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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会心理学」の記事一覧

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応援の効果

 ファンの応援は本当にアドバンテージなのでしょうか。
 アメリカで行なわれた面白い実験があります。大人数の観衆の前でコンピュータゲームを行い,ある条件に従ってプレイヤーと観衆に5ドルの報酬を与えるのです。
 ゲームは難易度の高い設定と低い設定の2つが用意され,プレイヤーは次の4つの条件でゲームを行いました。1つ目はプレイヤーがある基準を達成した場合に,プレイヤーと観衆の両者が報酬を得られる「支持」条件。観衆は当然,プレイヤーを応援します。2つ目はプレイヤーが基準を達成した場合,プレイヤーのみ報酬を得られる「中立」条件。観衆の応援は「支持」条件よりも減ります。3つ目はプレイヤーが基準を達成した場合はプレイヤーが,達成できなかった場合は観衆が報酬を得られる「敵対」条件。観衆のなかにはプレイヤーの足を引っ張ろうとする者が現れます。4つ目は観衆のいない場でゲームを行い,プレイヤーは基準を達成した場合に報酬を得られる「単独」条件です。
 実験の結果,ゲームの難易度が低い設定のときはいずれの条件でもプレイヤーの成績に大きな差はありませんでした。しかし,ゲームの難易度が高いときには,「支持」条件で行ったゲームの成績が最も悪くなりました。つまり,パフォーマンスの難易度が高い場合,観衆のプレイヤーに対する支持(応援)はむしろ,プレッシャーとなってパフォーマンスを低下させたのです。

有光興記 (2010). 「あがり」は味方にできる メディアファクトリー pp.99-100
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理想のパートナーは

 若者たちに理想のパートナーの人物像を尋ねたところ,次のような答えが返ってきた。
 こちこちマインドセットの若者が理想のパートナーと考えるのは,
  自分をあがめてくれる人
  自分は完璧だと感じさせてくれる人
  自分を尊敬してくれる人
 いいかえると,自分の資質をそのまま温存してくれる人が理想の相手なのである。
 しなやかなマインドセットの若者が望むのは別のタイプだった。彼らにとっての理想のパートナーは,
  こちらの欠点をよくわかっていて,その克服に取り組む手助けをしてくれる人
  もっとすぐれた人間になろうとする意欲をかきたててくれる人
  新しいことを学ぶように励ましてくれる人
 もちろん,あら探しをしたり,自尊心を傷つけたりするような人を望んではいなかったが,自分の成長を促してくれる人を求めていた。自分は完全無欠な人間で,もう学ぶことなどないとは思っていないからだ。

キャロル・S・ドゥエック 今西康子(訳) (2008). 「やればできる!」の研究:能力を開花させるマインドセットの力 草思社 pp.33-34

意識できれば

 自分は今,不協和を感じているのだと意識できると,自動的に動き出す自己防衛システムが都合のいいようにその不協和を解消するのに任せてしまわずに,もっと鋭敏で賢明で意識的な選択ができるはずだ。不愉快でいつも攻撃的な同僚がグループ会合で画期的な案を出したとしよう。あなたには「何も知らないくせに,あんな女がいいアイデアを出せるはずがないさ」とつぶやいて,大嫌いな女だから(そして正直に言うと,部長に認められようとする競争相手でもあるから)怒りにまかせて,彼女の提案をつぶしてしまうという選択肢がある。しかし一瞬,心を鎮めて,「なかなかの提案じゃないか。このプロジェクトの仲間が出したとしたら自分はどんな気がするかな」と考えてみる手もある。それがほんとうに優れたものであったら,たとえ個人的には嫌いなままでも,あなたはその案を支持できるのだ。メッセージと,それを届けるメッセンジャーは別物と考えてもいい。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.297
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

暴力のエスカレーション

 こうした研究は,背筋の寒くなるような結果を意味している。自尊心の高い加害者プラス無力な被害者,出てくる答えは暴力のエスカレーションである。こうした暴力性は,たとえば加虐趣味者(サディスト)や精神病質者(サイコパス)といった,異常な人間だけのものではない。ごくふつうの人間,つまり子どもがいたり,恋人がいたりする人々で,みんなと同じように音楽や食事やセックスや噂話を楽しむ「文明的な」人々も暴力性を発揮できるし,事実,発揮している。これは社会心理学で完璧に認識されている知見のひとつであるが,私たちの多くにとってはもっとも受け入れがたい事実でもある。「殺人や拷問をやった者と私のどこに共通点があるのだろうか」という多大な不協和が生じるからである。やつらは邪悪でどうしようもない連中だと考えたほうがずっと気持ちが休まるというものだ。私たちは誰も戸口で彼らの姿など見かけたくないと思う。そんなことになったら,新聞連載漫画の主人公ポゴが言った有名な科白,「敵に出会ってみたら,それは自分たちだった」という恐ろしい真実に直面してしまうかもしれない。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.263
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

必死に

 ジェフリー・シャーマンらは一連の実験をおこない,偏見の強い人々はその偏見と,それとは相容れない情報とのあいだで協和を保とうと必死になることを実証している。彼らは,X氏やミネソタのご近所の女性のように,不協和を生じる証拠をどうにか追い払ってしまおうとして,偏見と逆行する情報よりも,偏見と同異見の情報に注意を向けようとする。ある実験では,(同性愛傾向のない)学生たちに,ゲイの「ロバート」を評価させる。ロバートは,いかにもゲイのステレオタイプに当てはまる行動8つ(たとえば,創作ダンスを習う)と,当てはまらない行動8つ(日曜にはテレビでフットボールを観戦する)をおこなう人物だという。ゲイに反感をもつ学生たちはロバートについての証拠をねじ曲げ,ゲイに偏見のない学生よりも彼のことをはるかに「女性的」だと述べ,自分の偏見を保持しようとした。相容れない事実が引き起こす不協和を解消するために,彼らはこうしたものは状況による人為的なものだと片付けようとした。そうだね,たしかにロバートはフットボールを見るだろうけれど,いとこのフレッドが来ていたからに過ぎないのよ。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.85
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

「私たち」と「それ以外」

 しかし,一度「私たち」というカテゴリーをつくってしまうと,否応なくほかの人々は「私たち以外」として感知される。「私たち」の中味は一瞬で入れ替え可能だ。私たちは良識ある中西部の人間で,あなたたちは見栄っ張りの海岸族だ。私たちは環境を考えた日本車のプリウスに乗っているけれど,あなたたちはガソリン食い虫だ。あるいは(野球シーズンに誰かふたりを適当に選べば)ボストン・レッドソックスのファン対ロサンゼルス・エンゼルスのファンでもいいだろう。「私たち的要素」は実験室でも1分でつくりだせる。意義汁のイギリスの学生を使って,アンリ・タジフェルらがある古典的な実験で実証したとおりである。タジフェルはいくつも点を打ったスライドを学生たちに見せ,点の数を当てさせる。彼は適当に学生を選んで,きみは「過大評価型」だね,きみは「過小評価型」だね,と指摘し,このあとで別の作業をさせる。この段階では,学生は「過大評価型」あるいは「過小評価型」とわかっている相手の学生に点数をつけることになっている。すると,各自は隔てられた場所で独り作業をしているにもかかわらず,ほとんど全員が「過大評価型」にしろ「過小評価型」にしろ自分と同じタイプのほうに高い点数をつけた。作業から解放されて外に出てくると,学生たちは互いに「きみはどっちだい?」と訊ね合い,同じタイプであると歓声をあげ,違うとわかるとなぜか残念そうにしていた。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.80
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

実はいい奴

 ただ幸いにも,誰かへの寛大な行為が善意と憐れみの連鎖を生むという,悪循環ならぬ「善の循環」をつくりだすメカニズムがあることも,不協和理論は教えてくれる。誰かに善いことをすると,特にそれがふとした気まぐれや偶然によるものである場合は,人は自分の寛大な行為をあたたかく見つめるようになる。その人物に善行を施したという認識は,相手に抱いていたかもしれない否定的な感情とのあいだに不協和を生み出す。善いことをしたあとで,「私としたことが,どうしてあんな嫌なやつに,善いことをしてしまったのだろう。ということは,あいつは思っていたほど嫌なやつではないのかな。いや,じつは仲直りしてやっていい好人物かもしれないぞ」と論理が回っていくのである。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.40-42
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

怒りは増幅していく

 精神分析では,感情の解放による魂の浄化すなわちカタルシスは精神衛生上よろしいものだとされていて,八つ当たり人形でよくわかるように,私たちの文化ではひとつの根強い思いこみが生まれた。腹が立ったときは,どなったり暴れたりして発散すると怒りがおさまるという思いこみだ。この人形を投げつけたり,サンドバックを殴ったり,妻をどなりつけたりすれば気分がすっきりするという。しかし現実には,何十年もの研究の成果からまったく逆の結果が出ている。攻撃的な方法で怒りを発散させると,かえって気分は落ちこみ,血圧は上がり,ますます腹が立つのである。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.39
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

反対意見を読んでも

 まったくの話,自分の意見に反対する情報をきちんと読んでさえ,私は正しいとの思いこみは深まる一方だ。ある実験で,死刑に反対あるいは賛成の人々を選び,優れた学術記事を2本,読んでもらう。死刑によって凶悪犯罪が防げるかという,感情論になりがちなテーマの記事で,一方は抑止できる,もう一方は抑止できないと結論づけていた。被験者が感情を理性的に処理しているならば,少なくとも,これはなかなか複雑な問題だと気がつき,相手の節にほんの少しでも歩み寄るはずだ。しかし不協和理論の予想では,被験者は記事を歪曲する道を探すはずだった。自分と同じ意見の記事をひしと抱きしめ,素晴らしい出来だと賞賛する。もうひとつの相容れない記事は手厳しく批判し,小さな不備を騒ぎたて,だからこんな記事に左右される必要はないという。事実,このとおりになったのである。どちらも相手方の記事を信用できないとし,自分の意見にますます固執した。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.31
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

「居場所を得る」感覚が

 「家族が安泰だから,安心して遊べるんですよ。もしも夫婦でもめてたり,子どもがぐれたりしたら,そっちの問題に気を取られてネトゲなんてできないじゃないですか。要は,幸せな奥さんだからたっぷりネトゲができるんです」
 この発想には,なるほどと思った。衣食住足りて,優しい夫や素直な子どもがいて,経済的にも時間的にも余裕がある。幸せな状況があるからこそ,思う存分ネトゲが出来るというのはその通りだろう。
 だが一方,人は幸せに飽きるのだ。平凡な毎日,穏やかな日々,そういう恵まれた状況を「つまらない」と感じる主婦は少なくない。ふつうの奥さんとしての生活に飽きたらなくなったとき,ネトゲという世界を覗いてみれば,実生活では体験できないような遊びが楽しめたり,現実には知り合えない人たちと仲良くなれたり,恋愛や結婚,出産,子育てだって「自分の思い通りに」できる。
 本当は,つまらないと感じるその日々こそかけがえのない大切なものなのだが,目の前に展開される刺激的な世界やドラマチックなストーリーのほうが心の支えのように感じてしまう。平凡な主婦としての日常より,ゲーム世界で注目され,一目置かれ,尊敬を集めることのほうが「自分の居場所を得た」と錯覚してしまうのだろう。

石川結貴 (2010). ネトゲ廃女 リーダーズノート pp.217-218

称賛される世界

 毎日2〜3時間の睡眠で,食事もろくにとらず,必死にキャラクターを強化してきた。経験値を上げ,レアアイテムを揃え,ゲームマネーを貯めた。努力を重ねた結果,周囲のゲーマーから一目置かれ,「強い」,「すごい」と称賛される。自分が「憧れの存在」と見られる世界から抜け出すことは,簡単にはできなかったというのだ。

石川結貴 (2010). ネトゲ廃女 リーダーズノート pp.155

誰が成功する?

 とどまるところを知らないリチャード・ワイズマンは数年前に行った実験で,ある独立系アナリストと,ある金融業界専門の占星術師(名前を明かせば,あのクリスティーン・スキナーだ)と,驚くなかれ,ティアという4歳の女の子に株式投資で資金を増やしてほしいと依頼した。アナリストは経験とスキルを駆使し,クリスティーン・スキナーは星のお告げを読み解き,ちっちゃなティアは好き勝手に銘柄を選んだ。
 大勝利を収めたのはティアだった。3人は5000ポンドの資金を1年にわたって運用したが,ポートフォリオを黒字にしたのはティアだけ。ティアの収益率は5.8%に上ったが,惑星の運行に頼って投資したクリスティーンの収益率はマイナス6.2%,アナリストに至っては情けないことにマイナス46.2%だった。ティアの運用成績はFTSE100種総合株価指数さえも上回った。同指数は実験が行われた1年間に16%下落している。
 この事実を頭に叩き込んで再びヴァイスの本を読みはじめた僕は,衝撃的な1文に出会う。「迷信的行為は時間と労力と金の無駄であり,不確実性に対して効果のない反応を長引かせる」

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.356-357

コールドリーディングのやり方

 「やり方は2つだ」彼は言い,僕の超能力が期待に背いたときのためのライフラインとして,コールド・リーディングを伝授してくれる。「多くの人に当てはまるようなごく一般的なことを言うか,ものすごく具体的なことを言うか。大正解を1つ言えば,霊視相手はそれまでの的外れな発言を全部忘れて,奇跡が起きたと思い込む。いちばんいいのは2つのやり方を組み合わせることだね」
 ありがたいことに,彼は具体的な例も教えてくれる。「例えば,廊下で寝ている犬が見えると言ってみる。反応がないなら,犬の写真が見えると言って,それでもだめなら,写真が見える,家族の写真が見えると言う。そのうちどれかが命中するよ」
 ある霊能者が実際に使った,こんな手もあるという。デレンが数年前に撮影したその霊能者は,ある若い女性に死んだ父親のメッセージを伝えていた。彼はこう言った。「お父さまが亡くなったのはそれほど昔ではないですね——数年前ではないかと感じますが,そのとおりですか?(女性が否定する。)ええ,現実にはそうですが,あなたが最近のことのように感じると言い続けていると,お父さまは私に告げています。ずっと前だったことはわかっていますが,あなたは最近のことのように感じているんです」
 霊能者は外れから当たりへスムーズに移行してみせた。なんて賢い。そして女性も,彼はよく当たる霊能者だと考えたのだ。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.293-294

コールドリーディング

 とくに興味をそそられるのはコールド・リーディングについての記述だ。リチャード・ワイズマン教授は否定的だったが,デレン・ブラウンはコールド・リーディングの力を信じて活用しまくる。著書には,ある番組で「フォアの実験」を再現したときのことが書いてある。1948年に,心理学者のバートラム・フォアが学生を対象に実施した実験に倣い,デレンは20代の若者5人からなる3つのグループ——それぞれイギリス,アメリカ,スペイン出身の若者で構成されている——を相手に「霊視」による性格分析を行った。各グループのうち1人は超能力に対して懐疑的で,残りの4人はどちらかと言えば肯定的だった。デレンは彼らに誕生日を尋ね,手の輪郭を描いたスケッチと身につけるものなどの所有物を渡すよう頼み,その後できわめて詳細な分析結果を書いた紙を渡した。
 デレンの「霊視」結果を読んだ後,若者たちはその正確さを100点満点で採点する。彼らのなかで最も懐疑的な意見を持つ若者は40点をつけたが,ある女性はあまりに正確な内容にショックを受け,自分の日記を盗み読みしたとデレンを非難した。個人的すぎる情報が書かれていたため,カメラの前で話すことを拒否した者も2人いた。残りの若者も驚いた。曖昧なことしか書かれていないだろうと予想していたのに,中身はとても具体的で個人的だった。大半が90点台の評価を下し,なかには99点をつけた女性もいた。
 採点が終わった後,デレンは結果を書いた紙を回収し,混ぜ合わせてからもう一度配り,どれが誰の結果かわかるかと聞いた。そのとき,若者たちはだまされていたことに気づいた。15枚の紙には,まったく同じ文章が書いてあったのだ。人は誰でも,とりわけアイデンティティが確立していない20代には,同じ悩みや不安を持つ。そうした仮定に基づいて作成された文章だった。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.290-291

聞く側が仕事をしている

 「それに,霊視中に仕事をしているのは霊能者ではなくシッターのほうです」ワイズマンはそうつけ加える。
 なんてこった。サイキックは悪党なうえに,やる気までないのか。
 「霊能者の言葉は多くの場合,非常に曖昧です。『過去にトラウマ的な体験をしましたね』なんて言うが,具体的には何を言いたいのか。それを聞いたシッターは『すごい』とか『そのとおりです』と答えるが,彼らの思考プロセスはどうなっているのかと不思議になる。霊能者のもとを訪れる人は,最初から協力する気満々なのでしょう。霊能者に言われたことが自分の人生にうまく当てはまるよう解釈する」
 こうした心理を浮き彫りにするのが,心理学者のスーザン・ブラックモアが行った研究だ。ブラックモアは6000人を対象とした調査を実施し,特定の記述が自分に当てはまるかどうか答えてもらった。「わたしにはジャックという名前の身内がいる」にイエスと言った人は4分の1強。「私の左膝には傷跡がある」という記述が自分に当てはまると言った人の割合は3分の1を超えた。
 「霊能者はこの現象を霊視に利用し,さも的中率が高いかのように見せかけます」ワイズマン教授は言う。「だが実際のところ,彼らの言葉は多くのシッターに当てはまる一般論だらけなんです」

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.106-107

信じることの効用

 自信(獲得したものにしろ想像の産物にしろ)と実績とのつながりについては,多くの科学的な裏づけがある。長年にわたる数多くの研究から,成功すると信じればいろいろな形で実際の成功を導くことがあきらかにされてきた。このため,テストを受けるときに自分の学力に自信を持ったり,仕事の採用面接で自分の有能さに自信を持ったりすることは,実際に利益をもたらしうる。現実がどうであれ,自分が人並み以上であると信じることは,人並み以上の結果を獲得するうえで役立ちうのだ。

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.147-148

真実バイアス

 自分はだまされないと決めこむ,このような心理学的現象は「真実バイアス」として知られている。真実バイアスとは,相手の言動にもとづいて客観的に判断するのではなく,その人が真実を語っていると信じこんでしまうことを意味する。説得力のある理由を呈示されないかぎり,私たちは相手が嘘をついているとは思ってもみないのだ。最新の心理学の世界では,真実バイアスはいわゆる「ヒューリスティックな判断」のひとつであるとされる。ヒューリスティックな判断とは,心理学研究者が認識の経験則に関して使う言葉であり,私たちの世界を単純化してくれる。すなわち,与えられたすべての情報をもとに物事を判断するのではなく,潜在意識下で働く心的ルールに従ってすばやい判断をくだすのだ。真実バイアスはそうした精神的ルールのひとつである。ガソリンスタンドで車を誘導する店員の顔色をうかがったり,駅のホームで昨日の晩のアメフトの試合はペイトリオッツが勝ったと話している男が本当はどう思っているのか探ったりする必要をなくしてくれる。大半の人は本心を口にしていると信じて,私たちは日常生活を送っている。

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.53-54

嘘つきの優位性

 嘘をつくときにはあきらかにそうとわかるシグナルを発するものだという根本的な仮定は,「嘘つきの優位性」の重要な一要素となっている。人が嘘をつくときに発する明らかなシグナルはいろいろあるとされている。たとえば,視線をそらす。脚を組みかえたり,手の指で机をコツコツたたいたりする。顔が赤らむこともあるだろう。とくに大きな嘘ならば,汗をかいたりもするだろう。そこで,そうしたシグナルが認められないとき,私たちは相手が嘘をついていないと判断することが多い。
 どのようにしてこれらが「うそつきの優位性」の要素として働くのかを知るために,まずは「視線をそらす」という行動について考えてみよう。すでにこの本で紹介したテキサスクリスチャン大学のチャールズ・ボンド教授がこんな実験をした。さまざまな国の2000人以上の人に,嘘をついているかどうか見分けるポイントを尋ねた。もっとも多かった答えは,視線をそらすかどうかだった。嘘をつくと目が泳ぐという考えは,あきらかに国境を越えて広がっている。
 だが,それは事実だろうか?驚いたことに,心理学者がいうところの「視線回避」は実際には嘘と関連していないようだ。数多くの研究者が実験をして,結果として全員が,視線をそらすことは嘘をついていることを知らせるシグナルではないと結論づけた。視線回避は他の意味を示してはいるが—たとえば服従であり,私たちの先祖にまでさかのぼれば,彼らは視線をそらすことで相手への服従を表現した—嘘をつくこととは関連していない。

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.45-46

ポリグラフの欠陥とは

 ポリグラフの欠陥は,視線回避がかならずしも嘘つきを見破らないのと同じく,ポリグラフが測定する生理学的反応もまた,かならずしも嘘つきを見破らないという点にある。もし,一階から六階まで階段を駆けのぼってすぐにポリグラフを受ければ,あなたの話はすべてが嘘だという判定が出るだろう。息を切らし,汗をかき,心臓が高鳴っているからだ。激しい運動がもたらす身体的シグナルは,緊張がもたらすシグナルと同じなのだ。さらにいえば,もしあなたがポリグラフを受けるときに極端に緊張していれば—たとえば,3人殺害の犯人として誤認逮捕されるのではないかと不安にかられているせいで—あなたの体が示す反応は,機械上では嘘をついているときと同じように見える。私の同僚の社会不安障害のご主人を思い出してほしい。嘘をついていると示す典型的なしるしがみられるからといって,その人が嘘をついているとはかぎらない。これはポリグラフが抱える根本的な問題点である。NRCはポリグラフに関してつぎのように報告している。「嘘をつくと生じやすい心理状態(たとえば,嘘をついていると判断されるのではないかという恐れ)はポリグラフが測定する生理的反応に影響をおよぼしがちだが,嘘をついていなくても同じような心理状態になりうる。そのうえ,ほかにもたくさんの心理的および生理的要因(たとえば,検査されること自体に対する不安など)が,測定値に影響を及ぼす。これらの理由から,本来的にポリグラフ検査はまちがった結果をもたらしやすい」

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.49

嘘を見抜く練習は可能か

 では,嘘の話に戻ろう。嘘を見抜くのが,ある種の技術だとしよう。技術を習得し,向上させるのは練習である。私はゴルフをしたかったので,練習をした。とはいえ,日常生活において,どうしたら嘘を見抜く練習ができるだろう?会話の一言一句に注意を払って,それが真実かどうか見きわめるというのは,ひとつのやり方かもしれない。だが,あなたの判断が正しいかどうかは別問題だ。会話を交わした相手に,嘘をついたかどうかいちいち尋ねることもできないではないが,相手はさらに嘘を重ねるかもしれないし,第一,そんなことをしていれば,友人ができなくなるにちがいない。要するに,相手が嘘をついていると疑うことはできるが,その疑いを確かめることは,まず絶対にできない。それは,暗闇でゴルフの練習をするようなものだ。いくらボールを打ったところで,どこへ飛んでいったのか見えないから,うまく打てているのかどうかまるでわからない。嘘つきを見つけようとして,いくら疑ってみたところで,自分が正しいかどうか知ることは,まず例外なく不可能だ。したがって,私たちは嘘を見抜く技術を向上させることはできない。念のためにいえば,FBI捜査官や刑事といった嘘を発見することについてそれなりの情報を持っているとされる人々でさえ,みごとな手腕を発揮しているとはいえないのだ。

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.43-44

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