I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「臨床心理学」の記事一覧

自分の方法が一番

 記憶回復療法がまともではない証拠の1つは,心理療法家が違えば治療技法も違い,それぞれが自分の技法こそ,もっとも効果のある方法だと考えていることだ。これは単純に心理療法一般に当てはまる性質にすぎないと思われるかもしれない。しかし,これは誤った考えだ。科学を基礎としたちゃんとした臨床心理学研究は長い年月をかけてその技法を洗練させており,資格を持った臨床心理士の間では,さまざまな心理的問題に対して,効果がもっとも確かなのは認知行動療法(cognitive behavioral therapy),略してCBTと総称される心理療法のパッケージであるとの合意が一般になされている。CBTの利点の1つは,数年にわたってかなりの時間とお金を要するのではなく,数カ月というきわめて短い期間で実施できる点にある。CBTはまた,心理療法家が利用するほかの心理療法と違い,有効性が科学的に実証されている。ある条件下では,これまで医師によって処方されていた薬物よりも効果的であることがわかっている。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.224-225
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

トラウマは忘れられない

 実験室で行われた圧倒的多数の研究から,PTSDに苦しむトラウマの犠牲者には侵入的な思考が起きることが確認されている。情動的な単語を使ったストループ効果の研究から,PTSDの患者はトラウマに関連した単語の意味を抑制するのが難しいことが示されている。さらにいえば,トラウマに関連する事柄を忘れようという強い動機づけがあるにも関わらず——あるいはこの動機が原因で——PTSDの患者はそうした出来事が忘れられないのである。こうした実験室での研究は,サバイバーが特にトラウマを忘却しやすい,という仮説と明らかに矛盾する。PTSD研究者のジュディス・ハーマンは,「残虐な行為に対する通常の反応は,それを意識から追いだしてしまうことである」と述べている。しかし,トラウマに関連する単語だけでも意識から追い出すのが難しいのだとしたら,残虐な行為そのものを意識から追い出すのはどれほど難しいことだろう。トラウマ体験の記憶を意識から締め出そうと試みることと,それが成功することを混同すべきではない。

カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.144
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)

PT盲信

 ところで,ポジティブシンキングを盲信してしまうと,ついつい自分の都合のいいようにものごとを解釈したり,表面的で安易な自己肯定をしてしまいがちになります。
 しかし,先にあげた例のように,いずれもそれなりの実績や自信があってこそ,ポジティブシンキングはうまく機能するものです。ですから,そのような土台もないところでやみくもにポジティブシンキングを使っても上手くいきっこありません。
 実績からくる本物の自信というものは,自分の弱さやダメさを嫌と言うほど経験しながら培われるものです。自己の強い土台をつくるには,がむしゃらなポジティブシンキングは必要ありません。むしろ,自分の負の部分,暗かったり,弱かったりする部分をしっかりと見つめるネガティブシンキングのほうが重要な役割を果たします。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.122

変化

 自然というのは,絶えず変化するものです。人の心も自然と同じです。明るくなったり,暗くなったり,笑ったり,泣いたり,怒ったり,絶えず変化するものです。
 その変化を自然と受け入れることが,心にとってはもっとも負荷がかからないのです。
 しかし,ポジティブシンキングが強いと,心のプラス面だけを受け入れてマイナスの面は否定したり排除しようとする不自然な動きになってしまいます。
 その不自然さは心が辛い時や悲しい状態にある時には大きな負担となります。
 そんな時に無理にポジティブシンキングをしようとすると,かえって苦しくなってウツ気分に陥ったり,ウツ病やウツもどきにかかっている時にはいっそう深いウツ症状をまねいたりするのです。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.98

「〜すべき」

 とくに「〜すべき」思考は,日本社会の自由気ままな風潮とは逆行してますます強くなってきているように思えます。
 なぜそうなるのでしょう?その背景となるものには,「世間」というものが考えられます。日本人にとって世間は空気のような存在でありながら,その思考や行動の方向を決定づける大きな役割を果たしています。日本人はなにか行動をする時,世間の目を絶えず意識します。
 世間の常識や価値観と照らし合わせてみて自分がどう見られるかがひじょうに重要なのです。自分の行動が世間の枠から外れるようなおかしなものでないかをとても気にするのです。
 つまり,世間は日本人にとって思考や行動の大きな基準となっているわけです。特定の宗教を持たない多くの日本人にとって世間は宗教のようなものと言えるかもしれません。
 世間はこのように存在しているため,日本人はその枠に収まるような思考と行動をとる習性を傾向的に持っています。そこで生まれるのが,こんなふうに考えるべき,こんなふうに行動をするべきだという,「〜すべき」思考ではないでしょうか。「〜すべき」思考の背景にはこうした世間の存在が確固としてあると思います。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.34-35

アルツハイマーと直感的思考

 先頃,アルツハイマー病に関する研究で,意外にもスーパーセンスを示す証拠が得られた。アルツハイマー病に罹患した成人患者が,末期に至る前に,心は子どもっぽい推論のしかたを一生あきらめないことを示す証拠を呈したのである。たとえば,「木があるのはなぜですか?」,「太陽はどうして明るいのでしょう?」,「雨が降るのはなぜですか?」といった質問をしたところ,幼児のような答えを返してきたのだ。木があるのは木陰を作るため,お日様が明るいのは見えるようにするため,雨があるのは飲水になって,生き物を育てるためだと言う。4章で見た,7歳児の目的論的思考に逆戻りしていたのだ。アミにストに返って,太陽のような無生物に生命を見るようにもなる。知っていたことをすべて忘れてしまったのとは違う。アルツハイマー病患者が犯す間違いは子どもたちの直感的理論にほかならないのである。認知症を見れば,直感的思考は大人になると捨てられるわけではなく,脳の高次中枢によって抑制されているだけであることが分かる。この抑制能力が失われると,直感的理論が復活してくるのだ。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.356-357
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

自己愛性パーソナリティ障害

 精神科の病棟やクリニックを訪れる者に七つの大罪の大半が認められると,「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されるかもしれない。これは比較的まれな障害だ。米国精神医学会によれば,思い自己愛症状の基準を完全に満たす者は100人にひとりだ。
 だが,それよりはるかに多くの人がこれらの症状を示し,激しい苦痛を,本人にでなければまちがいなく,彼らが親しく接触する人たちにもたらしている。彼らの多くは精神衛生の専門家の目には留まらない。恥の意識に耐えられないため,自分の事故愛を認められず,他者を責める傾向にあるからだ。専門家の助けを求めるときも,抑うつや不安感,対人関係の悩み,職場のストレスで治療を受ける場合が多く,根本にある自己愛性パーソナリティ障害が治療対象となることはない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.57
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

抑鬱とガン

 以上のように,抑うつ状態(うつ病)とがんとの関係をめぐっては,認めるデータも認めないデータもあり,まだ一致を見ていない。このようなときは,どうすればよいのだろうか?私だったら,何も決めない。まだ分からないという中途半端な状態に身を置いて,これまでの研究を見直したり,今後どのような研究が必要かを考えるだけである。そして,このテーマについて発言を求められても,「何も分からないのですよ」と曖昧に答えるしかない。
 逆に言えば,この状況にありながら,「うつは,がんの原因である!」とか「うつなんて関係ない!」と声高に叫ぶ人たちがいたとすれば,それはどちらも「眉ツバ」であって信用できないものだという,これだけは確実なことかもしれない。

辻 一郎 (2010). 病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告 朝日新聞出版 pp.124

強化してしまう

 こうしたサイトを通じ,妄想癖のある人びとは,心に安らぎと落ち着きをもたらす貴重な経験をする。つまり,他人に理解してもらえるという誰もが望む経験である。こうしたサイトでなら,自分の頭がおかしいのではないと安心させてくれる大勢の人に出会えるのだ。したがって,オンラインで他人とつながる能力は,社会的に有用といえるかもしれない。ごく普通の日常生活を送りながら,オンラインならではのやり方で,ある程度までサポートを受けたり人と触れ合ったりできるからだ。ところが,こうしたサポートが心理的な面では事態を悪化させかねない。「この種の信念体系に基づくものの見方は,絶えず餌が必要なサメに似ています」とイェール大学の精神科医,ラルフ・ホフマン博士は言う。「餌を与えなければ,遅かれ早かれ妄想は消えるか,自然に小さくなっていきます。重要なのは,妄想には強化の反復が必要だということです」。残念ながら,このケースではインターネットがまさにその機会を提供しているのである。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.349-350
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

自殺の流行

 過去数十年にわたり,アメリカでも自殺の流行がじわじわと広がってきた。1997年のある研究で,アメリカの若者の13%は前の年に本気で自殺を考えたことがあり,4%は実際に自殺を図っていたことがわかった。さらに20%の若者が,前の年に自殺を図った友人がいると回答した。1950年から1990年にかけて,15歳から24歳で自殺した若者の割合は,10万人当たり4.5人から13.5人に増えた。興味深いのは,同じ時期に自殺を図ったフィクションが流行したことだ。IMDBドットコムというインターネット上の映画データベースから抽出した映画の筋書きを分析した研究によれば,自殺を扱った映画の割合は,1950年代の約1%から1990年には8%超に増えたという。この2つの増加にはつながりがあるのか,どちらが先だったのかは,はっきりとはわからない。だが人と人とのつながりは,私たちを幸せにしてくれることもある一方で,私たちを自殺に向かわせることもあるのは間違いない。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.162
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

寿命の伸びの差

 現代の研究によって次のような事実が確認されている。結婚が当事者にとってよいことなのは確かだが,その恩恵は男女によって異なるのだ。結婚する予定の男女1万組を無作為に選び,数年にわたる追跡調査によってどちらがいつ死んだかを突き止められるとしてみよう。すると,結婚生活によって男性の寿命は7年延び,女性の寿命は2年延びることが統計分析からわかる。ほとんどの医療よりも大きな恩恵があるのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.112-113
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

集団心因性疾患(MPI)

 感情の状態が広く伝染していく現象は,数世紀にわたって報告されてきた。ブコバで突如起こったような笑いの伝染だけではない・感情が人から人へ広がり,多くの人に影響が及ぶ現象を,現在では集団心因性疾患(MPI)と呼んでいる。集団ヒステリーという史的で古めかしい表現はあまり使われない。MPIは明らかに社会的な現象であり,ほかの点では健康な人びとを心理的カスケードに巻き込んでしまう。群れのなかで1頭だけ驚くバッファローのように,1人が1つの感情的反応を示すと,ほかの大勢の人たちも同じことを感じて感情の集団暴走が起こるのだ。
 MPIには主に2つのタイプがある。純粋不安型の場合,さまざまな身体症状が出る。たとえば,腹痛,頭痛,失神,息切れ,吐き気,めまいなど。運動型の場合,狂乱状態での踊り,偽発作,そしてもちろん,笑いなどといった行為に取りつかれる。とはいえ,こうした行為の底には恐怖や不安の実感が潜んでいる。つまり,MPIの2つのタイプはともに同じ心理作用を土台としているのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.59
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

PTSD概念の濫用

 PTSD(外傷後ストレス障害)は,手あかのついた病名になってしまいました。芸能タレントやマスコミの一部,さらには精神医学,心理学の関係者までが,この病気を「誤用」「悪用」したため,胡散臭さが付きまとうようになりました。
 PTSDとは,災害,戦争,犯罪などにより危うく死に至るような出来事を体験した結果,何度もその場面を想起するとともに(これをフラッシュバックという),不安や恐怖感が持続し,睡眠障害,集中困難などがみられる疾患です。またきっかけとなった出来事と関連した場所などを避けるようになります。
 PTSDを引き起こす侵襲的な出来事を体験すると,まず「情動麻痺」という症状がみられ,現実感を喪失し感情を失って茫然とした様子となります。外部からの問いかけに対しても,ほとんど反応を示さないこともあります。この状態を「急性ストレス障害」と呼びますが,このような状態が数日から数週間持続した後に,PTSDに移行することが一般的です。
 元来のPTSDは,戦争と関連して出現した疾患です。二度の世界大戦から,戦争が人間の精神を破壊することが明らかになりました。それは「戦争神経症(シェルショック)」と名づけられました。現在でもPTSDのもっとも重大な原因は戦争とテロです。
 これに対して日本においては,PTSDの概念は「卑小」な形で拡大解釈されました。「親からいつも叱られていた」「恋人から怒鳴られた」という程度の体験を「トラウマ」であると主張し,自らPTSDであると主張して精神科を受診する人は少なからずみられます。また一部の精神科医や心理士は,患者の生活史の中の「トラウマ」探しに熱心でした。

岩波 明 (2011). どこからが心の病ですか? 筑摩書房 pp.100-101

偽のうつ病

 一時,「新型うつ病」という用語がもてはやされました。これは,医学的に明確な定義は示されていませんが,「うつ病で休職中であるにもかかわらず,海外旅行に出かけたり,自分の趣味の活動には積極的な人」や「うつ状態を訴えるが,自責感に乏しく,何かと会社とトラブルを起こす社員」などを指すということです。
 この「新型うつ病」は,「うつ病」ではありません。精神疾患とも言えない場合が多いと思われます。うつ病の診断には,「うつ状態」が持続的にみられることが必須です。場面によってうつ状態を使い分けできるものは,そもそもうつ病とは呼べません。新型うつ病について述べている書籍や論文は,医学的に信用できるものではないのです。
 このような「偽」のうつ病患者は,ジャーナリズムの影響もあって,最近の日本において蔓延しています。彼らは,しばしば自らの「病気」を利用します。あるいは自らの利益のために,病気と称するのです。 

岩波 明 (2011). どこからが心の病ですか? 筑摩書房 pp.44-45

うつをもたらす障害

 うつ病以外にうつ状態を示す疾患としては,「気分変調症(抑うつ神経症)」「適応障害」「パーソナリティ障害」に伴ううつ状態などがおもなものです。拒食症,過食症などの「摂食障害」においても,うつ状態がみられることはまれではありません。

岩波 明 (2011). どこからが心の病ですか? 筑摩書房 pp.31

幻覚・妄想

 たとえば,近くに誰もいないにもかかわらず,自分を非難したりバカにしたりする声が聞こえてくるという現象が「幻聴」です。幻聴は,幻覚の一種です。
 またとくに理由なく,見知らぬ他人が自分に殺意を抱いていると感じたり,自分の周囲に何かの陰謀があって監視されたり盗聴されたりしていると確信するものが「被害妄想」です。これは妄想の中でも頻度が高いものです。通りすがりの見知らぬ他人から,敵意を持ってにらまれたように感じるというようなこともあります。
 一見すると,このような幻覚や妄想などの症状は,日常からかけ離れた異質なものであるように思えます。一般の人はもちろん,医療関係者においても,患者が「幻覚」や「妄想」を訴えると,もう手に負えないと尻ごみすることが多いのです。
 しかしながら,幻覚や妄想は,正常な心理と不連続なものではありません。実は,「健常人」においても,幻覚や妄想に類似した体験はしばしば出現しています。
 その1つが「魔術的思考(マジカル・スィンキング)」と呼ばれるものです。この言葉が意味しているのは,迷信深いこと,千里眼やテレパシー,第六感などを信じることで,宗教的な奇跡を信じることなどが含まれます。

岩波 明 (2011). どこからが心の病ですか? 筑摩書房 pp.17

カウンセリングの肩代わり

 ごく普通の人間は,日常の不満を友人にこぼしてゆく過程で共感を得たり,話し相手の反応によっては我が身の身勝手さに気づいてゆく。
 日本は,西洋社会のようにカトリックの伝統的な儀式である「告解」という習慣がなく,精神分析をはじめとする心理療法が育つ土壌がなかった。それに,無形のものに料金を支払う発想にも乏しい。料金を払ってまで専門家に話を聞いてもらう発想が理解できないのだ。が,その反面,宗教団体に資財を投ずる信者はいる。戦後,新興宗教団体は,「病,貧,争」を満たす機能として信者を急増させた。物質文明は米国に倣ってもキリスト教は根づいていない。こと心を癒す装置は輸入しなかった。神経症に悩む者は,精神分析ではなく,呪術的な宗教に大挙して押し寄せる。
 ところが,米国の自己啓発セミナーは,マルチ商法の販売員を洗脳する目的で普及してきた背景があった。日本の勧誘セミナーは,商品を介在しない「心のマルチ商法」にすぎない。それに解放感に浸るのは,せいぜい2,3ヵ月である。大方の参加者は一時的に周囲から奇異な視線にさらされるが,そのあとは完全に元の状態に戻ってしまう。
 問題なのは,自己啓発セミナーが心理療法の肩代わりをしている点であった。本来なら,精神科医やカウンセラーのもとを訪れるはずの患者が,「自己啓発」という前向きな響きに惹かれて,その実,心理療法を欲している。霊能者のもとを訪れる者も,例外なく精神的な悩みがあった。医者から見放され難病に喘ぐなど,気の毒な境遇の者も少なくない。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.174

想像を絶するほどの親密感

 こうしたセミナーは,人間関係が希薄になればなるほど浸透してゆく。密室に200人もの人間が3,4日間閉じ込められ,互いに黙ったまま眼を見つめ合う。誰にも言えない欲望や秘密を告白し,目の前の相手を幼い頃の母親と錯覚し,そして気がつくと見知らぬ人を抱き締めている。想像を絶するほどの親密感が芽生え,閉ざされた部屋から解放された瞬間,一斉に躁状態になる。見るものすべてが輝く。道行く人にむかって次々に声をかけたくなる。間もなく,悩める「子ネズミ」を救済すべく,友人や知人を秘密の部屋へ導いてゆく。「善意」という名の暴力をもって……。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.168

単に現実逃避

 催眠療法を望む人々にも,大きな問題がある。献花セラピーと呼ばれるゲシュタルト療法のような心理療法では,日本人特有の甘えが許されず,自己の問題と厳しく対峙しなければならない。ところが,催眠療法は受け身の姿勢でよいため,きわめて依存的な姿勢で治療に臨む者が目立つ。たとえば夫婦間がうまくゆかないないのは,過去生のカルマにあると考え,現実の問題と向き合おうとしなかったり,催眠から眼が醒めれば,生まれ変わると勘違いしている人たちが少なくなかった。それでは,単なる現実逃避にすぎず,霊能者のもとを訪れる行為と何ら変わらない。彼らは,初めから自分で判断することを放棄し,既成の権威などに価値判断を委ねる。そのため,権威を騙る治療者にたやすく騙されてしまう。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.164

計算!

 私には,その感覚がよくわかった。ある催眠療法の専門家から退行催眠をかけてもらったとき,普段の状態とまったく変わらなかったからである。地下室の階段を降りて,前世の扉を開ける暗示をかけられてゆくと,たしかにある映像が浮かんできた。といっても,それはセラピストに気を使って記憶と想像力を駆使した結果で,自然に浮かび上がったわけではなかった。
 「あなたは暗示にかかりやすい」
 と,セラピストが満足そうに誘導してくれたので,私は,仕事熱心な彼に向かって「催眠に入っていない」とは言い出せなかったのである。そのため,過去に遡ってゆく暗示をかけられて,質問を受けるたびに苦労した。
 「今の年号は?将軍は誰ですか?」
 とセラピストから質問されると,日本史の口頭試問を受けるような気分に陥っていた。まさか図書館に行って調べてくると言うわけにもいかず,困ってしまった。まるでクイズ番組に出演して,答えられずに恥をかいているような気分だった。私は,一代前の前世が死ぬ場面のことを問われたとき,年号や年齢に関して致命的な計算ミスを犯した。私の前世だったはずの人物は,何と私が中学生まで生きていることになってしまったのである。


福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.161

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