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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「発達心理学」の記事一覧

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マシュマロ・テスト

カリブ海で以前に行なった研究から,進んで欲求充足を先延ばしにするための要因として信頼が重要であることがわかっていた。報酬を与えるという約束をする人を子どもたちが確実に信頼するように,気楽に接することができるまで,まず研究者と遊んでもらった。それから子どもたちに1人ずつ,ベルの載った小さなテーブルについてもらった。信頼感をさらに高めるために,研究者は繰り返し部屋から出て,子どもがベルを鳴らすとすぐに戻ってきて,「ほら,呼んだから戻ってきましたよ!」と大きな声で言った。呼ばれるとただちに研究者が戻ってくることを子どもたちが理解したらすぐ,自制のテスト(子どもたちには,これも「ゲーム」と説明してあった)が始まった。
 研究方法はごく単純にしておいたが,私たちは信じられないほど長たらしい学術名称をつけた。すなわち,「先延ばしされたものの,より価値のある報酬のために,未就学児が自らに課した,即時の欲求充足の先延ばしパラダイム」だ。幸い数十年後,コラムニストのデイヴィッド・ブルックスがこの研究を発見し,「マシュマロと公共政策」という題で《ニューヨーク・タイムズ》紙で取り上げると,マスメディアは「マシュマロ・テスト」と名づけてくれた。そして,この呼び名が定着した。ご褒美としてマシュマロを使わないことがよくあったのだけれど。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.26
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子どもの測定でおとなを予見

知能指数は,子どもにおいては発達指数であり,おとなにおいては能力の指標だ,と考えられ,しかも,同一の人間は,たえず同じ数字であらわされる知能指数をもちつづけるという仮定のもと,子どもの早熟さを調べることにより,おとなになってからの知的聡明さを予見できると考えられた。こうして,IQという2つのローマ字であらわれれる数字が,変化の背後にある不変な実在をしめす形而上学的魔力をもつに至るのである。
 現代の心理学では,IQの不変性については,確率的なものとしてみなしているにすぎない。つまり,早熟な子どもの多くは,聡明なおとなになりうるし,おくれた子どもの多くは,おとなになっても,精神薄弱にとどまる。しかし,これはあくまでも確率的なものであって,実際に個人個人をとりあげてみると,その発達の道筋は,多種多様である。ゆっくりと発達する子どもが,おとなになってからすぐれた知能を発揮することもありうるし,早熟な子が,聡明なおとなになることを約束しない。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.97

孫に影響

エベルカーリクスの教区で1905年に生まれた303人の成人に注目した研究では,1803年から1849年までの収穫と食料価格から,親と祖父母が入手できた食糧の量を推定した。女の子の卵母細胞(卵子のもと)と,男の子の精祖細胞(精原細胞。精子のもと)は,通常の細胞の半分の染色体(23本)を持ち,それぞれ生殖腺に蓄えられる。エベルカーリクスでの研究は,思春期直前の9歳から12歳まで——それまで陰のう内で守られていた精子が移動しはじめ,そのDNAがエピジェネティックな修飾を受けやすくなる時期——に焦点を当てた。
 最初の結果は驚くべきものだった。祖父母が過食したグループは,祖父母が飢饉を経験したグループより,平均で6年早く亡くなっていたのだ。対象の枠を広げ,性別で分けると,相関はいっそう明らかになった。12歳以下で飢饉を経験した男性の息子の息子(孫)の寿命は長く,心臓発作で死亡する確率は低かった。祖父が過食すると,孫は,心臓病で早死するリスクが高まるだけでなく,糖尿病のリスクも4倍高くなった。相関がはっきりと見られたのは男性だが,女性にも同じような相関が見られた。しかしその場合も,同性同士においてだった。女性は祖母の習慣に,男性は祖父の習慣に影響されていたのだ。つまり,飢饉の間に祖父母の卵子や精子に何かが起きると,それは同姓の孫に影響するのである。ブリストルでなされた追跡調査では,166人の父親の早期(11歳以下)の喫煙は,息子の肥満を導いたが,娘には影響しなかった。思春期前の過食も,次世代に同様の有害な影響をもたらした。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.189-190

7つの要素

ロスバートは乳児期の個性の発達に関わる7つの要素を時間の流れに沿ってまとめています。彼女によれば,(1)適応は新生児期から始まります。(2)不快感も新生児期から。(3)接近行動は新奇な物に近づこうとすることで生後2か月から。(4)いらだち/怒りも生後2か月から。(5)恐れは新奇なものを避けようとする行動で生後6か月から。(6)自己制御は10か月から。(7)親密な関係の時期は明確ではありません。
 新生児期にはいらだち/怒りと恐れの感情はまだ未分化状態にありますが,やがてこの2つは別のものとして分かれます。これら7つの要素のあいだには互いに亢進して高めあったり,抑制したりという相互作用が認められます。ロスバートは7つの要素の1つが欠けているような子どもの場合,残りの要素がそれを補うだろうと考えています。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.31-32

子育ての前提

子どもはもう安全だと言うには早計だが,かつてよりはるかに生きやすくなっているのは確実である。実際,ある面では,子どもを暴力から守るための努力はその目標を通り越して,聖域やタブーの領域に入りはじめていると言えなくもない。
 そうしたタブーの1つが,心理学者ジュディス・ハリスが言うところの「子育ての前提」である。ロックとルソーは子どもを世話する人間の役割を,子どもを叩いて悪い行いを矯正することから子どもの将来の人格を形成することへと書き換えることで,子育ての概念化に革命を起こす下準備をした。その結果,20世紀末までには,親は子どもを虐待したり放置したりすることによって子どもに害をなすことができるという考えが(これは事実だが)発展して,親は子どもの知性や性格や社会的技能や精神障害をつくりあげることができるという考えができあがった(これは事実ではない)。これのどこがいけないのか?それは,移民の子を考えてみればわかる。彼らは最終的に,自分と同じ社会的立場にある人々のアクセントや価値観や規範を身につけるようになるのであって,自分の親のそれを身につけるのではない。つまり,子どもは家族のなかで社会化されるというよりも,身のまわりの集団のなかで社会化されるのである。子どもを育てるには村が必要なのだ。そして養子に関する研究は,養子の最終的な性格や知能指数が生物学的な兄弟のそれと相関関係をなし,養子先のきょうだいのそれとは相関関係をなさないことを明らかにしている。つまり,成人してからの性格や知性は遺伝子によって形成され,偶然によっても形成されるが(たとえ一卵性双生児のあいだでも相関関係は完璧とはほど遠いので),親によってではなく,少なくとも親が子どもに何をしたかによって形成されるわけではないということだ。これらの反証にもかかわらず,親の育て方が子どもの将来を決めるという「子育ての前提」は専門家の意見に完全な支配を及ぼし,母親たちは24時間ぶっ続けの子育てマシンと化すよう助言されてきた。そして子育てのなかで小さな空白の石版に刺激を与え,社会への適合をさせ,その性格を発達させる責任を負わされてきたのである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.122-123

7つのリスト

アンジェラ・ダックワースや彼女の同僚と「気質を育てること」について情報交換をするようになると,デイヴィッド・レヴィンとドミニク・ランドルフはあっさり納得した。生徒たちに不可欠な性格の強みは自制心とやり抜く力だ。しかしそれだけではないようにも思われた。かといって,セリグマンとピーターソンのリストにある24項目すべてを実際の教育システムに取り入れようとすると,それでは多すぎてむずかしかった。そこでレヴィンとランドルフは,このリストをもう少し扱いやすい長さに絞ることはできないかとピーターソンに尋ねた。ピーターソンは研究をもとに,その後の人生の満足度や達成度ととくに深くかかわる強みを割り出した。なんどか微調整を重ねたあと,最終的に7つの項目を含むリストに落ち着いた。

・やり抜く力
・自制心
・意欲
・社会的知性
・感謝の気持ち
・オプティミズム
・好奇心

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.127-128

簡単な助言

ミシェルの発見によれば,子供が時間を引き伸ばすために効果があるのはマシュマロについてちがう考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であるほど我慢できる時間も延びた。マシュマロを菓子ではなく丸くふくらんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは,7分ほど長く我慢できた。本物のマシュマロを見ずに絵に描かれたマシュマロを見るよう勧められた子供もいた。彼らもまた比較的長く我慢することができた。本物のマシュマロを見てはいても,「絵みたいな額がついていると想像してごらん」と言われた子供たちもいて,やはり18分ほど待つことができた。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.110-111

知能じゃないところ

幼少期の支援こそが重要であるとする科学的根拠に異を唱えるのはむずかしい。子供の脳の健康的な発達において,最初の数年は非常に大切だ。子供の将来をよいものにするための唯一の機会のようにも見える。しかし感情,心理的,そして神経科学的な経路をターゲットとしたプログラムのいちばん有望なところは,子どもが成長してからでも十分に効果がある点だ——学力面のみの支援よりもはるかに効果が高い。知能指数だけを見るなら,8歳を過ぎたあたりからなかなか伸びなくなる。しかし実行機能や,ストレスに対処したり強い感情を抑制したりする能力は,思春期や成人期になってからでも——ときには劇的に——改善できる。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.91

笑うと

高齢者から借りてきた写真を眺めるのは,意外にも楽しく,しかも,驚いたことに,写真は離婚を予測していた。何人かの人は幼少時代から青年期までの一連の写真を貸してくれた。のちに離婚した人に比べて,ひとりの相手と一生添い遂げた人は,写真の中で自然な明るい笑みを浮かべていることが多かった。そういう人たちの笑顔は,頬を持ち上げる筋肉だけでなく,目のまわりの筋肉——眼輪筋——も完全に収縮していた。その筋肉が収縮すると,目のまわりにしわが寄り,目尻にはカラスの足跡ができる。いわゆる“デュシェンヌの笑い”と呼ばれるものだ。そんなふうに笑っている人は結婚が長続きする確率が高い。離婚した人たちの笑顔は,目のまわりの筋肉が収縮していない傾向にある。キャビンアテンダント,あるいは,パーティーで無理してあなたと話している人の作り笑いに近い。
 この実験にはさらに続きがあった。大学の卒業アルバムの写真を何百枚と検証して,そこに写っている人がどれほど本気で笑っているかを確かめてから,20代前半から80代後半までの卒業生に結婚が破綻したかどうかを尋ねたのだ。卒業アルバムの写真で満面の笑みを浮かべていた人に比べて,さほど笑っていなかった人の離婚率は5倍にのぼった。さあ,いまごろ,あなたは自分の昔の写真をかき集めているのではないだろうか?

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.98-99

80歳以降

60歳代では,体力も気力も充実しています。社会的にも一定の立場になっている方が多く,50歳代のころよりもむしろ自信があるくらいで,引退前後の時期は非常に充実しているともいえます。
 ところが,70歳代になると,体力の低下を本格的に感じはじめ,今までできていたことができなくなってきます。人生ではじめて「できない私」に直面し,自分の衰えに不安を感じる人もいます。いよいよ老いが迫ってきたことを感じます。
 老いる自分をどうコントロールできるのかわからず,悩む方もいらっしゃいます。死についての意識が高まってくる方もいます。体の変化が起こり,様々な悩みや葛藤が起こるという点で,思春期のように悩みの深い時期と私は感じています。
 「できる自分」を取り戻そうとしてたいへん頑張る人もいますが,それでもなかなか「できる自分」は取り戻せません。SOC(補償を伴う選択的最適化)のような方略で,別のやり方を考案して補っていき,「できない自分」を減らしていこうとする方もいます。70歳代の時期をどう乗り切るかは,とても大きな課題だろうと思います。
 そうした悩みと葛藤の中で,ある程度の体の状態を維持し,心理的にも老いとの折り合いを付けていき,80歳を迎えます。
 そこから先は,10年,20年と時間をかけて老年的超越が高まっていく時期になります。できないことに対するこだわりはなくなって,「できないんだったら,できないでいいじゃないの」という気持ちになり,「まだ自分にはこんなことができる」「あんなこともできる」と,できる自分を再発見して,ポジティブな気持ちが生まれる状態になっていくようです。
 これまでの研究からは特段の努力をしなくても,加齢とともに,自然に穏やかなポジティブな心理状態になっていき,ありのままに自分の人生を受け止められるようになると考えられます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.176-178

誠実性

長寿と一番関係が深いと考えられているのは「誠実性」です。「誠実性」というのは,几帳面で仕事が丁寧である,約束や人の期待を裏切らない,目標達成のために頑張る,仕事を最後までやり遂げる,犯罪に走らない,危険なものを求めない,といった性格傾向です。またこのような性格の人は自分に対する自信を持っていて,有能感も高い人が多いです。
 誠実性の高い人は,健康行動をまじめに行います。運動習慣があり,食事を食べ過ぎず,過度な飲酒をしない,タバコを吸わないといった行動をとります。また,自己統制力が高く,規則正しく生活し,三食を食べ,早寝早起きを継続的に行える人が多いようです。病気になった場合でも,医師の助言をよく聞き,処方された薬をきちんと飲み続けることができるといわれています。ですから,結果的に長生きができると考えられています。
 研究としては,児童期から前期高齢期までを対象としたフリードマン(アメリカの心理学者)らの研究,70歳代・80歳代を対象としたウィルソン(アメリカの心理学者)らの研究があり,いずれも誠実性が低いほうが早く死亡する傾向があることが示されています。日本の高齢者でも同じ結果が示されています。
 よく「長生きの秘訣」といわれますが,多くの人はどうしたら長生きできるかということをだいたいわかっています。運動したほうがいいし,食べ過ぎないほうがいい。わかっているけれどもなかなかできないものです。誠実性の高い人は,わかっていることをきちんと,継続的に実行します。その結果長生きする傾向が出てくるということです。わかっていることを実行できるかできないかが性格によって左右されます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.154-155

老年的超越

老年的超越のデータを調べてみますと,ありのままに受け止めるなどの老年的超越と一番相関が強いのは「年齢」です。年齢が高いほど老年的超越が高く,年齢が若くなると老年的超越が低くなります。
 その他にも様々な変数との相関を調べているのですが,「年齢」ほど強い相関を持つものが見つかりません。性格や,健康状態,生活環境などとの関係も調べていますが,年齢のほうが相関が高くなっています。
 前述したように,離れて暮らしている子供がいると老年的超越は少し上がります。また,体が衰えてくると老年的超越は少し上がります。ですが,相対的に影響力が大きいのが年齢です。年齢が上がると,老年的超越は上がります。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.111-112

出来事と感情の遊離

超高齢者の幸福度を調べるために,私たちはインタビューで次の3つの側面をお聞きしました。
 1つ目は老いに対する価値判断。歳を取っていくことをどのように受け止めているか。今の状況をどう受け止めているのかということです。
 2つ目は孤独感の有無。孤独を感じていないかどうかです。
 3つ目は感情の安定性。感情が安定しているか,嫌な感情を感じていないかという点です。
 1番目の価値判断については,老いを良いものだとは思っていない方が大半です。「年を取って,役に立たなくなったと思うよ」と多くの方がおっしゃいます。「去年より体は悪くなったよ」という方もいます。
 2番目の孤独感の有無では,孤独であることはわかっている,という結果が出てきます。「子供なんて全然来ないし,孫にもずっと会っていない」という方は少なくありません。
 ところが,3番目の感情の安定性に関していうと,感情はとても安定しているのです。嫌な感情をたくさん感じているかというと,そんなこともありません。
 「歳を取って役に立たなくなった,子供や孫にも会えない。だけど,嫌な気分はほとんどない。気持ちは落ち着いている。いいことがあるわけではないけれど,とても幸せな気分だよ」という感じです。
 若い人の心理というのは,出来事と感情が密接に結びついています。「いいことあがあったから幸せ」「嫌なことがたくさんあったから不幸」というのが一般的です。
 しかし,出来事と感情というのは,本来は原因と結果の関係ではありません。随伴するものではありますが,因果関係というわけではありません。超高齢の方と接すると,そういう本質的なことを思い起こさせてもらえます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.91-92

ポジティブ・エフェクト

自分の人生が限りのあるものだとの認識がなされてくると,ポジティブな感情を生むために,いっそう選択的に行動するとされています。社会情動的選択理論では,残りの寿命を意識するとなぜポジティブになるのかという詳しい説明はなされていませんが,そのような前提で論をすすめています。
 この理論のなかに,ポジティピティ・エフェクトというものがあり,本当にそれがあるのかないのか議論が続いています。ポジティピティ・エフェクトとは,高齢者は行動だけではなく,知的な判断過程でも,ネガティブなものを排除し,ポジティブなものを選択する傾向がある,というものです。
 単純な実験なのですが,いろいろな画像を見せて調べてみると,高齢者はポジティブな画像のほうが,ネガティブな画像より認知しやすいということを示す研究もあります。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.90

第9段階

エリクソンが8段階の心理社会的発達段階を提唱した1950年代とは社会状況は大きく変わりました。1990年代にはエリクソン自身も90歳近い年齢になっており,彼は第9段階というものを想定し始めたようです。
 第8段階までは整合性のとれた,統合された世界観です。最後の最後に1つのジグソーパズルが完成するように人生が作られていくというストーリーになっています。
 しかし,80歳を過ぎて心身の機能が衰えて,寝たきりのような状態になったとしたら,きれいに完成された世界は意味がなくなるのではないか,という考えに至ったようです。自身も80歳を過ぎ,人生には第8段階に続く新たな段階があるということに思い至ったのだろうと思います。それが第9段階のアイデアです。
 この第9段階にあたる80歳から90歳以上では,身体機能や健康状態は大きく悪化し,同年代の知人や友人の死亡により社会的ネットワークも非常に小さくなっていきます。たとえ,第8段階において統合性を達成した者であっても,新たな絶望に見舞われると予想したのです。
 一方,エリクソンはこの重篤な危機は,自分と自分を取り巻く人や環境に対する基本的信頼感をもう一度獲得すること,また,トルンスタムが提唱した老年的超越の獲得により乗り越えることができるのではないかという予測もしています。
 平均寿命が80歳の時代には,第8段階からさらに10年,20年と生きることになります。第8段階が必ずしも最終段階ではなくなったのです。エリクソンの妻のジョアン・エリクソンが,第9段階について整理をして,夫の死後に発表しています。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.87-88

ジグソーパズルのピース

西洋の人がよく使う言葉は「ジグソーパズル」です。統合の感覚というのはジグソーパズルを完成させるようなものです。1つひとつのピースを見ると,何の絵なのかわからないけれども,全体を並べてみると,最終的にある絵が浮かび上がってきて,「ああ,これが私の人生だったんだ」という感覚に至るそうです。それが統合性という概念の感覚になります。
 日本人にはわかりにくいかもしれませんが,西洋の人たちは,矛盾や混乱のない一貫したものを求めていますので,人生に対する考え方にもそれが反映されています。
 最終的に「私の人生にはいろいろな出来事が起こった。うれしかったこともあるし,つらかったこと,苦しかったこともある。それらはすべて今につながる意味を持っていた。振り返ってみると,私の人生はとても意味のあるものだった」という感覚を持てるようになることが,人生の大きな目標と考えられています。人生の最終目標である「統合された自我」を目指して,乳児期からの8段階の発達段階を経てきたということです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.83-84

フォースエイジ

SOC理論を提唱したバルテスは,高齢期の心理発達に関しても理論を打ち立てています。バルテスは,80歳とか85歳以上の超高齢群の方々の年代を「フォースエイジ」と呼んでいます。フォースエイジとは,4番目の年代という意味です。
 ファーストエイジ(1番目の年代)が誕生から就職前までの段階,セカンドエイジ(2番目の年代)が就職後から退職までの働いている年代,サードエイジ(3番目の年代)が退職後の高齢期です。それに続く超高齢期がフォースエイジ(4番目の年代)です。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.73

SOC

様々な面で,若い時との違いが出てくる中で,環境の変化にうまく適応していくためには,若いときとは異なる新しい方略が必要になります。これをうまく説明したのがバルテスの提唱したSOC理論です。
 人生の中では獲得するものと喪失するものがあり,それらが相互作用して発達していきます。高齢になると,様々な機能が低下し,できないことが増えていき,喪失が増えていきます。しかし,一方的に失われるばかりではなく,高齢になっても獲得するものもあります。両者を相互に織りなしながら年齢を重ねていくというのがバルテスの考え方です。
 しかし,加齢とともに喪失が増えていくことは確かですから,若いころのように「これもしたい」「あれもしたい」と思わないで,一定の喪失(ロス)を前提に環境への適応の仕方を見つけていこうというロス・ベースの考え方を基盤としています。
 ロスを前提とした方略の1つがSOC(補償を伴う選択的最適化,selective optimization with compensation)です。SOCは,選択(selection),最適化(optimization),補償(compensation)の頭文字を取ったものです。SOC理論は,能力や環境の変化に対して,どのように生活をマネジメントし,適応を果たしていくかという方略を示しています。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.55-56

世代による経験差

たとえば,知能テストなどをしてみると,世代の違いが如実に表れます。現在の90歳代の方たちには,知能テストというものを一度もやったことがなく,見たこともないという方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に知能テストをしてもらうと,何を求められているのかを理解するのに時間がかかり,点数が低くなることがあります。
 それに対して,70歳代の方たちは知能テストを見たことがあり,テスト慣れしているためか,問題を読むとササッと回答する方が増えます。
 両者を比較したときに,70歳代のほうが90歳代よりも知能が高いといえるのか,それとも単にテスト慣れしているだけなのかの判断はとても難しくなります。世代の違う集団は,単に点数だけを比較してもわからないことがあるため,同じ集団を長期間にわたって追いかけていって調査する縦断的研究というものが必要になります。加齢による心理の変化を探り出していくことは,何十年単位での時間がかかる難しい作業なのです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.51-52

活動理論と離脱理論

世界と日本の高齢者心理学の歴史をざっと見ましたが,大きなテーマに「高齢者がどう生きると幸せなのか」というものがあります。1960年代から70年代にかけて,大きく分けると2つの流れができ,論争が続きました。
 1つは「活動理論」,もう1つは「離脱理論」です。
 「活動理論(アクティビティ・セオリー)」というのは,高齢者になっても若いころの活動をそのまま維持して,活動的に積極的に生活するほうが幸せであるという考え方です。いわゆる「生涯現役」の考え方です。
 それに対して,「離脱理論(ディスエンゲージメント・セオリー)」は,若いころよりも活動能力が落ちるのだから,社会から少しずつ引退し,離脱していって,若いころの生活とは違う穏やかな生き方をするほうが幸せであるという考え方です。
 1960年代以降に,活動理論と離脱理論の双方の研究者が多くのデータを出して,「こちらの生き方のほうが幸せだ」「いや,ことらのほうがより幸せだ」という論争が続きました。
 1980年代の半ばごろになると,論争は活動理論のほうが優勢になっていきました。新たな理論として,ロウらが「サクセスフル・エイジング(幸福な老い)」という考え方を提唱しました。
 サクセスフル・エイジングは,高齢期のより幸福な生き方を目指すものですが,健康状態をなるべく保ち,社会貢献的な活動を維持することが幸せな老いにつながるという考え方で,活動理論と根を同じくする考え方です。このサクセスフル・エイジングの考えは,アメリカ人の価値観にとても合っており,欧米で非常に普及していきました。
 このように1980年代になると離脱理論よりも活動理論のほうがさらに優勢となり,「活動理論のほうが高齢者にとって幸せだろう」ということで論争が落ち着いていきました。
 1980年代頃までには,医療もかなり発達し,病気を予防し健康を増進できるようになり,現役として活動できる年齢を伸ばせるようになりました。その結果,「生涯現役」が多くの人の目標になり,「何歳になっても社会参加して活動を続けよう」と考える人が主流になっていきました。アメリカでは,「プロダクティブ・エイジング」や「アクティブ・エイジング」などの様々な言葉が出てきています。
 こうして活動理論的な考え方はいわば当たり前のものになりました。「生涯現役を目指すんだ」という人が非常に増えていったのが,1980年代から2000年くらいまでの流れです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.45-47

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