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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会心理学」の記事一覧

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スモールワールド法

 答えを得るために,ミルグラムは「スモールワールド法」という実験を考えた。それは次のようなものである。遠くの街に住んでいる人の名前(目標人物)の名前を一群の男女(発信人)に与える。発信者がやらなくてはならない課題は,ある書類フォルダーをターゲットの人物に送り届けることであった。ただし,そのために使えるのは,自分(発信人)よりいくらかでも目標人物を知っている可能性がある友達や知人とのつながりだけなのであった。すなわち,その書類フォルダーを送ることができるのは,送り手がファーストネームで呼び合う関係の受け手だけだった。そのフォルダーがどこまでいったかを追跡するために,そのフォルダーには,名前のリストがあり,そこに被験者が自分の名前を書き込むとともに,進行状況を報告するためにミルグラムに宛てて送る葉書が入っていた。
 ターゲットの人まで到達したリンクは一部だけだった。たとえば,ネブラスカに住む人から,ボストンの株式仲買人を目標人物として行った実験では,発信人から出たつながりのうち26パーセントだけが完成したに過ぎない。しかし,このうまくいったつながりからわかったことは,世間は狭いという考えを支持するものだった。平均してみると,最初の発信人から目標人物まで,約6人を間に挟めばよいということがわかった。

トーマス・ブラス 野島久雄・藍澤美紀(訳) (2008). 服従実験とは何だったのか---スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 pp.189-190.
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「デブリーフィング」という言葉を初めて使ったのは

 ミルグラムの研究の詳しい内容が明らかになったとき,心理学部で話題の中心になったのは,被験者が被害者に対して予想よりもはるかに強いショックを与えることを厭わないという発見である。研究の倫理性について関心を持つ人は少なかったが,これは,当時,研究に何が求められていたかを考えてみれば当然である。心理学者たちは,実験室内では騙しをするのが常套手段となっていた。その実験内で被験者に与えた間違った情報を,後で「種明かし」することを考えもしなかったのである。実際,ベンジャミン・ハリスという心理学分野に関する歴史家は,被験者に実験のなかで与えた間違った情報を訂正し,安心感を与えるという実験後の手続きのことを「デブリーフィング」と呼ぶことを初めて印刷物のなかで使ったのはミルグラムである(1964年の論文のなかで)と述べている。


トーマス・ブラス 野島久雄・藍澤美紀(訳) (2008). 服従実験とは何だったのか---スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 pp.146-147.


服従実験について

 ミルグラムは権威に対して反抗しやすくするのはどの要因かについても研究している。ミルグラムは,権威には支配的な力があるという思いもよらなかった事実を知らせてくれただけでなく,権威が私たちに及ぼす望ましくない影響に対する強力な解毒剤も提供してくれたのである。彼は,二人の仲間が反乱すれば,権威の力の支配から被験者を解放できるということを実験によって示している。この条件では,本当の被験者1人と2人のサクラからなる3人の教師のチームを作った。実験の途中で,サクラたちは実験者に反抗し,1人は150ボルト,もう1人は210ボルトのところで実験を続けるのを拒否する。この実験では,本物の被験者のうちの90パーセントが反乱に従い,途中で実験を中断した。言い換えれば,被験者の10パーセントしか完全には服従しなかったということになる。ミルグラムが行ったほかのどんな実験のバリエーションよりも,権威の力を最も下げるのに効果的だったのがこの条件だった。彼はここから次のような重要な結果を導き出している。つまり,「個人が権威に対抗しようと考えるならば,最もよいのは,その集団のなかから自分のことを支持してくれる人を見つけるということである。お互い同士が手を取り合うということこそが,権威の行き過ぎに対して私たちが持ちうる最強の砦なのである」。


トーマス・ブラス 野島久雄・藍澤美紀(訳) (2008). 服従実験とは何だったのか---スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 pp.141-142.

集合的な意思決定

 集合的な意思決定は合意形成といっしょくたに考えられることが多いが,集団の知恵を活用するうえで合意は本来的には必要ない。合意形成を主眼に置くと,誰かを刺激することもない代わりに誰の感情も害さないような,どうでもいい最大公約数的なソリューションになりやすい。合意志向のグループは慣れ親しんだ意見ばかり大事にして,挑発的な意見は叩きつぶすからだ。
 この「みんなで仲良くしようヨ」的アプローチが生み出す問題は,第二次世界大戦後に多くの企業がつくりだした無限とも思えるマネジメントの階層によってますます悪化した。意思決定プロセスにできるだけ多くの人を参加させようとすると,企業のトップはほかの人たちが本当に考えていることからますます隔絶されるという矛盾が起きるのだ。意思決定の前にマネジメント層ごとに綿密に検討を加えるので,ソリューションの質も落ちていく。

ジェームズ・スロウィッキー 小高尚子(訳) (2006). 「みんなの意見」は案外正しい 角川書店 pp.219-220.

メディアと暴力

 メディアの暴力はアメリカの暴力犯罪の主要な原因の一つだという考えは,保守派政治家の間でもリベラルな保健専門家の間でも一様に信条となっている。アメリカ医師会,アメリカ心理学会,アメリカ小児科学会は連邦会議において,両者の関連を調べた3500以上の研究のうち関連が見られなかったものは18だけだという証言をした。社会科学者なら誰でもこの数字にうさんくささを感じるだろうが,心理学者のジョナサン・フリードマンは自分で確認してみることにした。すると実際は,メディアの暴力と暴力行動の関連を調べた研究は200しかなく,関連が見られなかったものが半分以上を占めていた。残りの研究で見られた相関関係も小さく,ほかの説明が容易につくものーーたとえば暴力的な子どもは暴力的な娯楽を求める,子どもはアクションだらけの映像で一時的に刺激される(ただし永続的な影響は受けない)などだった。フリードマンや文献を再検討した数人の心理学者は,メディアの暴力にさらされることは暴力行動にほとんど,あるいはまったく影響を与えないという結論をだしている。近年の歴史から真偽の確認をしても,同じ結論が示唆される。人びとはテレビや映画が発明される前の時代のほうが暴力的だった。カナダの人たちもアメリカ人と同じテレビ番組を観ているが,カナダの殺人の発生率はアメリカの4分の1である。1995年にイギリス領のセントヘレナ島にはじめてテレビが設置されたが,住民は暴力的にはならなかった。暴力的なコンピュータゲームが急激にでまわったのは1990年代で,犯罪発生率が低下した時期にあたる。

スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.60-61.

リスク評価と直観

 危険だという認識が見当はずれになるのには,本質主義の直観のほかにも理由がある。リスク分析家は,人びとの恐怖心がしばしば客観的な危険性とずれていることを発見して当惑する。大勢の人が飛行機を避けるが,実際は車で移動する方が11倍も危険性が高い。サメに食べられるのを恐れるが,浴室で溺死する率のほうが400倍も高い。飲用水からクロロフォルムやトリクロロエチレンを除去するために高額な費用のかかる対策を要求するが,ピーナッツバターのサンドイッチを常食する方がガンになる見込みが何百倍も高い(ピーナッツには発癌性の高いカビがつくことがある)。こうしたリスク評価の誤りの中には,高所や閉所や捕食や毒に対する生得的な恐怖が関係しているものもあるかもしれない。しかし人は,心が確率を見積もる方法のために,たとえ危険性についての客観的な情報を提示されてもそれを十分に理解できないのかもしれない。

スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.178

平均的人間は平均以上だと自己評価する

 現実的な非常訓練とは,たんにある種の技能を人びとに覚え込ませる手段にすぎないと思われるかもしれないが,べつの利益もある。あまりにも多くの人間がいだいている見当違いの自信を打ち砕いてくれるのだ。二人の心理学者,コーネル大のデビッド・ダニングと,イリノイ大のジャスティン・クルーガーは,各種の大集団を全体としてとらえれば,平均的人間は,自分のことを技量においても知識においても平均以上だと評価している,という既知の事実をさらに追究してみようと考えた。平均的人間は,技量において平均以上ではありえない,ということは明白だ。だとすれば,われわれが自分のことについて知らないのはどうしてなのか。無知が自信過剰をはぐくむ,と二人はいう。なかでも,危険というほかはないほどの知識しか持ち合わせていない分野においてそれは顕著だ,と。ダニングとクルーガーは,コーネル大の学生のもっている論理的思考力やユーモアといった技量について調査し,テストを行ったところ,毎回くり返し同じパターンがあらわれた。テストの結果が最も悪い連中は,それ以外の学生にくらべると,自分の成績と技量をきわめて過大に評価していた。この現象について二人の心理学者は,チャールズ・ダーウィンの次のようなことばを引用している。「知識よりも無知のほうが自信を生むことが多い」。


ジェームズ・R・チャールズ(著) 高橋健次(訳) (2006). 最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか 草思社 pp.191-192.


逃れられない・避けられない・取り消せない状況

 逃れられない,避けられない,取り消せない状況は,心理的免疫システムを起動させる引き金となるが,苦痛が強い場合と同じで,人はそうなると気づかないこともある。例を挙げよう。ある研究で,大学生がモノクロ写真撮影の講座に申し込んだ。各学生は,自分にとって特別な人や場所の写真を12枚撮ったあと,個別レッスンを受ける。教師は1,2時間ほどかけて写真の焼き付けを教え,できのいい写真2枚を仕上げさせる。写真が乾いたところで,学生に,1枚は自分で持ち帰っていいが,1枚は写真サンプルとして提出するよう求める。一部の学生には,いったん写真を持ち帰ったらもう変更はきかないと伝え(変更不可群),他の学生には,いったん写真を持ち帰って気が変わっても,数日中に申し出れば,持ち帰った写真と提出した写真を取り換えられると伝えた(変更可能群)。各学生は写真を1枚選び,それを持ち帰った。数日後,学生に質問調査をし,他の質問といっしょに,持ち帰った写真をどれだけ気に入ったか尋ねた。その結果,変更可能群の学生は変更不可群の学生ほど写真を気に入っていないことが分かった。興味深いことに,べつの学生のグループに,考え直す機会がある場合とない場合では,どちらが自分の写真を気に入ると思うか予測させると,変更できるかどうかは写真の満足度に何の影響も与えないと予測する。どうやら,変更不可の状況は心理的防衛システムを作動させ,われわれはそのおかげで明るい見方を手に入れられるのに,そのことを予期できないらしい。

ダニエル・ギルバート 熊谷淳子(訳) (2007). 幸せはいつもちょっと先にある-期待と妄想の心理学- 早川書房 p.247-248.


育毛剤の怪

 私たちは,期待や仮説のような思いこみを持ってしまうと,日常経験でそれに当てはまることに敏感になります。それが占いが当たったように感じる1つの原因でもあります。つまり,今日の運勢などで,あいまいに出会いや出来事をほのめかされているといつもなら気にもとめない経験でも,「今朝の占いで言っていたことってこのことかな」と当てはめてしまうのです。そしてこの的中感が相手方のトークを信じる源泉となるのです。
 もっといい例がありました。実は,あるお父さんが,ちょっと髪の毛が薄くなってきて気にしていました。それである日,とある付け薬が効くと信じて購入し,毎日忘れずに数回振りかけて頭をとかしていました。
 しばらく経って,大学生の娘に,「どうだ,少し効いてきた気がしないか」と頭の上を見せながら聞くのですが,どうも娘には頭髪になんの変化も感じられませんでした。それでどんな薬か手に取って見たところ,とんでもないことを発見してしまいました。なんと,その薬瓶には,内キャップがあって,それがはまったままだったのです。ということで,このお父さん,1滴も使わずに効いてきた気がしていたということに初めて気づき,立場を失いました。

西田公昭 (2005). まさか自分が…そんな人ほど騙される 詐欺,悪徳商法,マインド・コントロールの心理学 日本文芸社 p.81-82.

良いことをすれば良い人になる

「まず行動を変える」方略は,おそらくこの場合にも有効で,意識的物語と適応的無意識に望む変化をもたらすことができる。要するに,もっと良い人になりたいなら,「良いことをすれば良い人間になる」方略をとるべきなのだ。他人の助けになり,気配りするよう振る舞うことで,私たち人間は人に役立ち,気配りできる人として自分を考えるようになるだろう。

ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.277


合理化・正当化

 社会心理学の教えのなかで最も息の長いものの1つは,リード夫人のように,人は自分にとって心地よく世界を見るためなら,どんなことでもするということである。私たちは,脅威をもたらす情報を合理化し,正当化することに長けたスピンドクターなのだ。ダニエル・ギルバートと私は,この能力を「心理的免疫システム」と呼んでいる。私たちは,身体的健康を脅かすものから自分たちを保護する強力な身体的免疫システムをもっているが,それとちょうど同じように,心理的健康を脅かすものから自分たちを保護する強力な心理的免疫システムももっている。心理的健康を維持するということに関しては,私たち1人ひとりが究極のスピンドクターなのである。
 西洋文化の中で育ち,相互独立的な自己観を持っている人は,他者に対する自分の優越性をことさら大きく見て,心理的健康の感覚を増そうとしがちだ。他方,東アジアの文化に育ち,人間をもっと相互協調的なものと見る人は,集団成員との共通性を過大に見やすい。すなわち,相互協調的な自己観を持つ文化の中に育った人は,肯定的な自己観を促進する戦術にはそれほど出ないかもしれない。というのも彼らは,社会集団から切り離された自己にあまり重きを置かないからである。それでもなお,心理的健康の感覚を維持するため,やり方は異なるものの,非意識的な情報操作は行われている。何が私たちの気分を良くするかは,文化やパーソナリティ,自尊心のレベルに依存する。しかし,良い気分でいたいという欲求,そしてこの欲求を非意識的思考によって満たす能力は,おそらく普遍的なものである。


ティモシー・ウィルソン 村田光二(監訳) (2005). 自分を知り,自分を変える 適応的無意識の心理学 新曜社 p.52-53


うまくいかない信念

人々は関係がどのように機能するかについて特定の信念や基準をもっており,これらは時に非常に非現実的,あるいは非合理的でさえあるので,パートナーを失望と苦悩の底へ落とし込む。こうした信念の中には危険なものもある。具体的には,以下のような信念を抱いている人は,関係にあまり満足しない傾向がある(Moller & Van Zyl, 1991)。
(a)相手を誤解することはその人を愛していない証拠である
(b)意見の不一致は破壊的である
(c)男性と女性は互いにかなり異なっている
(d)人は決して変わることはない
(e)セックスはいつでも完璧であるべきで,そうでなければ愛は偽物である
不満を感じる主な理由は,そうした信念をもつことによって課題解決が適切に行えないことであるらしい(Metts & Cupach, 1990)。すなわち,こうした信念を持っている人は,不一致が生じた時にそれを解決するための建設的な行動をとることが少ない。


R.S.ミラー (2001). うまく機能していない関係 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 361-396.

言い訳

言い訳は,その出来事に対する個人の責任を低減しようとする試みである(Schlenker, 1980; Snyder & Higgins, 1988; Snyder, Higgins, & Stucky, 1983)。

責任のトライアングル・モデル(Schlenker, Britt, Pennington, Murphy, & Doherty, 1994)
a)その状況では人がどうふるまうべきかを説明する,出来事についての明確な規定があるほど(規定ー出来事間のリンク),b)役割・信念・性格によって行為者がその規定を適用できるほど(規定ーアイデンティティ間のリンク),c)出来事に対する統制力があるという点で行為者がその出来事とつながりをもっているほど(アイデンティティー出来事間のリンク),人はその出来事に対する責任をもつ,とされる。逆に,これらのリンクが弱いほど,出来事に対する個人の責任が弱まることになる。

言い訳は,トライアングル・モデルにおけるいずれかのリンクを弱めることによって,その事象に対する責任を低減する機能を果たす。


J.A.シェパード & K.D.クワニック 不適応的な印象維持 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 2001 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 279-314.


有能そうに見えること

おそらく,実際に有能であることと同じくらい重要なのが,有能そうに見えることである。

有能である,つまり高い能力をもっているという印象を形成,維持できる方法がいくつかある。
1.能力を診断するテストの成績によるもの
2.自分の業績や能力を他者に伝えること
3.人とのつながりを利用するもの:ある人と一緒にいる人々は,その人の延長であると見なされることが多い(Sclenker & Britt, 1999)。


J.A.シェパード & K.D.クワニック (2001). 不適応的な印象維持 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 279-314.


ソシオメーター理論と暴力,自己愛

 暴力傾向についていうと(Baumeister et al., 1996),高自尊心者は,すでに他者から受容されていると確信しているので,他者からの評価を気にしない。だから暴力をふるったりしても,他者からの評価を気にしないのだろう。
 また,ナルシストも,すでに他者から受容されていると確信している。ナルシストは自己中心的な行動をとるが,これは,他者を利用することが当然であると信じ込んでいるからである。だから,そうした行動に対して他者から反発を受けると,ナルシストは驚いてしまうようである。他者が自分を受容しているのは当然だと考えているからである。


M.R.リアリー (2001). 自尊心のソシオメーター理論 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 222-248.


ソシオメーター理論



自尊心とは,自分と他者との関係を監視する心理的システムである。主観的な自尊心とは,他者からの受容の程度を示す計器(メーター)である。これがソシオメーター理論の基本前提である。自尊心が高まるということは,自分が他者から認められているというシグナルである。逆に自尊心が低くなるということは,他者から認められていないというシグナルである。

M.R.リアリー (2001). 自尊心のソシオメーター理論 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 222-248.


自尊心機能論

 Bednar et al.(1989)の理論によると,自尊心とは「自分の適切さについての感情的なフィードバック」である。自尊心が低いということは自分が適切ではないということの信号である。自尊心は,心理的脅威に対処するか回避するかによって変わる。つまり,脅威に対処すれば自尊心は高まり,回避すれば自尊心は低まる。逆に,自尊心の高低が,脅威に対する反応に影響を与える。つまり,自尊心が高いと対処反応が増え,自尊心が低いと回避反応が増える。

M.R.リアリー (2001). 自尊心のソシオメーター理論 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 222-248.


脅威処理理論(Terror Management Theory)

 人間は他の動物とは異なり,死を避けることができないことを認識している。こうした死の不可避性の認識が,人間に実存的な脅威を引き起こさせる。この脅威を和らげるために,人間は宗教や芸術といった文化を作り出したのである。自尊心もまた,死への脅威を緩衝するという防衛的な機能をもっている(Solomon, Greenberg, & Pyszczynski, 1991)。死への脅威に身がすくんでしまうことがないように,人は自尊心を維持するように動機づけられるのである。
 この理論を支持する実証的な証拠はかなりある。たとえば,人はいつか必ず死ぬのだという運命を強調すると,自尊心への関心が強まる。また,自尊心が高いと,死についての不安が弱まる(Greenberg et al., 1992)。しかし,自尊心が実存的な脅威を緩衝するかどうかについては,強く支持する研究はまだなく,支持しない研究もいくつかある(Sowards, Moniz, & Harris, 1991)。まだ議論の余地があるものの,脅威処理理論は自尊心の機能について考える手がかりになる。

注)進化論的に見ると,脅威処理理論はうまい説明ではない。進化論的に見ると,死や不幸を心配する低自尊心の人のほうが,心配しない高自尊心の人よりも,生き残って子孫を増やせるだろう(Leary & Schreindorfer, 1997)。進化の過程において,死に対する脅威を和らげるシステムができてくるとは考えにくい。

M.R.リアリー (2001). 自尊心のソシオメーター理論 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 222-248.


現実をゆがめて自尊心を高める

 現実を歪めて知覚し,自尊心を高めたとしても,一時的にはよい気持ちになるかもしれないが,そこに価値があるとは考えにくい。長い目で見れば,自己欺瞞は不適応をもたらす。その極端な例がナルシシズムである。

 Baumeister(1989)は,「幻想の最適な境界線」があると述べている。つまり,ポジティブな方向に少しだけ歪めて知覚することは適応的であるが,大きく歪めたりネガティブな方向に歪めることは不適応的であるという考え方である(Baumeister, 1989)。しかし,こうした仮説に反して,現実を大きく歪める場合でも益があるという研究結果もある(Baumeister, 1989; Baumeister & Scher, 1988)。また,この仮説のようにポジティブな幻想がネガティブな幻想よりも価値があるという仮定には,何の根拠もない。場合によってはネガティブ幻想にも価値があるかもしれない。これについては今後の検討が必要である。


M.R.リアリー 自尊心のソシオメーター理論 (2001). R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 222-248.


罪悪感の機能

Baumeister, Stillwell, & Heatherton(1994),Sommer & Baumeister(1997)によると,罪悪感には「対人関係を高める」機能がある。
 それによると,①罪悪感を感じるのは,その人間関係が重要であり,お互いが相手を気にしているからである。
 ②罪悪感は,人間関係における公平性を回復させる機能がある。一般的に言って,罪悪感を感じる対象は,弱い立場にいる人である。罪悪感があると,その後,譲歩や再割り当てが行われ,結果として公平性が回復するのである。
 ③罪悪感は感情的苦痛を「再配分」する機能がある。たとえば,対人関係の中で誰かが被害を受けたとしよう。この場合,被害者は苦痛を感じ,加害者は利益を得る。こういうときに加害者に罪悪感が生じ,加害者も苦痛を感じるのである。そのことが被害者に伝わると,被害者の苦痛は軽くなる。その結果,被害者と加害者の苦痛度は等しくなり,公平性が保たれる。それによって,2人の関係がより強まることだろう。


J.P.タングネー & P.サロベイ (2001). 恥・罪悪感・嫉妬・妬み:問題をはらむ社会的感情 R.M. コワルスキ&M.R.リアリー(編著) 安藤清志・丹野義彦(監訳) 臨床社会心理学の進歩 実りあるインターフェースをめざして 北大路書房 191-221.


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