I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「政治・法律」の記事一覧

認識不足

 敗戦後の経済復興から先進国でも有数の経済大国にまで成長するため,公共投資が先導的な役割を果たした。さらに,石油危機後の低迷期やバブル崩壊後など経済に大きな打撃を受けた後に,公共投資による内需拡大を図った。経済対策としては常道である。そうしなければ,雇用が失われ経済はさらに落ち込み,将来どころか現在生き残ることすらできなくなるかもしれない。筆者はこうした政府の役割を否定するものではない。
 だが,それはあくまでも,投資をフローの1項目としてとらえたときの話である。投資は,耐用年数の限られたストックである。老朽化すればいずれは使えなくなり,更新投資が不可避となる。民間企業であれば,ストックの老朽度や更新投資の必要性を常に意識しながら投資行動を行う。そうしなければ,競争力を失い,市場から退場を余儀なくされるからである。
 だが,残念ながら,国にも自治体にもその認識はない。景気が低迷したときには公共投資を拡大しようとするが,何十年か先に更新投資が必要になることまでは考えていない。その先見性のなさが,社会資本の崩壊を生み出すのだ。このメカニズムに日米の差はない。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.69-70

○○は別だ

 「おっしゃることはごもっともだが,◯◯は別だ」という主張である。◯◯の中には,自分が重要だと思うものであれば何を入れても良い。学校でも公民館でも橋でも良い。理由も自分にとって重要であるという1点を主張しさえすれば良い。さらに,議員を動かす,あるいは聖域削減を主張する候補者に投票しないという行動に移せばより効果的だ。その結果,聖域を守ることを主張する政治家が当選する。
 ある地域では,公民館が絶対に必要だという意見に遭遇した。別の人はスポーツ施設が大事だと言った。「では,どちらを優先するのですか」と聞いても,自分が支持する施設の必要性を主張するだけだった。
 ある自治体の行政改革の仕事をしたとき,民間からのアイデアに対して,担当部署が「◯◯は重要なので,公務員が自ら行うべき」と回答し,それを自治体の公式意見として出そうとしたことがあった。そのとき,◯◯に書いてあったのは公共建築物の維持管理業務だった。実際には,維持管理の多くはアウトソーシングしている。にもかかわらず,その担当者は聖域だと主張した。納税者のことは眼中になく,とにかく自分(もしくは自分の部下)の仕事を守ることが最大の使命だと思っているようだった。
 こうした利用者や役人による聖域化の行動が,公共投資の肥大化を招いた。声の大きな人が支援する分野,必至に守ろうとする分野が予算を獲得し続けることで,もっと重要かもしれないことにお金が回らなくなった。重要性を比較し議論することなく,不透明な政治プロセスの中で支出が決められた。
 自分たちの世代が利益誘導をした結果,あるいは,見て見ぬふりをした結果,もしくは,部分最適化に走った結果,子どもや孫の世代に,老朽化したインフラと大幅な予算不足の事実だけを残すことになった。筆者自身も含めて大いに反省すべきだろう。なんとかこの悪循環を断ち切る方法はないものだろうか。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.65-66

テストできない

 また,SDIは実験ができない。セーガンが関わった宇宙計画では,実際にロケットが発射されたときにうまく機能することを確認するため,地上で慎重に実験を行なった。宇宙でのミッションの場合,チャンスは1度しかない。核戦争も同じで,2度目のチャンスはないが,SDIは地上で実験できない。衛星は軌道上に配備する必要があり,それをテストするためには多数のミサイルをわれわれ自身に向けて発射しなければならない。結局のところ,SDIの衛星はヨーロッパやアジアから北米に向けて発射されるミサイルを破壊するためのもので,その逆ではなかった。また,1基や2基のミサイルでは意味がない。ミサイル1基を完璧に撃破できるシステムも,10基とか,さらに1000基とかになればなおのこと,うまく防御できない可能性が高いからだ。SDIをまともにテストするには,米国が保有するミサイルのかなり多くを発射しなければならないだろう。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.94-95

限界

 役所自身,90年代以降は不祥事を起こしまくっているので,偉そうに言える立場にはないのだが,マスコミに叩かれても,政治家に踏みつけられても,役所や官僚が手を抜かずに仕事をこなしていたのは「何だかんだと言っても,政策の原案を作るのは俺達だから,主導権は俺達にあるんだ」という思いがあったからだろう。
 偉そうな大臣や族議員に「お前ら馬鹿か」「たかだか役人が……」と言われても,若造の二世議員に踏んづけられても官僚が文句を言わなかったのは,ここに理由があったのだろう。厚生労働省にも,そういう考えでかろうじて自分のプライドを保っている官僚は沢山いた。
 しかし,僕から言わせれば,それもそろそろ限界に近づきるるあるように見えた。いくら「君達が政策の原案をつくって主導権を握っているんだよ」と言われても,そのために過労死になるような長時間労働を余儀なくされたり,政治家に公衆の面前で罵倒されたり,マスコミにバッシングされたりする中で,イニシアティブを握るために犠牲にしているものが上回り始めて,若手官僚を中心に役所を辞める者も増え出していたからだ。

中野雅至 (2011). 1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記:大学教授公募の裏側 光文社 pp.35-36

税率変更

 私見だが,個々の独身者の行動を大きく変えるには,イベント開催よりも,独身よりも結婚したほうが得になるよう税制を変更することが最も効果があると思っている。
 税率自体を変えるのか,結婚した人たちや子どものいる人の控除率を大幅に上げるのか,異論はさまざまにあろうが,事は差し迫っている。このまま既婚率が下がると,今は横ばいの「出産子ども数」が現象に転じよう。なぜなら初婚年齢が上がってきて,産みたくても実際に2人,3人産める可能性が低くなるから。

西口 敦 (2011). 普通のダンナがなぜ見つからない? 文藝春秋 pp.94-95

昔と同じでは

 そもそも,どうしてこんなミスマッチが起きるのか。それこそ,現代日本特有というか,脱工業化社会共通の現象でもある。その昔,建設・製造業中心の時代は,仕事内容も非常に見えやすかった。何をいつまでに組み立てるか,それが基本で,そのスキルをつけて手順を間違えなければ,誰でもある程度は仕事をこなすことができたからだ。こうした仕事は,不況ならば労働時間は短縮し,好景気だと残業が増える,というところもわかりやすかっただろう。だから,外からも仕事の内容が推測でき,なるべく自分に合う仕事を選ぶことが可能だった。
 ところが,ホワイトカラー系の仕事が中心の現在となると,営業などがその最たるものだが,仕事に正解はなく,十人十色のやり方となる。仕事量は,好景気にはもちろん多いが,不況期でも「お客を見つける」ために忙しくもなる。もう,外から見てどんな仕事でどれくらい忙しいのか,など見当がつかない。
 さらに,大企業での採用なら,各社のブランドイメージで,会社の社風やカラーなども何となくわかるが,中小企業だとそれさえわからない状態となる。
 製造・建設などの第二次産業から,第三次産業が中心となることと,大卒者の雇用の中小企業シェアが上がることで,これだけ就労環境は変わってしまった。だから,正社員になれない(ならない)人たちが生まれていくのだろう。
 この状況の解決は,「企業に採用を増やせと号令をかけること」や「若者に教育訓練を施すこと」といった,第二次産業中心時代の施策では埋まらないはずだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.172-173

現代日本の構造

 この構造がわかるだろうか?
 まずは各種運動体が,社会的問題を指摘する。この中では,問題に注目を集めるため,確信犯的に事大的な論陣を張ることがまま見受けられる。ただこれは,私はある面仕方ないと考える。なぜなら,そうしないことには問題が社会に認知されないからだ。
 ここから先。マスコミがこれに飛びつく。そこで,まったく資料検証がなされずに,こんな大げさな数字が一般人の目にさらされることになる。こうして,社会的認知が広まり始めたところに,「これは次の儲け口だ」と指揮者という名の“にわか論者”が飛びつく。結果,本格的なムーブメントとなり,政治や立法にまで伝播する。
 その動きに,水を差す気などさらさらなく,「火よ燃え盛れ」と傍観するお役所の人たち。しばらくすれば,彼らだけが1人,焼け太りをするという構図。
 その昔は,お役所がとんでもなく甘い「経済効果」をもとに,道路や箱ものをつくって,それを識者や運動家が批判した。今はその逆で,運動家が発した問題に,識者が火を付け,結果,とんでもなく大きな「社会的予算」が作られる。
 そして,問題はまったくわけのわからない方向へと悪化していく。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.121-122

予算が増えるから

 日本の官僚はそれほどバカではない。明らかにこうした数字が間違いということを知っている。たとえば,「若年非正規率は高いが,その実態は学生バイトが大半」ということが,総務省統計局の労働力調査を見るとすぐにわかるのだ。
 そこにある「雇用形態別就労者数」では,01年の詳細集計より,非正規のうち「学生」という欄ができている。この前年に玄田有史氏の一連の著作により若年非正規の問題に注目が集まり始めたため,「うち学生バイト数」という項目を作ったのだろう。そして,この項目ができていることから見ても,官公庁は「若年非正規に占める学生バイト」の多さを知っている。
 同様に,世帯別年収については,厚生労働省が「国民生活基礎調査」で詳しく調べている。このデータでは,高齢世帯の平均所得が240万円,4割が年収200万円未満とも記載されている。ワーキングプア論の原典,民間給与の実態調査の個票は,扶養家族か否か,家族専従員かどうか,は一目でわかる構造だ。
 要は,お役所の人たちは,こんな「都市伝説」がかなり大げさに作られた虚像だということをすべてわかっている。なのに,あえて反論しない。
 その理由を一言で言おう。こうした「都市伝説」により,予算がガッポガッポ増えていくから。私にはそうとしか思えないのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.119-120

金持ち有利

 裁判に疎かったぼくは,まったく知らなかったのだが,民事の場合,裁判費用は,各自が払うものなのだ。そして,その裁判や和解で,かかった裁判費用を払えと相手にいっても,それはできないものらしい。
 ぼくはもう200万円も使ったのに,回収の方法はないんですか,と聞くと,それを相手から取るには,また今闘っている裁判とは違う裁判を起こさなくてはいけない,裁判費用を払えという裁判を起こさなくてはいけないと教えてくれた。こちらが勝ったんだから,負けたそちらが裁判にかかった費用を払えという裁判である。ただ,それも非常に長い時間がかかる場合が多いし,全額が回収でいるとは限らないということだった。
 それは,とてつもなく面倒臭い。裁判ひとつでも人生の大イベントなのに,もうひとつ新たに抱えろなんて,その上,全額戻らないかもしれないなんて。裁判費用は災難だと思って諦めろといっているも同然ではないか。
 つまり,不思議な話なのだが,裁判は起こされ損なのだ。金銭的余裕があるほうが,圧倒的に有利だということなのだ。

いしかわじゅん (2003). 鉄槌! 角川書店 pp.239-240

人びとの自覚

 「偽ブランド品の製造販売を止めさせるただひとつの道は,一般市民が,ロゴがついているだけのガラクタを買うのを即刻止めることしかない。結局,犯罪をなくすのは自分たち次第だということを人々が自覚しなくてはならないんだ」

ダナ・トーマス 実川元子(訳) (2009). 堕落する高級ブランド 講談社 pp. 300

偽造品の取締り

 世界でもっとも多く偽造されているブランドのひとつ,ルイ・ヴィトンでは,マーク・ジェイコブスの見方とはまったくちがう見解を持っており,自社に40人の弁護士を抱え,外部の私立捜査官を250名も雇い,毎年1500万ユーロ(1810万ドル)をかけて偽造と闘っている。2004年,ヴィトンは世界じゅうで毎日20件の摘発を行い,1000人の偽造関係者を刑務所に送った。コピー商品を摘発までして訴える企業も,その努力で摘発できるのは氷山の一角に過ぎないだろうと見ている。だが,いったん手を緩めたら,偽造品は赤潮のように市場を覆いつくすだろう。

ダナ・トーマス 実川元子(訳) (2009). 堕落する高級ブランド 講談社 pp. 283

契約書の欠如

 驚くべきことに,これまでの日本の出版界では,著者と契約書を交わしていなくとも,本が出版されてきた。日本はアメリカのような契約社会ではなく,著者と信頼関係さえ築ければ,口約束でも本は出せた。
 その意味で,出版社と著者は持ちつ持たれつの「牧歌的な関係」のなかにあった。私が週刊誌の編集部から書籍部門に異動したのは1999年のことだったが,そのとき,引き継いだ既刊本について契約書をチェックしたところ,なんと約3割の本に出版契約書が存在しなかった。あったとしても,日本書籍出版協会(書協)によって作成された一般的な出版契約書であり,本来ならこれを書籍固有の事情,あるいは出版社固有の事情によってアレンジすべきものなのに,そのまま使っていた。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.140

国会議員はパチプロか

 パチンコ業者数十社から構成される「パチンコチェーンストア協会(PCSA)」のアドバイザーに,2010年10月現在,民主党34名,自民党11名,公明党3名,無所属2名が名を連ねている。無所属のうちの1名は,鳩山邦夫氏である。「大富豪がなぜ」という疑問が湧いてくる。
 このアドバイザーに関しては,私は「日本の国会議員はパチプロか」と書いたことがあるが,アドバイスをするためには,パチプロかそれ以上の知識がなければ務まらないと思うからである。政治分野でのアドバイスをするということなのか,パチンコに政治がどう絡むのか,疑問点が多い。はっきり言えば,業界の用心棒ではないのか?

若宮 健 (2010). なぜ韓国は,パチンコを全廃できたのか 祥伝社 pp.148-149

有罪宣告の2通り

 しかし私たち人間の認知バイアスや心の盲点を謙虚に認めることなく,ニセ科学で得られる確信を喧伝するような教育訓練を施していては,2通りの形で間違った有罪宣告が増えてしまう。まず,法の執行者は確信ゆえに,あまりに早急に結論に飛びついてしまう。警察は誰かが犯人と決めつけると,ほかの可能性に扉を閉ざしてしまう。地区検事は,すべての証拠がそろっていなくても,特に人々の注目を集めた派手な事件などは,すぐに追訴を決定する。そしてこれをマスコミに発表し,証拠が不確かだとわかってきても,もはや引っ込みがつかない。そしてもうひとつは,容疑者が起訴されて有罪が確定すると,無実を示す証拠があとから出てきても関係者は最初の確信ゆえに,これを無視したくなることである。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.201
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

無実の者の自白

 無実の人間に自白させてしまうのは,警察の取調べ中のミスとしては最大級に危険なものだが,刑事も検察側も判事も大半はこうした事態など起きるはずがないと思っている。「してもいないことを白状させられるなんて馬鹿げた考え方だ」と,あのジョシュア・マーキスも言う。「まさに(現代の)トゥインキー的意見[トゥインキーは,究極のジャンクフードと見なされている金色のスポンジケーキで,何年も腐らないという都市伝説がある]であり,最低のゴミ科学だ」。たいていの者は同意見だろう。無実なのに罪を告白するなど想像もつかない。断固,抗議する。絶対に主張を曲げない。弁護士を呼ぶ……はずだろう?しかし,まったくの無実と判明して釈放された収監者を研究した結果,15パーセントから25パーセントは実行してもいない犯行を自供していた。社会科学者や犯罪学者はこうした事例を分析し,実験によってメカニズムを解明しようとした。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.185-186
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

不協和の回避

 2003年,イラクが大量破壊兵器など保有していないことが明白になると,この戦争と,戦争を始めたときにブッシュが掲げた理由を支持してきた人々はイヤというほど不協和を味わうことになった。私たちは大統領を信じた。そして私たち(と大統領)は間違っていた。どうやって不協和を解消しようか。同じようにフセインは大量破壊兵器をもっていると考えていたとしても,野党の民主党にとっては,解決はまだ楽だった。共和党はまた間違ったよ。大統領は嘘をついたか,少なくとも虚偽の情報に耳を傾けた。あんな男を信じたなんて私たちは愚かだった,と言えばいい。しかし共和党にとっては,不協和はもっと激烈なものだった。半数以上は証拠を受けつけないことでこれを解消し,オンライン調査会社のノリッジ・ネットワークス社による調査に対し,兵器は発見されたと思うと答えている。調査担当者は言う。「一部のアメリカ人にとっては,この戦争を支持したいがゆえに,大量破壊兵器は発見されなかったという情報は頭からはじきだされてしまったのでしょう。あれだけニュースで流され,国民も注目したのに,こんなにも間違った情報が広まっているところをみると,彼らは認知的不協和を味わいたくなかったようです。」正解,である。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.30
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

先進国の保護主義は

 富裕国の保護主義経済で最もスキャンダラスな例は綿花だ。綿花をめぐる貿易の不公平ルールは,当然のごとく,グローバリゼーションの醜悪な一面を象徴する証拠としてしばしば反対派が取り上げる。ベニン共和国,ブルキナファソ,カメルーン,チャド,マリなど綿栽培を主要産業にしている国々の農民が,世界市場で自国製品を売ろうとしてもとても太刀打ちはできない。世界市場の綿価格は,アメリカやヨーロッパ連合(EU)が自国業者にふんだんに提供する巨額の補助金(アメリカの綿農地1エーカーにつき230ドル)によって,生産コスト以下の価格を維持していた。ある推計によると,1999年から2001年の3年間で,アフリカの綿花栽培8ヵ国は,世界の最貧国としては途方もない額の3300億ドルの輸出損益を出した。これをアメリカ国内の2万5000戸の綿花農家が2001―02年に受け取った補助金39億ドルと比べてみてほしい。一方,欧州連合(EU)はギリシャの農民に綿栽培の補助として年間10億ドルを支払っているが,こうした補助金が撤廃されたとしたら,世界の綿花価格はおそらく15パーセントかそれ以上は上昇し,アフリカ諸国の何千人もの農民たちが生計を立てることができるだろう。

ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.172

法令遵守=思考停止

 法令が身近なところに存在するようになれば,法令に対する姿勢を,手元に置いて使いこなすという方向に転換していかなければなりません。しかし,明治以来日本人が百数十年以上も続けてきた法令に対する「遵守」の姿勢はなかなか変わりません。法令を目にすると,ただただ拝む,ひれ伏す,そのまま守るという姿勢のために,法令を「遵守」することが自己目的化し,なぜそれを守らなければならないのかを考えることをやめてしまうという「思考停止」をもたらしているのです。
 要するに,日本の社会が法令に対してとってきた単純な「遵守」という姿勢は,法令が社会の周辺部分にしか存在しておらず,社会内の問題解決は法令以外の手段で行われていたからこそ,それなりにバランスがとれていたのです。中途半端に社会のアメリカ化が行われたために,法令が社会の中心部にどんどん入り込んできて,どうしても関わり合いを持たざるを得ない存在になってきたのに,法令に対する姿勢が変わっていないために,それを使いこなすことができず,何も考えないまま法令に押しつぶされそうになるという「法令遵守」の弊害が生じてしまっているのです。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.191

やってみるとそのまま…

 結局のところ,多くの人が「とりあえず裁判員裁判を始めてみて,ダメならやめればよい」という諦めに近い考え方で,流れに身を任せています。
 それは,かつての太平洋戦争開戦時の日本の状況に似ているように私には見えます。当時,客観状況がわかっている人で,日本が超大国アメリカと戦争をして勝てると考える人間はほとんどいなかったでしょう。しかし,開戦前の日本では,それを口にするのははばかられました。そして,日本はアメリカとの戦争に突入。その後,戦局が悪化しても,大本営はそのことを国民にまったく知らせようとはせず,泥沼の敗戦に突き進んでいきました。
 裁判員制度も,一度導入されたら,おそらく同じことが起きるでしょう。これほど,国じゅうで大騒ぎをして導入した制度を根本から見直すことは容易にはできません。それがあり得るとすれば,冤罪や,真犯人が罪を免れる「誤判」が相次いで表面化した場合ですが,裁判の誤りが動かぬ証拠によって客観的に明らかになることは稀です。また,現場の実務が混乱していても,一旦導入してしまった以上,内部から「制度自体に問題がある」とはなかなか言えるものではありません。
 そして重要なことは,裁判員には,裁判員裁判の経過などについて一生守秘義務が課されるということです。裁判員裁判がどのように行われ,どのようにして結論が出されたかを裁判員自身が明らかにすることは禁止され,違反に対しては罰則が設けられています。結局,裁判員裁判の内実が裁判員経験者の口から明らかにされることはなく,司法関係者も内実を暴露できないまま,歪んだ裁判員制度の歴史が積み重ねられ,日本の刑事司法の根幹を蝕んでいくことになりかねません。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.89-91

利益至上主義?

 村上ファンド事件判決の中で印象的なのが,「ファンドなのだから,安ければ買うし,高ければ売るのは当たり前」との村上被告の言葉に対して,「このような徹底した利益至上主義には慄然せざるを得ない」と述べている点です。自己責任によって株式取引をする投資家にとって唯一の判断基準は,「会社の実体に照らして高いか安いか」です。「安ければ買い,高ければ売る」ということ自体は何一つ責められるべきことではないはずです。この判示は,日本の裁判官の感覚が,経済分野の問題について必要とされる最低限の常識から完全にズレていることを示しています。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.67-68

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