I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

絶滅は自業自得か

それでもなお自業自得説でなければ納得できないという人がいるかもしれない。でも,もし恐竜の絶滅を自業自得とするならば,天体衝突を運の問題ではないと考える必要があり,結局は極端にハードな決定論か神秘的な宿命論に陥ってしまうことになるだろう。おもしろいのは,そうなればなおさら恐竜の自己責任を問うことができなくなるということだ。すべてがあらかじめ決定されていたり宿命であったりするならば,恐竜が何をどうしようと関係ないのだから。
 このように自業自得説を検討していくと,それは結局のところ私達の主観的な感覚や信念の問題に帰着するように思う。そのとき問われているのは恐竜の自己責任ではない。問われているのは私たち自身の感じ方や考え方のほうなのだ。いわれてみれば,たしかに私たちの心性には,絶滅を自業自得と考える根強い傾向があるような気がしてくる。それはなぜだろうか。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.66

ルールの大変更

ゲームやスポーツの世界では,ルール変更は多くの場合,現行ルールの漸次的改変というかたちで行われる(そうでないと大混乱に陥るだろう)。こうした環境の下では,ルール変更への対応もプレーヤーの能力のうちに数えられるかもしれない。でも,チェスの駒が重量挙げのバーベルに置き換わるようなことになれば,チェスプレーヤーの能力という概念そのものが崩壊するだろう(それはもはや別のゲームである)。趣味や気散じであれば別物になってしまったゲームから降りることもできるだろうが,生物は生物であるかぎり生存のゲーム——生まれ,生殖(できれば)して,死ぬ——のプレーヤーであり続けなければならない。どのようなルール変更であってもそれに従うしかないのである。恐竜を襲ったのは,このような理不尽な絶滅であった。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.64

ほとんど絶滅

仮に,いまなお存続している生物種を500万から5000万とし,これまでに出現した生物を50億から500億として割り算をしてみよう。すると,いま生きている種はじつに全体の1000分の1でしかないということになる。つまり,これまでに出現した生物種の99.9パーセントはすでに絶滅してしまっているのだ。せっかくこの世に登場してきたというのに,ほとんどの種は冷たい土の中で永遠の眠りについているのである。
 なんとも驚異的な生存率(の低さ)ではないか。気持ちいいほどの皆殺しである。母なる大地などというけれども(それはそのとおりなのだろうけれども),それは自然による一大殺戮ショーの舞台でもあるということだ。地球にやさしくとか言うけれども(そうしたほうがいいこともあるだろうけれども),そもそも生物のほうは地球からそんなにやさしくされていないのではないかとも思えてくる。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.36-37

生活史理論

生物学の理論家たちは生活史理論と呼ばれる有力な概念を発展させてきたが,人間の動機の発達について考えるとき,この概念は大きな意味をもつ。そしてまた,この生活史という考え方によって,マズローのピラミッドの最下層に発達上の優先事項が置かれた理由ばかりでなく,なぜ私たちがピラミッドの頂点を入れ替えたのかも説明できる。
 生活史を研究している人たちは,以下のような問いに答えようとしている。繁殖が可能な身体に成長するまでに必要な時間が,生物によって長かったり短かったりするのはなぜか(たとえば,マダガスカルの小型哺乳類であるテンレックの仲間は生まれて5週間で繁殖をはじめるが,ゾウは性的に成熟するまでに十数年かかる)。そうして成熟した動物は,サケのように繁殖のための資源を奔流のごとく1度限りですべて使い果たすのか,それともカメのように,数ヶ月,数年のあいだに何回かに分けて繁殖の試みを行うのか?その動物は子育てに資源を振り分けるのか?振り分けるとしたら,子が自立するまでに養育にどのくらい投資をするのか(たとえば,魚のなかには卵を川床に放出した時点で家族としてのつながりが失われるものもあるが,人間の場合は数十年にわたって子供を援助するだけでなく,しばしば孫の養育を助けることさえある)。
 生活史とは,本質的に「生物学的経済」に関する理論であり,あらゆる動物は有限の資源しか割り当てられていないという前提が中心に据えられている。だから,動物の成長過程には,その希少な資源をいつ,どのように割り振るかについて常にトレードオフ[一方を優先すれば他方が犠牲になる問題]が存在することになる。
 また,生活史は大きく2つの局面に分けられる。ひとつは身体的努力に着目したものだ。身体的努力とは,動物が自らの肉体をつくるために消費するエネルギーに関することだ(経済学的な言い方をすれば,この局面は,身体という銀行口座に入金をする時期にあたる)。もうひとつは繁殖努力だが,人間をはじめとするいくつかの種では,さらに交配と子育てに分けられる(これは,先ほどの口座の金を個体の遺伝子複製のために使う時期だ)。これら2つの局面には,それぞれ異なるトレードオフが存在する。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 155-157

地位・市場・投資

男性の地位と交配市場における男性の価値とのつながりは,進化生物学がもっている非常に強力な2つの原理,すなわち親の差別的投資と性淘汰に関係がある。親の差別的投資という原理によると,一方の性(通常はメス)のほうが子供に対する投資が多ければ,その性は交配に慎重になる。その結果として,もう一方の性(通常はオス)は,相手に選ばれるために競争をしなければならない。この原理が指摘しているとおりのことが人間でも見られる。つまり,女性は妊娠という大きな投資をするので,配偶者をせっかちに判断してしまうと多くを失う。だから,女性は配偶者である男性を選ぶのにより慎重になりがちなのだ。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 54

2つの優生学

理論上,優生学には,よい遺伝形質を積極的に増やそうとする積極的優生学と,悪い遺伝形質を抑えようとする消極的優生学がありうる。しかし,よい遺伝形質を増やすための手段を考えてみても,人間の場合は難しいため,現実に行われたほとんどは消極的優生学であり,その代表例が断種法の制定であった。断種は男性では輸精管,女性では輸卵管を,縛ったり切除する手術を行って生殖を阻止する方法である。アメリカにおける断種手術は,1897年の,シカゴの聖マリー病院の外科医A.J.オクスナーによる報告が,公式には最初のものである。
 1902年,インディアナ州の少年院付き外科医H.C.シャープは,メンデルの法則を知らないまま,1890年の国勢調査の数字からアメリカで犯罪者や精神障害者が急増している事実を引きだして,これをたいへん憂慮した。そしてその解決策として,断種の効用を説いた。彼は収容されている犯罪者42人に断種を行ったが,これが実質上の優生学的断種の出発点とみてよい。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 34

攻撃性と心拍

イギリスのヨーク大学の博士課程で最初の研究をしていたとき,私は,反社会的な学生が,安静時心拍数の低さによって特徴づけられることを発見した。ノッティンガム大学へ移ってからも同じ結果が得られた。これらの結果はたまたま得られたのか?この問いに答えるために,南カリフォルニア大学に移籍してから,心拍数と反社会的行動の相関関係について同僚とメタ分析を行った。われわれは,このテーマに関して子どもや青少年を対象に実施された,見つかる限りのあらゆる研究を分析した。40の出版物が見つかり,被験者の子どもの総数は5868人に達した。こうしてできるだけ多くの研究を集めることで,より正確な実像を把握できる。
 その結果,「反社会的な子どもは,安静時心拍数が実際に低い」ことがわかった。加えてわれわれは,ストレスを受けているあいだの(たとえば診断待ちをしているあいだの)心拍数も調査した。実験室で実施された調査では,1000から逆向きに7つ置きで数えるなど,心的に負担のかかる計算課題が子どもに与えられている。たいしたストレスではないと思われる向きは,ぜひ自分で試されたい。これらのストレスを付加した実験では,差はさらに広がった。
 われわれが行ったメタ分析では,安静時心拍数は,反社会的な行動に関する被験者間の差異のおよそ5パーセントを説明した。この数値は低く感じるかもしれないが,医学的な文脈では強い相関関係の存在を示す。たとえば喫煙と肺がん発症の関係,心臓発作による死亡の危険性を緩和するアスピリンの効果,抗高血圧薬と卒中などの発作の低減の関係よりもはるかに強い。これらはいずれも医学界では重要かつ強力な関係だが,心拍数と反社会的行動の関係よりは弱い。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.162-163

パーセンテージ

ところで,二卵性双生児は平均して50パーセントの遺伝子を共有すると述べたが,補足が必要であろう。私とあなたは99パーセントの,また人間とチンパンジーは,98パーセントの遺伝子を共有する。ちなみにチンパンジーは,遺伝的にゴリラより人間に近い。サルで思い出したが,バナナの木は,人間と60パーセントの遺伝子を共有する。したがって,「二卵性双生児は50パーセントの遺伝子を共有する」と言うとき,それは人によって異なり得るわずかな遺伝子のうちの50パーセントを意味する。同様に,一卵性双生児は互いに100パーセント完全に同じ遺伝子を共有するわけではなく,人によって異なり得る遺伝子1パーセントのうちの99パーセントを共有する。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.68

子どもを残す

すべては,個体がいかに環境に「適応」できるかにかかっている。その際,マラソンや重量挙げの能力より,何人の子どもを残せるかが重要なのだ。自分と同じ遺伝子を持つ子どもが多ければ多いほど,より多数の自己の遺伝子が次世代の遺伝子プールに残される。遺伝子の観点からは,まさにそれのみが成功と見なされる。「成功」の意味に関して,「学校では良い成績を収める」「やりがいのある仕事に就く」「本を書く」などといった,より高尚な定義が頭のなかに去来するようなら,次のことを考えてみてほしい。あなたの遺伝子マシンは,まさしくそのような高尚な見方を生産することで,巧妙にあなたを動機づけ,繁殖成功度を高める地位や資源を獲得させようとしているのだということを。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.35

クローンでも

しかしながら,ペットクローンが広まらなかったのは,遺伝的に同一であっても,生まれてくるのは,別の個性を持った個体であるという単純な事実に改めて気付いたからではないだろうか。遺伝的に同一とはいえ,亡くなったペットが持っていた記憶や体験までが,受け継がれるわけではない。クローンネコCCのように毛の色が異なることもある。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.90-91

性ホルモンと思春期

今日では,テストステロン,エストロゲン,プロゲステロンといった性ホルモンが,少年の声変わりやひげの成長,少女の乳房の発達や月経の始まりなど,思春期の身体の変化を引き起こすことがわかっている。これらの性ホルモンは,男女とも小児期から体内にあるのだが,思春期が始まると,急に濃度が高くなる。少女のエストロゲンとプロゲステロンの分泌量は,月経周期に合わせて変動する。どちらも気分をコントロールする脳内物質と関連しているため,朗らかに笑っていた14歳の少女が,寝室のドアを閉めたとたんに落ち込むというようなことも起きる。一方,少年が思春期を迎えると,それまでの30倍も多いテストステロンが体内に流れ始める。そのホルモンを受け取る受容体が集中している脳組織の扁桃体は,進化的に組み込まれた「闘争・逃走反応(戦うか逃げるか反応)」をコントロールする部位だ。
 性ホルモンは,感情をコントロールする大脳辺縁系で特に活発にはたらく。ティーンの感情が不安定なのはそのせいだ。また,少女が「泣ける」小説を好み,少年がジェットコースターに夢中になるように,ティーンが感情に訴える刺激を欲しがちなのも,性ホルモンに原因がある。彼らの脳はまだ理性的な判断ができないが,ホルモンでハイになっているので刺激を渇望するのだ。この二重の呪縛が,時としてティーンや家族に大惨事をもたらす。

フランシス・ジェンセン エイミー・エリス・ナット 渡辺久子(訳) (2015). 10代の脳:反抗期と思春期の子どもにどう対処するか 文藝春秋 pp. 28-29
(Jensen, F. E. & Nutt, A. E. (2015). The teenage brain: A neuroscientist’s survival guide to raising adolescents and young adults. New York: Harper.)

糖分・脂肪・塩分

私たちは,砂糖が体によくないことを知っている。糖分と脂肪と塩分は,現代の食品添加物の「聖ならざる三位一体」だ。しかし,それがどれだけ体に悪いかについては,必ずしも知っているとは言えない。飽和脂肪に対するロビー活動が非常に効果的に行われてきたため,食生活に関心のある消費者は,脂肪の摂取量と心臓疾患のリスクには,単純な相関関係があると思い込んでいる。しかし,そんな関係は存在しない。糖分も脂肪と同じくらい動脈に悪影響を与える。糖分は肥満と糖尿病の直接の原因になるからだ。そして心臓発作を引き起こす危険性は,単に脂肪分の多い食生活を送るよりも,肥満や糖尿病になるほうがずっと高い。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 145

人種学と

高田は当時の人類学や人種学などの知見を動員している。これらの学問では各国,各人種の身体計測や皮膚の色,体毛の多さや髪の毛の形質,はては性格までがデータ化されていた。そこでは頭がい骨の容量が小さいのは未開人や犯罪者の特徴であり,文明人や白色人種はその反対であるという,社会進化論的な議論も積み重ねられていた。高田の頭蓋の小さいことが未開野蛮の有色人種であるとか,顔面に毛の生えた部分が多いのはけだものに近いという説明は,当時の形質人類学や人種学の研究が一般人にも流布していたこと,そしてそれがハゲの説明にも用いられていたことを示唆している。高田や本村の脱毛や薄毛の説明の仕方は,近代的な知識に基いていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 63-64

帽子と…

帽子とハゲの因果関係は当時さかんに議論されていた。抜け毛を防ぐために,昭和の初年に海軍の初代軍医総監だった高木兼寛は,てっぺんのない帽子を海軍に採用しようとしたという。杉によると,帽子をかぶると禿げるというのは「ルソーの『自然にかえれ』に刺激されておこったもので,『人が自然にさからって帽子をかぶったりするから,ハゲになるのであり,帽子をかぶる人種ほどハゲが多い』といったことから始まった。」(杉靖三郎「ハゲ頭に悪人なし—禿党よ・悲しむなかれ!」文藝春秋29(15),1951年,156頁)。もしこの説が本当なら,自然にかえるという主張自体が,都市化の進んだ近代に特有のものであり,それゆえ,帽子とハゲの因果関係を探ろうという試み自体もまた近代的だということができるだろう。
 その意味では禿は近代の産物なのである。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 56

客観的な基準はない

形質人類学や優生学などは頭髪の形質,つまり縮れ毛か直毛か,何色かということ,そして体毛や毛髪の濃さでそれぞれの民族や人種の身体的特徴を示してきた。しかし,薄毛については,何本以下はハゲというように毛髪の基準量が客観的に示されたことはなく,見た目にハゲていると判断できるかどうかにかかっていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 30

1対1対応ではない

人間の形質には1対1で対応する遺伝子があるというこの概念は,遺伝子が全てを決定するという俗説の基となっている。だがこの概念は,まったく見当違いのものである。1つの遺伝子がそれ自体で何かを司っていることは極めてまれだ。人間の形質のほとんどは,複数の遺伝子(ポリジーン)によって決定されるのである。
 ケープタウン大学講師のロス・タッカー博士によれば,身長のような基本的な形質も,実際には極めて複雑な仕組みで成り立っている。身長は20%の環境的要因(食生活など)と80%の遺伝的要因で決定される。だが,身長に対応する唯一の遺伝子は存在しない。その数は,10でも50でもない。
 約4000人のゲノムを解析して身長との関係を調べた研究によれば,29万4831個の遺伝子が,人間の身長に関与している。これらの遺伝子のすべてが,人がどれくらいの背の高さになるかに関連しているのだ。つまり,1つの遺伝子を取り替えても,身長を変えることはできない。
 繰り返すが,29万4831個の遺伝子である。
 にもかかわらず,オズの魔法使いがすべてをコントロールしているとドロシーが信じたのと同じように,世の中には1つの遺伝子が人間の形質をコントロールしているという考え方が蔓延している。

ポー・ブロンソン7アシュリー・メリーマン 小島 修(訳) (2014). 競争の科学:賢く戦い,結果を出す 実務教育出版 pp.94-95

家計と決断

子供をもう一人望む親は,家計簿を見ながら難しい決断を迫られるにちがいない。子の将来を想像しながら,せめて自分と同じ程度の生活水準を維持してほしい,と思うのが親心であろう。そのためには,どのような学校に通わせなければならないのか。子供達はみんな公立の学校でよい,と考えれば一人約1000万円プラスで教育できる。幼稚園から大学まで私立学校に子供を通わせるつもりでいる親は,約2400万円を準備しなければならない。しかし,もう一人の子をあきらめると,以上の金額は,その他の子育てコストとともに,まるまる家計簿に残る。すでに生まれてきている子に使うこともできれば,老後の蓄えの足しにもなる。年間の費用として教育費は住宅ローンをも上回る場合も多いなか,もう一人の子供をあきらめれば,同じ年収でマイホームを購入できる家庭もいるであろう。この計算を見て,読者の皆さんはどう判断しますか。
 現代の人間は生物として一通りの欲求を満たせる,すばらしい生活を達成したかのように見える。人間は天敵をほぼ排除し,建築物や衣服によって身体を守り,食欲も性欲も社会欲も結構存分に満たせる社会を構築したように思える。しかし,ここに来て,H・キャプランが言う「身体化資本」を追求するあまりに,現代人の生活史が過去のそれと比較して根底から変わってしまっているような気がする。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.181-182

生活史と少子化

まず,一つ指摘できる現象は,子供の完全コスト化ではないか。受験戦争が激しくなるなか,子供達は勉強に専念するようになり,家事の手伝いもままならない。ごく最近まで,日本の子供達も家業のお手伝いをさせようと思えば可能であった。農家であれば田植えに参加したかもしれない。都会の子も,お店のお留守番ぐらいはできたであろう。多くの子は手伝ううちに家業を継いだかもしれない。職人への道を選んだ子は若くして弟子入りした。しかし,学校に通う子は家業のお手伝いをしなくなる。
 また,現在の産業システムでは職場と家庭の分離が発生してしまっている。多くの家族は,家業を手伝えるような職業をもたない。普通のサラリーマンの子はお手伝いとして親の会社でアルバイトをすることは考えられない。さらに,家庭内でも家計の分離が発展している。家族の一人一人はみな自分の独立した家計簿をもつようになってきた。アルバイトをしている子は収入を母親に丸ごと渡すであろうか。実際に家計簿をつけているかは別にして,子供達は自分のお金や所有物を一家のなかで区別するようになった。結果として,子供は一家の家計の足しになるような活動はほとんどしなくなった家庭が多い。しかも,親の家計にとって,子の収支はその子の成長とともに減るどころか,教育費のために増額していく。日本の学生の何パーセントがアルバイトで得た収入を学費に充てるであろうか。何割かの学生は自分の学費と生活費を稼ぎながら大学に通っているかもしれないが,いまとなっては大学生人口のなかでは少ないであろう。現代の子供たちは完全コスト化し,子育ての高コスト化に拍車をかけているのではないか。
 高学歴の追求とともに,発生しているもう一つの現象が,ますます高くなっていく生活収支がプラスに転換する年齢ではないか。大学を卒業してから就職する,典型的なサラリーマンコースでは,経済的な自立は早くても22歳を過ぎてからになる。それまでは親にとって大学生の子供は完全コストであり,しかも大学生の時期が最も負担が重くなる時期でもある。医学部からの卒業は早くても24歳。浪人したり,大学院や法科専門学校に進学すると,経済的な自立はますます遅れてしまう。
 教育が終了すると就職によって生活収支はプラスに転じるはずである。ようやく大学を卒業した子が就職すると,家族の経済収支はどうなるか。家計の分離が起こっている場合,親と子の家計を別々に検討する必要がある。就職した本人の家計簿はプラスに見えるであろう。親の家計簿のうえではどうか。子供が実家に住み続ける場合を考えよう。もし,その子が給料を母親に渡して,家計を親と一にすれば,子の経済収支が就職によってプラスに転じた,とうう計算ができる。しかし,その同じ子が自分の給料は自分のものと考えていれば,親の家計簿のうえではその子の経済収支はマイナスのままである。
 本人の家計と親の家計を区別して考えてみたが,さらに,社会全体にとっての個人の負担も別に検討しなければならない。たとえば,親の払う学費だけで教育は成り立っていない。多くの公的な支援によって学校は成り立っている。子供のコストは親の家計簿に反映されているより,またさらに多くの費用がかかっている。ある推計によると,親はマクロの子育てコストの約54パーセントのみを負担している。
 同じことが,経済的に自立しているかのように見える若者の多くについても,言えるのではないか。親に負担をかけずに,奨学金や授業料免除をもらっている学生の場合は,あきらかに社会に支えられることにより勉強が続けられる。就職した若者はどうか。就職によって若者が教育機関を卒業し,生産年齢にようやく到達した,と単純に考えるわけにもいかない業種も多いはずである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.175-177

投資と少子化

投資理論によって少子化を説明しようとするキャプランは体力,知識,経験,技術など,一人一人の人間が身につける能力を「身体化資本(embodied capital)」と呼ぶ。彼によると,ヒトは身体化資本の価値を高めることにより進化してきた。よって,子供にできる限り多くの身体化資本を身につけさせることが親心である,と力説する。そして,現代の少子化の説明に,キャプランは教育費の影響を強調する。産業革命とともに多くの人々は教育を受ける機会を得ることとなった。と同時に,教育を受けなければ職を得られない社会層も増えてきたといえる。ところが,子供の教育はいつの時代であろうとも非常にコストがかかる。子供が大勢いては教育費がかさみ,家計は成り立たなくなってしまう。その事実を前提に,子供たちが十分な教育を受けられるように,教育の恩恵を最も受ける社会層から先に,親達は子供の数を減らしてきたのではないか,とキャプランは提案する。
 この仮説による少子化の説明を要約すると,現代は親は子の質を選ぶ必要性を感じているために,子供の人数を減らしているのである。親の深層心理では親は子に社会で成功してほしい,と推測する。そのために親は子に多額の投資をつぎ込む。食事をさせ,服を着せ,結婚の費用を払う。生活ができるように生業の訓練をする。家業や財産や土地を継がせるかもしれない。ところが,親の時間とエネルギーと財産には限りがある。生まれてくる子全員に満足な投資ができるであろうか,親の悩むところであろう。
 貧しくてもいい,子は宝,と考えて大家族を選ぶ親もいるであろう。しかし,同世代との競争に勝ち抜けるように,子供の一人一人に人並みの投資を,あるいは人並み以上の投資をせざるをえない,と感じる親は子供の人数を制限する方向を選択するかもしれない。子供の質と数を天秤にかけた時,人間の深層心理として,生活に質を追求する余裕があれば,質を選択する。この判断にヒトの生活戦略が表されているのである,という主張になる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.167-168

富の蓄積と少子化

M・ムルダーは,少子化の説明に富の蓄積を重視する人類学者の一人である。人類は富の蓄積に対して非常に強い執着心を持つために,それを生活のなかで優先させてしまう心理を持つ,という説である。そこで,生涯において,早めの子作りと更なる富の蓄積の間を選ばなければならない場合,後者を選んでしまう,と説明する。ムルダー自身,東アフリカのある遊牧民の結婚と家族計画を調べる研究に参加している。この民族は,一夫多妻の家族が一般的で,子だくさんを良しとしながらも,男性が結婚を決める動機は,子孫の人数ではなく,物質的な計算に基づいている場合が多い。すなわち,世帯主の男性は,妻をただ多く娶るのではなく,一人一人の子供にできる限り多くの資産(すなわち家畜)を継がせるような資産管理をしているそうである。このような心理は子育てを助ける結果に最終的にはなったはずである。資源のほとんどは食物のように生活に必要な物資であっただろう。ところが,いわば無限に富を蓄積することが,産業革命後の生活では可能になってしまう。そして,とりあえず生活のゆとりを追求しているうちに,子供が少ないまま一生を終えてしまう人々が増えているのである,という理論で現代の少子化を説明する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.166-167

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