I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

パチンコ依存症者

 パチンコ依存症の女性たちは,靴やシャツを買う金があれば,パチンコに突っ込んでしまうのである。
 パチンコ依存症になれば,車にも,服装にも金をかけなくなる。すべて,パチンコに使う金が優先になる。車の販売実績も,デパートの売上げも,落ち込むのも無理はない。
 買い物などは興味もなくなる。買い物するお金があれば,当然のごとくパチンコにつぎ込むのである。

若宮 健 (2010). なぜ韓国は,パチンコを全廃できたのか 祥伝社 pp.91

誕生時の記憶暗示

 ディブローイ(DuBreuil et al., 1998)は,スパノスら(1999)の研究を多くの重要な点で発展させた。研究者は,参加者に誕生して2日めの記憶(乳児群)や幼稚園入園の初日の記憶(幼稚園群)を植え付けさせるために,偽の人格解釈の方法と催眠を伴わない年齢退行を用いた。大学生は称するところの性格検査を受け,その得点に基づいて全国規模のプログラムに参加したと告げられた。そのプログラムは,赤や緑色で動く自動車を手段として用いることで,性格と認知能力の発達を高めるために計画されたものと伝えられた。そして乳児群にはこの強化が誕生してすぐの病院で行なわれ,幼稚園群には,自動車が幼稚園の教室に置かれていたと伝えられた。最後に,参加者には,「記憶にはビデオテープのようなはたらきがあり」,アクセスできない記憶もアクセス可能な記憶検索技法(たとえば覚醒状態での年齢退行)でアクセスできるという,誤った記憶を与えた。
 乳幼児条件の20人と幼稚園条件の16人の参加者は,それぞれの指定された年齢まで催眠を用いずに退行してもらい,その年齢の自分たちを視覚化するように暗示を受けた。幼稚園群の参加者全員と乳児群の90%の参加者が,暗示によって指定された時期と一致する経験を報告し,幼稚園群の25%の参加者と乳児群の50%の参加者がターゲットの記憶を報告した。幼稚園群の全参加者は自分たちの記憶は実際の出来事に一致していると信じていると報告している。一方乳児群では,33%の参加者が記憶は事実であると信じており,50%は記憶が不確かで,残り17%は記憶が事実であるとは思わないと報告している。最後に,予備調査の質問紙から,特別な技法により記憶を回復することができると信じている参加者は暗示された記憶をより多く報告していることがわかった。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.191-192
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

催眠誘導の影響

 スパノス(1996)は,催眠によって誘導された過去の人生経験が規則に支配され,目標に向かうような幻想であり,文脈によって生起し,催眠の退行状況の要求するところに敏感であると結論づけた。そのような想像的なシナリオは,過去の人生についての利用可能な文化的物語や特定の歴史的期間に関する推量された詳細や事実から構成される。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.189-190
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

退行催眠の影響

 シベックら(1997b)は,参加者に5歳の年齢まで退行させ,少女の場合には人形と遊んでいるところ,少年の場合には男性的な玩具で遊んでいるところを暗示した。この研究で重要な側面は,それらの玩具が年齢退行の暗示のターゲットとなる時期の後の,2年もしくは3年までは公表されることがなかったことである。参加者の半数は催眠による年齢退行の教示を受けたが,他の半数は催眠の文脈で年齢退行の教示を受けなかった。興味深いことに,催眠を受けなかった者は誰一人として暗示による影響を受けなかった。対照的に,催眠を受けた参加者の20%が経験の記憶を現実であると評定し,退行された年齢で起こった出来事に確信を持った。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.188-189
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

暗示の受けやすさ

 非常に早い時期の記憶報告は,幼児期後期の報告と同じように,ささいな暗示の影響を受けやすい。リンら(Lynn et al., 1999)は,初期記憶を誘発するために異なった2つの語法を使用した。1つの語法は高い期待の事例であるが,参加者は「いつ初期の記憶を得たのかを教えてください」と伝えられた。もう1つの語法は低期待のケースで,参加者は「思い出せないならそれでも結構です」と伝えられた。高期待の語法は初期の記憶の報告を導いた。(出来事が報告された年齢は)高期待で平均2.48年,低期待で3.45年であり,ほぼ1年の差があった。4回の再生試行の終わりまでに,高期待条件の43%の参加者が2歳当時かそれ以前の記憶を報告し,低期待群の参加者では同様のことを20%が報告するという結果であった。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.185
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

初期の記憶は影響されやすい

 何らかの初期の記憶が特殊な意味を持つことはありえようが,そのような記憶は非常に影響を受けやすい。初期の記憶の報告を調べることで,2歳の幼児期健忘の閾を跨ぐような信じがたい記憶への,記憶回復技法の影響を検討することができる。ほとんどの成人の最初期の記憶は生後36か月から60か月にさかのぼる。事実,現在の記憶研究者たちは,24か月の月齢以前に起こった出来事の正確な記憶報告はきわめて稀であるとの見解で一致している(レビューとして,Malinoski et al., 1998を参照)。非常に早い時期の人生の出来事が想起できないというこの現象は,児童が情報を処理し,検索し,共有する方法に影響するような発達的変化に大きくかかわっている。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.184-185
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

心理療法のメタ分析

 スミスら(1980)は475編にもわたる膨大な心理療法成果研究を展望するメタ分析を行なった。そこでは1,766個にわたる効果量が計算され,数千の一覧表が作られ,データの要約が作られた。他の調査と違って,彼らの研究では効果量はすべて公表された研究から得たものに基づいていた。効果量についてのさまざまな分類図式と統計分析は,心理療法効能に関する多くの特定の問題にかかわるデータを供給することとなった。
 その結果,次のようないくつかの重要な結論が引き出された。

1.一般的には,さまざまな形式の心理療法が有効であるとみなせる。平均効果量は.85であった。このことは,心理療法を受けているクライエントが,心理療法を受けていない者の80%よりも改善したことを意味する。もしプラセボ治療と特定できないカウンセリング技法を除くと,効果量は.93に上昇する。心理療法におけるこのような効果は,医学と教育における高額で長期間の介入の効果に匹敵する。
2.理論的オリエンテーション(たとえば精神分析的心理療法,学習理論に基づく心理療法,認知論的心理療法,来談者中心療法)が異なっていても,モダリティ(言葉,行動,あるいは表現)が異なっていても,改善の程度には違いがなく,どのような改善がみられるかということでも違いがない。効果量の単純な無統制比較では,催眠療法,系統的脱感作,認知療法,認知行動療法が最も効力があることを示唆している。しかしこの優位は,クライエントのタイプと効果測定のタイプを考慮に入れた統制比較を行うと消失する。うつ病や単一恐怖といったような障害を持ったクライエントが治療対象となると,オリエンテーションやモダリティにかかわらず,心理療法が最も効果を発揮した。
3.短期介入と長期介入,個人療法と集団療法,そして熟練心理療法士と未熟心理療法士のいずれかの対比においても,類似した効果量が得られた。
4.次に述べる上記の結論についての信頼性の程度をいさあか低くする。すなわち,心理療法の効果は,一般的には,2年後には低くなってしまう。平均効果量は.50にまで落ち込み,何と数パーセント(約9%)の心理療法では効果が現実的にはネガティブになる。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.131-132
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

解離性同一性障害の分布

 解離性同一性障害の症例の分布は臨床家間で驚くほど偏っており,きわめて少数の臨床家からの報告が解離性同一性障害の症例の大部分を占めることが示されている。たとえば,1992年のスイスの調査では,解離性同一性障害の診断の66%は,わずか0.09%の臨床家によるものであると報告されている。さらに,この調査の回答者の92%はそれまで1度も解離性同一性障害患者を受け持ったことがないと回答する一方で,3名の精神科医は20名以上の解離性同一性障害の患者を受け持ったと回答している(Modestin, 1992)。またロスら(1989)は,国際多重人格・解離研究学会(International Society for the Study of Multiple Personality and Dissociation)の会員は,解離性同一性障害の症例を1度は見たと報告するカナダ精神医学会(Canadian Psychiatric Association)の会員の10倍から11倍もこの症例を診ていると報告している。さらにマイ(Mai, 1995)は,カナダの精神科医の解離性同一性障害の診断数にはかなりの偏りがあり,解離性同一性障害の診断の大部分がごく一部の精神科医から報告されていると指摘した。これらの発見は,ごく一部の精神科医から悪魔儀式による虐待が報告されているというキンら(Quin et al., 1998)の報告に通じるものがある。そして,悪魔儀式による虐待の報告は,解離性同一性障害の診断と密接に関連している(Mulhern, 1991)。
 解離性同一性障害の症例の偏りに関する報告には,複数の解釈が存在している。たとえば,実際に解離性同一性障害の患者もしくはその疑いのある患者が,解離性同一性障害の専門家を訪ねたためであると解釈することもできる。他にも,解離性同一性障害の特徴を見つけ出し引き出すことに,臨床家が特に熟練しているのかもしれない。とはいえ,これらの報告は,ごく一部の臨床家が解離性同一性障害の診断をしたり,患者の症状を創り出したり,もしくはその両方を行なっているというスパノス(1994, 1996)の主張や社会的認知モデルの主張とも一致するのである。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.104
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

解離性同一性障害の問題

 解離性同一性障害の患者に異なる人格が共存しているかどうかという問題は,語義以上の重大な問題を含んでいる。たとえば,法的場面では,交代人格の1人が犯罪にかかわっている際の犯罪責任のあり方や,個々の交代人格に対して法的な存在として独立した権利を与えるかどうかということが問題となる。実際に,ある裁判では,証言前の宣誓をすべての人格に要求したことさえある(Slovenko, 1999)。さらに,もし解離性同一性障害の患者が真に独立して十分に発達した人格を持つならば,解離性同一性障害¥の病因のモデルに対して大きな難問が突きつけられることになる。たとえば,独自の性格特性や態度を持つ完璧な人格がどのようにして形成されるのか。また,数百の交代人格を持つ患者にとって,個々の人格がそれぞれ本当に他の人格から独立しているのか,それとも特定の人格は別の人格の単なる変異体もしくは別の人格の微妙な現われ方の違いだけなのか。このような解決すべき問題が生じてくるのである。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.94
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

臨床家のヒューリスティック

 ヒューリスティックのなかで,臨床家が経験から学ぶことを困難にしている原因に最も関連が深いものは,利用可能性ヒューリスティックである。利用可能性ヒューリスティックは判断の誤りにおける記憶の役割を説明してくれる。臨床家が情報を思い出したり誤って思い出したりするために,臨床家が経験から学ぶうえで問題が発生することがある。ケースやクライエントについてすべて詳細に記憶しておくことが困難であったり,不可能ですらあるとすれば,臨床家は,しばしばそれぞれのケースについて選別された情報だけを思い出すことになる。しかしながら,そのようにして思い出された情報は,そのケースを適切に説明するものではないかもしれないし,またそのケースの主要な特徴とは無関係のものかもしれない。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.25-26
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

確証バイアス

 確証バイアスは過信へとつながることがあり,さらに過信が翻って確証バイアスへの信頼性を増加させることがある。オスカンプ(Oskamp, 1965)は,過信と確証方略の複合的な影響に焦点を当てた研究を行なった。オスカンプは,集積データの増加と性格判断の妥当性と判断の正確さに対する確信度の関係について検討した。興味深いことに,臨床家の性格判断に対する確信度は,病歴についての情報が追加されていくに従って高まった。しかし確信度が高まっても,妥当性は概ね同レベルのままであった。つまり,オスカンプの結果は,臨床家が過信により当初の仮説に確証的な情報を重視し,その仮説と一致しない情報については無視したり再解釈したりするということを示している。おそらく,確証的な仮説検証方略と過信の結びつきは,臨床家が患者の有益な情報に注意を払うことを妨げ,不正確な診断が下される一因となっているのだろう。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.23
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

4つの不安

 人と会話をしているときに浮かんでくる認知的不安は大きく分けて4つあります。1つ目は,自分の欠点を他人に知られ,その人の気分を害する(否定的な評価を受ける)ことを恐れる考えです。具体的には「変な話し方だと思われてないだろうか」「バカにされたらどうしよう」といった不安が挙げられます。
 相手に欠点が伝わってしまう感覚を「自我漏洩感」といいます。たとえば笑顔を作ろうとしたものの,かえって引きつってしまい,無理をしているのが話し相手にばれてしまったと感じたことがないでしょうか。こうした「目つきや顔つきが変で嫌われたかも」という感覚を覚える人は珍しくなく,大学生では約7割が一度は経験するといわれています。しかし,自我漏洩観は対人恐怖症の症状の1つで,症状がひどくなると人と接する場面を避けてしまうようになりますので,生活に支障を来す原因となります。
 認知的不安の2つ目は,対人場面を避けようとする考えです。不安や緊張が高まると,体はその場から逃げる準備をしようと反応します。頭のなかには「面倒だな」「早くこの場から逃れたい」といった考えが浮かんでいるのです。
 3つ目は,会話する相手の気持や評価に関する思考です。「自分のことをどう思っているんだろう」「どうすれば仲よくなれるかな」など,他人からの否定的な評価への恐れから,他人が見る自分の姿に注意が向かっているときに生じます。こうした考えは,社交不安障害など様々な精神疾患と関係していると考えられています。
 4つ目は,「会話をうまくまとめられるだろう」「相手を楽しませよう」など,会話に対する自信からくる肯定的な考えです。認知的不安という言葉のニュアンスとは少々異なる考えですが,「自動的に浮かんでくる思考」の1つとして研究されています。心理療法では,シャイな人が対人場面への不安を取り除く対処法として使用することもある思考です。他人と会うときに,肯定的な考えを繰り返し思い浮かべることで,否定的な考えが浮かぶ隙をなくすのです。

有光興記 (2010). 「あがり」は味方にできる メディアファクトリー pp.54-55

フロイトのイギリス雑誌初掲載

 このテーマについて書かれたほかの著作をじっくり読み,裏付けになりそうなものを選び出した。そしてSPRを説得し,ジークムント・フロイトが1895年に発表した論文『ヒステリー研究』を会報に掲載させた。このオーストリア人が潜在意識という考えについて論じていたからである。フロイトの研究論文がイギリスの専門誌にのったのはこれが初めてだった。
 フロイトはまさにこのころから,精神医学の先駆者として名声を確立していく。初めて“精神分析”という用語を使ったのは1896年で,ウィーンで医師として開業して10年目のことである。パリのジャン・シャルコーのもとで催眠術を学んでおり,のちに催眠状態を自由連想法のひとつと呼んでいる。
 SPRによって初めて紹介されたときは,ロンドンに衝撃をもたらすことはなかったものの,その刺激的な理論は徐々に注目を集めていた。マイヤーズは精神作用を見つめるフロイトの革新的な方法がとくに気に入っていた。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.323

信じればそう見える

 1980年代に子どもの虐待を専門に扱い始めた多くの心理療法士は,子どもが性的虐待を受けたかどうかを判断する自分の能力に絶大な自信をもっている場合が多かった。結局,自分たちには判断の裏付けとなる長年の臨床経験があると彼らは言うのだった。しかし発表される研究は次々に,彼らの自信は誤ったものであることを教えてくれた。たとえば臨床心理学者のトマス・ホーナーらは,3歳の娘に性的暴行をおこなったとして告発された父親の裁判で,臨床専門チームが下した評価を精査した。専門家らは訴訟手続きの記録を読み直し,子どもへの聞き取りや親と子のやりとりを録画したテープを見,臨床所見を見直した。全員に与えられた情報はまったく同じだったが,性的虐待は事実だという者と実際には起きていないという者に意見は分かれた。そこでふたりの研究者はさらに129名のメンタルヘルス専門家に依頼し,この件での証拠を評価し,幼女が父親に犯された可能性を予測し,親権に関する勧告を求めた。ここでも,確実に性的暴行はおこなわれたという者から絶対におこなわれていないという者まで意見は分かれた。親権についても,父親が二度と娘に会わないようにするのを望む者と父親に全面的な養育権を与えたいとする者がいた。家庭内での性的虐待は頻発していると考えがちな専門家はどちらともとれる証拠を自説の補強に利用したし,こうした風潮が事実であるのか懐疑的な者は,暴行があった証拠とは見なさなかった。懐疑心をもたない専門家について,ふたりの研究者は「論より証拠」すなわち「見れば信じられる」をもじって,「証拠より論」すなわち「信じればそう見える」と言った。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.152-153
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

理解出来ているができない

 だが,OCD[強迫性障害]の場合はそうではない。患者に「わたしの手は汚くはない」と自分に言い聞かせるようにと教えても,患者はそんなことはとっくに知っている。OCDの問題は,手がきれいなのに気づいていないことではない。汚れているという強迫観念がしつこく襲ってきて,ついに根負けして手を洗う,繰り返し洗い続けるしかなくなることが問題なのである。認知の歪みは病気の本質的な部分ではない。患者は今日,戸棚の缶詰を教えなくても今夜母親が恐ろしい事故で死にはしないとわかっている。問題は,わかっていてもそうは感じられないことなのだ。
 認知療法だけではOCDの患者のニーズに応えられないと思ったので,わたしはほかの方法を探した。どんなに激しい強迫観念や衝動も,じつは脳の回路の不調の表れにすぎないのだから,OCDの不快な症状に感情的に反応しないほうがいいと患者に教えれば,治療に役立つのではないか。患者が強迫観念に距離を置けるようになれば,感情的に反応することも,強迫観念を額面どおり受け取ることも少なくなるだろう。そうすれば強迫行為の衝動に圧倒されなくなって,頭では理解してることを実感できるだろう。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.81
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

有益なことをする

 OCDのひとたちに共通の誤りは,「強迫行為をしなければ,激しい不安で仕事も手につかない。だから,強迫行為をしよう」と考えることだ。第1に,これまで説明したように,強迫行為は不安をさらに激化させる。だが,もうひとつ問題がある。強迫行為は連鎖的に増加するということだ。数々の強迫行為にかける時間で,もっと有益なことができるはずだ。ばかげた強迫行為で時間を無駄にするだけでなく,そのぶん有益なことができなくなる。つぎのことを覚えておこう。強迫行為ではなく有益なことをすれば,関心の焦点が移る。これが,脳のはたらきを変化させて,快くなるための第1の方法である。同時に新しい機会が生まれ,だれが見ても価値ある活動ができる。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.175
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)

精神科医の無知

 OCDの強迫観念は宗教的な性格を帯びて信仰篤いひとたちを悩ませることがよくあるが,この事実に適切な関心が向けられているとはかぎらない。たとえばはじめて専門家の治療を求めたクリストファーが,自分には悪魔がついているのかもしれないと考えた,とおそるおそる述べたとき,無神経な質問攻めにあた事実を,精神科医は警鐘と受け止めるべきだ。いまの精神科医の多くには,敬虔なひとが抱くきわめて自然な宗教的な考えを尊重する能力が欠けている。クリストファーは知性も洞察力もあり,自分は病気であって,悪魔の影響と強迫観念とは何の関係もないことをよく理解していた。精神的な省察によって,自分は悪魔に操られているのではなく,神経精神病学的症状に苦しんでいるのだと気づいていた。精神科医の診察を受ける前に,自分を見つめ,悪魔の影響だという考えは否定していたのである。クリストファーと彼を誤解した精神科医との最初の出会いがうまくいかなかったのは,恐ろしい苦痛を説明しようとしたクリストファーの側に原因があるというよりも,精神科医にありがちな無知と傲慢の反映だろう。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.163
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)

OCDのイメージ

 OCDの執拗な症状を消そうと考えることの無意味さを説明するために,わたしはよく,カメレオンとセラピストのたとえ話をする。気の毒なカメレオンにセラピストが言う。「いいですか,もう少し落ちつくことです。色が変わってしまうたびにおろおろしていては,何の進歩もありません。さて,落ちついたら,緑色の背景のところへ戻ってごらんなさい」
 OCDの患者もまったく同じだ。しつこくつきまとうばかげた衝動を追いはらおうとやっきになればなるほど,衝動は消えにくくなり,結局あきらめるしかない。OCDが勝利を獲得する。自主的な認知行動療法の基本原則は,「だいじなのはどう感じるかではなく,何をするかである」ということだ。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.128
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)

信念や祈りとOCD

 信念や祈りがOCDの治療と関係があるのか,と思うひとがいるかもしれない。だが,OCD患者のほとんどすべてが,いずれかの時期にこの病気がもたらす恐ろしい不安から解放されたいと祈っているはずだ。深い恥辱感にさいなまれて,超自然的な力でもなんでもいいから,強迫観念や強迫衝動に追いたてられる苦痛から解放してくれないかと願うにちがいない。だが,必要なのは症状が消えるようにと祈ることではない。祈っても症状は消えない。そうではなくて,OCDと闘う力を与えてくれと祈るべきだ。OCDの患者たちがときには意気阻喪して,罪悪感や劣等感から自己嫌悪に陥るのも無理はない。行動療法がうまくいったときの,大きな精神的成果のひとつは,OCDの症状が当人の心や精神の健全さとは何の関係もなく,すべては病気のせいであると気づいて,自分を許す気になることだ。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.115-116
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)

OCDとトゥレット症候群

 一般にはOCDの患者は40人にひとりだが,家族や親戚にトゥレット症候群の者がいる場合には5人にひとり,トゥレット症候群の患者自身をとると2分の1から4分の3はOCDであるという数字からみても,遺伝的関連があるという理論は信憑性が高そうだ。トゥレット症候群の患者は,チックの激しい収縮運動がもとで関節炎や腱炎を起こすことが多いこのひとたちは強い衝動に襲われ,その不快感を解消するためにチックと言われる筋肉の収縮運動をおこなう。あるいは発声のチック症状があらわれて,せきばらいをくりかえし,それが高じるとげっぷや大声,吠え声を出したりする。また,無意識に猥褻な言葉や人種差別的な言葉を叫びだすようになり,当人には非常に大きなストレスになる。OCDの場合と同じで,トゥレット症候群の症状はストレスによって悪化する。UCLAのPETスキャンによる予備的なデータによると,トゥレット症候群の患者では,尾状核の隣に位置して身体的な動きを調整する線条体の一部(被核)の代謝作用に変化が見られる。OCD患者には運動性チック症状のある者が多く,トゥレット症候群患者の多くに強迫性障害の症状がある。つまり,両者には線条体の皮質調整機能の異常(チックの場合は運動野,強迫観念や強迫行為の場合には眼窩皮質の調整機能)という共通性があり,チックには被核が,OCDの症状には尾状核の異常が関係しているらしい。このふたつの病気は,運動や思考をふるい分けて調整する脳の構造と密接な関係があり,相互に関連のある遺伝的な条件がかかわっていて,それらがトゥレット症候群の場合には筋肉の運動(チック)に,OCDの場合には思考(強迫観念)にあらわれると考えられるのである。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.107-108
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)

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