I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「食・農業」の記事一覧

モーニングサービス

1955(昭和30)年頃から始まり定着した,日本独自の喫茶店文化の代表的なものの1つに「モーニングサービス」がある。朝の時間帯に注文されたコーヒーにトーストやゆで卵などをつけて提供するものだ。
 この発祥地には諸説あり,愛知県一宮市(発祥の店は不明),同豊橋市(発祥店は「仔馬」=閉店),広島県広島市(発祥店は「ルーエぶらじる」)で,個人経営の店主が始めたという。
 実際には現在もベーカリーカフェとして健在で,資料も残る(1956[昭和31]年に撮影された写真に「モーニング」の文字が見られる)「ルーエぶらじる」が元祖のようだ。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.67-68

「何にしますか?」「ブレンド」

これまで指摘してきたように,昭和の喫茶店といえば男性客が主体で,席につくとメニューも見ないで「ブレンド」「アイス」と注文していた。大手チェーンの経営者も,「昔は注文の6〜7割がブレンドとアメリカン,アイスコーヒーだったので,メニュー開発もあまり求められなかった」と証言する。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.49

コーヒーの普及

コーヒーの発見と普及には諸説あるが,エチオピアのカルディというヤギ飼いの若者が,ヤギを追ううちに偶然コーヒーの実を見つけて食べた「カルディ伝説」が最も有名だ。時期ははっきりしないが6世紀ごろといわれている。その後,コーヒーは13世紀末ごろにイスラム圏に秘薬として伝えられ,15世紀には,宗教上の理由で酒を禁じられていたイスラム教徒に嗜好品として広がったという。
 カフェの本場・欧州では,オスマントルコのエジプト制圧後にコーヒーがトルコに伝えられ,東ローマ帝国の首都だったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に,16世紀半ばの1554年にコーヒーを提供する店「カーヴェハーネ」が開店。これが最古のカフェとして記録される。欧州初のカフェは1647年のヴェネツィア(当時は共和国)だという。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.22

回復機能

キノコ類がもつ回復機能は,将来に希望をもたらしてくれる。キノコは環境汚染物質を分解する力を秘めているからである。食べられる“白色腐朽菌”(たとえばヒラタケ)は,車のギアボックスのオイルのような基質の上でも育つことができる。このタイプのキノコは,オイル中の水素炭素結合を切断するのに役立つ。2007年,貨物船Cosco Busan号がサンフランシスコ湾に5万8000ガロンのバンカー重油をばらまく事故があった。ニュースによると「スタメッツ氏が提供したヒラタケの菌糸体が,ゴールデン・ゲート州立公園に新設された施設で回収された重油を処理するのに役立った」という。生物的環境浄化については,まだまだ不明な点が多い。だが,費用効率の高い技術の確率が期待されている。

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.153-154

コンブチャ

最後に,おもにロシア,中国,日本で飲用されている“コンブチャ”について触れておこう。“紅茶キノコ”と呼んだほうがわかりやすいかもしれない。キノコという名がついているものの,じつはこれはキノコではない。その正体は,紅茶を醗酵させて育てた酵母菌である。

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.87

(引用者注:コンブチャ?これか→http://entabe.jp/news/gourmet/8645/kombucha-wonder-drink-released-in-japan)

解毒法

俗信の多くは,まったくの無意味というほかない。たとえば,有名な占星術師で本草学者のニコラス・カルペパー(1610〜1654)が書いた『医学訓令集 A Physicall Directory』から,次のような一節を見てみよう。

キノコは農耕の神サトゥルヌスの支配下にあり,たとえそれを食べて毒にあたった人がいたとしても,軍神マルスの薬草であるヨモギを食べれば,その人は癒やされる。なぜならマルスは,サトゥルヌスのすみかである山羊座で高位にあるからだ。それはサトゥルヌスの好意によってなされる。

 ギリシアの食文化史研究家マリアナ・カブロウラキによると,古代ギリシアではキノコの毒に対する解毒剤の一覧表が使われていたという——たとえば「ラディッシュの果肉,キャベツの葉,温水にハチミツと硝石を混ぜた飲み物」。また,バルトメオ・スカッピは別の解毒法を提案している——「ニンニクをいくつか食べるとよい。ニンニクには解毒作用がある」。

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.83-84

豊富さ

2000年代に入ると,アメリカ中のスーパーマーケットでさまざまな種類の生のキノコが販売されるようになった。いちばん多く出まわっているのは,シイタケ,マッシュルーム,ポルトベロである。民法テレビ局のフード・ネットワークでは,シェフがなにげなくマイタケをきざんだりしている。レストランでは,キノコのクレームブリュレがメニューのひとつに加えられ,T.G.I.フライデーズなどのレストランチェーンではキノコの詰め物が楽しめる。キノコ料理に特化した料理書の数が増え,雑誌ではキノコ採集やキノコ料理の特集が繰り返し紙面をにぎわせている。かつては「地球の異常生成物」と呼ばれたキノコが,最高の魅力を放つものに変わったのである!

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.81

キノコの運命

菌類を好む人が多い地域では,その土地に自生するキノコにさまざまな名前をつけてきた。その一方で,ウィリアム・ディライル・ヘイは次のように記している。

イギリス人の菌類観には理解しがたいところがある。驚くべきことに,ほとんどの菌類には,日常会話で言及するための個別の名前がつけられてこなかったのである。それらはすべて「トードストゥール toadstool」と呼ばれている[トードはヒキガエル,ストゥールは腰かけを意味する。トードには,いやなやつという意味もある]。

 トードストゥールという単語がキノコの意味で最初に文献に出てくるのは,1398年にさかのぼる。フランシスコ会士のバルトロマエウス・アングリクスが書き残し,その死後に刊行された書物のなかで使われているのである。しかし,キノコに侮蔑的な呼び名がつけられてきたのは英語圏に限ったことではない。
 フランス語では,キノコは「悪魔の卵」「悪魔の絵筆」「ヒキガエルの餌」などと呼ばれている。オランダ人はキノコをまとめて「パドストゥール paddestoel(ヒキガエルの腰かけ)」と呼ぶ。ノルウェー語の「パデハット paddehatt」やデンマーク語の「パデハット paddehat」(いずれも「ヒキガエルの帽子」の意)も似たような表現だ。こうした単語が,北ゲルマン語系の言語が話されている深い森を抜け出し,ケルト人のブリテン諸島への進出にともなって各地に広まるにつれて,キノコは魔術と関係をもつようになった。それによって,その後の何世紀にもわたるキノコの運命が決定づけられたのである。

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.17-18

ヒキガエルの腰かけ

菌類を好む人が多い地域では,その土地に自生するキノコにさまざまな名前をつけてきた。その一方で,ウィリアム・ディライル・ヘイは次のように記している。

イギリス人の菌類観には理解しがたいところがある。驚くべきことに,ほとんどの菌類には,日常会話で言及するための個別の名前がつけられてこなかったのである。それらはすべて「トードストゥール toadstool」と呼ばれている[トードはヒキガエル,ストゥールは腰かけを意味する。トードには,いやなやつという意味もある]。

 トードストゥールという単語がキノコの意味で最初に文献に出てくるのは,1398年にさかのぼる。フランシスコ会士のバルトロマエウス・アングリクスが書き残し,その死後に刊行された書物のなかで使われているのである。しかし,キノコに侮蔑的な呼び名がつけられてきたのは英語圏に限ったことではない。
 フランス語では,キノコは「悪魔の卵」「悪魔の絵筆」「ヒキガエルの餌」などと呼ばれている。オランダ人はキノコをまとめて「パドストゥール paddestoel(ヒキガエルの腰かけ)」と呼ぶ。ノルウェー語の「パデハット paddehatt」やデンマーク語の「パデハット paddehat」(いずれも「ヒキガエルの帽子」の意)も似たような表現だ。こうした単語が,北ゲルマン語系の言語が話されている深い森を抜け出し,ケルト人のブリテン諸島への進出にともなって各地に広まるにつれて,キノコは魔術と関係をもつようになった。それによって,その後の何世紀にもわたるキノコの運命が決定づけられたのである。

シンシア・D・バーテルセン 関根光宏(訳) キノコの歴史 原書房 pp.17-18

体液の構成が

13〜14世紀の,男性がたくましく,比較的背が高かった時代,平均的なイギリス人の食糧の大半は穀物だった。6種類の穀物(小麦,ライ麦,大麦,トウモロコシ,オート麦,キビ)が摂取カロリーの75パーセントを占めていたのだ。これを毎日大きなパンにして,濃いスープ(ポタージュ)と一緒に食べていた。そしてこれを飲み込むのを助けつつ,喉の渇きを癒やしたのは,1ガロン(約3.8リットル)の——幸運にも聖職者であれば,もっと多くの——弱いエール(ビールの一種)だった。他には,小さな庭で育てた豆や果物や野菜を食べるくらいで,魚は金曜日と,四旬節(復活祭の46日前の水曜から復活祭の前日まで)の間だけ食べていた。肉はめったに口にできないごちそうで,日常的に食べるのは金持ちだけだった。さらに,そんな時代にも食事の「権威」がいて,サラダと冷肉のように異なる食べ物を一緒に食べてはいけない,間違った順序で食べてはいけない,とあれこれ指導した。「豆を最後に食べてはならない。体液の構成がおかしくなり,腸内が腐敗するからだ」

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.217-218

ナイフの使い方

新しい礼儀作法が定着するにつれて,それは暴力的な装具——とくに短剣——にも適用されるようになった。中世にはほとんどの者が短剣を携帯しており,夕食の際に直火で焼いた動物の死骸から肉を切り取り,突き刺して口に運ぶのに使っていた。けれども大勢が集まる席に凶器を持ち込むことや,短剣を顔に向けることが呼び起こすおぞましいイメージが,しだいに忌避されるようになった。エリアスは短剣の使い方に関する礼儀作法を多数引用している。

 短剣で歯の掃除をしないこと・短剣を持ったまま食事するのはやめ,使うときだけ手に取ること・食べ物を短剣の先に刺して口に運ばないこと・パンは切らずに手でちぎること・人に短剣を渡すときは先端を手で持ち,柄の部分を相手に差し出すこと・短剣を持つときは杖のように手全体で握るのではなく,指で持つようにすること・短剣で人を指ささないこと

 食卓でのフォークの使用が一般的になったのはまさにこの移行期であり,人びとは短剣で食べ物を突き刺して口に入れる必要はなくなった。短剣を鞘から抜かなくてもいいようにテーブルには特別のナイフが用意され,そのデザインも先端が尖ったものではなく丸いものとなった。ナイフで切ってはいけないとされる食べ物もあった——魚,丸いもの,パンなどだ。break bread together(一緒にパンをちぎる→食事をともにする)という言い回しはここから生まれた。
 中世の短剣にまつわるタブーのいくつかは,今日も残っている。ナイフを人に贈るときにはコインを一緒に渡し,贈られた側はそのコインを贈り主に返すという習わしもその1つだ。これによってナイフは,かたちのうえでは売ったことになる。ナイフが「友情を断ち切る」ことのないように,というのが表向きの理由だが,実際には相手が要求していないナイフを相手の方に向けることになる不吉さを,回避するためだと考えたほうがよさそうだ。これと似た習わしに,ナイフを直接相手に手渡すのは縁起が悪いというものがある。渡すときはいったんテーブルの上に置き,相手がそれを取るのがいいとされる。テーブルにセットされるナイフは先端が丸いものとなり,その切れ味も必要以上であってはならない。硬い肉を切るためにはステーキナイフがセットされ,魚料理には普通より切れ味の悪いナイフがセットされる。さらに,ナイフはどうしても必要なとき以外は使ってはならない。ナイフでケーキを食べたり,食べ物を口に運んだり,料理の材料をかき混ぜたりするのは御法度だ(「ナイフでものを混ぜると,いざこざが起きる」という迷信の由来もここにある)——そして,フォークに食べ物を載せるときにも使ってはならない。
 なるほど,そうだったのか!

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.148-149

日本の場合

日本では,1960年から1980年にかけてタコの漁獲量がピーク時の半分にまで落ち込んだ。そこで,国を挙げて長期的なプロジェクトを立ち上げ,タコの産卵エリアを改善して個体数を増やそうとした。毎年,1万2000から1万7000個のタコ壺や岩を海に沈めて,タコの隠れ家や産卵場所を増やし,おかげでタコにとってはるかに住みやすい環境になった。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.45

受け入れられるリスク

さらに近年,生物多様性の「ゆりかご」としての水田が注目されているが,水田はそもそも食料生産の場であるため,生産か保全かといった価値観の対立を生みやすい。農業という行為は単一の生き物(作物)を高密度で育て,ほかの生き物(害虫や雑草など)を排除する行為である。ここで,水田で虫が死んではいけないという農業の基準値がつくられたら,食料生産どころではなくなってしまう。「何をどれだけ守ればよいか」という保全目標についての議論はここが最も難しいところであり,ゴールはまだまだ見えない。欧米では大変盛んな保全目標をめぐる議論が日本ではほとんどみられないのは,健康影響における「受け入れられるリスク」について日本ではほとんど議論されないのと同様の状況である。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.222

水道で感染症

現在の水道の状況に慣れていると,水を飲んで下痢になるとか,運が悪ければ死に至ることがあるというのは,なかなか考えにくいことかもしれない。しかし,たかだか60年前には水道の普及率は30%程度であり,赤痢やチフスなどの水系感染症(水を飲むことでかかる感染症)の患者は年間10万人以上も発生していた。実はいまだに,飲み水が原因で病原性微生物に感染し,下痢などの症状が出た事例は毎年起きている。大半は,比較的規模が小さい施設や飲用井戸などにおいて,消毒装置が壊れたり,消毒剤を入れなかったりしたことで起きたものである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.91

リスクとベネフィット

ひじきについての評価が日本と外国では大きく違うと,さきほど述べた。だが見方を変えて,がんという病気はそもそも長寿でなければかかりにくい病気である,と考えれば,両者の評価は決して矛盾しない。がんを心配するよりも,長寿を喜んだほうがよいのかもしれない。
 さらに,われわれ日本人は,コメを主食としながら世界屈指の長寿民族となっている。「10万人に1人」のリスクレベルの100倍以上のコメを毎日食べているにもかかわらず,である。日本食には,ヒ素のリスクを大きく上回る健康上のベネフィット(利益)があるのかもしれない。
 こうしてヒ素の例について考えていくと,日本人はそのリスクを高いレベルで受け入れているという見方もできる。基準値を多少,超えた,超えないで一喜一憂することが,いかに無意味であるかに気づかされる。あえてその国の食文化を壊してまで,一律の目標リスクレベルで基準値をつくって規制することは,つねに正しい選択とは限らないのである。英国やカナダではもともとひじきを食べないし,コメも主食ではない。だから禁止したところで,影響は小さいのだ。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.60-61

ひじきの発がん性

カナダの食品検査庁は2001年に,ひじきは発がん性のある「無機態のヒ素」の含有率が非常に高いので,消費を控えるよう国民に勧告している。また,英国の食品基準庁も2004年に,やはり無機態のヒ素が含まれているとして,ひじきを食べないよう勧告した。香港やオーストラリアも,この流れに追随している。
 ヒ素は海藻類や魚介類に多く含まれていて,これらを多く摂取する食文化がある日本人は,諸外国と比較するとより多くのヒ素を摂取している。ただし,ヒ素の毒性はその化学形態が無機態か,有機態かによって異なり,毒性が問題になるのは無機態のヒ素である。海藻類や魚介類中のヒ素はほとんどが有機態であり,無機態のヒ素の割合は数パーセント以下である。ところが,ひじきだけは無機態のヒ素が約60%と非常に高い割合になっていることが調査で明らかになり,ひじきがとくに問題視されるようになったのである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.55-57

なぜ危険な餅は禁止しないのか

こんにゃくゼリーが危険だというなら,なぜ餅は禁止すべきという声が上がらないのだろうか?それは餅が日本の食文化として根づいていて,伝統的な正月行事にも必要だからである。もしも餅がなくなれば,日本人は文化の面で困ることになる。だから高い窒息リスクはあるにもかかわらず,日本人はそれを受け入れているということができる。つまり,餅はリスクの受容レベルが高い食品なのである。
 一方,こんにゃくゼリーは登場してから間もないため,日本の食文化として根づいていない。禁止しても困る人は少ない。だから餅よりもリスクは低いのに,そのリスクは受け入れられないということになる。
 こうした理由から,餅を禁止せよという声より,こんにゃくゼリーを禁止せよという声のほうが大きくなるのである。つまり,リスクの大きさとリスクの受容レベルは必ずしも一致しない。リスクの大きさだけを検討して科学的に基準値を作ればいいというわけではいかないのが,食文化がからむ基準値の難しさである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.54

窒息の確率

食品安全委員会はこんにゃくゼリーによる窒息事故を受けて,各食品の窒息頻度を評価した。これは,食品別の年間窒息事故の頻度を,その食品が年間で何口食べられているか(食品の年間消費量÷一口量)で割ったものを一口あたりの窒息頻度として,比較可能なリスクとして表現したものである。
 その結果,一口当たりの窒息頻度が最も高いのは餅であり,2番目が飴だった。こんにゃくゼリーは3番目で,パンの窒息頻度と同程度であった。餅による窒息頻度が多いのは,単に食べる機会が多いからではなく,一口当りの事故頻度で見てもトップクラスのリスクがあるためと判明したのだ。米飯も救急搬送例は多いものの,食べられている量が圧倒的に多いため,一口当たりのリスクでは小さい数字となる。
 こんにゃくゼリーによる窒息が受け入れられないリスクであると考えるならば,これが規制されるように線引きしなければいけない。ところが,そうすると真っ先に規制されるべきは餅であり,飴である。さらにはパンまでが規制されるかもしれない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.53-54

食の安全と食文化

このように,食の安全は,食文化と大きく関係する。一概に,安全性だけを考慮して基準値で線引をするわけにはいかないのである。多くの日本人は,フグや餅のリスクが高いことは正しく認識できているが,それらは日本の食文化に深く根づいている食材だけに,規制することが難しい。このことは,これらの食材はリスクが高いが,それ以上に,そのリスクが人々に受け入れられる「受容レベル」が高い状態にある,と言い換えることができる。
 現在,リスクについての考え方は,「安全」は科学的・客観的に決められることであり科学者が判断するもの,「安心」は心理的・主観的なことであり情報提供や教育によって向上するもの,という「安全・安心二分法」が一般的となっている。ところが,これから本章で示す例ではいずれも,そのような考え方は通用しない。食において科学的な基準値を適用することが,いかに難しいものであるかを感じていただきたい。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.51

3秒ルールに根拠はあるか

3秒ルールは完全にナンセンスなのか,多少なりとも科学的な合理性があるのか。じつは米国や英国では,真面目に調査している人がいる。2003年に高校生のジリアン・クラーク氏はイリノイ大学で,大腸菌が塗られた床材に,グミや砂糖のかかったクッキーを5秒間置いたのち,菌数を数えた。その結果,ザラザラした床でもなめらかな床でも,大腸菌がクッキーにつくことを報告している。クラーク氏はこの功績により,2004年度のイグ・ノーベル賞を受賞した。2006年にはクレムゾン大学のポール・ドーソン氏が,さまざまな材質の床(タイル,フローリング材,カーペット)にチフス菌がどれだけいるか,また,床に置いたハムやパンに付着する菌数と,床との接触時間にはどのような関係があるかを調べた。その結果,タイルでは接触時間5秒で,ハムに約70%,パンに約50%,菌が付着した。また,床に落ちた食べ物に息を吹きかけゴミを払っても除菌の効果はなかった。ドーソン氏はこれらを総合して,“five-second rule”はただの神話にすぎず,食中毒を防ぐには衛生管理が大事である,と至極まっとうな主張をしている。
 同じことを考える人はいるもので,英国アストン大学のアンソニー・ヒルトン氏は2014年に,床の大腸菌などがトーストやパスタに移るかという同様の実験を行っている。ドーソン氏と違うところは,接触させる時間を3秒から30秒までさまざまに変えているところである(物好きだ!)。その結果,接触時間と床材によって菌の移り方は異なり,カーペットの場合は5秒後もほとんど菌が移っていなかったという。3秒ルールは場合によってはありなのかもしれない,とも思わされる結論である。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.48-49

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