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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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エメラルドゴキブリバチ

 実態は,グロテスクではあるがシンプルだ。すなわち,エメラルドゴキブリバチは,自分の子供の餌にするゴキブリに対して,その心をコントロールして,恐れの感覚や運命から逃れようとする意思を奪い取ってしまうのである。ただ,私たちが大きなスクリーンで見る映画とは違って,健全なゴキブリを心のないゾンビに変えるのは,なんらかの治療不能なウイルスではない——毒液である。とはいえ,それはただの毒液ではない。麻薬のように作用する,ゴキブリの脳を標的とした特別な毒液である。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 209

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毒素の進化速度

 毒素の進化速度がこんなにも速いのは,新しい標的を攻撃するためではない——時間が経っても,毒素が同じ効果を持ちつづけるためなのだ。イモガイ類に見られるように,神経毒は,獲物を捕らえるには抜群の方法である。急速な麻痺によって,獲物の動きを鈍らせることができるからだ。しかし,ある捕食者が,獲物のナトリウムチャネルを閉じる毒液分子を使い始めた瞬間,獲物の側には,ナトリウムチャネルが毒素に反応しなくなるように進化する強い動機が生まれる。ときにはマングースのように,毒素の活性を妨げるには,ほんのわずかな突然変異だけで事足りることもある。
 そのため,毒液動物はつねに,事態の変化に備えて,変化球でもストライクが取れる準備をしておかなければならない。もしくはイモガイ類のように,一時に数百個のボールを投げ,獲物がすべてを打ち返せないようにしておかなければならない。「イモガイ類がしていることは,併用薬物療法のようなものだ」と,トトは説明する。「彼らは一つの薬物だけを使うことはしない。つねに複数の化合物を使うんだ」。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 204

遺伝子変異の頻度の変化

 私たちは進化を,表に現れる影響として捉えがちだ。つまり,それぞれの種を近縁種と区別させるような,形質や行動の違いとしてである。しかし,進化とは身体的な差異ではなく,遺伝的変化の尺度である。一つの種内でも,各個体が互いに非常に異なって見えることがあるが,それでも遺伝的構成の面から見ると,そうした個体同士はつながっている。
 およそ1世紀のあいだ,科学者たちは,進化を集団内の遺伝子変異(対立遺伝子と呼ばれる)の頻度の変化と定義してきた。したがって,進化の「速度」は,遺伝子がどれだけ速く突然変異,もしくは重複するかを表している。そして,進化の速度となれば,毒液をもつ巻貝類は,動物界のウサイン・ボルトと言える。なのに,彼らは遅い動物だと考えられてきたのだ!
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 200-201

神経毒

 もっとも致死的な毒液は,そのほとんど,またすべてが神経毒からなるものである。神経信号のブロックや過剰刺激を通じて,とりわけ横隔膜,胸壁,心臓などの,生死にかかわる筋肉を麻痺させるのだ。それに対して,血液毒の要素の強い毒液は,それほど致死的ではないが,出欠と壊死をもたらすという点ではより残酷である。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 162

サシハリアリ

 サシハリアリの指数の高さは,その英名(bullet ant)が,このアリに刺されるのは銃で撃たれるようなものだと示していることを考えれば,驚くに当たらない。刺された人たちによれば,激しい苦痛が3〜4時間続くだけでなく,完全に鎮まるまでには丸1日もかかり,震え,吐き気,発汗などのよくある「副作用」も伴う。そのため,当然のことながらサシハリアリは,私がペルーのアマゾンへ旅行したとき,実物を見て(もちろん安全な距離を隔ててだが),もっとも興奮した動物の一つだった。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 97

抗体と寄生虫

 科学者のなかには,こんな説を提唱している人もいる。IgE抗体は,かつて寄生虫との戦いにおいて一定の役割を果たしていた。だが,ピュレル[抗菌用ジェル]やペニシリンに取り囲まれ,無菌状態に近づいている現代生活のなかで,私たちはIgE抗体の敵となるものを排除してしまった。そのため,誤作動したときにしか目にとまらなくなったのだ,と。
 この仮設を裏付ける証拠はいくつかあるものの,この説では,アレルギーはあくまで副作用であって,IgE抗体をつくりだす真の目的ではないとされている。また,ある特定の物質が他の物質よりも強いアレルゲンとなる理由を,この説では説明できない。私たちがもつ,寄生虫からの防衛システムは,花粉や食物,薬,毒液,そして金属を寄生虫と間違えるほど,精度の低いものなのだろうか?
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 90

生きた製造工場

 今のところ抗毒素は,動物の免疫系を「生きた製造工場」として利用することで生み出される。もっともよく選ばれるのは馬で,それは体が大きく(毒液を注射しても死ぬ可能性が小さく,また血液量が多いため抗体を含む血清が1回で多く採れる),飼育下での繁殖と維持管理が簡単だからである。ヤギとヒツジも頻繁に用いられるが,抗毒素は猫からサメまで,幅広い動物を使ってつくられている。
 動物に抗体をつくらせるためには,慎重に決められた量の毒液とアジュバントを,ワクチンの組成とよく似た割合で注射する。すべてがうまくいけば,動物は大きな副反応もなく免疫反応を開始し,あと数回注射を受けることになる。実際に,何を,どこに,どんな頻度で注射するのかは,抗毒素を製造する会社が厳重に守っている秘密である。研究者たちは,望みの抗体を得るための秘訣を握っているのだ。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 70-71

鳥と蚊

 なかには,歓迎すべき変化もあるだろう。実際,鳥類がマラリアで受ける被害は,人類がマラリアで受ける被害よりも,はるかに大きな問題であることがわかってきた。たとえば,最近までハワイの鳥類は寄生虫を怖れる必要などなかったが,そこに蚊が持ち込まれた。それとともに病気も持ち込まれ,いまでは蚊が勢力を伸ばしている標高では,ハワイの固有種は消滅しつつある。蚊は気温の低い高地では生き残ることができないので,標高の高いところに生息している鳥類は,この害虫に刺されずに済んでいる。マウイ島の高山地域とハワイ島だけが,そうした鳥の避難所になっている。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 59-60

蚊の毒

 蚊の毒液は,厳密な毒性の尺度でみるとほとんど無害である。同様に,蚊による死亡率は非常に低い。私はこれまで何百回も蚊に刺されてきたが,いまでもまだ生きているし,元気である。蚊に刺されてアレルギーを起こす人もほとんどいないので,その致死性をアナフィラキシーのせいにすることもできない。蚊の毒液が致死的なのは,毒そのものではなく,その中に潜んでいるもののせいなのだ。蚊は,マラリア,デング熱,黄熱病を含む,一連の感染症の媒介者なのである。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 57

もっとも致死的

 しかし,この世で最も致死率が高いのは,アンボイナガイ(Connus geograohus)だ。70%という死亡率は,無脊椎動物でずば抜けている。この信じられないような数字は,相手を死に至らしめるスピードに裏打ちされている——一気に麻痺が進行し,数分のうちに死んでしまうのだ。
 死亡率は,その毒液が人間にとってどれほど危険であるかを,他の指標よりも正確に反映してはいるが,だからといって完璧なわけではない。たとえばヘビ類は,それに対する抗毒素が開発されたために,最近では致死的な毒性のランキングではかなり低い順位(少数の例外はあるが)になっている。そして,死亡率による「致死度」の計測は,医療サービスをすぐに受けられるかどうかによって,その数字が大きく変わってしまうという問題点もある。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 46

致死度

 科学的に言えば,「致死度」を測るさまざまな方法がある。もっともよく使われるのは,半数致死量で,LD50と呼ばれる数値だ。LD50は,投与された動物(ラットとマウスがもっとも多いが,さまざまなタイプの毒液を検査するため,ゴキブリからサルまでなんでも使われる)の半数が死ぬ毒素の用量のことである。基本的には,体重1キログラム当たりのミリグラム単位の毒素,すなわちmg/kgで表される。LD50の値は,おおざっぱな効力の見積もりであり,低い値をもつ物質は,微量でも対象を殺せる可能性が高いということなので,きわめて毒性が強いとみなされる。
 たとえば,水のLD50は9万(mg/kg)以上であり,これはふつう無害とみなされるが,一気に6リットル以上も飲んでしまえば,死ぬ可能性もある(それを試すのはおすすめしない)。
 一方,ボツリヌス毒素のLD50は1キログラム当たり1ナノグラムと算定されており,知られているかぎりもっとも致死的な物質の1つである。60ナノグラム,すなわち100億分の6グラムで,平均的な人間を十分に殺すことができるのだ。もし,均等に分けることができるとすれば,一握りもあれば十分に,地球上の全人類を殺すことができる。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 41-42

カモノハシの毒

 カモノハシは本当に,強烈に恐ろしい毒液動物だ。私の聞いたところでは,深いトラウマを残すような出来事と同じように,カモノハシに刺されるのもまた,人生を変えるような体験であるらしい。カモノハシの毒液は,数時間,ときには数日間にわたって耐えがたい痛みを引き起こす。記録されている症例の一つでは,狩りをしていた57歳の退役軍人が,怪我をしていたか,あるいは病気になっていたカモノハシに躓いた。彼は,その小さな生き物を心配し,持ち上げたところ,右手を刺されてしまった。親切が仇となり,彼は激痛のなかで6日間も入院しなければならなくなった。
 彼の治療に当たった医師たちは,最初の30分間に,合計30ミリグラムのモルヒネを投与したが,ほとんど効果がなかった(ふつうの痛み止めに用いられる量は,1時間当たり1ミリグラムだ)。彼によれば,その痛みは,軍人の時に散弾で負傷したときよりもはるかに激烈なものだったという。医師たちが神経ブロック剤で,手のすべての感覚を麻痺させてはじめて,彼は救われたと感じることができた。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 18

有毒とは

 ある種が「毒液をもつ」と言うためには,いくつかの条件を満たす必要がある。これまで,「毒液をもつ(venomous)」,「毒がある(toxic)」,「有毒な(poisonous)」は,それぞれ互いに入れ替えても同じ意味で使えると考えられてきたが,現代の科学者たちは区別して使っている。
 まず,「毒がある(toxic)」という言葉は,少量で相当な危害を与えられるような物質(毒素)をもつことを指す。毒液動物(venomous)と有毒動物(poisonous)はどちらも,これに当てはまる。その体組織の中で毒素をつくったり,貯えたりしているからである。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 16

拡散能力

 ホモ・サピエンスは,かつての人類が到達できなかったありとあらゆる場所へあっというまに広がった。ユーラシア大陸を東端まで歩き通すのは,原人も,おそらく旧人も果たしたことだが,ホモ・サピエンスはそこから先が違った。航海術を得た集団は,インドネシアの島々や,ニューギニアやオーストラリアに至った。寒い地域でも生き延びられる技術を得た集団は,シベリア奥部にも進出して,やがてベーリング海の陸橋を渡り,アメリカ大陸へ拡散した。
 ホモ・サピエンスの均質さは,地球を股にかけることができる能力の裏返しだ。長い時間をかけて身体を大幅に変えるのではなく,洗練された石器を使い,海洋には船を,寒冷地には毛皮の服をといったふうに,時と場合によって適した技術を創造しては乗り越えていった。
川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 257

位置を奪う

 移入種が在来種を駆逐するとき,直接バトルするというよりは,生態系の中での位置(ニッチ)を奪うかたちで入れ替わる。


 ただ,人間(ホモ・サピエンス)は歴史に残っているかぎり,たくさん戦争をしてきたので,そのイメージをさらに過去に投影すると「戦って絶滅させた」と思いがちなのかもしれない。また,先史時代に絶滅したマンモスなどの大型哺乳類が,人間に狩りつくされたというイメージも大きいだろう。なにか,「血塗られた祖先像」みたいなものが流布しやすい傾向があるように思う。結局,直接証拠もないまま,そんなに血なまぐさいことを現段階で考える必要はないのかもしれない。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 251-252


進化

 これらのうち脳の増大や,額が幅広くなることは,現代人と共通する進化の方向性だ。つまりホモ属の人類が共通して進んできた道を,部分的ながら,やはりジャワ原人もたどっていたことがはっきりした。ほかにも見どころはいろいろあるのだけれど,とりあえず,人類進化における最大の関心事,脳容量や咀嚼器官が,鮮やかに「進化」していたというのは象徴的だ。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 124


ホミニド・ホミニン・ホモ

 まず大きな括りとして,ホミニド(hominid)がある。今の定義では,ここには大型類人猿(現在のものはチンパンジー,ボノボ,ゴリラ,オランウータン)やすべての人類が含まれる。大型類人猿と人類の共通祖先から進化したすべての子孫がホミニドだ。


 そして,ホミニン(hominin)。ホミニドよりも範囲が狭く,日本でいわれる「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」を含めた「広義のぼくたち」みたいな括りになる。つまり,「初期の猿人」以降のすべての人類を指す。「700万年の人類の歴史」は,ホミニンの歴史だ。


 そのあとの「原人」「旧人」「新人」は,すべてホモ属(Homo)の一言に集約することができるから,一見,シンプルだ。最初期の原人であるホモ・ハビリス以降,そこから分岐した人類はすべてホモ属(Homo)だ。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 45-47


海外の名称

 ここまで,人類進化を,「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」という5段階の呼び名を使って説明してきた。けれど,今の国際的な人類学では,猿人や,原人といった日本語に相当する言葉は使われない。むしろ,種,属,といった単位,あるいは系統関係を直接,参照するのが普通になっているのだ。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 44


アフリカ起源

 「今の説では,世界中のすべての現代人は,30~10万年前のアフリカに起源があるということになります。現代人の共通祖先です。形態学的な研究や,遺伝人類学的な研究を中心に,ほかのさまざまな証拠が積み重なって,この見解が支持されています。アフリカの旧人から進化して,その後しばらくしてからアフリカを出て全世界に散らばっていって,各地の現代人集団が成立したわけです」


 これをホモ・サピエンスの「アフリカ単一起源説」という。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 37


猿人・原人・旧人・新人

 猿人は,アフリカに留まった。それもアフリカの東側が中心だ。


 原人は,アフリカのほぼ全域に広がるとともに,出アフリカを果たした。当時,まさに「人類未踏」の地だったユーラシア大陸を歩き,遠くアジアまでやってきたパイオニアだ。ただし,分布はユーラシア大陸の南半分に限られていた。そのなかでほぼ最北端にあたるのが,北京原人の居住地だ。


 旧人は,ヨーロッパやアジアでの分布を,原人のときよりもいくらか北側に広げた。しかし,寒冷なシベリアの中心部にまでは踏み込めなかったようだ。


 そして,いよいよ新人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出ると,シベリアを含むユーラシア大陸の全土に広がる。さらに南北アメリカ大陸,太平洋の島々にまで進出していくさまは,地図の上で見るだけでもダイナミックで,壮大なドラマを感じさせる。



川端裕人(著) 海部陽介(監修) (2017). 我々はなぜ我々だけなのか:アジアから消えた多様な「人類」たち 講談社 pp. 40-41


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