I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

祖母仮説

閉経を適応として説明する有力な仮説は「祖母説」(grandmother hypothesis)と呼ばれている。この仮説によれば,女性にとって重大な生涯の駆け引きが閉経の背景にある。それは,自分で繁殖を続けるのか,それとも祖母として,すでに生まれてきたこの繁殖の手助けをするか,という駆け引きである。もう一度出産の負担とリスクを自分で負うか,それとも,余生のエネルギーを娘や息子とともに孫を育てることに向けるか。理論的には,第一子を出産した以降にいつでも発動しうる駆け引きである。
 すでに子供を一人育てている母親は,次の課題に直面する——もし,子をもう一人産んだ場合,その子を一人前に育てるまでに生き延びることができるであろうか。子供の成長期間が長いヒトにとっては特に切実な課題といえる。ヒトの生涯においては,悲しいかな,親子が共倒れになりうる期間が長いのである。
 次の子を出産するべきか。若いお母さんにとって答えは簡単かもしれない。次の子を出産してから,その子が一人前になるまで自分が生存する確率はかなり高いと予測できる。子供が少ない母親も,繁殖を続けることにより子孫を増やせるであろう。しかし,すでに数人の子供を一人前に育てている母親にとって,駆け引きの計算はかなり変わってくる。ヒトは,食物の配分など,世代間で助け合う方法を多く持つ。また,いつの時代においても,親がいかなる年齢であっても,子育てには大変な労力が必要であることは,現在のお母様方もうなずけるのではないか。さらに,ヒトの女性にとって,出産それ自体がかなり危険をともなう。歴史的に,難産による死亡は女性の主要な死因の一つであった。医療が発達している現在においても女性は難産を恐れる。そして,出産と子育ての負担は歳とともに重く感じられるであろう。
 ヒトの進化の途上,閉経が進化した状況を想像すると,以下のようなシナリオになるのではないか。ヒトの寿命の延長とともに,繁殖期間もそれに伴って高齢の方向に進化していった可能性があったと考えられる。女性にとってはかなりの高齢出産も珍しくなかったはずであった。ところが,ある年齢に達した女性が,末っ子が一人前に育つ前に自分がなくなってしまう確率がやや高くなっているとしよう。その年齢で,もはや次の子の出産はあきらめた母親がいたとする。その母親は生存の確率をやや高める,と同時に時間とエネルギーを生活の違う方向に向けることが可能になる。大家族で生活していれば,家族の生業に貢献し続けるであろうし,孫の面倒も多少は見てやれる。この駆け引きの結果から生じた結論が約50歳の閉経,と考えるのが「祖母説」である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.161-162

食糧の分配

人と他の霊長類を比較するうえで重要な点なので,もう一度繰り返すが,ヒト以外の霊長類種のほとんどでは,たとえ同じ集団の仲間であっても,食べ物をお互いに分け与えることはない。この事実は人類の進化を論じるうえで二つ重要な課題にかかわってくる。
 一つは資源の共有,とりわけ食べ物の共有が人に特有の行動であるかという,人類学の根源的な研究課題である。もう一つは,生業活動から得られる稼ぎの,生涯における分布である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.134-135

青年期の存在

私は子供期がヒト以外の霊長類には存在しないという説についてはボーギンに説得されて,そのとおりに考えている。しかし,青年期については,私も含めて,霊長類学者の多くはやはりヒト以外の霊長類にも存在する生涯の段階であると考えるようになりつつあるのではないであろうか。青年期はヒトもその他のサルも持つ,と考える根拠は共通の謎が生活史に潜んでいると見るからである。それは,なぜか,思春期を迎えるサルの若者は身体がまだかなり未熟でありながらも繁殖能力を身につけてしまうという謎である。そして,思春期後の数年もの期間に成長が続く種が多い。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.119

少年期の存在

少年期が進化した理由は二つ提案されている。一つは「学習期間説」と名づけよう。この説は,哺乳動物は生存のために学習と知能に頼る部分が大きいという点に注目する。学習と知能は何のためなのか。食べ物を探す,食べ物を習得する,環境変動に適応するなどのため。あるいは社会行動と採食が複雑であり,また予測しにくい環境変動に各個体が適応するため。
 少年期の学習期間説は,社会性がどれほど哺乳動物の学習や知能への依存に拍車をかけたかを強調する。たとえば,社会行動それ自体が複雑であり,若い個体が集団生活の作法を習うのには時間がかかる。採食行動は集団で採食する種は仲間同士で食べ物のありかを伝えたり,教わったりする。繁殖行動も社会行動がともなう。上手に繁殖するためにも少年期に異性と付き合う術を学び,大人になる準備をしなければならない。
 もう一つの説は「競争回避説」と言える。育ち盛りの子供は大人と直接争ったとしても負けてしまう経験豊かな大人と食べ物や繁殖相手の奪い合いには勝てるはずもなく,争っても怪我するだけである。よって,成長期間を延ばして,大人との競争を回避しながら,上手に大人になる,という説である。そして,霊長類を含めて,成長曲線の緩やかな成長の期間は少年期の存在によって説明されている。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.109-110

思春期の存在

一言,解釈を加えてみよう。ヒトとチンパンジーはともに思春期に安定成長を保証する潜在的な能力をもつ。ヒトとチンパンジーの違いは,環境の良し悪しに対する身体の反応の違いにある,といえるのではないだろうか。ヒトは,栄養条件などが極端に悪い場合は成長スパートを見せる。チンパンジーは環境が悪い場合には思春期に成長をスパートさせて,安定成長を達成しようとする。ここで,考えざるを得ない疑問が一つある。野生のチンパンジーである。飼育されているチンパンジーに比べて野生チンパンジーは栄養状態などがやや悪い可能性がある。ひょっとして,野生のチンパンジーならば思春期スパートをより多くの個体が経験しているかもしれない。現時点ではデータはないので,この疑問に対する答えは浜田らの今後の研究にゆだねるしかない。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.102

"0.75"

動物の体重と基礎代謝のアロメトリー関係を表す指数bの値は0.75である。先ほどの指数式に体重をウェイトのW,代謝をエネルギーのEとして書き込むと,

 E = a W^0.75 あるいは log E = log a + 0.75 log W

となる。
 この0.75という数値は自然の神秘の一つとして考えている研究者は私一人とは思えない。どういうわけか,動物の基礎代謝量と体重の対数を計算して,両対数図に数値をおとしていくと,千差万別であるはずの動物の各種は傾斜度0.75の線の上に集まってしまうのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.82

学習と知能

学習と知能は何のためなのか。予測しにくい環境の変動に適応したり,複雑な社会行動を発揮する術を各個体に持たせることは言うまでもなく生存にかかわる重要な能力ばかりであろう。ただし,大きい脳はいいことずくめではない。
 脳は成長と維持に非常に時間とエネルギーを必要とする。いわば,きわめて高価で贅沢な臓器である。よって,脳は哺乳動物にとって生存に不可欠な大事な臓器であると同時に,生活に多大な負担をかける臓器でもある。脳はそれ自体が栄養を摂取したり,酸素を取り入れたり,病気と戦うなど,生命を維持するために必要な根本的な生理機能を果たす臓器ではない。よっぽど役に立っていないかぎり,動物にとっては文字どおりに頭の重い問題になりかねない。実際に小さい脳で十分に生き延びる生物は多く存在する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.77-78

配分の原理

生物学では生物の時間とエネルギーの配分先を,おおまかに生命維持,成長,そして繁殖の三つの生活の領域に分ける。生活史理論ではこの三つの生活の領域はおたがいの時間とエネルギーを奪い合うと仮定し,これを「配分の原理」と呼んでいる。動物は食べることによりエネルギーを得て,そのエネルギーを成長と繁殖に配分する。いったい生物は時間とエネルギーをどのように生活の各領域に配分するべきなのか。しかも,その配分は日々の生活に限られず,生涯を通して上手に配分されなければならない。
 生命維持は日々生きていくための必要最小限の活動をさす。成長と繁殖には生命を維持する以上のエネルギーを必要とするうえに,生命を維持する活動から時間を奪ってしまう。さらに,成長と繁殖を両立させるために必要なエネルギーを同時に摂取することは難しい。生活に内包される,配分の原理に基づいた駆け引きによって生物の生活史は進化する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.50

タイミングの変化

さらには,生活史の進化を説明する理論には,たとえばあなたのこの一年の人生計画にはない難しさがある。あなたは一生をヒトとして生活してゆくのであり,そのヒトとしての基本的な生活史は変わりえない。個人的に長生きする努力は可能だが,基本的な成長や老化の順番や時期はさほど変わりようもない。たとえ現代社会の賜物として寿命が伸びたり,子供の成長が速くなったとは言え,長い進化の途上に人類が経験してきた生活史の変化にくらべれば微々たるものである。人間の基本的な寿命は今の私達の努力ではいくら長生きでも100歳をこえる人はかなり稀であるとともに,20歳ではなかなか老人にはなれない。だからあなたも20歳で老人になる人生計画を立てる必要はないであろう。子供が5歳で赤ちゃんを産む心配も無用である。人間の生活史はだいたい決まっている前提で,あなたは人生計画を立てればよい。しかし,進化する生物は生活史そのものがどんどん変化しうる。寿命も子が生まれる年齢も成長のタイミングも,すべてが劇的に変わりうる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.44

生活史の記録

文字を持たない,あるいは生活史を記録しない社会も研究する人類学者の多くは,研究の対象にしている人々に人生を語ってもらい,そのなかで年代が記録されている重大な社会変動や自然災害を目安にしてその人それぞれの生涯の節目を推測するしかない。たとえば第三世界の国々の多くは植民地であった時代を経験しているため,独立記念日があり,独立の日を覚えている人々の年齢はだいたい推定できる。子供が生まれたのは独立の前か後か,などと尋ねることができるのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.30

生活史の統計

身長を例にとったが,いかなる変数でもよい。年齢別で整理して,表にでも図にでも,年齢を軸にして並べると,ちょっとした魔術が起こる。生命の生涯がそこに描かれる。各々の生涯を描くには丹念に各々の成長と経験を記録して見ていただきたい。すると,生命の各個体によって違う生涯が描かれる。自分の生涯を他人と比較したり,日本人として,人間として,あるいは生物として,どのような生涯を生きているのかを検討するためには大勢の人々,あるいは多数の生物の多くの個体の生涯を記録して分析しなければならない。よって,生活史を描く年齢別統計は私たちが共に生きる生涯を描くことになる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.14

ヒトの生活史

私たち生物は一回しか生きることができない。その一回だけの生涯において,可能なかぎり子孫を残すために必死で生きているはずが,わざわざ成長を遅らせる上に子の数を自粛するサルの存在は不可解ではないか。この矛盾は,たとえば身体の大きさだけでは説明がつかない。単純に考えると身体の大きさが倍あれば,成長に倍の時間がかかると推測できるが,イヌとニホンザルとでは身体の大きさはさほど変わらない。種類によってはニホンザルより大きい犬もいるではないか。にもかかわらず,サル一匹が成熟するまでにイヌは何匹もの子供を作ってしまうかもしれないのはなぜなのか。
 不可解な生活史のなかで最も不可解なのはヒトの生活史かもしれない。なぜならば,ヒトはサルのなかでも成長時間が最も長く,寿命も長い。ヒトの身体はサルとしては大きいほうだが,進化の系統として最も近いチンパンジーとはさほど変わらないし,ゴリラに比べればまだ小柄である。しかし,ヒトの母親は,普通はやはり一度に一人しか子供を産まないのはなぜであろうか。
 サルとヒトの不可解な生涯を説明するために,生活史理論では一見生物学らしからぬ要因を研究しなくてはならない。その代表が寿命,出産,そして,成長,である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.10-11

生活史理論とは

生物の生活史の研究を導く理論体系を生活史理論という。
 この理論体系はもちろん生物の種類毎による生活史の違いを説明しようとする。生物は,何年ほど成長に費やしてから,いつ,何回,一度にどれだけの,どのくらいの大きさの子をつくるべきなのであろうか。このような設問に答えることこそが生物学における生活史理論の使命なのだ。
 生活史理論の要の課題の一つは,寿命の長い,子の少ない生活史,すなわち,サルの生涯のような生活史を説明することにある。この課題を一般的な哺乳類とサルを対比させて説明してみよう。
 イヌはだいたい二歳ぐらいで成熟し,繁殖できるようになる。しかも,イヌの母親は複数の子供を一度に産むことができる。ところが,ニホンザルを例にとると,若いサル達はおおむね五歳ぐらいで成熟し子供を作ることができるようになる。多少の変異が生活史(すなわち個体)の間にあるが,いくつものニホンザルの生活史を観察して最初に繁殖する年齢の平均を計算してみると,その平均は一歳でも十歳でもなく,五歳ぐらいに収斂されている。そして,ニホンザルに限らず,数種の例外を除いて,サルの母親は一度に一頭の子供しか産まない。サルの成長はイヌより二倍の時間がかかっているうえに,子供の数が少ないことに特徴がある。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.9-10

進化と進歩は違う

進化というのは,環境に適応的な性質を持った者が,そうでない者よりもたくさん生き残って子孫を増やすことで起こる現象だから,そこに競争的要素があるのは確かである。しかし,先にも述べたように,「適応」というのは,生物の遺伝子にどういう突然変異が起こるかとか,そのときの環境条件がどうなっているかといった偶然に左右されるもので,そうした偶然によって生物の体のつくりや行動パターンが,あっちに変化したりこっちに変化したりするのが進化の過程である。強い弱いで言うなら,今までの生物で最も強いのはおそらくティラノサウルスあたりではないかと思うが,彼らは進化の中でずいぶん以前に敗れて絶滅してしまっている。大きくて強い恐竜が気候の変化に適応できずに絶滅し,それまで恐竜の目を逃れてひっそりと暮らしていた哺乳類が繁栄したことからも分かるように,生物をとりまく環境は可変的で,その中で何が「適」で何が「不適」かも常に変動する。あえて競争にたとえるなら,昨日までは相撲で競争していた者同士が今日からは将棋で競争することになったというような状況が進化では常に起こりうるわけで,そこに強弱や優劣を持ち込むのはおかしいし,そもそも持ちこみようがない。進化と進歩は違うのであり,劣った者が淘汰されることで世界が良くなるとか発展するといった話は,人間行動進化学からは出てこない。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.29

進化は弱肉強食ではない

他方,進化についてこうした説明をすると,今度は,それを「弱肉強食」「優勝劣敗」の競争と結びつけて,弱い者や劣った者が淘汰されて,強い者,優れた者が残っていくのが進化だと考える人がいる。そういう人は,自然の世界はこうした競争によって強者が残って進化・発展するようになっている,だからそれは「善いこと」なのだと主張して,自由競争に賛成しそれを促進しようとするのが「進化倫理」だと思うかもしれない。実際,悪名高い社会進化論はそういう主張をした。しかし,ここにも誤解が蟻,進化は別に「弱肉強食」でも「優勝劣敗」でもないし,進化倫理学は,競争を擁護する思想とは違う。社会進化論というのは,単なる競争主義の価値観を,進化に関する誤った知識に当てはめて提示したもので,人間行動進化学や本書で論じる進化倫理学とは別物である。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.28-29

トンボの人気

何千年も昔から,日本人はトンボやイトトンボ(トンボ目)といった昆虫を愛でてきたが,世界中のどこででも,トンボが人気者だったわけではない。イギリスや北米では——ごく最近まで——一般には黙殺され,何の害もなさないのに,恐れられることさえあった。フランク・ルッツによれば,トンボは「悪魔のかがり針と呼ばれ,いけないことをした子どもの耳を縫いつけてしまうといわれていた。そのほかには,蛇の医者や蛇の飼育者という呼び名があり,これはトンボ類が爬虫類の生理的欲求に供するとされたためである。馬刺し虫という呼び名は,トンボが刺すというこれもまた誤謬に基づくものだ」という。

ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.23-24

万華鏡のように

分かりやすい例として,彼は「マンモス狩り」を挙げる。
 「太古の昔の時代にはマンモスを狩れる人がヒーローであり,一番求められる人材でした。現代で成功者とされるIT起業家がもし,その時代に生まれたとしたら,果たしてどれだけの能力を発揮出来るでしょうか?もしかしたら現在,排他されている人の中にマンモスを倒す卓越した能力を持っている人がいるかもしれない。今の時代に求められる労働が出来ないからといって,その人たちすべてを不要視する思考は,実は大変危険なのです」
 ほんのわずかな時代のズレや環境の変化で,持てはやされ,大事にされる人が万華鏡のように入れ替わる。未来永劫,安泰かつ保障される職業や生き方などない。時の流れとともに目まぐるしく変わる“花型の職業”がそれを何より物語っているではないか。老いた自分に果たして何が出来るのか,どれほど時代に求められるのか,一体誰に分かるというのか。

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.153-154

天敵はいなくなった

現在のプロングホーン(アメリカン・アンテロープ)には謎がある。プロングホーンは走るのが速いことで知られているが,じつのところ,必要以上に速すぎる。時速約90キロメートルで,このスピードを落とさずに長距離を走ることができる。しかし,プロングホーンの捕食者のうち最も速いオオカミやコヨーテは,時速60キロで短距離を走るのが関の山だ。いったいどうしてプロングホーンは,そんなに速く走れるよう進化したのだろう?
 プロングホーンが進化したとき,その周りの世界は今私たちが暮らしている世界よりもはるかに危険だったから,というのがその答だ。10万年前,北米の森林にはダイアウルフ,ショートフェイスベア,サーベルキャットといった,現在の捕食者よりも走るのが速く,はるかに危険だったと思われる動物が生息していた。人間が初めて北米大陸で暮らしはじめた直後に起こった新生代第4紀の大量絶滅で,これらの捕食者はすべて絶滅した。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.30

遺伝子という革紐

著名な進化生物学者のエドワード・O・ウィルソンは,遺伝子は私たちの行動を制約する「革紐」を提供すると述べている。ただし,それは伸縮自在の革紐だ,と。私たちは,遺伝的性質にある程度まで縛られるものの,「遊び」はたっぷりある。親はわが子の音楽や運動や数学の腕前を自慢したり,いたずらぶりを嘆いたりするとき,DNAと私たちを取り巻く世界という2つの重大な影響力のどちらのほうが大きいのか,という疑問をよく抱く。この疑問は,公共政策にもかかわるので,学者の間では何十年にもわたって白熱した議論の的となってきた。心理学者のドナルド・ヘッブは「個人の性質に,より大きな影響を与えるのは,生まれか育ちか」という疑問を,長方形の面積に,より大きな影響を与えるのは縦の長さと横の長さのどちらか,という問いになぞらえた。答えは,どちらか一方,ではない。だが,それぞれが別個に,という話でもない。一般に,個性のごく基本的な側面の発現を左右するのは,たんに「環境+遺伝」ではなく,遺伝子と環境の相互作用なのだ。遺伝が及ぼす影響力とは,特定の個人がその遺伝的な資質のせいで,社会的なつながりを人より余計に必要としたり,そうしたつながりがない状態に人一倍敏感だったりする,というだけだ。短期間にしろ生涯にわたってにしろ,人が実際に孤独感を覚えるかどうかは,社会的な環境を含めてそれぞれの環境次第だ。そして環境は,本人の考えや行動など,じつにさまざまな要因に左右される。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.41

ルールと戦闘

ふたつの重要な行動によって,人類はほかの種よりはるかに強く集団選択の影響を受けたのかもしれない。ひとつは,狩猟採集集団内のルールを守らせようとする者たちの圧力で,これは利他主義を有利にする。もうひとつは集団間の戦闘で,これは集団選択を加速させる。
 狩猟採集社会の平等主義はたんなる原則ではなく,厳格に適用された。平等主義の徹底により,人間の社会的行動の自然変動はかなり抑えられただろう。強い狩人,権力志向者,女たらし,その他目立つ者はみな非難の的となり,集団内で成功することがむずかしかった。もし全員が同じ行動をとるしかなかったとしたら,集団内のばらつきは抑えられ,集団間のちがいは,少なくとも社会的行動に関しては,進化的変化の主要な原動力となっただろう。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.80-81

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