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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「政治・法律」の記事一覧

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文科省はD字型

建物はD字型の回廊形式の6階建てで広い中庭があり,花の咲く時期には職員の目を楽しませてくれる桜の木や藤棚,金魚や泥鰌の住む池まであった。この中庭には,「君が代」の歌詞にある「さざれ石」の実物も置かれている。なぜ建物が方形でなくD字型なんだろうと訝ると,昭和の初めの霞が関整備で,警視庁が上空から見てA字型,旧内務省がB字型,外務省がC字型,文部省がD字型のビルになったらしいと聞かされ,なおのこと歴史の流れの中に身を置く思いがした。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.17-18
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ナチス政権の代用品

ナチ体制は新しさを売り物にしていたが,相も変わらぬ昔ながらの奇妙な代用品を提供した。新しかったのはプロパガンダだけで,それはナンセンスの極みに達した。ある時ナチは,レモンが払底してしまったので,大黄で代用すると発表した。共に酸っぱいということ以外,レモンと大黄の共通点を見出すのは難しい。魚の身の上に大黄の茎を絞って汁を出すなどということはできない。また,大黄の薄切りを飲み物の中に入れることもできない。大黄からレモネードを作ることもできない。皮を使うこともできない。大黄に皮はないからだ。その点になれば,どうやっても大黄をレモンの代わりに使うことなどはできないのだ。そんなことにはお構いなく,ナチの広報機関はレモンを大黄で代用したのは大成功だと公言した。なぜなら,レモンは輸入品だが大黄はそうではないからだ。「ドイツの土を通してのみ最良の霊気は血に伝えられる……したがって,われらはレモンに別れを告げる,われらは汝を必要とせず。ドイツ産大黄は汝に完全に取って代わるであろう」。このように代用食品に頼り続けたということは,ヒトラーのドイツが第一次世界大戦の惨禍から回復していなかったことを如実に示している。

ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.274

記録より記憶?

慎重な陪審員が,法廷で聞いた証言の記憶を公判記録で確認しようとしても,法廷はそれを認めない。たとえばカリフォルニア州では,裁判官は陪審員に「書かれた記録よりも自分の記憶を優先すべきだ」と話すよう推奨されている。法律家なら,この方針はたとえば,陪審員が公判記録を精査していたら審議が長くなりすぎてしまうといった,実際的な理由があると言うはずだ。
 しかし私に言わせると,それはとんでもない話であり,まるで,事件の様子そのものを写したフィルムよりも,その事件に関する誰かの証言の方を信じるべきだと言っているようなものだ。ほかの分野で,そのような考え方に甘んじることなどけっしてありえない。アメリカ医師会は医師に,患者が話す病歴を信用しないよう勧告している。「心臓の音ですって?私に心臓の雑音があったなんて,記憶にありません。その薬はやめましょうよ」

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.76

擬陽性

アメリカの警察では毎年およそ7万5000件の面通しがおこなわれており,統計によれば,そのうちの20から25パーセントで,目撃者は,警察が間違いであると知っている人物を選んでいる。そう断定できるのは,警察が人数合わせのために「無実であるとわかっている人」や「人数合わせの要因」として揃えた人物を,目撃者が選んだためである。刑事本人であったり,地元の刑務所から連れてきた受刑者であったりすることが多い。
 このような誤認では誰も困ることはないが,それが暗に意味している事柄を考えてほしい。5分の1から4分の1のケースで,明らかに犯罪と無関係な人物を目撃者が指差すことを警察は知っているというのに,目撃者が容疑者を指差した場合には,警察や法廷は,その人物特定は信頼できるものと決めつけてしまうのだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.74-75

目撃証言の確率

男が町中で泥棒に襲われたとする。彼は,泥棒は黒人だったと主張する。しかし,この事件を審理している裁判所がいろいろな照明のもとで何度もこのシーンを再現してみたところ,被害者が泥棒の人種を正しく確認できるのは,全体の約80パーセントにすぎなかった。彼を襲ったのがまさしく黒人だった確率はどれくらいあるだろうか?
 多くの人が,確率は80パーセント,と答えるにちがいない。しかし,もっともな仮定を立てることで,正解は80パーセントよりもかなり低くなってしまう。ここでは次のように仮定しよう。人口の約90パーセントが白人で,黒人は10パーセントしかいない。事件の起きた地域の人種構成はまさにその通りになっている。片方の人種のほうがひったくりをする確率が高いということはない。被害者が,黒人を白人に,白人を黒人にまちがって認識する確率も同じである。これらを前提とすると,似たような状況で起こった100件のひったくり事件のうち,平均して26件で,被害者は犯人が黒人であったと証言するだろう。実際に黒人である10人の黒人の80パーセントつまり8人と,白人90人の20パーセントつまり18人を足して,合計26人となる。したがって,黒人と判断された26人のうち,黒人は8人しかいない。被害者が実際に黒人によってひったくられた確率は,わずか26分の8,つまり約31パーセントなのである。

ジョン・アレン・パウロス 野本陽代(訳) (1990). 数字オンチの諸君! 草思社 pp.171-172

予測の不確実性

しかし,政治家や政界関係者は,この確実ではない世界を見ると混乱してしまうようだ。2010年,私はある民主党議員に,選挙の数週間前に呼ばれた。西海岸の民主党が強い地区の議員だった。その年は民主党が優勢だったにもかかわらず,自分の議席が心配になったらしい。彼は私のサイトの予測にどのくらいの不確実性があるのか知りたがった。限りなく100パーセントに近い確率での勝利が予想されていたが,それは99パーセントなのか,99.99パーセントなのか,はたまた99.9999パーセントなのか。最後の確率——100万分の1の確率で落ちることになる——であれば,自分の選挙資金を劣勢な地域の候補者に提供するという。どうやら100分の1のリスクは許容できないらしい。
 一方,予測の不確実性というものを間違って解釈している人もいる。予測が間違ったときの言い訳だと思っているようだが,それは違う。現職の議員が90パーセントの確率で当選すると予測するときには,10パーセントの確率で落選すると予測しているのである。よい予測というのは,長い目で見てこれらの確率がおおむね一致するものをいう。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.70

インセンティブ

彼らもサラリーマンなわけですから,出世のために頑張るのはある程度自然なわけで,その意味では,「国家の未来を担う政策に携わっていながら,省益ばかり追求しているなんて悪いやつらだ」という批判は,ある意味では少々的はずれです。
 なぜなら,サラリーマンが会社の利益を損ねる行動に走った場合,窓際に追いやられ,悪くすれば左遷,最悪クビになるでしょう。官僚の世界でもこれは同じことで,「省益」にもとる行動をとった官僚も,組織の中で出世しにくくなるといった扱いを受けるわけです。実際には,そもそも論として品性が欠けている官僚も一部は存在するとは思いますが,それは一般の会社員でも同じことでしょう。要は,官僚も,用意されたインセンティブに左右されるただの人間だということですね。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.112

言うだけ

もともとこの国では,社会保障はあくまでお情けの施しであるという意識を持つ人があまりに多い。その上で,実際は不正受給であるかはさておき,生活保護受給者が余裕を持って生きているかのように見えるので許せない。そうした「不平受給」ともいうべき攻撃はしばしば見受けられます。
 メディア上で共有される,生活保護受給者へのイメージをもとに,「あいつはニセ弱者だ」という反発や切断が行われているという現状があります。政治家の側からすれば,貧困者を無視しろとはいいがたいので,「本当に貧しい人のために,ニセ弱者を許すな」というタテマエを語る議員もいる。だけれどそうした主張をする議員が,貧困対策のために必要な政策を具体的にコミットしている場面を,僕はほとんど見かけません。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.85

とりあえず実行?

一方,現在,様々なニュースなどで「決断できる政治を求めたいものです」といった発言がなされているけれど,これもかなり頭の痛い問題です。なぜなら,その政策の是非もよく吟味されぬままに「とりあえず実行できる人間が偉い!」といった議論も,現在の日本で散見され出してきているからです。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.47

石を投げる側

ただ気をつけなくてはならないのは,現在頭をもたげている問題のひとつとして,「しっかり決断する政治」がますます困難になる一方で,「すっきり感を与えてくれるパフォーマンス」だけが横行しがちになる,ということがあります。実際海外でも,閉塞感の漂う先進国において「第三極としての排外主義」がじわりじわりと再浮上したりしています。友敵図式を活用するやり方で,特定の「敵」を名指しし,排除するスタイルの政治には,警戒が必要です。いつまでも「石を投げる側」でいられると思い込んでいる人は多いように見えますから。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.47

CIAとベイズ

CIAでは,分析官がベイズ法を用いて何十もの実験を行った。CIAは,不完全だったり不確かだったりする証拠から推論で情報を得る必要があるが,1960年代から1970年代にかけて,破滅的な出来事を少なくとも12回は予測し損なっていた。北ベトナムの南ベトナム侵攻も,OPECによる1973年の原油価格つり上げも予測できなかったのだ。CIAの分析官たちは,通常何らかの目処が付いたところで作業を終えていた。ありそうもない潜在的な大惨事は無視していたし,新たな証拠を取り入れて最初の予測を更新するわけではなかった。CIAはベイズに基づく分析のほうが洞察に富んでいるという結論に達したが,それにしてもベイズに基づく分析には時間がかかりすぎると判断した。そして,コンピュータに計算力がなかったために実験は放棄された。
 法律の専門家たちは,これとは異なる対応を見せた。ベイズの法則が法的な証拠の評価に役立つのではないかという声があちらこちらで上がったものの,1971年にハーバード大学のロー・スクール教授ローレンス・H・トライブが発表したベイズの法則の応用に関する辛辣な論文が大きな影響を及ぼしたのである。数学士の学位を持つトライブは,ベイズをはじめとする「数学的装置やえせ数学的装置」は「法的な手順を数学的な曖昧さで覆い隠して重要な価値をゆがめ——ときには破壊する可能性がある」と糾弾した。これを受けて多くの法廷が,ベイズの法則を閉め出したのだった。

シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.250

チューリングの罪

世界中がマンハッタン計画に関わって原爆や水爆を作った物理学者をもてはやし,ナチの戦犯が自由の身となり,アメリカがドイツのロケット専門家を雇うなか,チューリングは有罪を宣告された。イギリスという国が囚人たちに医学実験を行ったナチを相手に戦ってからまだ10年も経たぬというのに,判事は,獄に下るか女性ホルモン注射による化学的去勢を受けるかどちらかを選べ,とチューリングに迫った。チューリングはエストロゲン注射を選び,1年後には乳房が大きくなった。そして,チューリング自身の助けがなければ不可能だったはずのノルマンディー侵攻の10周年記念日の翌日,つまり1954年6月7日に自ら命を断った。イギリス政府はこの2年後にアンソニー・ブラントを叙勲したが,このスパイは後に,友人だったバージェスやマクリーンに情報を漏らして,同性愛者に対する魔女狩りを引き起こしたことを認めている。チューリングの最期について書いていると——そして読んでいても,今なお悲しくつらい気持ちになる。イギリスの首相——当時の首相はゴードン・ブラウンだった——がチューリングに謝罪したのは,チューリングの死後55年が経った2009年のことだった。

シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.165

機密扱い

このような機密扱いは,チューリングに破滅的な影響を及ぼした。終戦当時チューリングは「脳を作りたい」といっていた。そしてそのためにケンブリッジ大学の講師の職を退け,ロンドンの国立物理学研究所に入った。公職守秘法の縛りが災いして,当時のチューリングはいわば無名の存在だった。もしも爵位を得るなどして顕彰されていれば,支援スタッフとして割り当てられたたった2人の技師の数をさらに増やすにしても,はるかに楽だったはずだ。ところがこの研究所の所長だったチャールズ・ガルトン・ダーウィン——あのチャールズ・ダーウィンの孫——は,チューリングの業績をまったく知らず,そのためチューリングが前日遅くまで仕事をしていて遅刻をするたびに,叱責を繰り返した。ある日の午後,ダーウィンも参加していた会議がひどく長引くと,チューリングは5時半ぴったりに立ち上がり,「時間通りに」帰ります,とダーウィンに告げたという。
 チューリングは1945年にこの研究所で,世界初の暗号解読用のかなり完成度の高いプログラム内蔵型デジタル電気計算機を設計した。ところがダーウィンは野心的すぎるといってこれを非難し,うんざりしたチューリングはその数年後に研究所をやめた。1950年にようやく研究所がチューリングの設計に基づくコンピュータを作ったところ,その早さは世界一で,なんとまあ,メモリー容量は30年後に作られた初期マッキントッシュの機械と同じだったという。

シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.162-163

法廷の確率

我が国の法廷の判断はどうも感心できない,とラプラスは考えていた。法医科学はまだ存在しなかったから,どこの法廷でも証人の証言だけが頼りだった。ラプラスは,ある出来事に関する証言を取り上げて,証人や判事が正しい確率,欺かれている確率,単にまちがえている確率を求めた。糾弾されている人物が有罪であるという事前確率を五分五分にして,陪審が誠実である確率は少し高くした。それでも,8名の陪審が単純な多数決をとった場合,まちがった判断を下す確率は256分の65で,4分の1を超えていた。このためラプラスは数学の観点からも宗教的な観点からも,啓蒙運動の最も急進的な要求だった死刑廃止に賛同した。「これらの過誤を埋め合わせられるという可能性は,死刑廃止を求める哲学者たちにとって最大の論拠である」ラプラスはまた,矛盾する証言について法廷が判断しなければならない場合や,証言のたびにその信憑性が下がっていくようなより複雑な事例にも自分が発見した法則を応用した。ラプラスにすれば,これらの問題を見れば,聖書の福音書に見られる十二使徒の叙述も信ずるに足りないことがわかるはずだった。

シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.63-64

「どうぞ訴えて下さい」

また,かつて,雑誌社の団体が政府に,「○○図書館のコピー行為は,明らかに著作権侵害だ。ウチの理事会では『訴えるべきだ』という意見もあったが,そんなことをして事を荒立てては,政府としてもお困りでしょう。だから,政府から指導してやめさせてほしい」と言ったことがありました。
 こうした「政府まかせ」の無責任な態度が,「官僚に頼る体質」や「民主主義の未熟」を招いたのです。政府からの答えは,当然ですが,「どうぞ訴えてください」というものでした。
 自分の幸せを守るために,自分の「権利」を行使するには,勇気と行動力と責任感が必要なのです。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.219-220

「政府がなんとかしてくれ」?

よく「中国では,日本のコンテンツが,たくさん無断でコピーされている」と言われていますね。そうした無断コピーは,なぜ,なかなかなくならないのでしょうか。
 その原因は,1つしかありません。それは,「日本の権利者たちが,中国で裁判をあまり起こしていない」ということです。
 中国のある遊園地では,日本やアメリカのアニメキャラクターによく似たぬいぐるみがたくさん使われており,それがテレビで紹介されたことがありました。
 そのとき,ディズニー社は,すぐに中国で裁判を起こしましたが,日本の企業はすぐに裁判を起こしませんでした。だから,相手にナメられてしまうのです。
 日本の企業の中には,「政府がなんとかしてくれ」などと言っているところも少なくありません。しかし,著作権侵害については「訴えるかどうかは,本人の自由」なのですから,本人が訴えなくては,何も起こらないのです。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.219

契約の問題なのに

また,日本では,「過去の放送番組を,再放送やネット配信で使えないのは,著作権があるからだ」などと言っている人が少なくありません。
 どの国も,だいたい同じような著作権法を持っているのに,他の国々ではどんどん再放送やネット配信が行われているのは,いったいなぜなのでしょうか。これも実は,第24話でお話ししたように,「法律の問題」ではなく,「契約の問題」です。
 他の国々の放送局は,放送番組を「作るとき」に,関係する権利者たちと,「再放送やネット配信もする」という契約をしています。しかし日本の放送局は,そのような契約をすることを,サボってきました。
 要するに,「自分たちのミス」をかくすために,「著作権法のせいにしている」だけなのです(あるいは,単に無知なのかもしれません)。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.212

法律の問題じゃない

多くの日本人は,「著作権問題」と呼ばれているものを,「法律の問題」だと思い込んでいるようです。しかし,その大部分は,実は「契約の問題」(当事者同士が最初からちゃんと契約しておけば防げた問題)なのです。
 日本の「著作権法」は,いろいろな面について世界最高水準のものですが,「契約」に関する人々の習慣やシステムは,世界最低水準と言っても過言ではありません。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.208-209

契約なのに

著作権について「契約」が必要になるケースの典型は,Aさん(権利者)が作ったコンテンツについて,Bさん(利用者)が「使わせてくれ」と言ってくる場合です。
 この場合Bさんは,単に「使わせてもらう」という契約をするよりも,「そのコンテンツの『財布を守る権利』を丸ごと買い取ってしまう」という契約の方が有利です。そうすれば,自分が著作権者になるわけですから,後々も自由に使えます。
 Bさんがそのような契約条件を提示した(希望を言った)とき,Aさんは,気に入らないなら,単に断ればいいのです。
 しかし,日本でよくあるのは,Aさんが「人権の一種である著作権をゆずれとはケシカラン」と怒ってしまうというケースです。自分の価値観やモラル感覚を「他人も共有していて当然」と思っているのですね。これでは冷静な話し合いはできません。
 また,こうした場合によくあるのは,Aさんが政府の官僚のところに行って「Bはケシカランので,政府から指導してくれ」などと言うことです。
 こうした「なんでも官僚に頼る態度」が,日本の官僚主導を生んだのです。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.205

教材の場合

学校の「先生」は,自分の授業で使う教材として,新聞記事・本・雑誌・CD・DVD・放送番組・ネット上のコンテンツなどを,自分でコピー(ダウンロード・プリントアウトなどをふくむ)して,授業中に,生徒に配布することができます。
 ただし,例えば「計算問題のドリル」や「コンピュータープログラム」など,「1人ひとりが買う前提で売られているもの」は除かれます。
 また,「生徒」も,例えば,先生から「あすの朝刊を見て,気になった記事をコピーし,クラスに配布しなさい」といった指示があれば,同じように,新聞記事・本・雑誌・CD・DVD・放送番組・ネット上のコンテンツなどをコピー・配布できます。

岡本 薫 (2011). 小中学生のための 初めて学ぶ著作権 朝日学生新聞社 pp.164

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