票できるという一種の直接民主主義制ではない。それではデジタルの暴徒が押し寄せるのと同じだ。民主主義は,毎晩多数決を繰り返せば実現されるわけではない。ほとんどの人々はあらゆる課題に精通するための時間も,思想背景も,専門知識も持ち合わせていない。政府は合理的意見を必要としているのであって,意見なら何でもよいというわけではない。
 私の提案は,国民が,社会問題への新しい解決策について関与し,学び,それを革新するために,意思決定プロセスにアイデアを提供する方法だ。機は熟し切っている。今日,公共部門の政策専門家は問題の定義だけで精一杯になっており,解決策の策定どころではない状態だ。次々と出てくる無数の課題に対応できるような専門的知識を,政府機関内部のみで集めることは不可能だ。政府は一部の有権者と公選議員の間での継続的対話の機会を作り出す必要がある。インターネットにより,ウェブベースで背景情報やオンライン討論やフィードバック機能を提供すれば,ほとんど経費をかけずに国民からのインプットを集めることができる。政府は国民の力を借りて政策課題を設定することができ,そのような課題を継続的に更新していくことができる。このような活動は市民の関心を喚起し,地域や社会全体で実際の取り組みを始める上での触媒となるだろう。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 p.381

アメリカの断種不妊化法制

 1931年までに「精神異常者」や「精神薄弱者」の“根絶”を主な目的として,米国ではおよそ30州が“断種不妊化”法制を持つほどになっていた。ところが“根絶”すべき「精神異常」なり「精神薄弱」がいったい何を指すかについては定義が曖昧で,米国に住み始めたばかりで英語がわからず,その結果,むろん英語で実施される知能検査の成績が低く出てしまう移民たちなども,「精神薄弱」と判定されて断種を強いられるというありさまだった。しかも,いわゆる「性倒錯者」「麻薬常習者」「大酒飲み」「てんかん患者」あるいはそれ以外の“病気”や“退化的変質(デジェネレイト)”と診断された人々にまで断種不妊化法制が適用されるという,法の乱用が頻繁に起きた。こうした法律を制定した州でも,施行にいたらなかった場合が多い。だが1935年1月までに全米で断種不妊化手術を受けた人々の数は2万人にも及んでいた。しかもその大部分はカリフォルニア州で実施されたのである。カリフォルニア州の“断種不妊化”法制は1979年にようやく撤廃されたが,驚くなかれ全米にはこの悪弊を相変わらず続けている州があちこちにあるのだ。医師で弁護士でもあるフィリップ・レイリー氏によれば,1985年の時点で「全米の少なくとも19の州が知恵遅れの人々への断種不妊化を許可する法律をいまだに運用している。それらの州とは,アーカンソー,コロラド,コネチカット,デラウェア,ジョージア,アイダホ,ケンタッキー,メイン,ミネソタ,ミシシッピ,モンタナ,ノースカロライナ,オクラホマ,オレゴン,サウスカロライナ,ユタ,ヴァーモント,ヴァージニアおよびウェストヴァージニアの各州である」。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.77-78

ナチスと優生学

 かつての優生学は,ナチス・ドイツが広範囲の人々を大規模に抹殺する“不適者絶滅事業”を実施するにいたって絶頂に達したが,こうしたナチスの蛮行とて,出発点は英国や米国の優生学者が行なっていたことと,なんら変わりがなかった。つまり,「心身障害」という“診断名(レッテル)”を貼られた人々が子孫を残さぬよう,政府が強制的な処置を実施したのである。その強制策は,最初は「断種不妊化手術」にとどまっていたが,そのうちに「慈悲殺」(安楽死)へと発展していった。処分すべき対象も,「心身障害者」だけではすまなくなり,ユダヤ人,同性愛者,ロマ人(ジプシー),東欧占領地のスラブ人,さらにそれ以外のさまざまな「劣等人種」と,際限なく拡張されていった。
 ナチス政府は,自分たちの“事業”が気まぐれや思いつきではないことを力説するために,「淘汰と根絶」という言葉を好んで使った。絶滅政策が“科学的”に計画・施行されていることを彼らは誇りにしていたし,いわゆる「死の収容所」でさえ,「淘汰」という進化論的な学術用語をふりまわして「皆殺し」を実行していたのである。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.71.

幸福の追求

 第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンは「幸福の追求」というスローガンを掲げたが,幸福という言葉と「追求」という能動的な言葉の組み合わせは,アメリカ人から,幸せが「福」によってもたらされるという受動的要素を含んでいる面を忘れさせた第一の原因ではないかという気がする。英語のHappinessの語源はHapless(ついていない)という英語からもわかるとおり,もともとHappinessは運によるという認識が英語でも強かった。それが,ジェファーソンの有名な「幸福の追求」という新しい概念の浸透により,アメリカでは幸福が能動的なものに変わってしまい,努力さえすれば果たせないことなど何もないという楽観的思想を育んだのではないだろうか。ここからも,幸福感が歴史的,文化的風潮によって変化していくことが見て取れる。

大石繁宏 (2009). 幸せを科学する:心理学からわかったこと 新曜社 pp.14-15

ハーム・リダクション

 オランダには,アヘンやヘロインなどの麻薬を,不正に取引することを罰する法律はあるが,それは麻薬の供給を減少させることが目的であった。つまり,オランダの法律は,麻薬を使用してダメージを受けてしまった国民を処罰する目的で作られたものではないのだ。
 このような考え方の背景には,現実的な手段を使用して,市民を社会の危険から守るために考え出された,「ハーム・リダクション」という概念の存在がある。現代の欧米では様々な場面で,このハーム・リダクションが導入されている。
 ハーム・リダクションという概念は,日本人には少々理解しがたいかもしれない。
 たとえば,未成年者へのエイズの蔓延を抑えるために,性交渉を抑圧するのではなく,積極的に性教育をおこない,場合によってはコンドームを配布することで危険を回避することなどが,ハーム・リダクションに該当する。
 1本の注射器によるヘロインの回し打ちも,HIVその他の感染を引き起こすが,それを予防するために欧米では,繁華街やリハビリ施設などで,注射針を配布することがおこなわれている。これらの行動は,一見矛盾したことのように見られがちだが,現実的な問題解決のためには,大変有効な手段なのである。
 一方,日本では,薬物使用から派生する問題に対してのハーム・リダクション的対策が,完全に遅れている。

長吉秀夫 (2009). 大麻入門 幻冬舎 Pp.76-77

大麻取締法以前

 大麻取締法は,1948年に正式に施行され,現在に至っているが,この法律が誕生するまでには様々な出来事があった。
 そもそも日本には,この法律が成立する以前には大麻を取り扱うことには何の罰則もなかった。そればかりか,大麻は優良な農作物として国が奨励し,全国各地で生産されていたのである。
 遥か縄文時代に遡るといわれる日本における大麻の生産は,第二次世界大戦前までは稲と並んで重要な位置を占めていた。また,大麻取締法が制定された時点では,日本では一般的に大麻を吸引する習慣はなく,虫除けのために葉を燃やして屋内を燻したり,きこりや麻農家の人々がタバコの代用品として使用する程度のものであった。
 世界の様々な宗教でおこなわれてきた精神変容のための大麻の吸引は,日本でも一部の山岳信仰や密教の中でおこなわれていたが,法律で取り締まられるような犯罪意識は全くなかったのである。また,「印度大麻煙草」という名で販売されていた大麻は,喘息の薬として一般の薬局でも市販されていた。

長吉秀夫 (2009). 大麻入門 幻冬舎 Pp.49-50

大麻栽培の奨励

 建国当初のアメリカでは,大麻栽培を国家が奨励していた。初代大統領ジョージ・ワシントンも,3代大統領トマス・ジェファーソンも大麻農場を経営しており,産業用大麻のほかに,医療や嗜好品としても大麻を使用していた。有名なアメリカ独立宣言の草案も大麻紙に書かれている。
 アメリカにおける大麻産業は,イギリスの植民地時代に遡る。大麻繊維は,土地と人手さえあれば生産することができ,それによって国力を蓄えることができる。イギリスの植民地であったアメリカにとって,大麻栽培は義務の一つでもあった。


長吉秀夫 (2009). 大麻入門 幻冬舎 Pp.20-21

誰が日本脳炎を罹患させたのか

 たとえば,2005年,厚労省は日本脳炎ワクチンを事実上禁止にしました。前年にワクチンの副作用と見られるADEM(急性散在性脳脊髄膜炎)を起こした中学生1人が寝たきりになってしまったためです。その後,十数年ぶりに就学前の子どもが日本脳炎に罹ったことがわかりました。ほとんどニュースにもならなかったのですが,これを誰の責任と考えればいいのでしょうか。これも,「予防接種の副作用が起きるくらいなら,病気になってしまえ」という発想です。なぜ,リスクと利益の情報公開を徹底し,現場に判断させないのでしょうか。このような支配指向,コントロール指向も日本の官僚の特徴です。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.58-59

景気回復

 現在の日本に求められるのは,名目GDPを大きく成長させることである。すなわち景気回復こそが求められているわけであり,ありもしない財政破綻論に怯えて政府支出を絞り込むことではないのだ。政府の負債の減少は,あくまで景気回復の「結果」であって,原因でもなければ目的でもない。

三橋貴明 (2009). ジパング再来:大恐慌に一人勝ちする日本 講談社 p.139.

世界中で同じようなことが

 さらにこういったデータを細かく見ていくと,その比率が偏っていることに気づく。いわゆるフリーターや派遣社員など,立場の弱い労働者への分配が最小限に抑えられているのだ。だから国全体の経済は成長しているにもかかわらず,個人レベルではそれを実感できない。下流社会が形成され始めたのも,この時期であった。
 このような格差が拡大する状況を見て,「日本の政治家や官僚が意図的にそう仕向けているのではないか」と考えた人も多いのではないか。格差による成長を官僚は計画したのではないか。
 実はかつては僕もそう疑っていた一人だった。だがそれはどうやら間違いのようだ。
 なぜなら,この時期,日本だけでなく欧米先進国の多くで同じような現象が同時に起きていたからである。弱者が増加したのは決して日本だけの現象ではなかった。むしろ経済がグローバル化した結果,日本経済が巻き込まれた現象だったのだ。
 この現象の一番わかりやすい原因を求めると,資本主義が内包する以下のような根源矛盾に突き当たる。
 それは,「経済成長のためには,資本主義という制度が一番向いている。ただ,その資本主義競争を突き詰めていくと,労働者への分配を低く抑えることに成功した経営者のほうが,より多くの利益を生み出すことができるようになる」という矛盾だ。

鈴木貴博 (2009). 会社のデスノート:トヨタ,JAL,ヨーカ堂が,なぜ? 朝日新聞出版 pp.211-212

政治の本質は敵を作り出すこと

 ワイマール後期からナチス時代の法哲学者で,憲法学者でもあるカール・シュミット(1888-1985)というドイツ人が,面白いことを言っています。敵と味方がはっきりしない混沌とした状況下では,敵と味方がはっきり分かれるようなことをすぱっと言って,味方を固めるのが,政治の本質だと言うのです。
 それは逆に言えば,「敵」をつくることです。日本的な政治のイメージとは違いますね。ドイツ人だって,無闇に「敵」をつくりたいわけではありません。でも,全部味方にしようと思って,緩いことばかり言うと,味方の結束が弱くなる。敵をうまくつくって,それに対抗する形で,味方の結束力を高める方が有効だと,シュミットは見たわけです。ほんとうの政治家というのは,国家の危機状態にあって,「これが敵なんだ」とうまく味方に示して,それとの対比で「味方」のイメージをはっきりさせ,味方の同質性を基盤にした「国の形」を示せる人のことだというのです。

仲正昌樹 (2006). ネット時代の反論術 文藝春秋 p.80-81

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