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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「金融・経済」の記事一覧

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時代の流れ

 すでに出版社はもとより,レコード会社にも映画会社にもアニメ・プロダクションにもゲームメーカーにも,以前ほどのおカネが入らなくなり,著作権者の生活は苦しくなっている。
 しかし,私は最近,これは仕方がないと思い始めた。というのは,デジタル化というのは誰でもコピーができるということであり,いまのデジタル技術では,コピーとオリジナルの差がないからだ。つまり,著作権法が規定する「複製権」「出版権」などというものは有名無実化し,それを誰かが専有できること自体がありえなくなっている。もっとはっきり言えば,デジタルコンテンツというのは,それが公開された瞬間から,パブリックドメインになってしまうのだ。
 そう考えると,デジタル時代には従来の著作権法ではない新しい権利法が必要だ。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.156
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編集にはカネがかかる

 さらに,紙も電子も同じだが,コスト計算できないのが編集費である。
 取材に何カ月,インタビューもロケもやるような本格的なノンフィクション,あるいは旅行ガイドや料理本などは,取材費,撮影代,スタジオ使用料,カメラマンのギャラ,イラスト制作料などと,かなりの編集費がかかる。これを,電子書籍だからといって1000円以下の価格で売ったら,それこそ何百万,何千万の赤字になるだろう。これでは,電子書籍の新刊というのは,よほどのヒットを飛ばさなければリターンなど望めない。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.178-179

本を作るコスト

 紙の新刊本の場合,コストには,大まかにいって編集費,印刷・製本代,流通経費,販売経費,著者印税(だいたい10%)がある。出版社はこのうち,流通,販売以外のすべての経費を本の定価の60〜70%に設定し,制作した本を流通業者である取次に卸す。つまり,本の定価から見ると,著者の取り分(印税)が10%,取次がおよそ20%,書店がおよそ10%となっていて,出版ビジネスは残りの60%をどうやりくりして利益を上げるかということになっている。
 ところが,電子出版の場合,印刷・製本代がいらなくなる。取次も書店も通さないから流通・販売経費もいらなくなる。これは一見すごく有利と思えるが,アマゾンやアップルは30%を持っていくし,ほかの電子書籍販売会社は50%〜60%も持っていくところがあるので,実際は,コスト削減にはなっていない。まずここに,著者や一般の大きな誤解がある。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.177

IT側だけ儲かる

 このことを振り返っていま思うのは,現状の電子出版でビジネスになるのは,IT側だけだということだ。コンテンツ提供側は多大な出費を覚悟して,彼らが用意したスキームに乗って走り出す。しかし,走ってみて気がつくのは,話が違うということである。
 もう1つ,これまで私が会ってきたIT側の人間は,作品やそれをつくるということに関して,あまり愛情を持っていないことを,たびたび感じた。作家が作品をつくるのにどんなに苦労しているのか,あるいはジャーナリストが真実を追求することにどれだけ苦労しているのか,そういう話に彼らは興味を示さない。まして,メディアの役割などということはどうでもよく,ページビューを上げるためのSEO(サーチエンジン対策)だとか,ソーシャルマーケティングだとかを,熱く語る。
 そういう話のなかで,たまたまこちらがテクニカルターム(専門用語)を知らないと,彼らの語りはさらに熱くなる。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.176

何をしてきたか

 出版不況を克服するため,これまで出版社がやってきたことは,なんだろうか?
 1つ目は,どんな状況になろうと「いい本をつくれば売れる」と,編集者が励んできたこと。2つ目は,カスタム出版や通販などの出版派生ビジネスへの進出と拡大。3つ目は,主に販売サイドの要求からの出版点数の増加。4つ目は,電子化,デジタル化への対応。この4番目の電子化,デジタル化への対応の1つの選択肢として,電子出版がある。
 しかし,これらは,今日まですべて出版不況克服の「解」にはなっていない。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.92

ノルマ

 本をつくってきた側の立場から言わせてもらえば,「毎日追われるようにつくっている本なら,出さないほうがマシ」「出さない選択のほうがよほど賢い」ということになる。編集者というのは,売れる本よりいい本(社会的に意義のある本,価値のある本)を,納得のうえで出したいものだ。それが売れてくれて,つまり,社会に価値を認められて,初めて報われた気持ちになる。
 ところが,ビジネスとしての出版経営は,たいていの場合,毎月決まった点数を刊行するというノルマのもとに運営されているから,打席数が増えれば増えるほど,1冊の本にかける時間は減少し,その結果,本のクオリティは落ちていく。時間をかければいい本が出せるとは限らないが,少なくとも企画段階から2,3カ月では,いい本は出せない。
 私は「もうこんなに出すのは止めようよ」と,何度か言ったことがある。しかし,「編集長自らそんなことを言うなんてありえない」と断られた。

山田順 (2011). 出版大崩壊:電子書籍の罠 文藝春秋 pp.81-82

つながる市場

 たとえば,1オンス(28.35グラム)の金貨が500ドルで売れるとしてみよう。だが,市場にはその金貨を1000ドルで買ってくれる人がいると思えば,あなたはおそらくその値段で売ろうとするだろう。いったん1000ドルという値段をつければ,売りに出ている輝く金貨を目にするすべての人に,あなたの考えではその金貨の価格は500ドルをはるかに上回っているというシグナルが送られる。言い値の1000ドルでは売れなくても,500ドル以上では売れるだろう。すると,金価格の上昇がほかの市場参加者へのシグナルとなる。一部の人は金への需要が増えているのだと信じ込み,将来はさらに高い価格で金を買おうとする人が現れるはずだと考えるかもしれない。スポーツイベントでウェーブをする人たちのように,市場の投資家はおたがい同時にシグナルを受け取り,価格を現実離れした水準にせりあげてしまう。株式市場や住宅市場,さらには(17世紀のオランダの)チューリップ市場における「根拠なき熱狂」の背後には,まさにこうした状況があるのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.195
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

ポテトの量

 じゃがいもはアメリカで最も消費量の多い野菜で,その多くは油で揚げて食べられる。子どもが消費する野菜のほぼ4分の1がポテトチップスやフライドポテトで占められ,ティーンエイジャーになるとこれが3分の1まで増える。栄養学者は,ファストフード店のポテトにはたいへんな量のコレステロール(牛脂で揚げた場合)や総脂肪,飽和脂肪酸,トランス脂肪酸,塩分が含まれていると指摘。ポテトをたくさん食べる子どもやティーンエイジャーに大きな悪影響を及ぼしているのは,いうまでもない。
 ファストフード店で販売されるポテトの1人前の量は,過去50年の間に徐々に増えている。マクドナルドでははじめは2オンス(57グラム)の「Lサイズ」のみ扱っていた。現在は「Sサイズ」が2オンスで,「Lサイズ」は何年も前から6オンス(170グラム)になっている。そして,8オンス(227グラム)の「スーパーサイズ」まで発売された。だが,モーガン・スーパーロックがドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』を製作し,続いて『食べるな危険!!』(角川書店)を出版するに至って,この販売は打ち切られた。他のファストフード店の中には今も8オンスのポテトを扱っているところがある[マクドナルド社のホームページ(英語版)では,現在,Sサイズは71グラム,Lサイズは154グラム。日本マクドナルドのホームページではSが74グラム,Lが170グラム]。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.96-97

フライドポテト

 ハンバーガーのサイドメニューも長年の間に変化している。フライドポテトはハンバーグのつけ合わせによく使われていた。その流れで,ハンバーガーにもフライドポテトを添えるのが標準になった。19世紀のアメリカでは,ラードでポテトを揚げていた。ポテトの形や大きさがどの店でもほぼ同じになったのは1870年代のことだ。薄切りの丸いポテトをパリパリになるまで揚げたものを,アメリカでは「サラトガチップス」,あるいは「ポテトチップス」と呼んだ。中がしっとりした棒状のものは「フレンチフライドポテト」。それが縮まって1918年には「フレンチフライ」になっていた。イギリスでは別の名前がついた。長い棒状のポテトが「チップス」,薄くてパリパリのポテトが「クリスプス」だ。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.92

浸透

 20世紀末には,アメリカ人労働者の8人に1人がマクドナルドで働いた経験があった。アメリカ人の96%が少なくとも1度はマクドナルドに行ったことがあるという調査結果も出ている。ここで食事をするアメリカ人は1日に2200万人(推定)。マクドナルドは効率性を追求してビジネスを成功させた企業の象徴であり,世界の大衆文化の中でしっかりと根をはっている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.70

効率化

 ファストフード業は安い労働力の上に成り立っている。そこでマクドナルドをはじめとするファストフードチェーンは賃金を抑えるために故意に組合をつくらせないようにしてきた。最低賃金や給付金を引き上げようとする動きがみられると,いつも反対するように議員に働きかけた。離職率の高さも問題で,年間300%近くという店まであった。これはひとつには賃金が低いからで,パートタイムの場合,給付金や残業手当がもらえず,長く勤めても昇給しないことも離職につながっていた。マクドナルドが急成長していた1950年代,60年代には,ほかでは働き口のない若年労働者がいくらでもいた。ベビーブームの世代が成長すると,マクドナルドはこの若者たちを好んで雇った。若い子は簡単に言いくるめることができて管理しやすいからだ。やがて若者の人口が減り始めたころ,マクドナルドは従来とは異なる人たちを雇うことになった。雇用における差別を禁じる連邦法ができたこと,よい従業員を雇う必要があったことから,女性を採用し始めたのだ。アメリカにやってきてまもない移民や高齢者,マクドナルドは自動化をさらに進め,レジには仕事を簡単にこなせるタッチ画面式の機械を導入した。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.63

バーガーキング

 1967年にバーガーキングは,中で食事のできる新しいタイプの店を開いた。これは,客は車内で食事,というマクドナルド方式の基本に反している。だが,1960年代には車の中で食べることがもう目新しさを失っていた。それに蒸し暑い日や冬の寒い日に車内で快適な食事などできない。店の中は年中温度の管理が行き届き,客は気持ちよく食べられる新バーガーキングを大歓迎した。これに対抗して,マクドナルドも1968年から店内に食事スペースを設けた。これはさらに,別の基本方針の見直しにもつながった。都会には出店しない。この方針を変え,その後マクドナルドは市街地に次々と店を出して成功を収めた。
 ウェンディーズ,ジャック・イン・ザ・ボックス,バーガーキングなどでは,ドライヴスルーも客に好評だった。マクドナルドは1975年からこれを取り入れている。現在,アメリカのファストフードチェーンの売上げは60%がテイクアウトとドライヴスルーで占められている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.60-62

確執

 クロックはマクドナルド兄弟とよく意見が対立した。兄弟は自分たちが考えだした建物のデザインや店の方式を変えないよう求めたが,クロックは別の考えを持っていた。結局,クロックが270万ドルでマクドナルドを買い取って,この問題は解決した。ただし条件つきで,兄弟はサンバーナディーノの店を引き続き経営することを認められ,既存のフランチャイズ店もある程度,保護されることになった。
 レイ・クロックとマクドナルド兄弟の間に特別な思いなどまったくない。クロックは兄弟の店の向かいに新しい店を構え,2人を廃業に追い込もうとした。そして兄弟の店が家事で焼けると,デスプレーンズの自分の店がマクドナルドの本当の1号店だと宣言。後にこれを博物館に変えた。だが,現存する最古の店はここではない。1953年に兄弟がフランチャイズ契約を結んだ最初の店のひとつがカリフォルニア州ダウニーに残っているのだ。今は少し現代風に変わっている。ここには小さな博物館があり,マクドナルドチェーンの初期の様子を伝えている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.55-56

あるのは市場原理

 心の世界には,もはや公式な正解などなく,ただ市場の原理が働いているにすぎない。ある親は,わが子が自己啓発セミナーを受けて錯乱状態に陥ると,精神科医に相談する前に,思わず消費者センターに電話をかけてしまう。精神世界は,すでに市場経済の中で消費されているという意識が働いているからにちがいない。チャネリングなどニューエイジ系ビジネスの多くは,心理治療を求める患者たちに支えられていたのである。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.185

正義よりも広告収入

 筆者の友人に,某新聞社に勤務する男がいる。彼は,パチンコ問題に対して常に危機意識を持ち,憤慨している。筆者が,パチンコ問題に取り組むことを,応援してくれている。正義感の塊のような男である。
 彼が,痛烈にパチンコの問題を批判した原稿を書いたら,ボツになった。彼の書いた原稿だけではない。日本のマスコミは,パチンコ批判がタブーのようになっている。
 パチンコの被害に,記者が強硬な記事を書けばボツになる状況が,筆者にはまともな国とは思えない。今の日本は,正義感とか,真摯な姿勢でとか,真心を重視する,という言葉が死語になりつつある。
 これでいいのだろうか?マスコミが,正義よりも広告収入を重視して,三大紙が,パチンコ台の全面広告を載せる時代が,まともな時代とは思えないのである。

若宮 健 (2010). なぜ韓国は,パチンコを全廃できたのか 祥伝社 pp.134

売れれば文句を言う人も読む

 プロの小説家になれば,自分の作品が評価されることになる。実は最重要の評価指標とは,「どれだけ売れたか」であるけれど,個人による批評が文章で示されるケースも無数に存在している。たとえば,最近はネット書店に素人の書評や採点が表示されている。作家も読者も,人によっては気になる数値かもしれないが,売れる本と評価値はむしろ反比例していることをご存知だろうか。
 僕は自著に対してデータを集計したことがある。すると,売れている本ほど,読者の採点が低くなる傾向があることに気づいた。理屈は簡単である。採点が低いからよく売れるのではなく,よく売れる本ほど,その作品に合わない人へも本が行き渡るから,低い評価を受ける結果になる。逆に,もの凄くマイナで部数の少ない本は,コアなファンだけが買うので評価が高い。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.138-139

指数関数的な伸び

だが,最近のことでなにより特異なのは,きわめて高い経済成長率だ。米国などの工業国では,国内総生産の成長率目標を年3〜4パーセントとするのが一般的だ。平均的な労働者が2000年前に1日1ドル稼いでいたとすると,以来,実質成長率がたった1パーセントに維持されただけで,今の給料はなんと1日4億3900万ドルになる。NBAのプロバスケット選手になっても届かない額で,これは明らかにありえない。経済成長は,産業革命による比較的最近の副産物だ。裕福な国々は今のところ,考えられる限り最高の世界を手にしている。気候がよく,衛生状態もよく,経済は爆発的に成長している。パン作りに喩えれば,私たちは生地の中のイースト菌のコロニーだ。生きていくために必要なすべての要件が周到に整えられ,タオルにくるまれ,暖かい場所でだれにも邪魔されず,指数関数的に増えている。さて,この状況はいつまで続くのだろうか?

デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.301

打たれ強さの理由

 正統派経済理論がこれほど打たれ強いのは,ほかに負けない——ほかの方程式の将来予測やリスク評価の出来もたいして変わらないという意味で——うえに,適応性が高いからだ。基礎理論をもっと精巧に練り上げることで,体系はそのままにして欠点を修正する試みが行なわれている。たとえば行動経済学の分野は,損失回避のような心理学的影響に取り組んでいる。金融資産の所有者は自分が支払った金額より安く売ることを嫌うので,下落したあと売ることに抵抗する。したがって,価格は下がる途中で「膠着」する傾向がある。投資家心理をパラメータ化して組み込むことで,このような行動への影響に適応するようにモデルを多少改良して調整することはできるが,それでも投資家1人1人は決まった選好や嗜好を持っているものとして扱われる。そのような調整によって投資家は合理的であるという条件が緩和されるのは確かだが,それでも投資家は合理的にモデル化できることが前提になっているのだ。したがって,経済は社会的過程であって法則に還元することはできないという,根本的な問題には取り組んでいない。

デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.275-276

ランダムである

 金融チャートにとりつかれる傾向は,市場というよりむしろ,秩序を好む人間の性向と関係があると言えよう。数字の連なりは,たとえランダムなものであっても,長いあいだ見ているとパターンを示すようになるものだ。実際には,効率的市場における価格の動きはランダムで,どんなパターンも錯覚にすぎない。ユージン・ファーマがいうように,「ランダムウォーク・モデルが現実の説明として妥当であるなら,チャーティストの仕事は占星術師のそれと同様,株式市場分析において現実的な価値はない」。

デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.255-256

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