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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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鳥の多様性

 すべての鳥が,あらゆる点において同等に賢かったり有能だったりするわけではないのは明らかだ。少なくとも,現在わかっている範囲ではそうだ。例えばハトは,いくつかの問題を解くのに一般的な法則を導き出さなくてはならないような作業を苦手とする。これはカラスがもっとも得意とするところだ。だが平凡なハトもほかの点においては優れている。何百という異なるものを長期にわたって覚えていられるし,異なる絵画のスタイルを識別し,見知った場所から数百キロも離れた地点でも飛ぶべき方向を知っている。チドリやシギ(ミユビシギなど)の仲間には,「洞察学習」の証拠が見られない。洞察学習とは,カレドニアガラスのような鳥が道具を使ったり,人間がつくった装置を操作して褒美に餌をもらったりするときの物事の関係性の理解を指す。しかしチドリの一種であるフエチドリは芝居染みた行動の大家で,「翼が傷ついたふり」をして捕食者の目を浅くて丸見えの巣から遠くへそらす。



ジェニファー・アッカーマン 鍛原多惠子(訳) (2018). 鳥!驚異の知能:道具をつくり,心を読み,確立を理解する 講談社 pp. 32-33


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分裂病の遺伝

 双生児研究から得られたもっとも衝撃的な事実は,一卵性双生児の一方が分裂病だからといって,もう一人も分裂病であるとはかぎらないということである。二人がともに分裂病である一卵性双生児は40パーセントから50パーセントである(一致)。50パーセントから60パーセントは一人だけが分裂病である(不一致)。
 これは,遺伝子が人格,精神の健康度,精神病を総合的に決定する決定因子ではないという動かしがたい証拠である。遺伝子がそれを決定する唯一のものだとすれば,一致はほぼ100パーセントのはずだ。遺伝子をすべて共有している一卵性双生児の場合でさえ,一致するのは50パーセントに過ぎない。これは分裂病の遺伝的危険率が高い人の発症については,環境が大きく影響することを示している。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 172-173

分裂病の遺伝子

 従って,遅くとも約六万年前までに,一番早くて十五万年前に,すべての人種が分裂病の遺伝子を獲得したということになる。これは人類史上もっとも重要な出来事の一つであろう。大きな脳をもち,善良だが想像力にかける先行人類から,創造的だが落ち着きのない,われわれ現生人類への転換点であったのだろう。これが本当の人類創生物語なのだろうか?
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 155

脳内の伝達

 どうやら脳内のできごとを単純化しすぎてしまったようだ。本来,その複雑さは私の拙い描写など及びもつかないほどで,脳をコンピュータにたとえられないのはそのためだ。コンピュータでは,各々の段階で電気インパルスは通過するかしないかのどちらかで,中間の状態がない。介入する手順,代替の手順が増えるほど,ものごとは複雑かつ微妙になる。しかし神経系においては,各々の段階は「よし,通せ」あるいは「だめだ,止めろ」というような単純なものではない。十万段階もの「かもしれない」というレベルがあるのだ。各々の神経細胞間の交信についてその流動性を考慮に入れ,さらに一千億の交信するニューロンを加えて考えてみよう。人間の脳は宇宙のなかで最も複雑な構造をもっていると言っても過言ではないことが理解できるだろう。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 111-112

脳とコンピュータ

 このような違いにもかかわらず,脳とコンピュータには基本的な共通点もある。電気を通す伝導路と効果的な絶縁が必要なのである。特別に要求されたとき以外は伝導路間の交信をとめるためである。ここでリン脂質が登場する。リン脂質はほぼ完璧な絶縁体となり得る。決して簡単には開かず,電気インパルスと特定の化学物質のみを通す。神経細胞の細い突起部では,リン脂質という絶縁体のチューブが,電気を通す液体の溶解物質の柱をおおっている。多発性硬化症においてはこの絶縁の喪失が問題の一つである。隣り合った神経細胞間で不適切な交信がおき,脳の一部が機能不全をおこすのである。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 106

脂肪

 脂肪が重要な役割を果たす驚異の器官が脳である。脳は何からできているのかと聞かれて,ほとんど水であると答えられる者も少しはいるだろう。たしかにそれは正しい。しかし,水以外の成分で最も重いものをあげろと言われて,脂肪と答えられる人はほとんどいないだろう。脂肪なのである。脳の水以外の成分,その60パーセントが脂肪である。人間の脳は脂肪で満ちている。それが人とチンパンジーの違いなのである。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 88

変異と環境

 進化における変化は,選択されるべき有利な突然変異がなくてはおこり得ない。変化に必要なものは二つある。環境条件の変化と,あらたな環境条件によって選ばれ得る変異型の存在である。前にのべた定期的な飢饉の例では,初期人類の変化は環境に由来するものだった。しかし,それだけでは新変異型,新しい種への進化のための十分条件とはいえない。環境因子は,その時点ですでに存在している遺伝子への反応,変異型すなわち突然変異と適合しなければならない。この潜在する突然変異は,それまでの環境のもとでは害も益もないが,環境がかわると急に重要で有益なものとなる。当初はほとんど価値のない突然変異も,はからずも,将来の環境変化にたいする備えとなることがある。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 66

適者とは

 進化においては,生き残り,十分な数の子孫を残すものが競争に勝つ。「最も適した」ものが生き残る,「適者生存」である。それは最も頭のよいものでも,最も速く走ることができるものでも,最も狩に長けたものでもない。それらは価値ある特技ではあるが,「適者」とは,最も効率的に繁殖し,最も多く生きた子孫を残すものである。環境が安定している時には種や生態も安定し,繁殖は成功裏につづく。しかし,環境が変化すると,それまで成功していた生体の特性がうまく機能しなくなり,繁殖の成功は難しくなる。やがて個体とそれが属しているグループは絶滅してしまう。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 64

手斧

 ハンドアックスに関して最も重要なことは,その製作と使用にあたって,人間は三つの関連した行動をとる必要があったということである。最初に,製作者はハンドアックスに適した石をみきわめ,原石のうえに形状を思い描かねばならない。次にしっかりした台に腰掛け,槌で石をハンドアックスの形状に削らねばならない。最後に,使用者はハンドアックスをかなり遠い獲物めがけて正確に投げるための運動機能を養わねばならない。
 石のなかに完成した形を思い描くことは,世界中にホモ・エレクトゥスとその亜種が君臨していた時代に発達した人間の新しい特性である。「彫刻家の技とはそこにすでに存在しているものを明るみに出すことだ」というミケランジェロのことばそのものだ。きわめて興味深いことに,三次元の形を視覚化することは,現代の建築家,彫刻家にも共通した特性である。彼らはしばしば「読字障害」である。文字言語の処理に問題がある学習障害だ。しかし,多くの読字障害者には特別な能力があることもよく知られている。そこにあらわれていない形を見る能力,それが形となってあらわれる前に,現代ならコンピュータグラフィックスによって視覚化される前に,三次元の構造物を視覚化する能力である。のちに述べるが,読字障害は分裂病患者の家系にもよく出現する。このような遺伝子の「異常」がうみだした能力が,人間の歴史において,きわめて積極的な役割をはたしていたのかもしれない。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 49-50

人間と他の遺伝子

 人間とその他の種の遺伝子構造は驚くほど似ている。人の遺伝子のうち40パーセントがアルコールやパンを作るのに使うイースト菌と共通である。60パーセントはミミズと同じで,ネズミやウサギといった,人間とは特に深い関係のない哺乳類でも80パーセントから90パーセントの共通遺伝子を持っている。チンパンジーや他の類人猿とは98から99パーセントの遺伝子を共有している。つまりゲノムについては,人とチンパンジーは違いより類似点のほうがはるかに多い。
デイヴィッド・ホロビン 金沢泰子(訳) (2002). 天才と分裂病の進化論 新潮社 pp. 30

火を使うまでは

 最後に,疑いを挟む余地がない話を。それは,火を自在に操れるようになるまでは,大がかりな狩りをするヒト科はいなかったということだ。繰り返すけれども,人間は肉食動物のような歯も消化器官も持ち合わせていない。解剖学的にも,生理学的にも,肉を消化するのにとくに適していたわけではなく,この問題が解決されるのは調理という技術を手に入れてからだ。人間の腸管は短い。したがって,どんな肉を食べる前にもまずは消化しやすいように火で処理をしなければならなかった(もちろん,加熱処理したからといって,肉食では摂取できない栄養分が口に入るようになるわけではない)。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 314

紳士と悪魔

 初期ヒト科の行動について,そして彼らの行動と現生人類の行動との生物学的つながりについて,たくさんの人類学者や生物学者が学説を展開してきた。けれども,どの説をとっても平均的ヒト像は極端な描き方しかされてこなかったように思われる。いずれの学者も偏った見方をしていて,中間派があまりいない。片方ではジャン=ジャック・ルソーのいう高貴な野蛮人のごとく紳士的に描かれ,もう片方では残忍な悪魔めいた描き方をされている。繰り返すが,中間がほとんどいないのだ!
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 259-260

二足歩行の要因探し

 筆者の考えが正しいとすれば,人類の祖先たちに二足歩行の最初の一歩を踏み出させた,これといった要因探しはしなくていい。最初のヒト科が暮らしていた環境には,二足歩行をすることが有利に働くような,たくさんの要因があった。このことをそのまま受け入れればいい。森の周縁や乾ききったサバンナに生息する霊長類が四足の姿勢を捨てたのは,食物や道具や武器を運ぶ,食事の間は真っすぐに座る,高めの低木から食物を得る,狩りをする,背の高い草越しにより広い視界を得る,体温調節を果たすといった要因のためではなかった。二足歩行という移動様式はすでに定まっている事実だった。そして二足歩行の成功あるいは利点は,単なる副産物だったのだ。多彩な生き物,つまり古代のわが祖先は,まず二足で歩くのに成功して,そのあとにこのような利点や,樹上と地上の両方の生活環境を利用できる能力を手に入れたのだ。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 242-244

見回す能力

 集団生活がもたらす有効な作用の一つに「目視」がある。捕食者を探す個体の数が多いほど,相手から発見される前に相手を発見する確率が高くなるからだ。より多くの目はより多くの捕食者の発見につながる。このように目視に重きを置くことは,霊長類が嗅覚よりも視覚に依存している事実と一致する。
 広い場所をくまなく見回す能力は,人間の能力に深く刻み込まれた特徴の一つでもある。実際の生活でも絵画でも,ある景色を目にすると誰もが心地よいと感じ落ち着きを覚えるのだが,それはなぜだろうか。18世紀ヨーロッパの画家たちは,なだらかな牧草地や丘陵地帯,点在する雑木林を芸術的に表現することで,この至福の境地に至っていた。コーネル大学のニコラス・二カストロは,広々として視界を遮るものがほとんどない土地を人間が好む傾向を調べ,次のように結論した。開けた地形では,捕食者が迫ってきて防御戦略を立てる間がなかったという羽目に陥る前に,捕食者を発見できる。驚いた。なんと,遠くまで広がる自然を見て喜びを覚える感覚が,自分たちを食べようとしている相手を正確に見定めることに関係していたのだ!
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 233-234

人間を食うワニ

 人間を捕食するワニ類の逸話の出所は,ほとんどがインド太平洋だ。なかでもとくに身の毛がよだつ話がある。第二次世界大戦中のこと,イギリス軍がビルマを奪回する軍事作戦にでたため,1000人の日本兵が撤退を余儀なくされた。彼らはビルマ本土とラムリー島との間にあるマングローブの沼地に入り,海軍が送り込んでいたはずの避難船を探した。ところが,イギリス軍の封鎖により日本の海軍艦艇は予定の場所に到着できず,兵士たちは一晩その沼地に閉じ込められることになった。そこに,ワニがやってきた。日本兵はワニのあごで押しつぶされるたびに悲鳴をあげた。封鎖の任についていたイギリス部隊の一人がその叫び声を聞き,こう書き残している。「ワニが回転しながらたてる,鈍い感じの噛みつく音が地獄の不協和音を奏でていた(ワニは水中ですばやく回転して獲物を食べられる大きさになるまで砕く)。こんな音が地上で繰り返されたことはめったにない」。日が昇るころには,恐怖の一夜を語れる生存者はわずか20名しかいなかった。生き残った兵の話では,なかには溺れた者もいたし,撃たれた者もいたかもしれないが,仲間の大半はワニに殺されたという。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 178-179

捕食と人類史

 ヒト科はオオカミに対して,グルジア共和国と北米とではまったく違う体験をしてきている。これは否定できない。とくに170万年前ドマニシで生きていた「豆粒ほどの脳みそ」のヒト科について言えば,彼らは屈強な狩人ではなかったし,草食動物をめぐって土着のオオカミと競合するわけでもなかった。小さなドマニシ・ホミニド氏がオオカミの獲物から少しばかり失敬していたなどという証拠があるとも思えない。ドマニシの小柄なヒト科は被食者然としてふるまい,相手からもそのように見られていた。オオカミは,170万年前のユーラシアでは,「狩られるヒト」の捕食者だったのだ。その証拠に,今日わずかに残っているオオカミの集団が捕食を試みている。オオカミと人間がともにすみ始めてからの期間が短い北アメリカとは違い,ユーラシアでは双方が作用し合って進化を展開する長い期間があった。そのほとんどで,生殺与奪の権はオオカミの方にあったのだ。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 131

人類史とオオカミ

 北アメリカではオオカミが人間を襲うことはまずない。これは複数の専門家筋によって確認されている。情報の不足などではなく,事実に違いない。欧州における最近の状況とは著しく対照的だ。ヨーロッパは赤ずきんちゃんのお話が生まれた地でもある。あの物語は実際に起こった恐ろしい,さほど珍しくもない出来事に基づいているのだ。ヨーロッパ(アジアも)のオオカミが北アメリカのオオカミとこうも違う行動をする理由は,いまだにわかっていない。だがデータからは,オオカミが人間の,とくに子どもの常習的な捕食者だった(そして今なお)ことははっきりとわかる。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 130

脳容量の増加

 環境が変わり,ならわしも変わり,追い込まれた状態になると何が起こるだろう。適応するか死に絶えるか,この二つしか選択肢はない。マレーンは,開けた環境で大型ネコ科動物と対決する必要が生じたためにヒト科系列の適応に弾みがかかった,という考えを提出している。行動だけでなく形態も適応を余儀なくされたのかもしれない。160万年前のこのころまでにホモ・エレクトスは登場し,ホモ・ハビリスは消えてしまっていたようだ。マレーンによれば,大型ネコ科動物に捕食されることによって,進化のうえでは身長と体の大きさと下肢の長さに成長がもたらされた。木に登る能力と引き換えに大股で歩き出すようにもなった。いずれもホモ・エレクトスがもつ特徴だ。またホモ・エレクトスの化石からは,洗練された小型石器のようなそれまでまったくなかった道具の発展につながる,脳容量の著しい増大がはっきりわかる。ホモ・ハビリスで650cc,ホモ・エレクトスになると1000〜1100cc,この著しい脳容量の増加は,気候変動と大型肉食動物による捕食とが絡み合った結果,引き起こされた形態変化だとマレーンは考えている。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 101-102

多様性への疑問

 込み入った茂みのなかに一本の枝がある。なんとか生き残って今なお生存している唯一のヒト科,解剖学的にいうと現生人類につながる枝だ。タッタソールは次のように言う。「人類としてのわれわれの歴史をじっくりと考えるにあたって忘れてはならないのは,われわれは,ゆっくりと途切れることなく一つの方向だけをめざした進展の完全なる結果ではなく,いろいろな枝を広げたこの茂みのなかで単に唯一生き残った小枝にすぎないということだ」。では,込み入ったヒト科の茂みにあった他の枝はどうなってしまったのか?小柄で二足歩行をする霊長類は,おそらく700万〜1000万年にわたって現れては消えていた。なかには,100万年以上勢力をふるったと思われるホモ・エレクトスのように,うまく生き長らえるものもあった。けれども人類の歴史のなかで,あの枝よりもこの枝のほうを主役とすると何者かが指名しているわけではない。なぜ,これほどまでの多様性が過去に存在し,なぜ,それにもかかわらず地球上に現存しているのはただ一種のヒト科だけなのか。これは科学の世界で延々と考え続けられているとても興味深い疑問である。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 29-30

食べられる

 古生物学の証拠からは,ヒト科もヒヒのような霊長類も,古代の捕食者に常習的に食べられていたという推論が裏づけられる。剣歯ネコや剣歯ネコモドキ,ハンティングハイエナ,ブチハイエナ,ヒョウなどが食べた獲物の残骸が遺物群となって残っているが,そのなかから初期ヒト科の一種であるアウストラロピテクスもヒヒも見つかっている。この南アフリカで見つかった化石証拠は,100万〜200万年前の間にヒョウが初期ヒト科とヒヒを大規模に捕食していたという説を後押しする。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 7

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