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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会心理学」の記事一覧

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大規模なネットワーク

 ネット世代は,桁違いに大規模で,はるかに複雑で,同時にきわめて効率的でもあるネットワークを使用している。これは,その親の世代では実現不可能だったレベルだ。私がニキの今の年齢だった頃には,せいぜい十数人の友人しか維持できなかった。対面のやりとりが必要だったからである。電話は高価であり,飛行機に乗って会いに行くのは問題外だった。しかし,今では若者たちが,10年前には想像もできなかった大規模なソーシャルネットワークに参画している。地理的な距離や時差はもはや障害ではない。ソーシャルネットワークのメンバーは,過去と比べてはるかにかつ容易に他の人々とコンタクトできる。

ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 p.282
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戦犯容疑者・戦犯者の収容所

 とはいえ,ここは実に奇妙な「社会学的実験」の場であり,われわれは一種のモルモットだったわけである。
 一体,われわれが,最低とはいえ衣食住を保障され,労働から解放され,一切の組織からも義務からも解放され,だれからも命令されず,一つの集団を構成し,自ら秩序をつくって自治をやれ,といわれたら,どんな秩序をつくりあげるかの「実験」の場になっていたわけである----別にだれも,それを意図したわけではないが。
 一体それは,どんな秩序だったろう。結論を簡単にいえば,小松氏が記しているのと同じ秩序であり,要約すれば,一握りの暴力団に完全に支配され,全員がリンチを恐怖して,黙々とその指示に従うことによって成り立っている秩序であった。そして,そういう状態になったのは,教育程度の差ではなかったし,また重労働のためでも,飢えのためでもなかった。

山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.112-113

ステレオタイプ

 どう見てもステレオタイプはよくて不当で,ひどいときには不倶戴天の敵にされることがあまりにも多すぎる。ステレオタイプは婦人から投票権を,アフリカ系アメリカ人から市民権を奪うことに加担した。人類の歴史を通して,くりかえし権利の付与が延期され,特権が濫用され,機会が剥奪されたが,ステレオタイプはそうした行為を保証する役割をした。いちばんよくメディアに取材されるのは,たいてい人種か国籍か性別による不当な決めつけだ。だから,ステレオタイプはいかなるときも悪いものだと多くの人に思われるのも無理はない。
 社会心理学の権威ある学術誌を何冊かめくってみれば,ステレオタイプがもっとも大きなテーマの1つになっているのがわかるだろう。人はいつどのようにステレオタイプを使うのか。また,ステレオタイプが正しいことがあるとすれば,それはどんな場合なのか。そんなことを扱う研究が多いと思うかもしれないけれど,実はそうではなくて,ほとんどの研究者はステレオタイプのプロセスの,たった1つの側面だけに焦点をあてている。つまり,他者を認識するときにステレオタイプがどのように干渉してくるかだ。ある代表的な研究によれば,被験者が8桁の数字をくりかえし言うのに気をとられている間は,そのことに気が散っていないときより,人種のステレオタイプを利用する傾向が強かったそうだ。この研究も他の研究も,人はあらゆる視点から考え抜くような時間も余裕もないときは,このようにぱっと浮かんだ決めつけに頼るものだという見方に至っている。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.194-195
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

手がかりが操作されている可能性

 他者に与える印象をどのくらい操作できるのかについては,さまざまな教えが得られる。まず,とくに印象操作しやすい状況がある。就職面接やデートなど,情報の流れをかなりコントロールできる場では,印象をうまく操作できるかもしれない。前に研究助手を面接したとき,本人は綿密に記録を残せる人間だと断言していたけれど,仕事を始めて一週間でそうじゃないことが明らかになった。でもスヌーパーが目をつける寝室やオフィスのような場所は,たいてい操作するのがずっと難しい。長い間に積もり積もった大量の情報があるからだ。それほどたくさんの情報を消すとなると大変だし,自分が持っていない特性を示す偽情報を大量につくりだすのは,もっと大変だ。そんなわけで,手がかりが操作されている可能性について考えるときには,次の3つのカテゴリーに分けてみると便利だ。

1 操作するのがもっとも簡単な手がかり。意図して送られている信号であり,信号を送ることがその手がかりの主な目的だ(部屋の掲示板に貼ったレインボーカラーのシンボルなど)。
2 意図的に環境に手を加えたことによる手がかり。信号を送るつもりはない(快適なスペースづくりなど)。
3 手を加えるのがもっとも難しいてがかり。行動の結果うっかり出てしまう信号(窓辺の枯れかけた観葉植物など)。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

意識してやることか意識しないことか

 意識してやっていることは,無意識にやっていることよりも手を加えやすい。だからアイデンティティ・クレイムはごまかしの可能性がとても高い。保守派,リベラル派,フェミニスト,宗教の敬虔な信者に見せるにはどうすればいいかは明らかだ。政治的傾向を示すには,ロナルド・レーガンやケネディ家の誰かみたいな政治の大物をたたえればいい。「おしとやかな女性が偉業を成し遂げることはめったにない」(フェミニストのローレル・サッチャー・ウルリッチの言葉)と書かれたTシャツや,ぼくの車にも貼ってある,キリスト教徒であることを示す魚のステッカーは,明白に伝えたいメッセージを送っている。でも,行動のかすに手を加えるのは難しい。なぜなら,行動のかすは,“意図していない”行動の結果なので,意識でとらえられないのが普通だからだ。たとえば,朝あわてて出かける前に窓のブラインドを上げるとき,たとえブラインドが水平になっていなくても,意識は意図していない結果(水平になっていないブラインド)じゃなくて,作業そのもの(部屋に光を入れて仕事に出かけること)に集中しているから気にとめない。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.159-160
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

後知恵バイアス

 さらに人は常識のせいで,研究結果はすでに知っていることを確かめただけだ,とつい思いこんでしまう。ぼくはこの前発表をしたとき,こういう“後知恵バイアス”を目の当たりにした。たいていぼくは話をする前に,寝室研究でどんなことが明らかにされたか,予想してみるように聴衆に頼む。すると,これがなかなかできない。寝室では,住人の外見の魅力についてはわかりやすいが,神経質であることは見抜きづらいと予想できる人なんて,ほとんどいない。でもこの発表のときだけは,聴衆に予想してもらわずに結果を話すという失敗をおかした。すると,いつもなら,ほう,とか,へえ,という反応があるのに,みんな意外でもなんでもないような顔をしていた。聞いた事実が理にかなっているとしても,だからといってもともと明らかだったとは言えない,ということを,ぼくはまたしても学んだ。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 p.7
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

理由がわからないのがいい

 ヴァージニア大学の私の同僚ティム・ウィルソン教授の研究では,研究協力者が,図書館などで生徒に近寄って1ドルコインを与えたが,実験群ではなぜ研究協力者が1ドルコインを配っているのか明らかではない。ところが対照群では,1ドルコインの横にランダムに親切にするというクラブの名前が明記されていた。つまり,実験群ではこの親切な行為の意図が不明であったのに対し,対照群ではこの親切な行為の意図が比較的明らかであった。約5分後別の研究協力者がコインを受け取った学生に歩み寄り,今の気分を尋ねた。そうすると,親切な行為の意図が不明の実験群で意図が明確な対照群より幸福感が高いという,これまた驚くべき結果が出た。つまり,何かいい出来事が起こった時,なぜそれが起こったのかがわかると喜びもそれで終わってしまうが,なぜいい出来事が起こったのかがわからない場合,その出来事が「過去の出来事」として整理されず,心に残るというのである。

大石繁宏 (2009). 幸せを科学する:心理学からわかったこと 新曜社 pp.143-144

褒め言葉が多い夫婦はうまくいく

 夫婦のコミュニケーション研究という点では,ワシントン大学のジョン・ゴットマン教授が第一人者であるが,彼の一連の研究では,ビデオテープで夫婦のコミュニケーションを記録し,その言語と非言語(ジェスチャー,表情など)によるコミュニケーションのパターンを丁寧に分析し,夫婦の結婚生活への満足度やその後の離婚率などとの相関を検証している。夫婦のコミュニケーションを観察してみると,夫婦関係の良好なカップルでは,褒め言葉が批判的な言葉のなんと5倍ほど交わされたそうである。この割合よりも批判的な言行(ジェスチャーも含めて)が多いと,全般的な関係には不満が強かったらしい。また,15分間ほどのインタビューでの肯定的なコミュニケーションと否定的コミュニケーションの比率から,将来の離婚率が90パーセント以上の確率でわかるというからすごい。この結果も,マレイ教授の対人関係における「肯定的幻想」同様,パートナーに対する肯定的な態度とやさしさが夫婦関係に大きく貢献することを物語っている。

大石繁宏 (2009). 幸せを科学する:心理学からわかったこと 新曜社 pp.106-107

屈辱的記憶の再体験

 私たちは特別の時間尺度によって屈辱的な出来事を覚えているために,当時体験した身体的反応を,機会あるごとに再体験する。私は,老人たちが70年前に受けた侮辱に顔を赤らめるのを見たことがある。半世紀以上経っても,人はまだ激怒して震え,怒りのあまり椅子の肘を叩く。真に屈辱的な出来事を話すときは,もう一度目を覆いたくなったり,聞き手から顔を背けたくなったりする。
 屈辱的な出来事の記憶に関して,もう1つおかしなことがある。自分自身が見えるのだ。恥ずかしかったことを1つ思い出してみれば,顔を赤らめて,傷ついた感情を押し隠そうとしている自分の姿が見えるだろう。他人が笑い,哀れみに満ちた顔をしているのも見えるだろう。まるで,自分でその場面を記録したわけでもないのに,その場面の出演者の1人だったかのようなのだ。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 p.68

リスクはゼロにならない

 もちろん,私たち医師は「副作用が起こってもよい」と思っているわけではありません。ただ,「絶対に起こらない」などという幻想を信じていないだけなのです。交通事故だって,起こそうと思っている人など一人もいないのに,起きてしまいます。そのリスクにどう対処するかと知恵を絞った結果,シートベルトやエアバッグが付いているわけです。
 交通事故を100パーセント回避するためには,車自体をなくせばいい。医療も,リスクを100パーセント回避するためには,手術をしない,薬も使わせないのがいちばんよいわけです。でも,それでは病気は治らないし,死を待つしかなくなります。
 だから,リスクはあるけれども,病気の人に利益をもたらす可能性が高いものを薬として処方する。何度もいいますが,これが医療の発想,薬の本質です。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.162

無報酬の力

 こうなることは当然予想すべきだったのかもしれない。人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば,数年前,全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ,1時間あたり30ドル程度の低価格で,困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし,その後,全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると,圧倒的多数の弁護士が引き受けると答えた。
 どういうことだろう。0ドルのほうが30ドルより魅力的だなどということがありうるだろうか。じつは,お金の話が出たとき,弁護士たちは市場規範を適用したため,市場での収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが,お金の話抜きで頼まれると,社会規範を適用し,進んで自分の時間を割く気になった。30ドルもらってするボランティアと考えてもよかったはずなのに,なぜ30ドルでは承知しなかったのだろう。考えのなかにいったん市場規範がはいりこむと,社会規範が消えてしまうからだ。
 コロンビア大学の経済学教授ナフク・シヘルマンは身をもってこれを体験した。日本で剣道を学んでいたとき,シヘルマンの先生は生徒たちから稽古代を集めなかった。それでは申し訳ないと,ある日生徒たちは,先生の時間と労力に対して謝礼を支払いたいと申しでた。先生は竹刀を置くと,自分の稽古代は高すぎてあなたたちでは払えないだろうと穏やかに答えたそうだ。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.109-110

無料!の影響

 実際に無料!が行動にどう影響するかを示す話を紹介しよう。数年前,アマゾン(amazon.com)は一定額以上の注文をすると無料配送になるサービスをはじめた。たとえば,16ドル95セントの本を1冊買うと,3ドル95セントの配送料がかかる。ところが,もう1冊本を買って31ドル90セントだと,配送料が無料!になる。
 人によっては(わたし自身の経験談でもあるのだが),2冊めはべつに欲しい本ではないのに,無料!配送があまりに魅力的で,これを得たいがために追加の本の代金を払うのをいとわない。アマゾン側はこのサービスをはじめたことにとても満足したが,ただ1か所,フランスだけは売り上げがまったく伸びなかった。フランスの消費者は,ほかの国の人たちより合理的なのだろうか?それはない。そうではなく,フランスの消費者はよそとはちがう取り決めに反応していたことがわかった。
 こういうことだ。フランス支社は,一定額以上の注文で配送料を無料!にするのではなく,1フランにしたのだ。たった1フラン----20円程度だ。無料!と大してちがわないように思えるが,これが大ちがいだった。現に,アマゾンがフランスの販売促進に無料配送を加えたところ,ほかの国と同じように売り上げが劇的に伸びた。つまり,配送料1フラン----破格の値段だ----はフランス人にほとんど無視されたが,無料!配送は熱狂的な反響を呼んだわけだ。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.95-96.

すべてが相対的

 これはどういうわけだろう。まずは,基本的なことを押さえておこう。大半の人は,自分の求めているものが何かわからずにいて,状況とからめて見たときにはじめてそれがなんなのかを知る。たとえば,自分がどんな競技用自転車を欲しいのか,ツール・ド・フランスの優勝者があるモデルに乗ってギアを切りかえている姿を見てはじめてわかる。自分がどんなスピーカーを欲しいのか,いまもっているものより音のいいスピーカーを聞いてはじめてわかる。自分がどんな生き方をしたいのかさえ,親戚なり友人なりの生き方がまさに自分のとるべき道だと思えてはじめてわかる。すべてが相対的,そこが肝心だ。わたしたちは,暗闇のなかで飛行機を着陸させるパイロットと同じで,車輪を接地できる場所まで誘導してくれる滑走路の両側の明かりが必要なのだ。


ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.25-26.

事件の後でさえ合理化する

 もし私がほかの誰かを傷つければ,その人に対してやさしくする気持ちになるだろうと,あなたは考えるかもしれない。しかし研究,とりわけ子供についての研究は,まるっきり逆のことを示している。ほかの人間を傷つけた子供は,たとえ事故であった場合でさえ,犠牲者の悪いところを考え,要するに,その子がそういう報いを受けるのは当然なのだという理由を考え出す。そして大人は一般にもっと手の込んだ感情をもつが,同じことがいえる。それはまるで,人々が事件の後で,自分自身のおこないを合理化する必要があるかのようである。そして,私たちがいかにしてほかの誰かに危害を及ぼしたかを説明する唯一の方法は,何らかの方法で,彼らはそうなって当然だったのだと自らを説得することである。
 私たちはそれを,盗みに入った家の持ち主を軽蔑する泥棒に見る。私たちはそれを,ヴェトナムにおいて,戦慄をもって見た。そこでは,アメリカ軍兵士がますます多くの農民を殺し,障害者をつくりだすにつれて,彼らに対するますます大きな嫌悪を募らせていったのだ。そしてそれは,国家全体の行動にもまったく同じようにあてはまる。ナチスは,ユダヤ人をその手で苦しめたがゆえにユダヤ人を毛嫌いし,イスラエル人は,パレスチナ人が弱くて貧しいがゆえに憎んでいる。

ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.376-377

演技と真実

 Aさんの前にいるあなたとBさんの前にいるあなたとは,たぶん微妙に口調や振る舞いが違うはずだ。ならばどちらかが演技(嘘)で,どちらかが真実なのだとあなたは思うだろうか。人生は短い。そんなことで悩む時間があるなら,他にやるべきことはいくらでもあるはずだ。結論はひとつ。どちらも虚であり実でもある。


森 達也 (2008). それでもドキュメンタリーは嘘をつく 角川書店 p.114-115

ステレオタイプに気づかない

 私たちは自分が出会うすべての人の,その豊かで複雑で独特な性質について考える時間,機会,モチベーション,それに精神力などを常に持っているわけではない(あるいは持とうとしていない)。さらにいったん立ち止まって,自分が偏見の目で人を見ているのではないかと考え,態度を改める時間も意志もない。私たちはステレオタイプの手先が真正面から自分を見つめていても気づかないのかもしれない。たとえば女性を性的な対象としているイメージはどこにでもあるため,女性を性の対象としてプライミングする実験で,性差別的なCMを見た男性被験者の多くが,自分の見たCMは,“性差別的ではなかった”ので,自分は絶対に対照群のグループに入っていたはずだと信じて疑わなかった。

コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 pp.219-220


ステレオタイプの変容

 じっさい,ステレオタイプ脅威の実体を明らかにすることで,デリケートな学生たちをその呪縛から解放できるらしいのだ。女性は数学が苦手であるということを,数学能力の男女差に関する研究の一環として提示したあとで,統計学を専攻する女子学生に数学のテストを受けさせたところ,一般的な傾向どおり,男子学生より成績が劣っていた。しかしもう1つのグループの学生たちには,ステレオタイプ脅威とその影響について事前に伝えておいた。そして女子学生たちは,こう助言された。「このテストを受けている間に不安を感じるとすれば,それは世間に広く流布している,女性の数学的能力に関するステレオタイプが原因のプレッシャーから生じるもので,実際のあなたの能力とは関係ないと頭に留めておくことが重要だ」するとそのような説明を受けた女子学生たちの成績は,男子学生とまったく変わらなかったのだ。世の先生がたには,このことを肝に銘じておいていただきたい。


コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 p.208-209

現代心理学で研究される無意識

 幸運にも,今は精神分析以外にも心の隠れた部分をさぐる方法がある。過去2,30年で,社会心理学者の間では精神生活の隠れた面とその役割について,興味がどんどん高まっている。彼らの研究には,よいニュースと悪いニュースがあった。
 よいニュースは,無意識はよく言われるような,単なる心理的葛藤を戦わせる場ではないということだ。無意識は私たちのために,てきぱきとあくことなく働いてくれている。ある有名な社会心理学者は,これを“頭の中の執事(メンタル・バトラー)”と呼んでいる。私たちの必要なものや欲しいものを,わざわざベルを鳴らさなくても,黙って揃えてくれる。面倒な仕事を無意識が引き受けてくれるおかげで,意識は人生の目的について考えたり,重大な決定を下したり,もろもろの業務をこなすことができるのである。
 悪いニュースは,仕事を他人に任せるときは,それなりの代償があるということだ。従順な無意識に仕事をさせてしまうと,その仕事がどのように行われているのかはっきりとはわからない。
 実は,これは悪いニュースではない。無意識の精神活動を行っている従順で働き者の召使(脳)を,主である意識(われわれ)が支配しているという関係は,比喩だとしても,たしかに悪い気はしない。本当に悪いニュースは,そもそも数少ない意識的な選択自体が,実は幻想にすぎないかもしれないということだ。


コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 pp.140-141

ミルグラムの研究の意義

 ミルグラムの研究は,人間の悪と破壊性の本質について,社会生活における道徳の役割について,社会的圧力,とりわけ権威が要求するならば私たちがいくらでも屈服してしまうことについて,現代社会のどこにでも存在する社会的組織の持つ階層構造の潜在的に非人間的な側面などについて,これらのさまざまな事柄について私たちがどのように考えているかをあからさまにしてしまうという効果を持っている。彼が示して見せたのは,悪いことをしていない人に対して破壊的な行動をするためには悪人や狂人は必要ないということである。ごく普通の正常な人が,正当な権威から命令されれば,自分1人なら決してしないと思われるおぞましい行動をしてしまうのである。
 彼の研究は,私たちを直接取り巻く状況が思いもかけないほど強力な力を持っているということをはっきりと認識させた。そしてその力は,ときに私たちの善悪の感覚よりも強く働く。実験に参加した人たちが他者に有害でありうる命令に従ってしまう度合いは,犠牲者が近くなればなるほど低下し,逆に被験者と犠牲者の間にはさまる緩衝材となるものがあればあるほど増加するのである。


トーマス・ブラス 野島久雄・藍澤美紀(訳) (2008). 服従実験とは何だったのか---スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 p.331.

一貫性・統一感

 ラルフ・ウォルドー・エマーソンが「愚かな頑固さは狭量な心のあらわれ」と言っているが,頑固さという一貫性を求めるのは人の本性の特徴といえるものである。矛盾する情報にであったとき,私たちは一貫性と統一感を懸命に探し求めるが,それは私たちの回りの複雑な世界を簡単なものにし,また予測可能なものにしたいからである。たとえば社会心理学者は「美しいものは善きものである」というものごとを単純化する原則がいろいろな場面で機能していることを示してきた。これは,外面と内面は一致しているということを私たちが信じているということなのである。別の言い方をすれば,重大な結果が些細でたいしたことのない原因によってもたらされるというような原因と結果の不釣り合いは私たちの心に不快に響くのだ。ケネディの暗殺の背景には陰謀があるということが広く信じられているが,これもそうした心の働きのせいであると考える社会心理学者もいる。ミルグラムのシラノイドの研究は,きわめて創意に満ちた手法を使うことによって,人の行動においてその単純化し統合化する傾向がどれほど強力であるかを示したのである。

トーマス・ブラス 野島久雄・藍澤美紀(訳) (2008). 服従実験とは何だったのか---スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 p.309.

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