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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「食・農業」の記事一覧

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バナナの病気

 1950年代,ウォードローは仲間の研究者とともに,1931年に実施した調査を再開した。このころには胴枯れ病は世界じゅうに拡大し,感染した国はアジアで8カ国,太平洋沿岸部で5カ国,アフリカで12カ国にのぼり,西インド諸島を含めた南北および中央アメリカでは22カ国に感染していた。米国もその例外ではなく,フロリダでは,バナナ栽培を始めたばかりのいくつかのプランテーションが感染し,すみやかに閉鎖された。だがおそらく,これらのプランテーションは菌の攻撃があってもなくても,いずれは失敗しただろう。なぜなら,どのケースでも,バナナ会社が適切な検疫や隔離という手順を実施しなかったことが感染を助長させていたからだ。
 バナナ業界の大手企業のトップは,パナマ病のことをちゃんとわかっていたし,それがどのような被害をおよぼし,感染がどう広がるのかもわかっていた。それでも彼らは,その知識を活用して改善策をとり,事態を好転させようとはしなかった。それはまるで,ユナイテッド・フルーツ社も競合企業も,バナナ消費国と生産国の運命を大きく変えた“バナナの魔力”にすっかり惑わされてしまったかのようだった——そのため,バナナがもたらす悲惨な結果や,従来とは異なるほかの運営法には目もくれず,ただ熱に浮かされたように,次々と熱帯地方に押し入っていった。自然はそうした彼らのやり方に応酬したのだ。しかしバナナ会社の耳に自然の警告は届かなかったらしく,彼らは混迷のなかにいた。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.140
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バナナの皮

 歴史家のヴァージニア・スコット・ジェンキンズによると,バナナの持ち運びのしやすさと関係するこの難点は,販売業者が“衛生的な包装紙”と呼ぶバナナの皮が,気軽に道端に捨てられてしまうことだった。捨てられたバナナの皮はたちまちドロドロの物質に変わる。実際にそれを踏んですべり,転んで怪我をする人まで出はじめた。私たちが映画のなかのギャグだと考えている事態が,現実に頻発し,1909年のセントルイスの市議会では,公道や歩道にバナナの皮を投げ捨てることを禁じる条例を成立させた。また,英国ボーイスカウトのコミッショナー,ローランド・フィリップスは,団員たちに宛てた1914年の手紙で,青少年の日々の善行は「歩道からバナナの皮を拾うことにある」という提言もしている。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.99

バナナ・スプリット

 1904年,ペンシルベニア州ラトローブのドラッグストアで働く,見習い薬剤師でソフトドリンク係のデイヴィッド・ストリクラーは,半分に切ったバナナで3種類のアイスクリームを両脇から挟んだデザートを提供した。値段は10セントで,この大型サンデー用にボート形をした器を特別に作らせている(彼のレシピは,バニラ,チョコレート,ストレベリーのアイスクリームを一列に盛り,縦半分に切ったバナナを左右に一片ずつ添え,チョコレート,パイナップル,ストレベリーのソースをかけ,ナッツを散らし,ホイップクリームを絞ってチェリーをトッピングするというものだった)。
 3年後,およそ450キロ離れたオハイオ州ウィルミントンに住むE.R.ハザードは,自身が経営するレストランで似たようなデザートを出していた。ハザードはそれを“バナナ・スプリット”と名づけた。この2つの町はいま,どちらもこのデザートお発祥地だと主張している。同じような主張はオハイオ州コロンバス(1904年),アイオワ州ダベンポート(1906年)からも出ている。議論は続いているが,ペンシルベニアの町には,いちばん先に発案した証拠として,デイヴィッド・ストリクラーが特別注文したボート形の器の請求書兼送り状があると報じられた。ただし,これを書いている時点では,その書類は紛失しているようだ。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.97-98

刺激的な形状

 南北戦争が終結するとすぐに,米国でもバナナが手に入るようになった。とはいえ,初めはぜいたく品で,キャビアと同じように,味を楽しむというよりは社会的地位を示すために消費されることが多かった(ただし,料理用のバナナのプランテーンはスペインの植民地時代から,ずっと南アメリカで主食として親しまれていた)。北アメリカで食されていたバナナは1本10セント——現在の約2ドルで,すでに皮をむかれてスライスされ,アルミフォイルに包まれた状態で売られていた。『バナナ,あるアメリカ史』の著者ヴァージニア・スコット・ジェンキンズによると,フォイルに包んであったのは,バナナのやや刺激的な形状によって,ヴィクトリア人のナイーヴな感受性を刺激しないためだったそうだ。皮をはがれ,熟しきって,大事に包装されていたバナナが,世界にこれほどまでに広がる日が来ようとは,当時は誰も思わなかっただろう。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.81-82

バナナの種類

 アジアからアフリカに向かったバナナの種類は,初め数百種類におよんだが,数千年にわたる農業上の試行錯誤の末に,その数はわずか十種から二十種にまで絞りこまれた。アフリカに到達するころには,遺伝子プールはひと桁台になっていた。この二千年では,アフリカン・プランテーションと東アフリカのハイランドバナナがこの大陸におけるたった二種類のバナナだ。
 もしそのまま事態が変わっていなければ,アメリカ人のシリアル・ボウルに甘いバナナが加わらなかった可能性は充分にある。しかし,西暦650年ごろ,3番目のバナナがアフリカに登場した(ちなみに,4番目のアフリカのバナナは前世紀ごろにもたらされた新しいタイプであるため,ここでは論じない)。最初の2つのバナナは長い年月にわたって根を下ろしているあいだに独自の遺伝的特徴を獲得したが,3番目のバナナは,中東からマレーシアにかけての,インド洋沿岸で見られるバナナに特徴がよく似ている。なかには海を渡ったものもあるかもしれないが,商人が陸路で運んできた可能性が高いと考えられている。7世紀から第1次世界大戦が始まる直前まで続いていたアラブ諸国と北アフリカ間の奴隷貿易の副産物として,多くの果物が伝わった。地域によっては,バナナはぜいたく品だった。10世紀に活躍したイラクの詩人アリ・アル=マスーディは,アーモンド,蜂蜜,バナナで作る菓子“カタイフ”のレシピにバナナを列記していた(カタイフは現在でも食べられているが,ふつうのレシピではバナナを材料にはしていない)。
 アフリカで3番目のバナナは,ようやくこの果物に気づいたヨーロッパ人が,当時形成しつつあったアフリカの植民地(大西洋沿岸のギニアやセネガル,カナリア諸島など)に持ちこみ,最終的にそれが(二千万人のアフリカ人奴隷とともに)大西洋を越えてアメリカ大陸に渡ったのだ。この第3波のバナナを示す専門用語は,“インド洋コンプレックス(IOC)”だが,これには別の名前があり,中東の商人が大陸から大陸に移動するバナナとともに広めていった。分類学者のリンネはアラビア語の“mauz”を借りて,“Musa”をその属名とした。しかし,一般の人々には,誰もが好むこの果物を表わす言葉として,別のアラビア語のほうがなじみが深かったので,そちらがより頻繁に使われるようになった。その言葉とは,英語に翻訳すると「指」を意味する“banan”である。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.71-72

箸文化

 しかも,現在日常の食事に箸を使っている国々の範囲は,中国,朝鮮半島,日本,ベトナムに限られるが,そのなかで箸のみで食事が完結する食事作法は日本だけのものである。たとえば朝鮮半島では飯と汁物はスプーンで食べるものであって,箸はおかずをつまむ程度でしか用いられない。また中国とベトナムでは,箸とスプーンを併用する。日本食は箸のみで食することを基本とし,現在の箸食文化圏のなかで,最も箸を重視していることが分かるだろう。もし箸食文化が中国から渡ってきたものなら,中国には日本よりも豊かな箸文化が残っていなければ辻褄が合わない。

竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.75-76

ラーメン哲学本

 その前に“ラーメン哲学”本というジャンルについて記しておこう。ラーメンで成功した人々が書くのが,ラーメン哲学本である。成功哲学本とは,松下幸之助やスティーブ・ジョブズのような偉大な経営者の生い立ちや人生,ビジネスの哲学について書かれた本のジャンルを指すが,ラーメン哲学本とは,そのラーメン業界版である。ラーメン業界で成功した人々について,驚くほどたくさん本が出ている。すべて集めれば,書店の1つのコーナーを占めるくらいの数にはなるだろう。
 ラーメン哲学本には,ラーメン屋を開業する人のための,原価率,客単価,人件費,回転効率といった経営にまつわるノウハウが書かれていると思いきや,まったくそうではない。多くの本に書かれているのは,生い立ち(悪かった過去とか),ラーメンとの出会い,成功までの物語,ラーメンへのこだわり,弟子の扱いといったことである。大物になると,自叙伝だけでも複数冊刊行されている。
 例えば,ラーメン界最大の成功者の一人,「博多一風堂」の河原成美は,複数の自叙伝を書いている。その中では若き日の犯罪歴(強盗で服役)などを綴り,同時に,臨死体験や内観療法(心理療法の一種)体験についても書いている。
 自分の腕一本で勝負をしなくてはならない世界であり,成功できる人間はごく一握り。そんな,生き馬の目を抜く世界で生きる人間が,宗教やオカルト色の強い自己啓発的な成功哲学にはまるのは珍しいことではないが,他の飲食業に比べ,ラーメンはとりわけそういった傾向が強いようだ。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.242-243

1990年代から

 すでに述べたように,黒や紺色のTシャツに手書き文字で店名が描かれ,頭にはタオルかバンダナというのが,いまどきのラーメン屋の店員のファッションである。多くの店には,手書きの相田みつを風ヘタウマ文字で,意気込み溢れた人生訓——<ラーメンポエム>——が書かれている。そんな現代のラーメン屋の原点は,1990年代後半から急速に定着していく。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.214-215

脅迫状まで

 日本には,国際的に貢献できる独創的な研究もいくつかある。独立行政法人農業生物資源研究所は,1日に1合食べると花粉症を緩和できるという花粉症緩和米を開発した。東京大学大学院農学生命科学研究科は,鉄吸収力の強い組換え稲の開発研究を続けている。世界の土地の約3割は,土壌の石灰岩が多くアルカリ性が強いために鉄が土壌にしっかりと結合してしまい,植物が鉄欠乏となり育ちにくい。しかし,この組換えイネを開発してこうした地域でも生産できるようになれば,諸外国の食料生産に貢献できる。
 現状では,こうした研究も反対運動にさらされ,周辺には影響を及ぼさない隔離圃場試験を行っていても研究者に脅迫状まで来る始末。リスクを把握し制御して大きなベネフィットを得るために,研究と活発な議論が必要だ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.196

遺伝子組換えに対する不安

 日本の大きな問題は,市民の遺伝子組換えに対する科学的な理解が進んでいない,ということだ。内閣府が08年に中学校・高校の教員を対象に意識調査を行っている。基礎知識を確認するため,たとえば「遺伝子組み換え作物には昆虫を殺す毒素を作るものがあり,これを昆虫が食べると死んでしまうが,人間が食べても害はない」という内容の正誤を問うている。この内容は正しいのだが,正解率はわずか21.8%だった。アンケートに答えた教員の75%が授業で遺伝子組換えに関連した授業の経験があるにもかかわらず,である。正しい情報が市民に浸透していないことがうかがえる。
 その結果,遺伝子組換え食品に対する市民の不安は強い。食品安全委員会が09年に実施した食品安全モニター調査でも,「非常に不安」「ある程度不安」とする回答が64.6%に上った。こうした市民感情を受けて,いくつかの自治体が栽培規制をかけている。遺伝子組み換え作物を栽培する前に自治体に届け出て審査を受けることを義務づけたり,一般作物と一定の隔離距離をとるように定めたりするなどしている。安全性への懸念からではなく,市民の「安心」を担保しようとする姿勢が目立つ。
 実際には冒頭で説明したように,組み換え作物の開発企業は,わざわざ反対感情が強い日本で,すぐに種子を売ろうとは思っていない。日本の農業市場は極めて小さく,開発企業にとって困難なリスクコミュニケーションを遂行しながら種子を売る価値などない。


松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.193-194

どこにもリスクが

 遺伝子組み換え食品に限らず,食品の安全性を確認するのは,実は非常に難しい。多くの人は,動物に食べさせて問題がないか確認すればいい,と考えるが,これが難しいのだ。まず,栄養成分としてパーフェクトの食品はなく,化学物質の毒性評価試験のように大量投与試験をすると,毒性が表れる前に栄養の偏りによる影響が出てしまう。
 また,私たちが日常食べている食品も実は,毒性成分を含んでいる。トマトにはアルカロイド類が比較的多く,これもたくさん食べれば体に害になるし,ヒジキには無機ヒ素が多く,英国などは食べるのを禁じているほどだ。ジャガイモの芽や皮にあることで有名なソラニン・チャコニンは,可食部にも少しだが含まれている。多種類の発がん物質も,野菜など多くの食品が含有している。
 しかも,毒性成分の多くは未知のもの。そして,栽培方法や気候変動などによっても,その毒性成分の数や量,質は変わる。さらに,作物は個体差も非常に大きい。
 結局,遺伝子組換え作物にしても非組み換え作物にしても,リスクがある。その比較を動物に食べさせ行っても,差が出たときにそれが組換え技術由来のものなのか,栽培方法や作物の個体差などほかのファクターによるものなのか,区別するのは困難である。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.179-181

リサイクルのリスクは?

 安全だけを追求していくなら,必要のないものは焼却処分してしまうのがもっともいい。しかし,資源の上手な利用,環境保全を考えると,安全追求はほどほど,資源の再利用,リサイクルもほどほどでバランスをとっていく,というやり方に行き着く。
 逆に言うと,リサイクルをするのなら,潜在的なリスクがあることを社会が共通認識として持ち,リスクをどこまで許容するか,という議論しておく必要がある。とりわけ,生き物が絡むリサイクルは難しい。生物の細胞中には,どのような性質を持つかまだ突き止められていないタンパク質や遺伝子がごまんとある。異常プリオンのような致死的なタンパク質,第二のBSEが今後,さらに明らかになる可能性が絶対にないとは言えない。生物の世界はまだ分からないことだらけである。
 また,病原性微生物も環境中に数多く存在する。リサイクルの管理に問題があれば,病原性微生物が一気に増殖し,毒性物質を産生したりもする。生き物のリサイクルはある意味,何が起きているか,何が含まれているか分からないブラックボックスである。
 しかし,日本ではリサイクルのリスクが議論となることは少ない。マスメディアも取り上げない。リサイクルは,「もったいない」を解決する手段として賛美され,それ以上の議論には進展しいない。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.164-165

自然な流れ

 BSE感染牛の国内発生が明らかになった01年当時,「牛に共食いをさせたからだ」という批判が盛んに行われた。01年9月30日の参議院農林水産委員会では,ある議員が次のように発言している。「これはイギリスで肉骨粉が原因だということになっているんでしょうけれども,基本的にいわゆる牛というのは,何万年,何十万年か何億年か知りませんけれども,発生して以来,草食動物で来たわけですね。それに,あるとき,人間の都合で,味がいいからといって瞬間的に,瞬間的といいますか,歴史の長さからいったら本当に瞬間的ですよね,そこで肉食動物,それも共食いをさせようというような状況なわけですよね。これは自然の摂理からいって,変なことを言いますけれども,合うわけがないと思うんですね」。こうした共食い批判は,テレビやマスメディアでも,たびたび展開された。
 だが,それは後付の理屈に過ぎないのではないか?食肉処理をした後の骨や皮,脂肪などを目の前にして,「捨てるのも大変だし,これを上手に使えないか」と考えるのは,当然の発想だったはずだ。
 昔も,皮や脂肪など使えるものは切り取って使っただろうが,20世紀に入って有機溶媒の利用など科学技術の画期的な進歩に伴い,利用できる割合はより多くなった。さらに時代が進んで,作業する人や環境に大きな影響を及ぼし危険でもある有機溶媒をできるだけ使わないようにしたい,と考えたのも当たり前。さらに,そうやって得た“資源”をより有効に利用したいと考え,家畜の中でもっとも高価な牛の飼料にまでしてしまうのも,自然な流れだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.162

人工的は嫌

 保存料,特に安全性が高いとされているソルビン酸の使用量は,他国では年々増加しているという。なのに,日本では保存料無添加がもてはやされる。適正に使われれば安全だと認められているものを忌避し,電気屋化石燃料を大量に消費して冷蔵庫管理をし,早めに捨てる日本人。「なんとなく,人工的なものはいや」という気分の判断,科学的な思考の欠如は,こんなところでも資源の無駄遣いを招いている。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.155-156

そこは引き受けない?

 有機農業は最近,市民から生き物を大切にするとして高く評価されている。市民が,田んぼの生き物を調査するイベントなども開かれ,田んぼが多様な生物を育む場所として歓迎されている。
 しかし,そこで評価されるのは,クモがいてトンボが飛びカエルが鳴きメダカがいる「人に都合の良い自然」である。市民は,クモやトンボが蘇ったと喜ぶけれど,イネに大きなダメージを与えるウンカやカビ,人の健康を損なうかもしれない病原性微生物まで,自然として引き受けようと思っているわけではない。
 実際には,生き物の「選別」は難しい,自然は非常に厳しいものであり,人に都合の良い生き物を蘇らせれば,人に害をもたらすものもまた,蘇る。
 昔,一部の地方の水田や用水路には罹った人が死にも至る日本住血吸虫がいた。用水路がコンクリートで三方を固められ農薬が使われて,中間宿主であるミヤイリガイが生息できなくなり,日本住血吸虫も1976年を最後に報告されなくなった。コンクリートで固められた用水路も農薬も,最近ではとても評判が悪いが,こうした効果もあったのだ。その結果,どこの地域でも子どもたちが水田や水路に入って田植えを経験したり生き物調査もできるようになった。
 だが,ミヤイリガイがまったくいなくなったわけではなく,一部地域には生息している。もしフィリピンや中国の日本住血吸虫が人や生物の移動により入ってきたら,この深刻な感染症が復活する恐れもある。あるいは,温暖化によってマラリアやデング熱を媒介する蚊が日本でも生息するようになり,田んぼが蚊の温床になる可能性もある。
 多様な生物を育む場は,こうしたリスクも秘めている。そのことを,市民は理解しているのだろうか?

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.138-139

自然世界の農薬

 化学物質が遺伝子を変異させるかどうかを確認する有名な試験,「エイムズ試験」を考案したことで有名なB.N.エイムズ博士は,「食品中に含まれる農薬効果を持つ物質の99.99%はナチュラル」という論文を1990年に発表したことで知られている。植物は発がん物質など毒性のある物質を数多く自ら作り出し,それらが食品中には含まれており,人工的な農薬使用による残留は0.01%でしかない,という主張だ。論文ではキャベツに含まれる発がん物質などを解説している。
 農薬をあまり使わない有機農産物は,病害虫の食害などストレスを受けており,農薬を使い病害虫などを防いでいる慣行栽培に比べて,より多くの二次代謝産物を作り出している可能性がある。どんな種類の物質がどのくらいの量を生産しているのか,詳細に調べないと,良い健康影響をもたらすのか,あるいは悪影響となるのか,わからない。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.125-126

トレードオフに気づかない

 私は,除草剤散布1回よりも,草刈り機で2回,3回と除草する方が環境への影響が大きいのではないか,と考える。リンゴ農家が使うタイプの除草剤は,哺乳動物や虫などに対する毒性は極めて低い。蒸気圧も低く揮散しにくく,容易に分解する。除草剤散布の周辺環境への影響は,実際には考えにくい。
 もちろん,除草剤の生産や果樹園までの輸送,散布にも化石燃料が必要でCo2を排出する。機械除草に何リットルの経由が必要かも調査して比較しなければ結論は出せない。だが,現実には「農薬の使用は環境に悪い」という前提で,生産者は機械による除草を行い,労働量の増加,人件費増に喘いでいる。こうして作ったリンゴも,普通の栽培のリンゴに比べてわずかに高い程度の価格でしか売れない。
 同様の例は各地にある。ある自治体は「除草剤を使わず環境に良い稲作を」と農家に機械除草を奨励している。大型機械を動かして除草するときのエネルギー消費は,まったく念頭になく,環境影響にトレードオフが生じていることに気づかぬまま,この自治体は除草剤を使わない稲作に補助金を出している。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.103-104

感覚に左右される

 消費者の過度な新鮮志向は,「食の安全」を求める意識とも重なり合っている。たとえば,小麦粉とあんこで作る饅頭は,衛生的な工場で生産し,包装時には空気を抜き微生物が入らないようにして,脱酸素剤と一緒に包装すれば,現在の技術なら3〜4か月は軽く日持ちするし,味もそれほど大きく変化しない。
 だが,菓子メーカーは賞味期限を3か月とは表示できないという。なぜならば,科学技術の進歩を知らない消費者には,饅頭が3か月もそのまま日持ちするという事実が信じられない。なにか,体に悪いものが入っているに違いない,保存料を入れているのに表示していないのだろう,などと疑う。そうした疑い,苦情を避けるために,菓子メーカーは賞味期限を20日間に設定して販売しているのだ。その結果,消費者はまったく問題のない饅頭を「賞味期限が過ぎたから」という理由で捨てている。
 賞味期限を早めて表示するという行為は,一部の菓子メーカーが売れなかった菓子の賞味期限を張り替えて再度売る「偽装表示」のような問題にもつながった。そもそも,最初に表示した賞味期限が短すぎるため,表示を張り替えて賞味期限を延長しても,品質には支障が出ないことが多い。そのため,一部の菓子メーカーが偽装してしまい,07年に相次いで発覚した。
 食品製造や流通は,消費者の「感覚」に大きく左右される。消費者の欲望とそれに応える食品関係者が,食品ロスを膨らましている。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.94

ゴミ捨て場にしないで

 私には,今も忘れられない言葉がある。食品リサイクルが脚光を浴び,「環境に良いこと」としてマスメディアで盛んに取り上げられていた2000年夏,ある有機農家から言われた。「リサイクルという美名の下に,農地をごみ捨て場にしないでほしい」。食べ残しや売れ残りの弁当などから作られた堆肥や飼料を,生産者は諸手を上げて歓迎しているわけではないと言うのだ。
 堆肥は原料によって含まれる養分の割合が大きく変わるが,日々の食べ残しや売れ残りは,原材料がまちまちで養分の割合が安定しない。フライや調理くずの油かすが多く入ると油分が分解されずにそのまま残って,植物の生育を阻害してしまう。魚のあらには水銀など重金属が多く含まれている場合もある。食べ残しが原料だと,スプーンやタバコの吸い殻,医薬品など異物が混じる可能性も否定できない。故意に毒性物質を食べ残しに混ぜる「犯罪リスク」も想定しうる。つまり,生産者にとって把握できない要素が極めて多くなってしまうことが問題なのだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.86

家畜糞尿処理問題

 古くから土づくりのために堆肥の利用を推し進めてきた産地や有機農業産地で,長年の過剰使用がたたり野菜のNO3濃度や重金属濃度が高くなる例が最近目立っている。ブランドに傷がつくため公表されることはほとんどないが,農業関係者の公然の秘密である。
 さらに,畜産が盛んな地域の偏りも,家畜糞尿処理を難しくさせている。畜産は都会では「臭う」などと言われ嫌われ,多くが郊外へ移転した。さらに,コストを下げるための大規模化,多頭飼育が進み,北海道や南日本など一部の地域に集中し,糞尿も偏在して発生するようになった。一方,野菜や果物栽培は全国で行われている。畜産県で作られた堆肥を運んで有効利用できればよいが,堆肥は水分を比較的多く含み重くかさばり輸送費がかかるため,遠距離輸送は採算が合いにくい。
 その結果,農水省の統計上は「有効利用できる堆肥」となっていても,使われないまま放置されている堆肥が畜産県には大量にある。これらは雨に打たれ,養分の多くは地下水へと流出し,一部は二酸化炭素(Co2)やメタン(CH4),亜酸化窒素(N2O)などとして空気中へ消えている。
 畜産県では一時,糞尿を貯めて発行させメタンを発生させて発電を行い,エネルギー源として利用しようとする動きが起きた。だが,この方法では有機物に含まれるCをメタンに変えることは可能だが,Nなどほかの元素は未処理のまま残ってしまう。メタン発酵発電を夢のエネルギー源のように語り,あたかも家畜糞尿の問題がすべて解決するかのような報道まであったが,完全な誤解である。
 では,コストを無視して畜産県から対比を搬出し全国にばらまけばいいのか?その代わりに製造や運搬に化石燃料が必要になり二酸化炭素を大量排出するのでは,環境によいとは言い難い。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.80-81

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