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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「算数・数学・統計」の記事一覧

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ギリシア人が確率理論をつくらなかった理由

 なぜギリシア人は確率の理論をつくらなかったのだろうか。未来は神々の意志にしたがって開かれると多くのギリシア人が信じていたから,というのが1つの答えである。たとえば,もしアストラガリ投げの結果が,「バラック校舎の裏でのレスリングでお前を押さえ込んだ,あのがっしりしたスパルタ娘を娶れ」ということであれば,ギリシアの若い男はけっしてそれをランダムなプロセスの幸運な(あるいは不幸な)結果だとは見なかった。それを神の意志と見た。そうであるなら,ランダムネスを理解するなどというのは筋違いのことであり,ランダムネスの数学的予測などというのは不可能だったと思われる。
 別の答えは,ギリシア人を偉大な数学者に変えたあの哲学そのものにある。彼らは,論理と公理によって証明される絶対的真実を主張し,不確かな見解に異を唱えた。たとえばプラトンの『パイドン』で,シミアスがソクラテスに「確率の議論はペテン師のすること」と言い,「確率を使う際に十分な注意が払われないなら,それは人を欺くものになりかねない——幾何学においても他のことにおいてもそうである」と指摘し,カーネマンとトヴァスキーの研究に先鞭をつけている。また『テアイテトス』の中でソクラテスは,「幾何学で確率や見込みを議論するような数学者は,一流数学者の名に値しない」と述べている。


レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.45-46
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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将来予測の困難さ

 儲けにつながるトレーディング・ルールを開発しようとしたファーマの努力は決して不成功に終わったわけではないが,彼がみつけだした法則は昔のデータではうまくいったが,新しいデータでは効果がなかった。彼はその当時まだ知らなかったことだが,彼の経験したこうした無念な結果は彼だけではなく,市場平均に打ち勝とうとした多くの野心的な投資家たちが共通して体験してきたものであった。バック・テスト(過去のデータで投資戦略の有効性をテストすること)ではうまくいくようにみえることが,実際に投資家がそれを実行しようとすると不冴えな結果になることが多い。その原因は,投資環境が変貌したり,市場の反応速度が遅くなったり早くなったり,また同じ投資戦略を大勢の人々が実行するようになって得べかりし利益をお互いに奪い合ってしまうことになるからである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) p.189

テクニカル分析は……?

 ロバーツが三尊型天井というのは,第30週目あたりで475を天井[ヘッド]とし,その右側と左側により低い2つの天井[ショルダーズ]があることを意味している。ここではひ弱なショルダーではあるが,このような形状はテクニシャンにとってこのうえない材料である。テクニシャンたちの信じるところによれば,この図で第37週目に「株価」が455を切って下がりはじめたように,この形状の襟足に当たるところを切って株価が下がりはじめると相場は軟化することになっている。逆三尊型のパターンの場合では,株価が襟足を越えて上がりはじめると相場は好調に向かうというわけだ。有名なテクニシャンのウィリアム・シャインマンが最近次のように述べている。「ダウ・ジョーンズ平均株価は逆三尊形状の襟足に当たる2650〜2675の範囲をなかなか突き抜けないが……それでも相場がこの水準を乗り越えていくための機は熟していると我々は考えている」。
 ロバーツが示したのは,テクニカル分析で使われる古典的なパターンのほとんどすべては,「正確なルーレット盤や乱数表を使った人工的な」偶然によっても生み出されうるということである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.149-150

分散投資の意義

 ではシャープが言う「根底にある基本的要因」とはいったい何であろうか?個別の銘柄の値動きは株式市場全体の動きに対して最も直接的に反応するという点は疑いがない。典型的な銘柄の価格変動のうちおよそ3分の1は,株価指数——すなわち「最も重要なたった1つの影響力」——の動きをたんに反映したものである。価格変動のうちそれ以外の部分は,自動車産業とか公益事業とかその銘柄の帰属しているグループ内のほかの銘柄の影響によるものと,その銘柄に固有のものとに,だいたい半分に分かれる。十数銘柄ほどを集めてポートフォリオを組むだけで,こうしたほかの影響力は消え去ってしまう。こうして分散投資の力は銘柄ごとの個別の属性を消滅させるので,ポートフォリオの価格変動の90%以上は株価指数によって説明されるのである。
 この論理が単純だからといって,その深遠な重要性を見失ってはならない。もし投資家がいかなる銘柄を購入しようとしても,株式一般を保有することに伴うリスクを取ることからは逃れられない。たった1つの銘柄を買う場合でさえ,その銘柄に投資することと同時に株価指数にも投資していることになるのである。ウォール街の人々が好んで引合いに出す格言に,警察の車が売春宿に来ると警官は不細工な女と一緒に美女の女もしょっぴいていってしまう,というのがある。株式相場が下落する時,一緒になって下落しないのはほんのわずかな銘柄だけである。相場が上昇する時もまたしかりである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.122-123

1人が24人を知っていれば

 ここで見えてきたことのなかに,地球全体の社会的ネットワークの性質に関する注目すべきヒントが1つある。少なくとも考え方としては,中間に介在するリンクをどうたどってもつながらないペアが何組か存在するとしてもおかしくはない。ウズベキスタンのジャガイモ売りとエクアドルのコーヒー農園の労働者を取り上げてみよう。たとえ長く込みいった交友関係の連鎖を通してであっても,この2人がつながっているとほんとうに確信していいのだろうか?エルデシュのグラフ理論からすると,答えはイエスのように思われる。結局のところ,60億の人々からなるネットワークの場合,エルデシュの計算が与える重要な比は,ほぼ0.000000004,つまり約10億分の4なのだ。
 この数字は,もしも人々が事実上ランダムにつながっているのなら,世界のすべての人が完全に結合した社会の網構造でつながっているためには,基本的には1人がほぼ2億5000万人に1人の割合でだれかを知っていればいいことを意味している。つまり,1人が24人を知っていればいいのだ。これはけっして多い数字ではない。常識の範囲で知り合いを定義すれば,たぶんほとんどの人には優に24人を超す知り合いがいるだろう。したがって数学的には,世界じゅうのどんな2人でも,介在する社会的つながりをたどればつながってしまうのは少しも不思議ではない。エルデシュがもたらした輝かしい成果は,このことをもう少しで証明できるところまできている。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 p.52
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)

道路が何本必要か

 発展途上国で町と町を結ぶ道路建設の仕事を任されたと想像してほしい。引き受けた時点では道路は1本もなく,ただ50の町が孤立した状態で地図全体に点在している。これらの町を連結するのが仕事なのだが,ことはそう簡単ではない。いくつかの制約にも直面している。まず,たとえ場所を正確に指定して道路の建設を要求しても,およそ無能な道路局は無視するばかりで,どこか別のところ,行き当たりばったりで選んだ2つの町のあいだに道路を造ってしまうかもしれない。要求すれば道路は建設されるのだが,どこにできるかはいっさいわからないのだ。
 さらにわるいことに,この国は資金にきわめて乏しく,そのため建設する道路の本数は可能なかぎり少なくしなければならない。したがって問題はこうなる。最低,何本の道路があれば十分か?財源の制約がなければ,2つの町がすべてつながるまで道路の建設をつづけるよう道路局に命じることもできるだろう。その場合,50の町すべてが他の49の町と道でつながるためには,1225本の道路が必要になる。だが,どの2つの町であろうと,道から1度もはずれることなくほぼ確実に車で行けるようにするには,最低で何本の道路を造ればいいのだろうか?
 これは,グラフ理論ではもっともよく知られた問題の1つである。もちろん,必ずしも町と道路の必要はない。家と電話回線,人と人との交友関係,ひもでランダムにつながれた犬の群れなど,他にもいろいろな形で表すことができる。基本的な問題はどれも同じだが,問題を解くのはけっして簡単ではない。だから答えがわからなくても気にする必要はない。実際,この難問を解くにはポール・エルデシュ並の才能が求められるのだ。ちなみに,エルデシュが解いたのは1959年のことで,大多数の町を確実に結ぶには,98本の道路をランダムに配備すれば十分なことがわかったのである。98本はかなりの本数のように思えるかもしれないが,50の町のあいだに建設可能な1225本の道にリンクを張るのは,思ったほど非効率的ではないのだ。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.50-51
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)

研究にも見られるべき乗則

 レドナーは,選んだ論文に対する統計を調べ,初めに深刻な事実を発見した。36万8110本もの論文が,一度も引用されていなかったのだ。これらの論文に含まれる学説は,学説のネットワークに目に見える反応をまったく引き起こさなかったのである。しかし,より影響を及ぼした他の論文について調べたところ,さらに興味深いことを発見した。約100回以上引用された論文において,その引用回数の分布がスケール不変的なべき乗分布に従ったのだ。それは学説のネットワークが,砂山ゲームや地殻と同様に,臨界状態へと組織化されている場合に予想される通りのものだった。もちろん,多くの回数引用された論文は,少ししか引用されなかったものより数は少ない。レドナーは,引用回数が増えるとともに,その論文の数がきわめて規則的に減少していくことを発見した。引用回数が2倍になると,そのような論文の数は約8分の1になるのだ。したがって,論文の引用回数に典型的な値はなく,ある論文が学説のネットワークに最終的に引き起こす変化にも,典型的な規模はないのである。このことは何を意味しているのだろうか?
 以前に我々は大量絶滅のところで,恐ろしく大規模な絶滅はよりありふれた目立たない絶滅に対してきわだっている,ということを見た。表面的には,これら2種類の絶滅は本質的に異なる原因,つまりそれぞれ外部からの衝撃と通常の進化の作用によって起こったかのように見える。しかしこの違いは,単なる幻想でしかないということが分かっている。我々はこれと同じことを,地震の場合にも見てきた。大地震の裏にある特別な原因をどんなに必死になって探しても,そのような特別な原因など存在しないことが,グーテンベルク=リヒター則によって示されている。レドナーの統計から考えて,これとほぼ同じことが科学自体についても当てはまるように思える。クーンにとっては,大規模な革命とともに小規模な革命も存在し,どちらも「伝統を打ち壊す」という本質的に同じ性質をもっていることに気がつくところまでが,精一杯だった。しかしレドナーのべき乗則は,科学的大変動に対するグーテンベルク=リヒター則に相当するものであり,これは,大規模な科学革命と小規模な科学革命とのあいだには深い意味で違いはないことを示唆している。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.299-301

年収もべき乗則

 なぜ,金持ちになる人と貧乏になる人がいるのだろうか?都市と同様にその理由はたくさんあり,その人の出自や教育などは必ず関係してくる。しかし,人にはそれぞれ長所や短所や能力の違いがあるにもかかわらず,そこには実は単純な傾向が成り立つ。アメリカで10億ドルの純資産をもっている人が何人いるかを集計すると,資産5億ドルの人の数はその人数の約4倍であることが分かる。さらにその4倍の人数が2億5000万ドルの資産をもっており,同様にこの傾向は続いていく。もしこの傾向が,ある1つの国のある政権下で,ある一時代のみに成り立っているとしたら,これは何らかの政策による気まぐれだとして無視してしまえばよい。しかしまったく同じ傾向は,イギリスでもアメリカでも日本でも,地球上のほぼすべての国で成り立つのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.265

都市の人口もべき乗則

 ザネットとマンルビアは,アメリカ合衆国の2400の大都市のデータを使い,人口約10万,20万,30万……の都市がそれぞれいくつあるかを,ニューヨークの900万人にまでわたって数えあげた。つまり,都市に対して,グーテンベルクとリヒターが地震について行ったのと同様の方法で取り組んだのだ。そして彼らは同様のパターンを見出した。この統計から分かったのは,各都市,たとえば人口400万のアトランタに対して,その半分の人口の都市が4つあるということだ。そのうちの1つはシンシナティーであり,そのシンシナティーの半分の人口の都市が再び4つあり,そしてさらに同じように続いていく。つまり,すべての都市や町は,様々な理由からたくさんの競合する影響の結果として発生してきたにもかかわらず,それでも全体としては1つの数学的法則に従うのである。
 人々が都市の間を自由に行き来できることを考えれば,このような著しく規則的な傾向は驚くべきものだろう。ザネットとマンルビアは,アメリカの都市に留まらず,世界中の2700の大都市や,スイスの1300の大きな自治体についても調べた。そしてどの場合にも,正確に同じべき乗則の傾向を見出した。これは,人々が集まって都市を作るときの過程における,普遍的な帰結であるようだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 p.261

映画の売り上げもべき乗則

 映画や自動車や音楽などにおける大ヒットはおそらく,同様の興味の雪崩へと還元できるだろう。1994年,『バラエティー』という業界紙は,1993年の人気の上位100本の映画による劇場総収入をデータにまとめた。これらの映画の収入を人気度の順位に対してグラフに表わしたところ,それが幅広い裾野をもつべき乗則に従うことが分かった。これは,映画のヒットを予測するのがきわめて難しいことを示唆している。1993年の人気第1位の映画は,この年の数あるヒット映画のうちの1本にすぎなかったというのに,第100位の映画の40倍も稼いだのである。なぜだろうか?我々の多くは,映画を見たいかどうかを,見に行く前から,あるいは噂を聞く前から決めてしまっている。我々は,新聞やテレビや口コミなど何らかの方法で態度を決めてしまう。人々が流行に夢中になり,他の人が興味をもっていると聞くと自分も興味をもつようになるというのは,否定しがたいことである。これは合理的な意思決定ではない。人間は互いに非合理的に影響し合うのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.237-238

株価変動もべき乗則

 1990年代に研究者たちは,世界中の株式や外国為替の市場における変動をより徹底的に調べ,どの場合にも,べき乗則と,固有の大きさをもたない激しい変動という,同様の性質が成り立つことを見出した。たとえば1998年,ボストン大学の物理学者ジーン・スタンレーは,研究者を率いて,有名なスタンダード&プアーズ社500種平均株価(S&P500)の変動を分析した。この平均株価は,ニューヨーク証券取引所の大企業500社の株価をもとにしており,市場全体を表わす1種の指標となっている。スタンレーたちは,1984年から1996年までの13年間にわたって15秒おきに記録された,450万点という驚くべき数の株価データを使って研究した。この期間の平均株価は,長期的なゆっくりとした増加傾向と,それに伴うたくさんの不規則な上昇と下落とを示していた。
 この変動をきわだたせるには,単純に長期的な傾向を無視し,さらに株価が上昇したのか下降したのかも無視してしまえばよい。こうして1分ごとの株価変化の大きさだけを表わすようにすると,問題点をもっと浮き彫りにしたグラフを作ることができる。このグラフは,ピークがたくさん並んだような形をしている。スタンレーたちはこの株価の変動を詳しく調べ,変動の大きさが2倍になると,その頻度は約16分の1になることを発見した。ここで重要なのは,べき乗則の数値ではなく,その規則的な幾何学的性質であることを思い出してほしい。この幾何学的性質は,大きな変動と小さな変動との間に質的な違いはないことを意味しているからだ。
 このべき乗則が示唆しているのは,典型的な変動などというものは存在せず,上昇下降とも大きな変化は,どんな意味においても異常なものではないということだ。突然起こる大規模な変化には何か理由が必要だという考え方は,正しくないようである。たとえそれがしばしば起こることだとしても,これは我々の直感に反する。科学者は,べき乗則に従う分布をしばしば,「太い尻尾(ファット・テール)をもっている」と表現する。べき乗則の曲線は,釣鐘型曲線に比べて裾野が急激には落ちないからだ。分布の裾野部分は,極端な出来事に対応する。何物かが系をべき乗則へと調整すると,極端な出来事はそれほど稀なことではなくなる。実際それらを「極端」だと呼ぶことさえ,間違いなのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.232-234

バッタの大発生もべき乗則で

 1994年,デール・ロックウッドとジェフリー・ロックウッドの生態学者の兄弟は,この大発生について,以前にはなかったほど詳細な数学的研究を開始した。あなたはもう,彼らが発見したことに驚かないだろう。米国農務省は,アイダホ州,モンタナ州,ワイオミング州の様々な地域で半世紀以上にわたり,バッタの個体数が環境収容力と呼ばれる限界値を超えた地域の総面積を,毎年記録している。大雑把に言って,バッタの密度がこの限界値(1平方メートルあたり約八匹)を超えると,そのバッタの1年間の活動によって,その地域の植物群落の構造に永続的な被害が残ることになる。この値に達した面積の広さが,バッタの大量発生の規模を示すよい指標になる。彼らは,いくつかの地域での発生記録の統計を見て,発生規模の分布がべき乗則に当てはまることを発見した。小規模な発生はよくあるが,大規模なものは稀であった。そして重要な点が,小規模な発生と大規模な発生とでは,その原因に関して意味のある違いはなさそうだということである。べき乗則が示しているのは,一見ささいな原因が,あるときには小規模な発生しか引き起こさない一方で,ときには壊滅的な大量発生を起こすこともあり,そして発生初期の時点での地域的条件をいくら分析しても,その最終的な規模の推定はできないということである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.158-159

べき乗則

 地震については何が典型的なのかという我々の疑問に関して言うと,この法則にはあまり得るものはなく,そんなに意味深いものではないようだ。しかしこの曲線は,とても興味深い特別な形をしている。このグラフは,地震の回数をマグニチュードに対して表したものである。マグニチュードが1増えると,解放されるエネルギーは10倍に増える,ということを思い出してほしい。エネルギーで考えれば,グーテンベルク=リヒターの法則は,ある非常に単純な規則へと還元できる。それは,タイプAの地震がタイプBの地震の2倍のエネルギーを解放するとすれば,タイプAの地震はタイプBの4分の1の回数しか発生しない,というものである。つまり,エネルギーが2倍になると,その地震の起きる確率は4分の1になる—これがこのグラフの意味である。この単純なパターンは,非常に幅広いエネルギーの地震に通用する。
 物理学者たちはこのような関係を「べき(冪)乗則」と呼んでおり,この法則はその単純な見た目からは想像できないほど重要なものになっている。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.72

直感に反する

 この考え方によると,断層のどんな部分でも,大地震を起こしていない期間が長いほど次の地震はすぐに起きるという,一見合理的な推測にいたる。地球上のある地域では「大地震の発生が遅れている」,という話をよく聞く。この考え方は合理的で当然のものに思えるが,ところがありのままの統計データは実はまったく逆を示している。地震の間隔を統計的に詳しく調べたところ,ある地域で地震の発生しなかった期間が長いほど,近い将来にそこで地震が発生する可能性は低くなるということが見出されたのだ。ロンドンの人々は,19番のバスを1時間も待った挙げ句,1度に3台もやってきた,とよく不満を垂れる。地震もそうなのだ。地震はまとまって起きるのである。現在地震を予知する最良の方法は,一度地震が起きるのを待ち,そして直ちに,別の地震が起きるという予知を出すという方法だろう。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.67

心理学における統計学の誤解

 蛇足であるが,心理学で統計学がどのように生かされているかについて,大きな誤解をしている人がいるようである。これも心理学の間違ったイメージの原因の1つと考えられる。ある受験生の面接での発言がこの大発見(?)のもとになった。面接担当の教員(筆者)が「心理学では数学みたいなこともやるけれど,大丈夫ですか?」というような質問をした。それに対し受験生は「はい,心理学はデータと統計の学問ですから」と答えた。一見立派なやりとりであるが,筆者はこの受験生の答えに恐るべき誤解を嗅ぎとってしまった。それはプロ野球の野村監督のいわゆるID野球(「野球はデータや」)のような発想である。人の行動に関する膨大なデータを集め,それによって行動の意味や予測ができるようなデータベースを構築しているのが心理学だ,とこの受験生は思っていたのではないだろうか。つまり「2ストライク3ボールでは,打者は打っていこうという気持ちが強くなっているので,外角の落ちる球を投げればぼてぼてのピッチャーゴロで仕留めることができる」というたぐいの「データと統計」である。これを「心理学」に当てはめると,「一度彼女に振られた男は臆病になり,次の恋愛をするときには必要以上に相手に合わせようとし,その結果優柔不断と思われ,結局また振られることがある。その確率は統計によると約30%」ということになるだろうか。これはテレパシーの代わりの「統計」である。こういう法則は心理学には1つもありませんのでご注意を。

道又 爾 (2009). 心理学入門一歩手前:「心の科学」のパラドックス 勁草書房 p.117

エイリアン・クラフトの可能性

 米国軍最初のUFO調査機関は,1947年12月に「プロジェクト・サイン」という名で設置された。1949年2月に「プロジェクト・グラッジ」へと変更され,そして1952年3月,コードネームが最終的に「プロジェクト・ブルーブック」とされた。米空軍のUFO調査機関は,こうしてその名前を何度か変えながら,1947年から1969年までの足掛け22年間,オハイオ州デイトンのライトパターソン空軍基地内に設置されていた。
 ここには全米からUFO目撃報告が集められ,22年間に集まったUFO事件は計1万2618件にのぼった。このうち最後まで正体が判明しなかったものは,701件にすぎなかった。
 UFOの正体の判明率を,年ごとのグラフにしてみよう。UFOの正体の判明率は,22年間をならしてみると94%に上る。UFO,つまり正体不明な飛行物体として報告が挙げられておきながら,その正体をちゃんと調査してみると,100個のうち94個までが単なる普通の物体の見誤りや,故意の嘘にすぎなかったことが判明したのだ。
 つまり,「UFOを目撃してしまった」と大騒ぎをしてみても,その見たモノが本当の未確認飛行物体=UFOである確率は,せいぜい5〜6%しかないというわけだ。
 さらに間違えないでもらいたいのは,ここで生き残った5〜6%の飛行物体も,あくまで未確認飛行物体の候補として生き残ったものにすぎないということだ。この5%程度の中に,エイリアン・クラフトが1個でも含まれているかどうかということは,さらに詳しいふるい分けを行ない,調査しないかぎりなにも言えない。
 本当のエイリアン・クラフトを探し出すのは,空に飛んでいる何物かを指差して「あっ,UFOだ」「宇宙人の乗り物だ」と言えてしまうほど簡単なものではない,ということがおわかりいただけるかと思う。


皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.20-21

初回にリードを奪え

 2004〜2008年の両リーグ全試合における初回リードの勝率は.713ですし,もともとプロ野球というものは,初回にリードを奪うと勝率が7割を超え,3回を終えた時点でリードを奪っていると,さらに勝率が8割を超えるものだといえるでしょう。

小野俊哉 (2009). 全1192試合 V9巨人のデータ分析 光文社 p.75.

打率よりも出塁率

 当然のことですが,毎試合の勝敗というのは得失点差で決まります。打線が何点奪っても,投手陣が弱くてそれ以上に打たれては,敗戦の憂き目にあうわけです。得点数,失点数を見ることも大事ですが,野球の場合,得失点差をしっかり見なければ,勝敗を論じることはできません。
 それなのに,最近の新聞記者やアナウンサーは,チーム打率,防御率だけで,そのチームを評価しようとする傾向が強いように感じられます。
 たとえば,「チーム打率は2位ですが,最下位なのはどうしてでしょうか」「まあ打っているわけですから,そのうち順位も上がりますよ」などといった中継でのやり取りは,チーム打率が順位ともっとも相関が深いという前提で行われています。しかし実際には,それほど深くないというのが現実なのです。
 チーム順位と深い相関があるのは,率でいえば出塁率のほうであり,そろそろ日本のマスコミは打率を好んで使う習慣を改める時期にきているのかもしれません。

小野俊哉 (2009). 全1192試合 V9巨人のデータ分析 光文社 pp.56-57

確率は変わらない

 さて。これを見ると,地震は20日以内に起きることがもっとも多く,間隔が短いことが非常に多いことがわかります。たしかに地震は集中して起きる傾向があります。
 地震が連続すると,次もまた大きな地震が起きると思って,地震対策グッズを確認したりしますが,連続していても,長い間起きていなくても,実は,次に地震が起きる確率自体は変わらないのです。
 地球物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」と言いました。これは,ポアソン分布の観点からは,「しばらく天災が起きないからといって,天災に遭う確率には変化がないぞ,いつも注意しておかなければいけないよ」と解釈することができるでしょう。

神永正博 (2009). 不透明な時代を見抜く「統計的思考力」 ディスカヴァー・トゥエンティワン 

7点スケール

 例えば,社会心理学でよく用いられる7点スケール(あるいはLickertスケール)は,格好の例であろう.つまり,7点スケールの評定法で得られたデータの被験者間の算術平均の2つの実験グループでの比較は,その代わりに5点スケールを用いた場合と矛盾しない結果になるとは限らない.また,同じ7点スケールでも,値域が{1, 2, 3,…, 7}や{-3, -2, -1, 0, 1, 2, 3}などのように異なると,得られたデータから異なる結論が得られることがある.この意味で,7点スケールは間隔尺度ではない.しかし,もし,その比較において「つねに」特定の値域の7点スケールを用いることが一般に合意されているとすれば,絶対尺度の使用ととらえて,これは構わないであろう.

吉野諒三・千野直仁・山岸侯彦 (2007). 数理心理学 心理表現の理論と実際 培風館 p.80


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