I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「マスメディア」の記事一覧

そう甘くはない

 芸能界にはさまざまな人がいる。芸能活動中,または引退後に殺人事件を起こしてしまった人だっている。でも,過去に日本中を震撼させた凶悪事件の犯人が平然として活動できるほど,芸能界は甘い世界じゃない。マスコミや地元の人間の中にも犯人の顔を知っている人もいるだろう。凶悪事件の犯人だったという過去が発覚すれば,どんな騒ぎになるか想像がつく。
 すべてを偽装しても忌わしい過去は消せない。人前に出るどころか,人目につかない場所で隠れるように暮らすしかできないと思う。
 本に載っている犯人が実在するなら,週刊誌やゴシップ雑誌,ネットがこぞって騒ぎ立てるはずなのに消息を追う者は誰もいない。
 理由は単純,著者と出版社を信用していないからだろう。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.155

CMの目的

 ある日,謎は解けた。09年10月に,三共の『CRフィーバー超時空要塞マクロス』のCMが毎日のように流れていた。それを見て,実際にパチンコ店に行って台を探したのだが,どの店でも1台として置いていないのだ。「発売中止か!」とびっくりして調べたら,そうではなかった。実際に設置されたのは,それから2ヵ月後の12月初旬だったのだ。台の設置後は,急にマクロスのCMを見ることがなくなった。
 『マクロス』のパチンコ台のCMは,パチンコ店の経営者に台を買わせるのが目的であり,パチンコファンに向けた物ではなかったのだ。

安藤健二 (2011). パチンコがアニメだらけになった理由 洋泉社 pp.155

方向性が逆

 マスコミで流れている風説とは逆だった。パチンコ店にアニメファンが増えたのではなく,パチンコ店の客が『エヴァ』のファンになっていたのだ。資料を調べていくと,『エヴァ』の関係者すら,こうした動きを認めていることがわかった。

安藤健二 (2011). パチンコがアニメだらけになった理由 洋泉社 pp.35

最初に叶うことばかり

 作家になる,というイメージは,「自著が書店に並ぶ」「他人が自分の作品を読んでくれる」「印税がもらえる」「ファンレターが届く」など,いろいろあるだろう。これらは,最初の1冊が出るとすぐに実現することばかりである。案外,作家志望の人というのは,「書きたいものが沢山あってしかたがない」というよりは,前記のような憧れの未来像を抱いている場合が多い。「とにかく書きたい衝動が抑えられない」というような人間ならば,本が出ようが,ファンレターが来ようが,無関係なはずだ。どんどん次の作品を書き続けるだろう。書いていれば,しばらくは必ず本になる。書いていれば,スランプに襲われることもない。一方,「作品を書きたい」よりも「作家になりたい」という思いが強い人は,作家になったあと,創作の原動力が弱まることは確実である。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.65-66

イルカに善意があるのか

 船が遭難し,荒れ狂う海で溺死しそうになった船乗りが遭難したという,心あたたまるニュースがときおり報じられる。船乗りの脇に海中からイルカがふいに姿を現し,優しく,しかし確実にその体を鼻で押しながら海岸まで連れていってくれたというのだ。イルカはほんとうに人間によく似ていて,私たちの命を救ってくれたと思いたくなる。しかし待ってほしい。人間は自分たちのようには泳げないとイルカは知っているのだろうか。ほんとうに人助けをするつもりだったのだろうか。この疑問に答えるためには,イルカの鼻先で優しく押されながらさらに遠くへ連れていかれ,沖で溺れて行方知れずになった船員が何人いるかを知る必要がある。彼らは何も話してくれないので,事情は不明だ。こちらの情報も入手できたならば,結論はこうなるかもしれない。イルカには善意も悪意もなく,ただ遊び好きなだけだ,と。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.143-144
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

潔癖症の社会

 諸外国の多くでは,当局は,健康被害の危険があると判断したときに初めて回収指示を出し,基準値を超えただけで即回収はしない方針をとっています。マスコミの報道も,そういう考え方を前提にしています。それと比較すると,国際基準とかけ離れた厳しい基準を定め,その基準を上回っただけで公表を求められ,大規模な商品回収という事態に発展し,そして自主回収を行った企業もマスコミから激しいバッシングを受けるという日本の現状は異常としか言いようがありません。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.40

マスコミも政治家絡み

 一方で,政治家の側からみても,優良企業のテレビ局に子女を就職させることは,きわめて魅力的だ。自らの後継者育成という点に絞ってみても,バッジをつけた後のマスコミ対策において有利だと考えられている。さらに,記者やアナウンサーなどの出役になれば,本来のマスコミ人脈に加えてさらに顔を売ることができ,選挙に有利だとも考えられている。
 そうした理由から,政治とテレビはお互いが「陳情」を認め合うという共存関係が続いている。これはなにも政治家自身の子女に限定される話ではない。政治家の後援会幹部の子弟などでも同様のことがいえる。
 それにしても,テレビ局に子女を入れている政治家は年々増加している。そのすべてがコネ入社だというつもりはない。ただ,本来は入社に際して倍率が高いはずのテレビ局が,大量の政治銘柄社員を抱えているのは,確率的にも異常といえはいまいか。
 ざっと,思いつくまま挙げてみても,片山虎之助(NHK),松岡利勝(NHK),鈴木宗男(NHK),久間章夫(NHK),高村正彦(NHK),石川要三(NHK),柿沢弘治(NHK),田野瀬良太郎(NHK),上杉光弘(NHK),中川昭一(フジテレビ),中川秀直(テレビ東京),小渕恵三(TBS),小杉隆(TBS),加藤紘一(TBS)らの子女が,テレビ局に就職している。これは思いつくままなので,実際はもっと多いだろうし,親戚や後援会にまで例を広げるとさらに多い。
 また,テレビ局にはもうひとつ世襲を批判しにくい事情がある。それは自らも多くの二世社員を抱えているという現実だ。

上杉隆 (2009). 世襲議員のからくり 文藝春秋 pp.168-170

報道の二分法

 事件報道において,できるだけ短時間の取材で,分かりやすく,多くの人に読んだり視聴したりしてもらえる記事を作るためには,「善玉」「悪玉」をはっきりさせるのが効率的です。違法か合法か,つまり善玉か悪玉かについての当局の判断を,読者や視聴者がそのまま受け入れてくれるのが,最も合理的なのです。
 それゆえ,善悪の評価が難しいようなややこしい話は,新聞,テレビでは敬遠されがちです。このことが,複雑な背景で起きている事件を単純化し,「法令を遵守しなかったから悪い」「法令遵守さえ徹底すれば良い」ということで片付けてしまう傾向を助長しています。
 この報道姿勢は,自身のリスクを軽減するという意味で最も賢いやり方です。事件報道は,個人や企業の社会的評価や信用を失墜させますから,報道内容への抗議や,場合によっては名誉毀損で訴えられるリスクを伴います。また,大企業は有力な広告主だったりしますから,企業側から反感を買えば広告収入を失うリスクもあります。
 一連のリスクを最小限にするのが,当局の判断に追従するというやり方です。当局の判断をそのまま報道しているのであれば,訴訟で賠償を命じられるリスクは全くありません。さらに,不祥事を起こした企業への社会的非難が極端に高まっている場合であれば,どれだけ企業を叩こうが広告収入を失う懸念はなくなります。

郷原信郎 (2007). 「法令遵守」が日本を滅ぼす 新潮社 pp.120-121

コンプライアンス=法令遵守?

 マスコミが「コンプライアンス=法令遵守」との考え方にここまでこだわるのには,いくつかの理由が考えられます。
 まず第1は編集上の理由です。新聞やテレビでは,外来語として定着していない外国語をそのままカタカナで使わない傾向があるので,コンプライアンスを何か日本語に置き換えるとすると「法令遵守」しかないんどえす。私は,コンプライアンスを「組織が社会的要請に適応すること」と定義していますが,まだ一般的な定義にはなっていませんし,そもそも新聞などで使うには長すぎます。
 第2の理由は,マスコミの考え方がもともと法令遵守的だということです。


郷原信郎 (2007). 「法令遵守」が日本を滅ぼす 新潮社 pp.114

「絶版制度廃止宣言」構想

 「絶版制度廃止宣言」構想,あるいは「永久流通宣言」構想
 出版社自ら絶版書籍のデジタルデータを販売する。つまり,グーグルがやろうとしているオンラインの「デジタル書籍」販売を出版社自ら展開していくのである。古い書籍なら最初にデジタルスキャンする必要があるものの,デジタルデータの版下が残っている書籍であれば,そのデータを加工・流通するだけで済む。
 出版社が最初にすべきことは「宣言」するだけだ。絶版を廃止することで,「著作権者や作品を大事にする出版社」であることを,内外に向けて強くアピールできる。
 デジタル書籍であれば,在庫を抱える必要もないし,紙代や印刷代などのコストもかからない。グーグルのような想像を絶する「スキャンミス」も起こりえない。1冊単位の注文にも応じることのできる「オンデマンド出版」への対応も楽々可能だ。まさに「21世紀の新しい出版ビジネス」が,ここに出現するのである。
 浮いたコストは,例えば著作権者に支払う印税に振り向けることも可能だろう。そうなれば,著作権者も喜んでこの「構想」に協力すること請け合いである。
 さらにこの「構想」は,グーグルの「知的財産征服」の動きを牽制し,独占を防ぐことができるうえに,グーグルとの交渉で主導権を握る材料としても使える。場合によっては,出版社のつくったデジタル書籍の販売にグーグルを利用してやってもいいのである——。

明石昇二郎 (2010). グーグルに異議あり! 集英社 pp.60-61

「空気」だけが存在

 本来そんなことがあってはならないのです。私が言おうと言うまいとこれは,客観的な,疑いようのない事実だ。行政関係者でも学識経験者でも,いやそれ以上に産業人であれば,日本や首都圏の生産年齢人口をチェックしていない方がおかしいのです。経済的に極めて重要な指標なのですから。でも実に驚くべきことに私の見聞の範囲では,これを自分で確認しておられる人にはほとんど会ったことがない。そして,「地域間格差は拡大の一途だ」だの,「高齢化は地方を蝕む病だ」だの根拠のない「空気」だけが世の中に蔓延しています。なに寝言を言っているのか。高齢者の激増,子供の減少,いずれも首都圏の真ん真ん中で起きている,首都圏住民自身の問題なのです。
 これは首都圏が少し前の過疎地と同じような人口動態に突入したということです。だから,三越と伊勢丹が統合する。車の売れ行きが落ちる。「識者」やマスコミはそれを「嗜好の変化」だという。これだけ年齢構造が変われば,それは嗜好も変化しますよ。昔と今,同じように無作為抽出でアンケート調査をすれば,サンプルの中の現役世代が減って,高齢者が増えているわけで,「これから車を買います」「スーツを買います」という人が減っいて,「もうそろそろ車はいいです」「もうスーツは要りません」という人が増えているのは当然です。逆になぜ首都圏の病院がこうも混んでいるのか,なぜ救急車のたらい回しといった事件が首都圏で増えているのか,こうした現場の実態も,首都圏での高齢者の激増という数字と明確に一致します。現場の事実や数字と一致しないのは,「首都圏は若い」「地方はともかく若者が流入する首都圏は大丈夫だ」という「空気」だけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.100-101

受験後遺症では?

 クイズ番組を見るたびに,「ああ,日本も終わりだな」と思う。
 特にあきれるのは,そのクイズが単純な「漢字問題」だったり,「地名当て」だったりと,ただ「知っているだけ」で正解とされる問題の場合だ。
 言うまでもなく,クイズには正解がある。しかし,人生に正解なんていない。いや,ありとあらゆることに正解なんてないのだ。だからこそ人生は面白いし,新しい何かが生まれるのだと思う。
 正解のある問題を解くいわゆる「勉強」は,学生の一時期にやらされる儀式みたいなもので,問題はそのあとなのだ。それをいい大人が必死にやって,バカだの賢いだのと騒いでいる。僕にはこの状況が「頭が悪い」としか思えない。
 これはどう考えても日本中が受験後遺症という病にかかっている証拠だろう。

山田玲司 (2009). キラークエスチョン:会話は「何を聞くか」で決まる 光文社 pp.120-121

気づくことが重要

 人が情報を誰かに伝えようとする時,自分が有利になるよう,作為的に情報の内容を変えようとするのは当然である。「客観報道」などということを標榜する報道機関ほど,主観と独断に満ちている。まったく操作をおこなわず,加工なしの情報を伝達できるのは,感情のない神のような存在しかない。
 では,本当に恐ろしいのはなにか。それは,スピンの存在すら知らず,それが中立公平な情報だと信じ込まされることである。恐ろしいことに,日本には,
 「世の中に溢れている情報は誰かが意図的に流したものだ」
 ということに気づかない,疑うことを知らない人が大勢いるのではないだろうか。

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.203

ネットの影響力

 たとえば,誰かがある企業の悪口を書き込む。根も葉もない噂話や,誹謗中傷である。しかし,それに呼応するようにして,また別の誰かが別の悪口を書き込む。その誰かのなかには,取引先やライバル社の人間がいるかもしれない。そのうち,内部の人間にしかわからないような書き込みもあらわれる。つまり,社員からの“内部告発”である。これだけでも,企業にとっては悪夢のようだが,それだけでは済まない。個人ブログや情報サイトに引用され,書き込みの情報はまたたく間に広まっていく。もはや新聞や週刊誌の部数など目ではない。テレビの視聴者だって軽く超える。そして,その悪口はサイバー世界の場合,読めば捨てられる紙媒体やテレビと違って,残るのだ。
 いまや多くの人々が情報をネットで検索する。なにかの商品を購入しようと思ったら,ネットで調べる。そして,一部上場企業にとってさらに頭が痛いのが,個人投資家である。彼らの多くがネットで取引をする。投資しようと思ったら,まずネットで企業の情報を得るのは当然だろう。そこで,検索をしたら様々なネガティブな書き込みがあるとする。投資意欲に暗い影を落とすのは間違いない。

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.191

どうスピンを掛ける?

 よく「客観報道」という言葉があるように,マスコミとは感情を排除して,すべてを公平に見る存在だと思われるかもしれないが,そんなことはない。記者も人間である。「怪しいな」と思う相手には,自然と厳しい論調になるし,「いい人だな」と思えば好意的に扱う。神様ではないのだから,どうしても「感情」に左右されるのだ。
 このケースで言えば,記者というのは基本的に「猟犬」なのだ。逃げるものは追う。牙をむいてくるものには吼える。だからこそ,すべてを曝け出して「全面降伏」されると,もはや追うものがなくなってしまう。
 ひとりの客が騒ぐ。それを握りつぶした大企業という構図をマスコミは求める。これを防ぐにはどうスピンを仕掛けるか。
 簡単である。
 この構図を打ち消す逆の構図をつくればいい。
 客の訴えに対して,ただただ平身低頭するしかない無力な企業。マスコミはとたんに興味を失う。もし,それを計算したうえで,このような対応をしたとしたら,広報担当者はなかなかの「スピンドクター」だといえる。

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.182

名誉毀損と戦うとき

 さて,このようなマスコミ訴訟はほとんどの場合,「名誉毀損」という問題をめぐって争われることになる。そこで,マスコミ側はどのように戦わなければいけないのか。まず大前提としてクリアしなければならない3つのハードルがある。
 ひとつ目は,その記事や放送内容に「公共性」があるか。このケースでは,有名人のスキャンダルが,果たして公共性があるのかという問題だ。アイドルの男女関係がどうしたとかというプライバシー的な話題は,この「公共性」という点において非常に苦しい。
 ふたつ目に,「公益目的」があるか。読者や視聴者がそれを知ることによって,どのような利益があるのか。おわかりかと思うが,「楽しい」とか「面白い」という次元の話ではない。「国民の知る権利」を十分に満たすような目的なのかということだ。
 そして最後に,「真実性」があるか。その有名人のスキャンダルがデタラメではなく,真実であればいいわけだ。これらの3つの要件を満たせば,法律上,報道した側は罰せられることはない。
 正直なところ,「公共性」や「公益目的」というのは,ものは言いような部分もあるのでどうにか主張を通せることもあるのだが,多くのマスコミが苦しむのが「真実性」の証明である。たとえば,このケースでは友人や部下らに聞いたのだから,それを伝えて「真実だ」と証明したいところだが,その情報源の実名は口が裂けても明かせない。彼らはリスクをとって,こちらに情報を提供してくれた。「情報源の秘匿」は,マスコミにとって絶対に守らねばならないモラルであり,鉄則だからだ。 

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.155-156

日本はスピンしやすい

 では,わが国ではどうか。残念ながら,官邸から流される情報に対してあまりにも盲従的で,ほとんどのマスコミが,自らが「駒」として利用されるということに対する危機意識が欠けている。権力を操る者たちにとって,これほど扱いやすい存在はいない。
 たしかに,官邸や中央政治を担当している記者は,各社のなかでも特に優秀で勤勉なエリート揃い。そうやすやすとスピンの「駒」になるような人間はいない。しかし,その一方で,前章で説明したように,彼らは「情報談合」や「自主規制」というルールに縛られている。だから,日本の権力者たちは欧米の権力者たちよりもはるかにスピンがしやすいのだ。

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.84

報道しない自由もある

 社会の一般常識として,マスコミとは「国民の知る権利」に奉仕する「公」のもので,権力者や企業からコントロールされない中立な言論機関である,と学校で習う。だが,それは教科書的な理想論であって,現実には国民の知る権利を阻害する場合もあるし,権力者や企業にコントロールされている場合も多々ある。
 いや,なにもここでマスコミ批判をしようというわけではない。政治家に「国民の代表」という理想の姿があって,それとはかけ離れた現実の姿があるように,マスコミにも現実の姿があるというだけの話なのだ。
 たとえば,マスコミがよく声高に叫ぶ「報道の自由」というものがある。法律で保障されているのだから,どんな強大な権力に対しても「ペンでの攻撃を緩めないぞ」と鼻息荒く訴えているが,「自由」ということは裏を返せば,「報道しない自由」もある。それもまた,保障されているのだ。
 先ほど「氷山の一角」と形容したように,マスコミは取材したことをすべてみなさんにお伝えしているわけではない。たとえば新聞記者などは,紙面に出している情報など彼らの知っていることからすると1割にも満たない。取材したものを「報道の自由」だとすべて世の中にぶちまけていたら社会は混乱してしまうだろう。彼らはその目で見た事実を,その耳でたしかに聞いた発言を,あえて心の奥にしまい込んでいる。そんなマスコミの真ちゅうを察して,背中をそっと優しく押してやるのが,「情報」でメシを食う人々だ。

窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.35-36

種明かし

 超能力とうそぶいてデモンストレーションをやってみせる彼らの所業は,ことごとく暴かれるべきであり,アメリカのジェイムズ・ランディ氏や日本のナポレオンズの「超能力者」との対決姿勢は,職業的デメリットも多いだろうに,その勇気と義憤に頭の下がる思いであって常習的に同業者の営業妨害を続けているマスクド・マジシャン(元々の芸名はヴァレンティノ。覆面で顔を隠さなければできない行為の為で,プロレスラーのマスクとは事情が違うようだ)の日本での荒稼ぎ等,暴かれるべき「超能力者」のイカサマは暴かず,立場が弱くテレビ局に抵抗の意思表示すらできない手品師達の食べていく手段を興味本位で奪ってしまう風潮は,政治家の犯罪は追わずに芸人の私生活の暴露に明け暮れるスキャンダル誌の精神とも似て,哀しすぎるではないか。それらの暴露マジシャン達が,自分達の得意ネタの種明かしを一切しないことが,すべてを表している。

松尾貴史 (2009). なぜ宇宙人は地球に来ない?—笑う超常現象入門— PHP研究所 pp.70-71

マスコミ操作

 さらに毛沢東は,影響力のあるアメリカ人ジャーナリストで「サタデー・イブニング・ポスト」紙や「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙に寄稿しているエドガー・スノーに目をつけ,西側諸国を魅了しようとした。スノーは毛沢東のでっち上げをそっくり信じ込み,毛沢東と党の指導者らを「率直で,純粋で,信用できる」と評していた。
 ジャーナリストを取り込もうとする毛沢東のキャンペーンは,スノーと毛沢東に長期にわたって利益をもたらした。他の著名人らも毛沢東と彼の政権をたたえた。ハーヴァード大学教授,ジョン・K・フェアバンクは中国から戻るとこう述べた。「毛沢東主義の革命は,概して,中国の長い歴史の中でも人民にとって最高のできごとである」。女権拡張運動の哲学者,シモーヌ・ド・ボーボワールは,毛沢東政権の殺人を養護した。「彼が行使する権力は,たとえばローズヴェルトの政権より独裁的ということはない」。その配偶者であるジャン=ポール・サルトルは毛沢東の「革命的暴力」を賛美し,「きわめて教訓的である」とい断言した。
 しかし毛沢東と共産党はますます巧みに新聞を騙すようになり,自体は予想もしない方向へ進んだ。国民党は共産党よりはるかに自由な報道を許していたため,公然と不満を述べ議論することが可能で,民衆の目には国民党の残虐行為と失敗が拡大されて見えた。共産党陣営からの,注意深くコントロールされた肯定的な報道との対比に,多くの人々は,どちらも悪いにせよ共産党がましであるという結論を出したのだ。ある国民党の幹部は,共産党支配の恐怖を目の当たりにして強固な半共産主義者となった1人だったが,上海の近くの寧波に行ったとき,人びとは彼を拒絶し,意見を聞こうとはしなかった。「わたしは訪問者すべてと話をした。舌が乾き唇がひび割れるまで……共産党の無法者の無慈悲で獣のような行いについて語った……しかし彼らを目覚めさせることはできず,敵意をかき立てただけだった」

バーバラ・オークレイ 酒井武志(訳) (2009). 悪の遺伝子:ヒトはいつ天使から悪魔に変わるのか イースト・プレス pp.263-264

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