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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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性ホルモンと思春期

今日では,テストステロン,エストロゲン,プロゲステロンといった性ホルモンが,少年の声変わりやひげの成長,少女の乳房の発達や月経の始まりなど,思春期の身体の変化を引き起こすことがわかっている。これらの性ホルモンは,男女とも小児期から体内にあるのだが,思春期が始まると,急に濃度が高くなる。少女のエストロゲンとプロゲステロンの分泌量は,月経周期に合わせて変動する。どちらも気分をコントロールする脳内物質と関連しているため,朗らかに笑っていた14歳の少女が,寝室のドアを閉めたとたんに落ち込むというようなことも起きる。一方,少年が思春期を迎えると,それまでの30倍も多いテストステロンが体内に流れ始める。そのホルモンを受け取る受容体が集中している脳組織の扁桃体は,進化的に組み込まれた「闘争・逃走反応(戦うか逃げるか反応)」をコントロールする部位だ。
 性ホルモンは,感情をコントロールする大脳辺縁系で特に活発にはたらく。ティーンの感情が不安定なのはそのせいだ。また,少女が「泣ける」小説を好み,少年がジェットコースターに夢中になるように,ティーンが感情に訴える刺激を欲しがちなのも,性ホルモンに原因がある。彼らの脳はまだ理性的な判断ができないが,ホルモンでハイになっているので刺激を渇望するのだ。この二重の呪縛が,時としてティーンや家族に大惨事をもたらす。

フランシス・ジェンセン エイミー・エリス・ナット 渡辺久子(訳) (2015). 10代の脳:反抗期と思春期の子どもにどう対処するか 文藝春秋 pp. 28-29
(Jensen, F. E. & Nutt, A. E. (2015). The teenage brain: A neuroscientist’s survival guide to raising adolescents and young adults. New York: Harper.)
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糖分・脂肪・塩分

私たちは,砂糖が体によくないことを知っている。糖分と脂肪と塩分は,現代の食品添加物の「聖ならざる三位一体」だ。しかし,それがどれだけ体に悪いかについては,必ずしも知っているとは言えない。飽和脂肪に対するロビー活動が非常に効果的に行われてきたため,食生活に関心のある消費者は,脂肪の摂取量と心臓疾患のリスクには,単純な相関関係があると思い込んでいる。しかし,そんな関係は存在しない。糖分も脂肪と同じくらい動脈に悪影響を与える。糖分は肥満と糖尿病の直接の原因になるからだ。そして心臓発作を引き起こす危険性は,単に脂肪分の多い食生活を送るよりも,肥満や糖尿病になるほうがずっと高い。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 145

人種学と

高田は当時の人類学や人種学などの知見を動員している。これらの学問では各国,各人種の身体計測や皮膚の色,体毛の多さや髪の毛の形質,はては性格までがデータ化されていた。そこでは頭がい骨の容量が小さいのは未開人や犯罪者の特徴であり,文明人や白色人種はその反対であるという,社会進化論的な議論も積み重ねられていた。高田の頭蓋の小さいことが未開野蛮の有色人種であるとか,顔面に毛の生えた部分が多いのはけだものに近いという説明は,当時の形質人類学や人種学の研究が一般人にも流布していたこと,そしてそれがハゲの説明にも用いられていたことを示唆している。高田や本村の脱毛や薄毛の説明の仕方は,近代的な知識に基いていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 63-64

帽子と…

帽子とハゲの因果関係は当時さかんに議論されていた。抜け毛を防ぐために,昭和の初年に海軍の初代軍医総監だった高木兼寛は,てっぺんのない帽子を海軍に採用しようとしたという。杉によると,帽子をかぶると禿げるというのは「ルソーの『自然にかえれ』に刺激されておこったもので,『人が自然にさからって帽子をかぶったりするから,ハゲになるのであり,帽子をかぶる人種ほどハゲが多い』といったことから始まった。」(杉靖三郎「ハゲ頭に悪人なし—禿党よ・悲しむなかれ!」文藝春秋29(15),1951年,156頁)。もしこの説が本当なら,自然にかえるという主張自体が,都市化の進んだ近代に特有のものであり,それゆえ,帽子とハゲの因果関係を探ろうという試み自体もまた近代的だということができるだろう。
 その意味では禿は近代の産物なのである。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 56

客観的な基準はない

形質人類学や優生学などは頭髪の形質,つまり縮れ毛か直毛か,何色かということ,そして体毛や毛髪の濃さでそれぞれの民族や人種の身体的特徴を示してきた。しかし,薄毛については,何本以下はハゲというように毛髪の基準量が客観的に示されたことはなく,見た目にハゲていると判断できるかどうかにかかっていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 30

1対1対応ではない

人間の形質には1対1で対応する遺伝子があるというこの概念は,遺伝子が全てを決定するという俗説の基となっている。だがこの概念は,まったく見当違いのものである。1つの遺伝子がそれ自体で何かを司っていることは極めてまれだ。人間の形質のほとんどは,複数の遺伝子(ポリジーン)によって決定されるのである。
 ケープタウン大学講師のロス・タッカー博士によれば,身長のような基本的な形質も,実際には極めて複雑な仕組みで成り立っている。身長は20%の環境的要因(食生活など)と80%の遺伝的要因で決定される。だが,身長に対応する唯一の遺伝子は存在しない。その数は,10でも50でもない。
 約4000人のゲノムを解析して身長との関係を調べた研究によれば,29万4831個の遺伝子が,人間の身長に関与している。これらの遺伝子のすべてが,人がどれくらいの背の高さになるかに関連しているのだ。つまり,1つの遺伝子を取り替えても,身長を変えることはできない。
 繰り返すが,29万4831個の遺伝子である。
 にもかかわらず,オズの魔法使いがすべてをコントロールしているとドロシーが信じたのと同じように,世の中には1つの遺伝子が人間の形質をコントロールしているという考え方が蔓延している。

ポー・ブロンソン7アシュリー・メリーマン 小島 修(訳) (2014). 競争の科学:賢く戦い,結果を出す 実務教育出版 pp.94-95

家計と決断

子供をもう一人望む親は,家計簿を見ながら難しい決断を迫られるにちがいない。子の将来を想像しながら,せめて自分と同じ程度の生活水準を維持してほしい,と思うのが親心であろう。そのためには,どのような学校に通わせなければならないのか。子供達はみんな公立の学校でよい,と考えれば一人約1000万円プラスで教育できる。幼稚園から大学まで私立学校に子供を通わせるつもりでいる親は,約2400万円を準備しなければならない。しかし,もう一人の子をあきらめると,以上の金額は,その他の子育てコストとともに,まるまる家計簿に残る。すでに生まれてきている子に使うこともできれば,老後の蓄えの足しにもなる。年間の費用として教育費は住宅ローンをも上回る場合も多いなか,もう一人の子供をあきらめれば,同じ年収でマイホームを購入できる家庭もいるであろう。この計算を見て,読者の皆さんはどう判断しますか。
 現代の人間は生物として一通りの欲求を満たせる,すばらしい生活を達成したかのように見える。人間は天敵をほぼ排除し,建築物や衣服によって身体を守り,食欲も性欲も社会欲も結構存分に満たせる社会を構築したように思える。しかし,ここに来て,H・キャプランが言う「身体化資本」を追求するあまりに,現代人の生活史が過去のそれと比較して根底から変わってしまっているような気がする。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.181-182

生活史と少子化

まず,一つ指摘できる現象は,子供の完全コスト化ではないか。受験戦争が激しくなるなか,子供達は勉強に専念するようになり,家事の手伝いもままならない。ごく最近まで,日本の子供達も家業のお手伝いをさせようと思えば可能であった。農家であれば田植えに参加したかもしれない。都会の子も,お店のお留守番ぐらいはできたであろう。多くの子は手伝ううちに家業を継いだかもしれない。職人への道を選んだ子は若くして弟子入りした。しかし,学校に通う子は家業のお手伝いをしなくなる。
 また,現在の産業システムでは職場と家庭の分離が発生してしまっている。多くの家族は,家業を手伝えるような職業をもたない。普通のサラリーマンの子はお手伝いとして親の会社でアルバイトをすることは考えられない。さらに,家庭内でも家計の分離が発展している。家族の一人一人はみな自分の独立した家計簿をもつようになってきた。アルバイトをしている子は収入を母親に丸ごと渡すであろうか。実際に家計簿をつけているかは別にして,子供達は自分のお金や所有物を一家のなかで区別するようになった。結果として,子供は一家の家計の足しになるような活動はほとんどしなくなった家庭が多い。しかも,親の家計にとって,子の収支はその子の成長とともに減るどころか,教育費のために増額していく。日本の学生の何パーセントがアルバイトで得た収入を学費に充てるであろうか。何割かの学生は自分の学費と生活費を稼ぎながら大学に通っているかもしれないが,いまとなっては大学生人口のなかでは少ないであろう。現代の子供たちは完全コスト化し,子育ての高コスト化に拍車をかけているのではないか。
 高学歴の追求とともに,発生しているもう一つの現象が,ますます高くなっていく生活収支がプラスに転換する年齢ではないか。大学を卒業してから就職する,典型的なサラリーマンコースでは,経済的な自立は早くても22歳を過ぎてからになる。それまでは親にとって大学生の子供は完全コストであり,しかも大学生の時期が最も負担が重くなる時期でもある。医学部からの卒業は早くても24歳。浪人したり,大学院や法科専門学校に進学すると,経済的な自立はますます遅れてしまう。
 教育が終了すると就職によって生活収支はプラスに転じるはずである。ようやく大学を卒業した子が就職すると,家族の経済収支はどうなるか。家計の分離が起こっている場合,親と子の家計を別々に検討する必要がある。就職した本人の家計簿はプラスに見えるであろう。親の家計簿のうえではどうか。子供が実家に住み続ける場合を考えよう。もし,その子が給料を母親に渡して,家計を親と一にすれば,子の経済収支が就職によってプラスに転じた,とうう計算ができる。しかし,その同じ子が自分の給料は自分のものと考えていれば,親の家計簿のうえではその子の経済収支はマイナスのままである。
 本人の家計と親の家計を区別して考えてみたが,さらに,社会全体にとっての個人の負担も別に検討しなければならない。たとえば,親の払う学費だけで教育は成り立っていない。多くの公的な支援によって学校は成り立っている。子供のコストは親の家計簿に反映されているより,またさらに多くの費用がかかっている。ある推計によると,親はマクロの子育てコストの約54パーセントのみを負担している。
 同じことが,経済的に自立しているかのように見える若者の多くについても,言えるのではないか。親に負担をかけずに,奨学金や授業料免除をもらっている学生の場合は,あきらかに社会に支えられることにより勉強が続けられる。就職した若者はどうか。就職によって若者が教育機関を卒業し,生産年齢にようやく到達した,と単純に考えるわけにもいかない業種も多いはずである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.175-177

投資と少子化

投資理論によって少子化を説明しようとするキャプランは体力,知識,経験,技術など,一人一人の人間が身につける能力を「身体化資本(embodied capital)」と呼ぶ。彼によると,ヒトは身体化資本の価値を高めることにより進化してきた。よって,子供にできる限り多くの身体化資本を身につけさせることが親心である,と力説する。そして,現代の少子化の説明に,キャプランは教育費の影響を強調する。産業革命とともに多くの人々は教育を受ける機会を得ることとなった。と同時に,教育を受けなければ職を得られない社会層も増えてきたといえる。ところが,子供の教育はいつの時代であろうとも非常にコストがかかる。子供が大勢いては教育費がかさみ,家計は成り立たなくなってしまう。その事実を前提に,子供たちが十分な教育を受けられるように,教育の恩恵を最も受ける社会層から先に,親達は子供の数を減らしてきたのではないか,とキャプランは提案する。
 この仮説による少子化の説明を要約すると,現代は親は子の質を選ぶ必要性を感じているために,子供の人数を減らしているのである。親の深層心理では親は子に社会で成功してほしい,と推測する。そのために親は子に多額の投資をつぎ込む。食事をさせ,服を着せ,結婚の費用を払う。生活ができるように生業の訓練をする。家業や財産や土地を継がせるかもしれない。ところが,親の時間とエネルギーと財産には限りがある。生まれてくる子全員に満足な投資ができるであろうか,親の悩むところであろう。
 貧しくてもいい,子は宝,と考えて大家族を選ぶ親もいるであろう。しかし,同世代との競争に勝ち抜けるように,子供の一人一人に人並みの投資を,あるいは人並み以上の投資をせざるをえない,と感じる親は子供の人数を制限する方向を選択するかもしれない。子供の質と数を天秤にかけた時,人間の深層心理として,生活に質を追求する余裕があれば,質を選択する。この判断にヒトの生活戦略が表されているのである,という主張になる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.167-168

富の蓄積と少子化

M・ムルダーは,少子化の説明に富の蓄積を重視する人類学者の一人である。人類は富の蓄積に対して非常に強い執着心を持つために,それを生活のなかで優先させてしまう心理を持つ,という説である。そこで,生涯において,早めの子作りと更なる富の蓄積の間を選ばなければならない場合,後者を選んでしまう,と説明する。ムルダー自身,東アフリカのある遊牧民の結婚と家族計画を調べる研究に参加している。この民族は,一夫多妻の家族が一般的で,子だくさんを良しとしながらも,男性が結婚を決める動機は,子孫の人数ではなく,物質的な計算に基づいている場合が多い。すなわち,世帯主の男性は,妻をただ多く娶るのではなく,一人一人の子供にできる限り多くの資産(すなわち家畜)を継がせるような資産管理をしているそうである。このような心理は子育てを助ける結果に最終的にはなったはずである。資源のほとんどは食物のように生活に必要な物資であっただろう。ところが,いわば無限に富を蓄積することが,産業革命後の生活では可能になってしまう。そして,とりあえず生活のゆとりを追求しているうちに,子供が少ないまま一生を終えてしまう人々が増えているのである,という理論で現代の少子化を説明する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.166-167

祖母仮説

閉経を適応として説明する有力な仮説は「祖母説」(grandmother hypothesis)と呼ばれている。この仮説によれば,女性にとって重大な生涯の駆け引きが閉経の背景にある。それは,自分で繁殖を続けるのか,それとも祖母として,すでに生まれてきたこの繁殖の手助けをするか,という駆け引きである。もう一度出産の負担とリスクを自分で負うか,それとも,余生のエネルギーを娘や息子とともに孫を育てることに向けるか。理論的には,第一子を出産した以降にいつでも発動しうる駆け引きである。
 すでに子供を一人育てている母親は,次の課題に直面する——もし,子をもう一人産んだ場合,その子を一人前に育てるまでに生き延びることができるであろうか。子供の成長期間が長いヒトにとっては特に切実な課題といえる。ヒトの生涯においては,悲しいかな,親子が共倒れになりうる期間が長いのである。
 次の子を出産するべきか。若いお母さんにとって答えは簡単かもしれない。次の子を出産してから,その子が一人前になるまで自分が生存する確率はかなり高いと予測できる。子供が少ない母親も,繁殖を続けることにより子孫を増やせるであろう。しかし,すでに数人の子供を一人前に育てている母親にとって,駆け引きの計算はかなり変わってくる。ヒトは,食物の配分など,世代間で助け合う方法を多く持つ。また,いつの時代においても,親がいかなる年齢であっても,子育てには大変な労力が必要であることは,現在のお母様方もうなずけるのではないか。さらに,ヒトの女性にとって,出産それ自体がかなり危険をともなう。歴史的に,難産による死亡は女性の主要な死因の一つであった。医療が発達している現在においても女性は難産を恐れる。そして,出産と子育ての負担は歳とともに重く感じられるであろう。
 ヒトの進化の途上,閉経が進化した状況を想像すると,以下のようなシナリオになるのではないか。ヒトの寿命の延長とともに,繁殖期間もそれに伴って高齢の方向に進化していった可能性があったと考えられる。女性にとってはかなりの高齢出産も珍しくなかったはずであった。ところが,ある年齢に達した女性が,末っ子が一人前に育つ前に自分がなくなってしまう確率がやや高くなっているとしよう。その年齢で,もはや次の子の出産はあきらめた母親がいたとする。その母親は生存の確率をやや高める,と同時に時間とエネルギーを生活の違う方向に向けることが可能になる。大家族で生活していれば,家族の生業に貢献し続けるであろうし,孫の面倒も多少は見てやれる。この駆け引きの結果から生じた結論が約50歳の閉経,と考えるのが「祖母説」である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.161-162

食糧の分配

人と他の霊長類を比較するうえで重要な点なので,もう一度繰り返すが,ヒト以外の霊長類種のほとんどでは,たとえ同じ集団の仲間であっても,食べ物をお互いに分け与えることはない。この事実は人類の進化を論じるうえで二つ重要な課題にかかわってくる。
 一つは資源の共有,とりわけ食べ物の共有が人に特有の行動であるかという,人類学の根源的な研究課題である。もう一つは,生業活動から得られる稼ぎの,生涯における分布である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.134-135

青年期の存在

私は子供期がヒト以外の霊長類には存在しないという説についてはボーギンに説得されて,そのとおりに考えている。しかし,青年期については,私も含めて,霊長類学者の多くはやはりヒト以外の霊長類にも存在する生涯の段階であると考えるようになりつつあるのではないであろうか。青年期はヒトもその他のサルも持つ,と考える根拠は共通の謎が生活史に潜んでいると見るからである。それは,なぜか,思春期を迎えるサルの若者は身体がまだかなり未熟でありながらも繁殖能力を身につけてしまうという謎である。そして,思春期後の数年もの期間に成長が続く種が多い。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.119

少年期の存在

少年期が進化した理由は二つ提案されている。一つは「学習期間説」と名づけよう。この説は,哺乳動物は生存のために学習と知能に頼る部分が大きいという点に注目する。学習と知能は何のためなのか。食べ物を探す,食べ物を習得する,環境変動に適応するなどのため。あるいは社会行動と採食が複雑であり,また予測しにくい環境変動に各個体が適応するため。
 少年期の学習期間説は,社会性がどれほど哺乳動物の学習や知能への依存に拍車をかけたかを強調する。たとえば,社会行動それ自体が複雑であり,若い個体が集団生活の作法を習うのには時間がかかる。採食行動は集団で採食する種は仲間同士で食べ物のありかを伝えたり,教わったりする。繁殖行動も社会行動がともなう。上手に繁殖するためにも少年期に異性と付き合う術を学び,大人になる準備をしなければならない。
 もう一つの説は「競争回避説」と言える。育ち盛りの子供は大人と直接争ったとしても負けてしまう経験豊かな大人と食べ物や繁殖相手の奪い合いには勝てるはずもなく,争っても怪我するだけである。よって,成長期間を延ばして,大人との競争を回避しながら,上手に大人になる,という説である。そして,霊長類を含めて,成長曲線の緩やかな成長の期間は少年期の存在によって説明されている。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.109-110

思春期の存在

一言,解釈を加えてみよう。ヒトとチンパンジーはともに思春期に安定成長を保証する潜在的な能力をもつ。ヒトとチンパンジーの違いは,環境の良し悪しに対する身体の反応の違いにある,といえるのではないだろうか。ヒトは,栄養条件などが極端に悪い場合は成長スパートを見せる。チンパンジーは環境が悪い場合には思春期に成長をスパートさせて,安定成長を達成しようとする。ここで,考えざるを得ない疑問が一つある。野生のチンパンジーである。飼育されているチンパンジーに比べて野生チンパンジーは栄養状態などがやや悪い可能性がある。ひょっとして,野生のチンパンジーならば思春期スパートをより多くの個体が経験しているかもしれない。現時点ではデータはないので,この疑問に対する答えは浜田らの今後の研究にゆだねるしかない。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.102

"0.75"

動物の体重と基礎代謝のアロメトリー関係を表す指数bの値は0.75である。先ほどの指数式に体重をウェイトのW,代謝をエネルギーのEとして書き込むと,

 E = a W^0.75 あるいは log E = log a + 0.75 log W

となる。
 この0.75という数値は自然の神秘の一つとして考えている研究者は私一人とは思えない。どういうわけか,動物の基礎代謝量と体重の対数を計算して,両対数図に数値をおとしていくと,千差万別であるはずの動物の各種は傾斜度0.75の線の上に集まってしまうのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.82

学習と知能

学習と知能は何のためなのか。予測しにくい環境の変動に適応したり,複雑な社会行動を発揮する術を各個体に持たせることは言うまでもなく生存にかかわる重要な能力ばかりであろう。ただし,大きい脳はいいことずくめではない。
 脳は成長と維持に非常に時間とエネルギーを必要とする。いわば,きわめて高価で贅沢な臓器である。よって,脳は哺乳動物にとって生存に不可欠な大事な臓器であると同時に,生活に多大な負担をかける臓器でもある。脳はそれ自体が栄養を摂取したり,酸素を取り入れたり,病気と戦うなど,生命を維持するために必要な根本的な生理機能を果たす臓器ではない。よっぽど役に立っていないかぎり,動物にとっては文字どおりに頭の重い問題になりかねない。実際に小さい脳で十分に生き延びる生物は多く存在する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.77-78

配分の原理

生物学では生物の時間とエネルギーの配分先を,おおまかに生命維持,成長,そして繁殖の三つの生活の領域に分ける。生活史理論ではこの三つの生活の領域はおたがいの時間とエネルギーを奪い合うと仮定し,これを「配分の原理」と呼んでいる。動物は食べることによりエネルギーを得て,そのエネルギーを成長と繁殖に配分する。いったい生物は時間とエネルギーをどのように生活の各領域に配分するべきなのか。しかも,その配分は日々の生活に限られず,生涯を通して上手に配分されなければならない。
 生命維持は日々生きていくための必要最小限の活動をさす。成長と繁殖には生命を維持する以上のエネルギーを必要とするうえに,生命を維持する活動から時間を奪ってしまう。さらに,成長と繁殖を両立させるために必要なエネルギーを同時に摂取することは難しい。生活に内包される,配分の原理に基づいた駆け引きによって生物の生活史は進化する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.50

タイミングの変化

さらには,生活史の進化を説明する理論には,たとえばあなたのこの一年の人生計画にはない難しさがある。あなたは一生をヒトとして生活してゆくのであり,そのヒトとしての基本的な生活史は変わりえない。個人的に長生きする努力は可能だが,基本的な成長や老化の順番や時期はさほど変わりようもない。たとえ現代社会の賜物として寿命が伸びたり,子供の成長が速くなったとは言え,長い進化の途上に人類が経験してきた生活史の変化にくらべれば微々たるものである。人間の基本的な寿命は今の私達の努力ではいくら長生きでも100歳をこえる人はかなり稀であるとともに,20歳ではなかなか老人にはなれない。だからあなたも20歳で老人になる人生計画を立てる必要はないであろう。子供が5歳で赤ちゃんを産む心配も無用である。人間の生活史はだいたい決まっている前提で,あなたは人生計画を立てればよい。しかし,進化する生物は生活史そのものがどんどん変化しうる。寿命も子が生まれる年齢も成長のタイミングも,すべてが劇的に変わりうる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.44

生活史の記録

文字を持たない,あるいは生活史を記録しない社会も研究する人類学者の多くは,研究の対象にしている人々に人生を語ってもらい,そのなかで年代が記録されている重大な社会変動や自然災害を目安にしてその人それぞれの生涯の節目を推測するしかない。たとえば第三世界の国々の多くは植民地であった時代を経験しているため,独立記念日があり,独立の日を覚えている人々の年齢はだいたい推定できる。子供が生まれたのは独立の前か後か,などと尋ねることができるのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.30

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