I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「食・農業」の記事一覧

食中毒を防ぐには

 食の安全問題を追求する消費者擁護団体,アメリカ公益科学センターによると,ホウレンソウとレタスは,肉以外で発生する食中毒の原因の24%を占めており,食中毒患者のなかには長期にわたる身体障害に陥ったり,死に至ったケースもある。2011年の夏,大腸菌に汚染された野菜でヨーロッパで40人以上の人々が亡くなった例もある。原因は,動物との接触,不潔な水,汚れた洗浄器具または不衛生な取り扱いである。この話から得られる教訓は,夕食で食中毒を起こすのを防ぐには,作家デヴィッド・ソロー的発想の生き方に回帰しなければならないということだ。何よりもシンプルで,おそらく安全な対策は,店で買った野菜は徹底的に洗い,サーロインを目の前で挽いてくれる肉屋でしかひき肉を買わないようにすること。そして,皿に載る食べ物が農場から食卓に届くまでの情報をできるだけ集めることだ。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.136

嫌悪感は気持ちが決める

 私はチーズ好きだが,虫はどうしても苦手だ。だから,難題となる発酵食品は,カース マルツゥである。カース マルツゥはイタリアのサルディーニャ島でよく食べられている羊のチーズだ。「腐ったチーズ」,俗に「うじ虫チーズ」と呼ばれていることからもわかるように,このチーズには文字どおり生きたうじ虫がひしめいている。このうじ虫チーズを作るには,まずこの地方で作られる羊のチーズ,ペコリーノ サルドの厚切れを用意する。そのチーズは,通常の発酵を通り越し,腐っていると思われかねない状態まで,放置する。腐敗していく途中で,チーズバエの幼虫が加えられ,このハエの消化器官から出された酸がチーズの脂肪分を分解するためそのまま分解が進むとチーズは最後にとても柔らかくなり,どろりとする。食べ頃になったカース マルツゥには通常,何千もの幼虫が宿っている。それどころか,地元の人々は,幼虫が死んでいるカース マルツゥは危ないと考えている。そのため,生きた幼虫が蠢いたままで,供される。
 この幼虫は,白く透き通った蠕虫,つまりうじ虫で,太町はおよそ8ミリほど。うじ虫を取り除いてからチーズを食べる人もいるが,取り除かず食べる人もいる。うじ虫がまだ蠢いている状態でこのチーズを食べる時には,この無視が自分やあたりの何かをめがけて飛びかかってこないように,手でチーズを覆う必要がある。刺激を与えると,うじ虫たちは15センチもの高さまで跳ねることがあるからだ。このチーズは,サルディーニャ特産のパンと強い赤ワインと一緒に食することが多い。このカース マルツゥさえ「食べてはいけないチーズ リスト」に載せておけば大丈夫,などと思ってはいけない。ヨーロッパの他の国々でも,生きた昆虫を使ってチーズを醸成しているのだから用心が必要だ。たとえば,ドイツのミルベンケーゼやフランスのミモレットは,どちらもチーズの熟成や風味を出すのに,ダニの力を借りている。
 ここまで読んで,こうした数々の発酵食品への私の説明にあなたが嫌悪感を覚えたとしても,無理はない。最も原始的な嫌悪感情の生来の目的は,私たちが,腐敗して毒性をもつ食べ物を口にしてしまうのを避けさせることにあるからだ。だとしたら,なぜ,発酵した唾液や腐敗したサメやうじ虫蠢くチーズが,これほどまでに私たちを惹きつけるのか?これは単に,腐敗のありとあらゆるシグナルを放つものを食べたがってしまう,という人間のおかしな矛盾にすぎないのだろうか?そうではない。ほとんどの場合,何かに嫌悪感をいだくか否かというのは,見る側の気持ちが決めるものだからだ。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.8-9

つまらなくなった

 昔のこんにゃく農家は生イモを切り干しにして荒粉という長期保存のきく形で蓄え,そのときどきの相場変動をみながら出荷することで大きな利益をあげることが可能だった。昭和30年代ごろまで,こんにゃく産地では「うちはよその半分しかイモをつくらなかったけれど,ムラのだれよりも儲けた」といった自慢話が聞かれたという。そうしたことが可能だったのは,蓄えた荒粉をうまく売ったからである。
 つまり昔のこんにゃく産地では,イモをもっともたくさんつくった人がもっとも儲けたわけではなかった。もっとも巧みに売る人がもっとも儲けられる人であり,そこにこんにゃくという作物の大きな特異性があった。南牧村の老人たちが「こんにゃくはおもしれえよ」といったのは,そういうことを意味していたのである。
 しかし,火力乾燥機の普及によって農家で荒粉がつくられなくなると,農家はイモ栽培専従となり,利益をあげるには収穫量をふやすしか道がなくなった。それはイモの生産増大をもたらしたが,農家にとって,こんにゃくの魅力は半減した。おそらく火力乾燥機が普及した昭和40年代を境に,農家のこんにゃくに対する向き合い方が変わったはずである。この時期に,生産意欲を失った農家も少なくなかっただろうと推測する。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.192-193

流通バランスの崩れ

 かつて,こんにゃくの荒粉は農家の店先で1週間,天日干しにしてつくられていた。昭和40年代の初めごろまで,そうやってつくられるのが当たり前だった。しかし,いま原料業者が導入している大型乾燥機を使うと,生イモを放り込んで2時間でカラカラに乾いた荒粉が大量にできてしまう。荒粉の製造工程は,機械化によって1週間から2時間に短縮されたのだ。
 製粉工程のほうはどうか。昔の臼による製粉では,1貫(約4キログラム)の荒粉を搗いて製粉にするのに12時間を要した。ひとつの臼に入れられる量は荒粉一貫で,仮に100キログラムの荒粉を製粉にしようとすると杵25本を12時間稼働させなければならない。これが現在の製粉機だと,100キロの荒粉なら45分で処理してしまう。
 つまり,いまの乾燥機と製粉機を使えば,生イモから製粉まで3時間しかかからない。イモを粉にすることくらい,現代のテクノロジーをもってすればたやすいことだ。
 だが,この度を超した生産効率の向上は,こんにゃくがそれまでもっていた生産・流通のバランスをすっかりくずしてしまった。
 それは,こいうことである。各業者とも乾燥機と製粉機をそなえ,てぐすね引いて秋のイモの収穫を待っている状態のため,秋になるとイモの争奪戦が始まり,イモの相場を吊り上げることになった。ふつう出来秋は作物が豊富で値が下がるものだが,こんにゃくにかぎっては,奇妙な逆転現象がおきるのである。
 確保したイモを機械がたちまち粉にしてくれるのはありがたいが,問題はそのあとだ。1週間も向上をフル稼働させれば膨大な製粉をつくりあげてしまい,それはすなわち在庫だから,どんどん売らなくてはならない。そのため,いっせいに売り競争が始まり,値を下げて利幅がなくなっていく。早い話,機械化による増産が安売りを生み,自分たちで自分の首をしめているのである。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.183-185

相場勝負

 そもそもこんにゃく業界は,生産農家,仲買人,原料問屋(業界では俗に「粉屋」という),製造業者(同じく「練り屋」)の4者からなるが,農家はつくったこんにゃくイモをなるべく高く売りたいのは当然である。その農家からイモを買いつける仲買人と粉屋は,なるべく安く仕入れて高く売ったほうが利益が大きい。しかるに,練り屋は原料を高く買わされては儲けが経るばかりだから,安く仕入れないと商売にならない。
 つまり4者とも利害関係はばらばらで相反するから,みな一度にそろって儲かるということは道理上ありえない。ただ,何年かをひとくくりにして眺めれば,4者それぞれひととおり損もすればトクもしていて,そういう意味では公平なのである。
 とはいえ,つねに欲をかいて目先の利益を求めるのが人間の性だから,とくに利ザヤによる利益が大きい中間業者の原料問屋は,相場の先をにらんで同業者どうし裏のかき合い,だまし合いが常態化する。
 相場は需給バランスで決まるため,粉の場合,各地の練り屋からの注文が増えると,上がりはじめる。下仁田には最盛期,大小合わせて70件ほどの原材料問屋があったが,全国に得意先をもつ大手問屋のほうが注文が入りはじめるのが早い。そこで情報をさぐるため,よその問屋の主人が用もないのに大店の店先へ始終やってくる。当たりさわりのない世間話をしながら,番頭の顔つきや店の気配から相場の行き来を察知しようとするのだ。
 むろん大店も心得ていて,うかつなことは漏らさない。それで,かつて粉屋どうしの会話は「こんにちは」と「さようなら」の挨拶以外はみんなウソだった——と下仁田では語り継がれている。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.168-169

もっとも必要になったのは

 ろくに腹の足しにもならず,格別うまいわけでもないこんにゃくを人がなぜ食うかといえば,なんとなくそこにあるから箸をのばす,という説明がもっとも適切であるような気がする。食べれば食感がぷりぷりとして独特だから,知らず知らずのうちにその食感を求めて箸をのばすのがこんにゃくであって,それ以上でもそれ以下の食べ物でもない。日本人はなぜか豆腐の味にはうるさいが,こんにゃくの味のよしあしについて講釈をたれる人は見たことがない。
 つまり人びとの日常において,こんにゃくはあってもなくてもかまわない。そのこんにゃくが史上もっとも必要とされたのは,日本の存亡をかけた大戦中であり,しかも米本土攻撃という,きわめて大胆かつ奇想天外な近代兵器においてであった。
 ちなみに,前述のようにふ号の気球ひとつにつき使用されたこんにゃく粉は90キログラムだから,打ち上げられた9300発に使われたこんにゃく粉は,しめて約840トンとなる。粉は30倍の水で糊にされたから,費やされたこんにゃく糊は約2万5千トン。2万5千トンのこんにゃく糊といってもピンとこないが,これをいま市販されている板こんにゃくにすると,ざっと1億枚が風船爆弾のために使われた計算になる。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.132

こんにゃくと風船爆弾

 風船爆弾は正しくは「ふ」号兵器といい,昭和19年11月から翌20年4月にかけて,福岡県勿来,茨城県大津,千葉県一宮海岸の3ヵ所から計9300発が打ち上げられた。水素を詰めた気球に15キロ爆弾と数個の焼夷弾を吊り下げ,これを太平洋上空の偏西風に乗せて,アメリは本土攻撃をおこなうという壮大な作戦だった。9300発のうち推定1千発がアメリカ大陸に到達したといわれ,各地に山火事を起こした。しかし季節が冬だったため,雪が火を防ぎ,いずれも大規模な森林火災にはいたっていない。
 ただ,オレゴン州で森に引っかかっていた巨大な気球を,たまたまピクニックに来ていた子どもたちが見つけ,おそらく気球とロープでつながっていた爆弾に触れたのであろう。突然爆破を起こし,子ども5人を含む6人が死亡している。
 このふ号の気球が,和紙とこんにゃくでできていた。
 材料に和紙とこんにゃくが使われたことについて,日本が資源に乏しかったためとする見方があるが,こえは必ずしも正しくはない。資源に乏しかったのは事実としても,陸軍がこの秘密兵器に和紙とこんにゃくを採用した理由はそれだけではなかった。気球の素材といえば,まずゴムが一般的だが,じつは当時,ゴムよりも和紙とこんにゃくのほうが素材として数段すぐれていたのだ。
 ふ号はそもそも昭和17年4月の米軍による東京初空襲に対する報復手段として浮上してきた作戦で,兵器の開発は第9陸軍技術研究所(通称・陸軍登戸研究所)によって進められた。開発にあたり,陸軍では球皮の材料としてゴム引き布,合成樹脂,各種油脂,各種糊剤などの気密性測定をおこなっているが,そのなかで最もすぐれた結果を出したのがこんにゃく糊であった。
 のちに米軍も飛来してきたふ号を徹底解剖して驚いている。球皮を調べた結果,その水素漏洩率は1平方メートル当たり1日に0.98リットルで,これは当時米軍が使っていたゴム引き気球の10分の1だったことが判明したからだ。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.118-120

こんにゃくを食べるとは

 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に,こんにゃくについて,

 生の蒟蒻には毒あり,鼠之を食して死に至るを以って知るべし

 と記されており,真偽不明ながら,あの目を剥くような刺激からすると,この記述はまんざらウソとも思えない。こんにゃくイモの産地では,むかしからときどき猪による被害が報告されているが,猪が食うのはエグ味のない種イモばかりで,大きく育ったイモは絶対に食べないという。農作物ならなんでも食い散らす猪ですら唯一食わないのがこんにゃくイモであり,これは野生動物にも食物とは認識されていないのである。
 そんな,つまりは「毒芋」を食べられるようにしたのが,こんにゃくなのだ。しかも食べられるようにするには,イモを摺りつぶして,しばし寝かせたのち石灰をまぜて固め,ふたたび寝かせて小一時間ほど煮てアク抜きをするといった面倒な手順を踏まなければラナ内。同じイモながら,そのまま煮たり焼いたりすればすぐに食べられるジャガイモやサツマイモとは,まったくちがう。
 さらにつけ加えれば,こんにゃくイモは多年生の植物で,寿命が5年ほどあり,イモがこんにゃくにできるほどの大きさに育つまでに3年ばかりを要する。つまり,最初に植えた種イモはその年の秋にはまだ小さく,2年目の秋を迎えてもまだ十分な大きさとはいえず,3年たってようやく1人前のこんにゃくイモとなるしかも,こんにゃくイモは寒さに弱く,冷気にさらしておくと傷んでしまうため,こんにゃく農家では,秋になるとイモを掘り起こして,冬のあいだ室内で保管し,春にまた植えるという作業を繰り返さなければならない。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.10-11

下水処理水のほうが清潔

 ときには下水処理水が飲料水より清潔なこともある。ある下水処理場の職員はこう言った。「ばかげてますよ。大金をかけて高水準の下水処理水をつくっておきながら,それを川に流してまた汚してしまうとは」と。もう1つのばかげたことは,飲料水に正亜リン酸を混ぜ込み——老朽化した水道管から滲出する鉛を中和させるためだ——その結果,下水処理水からリンを取り除くはめになっていることである。
 下水処理水の再利用は,カムフラージュすればうまくいきやすい。このテクニックは,軍国主義にふさわしいようで,イスラエルで使われた。ロンドンで開かれた下水会議で,イスラエルのメルコット下水処理会社の美しい女性が,プレゼンテーションを行った。グレーのスーツで埋まった会場でひときわ目立つ彼女は,メルコット社は下水処理水を帯水層に通し,帯水層から取り出して,飲料水として使用していると説明した。「そこが,人々の心理に訴える重要なポイントです」と彼女はうっとりと見守る観衆に向かって言った。「その水が帯水層から出たものだと人々に知らせることが大切なのです」。
 これは,人々の糞便への嫌悪感をやわらげるうまい方法である。けれども,そもそも汚水を出さない,そして水をむだにしないことができるなら,それにこしたことはない。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.345-346

下水処理水の再利用

 再利用を推進しようとする人々には,この嫌悪感を迎え撃つ2つの主張がある。まず,下水処理水の再利用は,農業ではすでに広く行われているということ。そして,知らぬうちにとはいえ,下水処理水はすでに広く飲まれている,ということだ。数えきれないほど多くの街の水源に,数えきれないほど多くのほかの町から未処理の汚水や下水処理水が流し込まれ,汚物を含む水源を利用して,飲料水がつくられている。ロンドン子が飲んでいる水道水は,7人分の腎臓を通過してきたものかもしれない,というのはおそらく言いすぎだが,少しは真実が含まれている。なぜなら,ロンドンでは,浄化された下水処理水が流し込まれたテムズ川の,その下流から飲料水をとっているからである。実際,アメリカでもいくつかの自治体で,この「飲料水としての間接的再利用」が行われている。アッパー・ココアン下水道局から流出する下水処理水は,オココアン貯水池への流入水の20パーセントを占めているが,その貯水池は,ヴァージニア州フェアフォックス郡の住民の飲料水の水源である。ここでは,干ばつ時には,下水処理水の流入量を90パーセントまで増やすことが認められている。下水道局は,高水準の下水処理が施された処理水は,貯水池に流れ込むほかのどんな水よりも衛生的だ,と述べている。トイレはすでに蛇口に届いていたのだ。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.344

汚泥の汚染度

 汚泥には栄養分があるため,それを餌とする藻類が海中に繁殖しすぎて,水中に溶けている酸素を吸い尽くす。すると,ほかの生物が海に棲めなくなってしまう。汚泥が海を窒息させてしまうのだ。1989年には,海藻が大繁殖して,貝の養殖場が大きな被害にあった事態を受け,海洋投棄以外の汚泥の処理法を考えなくてはならなくなった。アメリカは,乾燥重量にして,年間700万トンの汚泥を産出していた。その捨て場所が必要になったのだ。
 このとき,だれかが19世紀のヨーロッパのことを思い出したにちがいない。19世紀の初めに下水設備が普及するまでは,自分の家族の未処理の汚物を自分の畑にまくのが,一般的な農家の汚物処理法だった。当時,パリの郊外にあるジェヌビリエでつくられる野菜には,パリのレストランから注文が殺到していた。カリフォルニア州,パサデナにある汚物を肥料に使う農場では,高品質のウォールナッツが収穫されていた。その後の安価な化学肥料の登場で,汚物を肥料とする農業に経済的価値はなくなったが,基本的には理にかなったやり方だ。適切な処理を施せば,下水汚物も栄養のサイクルの一環となりうる。食物が人間に栄養を与え,人間の汚物が食物に栄養を与えるのである。
 けれども,19世紀の終わりごろには,下水汚物は,人の糞尿だけを含むものではなくなり,そして昔ほどよいものではなくなっていた。下水に流されるものは,すべて汚泥に含まれている可能性がある。アメリカの産業界は,現在十万種の化学物質を使用しており,さらに毎年千種類の化学物質が新たに加えられていくと考えられている。この化学物質のなかには,PCBやフタル塩酸,ダイオキシン,その他の発がん性物質が含まれている可能性がある。また,汚泥には,あらゆる場所から集まった病原菌を含んでいる危険性がある。病院や葬儀場から出た廃棄物には,SARS,結核,肝炎などのウイルスが混入しているかもしれない。
 「〜の可能性がある」とか「〜かもしれない」という表現にならざるをえないのは,汚泥に含まれているものを正確に知ることは不可能だからだ。法律上は,企業は危険な化学物質や廃棄物を事前に処理することになっているが,その点についての監視はほとんどされていない。それに,いずれにしても,何千種類もの化学物質が,互いにどう反応し合うか,そして近くに潜む病原菌との間にどんな反応が起きるかは,だれにもわからないのだ。もっとも楽天的な見方をする人は,汚泥のことを,「未知なるものの混合液」だと考えている。それ以外の人々は,汚泥は有害そのものだ,と考えている。汚染物質を取り除いて濃縮し,汚泥にすることによって,水は浄化される。しかし,水の浄化処理の精度が上がったぶんだけ,残った汚泥の汚染度は高くなるのである。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.233-235

肥沃さの原因

 世界のどの民族を見ても,おそらく中国人ほど自分たちの排泄物に慣れ親しんでいる民族はいないだろう。中国人は排泄物の価値を知っている。道路わきの畑に糞便をまく彼らは,人糞を畑の肥やしにする中国四千年の伝統を受け継いでいるに過ぎない。下肥,つまり夜のうちに汲み取られる肥やしを使ってきたからこそ,四千年間ずっと農業を続けてきたにもかかわらず,中国の畑や水田の土はいまなお肥沃なままなのだ。一方,他の偉大な文明——たとえばマヤ文明は,土壌が劣化するとともにその力を失っていった。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会

水兵の食事

 とりあえず,水兵たちには“十分な食事”が1日に3回与えられていた。彼らの四角い食事用ブリキ容器には,見た目のまずそうな食事が,量だけはたっぷりと盛られていたが,メニューは1週間ほとんど変わりばえがしなかった。その食事の中心は塩漬けにして樽に保存された肉だったが,この肉は食べる前にまず真水につけておく必要があった。いっぽう炭水化物は,乾パンのかたちで摂取された。これは小麦粉と水で作られた長期保存のきくパンだが,いかんせんゾウムシがつくことが多いのだ。ムシがつけばたんぱく質は増えるが,決して食欲をそそる代物ではない。そして野菜は,水で戻した干し豆だけだった。
 たしかに,18世紀の労働者にすれば,この食事もわれわれが思うほど悪いものではなかっただろう。それでも,食糧に関する苦情について触れた海軍条例があるところをみると,船の厨房が必ずしも問題のない場所ではなかったようである。
 だが,唯一の喜びである酒だけはたっぷりと支給されていた。乗組員たちは1日につき,450グラムの乾パンと450グラムの干し肉,そして4.5リットル,つまりパイントグラスに8杯ものビールが与えられていたのである。だがこれは,たいしてアルコールの入っていない弱いビールで,本当に問題だったのは“グロッグ”のほうだ。
 乗組員は全員,1日に半パイントのラム酒の配給を受けていた。これに水を混ぜたものがグロッグだ。言ってみれば彼らは,アルコール度の低い8パイントのラガービールと,ラム酒のコーク割り12杯に匹敵する量の酒を胃に流しこんで仕事をしていたというわけだ。檣楼員たちは年がら年中酔っ払った状態で,策具を飛びまわっていたのである。

トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.250-253

水が必要

 水の運搬は,なくてはならない仕事だった。都市が成長し,きれいな(比較的きれいな)水の供給が大きな問題になっていたのだ。水といってもそのほとんどは飲用水ではない。飲むには,まずい,濁ったり汚染されていたりする水よりも,ビールやワインのほうがはるかに好まれていた。しかしそれでも,料理や洗濯に,子どもに飲ませるために,水は必要だ。肩に担いだてんびん棒から水の入った樽をぶら下げた男たちも,スチュアート朝時代の生活の一部だった。

トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.175-176

サメの食い方

 そのあと,ヴァイキングたちが行儀よく手を洗ったとして,祝いの席にはどんな料理が並ぶのだろう?種類はたかがしれていた。新鮮な魚か,スモークした魚,岩のように硬い塩漬けのタラ,あるいはちょっとした珍味として,これを食べなければいけないのなら,どんな仕事も最悪になってしまうもの——発酵させたサメがあった。
 今日でもアイスランドとグリーンランドでは珍味として食されているが,ロンドンのレストランに登場したら衝撃を与えることは必須だろう。たぶんかつて,どこかの誰かが釣ったばかりのニシオンデンザメ(グリーンランドシャーク)の肉を生のまま,発酵させずに食べてみたに違いないが,その経験が書き残されていないのは,シアン化物が含まれていたからだ。無害化するには,内臓を抜いて軟骨と頭を切り落としたサメ肉を,夏期なら6週間,冬季なら3ヵ月,地面に埋めておく。その間にバクテリアがシアン化物を分解し,サメ肉から水分が抜ける。歴史学者の中には,遠い昔にはバクテリアの働きを促進するため,埋める前の肉に小便をかけたという説を唱える人もいる。ようやく掘り返されたとき,発酵の進んだサメはやわらかく,アンモニア臭を放っている。それを洗って,乾燥小屋に干すこと2ヵ月。全体をおおっている茶色の外皮を取り除いて,肉を小さく切り分けたら,ようやく口に放りこめる。そのときサメは,やわらかなチーズのような粘度を持った食物になっているのだ。

トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.54-55

リン鉱石発見

 1896年,ナウルに停泊した船の船長ヘンリー・デンソン(Henry Denson)が,化石化した木のような奇妙な石を手に入れた。パシフィック・アイランド・カンパニーに勤務する彼は,これをシドニーの本社に持ち込んだ。この石は彼の事務所の床に数年間,無造作に放置されていた。3年後の1899年,同じくパシフィック・アイランド・カンパニーに勤務するアルバート・エリス(Albert Ellis)の目にとまり,エリスはでん損にこの石を分析したいから貸してほしいと申し出た。すると,なんとほぼ純粋なリン鉱石で会ったことが判明した。ちょっと伝説めいたこの発見の物語の背後では,リン鉱石とナウルの人々の運命が決定されたといえよう。
 アルバート・エリスはオセアニアでリン鉱石を血眼になって探していた。パシフィック・アイランド・カンパニーはリン鉱石の鉱脈をいくつか開発していたが,土壌がやせているイギリスの自治領オーストラリアにとっては,充分な量ではなかった。オーストラリアの農業には肥料が必要であったことから,化学肥料の主要な原料となるリンが欲しかったのである。純度の高いリン鉱石のナウルでの発見は,状況を一変させた。これはオーストラリアにとっても,ナウルにとっても事情は同じであった。

リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.34

その動物は健康か?

 最近の動物福祉の運動のなかでは,アプローチをもっと単純化して「その動物は健康か?」「その動物が必要としているものを与えているか?」と単に問うにとどめるべきだと提唱されるようになった。この考え方は,オックスフォード大学で動物福祉を研究するマリアン・ドーキンス教授によって導入されたもので,彼女の目的は動物福祉の評価基準を単純化するところにある。
 ドーキンスの2つの問いは,酪農用に飼われているウシの群れを対象に直接問えるようなレベルにまで問題を具体化するが,その射程には依然として限界が存在する。やっかいなことに,私たちはすべての動物を同じ見方で捉えているわけではないのである。
 たとえば2つの問いは,牛舎で飼われている肉牛,バタリーケージ[多段式のケージ]で飼われているニワトリ,海中の囲いのなかで飼育されている魚,養殖池で飼育されている小エビ,これらのいずれに対しても等しく問える。福祉の配慮をウシやニワトリにまで広げるのは確かになぶさかではなかろう。
 本書では,さらにそれを進めて,魚にも同様の保護を与えるべきかどうかを,そしてそうすべきなら,それは何を意味するのかを考える。
 だが,小エビに対して福祉の配慮が必要なのか?
 どこにどうやって線を引けばよいのか?
 それらの問いに答えるには,どのような基準が重要なのかを,また,ある動物が適切な福祉の配慮を必要としているかどうかを,どんな特徴によって判断できるのかを検討しなければならない。それにはいくつかの方法があるが,まず何よりも最初に問われるべきは,「その動物は痛みや損傷によって苦しむのか?」である。

ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋 洋(訳) (2012). 魚は痛みを感じるか? 紀伊國屋書店 pp.44-45

バナナの有機栽培

 有機栽培は,環境と労働者(とりわけ有害な化学薬品を扱わなくてよくなる人々)にとっては好ましいが,これはバナナ産業がもっとも早急に克服すべき“生き残り”という課題の答えにはならないだろう——それが実情である。広大な農場が開ける低い土地では,有機栽培でバナナを育てるのは難しい。仮にそうした土地で育つとしても,ブラック・シガトカ病や他のバナナの病気に感染した土地から隔離し,清浄な土壌に植える必要がある。バナナ会社が何十年も繰り返してきたように,新たな森の開拓なくして,それを実行するのは難しい。だが,グロスミッチェル時代に新しく開かれたプランテーションがそうだったように,最後には病気にかかるだろう。抵抗力の弱い果物の世界では,オーガニック・バナナはその本質からして分が悪い。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.317

バナナの遺伝子組換え

 バナナはまた,バイオテクノロジーの反対者がよく口にする,“自然はあと戻りできない”という問題とも関係がなさそうだ。遺伝子組み換えをした食品を自然環境のなかに解放すると,野生に奇妙な変異が発生し,将来的な健康への悪影響や環境破壊が懸念される,という問題がある。だが実際,そのような懸念はバナナとは無縁だろう。バナナは不稔である。子どもができない。食用のために遺伝子組み換えが行われたバナナは,種も花粉もない。道をはずれた作物が自然界に流入して,受精により旧来の作物を汚染するようなことは,バナナの世界では起こりえない(一方,世界じゅうの多くの場所で,トウモロコシにこの現象が起こっている。その地域の作物が交配によって雑種となり,もはやオリジナルの種を見きわめられなくなっているほどだ)。こうしたリスクが除外できるのなら,遺伝子組み換えバナナは,とりわけアフリカのような地で,どれだけの恩恵をもたらしうるのだろう。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.292

さらにバナナの病気

 パナマ病の抑制策がどれも無駄な努力に見えたのは,この病気の伝染力が強すぎたからだけではない。バナナ生産者はまもなく別の問題も心配しなくてはならなくなったからだ。1935年,バナナを枯らす別の病原菌が出現した(南太平洋のフィジー島にある川にちなみ,フィジー語で名づけられた“シガトカ病”は,30年以上にわたってラテンアメリカ全域に広がりつづけてきた旧知の菌よりも,さらに恐ろしい病気となる)。パナマ病同様,この新たな病気もバナナを完全に枯らしてしまうが,感染の兆候が目で確認できないほど早い時期に収穫されると,輸送中にも被害が出てしまうのだ。なんの異常もない状態で出荷されても,市場に着いたときには実が柔らかくなるとか,ひどく変色するといった腐敗が進み,味も臭いも不快なものになっている。さらに悪いのは,シガトカ病は靴や農具,土や水によって広がるわけではないことだった。
 この病原体は空気感染するのだ。つまり,パナマ病よりさらに速いペースで広がることになる。ホンジュラスのひとつのプランテーションで発生したシガトカ病は,恐るべきスピードで,この地域のすべてのバナナに広がっていった。避けられないことではあるが,それぞれがお互いのクローンであるバナナは,病気によって一斉に被害を受けやすい。各バナナ会社はこのころ,パナマの太平洋岸に,パナマ病に未感染の地域を開拓し,大規模なプランテーションの運営を開始していた。このプロヘクトは順調に進み,数年たってもパナマ病感染の兆候は見られなかった。だが,代わりにシガトカ病が出現するや否や,この地域一帯のバナナはわずか数週間で全滅してしまった。

ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.145-146

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