I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

生活史の統計

身長を例にとったが,いかなる変数でもよい。年齢別で整理して,表にでも図にでも,年齢を軸にして並べると,ちょっとした魔術が起こる。生命の生涯がそこに描かれる。各々の生涯を描くには丹念に各々の成長と経験を記録して見ていただきたい。すると,生命の各個体によって違う生涯が描かれる。自分の生涯を他人と比較したり,日本人として,人間として,あるいは生物として,どのような生涯を生きているのかを検討するためには大勢の人々,あるいは多数の生物の多くの個体の生涯を記録して分析しなければならない。よって,生活史を描く年齢別統計は私たちが共に生きる生涯を描くことになる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.14

ヒトの生活史

私たち生物は一回しか生きることができない。その一回だけの生涯において,可能なかぎり子孫を残すために必死で生きているはずが,わざわざ成長を遅らせる上に子の数を自粛するサルの存在は不可解ではないか。この矛盾は,たとえば身体の大きさだけでは説明がつかない。単純に考えると身体の大きさが倍あれば,成長に倍の時間がかかると推測できるが,イヌとニホンザルとでは身体の大きさはさほど変わらない。種類によってはニホンザルより大きい犬もいるではないか。にもかかわらず,サル一匹が成熟するまでにイヌは何匹もの子供を作ってしまうかもしれないのはなぜなのか。
 不可解な生活史のなかで最も不可解なのはヒトの生活史かもしれない。なぜならば,ヒトはサルのなかでも成長時間が最も長く,寿命も長い。ヒトの身体はサルとしては大きいほうだが,進化の系統として最も近いチンパンジーとはさほど変わらないし,ゴリラに比べればまだ小柄である。しかし,ヒトの母親は,普通はやはり一度に一人しか子供を産まないのはなぜであろうか。
 サルとヒトの不可解な生涯を説明するために,生活史理論では一見生物学らしからぬ要因を研究しなくてはならない。その代表が寿命,出産,そして,成長,である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.10-11

生活史理論とは

生物の生活史の研究を導く理論体系を生活史理論という。
 この理論体系はもちろん生物の種類毎による生活史の違いを説明しようとする。生物は,何年ほど成長に費やしてから,いつ,何回,一度にどれだけの,どのくらいの大きさの子をつくるべきなのであろうか。このような設問に答えることこそが生物学における生活史理論の使命なのだ。
 生活史理論の要の課題の一つは,寿命の長い,子の少ない生活史,すなわち,サルの生涯のような生活史を説明することにある。この課題を一般的な哺乳類とサルを対比させて説明してみよう。
 イヌはだいたい二歳ぐらいで成熟し,繁殖できるようになる。しかも,イヌの母親は複数の子供を一度に産むことができる。ところが,ニホンザルを例にとると,若いサル達はおおむね五歳ぐらいで成熟し子供を作ることができるようになる。多少の変異が生活史(すなわち個体)の間にあるが,いくつものニホンザルの生活史を観察して最初に繁殖する年齢の平均を計算してみると,その平均は一歳でも十歳でもなく,五歳ぐらいに収斂されている。そして,ニホンザルに限らず,数種の例外を除いて,サルの母親は一度に一頭の子供しか産まない。サルの成長はイヌより二倍の時間がかかっているうえに,子供の数が少ないことに特徴がある。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.9-10

進化と進歩は違う

進化というのは,環境に適応的な性質を持った者が,そうでない者よりもたくさん生き残って子孫を増やすことで起こる現象だから,そこに競争的要素があるのは確かである。しかし,先にも述べたように,「適応」というのは,生物の遺伝子にどういう突然変異が起こるかとか,そのときの環境条件がどうなっているかといった偶然に左右されるもので,そうした偶然によって生物の体のつくりや行動パターンが,あっちに変化したりこっちに変化したりするのが進化の過程である。強い弱いで言うなら,今までの生物で最も強いのはおそらくティラノサウルスあたりではないかと思うが,彼らは進化の中でずいぶん以前に敗れて絶滅してしまっている。大きくて強い恐竜が気候の変化に適応できずに絶滅し,それまで恐竜の目を逃れてひっそりと暮らしていた哺乳類が繁栄したことからも分かるように,生物をとりまく環境は可変的で,その中で何が「適」で何が「不適」かも常に変動する。あえて競争にたとえるなら,昨日までは相撲で競争していた者同士が今日からは将棋で競争することになったというような状況が進化では常に起こりうるわけで,そこに強弱や優劣を持ち込むのはおかしいし,そもそも持ちこみようがない。進化と進歩は違うのであり,劣った者が淘汰されることで世界が良くなるとか発展するといった話は,人間行動進化学からは出てこない。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.29

進化は弱肉強食ではない

他方,進化についてこうした説明をすると,今度は,それを「弱肉強食」「優勝劣敗」の競争と結びつけて,弱い者や劣った者が淘汰されて,強い者,優れた者が残っていくのが進化だと考える人がいる。そういう人は,自然の世界はこうした競争によって強者が残って進化・発展するようになっている,だからそれは「善いこと」なのだと主張して,自由競争に賛成しそれを促進しようとするのが「進化倫理」だと思うかもしれない。実際,悪名高い社会進化論はそういう主張をした。しかし,ここにも誤解が蟻,進化は別に「弱肉強食」でも「優勝劣敗」でもないし,進化倫理学は,競争を擁護する思想とは違う。社会進化論というのは,単なる競争主義の価値観を,進化に関する誤った知識に当てはめて提示したもので,人間行動進化学や本書で論じる進化倫理学とは別物である。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.28-29

トンボの人気

何千年も昔から,日本人はトンボやイトトンボ(トンボ目)といった昆虫を愛でてきたが,世界中のどこででも,トンボが人気者だったわけではない。イギリスや北米では——ごく最近まで——一般には黙殺され,何の害もなさないのに,恐れられることさえあった。フランク・ルッツによれば,トンボは「悪魔のかがり針と呼ばれ,いけないことをした子どもの耳を縫いつけてしまうといわれていた。そのほかには,蛇の医者や蛇の飼育者という呼び名があり,これはトンボ類が爬虫類の生理的欲求に供するとされたためである。馬刺し虫という呼び名は,トンボが刺すというこれもまた誤謬に基づくものだ」という。

ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.23-24

万華鏡のように

分かりやすい例として,彼は「マンモス狩り」を挙げる。
 「太古の昔の時代にはマンモスを狩れる人がヒーローであり,一番求められる人材でした。現代で成功者とされるIT起業家がもし,その時代に生まれたとしたら,果たしてどれだけの能力を発揮出来るでしょうか?もしかしたら現在,排他されている人の中にマンモスを倒す卓越した能力を持っている人がいるかもしれない。今の時代に求められる労働が出来ないからといって,その人たちすべてを不要視する思考は,実は大変危険なのです」
 ほんのわずかな時代のズレや環境の変化で,持てはやされ,大事にされる人が万華鏡のように入れ替わる。未来永劫,安泰かつ保障される職業や生き方などない。時の流れとともに目まぐるしく変わる“花型の職業”がそれを何より物語っているではないか。老いた自分に果たして何が出来るのか,どれほど時代に求められるのか,一体誰に分かるというのか。

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.153-154

天敵はいなくなった

現在のプロングホーン(アメリカン・アンテロープ)には謎がある。プロングホーンは走るのが速いことで知られているが,じつのところ,必要以上に速すぎる。時速約90キロメートルで,このスピードを落とさずに長距離を走ることができる。しかし,プロングホーンの捕食者のうち最も速いオオカミやコヨーテは,時速60キロで短距離を走るのが関の山だ。いったいどうしてプロングホーンは,そんなに速く走れるよう進化したのだろう?
 プロングホーンが進化したとき,その周りの世界は今私たちが暮らしている世界よりもはるかに危険だったから,というのがその答だ。10万年前,北米の森林にはダイアウルフ,ショートフェイスベア,サーベルキャットといった,現在の捕食者よりも走るのが速く,はるかに危険だったと思われる動物が生息していた。人間が初めて北米大陸で暮らしはじめた直後に起こった新生代第4紀の大量絶滅で,これらの捕食者はすべて絶滅した。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.30

遺伝子という革紐

著名な進化生物学者のエドワード・O・ウィルソンは,遺伝子は私たちの行動を制約する「革紐」を提供すると述べている。ただし,それは伸縮自在の革紐だ,と。私たちは,遺伝的性質にある程度まで縛られるものの,「遊び」はたっぷりある。親はわが子の音楽や運動や数学の腕前を自慢したり,いたずらぶりを嘆いたりするとき,DNAと私たちを取り巻く世界という2つの重大な影響力のどちらのほうが大きいのか,という疑問をよく抱く。この疑問は,公共政策にもかかわるので,学者の間では何十年にもわたって白熱した議論の的となってきた。心理学者のドナルド・ヘッブは「個人の性質に,より大きな影響を与えるのは,生まれか育ちか」という疑問を,長方形の面積に,より大きな影響を与えるのは縦の長さと横の長さのどちらか,という問いになぞらえた。答えは,どちらか一方,ではない。だが,それぞれが別個に,という話でもない。一般に,個性のごく基本的な側面の発現を左右するのは,たんに「環境+遺伝」ではなく,遺伝子と環境の相互作用なのだ。遺伝が及ぼす影響力とは,特定の個人がその遺伝的な資質のせいで,社会的なつながりを人より余計に必要としたり,そうしたつながりがない状態に人一倍敏感だったりする,というだけだ。短期間にしろ生涯にわたってにしろ,人が実際に孤独感を覚えるかどうかは,社会的な環境を含めてそれぞれの環境次第だ。そして環境は,本人の考えや行動など,じつにさまざまな要因に左右される。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.41

ルールと戦闘

ふたつの重要な行動によって,人類はほかの種よりはるかに強く集団選択の影響を受けたのかもしれない。ひとつは,狩猟採集集団内のルールを守らせようとする者たちの圧力で,これは利他主義を有利にする。もうひとつは集団間の戦闘で,これは集団選択を加速させる。
 狩猟採集社会の平等主義はたんなる原則ではなく,厳格に適用された。平等主義の徹底により,人間の社会的行動の自然変動はかなり抑えられただろう。強い狩人,権力志向者,女たらし,その他目立つ者はみな非難の的となり,集団内で成功することがむずかしかった。もし全員が同じ行動をとるしかなかったとしたら,集団内のばらつきは抑えられ,集団間のちがいは,少なくとも社会的行動に関しては,進化的変化の主要な原動力となっただろう。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.80-81

どれだけ知っているのか

私たち人間が,いったいどれほどのことを知っているというのだろう。
 知識というものをもち始めてから,私たち人間はたかだか数千年の時しか経験していない。それに比べて,生物の歴史は気が遠くなるほど長く,深遠だ。
 さらに,生物学の始まりをアリストテレスとするならば,私たち人間は,その生物を学問の対象として見始めてから,たかだか2400年しか経っていないのである。
 その短い時間に私たちが見聞きした事物があり,それを「科学的」という言葉で表現される手法で調べたその総体として,いまの生物学があったとしても,だ。
 教科書に掲載されているという事実があるからといって,あるいはほとんど全ての「科学者」と称する人たちが——彼らももちろん人間だ——,一様に「うむ,そうである!」と断じる事柄だからといって,私たちが「定説」であるとみなしている全ての事柄が覆されないという保証は,どこにもない。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.200

ウイルスの本体は

ウイルス粒子とは,私たちが通常イメージするウイルスの姿であり,テレビや新聞などで見られる電子顕微鏡写真は,おそらく全てが「ウイルス粒子」である。しかしフォルテールは,この「ウイルス粒子」はウイルスのほんとうの姿ではない,と主張したのだ。
 要するに,ウイルスの本体はウイルス粒子なのではなく,ウイルス粒子を作るものこそがウイルスである,というのである。ではウイルス粒子を作るものとは何かというと,「ウイルスに感染した細胞」である。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.145

生物とは

ウイルスを生物とみなさない立場の人間は,ウイルス界全体について議論し,ウイルスを生物とみなす立場の人間は,時にはウイルス界全体について議論する場合もあるが,基本的には巨大DNAウイルスに限って議論する。
 これでは議論はかみ合わない。いずれは冷静に,少なくとも巨大DNAウイルスに関する科学的な議論と検証をすすめていくべきであろう。
 そうした議論が成立するのであれば,やがては「生物の基本単位とは何か」という話にまで広げる必要があるかもしれない。なぜなら,ウイルスが生物でないという立場にあったとしても,「生物である細胞だったものが余計なものをそぎ落としてウイルスになった」と考えるのであれば,「かつては生物だった」ことに異議を唱えることはないはずで,そうなると,じゃあいったいいつの時点でそれは「生物でなくなったのか」という問題に向き合う必要があるからである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.111

細菌と古細菌

1977年,生物学者カール・ウーズ(1928〜2012)は,この16S RNA遺伝子の塩基配列を解析し,それまで五界説において「モネラ界」としてひとくくりにされていた原核生物が,じつは大きく異なる2つのグループに別れることに気付いた。
 1つは,私たちの身の回りに多く生息し,時には病原体となる原核生物グループ。すなわち大腸菌やブドウ球菌,肺炎球菌,赤痢菌といった病原菌や,乳酸菌,納豆菌といった食品製造に使われる細菌など,私たちに比較的身近なものがこのグループに含まれる。
 そしてもう1つは,私たちの身の回りにはあまり生息せず,どちらかといえば高温の熱水中や極めて高い塩濃度の環境下,硫黄を大量に含む環境など,極限的な環境に生息するような原核生物のグループである。
 そこでウーズは1990年,前者を「細菌」(Bacteria),後者を「古細菌」(Archaea)とよぶことを提案した。原核生物が,細菌と古細菌という2つのグループに分かれるというわけである。一方,「真核生物」(Eukarya)については,これを全体の1つのグループとした。
 そしてこの3つを,「界」(kingdom)よりも上のレベルのくくりという位置づけで,「ドメイン(超界)」(domain)とよぶことを提案したのである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.82-84

巨大DNAウイルス

巨大DNAウイルスの特徴は,その複製に関していえば,宿主細胞の細胞核ならびに細胞質で複製が行われ,最終的に宿主細胞の細胞質でウイルス粒子が成熟することである。
 巨大DNAウイルスは,自ら「複製」と「転写」の遺伝子を揃えているため,基本的には宿主細胞の細胞核の機能には依存せず(その一時期を細胞核で過ごすにもかかわらず),「翻訳」以外の過程を遂行することができる(パンドラウイルスのような例外もある)。
 構造的な特徴としては,数十万bpという,小さな細菌なみのゲノムサイズをもっていること,数百個以上ものタンパク質を作る遺伝子数を誇ること,そして,ウイルス粒子内(カプシドの内側)に脂質二重膜をもつことが挙げられる。
 巨大DNAウイルスが宿主とする生物は極めて多様で,哺乳類,鳥類,両生類,魚類などの脊椎動物のみならず,昆虫,植物,藻類,アメーバなど,ほぼすべての真核生物を宿主とするものが存在すると考えられている。もちろん,ある巨大DNAウイルスの宿主は基本的には1つ。つまり,それだけ多様な種類の巨大DNAウイルスがいるということだ。
 したがって,当然といえば当然かもしれないが,巨大DNAウイルスのゲノム解析の結果,その保有する遺伝子のうち多くは,宿主の遺伝子を取り込んだものであると考えられている。ある生物(ここではウイルスも含む)の遺伝子が他の種類の生物(ここでもウイルスを含む)のゲノムに移る(コピーされる)ことを,遺伝子の「水平伝播」といい,巨大DNAウイルスの長い進化の過程では,数多くの水平伝播が起こってきたとされる。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.66-67

ウイルス

もっとも単純なウイルスは,ほんとうに必要最小限の遺伝子しかもっていない。必要最小限の遺伝子とは,まずは自らの殻である「カプシド」を作るタンパク質の遺伝子と,自らの遺伝子である「核酸(DNAもしくはRNA)」を複製するタンパク質の遺伝子である。より複雑なウイルスになると,タンパク質でできたカプシドのさらに外側を,脂質二重膜でできた「エンベロープ」という袋で覆っているものもいる。
 これらの形が,「ウイルス粒子」とよばれる,私たちが通常,ウイルスという言葉からイメージする形である。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.28

ミミウイルス

この,新たに発見されたミミウイルスは,どのような特徴を有しているのだろうか。
 まず,直径がおよそ0.75マイクロメートル(750ナノメートル)と,それまでのウイルスにはない破格の大きさをもっていることがわかった。これはゆうに,光学顕微鏡で確認できるほどであり,実際そうして発見された。
 次に,ミミウイルスはいわば典型的なウイルスの形である20面体の形をしている反面,その「中身」については次のような特徴をもつことが明らかとなった。
 もっとも内側に「DNA」がある。そのDNAをまず「脂質二重膜」が覆っている。その外側に,複数のタンパク質(カプシド)の層があり,これが20面体の形をしている。
 さらにその外側に,繊維状のタンパク質でできた「ヒゲ」のようなもの(表面繊維)が密集して生えている。直径およそ0.75マイクロメートルというのは,この「ヒゲ」のような部分も含めた大きさである。
 このウイルスの表面の一端には,スターゲート構造とよばれる,奇妙な「門」のような構造があることもわかった。スターゲート構造の側からウイルスを見ると,まるでヒトデが張り付いているかのようにも見える。ミミウイルスは,どこかのモンスターパニック映画ばりに,この構造をもがーっと開け,中のDNAをアメーバ細胞の細胞質中に注入するのである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.21-22

ウォーキートーキー説

チンパンジーや他の四つ足動物の発声は呼吸と走ることをシンクロする,柔軟性のない神経と筋肉のシステムに支配されている(一歩毎に一呼吸)。いっぱいに満たされた肺は走る時の前肢の衝撃に対して胸部を支えるために必要だ。重い物を持ち上げるときに息を止めるのはそのためだ。膨らませた肺がなければ空気が抜けたエアバッグのようにだらりとしてしまう。日本の足で直立して歩いたり走ったりする二足歩行の進化によって胸部は移動時に支える機能から開放されて,呼吸,走ること,発声の協調に柔軟性が認められるようになった。
 これが発話の進化の二足歩行(「ウォーキートーキー」)説の基礎になる。二足歩行を行う人間のランナーは一呼吸あたり様々な歩数で走ることができるが(四対一,三対一,五対二,二対一,三対二,あるいは一対一),二対一が最も一般的だ。発声がもはや移動と親密な関係を持たなくなった声のシステムによって発話の自然選択,そしてついでに私たちの種に特徴的な「ハハハ」という笑いのお膳立てができたのだ。二足歩行を行わないチンパンジーの中でも音声の上で達者なボノボ(ピグミーチンパンジー)ですら発声は流ちょうとはいえず,簡単な叫び声や呼び声だけが可能な発声システムに閉じ込められている。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.59-60

祖母仮説

ひょっとすると,人類の進化の過程で,生殖年齢を過ぎても人が生き延びられるようになったおもな理由は,孫の面倒を見るためかもしれない(そのために「長生き遺伝子」が定着した)。そして孫の面倒には「言語理解」が必要だが,「分析能力」はそう必要ないだろう。だとしたら,メンテナンスの手間をかけないと髙い「分析能力」を維持できないという,高齢者特有の問題を解消しようとする進化圧はほとんどかからないはずだ。さらに,孫の面倒を見ながら自分の人生を顧みないほうが,死の恐怖を感じなくてすむだろう。
 環境説と生理説がどのような役割を果たしているかはわからないが,人間の「分析能力」における賢さの負担,つまり賢い人のほうが老化に悩まされるという現象は現実に起きているようだ。それでも賢い人はまちがいなく,人類にとって重要な考え方を次々に生み出し,それは未来へと受け継がれていくのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.139

人間の場合

浜辺で中型のシオマネキ2匹が戦闘状態に入ったとしても,ほかのシオマネキにはほとんど影響がない。しかし私たち人間の場合は違う。大量破壊兵器はかなり安価になっており,中規模の国家であれば保有できる。まだ保有していないとしても,近いうちに保有できるようになる。こうした兵器の破壊力はすさまじく,どこかで一度でも使用されれば,地球規模で文明が滅びるおそれがある。そのため,たとえ大量破壊兵器が世界の均衡を保つのに欠かせないとしても,いかなる対立も戦争に発展させてはならない。絶対に。しかし,それを食い止めるのはなかなか難しい。現在の政治地図を一瞥しただけでも,恐るべき火種を抱えた紛争地域,今にも全面戦争に発展しそうな対立関係がいくつもある。北朝鮮と韓国,インドとパキスタン,イスラエルとイランなど,互角の力を持つ国同士がにらみ合いを続けている。そしてどの国も,すでに大量破壊兵器を持っているか,間もなく持とうとしている。

ダグラス・J・エムレン 山田美明(訳) (2015). 動物たちの武器:闘いは進化する エクスナレッジ pp.275

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