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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「政治・法律」の記事一覧

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人種「的」差別撤廃条約

もともと同条約の名称の原文は「人種差別」race discrimination ではなく,「人種的差別」racial discrimination で,条約の名称も「人種的差別撤廃条約」と訳せば誤解が少なかったであろう。第二次世界大戦後,国際社会においては,ナチスによる優等/劣等人種論や植民地主義,奴隷制への反省のもと,黒色人種,白色人種など,人類を種別化する「人種」の存在自体を否定する考え方が主流となっている。よって,人種差別撤廃委員会でも,前述の5つの差別の対象のうち,「人種」自体の存在を前提とする「人種」差別をほとんど扱わなくなっている。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.42
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政教分離の実質化

実はここにも歴史的な背景がある。それは,政教分離の実質化である。アメリカは憲法文書に政教分離を明記した史上初の世俗国家であるが,その実態は複雑で,各州のレベルや生活実態としてはなかなか分離が進まなかった。連邦憲法をめぐる最高裁の判断が問題になるのは,20世紀もようやく半ばを過ぎてからのことである。その争点はいろいろだが,政教分離がいちばん具体的に見えるのはお金である。教会は,国民の税金によってまかなわれるのではなく,自分たちで集めた献金によって運営されねばならなくなった。
 それぞれの宗教団体は,市民の自発的な参加と支援なくては存続できない。だからどの教会も,市場原理による自由競争にさらされ,人を集めなければ解散という憂き目に遭うことになる。どんなに立派な説教を語っても,つまらなければ人は来ない。20世紀はじめの伝統的な教派では「毎日のようにどこかの教会が売りに出され,ガレージとなっている」という嘆きが聞かれたほどである。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.246-247

ジェントルマンの凋落

ホフスタッターは,ジャクソン大統領の時代を「ジェントルマンの凋落」と特徴づけている。それ以前は,アダムズ家に代表されるような上品で教養ある貴族的人物が政治を動かしていたのに,大衆民主主義に押されてジェントルマンが不要になってしまったからである。「不要になった」というよりも,「不利になった」と言うべきかもしれない。上流階級の生まれであるとか,知識人であるとかいうことは,むしろマイナスに数えられるようになった。時代の要請は,「下層階級の人びとの好奇心を刺激し,享楽の欲望を満たし,支持をとりつけるために低俗で野卑なものを提供すること」であった。反知性主義とは,このような背景をもった大衆の志向性である。そして,その同じことが政治の世界だけでなく,宗教の世界にも起こってゆくのがアメリカである。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.167-168

アファーマティブ・アクション

アファーマティブ・アクションは,公衆の目に触れない論争も巻き起こした。たとえば,ニクソン政権の公文書館には,6つのユダヤ人団体が1972年共和党全国大会の直前に提出した,長い覚書がある。覚書は,大学が黒人に有利なとりはからいをしている33の例を挙げて(したがって白人に打撃を与えていると)抗議した。
 メリトクラシーの登場は,アイビーリーグの大学や,アイビーリーグ出身者を雇う雇用主の多くが1920年代から維持してきた,非公式だが厳格なユダヤ人受け入れ枠(割り当て)を終わらせることになっていた。しかしユダヤ人がメリトクラシー内で大きく躍進する方向に万事整った今ごろ,黒人支援を装う形で,割り当てが戻ってくるように見えた。それは,大学が黒人学生の比率に下限を設けることから,ほんの小さな一歩を踏み出すだけで,ユダヤ人学生の比率に上限を設けるところに至るように映った。もし,各グループの人口比が目標なら,ユダヤ人はどうなるのか。ユダヤ人は米国の人口の3%にとどまるが,アイビーリーグの学生数に占める比率は,割り当て制の最盛期でも同水準をはるかに超えていた。大学入学はゼロサムゲーム。入学定員のうち,厳密にテストの得点や成績によるのではなく,黒人や中南米系のため予約される定員が増加すればするほど,ユダヤ人のために残される定員は減る,とユダヤ人団体が推測するのも難しい話ではなかった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.248-249

アジア系米国人

アジア系米国人という概念は,大胆で斬新だった。完全に人工的な概念でもあったが,白人がそれを知る必要はなかった。白人たちはアジア系に,統率され,軍隊のように歩き,目のつり上がった絶対的な力のイメージを持ちたがる様子だった。ならそれを生かそうじゃないか。当時,イェール大学のアジア系米国人は,中国系と日系の2グループを中心に混ざり合っていた。話す言語は違うし,家に帰れば異なる民族街で暮らす。戦争体験世代の親からは,それぞれ互いに敵と思うよう,しつけを受けていた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.216

人種問題へ

米国では,個人の機会に責任を負うとみられる機関は,それが何であれ政治的混乱を生み出す。機会は米国社会において,大きな突進力を持つ。機会は,すべての個人が基本的権利として持つはずで,それを否定するのは道徳的に受け入れられない。19世紀の大半は,機会が,小農場,商店,企業を立ち上げる資本の入手を意味する時代だった。また,その時代,銀行業,通貨,与信は怒りを誘う政治問題だった。20世紀末になると,機会は教育を意味し,同じことが学校で起こった。
 これが一般的な状況である。具体的には,米国版メリトクラシーの政治学は,創設者が予想しなかった問題へと向かった。人種問題である。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.191

統治機構の特質

勝者がすべての利益を独占するような統治が行われている国で,石油や金,ダイヤモンド,戦略的鉱物などの偶発利益を生む資源を政府が統制すると,内戦の起こりやすさは倍増する。こうした資源は恩恵どころかいわゆる資源の呪い,あるいは豊かさの矛盾,愚か者の金などと呼ばれるものを生み出す。再生不能で独占されやすい資源が豊富な国は,経済成長が遅々として進まず,政府は無能で,暴力が多発する傾向にある。ベネズエラの政治家ファン・ペレス・アルフォンソがいみじくも言ったように,「石油は悪魔の排泄物」なのである。こうした資源が国によっては呪いになりかねないのは,政府高官,時には地域軍閥など,それを独占する者の手に権力と富を集中させるからだ。指導者は金のなる木を独占するためにライバルを蹴落とすことに躍起となり,社会全体を潤して相互義務で結ぶような商業ネットワークを促進する動機も意欲もない。コリアーは経済学者ダンビサ・モヨや他の政治評論家とともに,これに関連するパラドクスに注意を換気している。善意の有名人が大好きな海外援助もまた,第二の呪いになりかねない。援助をしても,持続可能な経済インフラの構築に役立つどころか,窓口となる指導者の富と権力を増すだけだからだ。さらに,コカイン,アヘン,ダイヤモンドなどの高価な禁制品は,冷酷な政治家や軍閥に不法な飛び地や流通経路を確保する隙を与えるので,第三の呪いになる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.541-542

地下資源と平和

また,貴重な地下資源があるからといって富や平和を享受できるわけではない。アフリカには,金,石油,ダイヤモンド,その他の戦略的金属をふんだんに保有しているにもかかわらず,戦争で荒廃した貧しい国々が少なくない一方,ベルギーやシンガポール,香港のように,これといった天然資源はなくても豊かで平和な国もある。とすれば富を生み,平和も生み出すような第3の変数——おそらくは洗練された産業社会の規範とスキル——があるにちがいない。仮に世相の原因が貧困にあるとしても,それはわずかな資源をめぐって争うからではなく,少々の富があれば得られる最も重要なもの,つまり国内の治安を維持する有能な警察や軍隊が存在しないからだ。経済が発展すれば,その成果の大部分はゲリラではなく政府へ流れる。発展途上世界のなかで急成長している国々が比較的,平穏な理由の1つはそこにある。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.535

この理由を説明できない

最後にもう1つ,核による平和説では,実際に起きた戦争では,非核武装国が核武装国を挑発した(あるいは,核武装国に譲歩しなかった)ケースが多々ある理由を説明できない。これこそまさに,核の脅威で抑止されるはずの対立ではないか。北朝鮮,北ベトナム,イラン,イラク,パナマ,ユーゴスラビアはいずれもアメリカに公然と逆らい,アフガニスタンやチェチェンの反政府武装勢力はソ連に逆らった。エジプトはイギリスとフランスに,エジプトとシリアはイスラエルに,ベトナムは中国に,そしてアルゼンチンはイギリスに反旗を翻した。さらにいえば,ソ連がヨーロッパに支配体制を築いたのも,アメリカが核兵器を保有し,ソ連は持っていなかった時期(1945〜49年)なのだ。核を持つ優位国を挑発した国は,自殺行為に走ったわけではない。存在そのものの危機にさらされないかぎり,核攻撃という暗黙の脅迫はこけおどしでしかないということを,正しく予想していたのだ。アルゼンチン政府がフォークランド諸島への侵攻を命じたのは,イギリスが報復としてブエノスアイレスを放射能で焼きつくすことはないという絶対的な確信があってのことだった。同様にイスラエルも,1967年(第三次中東戦争)に続き1973年(第四次中東戦争)にも,エジプト政府はもとよりエジプト軍に対しても,確かな脅威を与えることはできなかった。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.476-477

見通しによって抑制される

一方,超大国自身はなぜ互いに戦争するのを避けたのかについては,ミューラーがもっと単純な説明をしている。超大国は通常戦争が起きる見通しによって,戦争を回避したというのである。第二次世界大戦で明らかになったのは,何千万という人間を殺し,都市を瓦礫の山にする能力のある戦車や大砲,爆撃機は,工場で大量生産できるということだった。この点はとりわけソ連において明白だった。第二次大戦で最大の損害を被ったのはこの国だったのだ。核戦争でもたらされる想像を絶する損害と,通常戦争でもたらされる,想像はつくがやはり甚大な被害とのほんのわずかな差が,超大国が戦争を思いとどまったおもな要因だとは考えにくい。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.476

「核の平和」は幻想

そうならないことを願おう。もし「長い平和」が核による平和であるなら,それは愚か者の楽園だ。なぜならアクシデントや通信ミス,あるいは血に飢えた空軍将官の手によって,この世の終末が始まってしまう可能性があるからだ。けれどもありがたいことに,よく調べてみると,核による人類全滅の脅威は「長い平和」に大して貢献していないことがわかってくる。
 理由の1つは,大量破壊兵器が戦争に向かう動きに歯止めをかけたことは,かつて1度もなかったということだ。ノーベル平和賞の創設者は1860年代に,自らが発明したダイナマイトについてこう書いている。「千回の世界会議よりも早く平和をもたらす。一瞬のうちに全軍が完全に破壊されうるとわかれば,人間の黄金の平和を持続させるにちがいないからだ」。同様の予測は,潜水艦,大砲,無煙火薬,機関銃についてもなされてきた。1930年代には,航空機から投下される毒ガスが,文明と人類に終焉をもたらすのではないかとの不安が広がったが,この恐怖も戦争を終結させるには遠く及ばなかった。ルアードが言うように,「歴史をふり返ってみれば,極度に破壊的な兵器が存在するだけで戦争を抑止できるという証拠はほとんどない。細菌兵器や毒ガス,神経ガス,その他の化学兵器が開発されたことが1939年の戦争勃発を抑止できなかったとすれば,いま,核兵器にそれができるといえる理由は容易に見当たらない」のである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.474

理性の時代と啓蒙の時代

平和主義もまた,一国の内部では軍国主義勢力に対してきわめて脆弱だ。ある国が戦争に巻き込まれたり,戦争突入の瀬戸際にあるとき,国の指導者はとかく平和主義者を臆病者や裏切り者と同一視しがちである。再洗礼派(アナパプティスト)をはじめ,平和主義を掲げた宗派が迫害された例は歴史を通じて枚挙にいとまがない。
 反戦感情が勢いを増すためには,同時に多くの有権者の間に伝播しなければならない。また,反戦的な考え方が単に個人の道徳的な決意や努力に左右されないためには,政治・経済制度に基づくものでなければならない。平和主義が高潔ではあっても実効性をもたない感情から,実行可能な課題をもつ運動へと進化したのは,理性の時代と啓蒙主義の時代においてだった。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.302-303

死刑に対して

今日,死刑は人権侵害であるという見方は広く定着している。2007年,国連総会は死刑の執行停止を求める議決(法的拘束力はもたない)を賛成105,反対54,棄権29で採択した。1994年,1999年にも同様の決議案が出されたが採択にはいたらなかった。決議に反対した国の1つは合衆国である。他のほとんどの暴力の形態と同様,合衆国は西側先進国のなかで「異常値」的な位置を占めている(もっとも全50州のうち北部を中心とする17州では死刑は廃止され——うち2州では過去2年以内に廃止——,18州は過去45年間死刑が執行されていない)。だが悪名高いアメリカの死刑でさえ,現実的というより象徴的な意味合いが強い。図4−4に示されたように,合衆国の人口に対する死刑執行数の比率は植民地時代以降大幅に減っており,西洋社会全体で他の多くの制度化された暴力が減少した時期にあたる17世紀から18世紀にかけて,最も急激に減っているのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.282-283

刑務所収容の副作用

大量の犯罪者を刑務所に収容することには——たとえ暴力犯罪の減少に役立ったとしても——それ自体が引き起こす問題がある。最も暴力的な人たちが収監されてしまえば,さらに多くの犯罪者を刑務所に入れることは急速に収穫逓減のポイントに到達する。あとから収監される犯罪者の危険度はしだいに低くなり,そういう人たちが刑務所に入っても,犯罪率はさほど大きく低減しなくなるからだ。また人間は通常,年を取るにつれて暴力性が低くなるので,ある時点を越えて犯罪者を収監しつづけることは,犯罪率の減少にはほとんど寄与しない。これらの理由から,収監率には最適な数値というものがある。だがアメリカの刑事司法制度がそれを見つけ出す可能性は低い。なぜなら選挙政治によって,厳罰化の流れは将来にわたってずっと続くからだ。判事が指名ではなく選挙で選ばれる地区ではなおさらである。候補者が刑務所送りになる人を減らし,刑期を減らすことを主張しようものなら,たちまち対立陣営から「犯罪に甘い」候補者というネガティブキャンペーンをテレビで流され,当選できない。その結果,合衆国の刑務所には本来収容すべき数をはるかに超えた人数が収監され,アフリカ系アメリカ人社会には,多数の男性が奪われるという過度の損害がもたらされている。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.234

いったん決まると

この特徴は日本特有のものかもしれない。飲酒できる年齢を25歳まで引き上げようという青少年禁酒法案が廃案になったように,基準値の多くは,一度決まるとなかなか変更されない。基準値を厳しくする場合もそうだが,基準値を緩くする(緩和する)場合はなおさらである。
 米国では,大気中の主要な汚染物質の環境基準値は5年ごとに見直すことが義務づけられているために,科学の進展に応じてこれまで何度も改定されてきた。ところが日本では,科学的判断を加えて定期的に改定するという手続きそのものが,あまり制度化されていない。これは,基準値の成り立ちや意味づけが国民に広く知られていないことにも一因があるだろう。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.18

ポピュリズム

タレント政治家が登場すると「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉が頻繁に使われることがあるが,これは間違いである。ポピュリズムとは,民衆に受け入れられやすい政策を打ち出した候補者が選挙に勝つ事態を指す。

速水健朗 (2013). 1995年 筑摩書房 pp.37

端正さと無関係

ハンサムや男性や美人の女性は候補者として理想的と思われがちだが,実験結果からはなんとも言えない。いくつかの実験では,端正な顔立ちと有権者の投票行動に関係があるという結果が得られたが,無関係という結果が出た実験もある。また,細心の注意を払っておこなわれたある実験では,端正な顔の候補者は落選する確率が高いという結果だった。とはいえ,その実験結果は,顔は端正だが有能には見えない候補者にかぎって言えることだ。ゆえに,“立候補者の顔をより美しく見せても,それによって能力が劣る印象になっていたら,かえって逆効果になりかねない”と研究者は結論づけた。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.181

ヒューリスティック投票

立候補者の政策方針を明確に知るという点でも,やはり惨憺たるものだ。2000年の大統領選挙——ジョージ・W・ブッシュ対アル・ゴア——の直前におこなわれたある研究では,ふたりの候補者の方針に関して12の質問を国民にぶつけた。たとえば,「ブッシュは所得税の大幅な削減に賛成するか,反対するか?」,「処方箋の費用もカバーするような引退者の医療保障の拡充に,ゴアは賛成するか,反対するか?」といった質問だ。12個の質問の中で,高正解率だったのは,ふたつだけ。すべての質問にきちんと答えられた人は,半分もいなかった。それより最近の選挙でも,実験によって選挙の争点に関する有権者の無知が明らかになっていて,その傾向は今も変わっていない。立候補者や選挙参謀は選挙活動に30秒間のCMを利用することがよくあるが,短いCMで主要な問題を取りあげることはまずない。そんなCMだけでは有権者が知識を得られないのはあたりまえだ。
 公民科の基礎的な知識も乏しく,各候補者の政策方針の差もわからないとなれば,有権者はどうするのだろう?大半の人はこの世に生きる素直な人がすることをする。ヒューリスティックに頼るのだ。ヒューリスティックとは複雑な問題を解決する際に,簡単で手っ取り早い方法を取ることだ。政治に関しては,誰に投票するかを所属政党で決めたりする。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.164-165

選挙資金集め

これだけ投票率が低いのは,立候補者の努力不足のせいではない。大統領選挙であれ,国会議員選挙であれ,知事選挙であれ,選挙活動で飛びまわっている大半の立候補者は,何年も,いや,少なくとも何カ月ものあいだ,私生活を捨てて,かなりの時間と労力を遊説に費やしている。そしてまた,当然のことながら,そういった選挙活動の原動力になるものが不足していたら,何もできない。その原動力とは金だ。「政治で重要なものがふたつある」と言ったのは,1896年の大統領選に出馬したウイリアム・マッキンリーの選挙参謀だ。「ひとつ目は金で,ふたつ目は思い出せない」と言ったのだった。近年の選挙では多額の金が使われ,資金集めのために膨大な時間が費やされ,年を追うごとにその傾向は強くなるいっぽうだ。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.161-162

童顔に限る

その結果を知ったら,誰もがぞっとするはずだ。ここで焦点を当てる300の裁判では,被告人が無実を訴えた場合,大人びた顔の被告人の92パーセントに有罪判決が下り,対して,童顔の被告人が有罪となったのはその半分以下の45パーセントだった。信じられないような結果だが,裁判に提出された証拠はもちろんのこと,被告人の顔が美形かどうかということや,年齢を考慮に入れても,その結果は変わらなかった。“童顔の力は,犯罪を裏づける証拠の力にも匹敵する”と研究者はまとめている。被告人が自分の罪を認めている場合,大人びた顔の被告はかなり高額な賠償金を支払うように命じられる。といっても,これは原告が童顔の場合に限る。大人びた顔の犯罪者は童顔な被害者に対して平均以上の償いをするべきだと,裁判官が考えているかのような結果だ。裁判の場では被告人だろうと原告だろうと,童顔なものが有利なのはほぼまちがいない。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.39

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