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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「発達心理学」の記事一覧

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実行機能と誤信念課題

このように実行機能を考慮することで,前述の「4〜5歳まで標準的な誤信念課題を正答できない」という結果と「赤ちゃんでも誤信念状況を理解できる」という結果の矛盾が解消できるのかもしれません。ベイラージョンらは,言葉での反応を調べる標準的な誤信念課題では,少なくとも(1)誤信念表象プロセス(他者の誤信念を表象する),(2)反応選択プロセス(言語反応する際に,他社の誤信念の表象に対して選択的にアクセスする),(3)反応抑制プロセス(自分の知識を抑制して,質問に答える),という3つのプロセスが必要であるのに対して,注視といった自発的な反応で調べる誤信念課題では,(1)の誤信念表象プロセスだけがかかわることを示唆しています。(1)から(3)の3つを同時に処理するのは,乳児のかぎられた情報処理能力では難しすぎる理由として,各プロセスに関連する脳領域のコネクションが成熟するのは後の時期であり,しかもゆっくり発達するからであるとベイラージョンらは考えています。この(2)や(3)は,まさに実行機能に関することなので,4〜5歳になるまで標準的な誤信念課題に正答できない理由の1つには,実行機能の未熟さが関係しているといえそうです。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 35-36
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実行機能

私たちは日々,衝動的に反応せず,次々と入ってくる新しい情報を整理し,順番を考えながら行動しています。このように,目標に向けて注意や行動をコントロールする能力のことを,「実行機能(executive function)」とよびます。そのとらえ方は研究者によって違いがありますが,「抑制」「シフティング」「更新」の3つのプロセスがとくに重要な要素であると考えられています。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 32

三項関係

対象について,他者と一緒にかかわるためには,「他者と自分と対象」の3つの間の関係(三項関係)の成立が必須です。この三項関係の鍵を握るのが,「共同注意(joint attention)」です。ある対象に対する注意を他者と共有することとされます。たとえば,お母さんと子どもがいて,お母さんが通りかかった犬を指さして,「ワンワンいるね」と言うと,子どももそちらを振り向き,「犬」という対象に同時に注意を向けるような場合があてはまります。
 二項関係から三項関係への進展は,社会性やコミュニケーションの発達にとって決定的に重要です。この進展がないと,自分と他者の認識が同じであるのか違うのかに気づくことができません。自分の世界に閉じたままともいえます。対象に同時に注意を払えるからこそ,会話がはずみますし,対象を取ってあげる援助や,別の対象に誘導する欺きも生まれるのです。このような三項関係と共同注意の成立は,生後9か月頃からできるようになります。トマセロはこれを「9か月革命」とよんでいます。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 23-24

赤ちゃんの読み

驚くべきことに,赤ちゃんでもこうした図形の動きの中に社会的意味を読みとっている可能性があります。プレマックらによる1歳頃の赤ちゃんを対象にした馴化・脱馴化法の実験では,「助ける」「なでる」といった正の要素をもつものと,「叩く」「邪魔する」といった負の要素をもつものを区別できることが報告されています。具体的には,正の要素をもつアニメーション(たとえば「助ける」では,黒玉が穴の向こう側に行けないため,灰色の玉が押してあげて向こう側に行かせる)を見せ続け,飽きてきたころに,負の要素をもつアニメーション(たとえば「叩く」では,灰色の玉が黒玉にぶつかる)に切り替えると,注視時間が長くなりました。しかし,負の要素から負の要素への切り替えでは,このような傾向は見られませんでした。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 22

死を待つ人

「突然に襲われる脳溢血や心不全での急死は,絶命までにわずか数秒から長くても1分以内の猶予しかありません。死においては,とかく助かるのを前提に議論されることが多いが,突然死の場合,たとえ名医が側にいても救命はかなわないのです。老人の定義は『死を待つ人』で,高齢者は脱水だけで簡単に死に至ります。その“瞬間”を一人で迎えるか,周囲に人がいるなかで終えるかは,多くの場合で天命に左右されるのだということを誰もがまず前提として踏まえておかねばならないでしょう」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.178

やってはいけない行為

シニアストーカー予備軍に「やってはいけない行為」

◯本人に興味を持って(持ったふりをして)話を聞かない
◯笑って(笑いかけて)接しない
◯楽しそうに(楽しいふりを)しない
◯下手に褒めたり励ましたりしない
◯体に触れない(握手もしてはいけない)

 同氏が理由を説明する。
 「仕事や同情に基づいた言動であっても,相手は自分への好意としか受け止めないのです。話も面白そうに聞いてはいけない。話の内容に興味があるのに,相手は『自分に関心があるんだ』と勘違いしてしまうからです。彼らにとっては自分に関心を持たれることが一番の喜びのため,接する際には極めて淡々と,終始ポーカーフェイスを貫くこと。楽しそうな素振りを見せると『俺は彼女を楽しませることが出来た』という喜びと自信を与えてしまい,相手は勝手に妄想を膨らませていきます。『楽しかったです』ではなく,『楽しいお話でした』と言うべきで,あなたといて楽しかったのではなく,あなたの話が楽しかったのだと伝えなくてはいけない。傍から見れば『そんな馬鹿な』と思うような事象でも,本人は至って真面目に,自分本位に思い込んでしまうのです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.80-81

やり残し

「人生の終盤を迎え,タイムリミットを自覚した高齢男性が決まって口にするのは『やり残していることがあった。それは恋愛だ』というものです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.56

急速なギアチェンジ

前述したように,現代社会ではストレス要因のほとんどは,「闘争・逃走反応」を進化させたような短期的で生死にかかわるものではない。私たちは,毎日相も変わらず横柄な上司に仕え,長い時間をかけて通勤し,健康管理や退職後の生活について心配し続け,社会的孤立をずっと抱いていることがある。しかも,今やこうした継続的ストレス要因を生涯にわたって経験するのであり,その年月を平均すると,人類の誕生からほんの数世紀前までは標準的だった寿命の長さを優に超える。現在の環境は,進化的な適応をしていたときの環境とはまったく違うのに,私たちの自律神経系の反応は変わっていない。人間の体は現代生活の低次元の慢性的なストレス要因に対して,依然としてまるで命がけで戦っているかのような生理的反応を示し,70歳になってもゴルフやテニスをしたり,80歳になっても長時間の散歩を楽しんだりしたいという思いとは裏腹に,そのための余力を残しておこうという配慮などまったく見られない。こうした極端な反応は,私たちが直面しているストレス要因に対処するのに必要な代謝量をはるかに超えている。それにもかかわらず,私たちはしきりに急激なギアチェンジをして不必要なまでに高速を出し,そのたびに,その埋め合わせとして低速ギアへのシフトを求められ,こうして長年にわたってくり返される過激なギアチェンジ(アロスタティック負荷)が積み重なり,ろくな見返りも得られぬままに,高い代償を払わされることになる。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.142

道徳性

心理学者もまた,道徳性を理性のみから引き出そうとする哲学者の考え方に長く同調していた。スイスの心理学者ジャン・ピアジェは,カントの考えを引継ぎ,子どもはさまざまな精神発達の段階を経て道徳性を学ぶと論じた。アメリカの心理学者ローレンス・コールバーグは,このピアジェの考えを発展させ,子どもは道徳的推論の6つの段階をたどると述べた。しかし,コールバーグの分析は子どもへの聞き取り調査を土台とし,その調査で子どもたちに,どのように道徳的推論をするのか説明させていた。だからそこでは理性しか見ることができなかったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.25

くすぐりと年齢

くすぐってはしゃぐ頻度は40歳をすぎると急激に減少するが(約10倍の減少),これはおそらく,子供たちが成長して家を出てくすぐる相手が少なくなったため,セックスパートナーの減少,性衝動の減少などが原因だろう。年配の人々はくすぐる相手としての魅力も減少する。あなたが最後に高齢の人をくすぐったり,彼らにくすぐられたりしたいと思ったのはいつのことだろうか。くすぐりが最後に活躍するのは性とは無関係に祖父母が孫と身体的な遊びをするときかもしれない。あなたの最近のくすぐり歴は年齢,社会的,性的状況を示す妥当な指標になる。最後にくすぐられたのはいつのことだろう。そしてそれは誰がくすぐったのだろうか。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.186

童顔の高齢者

童顔の高齢者ではどうだろう。彼らの性格の印象はとくに興味深い。生涯のこの時期には童顔であるより若くみえることのほうが性格の違いに大きく影響するからである。この老齢層の童顔の人は同齢のおとな顔の人より若くみえればみえるほど,高齢者を弱くて依存的で知的に鈍いものとする老年の固定観念の被害をこうむりにくいと考えられる。童顔の高齢者の若さはおとな顔の高齢者よりも彼らを強く賢く,従順でなくみせる——つまり童顔の固定観念とは反対にみせるのである。童顔は実際,認知される年齢に大きな効果をおよぼす。50代の終わりと60代はじめの童顔の人は同齢のおとな顔の人より若くみえるのである。童顔は人を若くみせるが,童顔であることと若くみえることは厳密に同じではない。たとえば,こどもっぽい大きな目をした丸顔の60歳の人と,目が小さくあごの突き出たおとな顔の同齢の人の場合,童顔の人が白髪としわが多く,おとな顔の人がそうでなかったら,童顔の人はおとな顔の人と同じか年上にみえることがある。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.137

顔と養育

額が狭く,あごが長く,目が小さく,鼻の高いあかんぼうを想像してみてほしい。この子はふつうのあかんぼうが受けるのと同じ世話や保護を受けられるだろうか。両親は「この子は醜いからかわいい」というかもしれないが,こうした「あかんぼうらしくない」特徴をもった子が典型的な童顔にめぐまれた子よりかわいくないと思われるのは事実である。さらに悪いことに,「あの子はみっともないから母親にしか愛されない」というのはかならずしも本当ではない。親は他人が見るより自分の子をかわいいと思うが,それでも,他人がかわいいと思うこどもほど,母親はその子の写真ににっこりする。さらに,親と生後3か月のあかんぼうとの間近なやりとりを観察したところ,かわいいあかんぼうほど父親から笑いかけられ声をかけられる機会が多いことがわかった。このように,典型的な童顔でない子は,世話をひきだすための鍵刺激をそなえた顔の子ほど親からやさしく扱われないのである。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.112

テレビ・ゲーム

では,因果関係を調べた研究の結論はどういうものでしょうか。
 それらの研究の多くは,テレビやゲーム「そのもの」が子どもたちにもたらす負の因果効果は私たちが考えているほどには大きくないと結論づけています。それどころか,シカゴ大学のゲンコウ教授らは,幼少期にテレビを観ていた子どもたちは学力が高いと結論づけているほか,米国で行われた別の研究では,幼少期に「セサミストリート」などの教育番組を観て育った子どもたちは,就学後の学力が高かったことを示すものもあるのです。
 ゲームについても同じです。ハーバード大学のクトナー教授らは,中学生を対象にした大規模な研究によって,ゲームが必ずしも有害ではないことを明らかにしています。それどころか,17歳以上の子どもが対象になるようなロールプレイングゲームなどの複雑なゲームは,子どものストレス発散につながり,創造性や忍耐力を培うのにむしろよい影響があるとさえ述べています。ゲームの中で暴力的な行為が行われていたとしても,それを学校や隣近所でやってやろうと考えるほど,子どもは愚かではないのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.54-55

複雑な相互作用

繰り返すが,性格や人格,態度,さらには政治信条をも含め,人間の気質と行動パターンは,遺伝子の複雑な影響を反映しており,人の生涯を通して,遺伝子の発現は環境の多数の決定要因によって決まる。気質は遺伝子の影響と環境の影響が途方もなく複雑なかたちで相互作用して生み出される——ということであれば,今はもう,生まれか育ちかという疑問を乗り越えてしかるべき時なのだ。カリフォルニア大学バークリー校のダニエラ・コーファーとダーリーン・フランシスが2011年に結論したとおり,生まれと育ちの関係に関する最先端の研究成果は,「遺伝子と環境の関係についての暗黙の仮定を覆しつつある。……環境は,以前私たちが遺伝子にしか可能と思っていなかったほどの影響力を揮いうるし……ゲノムは,以前私たちが環境にしか可能と思っていなかったほどの順応性を持ちうる」。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.106

長方形の縦か横か

研究者たちは双子研究を使って,生まれと育ちが分離できるかのように,それぞれの別個の貢献度を割り出そうとしてきた。彼らの先駆的研究には感謝すべきだろう。そのおかげで,私たちは生物学的作用に基づく生き物で,あらかじめ多くのものが組み込まれており,育ちに劣らず生まれも重要であることが明らかになったからだ。だが,遺伝についての研究が深まるにつれ,生まれと育ちとを簡単に分離できないことがわかってきた。特徴や人格,態度,政治信条など,人間の気質や行動のパターンは,一生にわたって環境要因によって発現の仕方が決まる遺伝子(たいていは複数の遺伝子)の複雑な作用を反映している。私たちが何者で,何者になるかは,途方もなく複雑なプロセスの中で遺伝子の影響と環境の影響の両方が行なう相互作用の表われなのだ。「どれだけ?」という問いは,もういい加減,お蔵入りさせるべきだろう。なぜなら,単純に答えられないのだから。カナダの心理学者ドナルド・ヘッブがとうの昔に述べているように,それは,長方形の大きさを決めているのは縦の辺の長さと横の辺の長さのどちらかを問うようなものだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.98

生まれか育ちかの揺れ動き

生まれと育ちについての科学の定説は,私のこれまでの人生で,正反対の結論のあいだを大きく揺れ動いてきた。1950年代までアメリカの心理学で幅を利かせていた行動主義では,B.F.スキナーらの科学者は,新生児は白紙状態で誕生するので,環境がそれに刻印を押して彼らがどうなるかを決め,おもに報酬や強化を通して彼らを形作ると考えた。だが,1960年代には,そのような極端な環境決定論は勢いを失い始めた。そして,1970年代までには,ノーム・チョムスキーをはじめ,多くの言語学者と認知科学者が,私たちを人間たらしめているものの多くがあらかじめ組み込まれていることを証明して,このテーマについての考え方を一変させた。当初の闘いは,赤ん坊がどうやって言語を習得するかを巡って起こった。そして,赤ん坊が最終的に高地ドイツ語を話すようになるか,あるいは北京語を話すようになるかは,もちろん学習と社会環境次第であるものの,言語を可能にする,根底にある文法がおおむね生得的であることを,その争いの勝者は証明した。新生児が持って生まれた紙は,白紙にはほど遠く,情報がたっぷり書き込まれているのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.94-95

もらえると思っていない時

あまりに多くの人が幼年時代から,信頼のできない,当てにならない世界で生きている。そういう世界では,より大きな報酬を先延ばしにしたかたちで約束されても,その約束はけっして守られない。こうした背景を考えれば,何であれ目の前にあるものをさっさと手に入れずに待っても,ほとんど意味がない。約束を守らない人と接してきた未就学児は,驚くまでもないが,ただちにマシュマロ1個をもらわず,あとで2個もらおうとする率がはるかに低い。このような常識的な見通しは,実験によって,とうの昔に裏づけを得ている。人は,先延ばしにした報酬がもらえるとは思っていないとき,合理的に行動し,その報酬を待たないことが立証されているのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.84-85

冷却スキル

これは何を意味するのだろう?過剰なまでに支配的ではなく,子どもの欲求に敏感な母親を持つ幼児は,母親から距離を置く理由がなく,「新奇な場面」で母親がストレスを減らしてやろうと近づいてきたときに,そばを離れない。だが,自分の欲求にはとても敏感でありながら,子どもが必要なものには,それを子どもが最も必要としているときにも気づかず,子どもを苦しめるようなかたちで,一挙手一投足をコントロールしようとする母親を持つ幼児はどうなのか?アニータの研究結果からは,いくつか考えるべき問題点が明らかになる。おもちゃで遊び,部屋を探検するには,幼児が母親から少し離れるのは悪いことではないだろう。それは,5歳になったときにマシュマロ2個を手に入れるのに必要な自制のための「冷却」スキルを発達させる役に立ちさえするかもしれない。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.70-71

満足遅延とSAT

子どもたちの実際の学業成績を測定するために,私たちは親に,可能なときには子どもたちの大学進学適性試験(SAT)のクリティカル・リーディングと数学の点数を教えてくれるように頼んだ。SATはアメリカの子どもが大学へ入学を志願するためによく受ける試験だ。親が報告した点数の信頼性を評価するために,私たちはSATを実施する<教育テストサービス>という団体にも連絡をとった。欲求充足を長く先延ばしにできた未就学児は,全体としてSATの点数がはるかに高かった。先延ばしにできた時間が短かった子ども(下位3分の1)と長かった子ども(上位3分の1)のSATの点数を比較すると,平均で210点の差があった(訳注 SATは3科目合計で2400点満点)。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.33

満足遅延の結果

マシュマロ・テストで長く先延ばしにできた未就学児は,およそ10年後には,欲求不満を覚えるような状況で,ほかの人より強い自制心を示す青少年というふうに評価された。彼らは誘惑に負けにくく,集中しようとするときには気が散りにくく,より聡明で,自力本願で,自信に満ち,自分の判断に自信を置いていた。ストレスにさらされても,先延ばしにする能力の低い人ほど取り乱さず,あわてたり,混乱したり,退行して未熟な行動をとったりする傾向も弱かった。また,彼らのほうが先のことを考えて計画し,動機を与えられると,目的を追求するのがうまかった。さらに,彼らのほうが注意深く,理性を使ったり理性に従ったりするのが得意で,邪魔が入っても脱線する率が低かった。ようするに,少なくとも親や教師の目や報告によるかぎり,問題が多くて扱いにくいという,広く浸透した青少年像が彼らには当てはまらないのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.32-33

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