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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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しょうがない

就活を始めたばかりの学生は有名企業しか知らない。毎年,「学生は大手ばかり受けて」「安定志向でけしからん」という話が出るが,それ以外の企業と出会う場は限られているし,それらの企業の情報開示も十分とはいえず,安心できないのだからしょうがない。

常見陽平 (2013). 「就社志向」の研究:なぜ若者は会社にしがみつくのか 角川書店 pp.178
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「就活」が問題

繰り返しになるが,未完成の若者にかけ,定期的に組織に人を迎え入れるという新卒一括採用というシステムは時代遅れではなく,むしろ大学も大学生も増え,レベルも多様化したと言われている中,若者の進路を安定させるという意味でむしろ評価されるべき慣行である。
 問題は「就活」という学生が企業に入るための行為である。肥大化,膨張化,煩雑化し精神的にも肉体的にも負荷のかかるものになっていることである。採用する側の負担も増している。

常見陽平 (2013). 「就社志向」の研究:なぜ若者は会社にしがみつくのか 角川書店 pp.117

学生を口説き落とす

前述したように,新卒一括採用が悪いのか,就活が悪いのかというのも,セットのようで,私は分けて論じないといけないと考えている。未経験者をほぼ定期的に迎え入れるという行為自体は,若年層にとってやさしい慣行だと捉えられるが,実際の学生が取り組む就活の肥大化・煩雑化,さらには企業と学生が出会えない構造こそが問題なのである。学生は毎年,入れ替わる。常に彼らにとっては初体験である。一方で,採用担当者は長年にわたり採用業務にかかわるし,異動したとしても組織に知識は蓄積される。「騙す」とまでは言わないが,学生を口説き落とすためのノウハウ構築は簡単なのである。ベンチャー企業の採用担当者からこんな話を聞いたことがある。「優秀な学生を採用しようと思ったら,やりがいのあるインターンシップを実施して,優秀な社員を貼りつける。グローバル化,新規事業,挑戦などの言葉を連呼して,経営陣に会わせれば,それでOK」。このように,ノウハウは社内に蓄積されていくのである。

常見陽平 (2013). 「就社志向」の研究:なぜ若者は会社にしがみつくのか 角川書店 pp.83-84

ブラックボックス

とはいえ,「体育会」に所属しているその学生が,少なくとも1社から内定が出て,本人や周りが「体育会だから評価された」と「思い込んでいる」ことはどうやら事実のようだ。ややくどい説明になって恐縮だが,体育会関係者が就活で有利だと言える根拠はそれなりにあるのもまた事実である。ただし,体育会に所属している学生が「必ず」志望する企業に(いや,志望しない企業でさえも)内定するかどうかの確証はない。
 前述したような事例についても,少なくとも個別の事例があるので,そこでその属性が「有利」あるいは「不利」であるかのように,一人歩きしていく。
 ここで,可視化されるのは次のような点である。

 1,人々は就職活動(採用活動)をあたかも大学受験のように考えていて,ある能力などが決定的にはたらくのではないかと期待している。
 2,とはいえ,これが本当に作用したのかどうかはわからない。なぜなら,採用活動はコンフィデンシャルであり,ブラックボックスだからだ。

常見陽平 (2013). 「就社志向」の研究:なぜ若者は会社にしがみつくのか 角川書店 pp.58-59

30万人

ただ,新卒一括採用という慣行の限界,企業にしがみつけない時代と言われている中,それでも毎年,1学年約60万人弱の大学生がいる中,毎年約40万人強の大学生が民間企業への就職を希望し,30万人強が正社員で就職が決定しているというのもまた事実である。

常見陽平 (2013). 「就社志向」の研究:なぜ若者は会社にしがみつくのか 角川書店 pp.50

クレームの嵐

現在,学校現場はクレームの嵐のなかにおかれている。しかもそれは年々ひどくなっている。担任や教科の教員の些細なミスに,怒りをあらわにして,「担任を替えろ,教科担当者を替えろ,辞めさせろ,処罰しろ」と教育委員会や校長に怒鳴り込む。
 それは,近隣の住人達も同様だ。「生徒がコンビニの前でたむろっている。公園で騒いでいる」など,学校に頻繁に電話がかかってくる。「気づいたら,お前が注意しろよ!」といいたい気持ちをグッと飲み込み,たびたび謝罪に行った記憶がある。
 つまり,自分の子供しか見ていないうえ,学校が不満のはけ口になっているのだ。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.210

原則6年

都立高校の教員は,原則6年しか同じ高校に在籍できない。とはいっても,「本校在勤務年数3.3年」というのはあまりに異常な数値だといえる。
 都立高校の教員は,特別な事情がない限り,最低3年,同じ学校で勤務しなくてはならない。すなわち「本校在勤務年数3.3年」ということは,着任したとたん,すぐに嫌気がさして最短で異動したいと願っている教員が多くいることを示している。
 その理由の一つに,勤務の多忙さや負担の大きさがあることは間違いないだろう。その結果,今後,中高一貫校がどういうことになるかを一つだけいっておこう。
 明らかに教員の質が低下してくるはずだ。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.196

一貫校の学力差

校内における生徒の学力の差は,公立の中高一貫校ではまことに深刻である。高校入試を経て,比較的均一の学力をもって入学してくる一般の都立高校の生徒と比較して,高校段階で選別されない中入生のトップ層と下位層の学力差は極めて大きくなる。さらに併設型の場合,これに高入生が加わる。そうなると,同じ高校の生徒とは思えないくらい,学力の差が開いてしまうのだ。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.189

学力検査は課さない?

都立中高一貫校では,中学校に入学するさい,学力検査(学力試験)は課さない決まりになっている。すでにこの話は前にも述べたが,やはり,何度聞いてもどうにも納得がいかない方が多いだろう。都内には「都立中高一貫校に受からせます」と堂々とうたう進学塾がいくつもあり,一貫校に合格するための模擬試験が存在し,さらに,問題集や受験対策参考書も書店のお受験コーナーにたくさん並んでいるのだから。
 だが,それでも都立中高一貫校がおこなっている入学試験のようなものは,あくまで自校に入学するのに適しているかどうかを診断する“適性検査”であり,学力試験やテストのたぐいではないというのである。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.142

幸せは

いずれにせよ,ある程度環境や健康に恵まれ,暗記力や理解力に優れていないと,有名大学に合格するのはかなり難しいのである。そもそも,じっと長い間,集中して机に座り続けていること自体,じつは大きな才能なのだ。
 ただ,1つだけつけ加えておきたい。
 学力が高いことや有名大学に入ることが善であり,幸せではないということだ。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.51

幻想である

「学力の低い生徒」とか「決して入学できなかった学力層」という言葉を聞いて,不愉快に思われる読者がいらっしゃるかと思う。また,入学当初はどんなに学力が低くても,まじめにコツコツ努力さえすれば勉強ができるようになり,必ずや有名大学に入れるのだと信じている方もいらっしゃるだろう。そして,「そう導いてやることが,教師の役目ではないのか」と憤りを覚える方もおられることと思う。
 だが,それを承知であえて言わせていただくが,そんなものは全くの幻想である。
 稀にそういう生徒もいることはいる。だが,25年間教育現場で生徒と向き合ってきた私は,努力万能主義は大きな誤りであるとはっきり言い切ることができる。

河合敦 (2013). 都立中高一貫校10校の真実 幻冬舎 pp.50

バブル

日本科学大学は,森林に囲まれた高台にある。経済成長の夢が頂点に達した頃に計画され,その夢が消えた頃に完成したキャンパスである。もともとは,都内にあった小さな私学で,前身は専門学校だったのだが,多額の金を集めて大きな夢を見た人間がいたのだろう。そんな人間は,あの時代にはむしろ平均的な人種だった。もっとも,当時は,狭い都内の土地が夢みたいな高い値で売れたので,資金的には一概に無謀な計画と非難することはできなかった。ただ,都心から遠く離れ,こんな僻地にまで学生が来てくれるのか,という小さな心配があっただけだ。当時,その心配は,自然に囲まれた環境,という綺麗な言葉で一蹴されたわけだが,今では,その心配が致命傷と断言できるほど大きくなっていた。

森博嗣 (2013). キウイγは時計仕掛け 講談社 pp.25

神話に頼る

当時4歳だったベートーヴェンは,約20年後には卓越した演奏家になっていて,作曲家としても将来有望だった。しかし,彼もモーツァルトも「どういうわけか昔からよくできた」わけではけっしてない。サーカスのピエロがジャグリングの腕について「どういうわけか昔からよくできた」と言えないのと同じことである。
 それでも,生まれつきの才能という神話はいつまでも廃れないだろう。今日に至っても,生まれつきの才能について論じられることはしばしばで,現実をもっとよく理解しているはずの科学者のなかにも,そういう話題を持ちだす人々がいる。この点は,年齢,階級,地域,宗教にかかわらない。
 どうしてだろう?それは,われわれが神話に頼っているからである。生まれつきの才能と限界を信じるほうが,精神的に楽なのだ。自分がいま偉大なオペラ歌手になっていないのは,そうなる器ではないからだ。自分が変わり者なのは,生まれつきなのだ。能力は生まれたときから決まっていると考えれば,この世はより御しやすく,快適になる。期待という重荷から解き放たれる。また,他人との比較に悩まされることもなくなる。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.141-142

神道の場合

神官を養成する学校として,現代の日本には2つの大学がある。それは東京の國學院大學と三重県・伊勢市の皇學館大学である。ここでは神道では重要な神社である伊勢神宮のある地域の皇学館を述べておこう。創設は1882(明治15)年の神宮興學館である。それ以前には神道・学問の研究・文書の保存を行っていた神宮文庫を1873(明治6)年に神宮教院として神主の養成校へと発展させ,さらに1876(明治9)年に神宮教院本教館となったものが神宮興學館である。もともとは4年制の尋常科とその上の4年制の高等科の学校であったが,1903(明治36)年に官立専門学校となった。神職者の養成を主たる目的としていたが,教員になる学生もかなりいた。官立校となったのは,国家神道を実践する役割を果たす神官を養成する学校なので,国家が運営するのがふさわしい,と考えられたからであろう。
 戦争開始直前の1940(昭和15)年には官立の神宮興学館大学へと昇格するが,敗戦後は GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が国家神道を先駆けした大学として皇學館大学の廃止を命令し,現実に廃校となった。ところが,しばらくしてから今度は私立大学として再興を計り,1962(昭和37)年に新制大学として再スタートする。戦後の教育制度にあっては信教の自由が認められていたので,私立校である限りたとえ戦争責任の一端を担った学校であっても,神道の学校でも開学を阻止することはできないのである。現代では,神道学科(神職養成学科)を含む文学,教育学,現代日本社会学の3学部を擁する大学である。

橘木俊詔 (2013). 宗教と学校 河出書房新社 pp.94-95

仏教系各派の場合

他の宗派の学校についても述べておこう。これについては井上(1997)と武田(1997)に簡単な紹介がある。1868(明治元)年に知恩院内に仏教研究のための勧学院(後の佛教大学),1887(明治20)年には浄土宗学本校(後の大正大学)を東京・増上寺内に,1873(明治6)年には既に述べた教導職への対応のために,真言宗では小教学院と1875(明治8)年には中教院をつくり,1886(明治19)年には古義真言宗大学林(後の高野山大学)を創設している。曹洞宗では1875(明治8)年に既に紹介した専門学林(後の駒澤大学)を,臨済宗では明治初期からある寮や学林を1907(明治40)年に花園高等学院(後の花園大学)と改称し,日蓮宗では1872(明治5)年に檀林を小教院(後の立正大学)と組織替えした。このようにして仏教の諸宗派は多くの学校を設立してきた。当初は僧侶養成の学校という性格が強かったが,俗人教育にも進出していったことがわかる。とはいえ,谷川(2008)が述べているように,俗人教育(すなわち普通教育)に関しては仏教系の貢献は限定されたものであった。明治,大正,昭和の戦前期にあっては,一般人の教育に関してはその主要な部分は公立学校,そして一部の無宗教とキリスト教系の私学に委任されていて,仏教系の学校の貢献度は限定されていたのである。

橘木俊詔 (2013). 宗教と学校 河出書房新社 pp.92-93

上智と南山

ちなみに上智大学は創設時はそれほどの名門校ではなかったが,時代の経過とともに女子の優秀な学生が入学するようになり,名門校としての認知度が高まった。現在では早慶・上智と称されるほどの名門校になっていて,日本の私立大学の代表格にまでなっている。さらに,大学が名門校になる手段の1つとして,女性の優秀な学生がまず入学してから始まる,という伝統を生んだ例が上智大である。名古屋の南山大学(カトリック系)も上智大と同じ道を歩み,女子学生に優秀な人がまず入学したので名門度を上げた歴史を有している。

橘木俊詔 (2013). 宗教と学校 河出書房新社 pp.77

乗るか降りるか

No.1にならなくてもいい
 もともと特別なOnly one

 この曲に癒やされながら人々は,子ども・若者たちの間での「自分探し」と「学校的な価値観」との奇妙な癒着と分離を黙認してきたことになる。藤田や苅谷が強調していたのは,そのような黙認の結果として社会階層にそった学力の格差とその拡大が進行したのだということであった。
 だとすると「個性」という言葉は,学校的な能力主義にのっとってそれなりの成績を挙げられる人とそうでない人とで異なる含意を持つものとなったということもできる。すなわちそれは,成績のよい子たちには能力を徹底的に磨くことを,成績のあまりよくない子たちには成績競争から降りることをそれぞれ推奨していたのである。

浅野智彦 (2013). 「若者」とは誰か:アイデンティティの30年 河出書房新社 pp.83

研究の集大成

古武先生は
 「ドクター論文というのは卒論とか,マスター論文とはわけが違う。その人間の研究の集大成のようなものと考えてほしい。そして,そこから,また新たな研究が始まるということや。だからドクター論文は少なくとも審査者がいる学術誌に2,3編は載せ,学会発表は年1回は必ず行なうことによってドクターになる資格ができる。それだけの業績を積もうと思ったら,スクーリングが終わって論文を書いたからといってすぐドクターになれると思うな。ただ,医学部などは比較的簡単にドクターになるが,あれは職業上,医学博士という肩書きが必要だから,教授の先生はなんとかして博士にしてやろうと努力をされる。しかし,文学博士は,そう簡単にティーテル(博士号)は出さない。大学の歴史は長く,日本の大学も多いが,いままで文学博士と名がついている人間は全国でもそうおらん。だから文学博士という名称は昔から言われているとおり,『末は博士か,大臣か』というくらいに権威のあるものなのだ。そのつもりでおれ」
 と,常日頃からおっしゃっていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.208-209

コンプレックス

はなからコンプレックスがあるのだ。同じ研究への道を歩くのならどこの大学でも一緒であるとは,とうてい思えない。やはり京都大学,東京大学,九州大学,東北大学などは二目も三目も置く大学であった。
 「お前らアホやから私学にしか行かれへんのじゃ」などと憎まれ口を叩く奴もいた。「ふん関学かっ」と鼻先に軽蔑をぶら下げて薄ら笑いを浮かべる人もいた。そのたびに臓腑が煮えくり返るような腹立たしさを我慢しながら,「今に見とれ,ええ仕事して『あっ』と言わしたるからな。オレたちはパヴロフを目指しとんのやから」と腹の中で呻いていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.99

定量化できる能力か

グーグルも,データの魔力に翻弄されないように,もう少し認識を改めるべきだろう。SATスコアやGPAといった尺度は,いくら人生を長く生きてきても,変えようのないものだ。おまけに学識以外の知識をまともに評価できないシロモノである。人間性の面から見た資質も反映されていない。科学やエンジニアリングの世界と違って,人間性の面での知恵は定量化しにくいからだ。
 実はグーグル創業者は,成績よりも学びの姿勢を重視するモンテッソーリ式の教育を受けてきた。そんな背景を考えると,人事採用時にSATスコアのようなデータに執着するのは余計に奇異に映る。過去の技術系企業は,実力以上に粉飾された履歴書をありがたがってきたわけだが,その誤りを繰り返すことにもなる。博士課程中退組のラリーやセルゲイが,伝説のベル研究所に就職していたら,マネージャーになれるチャンスはあっただろうか。グーグルの基準に照らせば,ビル・ゲイツもマーク・ザッカーバーグもスティーブ・ジョブズも大卒ではないから,昇進どころか入社もできないのである。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.249-250

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