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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「政治・法律」の記事一覧

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名付け規則

1937年12月20日にフロイトはシュテファン・ツヴァイクに手紙を書いている。「ここの政府は違いますが,人々はドイツ帝国の同胞と同じです。今のところはまだ完全に窒息しているわけではありませんが,私たちの喉はますます締めつけられています」。ナチの「規則」の中にはフロイトを驚かせたものがあったが,なかでもドイツ系ユダヤ人が子どもにドイツ的な名前をつけることを禁じたものがそうであった。お返しにドイツ人がヨーゼフなどユダヤ人の名前をつけるのを禁じるべきだとフロイトはほのめかした。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.238
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精神支配競争

冷戦期には核軍拡競争と平行して「精神支配競争」が起きていた。もし嘘発見器がアメリカの恐怖を映し出す鏡であるならば,冷戦期の政治家がそこに見いだしていたのはソ連によるマインドコントロールだった。CIAは全職員にポリグラフ検査を義務づけていたが,アメリカが開発しているのと瓜ふたつの科学的尋問技術を敵国も開発していると考えていた。嘘発見器,アモバルビタール,LSD,催眠術,電気ショック,ロボトミーなどである。
 1950年代はじめ,CIAはブルーバード計画とアーティチョーク計画を秘密裏に実施したが,このとき敵国の工作員と思われる人物をポリグラフで徹底的に検査し,その結果を「口実」にしてもっと強引な尋問手段を用いた。これはもともとCIAの諜報員を守る目的で許可された計画だったが,すぐにその内容は拡大され,守りより攻めに適した手段の開発も組み込まれた。ポリグラフ検査技師は催眠術師も兼ねており,LSDやその他の薬物の自白剤としての効果を観察した。CIAはこうした計画を名目に使い,嘘発見器のさらに上を行く極秘の新しい尋問技術を——どれも嘘発見器と関係の深い技術だったが——開発し,被験者に強烈な心理的圧力を加えようとした。感覚を遮断する,つらい姿勢をとらせる,断眠を強制するなどの方法である。被験者の意思を打ち砕き,自尊心を奪って服従させるために編み出されたこのような心理的拷問は,冷戦期のCIAできわめて重要な尋問手段になり,今日の「テロとの戦い」にもさっそく利用されている。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.294-295

金魚部屋

表向き,イリノイ州で逮捕された者はただちに裁判官の前で弁明する権利があった。暴力による脅しも禁じられていたし,自白の強要が明らかになれば有罪判決も覆された。だが実際には,警察は過酷な取り調べを繰り返して自白を引き出した。容疑者を眠らせず,「金魚」部屋に連れて行って腹をゴムホースで打ち,顔を水に漬け,すねを蹴り,金魚が見えてくるまでシカゴの電話帳で頭を殴りつづけた。報告書には,シカゴの電話帳は「分厚い本である」とわざわざ記されている。
 国際警察署長協会の面々は,自分たちの行状への非難に憤った。報告書は「警察職務に対する過去半世紀で最大の攻撃」であるとし,言われているような第三度(サード・ディグリー)の存在を否定した。ただし第三度なしでは職務を果たせないとも主張している。痛めつけるのは罪を犯したのが明らかな者のみであって,警察署の断固たる正義が犯罪を抑止し,容疑者から自白を引き出して犯罪者が法の網から逃れるのを防いでいるのだと訴えた。シカゴのある警官は,第三度なしでは署の仕事の95パーセントが無駄になるだろうと述べた。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.162-163

リンチとサード・ディグリー

法が頼りにならない場合,アメリカの伝統的な解決策はふたつあり,1920年代のロサンゼルスではそのふたつが——群衆によるリンチと第三度(サード・ディグリー)が——ともにおこなわれていた。リンチは南部の奴隷監視員の遺産で,人々は当然の報いを受けさせるために集まり,みずからの正義に酔いしれながら犠牲者を殺害した。第三度は北部の都市の警察官が使いはじめたもので,専門家がもっと計画的に容疑者を痛めつけ,首に自白調書をくくりつけて方の正式な手続きの場に送り込むのを目的としていた。1920年代前半にクー・クラックス・クランがアメリカで第二の絶頂期を迎えるにつれ,都市でもリンチが見られるようになり,第三度はリンチの代替手段として警察署内でおこなわれた。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.111

科学的尋問法

厄介だったのは,検察側も弁護側も,相手側と対立する考えを持った専門家をうまいこと見つけてきては,まったく反対の主張をさせたことである。19世紀後半には,法廷での専門家の言い争いが人々の物笑いの種になった。ある法律ジョークはそれをこんなふうに描き出している。「世の中には3種類の嘘つきがいる。ふつうの嘘つきと,悪質な嘘つきと,科学の専門家である」。新しい科学の専門家たちが証人に採用してくれとやかましく騒いだところで,まったく無駄だった。どの証人を採用すべきか,どうして法に決められる?確実な事実に基づく裁きという理想は捨てがたいのである。
 20世紀はじめ,改革精神に富んだアメリカ人たちは,裁きの場に新しい段階をもたらした。容疑者やその他の証人に対する科学的な尋問法である。こうした改革派は,いまこそ人間が正直かどうかを判断するために法律の世界で使われてきた古くさい方法を捨て,心理学という新しい科学を取り入れるべきだと主張した。エックス線の発見によって放射線科医が患者の肉体を透かし見ることができるようになったのとちょうど同じように——心の中まで見られるかもしれないと考えた医者もいたが——新しい科学装置を使えば,心理学者は証人の肉体を透かし見て,罪悪感をいだいていないか推測できる。科学的な尋問法の研究者は,人間の肉体が精神状態を物語る一種の情況証拠としての役割を果たすと考えていた。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.85

反省ではない

重大な犯罪が起きたとき,新聞やテレビのニュースで,「まだ容疑者は反省の言葉を述べていません」「残虐な事件を起こしておきながら,まったく反省している様子はありません」といった言葉をよく耳にします。こうした報道を聞くと「あんなひどいことをしたのに,反省していないなんて,なんてひどい奴だ」「絶対に許せない」と怒りを覚えたことのある人は多いのではないでしょうか。
 しかし,これまで述べてきたように,自分が起こした問題行動が明るみに出たときに最初に思うことは,反省ではありません。事件の発覚直後に反省すること自体が,人間の心理として不自然なのです。もし,容疑者が反省の言葉を述べたとしたら,疑わないといけません。多くの場合,自分の罪を軽くしたいという意識が働いているか,ただ上辺だけの表面的な「反省の言葉」を述べているにすぎません。そのように考えると,犯罪を起こした直後に「反省の言葉」を繰り返す犯人(容疑者)は,反省の言葉を述べない犯人よりも,「より悪質」という見方ができます。もちろん捕まったショックが大きくて落ち込んでしまい,謝罪の言葉しか浮かばないという場合もあるでしょう。しかしその言葉も反省とは違います。あえていえば,やはり後悔です。とりあえず「すみません」と言っておこうという点では,私が接触事故を起こしたときの言動と心理的に大差はありません。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.25-26

距離の暴虐

しかし,オーストラリア国内にも,もうひとつの“距離の暴虐”がある。オーストラリアの生産的な地域,あるいは定住者のいる地域は,少ないうえに分散している。アメリカのたった14分の1の人口が,ハワイとアラスカを除くアメリカ本土48州とほぼ等しい面積の中に散らばって住んでいるのだ。その結果,国内の輸送が上昇し,先進国としての都会生活の維持を高価なものにしている。例えば,オーストラリア政府は,国内のあらゆる場所のあらゆる家庭と企業のために,国内電話網への電話接続料を負担している。たとえ,最寄りの電話局から数百キロ離れた奥地の電話局への接続でもだ。今日では,オーストラリアは世界で最も都市化された国であり,人口の58パーセントがたった5つの大都市に集中している——1999年時点で,シドニーに400万人,メルボルンに340万人,ブリスベンに160万人,パースに140万人,アデレードに110万人。その5つの都市のうちで,パースは世界で最も孤絶した大都市であり,隣の大都市(約2000キロ東に位置するアデレード)までの距離が最も遠い。オーストラリアの最大手企業,国営航空会社カンタス航空と電気通信会社テルストラの2社が,そういう距離の橋渡しを事業の基盤としていることは,けっして偶然ではない。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.170

政治と環境政策

また,バラゲールを環境保護主義者と認めてしまうと,彼の凶悪な特性が環境保護主義のイメージを不当に損なうという懸念もある。しかし,ある友人が言ったように,「アドルフ・ヒトラーは犬が大好きだったし,歯も磨いたけれど,わたしたちが犬を嫌って歯磨きをやめるべきだということにはならない」のだ。また,わたし個人としては,1979年から1996年までインドネシアの軍事独裁政権下で働いた経験を振り返ってみなければならないだろう。わたしは,その独裁政権の政策と私的な事情,特にニューギニアの友人たちに対する仕打ちや,その兵士たちに自分が危うく殺されかけたことなどから,政府を嫌悪し,恐れていた。それゆえ,その独裁政権が,インドネシア領ニューギニアで包括的かつ効果的な国立公園制度を設けていることを知って驚いた。わたしは,民主主義国であるパプアニューギニアで数年間経験を積んだあと,インドネシア領ニューギニアへ赴いたので,凶悪な独裁政権よりも高潔な民主主義政権のほうが,環境政策もずっと進歩的だと思い込んでいた。しかし,真実はまったく逆であることがわかったのだ。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.115-116

名を明かさない出産

フランスでは200年以上前から,母の名を明かさないまま出生届を出して出産する権利が認められている。人工中絶が1970年代まで違法だったフランスでは,世間体を気にして行われる中絶などを防ぐ制度として発展してきた。こうして生まれた子どもは「Xの名で生まれた子」と呼ばれ,フランス全土で約40万人もいるという。
 この制度により,養子が自らの出生の情報を入手することはきわめて難しくなっている。

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.181

斡旋可能

誰もが,いつでも,見ず知らずの人に子どもを「斡旋」することができる。裁判所の審判も,斡旋事業の届け出も,誰に斡旋したかという報告さえも必要ない。
 それが日本の養子斡旋の現実だ。
 子どもの海外流出にまったく無関心な日本政府は,国際社会から繰り返し批判を浴びている。国連・子どもの権利委員会は2004年1月,日本政府に対し,
 「養子縁組の監視や統制が不十分で,養子縁組に関するデータもきわめて限られている」
 と指摘した。そのうえで,養子縁組の監視体制を強化することや,国際間の養子縁組のルールを定めた1993年ハーグ条約を批准することを勧告した。

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.129

チェックなし

外国人と国際結婚した日本人の話では,複数の国をまたいで家族旅行をする際,出入国のたびに同伴している子どもとの関係を入念に確認されるので閉口するという。外国では,親子の姓や国籍が異なるケースなど,不審と疑われるケースは厳格に調べる体制を整えている。それに比べると,日本の出国時のチェックは明らかに手薄で,ほとんど何の規制もないに等しい。
 海外養子縁組の対策が進んでいる諸外国には,出国の際に特別な許可を必要とする国も多い。パスポートに加えて,養子縁組を許可したことを示す当局の証明がなければ,その子どもを出国させることができない仕組みになっている。
 こうした対策をとっているのは,韓国のほか,インドやフィリピン,タイなどだ。出国時に許可証名の提示を求めることで,自国の子どもを外国人が安易に国外へ連れ出すことを厳しく制限している。

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.121

実際は

海外養子斡旋は,行政が実体をつかんでいない事自体に大きな問題がある。ところが,新聞記事は通常,警察・検察や中央省庁などが主なニュースソース(取材源)になっている。当局の裏付けが取れない記事は,どうしても慎重になり,紙面で冷遇されたり,時には掲載に至らなかったりすることもある。
 当局取材に頼らない独自の調査報道はなかなか表面化されにくい,と私は日ごろから感じているが,それは日本のマスメディア特有の事情と無縁ではないと思う。

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.74-75

自己責任論

2004年10月にイラクで香田証生さんがテロ組織「アルカイダ」の武装集団に惨殺された事件はまだ記憶に新しい。日本の新聞各社は,武装集団の要求に従わず,自衛隊を撤退させなかった当時の小泉首相の判断に賛同する社説を相次いで出した。そして世間からは「自己責任だ」という批判も飛び出した。この事件を引き合いに出すわけではないが,フィリピンの困窮邦人に対して国援法(国の援助等を必要とする帰国者に関する領事館の職務等に関する法律)を適用するか否かは,最終的にこの自己責任論と大きく結びついてくるのではないかと思う。だがこの自己責任論は明確な線引きがないため,結局は道徳的判断に帰結せざるを得ない。香田さんの事件については,「小泉政権が見殺しにした」などの違反も相次いだが,日本政府が香田さんを救出するために仮に自衛隊を撤退させた場合,それで国民の大半は納得しただろうか。イラクに入国し,危険地域に足を踏み入れるか否かは個人の判断に委ねられている。それは個人に与えられた自由という言い方もできるだろう。外務省が渡航勧告で自粛を促したところで,個人の判断の自由にまで踏み込んで入国を制約することはできない。だが,自由には必ず責任がついて回る。個人に与えられた自由の下で判断し,選択した行動に対して,国はどこまで責任を負えるのか。あるいは負わなければならないのか。

水谷竹秀 (2011). 日本を捨てた男たち:フィリピンに生きる「困窮邦人」 集英社 pp.209

政治的な権利?

このような考え方を受けて,「動物には心があるのだから,私たちと同じような権利を与えるべきだ」と主張する人たちも出てきた。しかし,それは行動主義の定説と同じくらい間違っている。ペットは,小さな人間ではなく,ヨウムであればヨウム,イヌであればイヌという独自の種だ。それでは,彼らを扱うときには優しさや気配りが必要ないかといえば,もちろん必要である。たとえば,ヨウムは知能が高いし,本来は群れで生活をする動物なので,常に相手にしてもらえるような環境が必要だ。このため,ヨウムのペットを一日中ひとりで留守番させておくのは残虐にほかならない。しかし,だからと言ってヨウムに政治的な権利が与えられるべきだということにはならない。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.285-286

天下りか昇進か

再就職は,50代半ばで役所から退官しなければならないという人事ルールに従って去るときに,おおむね65歳を目処に用意される働き場所である。人事ルールによれば,同期が事務次官になるときはそれ以外全員が退官することになる。文部省時代は,事務次官には若ければ54,55歳で就任していたから,同期入省者はそのくらいで役所での職を失う。事務次官自身も,若くて56歳,年長でも59歳で退任するのでその後数年から10年ほどの仕事の場が必要になる。
 その際,何年か毎に勤め先を変えるのが「渡り」であり,退職金を何度ももらうために世間の批判の対象になってきた。これは,再就職先にもルールがあって,たとえば事務次官が退官後にすぐ行くのがCという特殊法人というように決まっており,次の次官が退官するとCのポストを後輩次官に譲って自身はもうひとつ格上のBというところに移る。それまでBにいた先輩次官はさらに格上のAに移る……という具合に再就職先にランク付けがあって「昇進」していくためにそうなってしまうのである。いくらなんでも,退職金目当てではないだろう。現役時代の延長の「昇進」コースがあるためだと思う。
 そういった慣例のある省庁とは違い,文部省の場合,退官した先輩は1ヶ所にずっと勤めるのが通例だった。次のポストへ移ることはまったくないわけではないにしろ,きわめて稀だ。つまり,退官した先輩たちは再就職したポストに数年,長ければ10年近く在職することになる。現役の頃,ひとつのポストにいるのは平均2年程度だから,破格の長期在任である。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.221-223

福祉政策じゃない

それは,民主党政権によって10年度から実施された高校授業無償化も同じである。授業料が無償になるという話だから,国民の中に反対意見はほとんどない。そのために説明が不十分になってしまったのだろう。親の所得と関係なくすべての生徒を対象にすることの意味が,国民にも高校現場にも生徒にも,いや都道府県教育委員会にさえきちんと伝わっていなかった。
 これは,親と関係なく生徒ひとりひとりに高校で学習する機会を付与する生涯学習政策なのである。すべての生徒に学習権を保証し,社会全体のおかげで学んでいると自覚してもらい将来公共に還元する気持ちになってもらう「新しい公共」概念に基づいている。それが,単なるバラマキと思われてしまったために,自民党政権になると,いともたやすく親の所得制限をかけ所得の低い家庭の子どもにだけ適用する福祉政策にすり替えられてしまった。14年度からは年収910万円未満の家庭の子どもだけが無償ということになりそうだ。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.132

「役人は黙っておれ」

ただ,少しだけ懸念を述べておきたい。
 ひとつは,「役人は黙っておれ」式の政治主導が強調されるあまり,せっかく政策官庁らしい前向きの考え方になってきていたのがふたたび消極的な物言わぬ雰囲気になるおそれはないかとの心配だ。室長・企画官クラスの中堅キャリアから,予算を獲得,維持する人ばかりが評価されているのではないかとの不満を耳にした。それでは,政策館長化以前に戻ってしまうではないか。
 もうひとつは,省庁統合により,それまでの各省庁間の友好関係が一度ご破算になったことだ。たとえば文部省と厚生省,文部省と労働省の親しい仲が文部科学省と厚生労働省になるとそのまま受け継がれるわけにはいかない面が出てくる。局長クラス以上の高級幹部になればなるほど,文部科学省なら科学技術分野への配慮もしなければならないし,厚生労働省なら旧厚生省は労働分野を,旧労働省は厚生分野を意識せざるを得ない。何より,統合後の内部融和のほうを優先しなければならない事情もあろう。
 そのために,90年代はじめに課長補佐,室長・企画官クラスで関係を芽生えさせ,そのメンバーが課長,部長・審議官,局長,さらには次官となっていく中でがっちり結びついていたものが,一旦途切れてしまったように見える。それをぜひふたたび構築し,府省庁の枠を越えて政策を発想できるようにしてほしいのである。省庁再編の混乱も落ち着き,新しい各府省庁の体制もようやく固まってきた現在,文部科学省の課長補佐,室長・企画官クラスが他省庁の同年代と積極的に接触し,交友を深めてくれることを願う。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.113-114

あるべき姿

国・都道府県・市町村一体としての教育行政制度の樹立という点からはかなり問題があると思われる大阪府と大阪市の教育行政基本条例についてさえ,文部科学省は静観している。こうした動静からは,地方分権を最大限尊重し教育委員会の独自性を認めていく方向が明確に窺える。文部科学省と教育委員会の関係は,地方分権推進の流れの中で新しい形をとり始めている。中央集権の時代が終わりを告げるからには,これもあるべき姿なのだと言えよう。上意下達がいいとは限らない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.92

中央直轄

要するに,戦前の府県知事,またその直属の部課長は内務官僚の出先勤務ポストだった。その知事に支配される地方教育行政は,実質的に中央の直轄だったといえよう。この構造は,戦時体制に入っていくにつれ教育の軍国化が進んだ原因のひとつだとも指摘されている。戦前に軍と並んで国民を威圧したのは警察である。知事の支配力を支えたのは内務行政の中核をなす警察組織であり,警察と教育を同じ官僚が扱う中で軍国主義の色彩が強まったというのだ。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.75

御殿女中

わたしが厚生省の面接を受けたときの最高幹部たちの対応は,この戦前の歴史に由来している。厚生省は旧内務省系官庁である。文部省はそれより明らかに格下。当時の霞が関では「三流官庁」と見下され,政治家の顔色を窺うだけの「御殿女中」だと揶揄されていた。その文部省が第一志望で,旧内務省の厚生省が第二志望という学生が現れたのでは,面白かろうはずがない。即不合格になるのも当たり前だった。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.23

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