I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「発達心理学」の記事一覧

やってはいけない行為

シニアストーカー予備軍に「やってはいけない行為」

◯本人に興味を持って(持ったふりをして)話を聞かない
◯笑って(笑いかけて)接しない
◯楽しそうに(楽しいふりを)しない
◯下手に褒めたり励ましたりしない
◯体に触れない(握手もしてはいけない)

 同氏が理由を説明する。
 「仕事や同情に基づいた言動であっても,相手は自分への好意としか受け止めないのです。話も面白そうに聞いてはいけない。話の内容に興味があるのに,相手は『自分に関心があるんだ』と勘違いしてしまうからです。彼らにとっては自分に関心を持たれることが一番の喜びのため,接する際には極めて淡々と,終始ポーカーフェイスを貫くこと。楽しそうな素振りを見せると『俺は彼女を楽しませることが出来た』という喜びと自信を与えてしまい,相手は勝手に妄想を膨らませていきます。『楽しかったです』ではなく,『楽しいお話でした』と言うべきで,あなたといて楽しかったのではなく,あなたの話が楽しかったのだと伝えなくてはいけない。傍から見れば『そんな馬鹿な』と思うような事象でも,本人は至って真面目に,自分本位に思い込んでしまうのです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.80-81

やり残し

「人生の終盤を迎え,タイムリミットを自覚した高齢男性が決まって口にするのは『やり残していることがあった。それは恋愛だ』というものです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.56

急速なギアチェンジ

前述したように,現代社会ではストレス要因のほとんどは,「闘争・逃走反応」を進化させたような短期的で生死にかかわるものではない。私たちは,毎日相も変わらず横柄な上司に仕え,長い時間をかけて通勤し,健康管理や退職後の生活について心配し続け,社会的孤立をずっと抱いていることがある。しかも,今やこうした継続的ストレス要因を生涯にわたって経験するのであり,その年月を平均すると,人類の誕生からほんの数世紀前までは標準的だった寿命の長さを優に超える。現在の環境は,進化的な適応をしていたときの環境とはまったく違うのに,私たちの自律神経系の反応は変わっていない。人間の体は現代生活の低次元の慢性的なストレス要因に対して,依然としてまるで命がけで戦っているかのような生理的反応を示し,70歳になってもゴルフやテニスをしたり,80歳になっても長時間の散歩を楽しんだりしたいという思いとは裏腹に,そのための余力を残しておこうという配慮などまったく見られない。こうした極端な反応は,私たちが直面しているストレス要因に対処するのに必要な代謝量をはるかに超えている。それにもかかわらず,私たちはしきりに急激なギアチェンジをして不必要なまでに高速を出し,そのたびに,その埋め合わせとして低速ギアへのシフトを求められ,こうして長年にわたってくり返される過激なギアチェンジ(アロスタティック負荷)が積み重なり,ろくな見返りも得られぬままに,高い代償を払わされることになる。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.142

道徳性

心理学者もまた,道徳性を理性のみから引き出そうとする哲学者の考え方に長く同調していた。スイスの心理学者ジャン・ピアジェは,カントの考えを引継ぎ,子どもはさまざまな精神発達の段階を経て道徳性を学ぶと論じた。アメリカの心理学者ローレンス・コールバーグは,このピアジェの考えを発展させ,子どもは道徳的推論の6つの段階をたどると述べた。しかし,コールバーグの分析は子どもへの聞き取り調査を土台とし,その調査で子どもたちに,どのように道徳的推論をするのか説明させていた。だからそこでは理性しか見ることができなかったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.25

くすぐりと年齢

くすぐってはしゃぐ頻度は40歳をすぎると急激に減少するが(約10倍の減少),これはおそらく,子供たちが成長して家を出てくすぐる相手が少なくなったため,セックスパートナーの減少,性衝動の減少などが原因だろう。年配の人々はくすぐる相手としての魅力も減少する。あなたが最後に高齢の人をくすぐったり,彼らにくすぐられたりしたいと思ったのはいつのことだろうか。くすぐりが最後に活躍するのは性とは無関係に祖父母が孫と身体的な遊びをするときかもしれない。あなたの最近のくすぐり歴は年齢,社会的,性的状況を示す妥当な指標になる。最後にくすぐられたのはいつのことだろう。そしてそれは誰がくすぐったのだろうか。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.186

童顔の高齢者

童顔の高齢者ではどうだろう。彼らの性格の印象はとくに興味深い。生涯のこの時期には童顔であるより若くみえることのほうが性格の違いに大きく影響するからである。この老齢層の童顔の人は同齢のおとな顔の人より若くみえればみえるほど,高齢者を弱くて依存的で知的に鈍いものとする老年の固定観念の被害をこうむりにくいと考えられる。童顔の高齢者の若さはおとな顔の高齢者よりも彼らを強く賢く,従順でなくみせる——つまり童顔の固定観念とは反対にみせるのである。童顔は実際,認知される年齢に大きな効果をおよぼす。50代の終わりと60代はじめの童顔の人は同齢のおとな顔の人より若くみえるのである。童顔は人を若くみせるが,童顔であることと若くみえることは厳密に同じではない。たとえば,こどもっぽい大きな目をした丸顔の60歳の人と,目が小さくあごの突き出たおとな顔の同齢の人の場合,童顔の人が白髪としわが多く,おとな顔の人がそうでなかったら,童顔の人はおとな顔の人と同じか年上にみえることがある。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.137

顔と養育

額が狭く,あごが長く,目が小さく,鼻の高いあかんぼうを想像してみてほしい。この子はふつうのあかんぼうが受けるのと同じ世話や保護を受けられるだろうか。両親は「この子は醜いからかわいい」というかもしれないが,こうした「あかんぼうらしくない」特徴をもった子が典型的な童顔にめぐまれた子よりかわいくないと思われるのは事実である。さらに悪いことに,「あの子はみっともないから母親にしか愛されない」というのはかならずしも本当ではない。親は他人が見るより自分の子をかわいいと思うが,それでも,他人がかわいいと思うこどもほど,母親はその子の写真ににっこりする。さらに,親と生後3か月のあかんぼうとの間近なやりとりを観察したところ,かわいいあかんぼうほど父親から笑いかけられ声をかけられる機会が多いことがわかった。このように,典型的な童顔でない子は,世話をひきだすための鍵刺激をそなえた顔の子ほど親からやさしく扱われないのである。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.112

テレビ・ゲーム

では,因果関係を調べた研究の結論はどういうものでしょうか。
 それらの研究の多くは,テレビやゲーム「そのもの」が子どもたちにもたらす負の因果効果は私たちが考えているほどには大きくないと結論づけています。それどころか,シカゴ大学のゲンコウ教授らは,幼少期にテレビを観ていた子どもたちは学力が高いと結論づけているほか,米国で行われた別の研究では,幼少期に「セサミストリート」などの教育番組を観て育った子どもたちは,就学後の学力が高かったことを示すものもあるのです。
 ゲームについても同じです。ハーバード大学のクトナー教授らは,中学生を対象にした大規模な研究によって,ゲームが必ずしも有害ではないことを明らかにしています。それどころか,17歳以上の子どもが対象になるようなロールプレイングゲームなどの複雑なゲームは,子どものストレス発散につながり,創造性や忍耐力を培うのにむしろよい影響があるとさえ述べています。ゲームの中で暴力的な行為が行われていたとしても,それを学校や隣近所でやってやろうと考えるほど,子どもは愚かではないのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.54-55

複雑な相互作用

繰り返すが,性格や人格,態度,さらには政治信条をも含め,人間の気質と行動パターンは,遺伝子の複雑な影響を反映しており,人の生涯を通して,遺伝子の発現は環境の多数の決定要因によって決まる。気質は遺伝子の影響と環境の影響が途方もなく複雑なかたちで相互作用して生み出される——ということであれば,今はもう,生まれか育ちかという疑問を乗り越えてしかるべき時なのだ。カリフォルニア大学バークリー校のダニエラ・コーファーとダーリーン・フランシスが2011年に結論したとおり,生まれと育ちの関係に関する最先端の研究成果は,「遺伝子と環境の関係についての暗黙の仮定を覆しつつある。……環境は,以前私たちが遺伝子にしか可能と思っていなかったほどの影響力を揮いうるし……ゲノムは,以前私たちが環境にしか可能と思っていなかったほどの順応性を持ちうる」。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.106

長方形の縦か横か

研究者たちは双子研究を使って,生まれと育ちが分離できるかのように,それぞれの別個の貢献度を割り出そうとしてきた。彼らの先駆的研究には感謝すべきだろう。そのおかげで,私たちは生物学的作用に基づく生き物で,あらかじめ多くのものが組み込まれており,育ちに劣らず生まれも重要であることが明らかになったからだ。だが,遺伝についての研究が深まるにつれ,生まれと育ちとを簡単に分離できないことがわかってきた。特徴や人格,態度,政治信条など,人間の気質や行動のパターンは,一生にわたって環境要因によって発現の仕方が決まる遺伝子(たいていは複数の遺伝子)の複雑な作用を反映している。私たちが何者で,何者になるかは,途方もなく複雑なプロセスの中で遺伝子の影響と環境の影響の両方が行なう相互作用の表われなのだ。「どれだけ?」という問いは,もういい加減,お蔵入りさせるべきだろう。なぜなら,単純に答えられないのだから。カナダの心理学者ドナルド・ヘッブがとうの昔に述べているように,それは,長方形の大きさを決めているのは縦の辺の長さと横の辺の長さのどちらかを問うようなものだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.98

生まれか育ちかの揺れ動き

生まれと育ちについての科学の定説は,私のこれまでの人生で,正反対の結論のあいだを大きく揺れ動いてきた。1950年代までアメリカの心理学で幅を利かせていた行動主義では,B.F.スキナーらの科学者は,新生児は白紙状態で誕生するので,環境がそれに刻印を押して彼らがどうなるかを決め,おもに報酬や強化を通して彼らを形作ると考えた。だが,1960年代には,そのような極端な環境決定論は勢いを失い始めた。そして,1970年代までには,ノーム・チョムスキーをはじめ,多くの言語学者と認知科学者が,私たちを人間たらしめているものの多くがあらかじめ組み込まれていることを証明して,このテーマについての考え方を一変させた。当初の闘いは,赤ん坊がどうやって言語を習得するかを巡って起こった。そして,赤ん坊が最終的に高地ドイツ語を話すようになるか,あるいは北京語を話すようになるかは,もちろん学習と社会環境次第であるものの,言語を可能にする,根底にある文法がおおむね生得的であることを,その争いの勝者は証明した。新生児が持って生まれた紙は,白紙にはほど遠く,情報がたっぷり書き込まれているのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.94-95

もらえると思っていない時

あまりに多くの人が幼年時代から,信頼のできない,当てにならない世界で生きている。そういう世界では,より大きな報酬を先延ばしにしたかたちで約束されても,その約束はけっして守られない。こうした背景を考えれば,何であれ目の前にあるものをさっさと手に入れずに待っても,ほとんど意味がない。約束を守らない人と接してきた未就学児は,驚くまでもないが,ただちにマシュマロ1個をもらわず,あとで2個もらおうとする率がはるかに低い。このような常識的な見通しは,実験によって,とうの昔に裏づけを得ている。人は,先延ばしにした報酬がもらえるとは思っていないとき,合理的に行動し,その報酬を待たないことが立証されているのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.84-85

冷却スキル

これは何を意味するのだろう?過剰なまでに支配的ではなく,子どもの欲求に敏感な母親を持つ幼児は,母親から距離を置く理由がなく,「新奇な場面」で母親がストレスを減らしてやろうと近づいてきたときに,そばを離れない。だが,自分の欲求にはとても敏感でありながら,子どもが必要なものには,それを子どもが最も必要としているときにも気づかず,子どもを苦しめるようなかたちで,一挙手一投足をコントロールしようとする母親を持つ幼児はどうなのか?アニータの研究結果からは,いくつか考えるべき問題点が明らかになる。おもちゃで遊び,部屋を探検するには,幼児が母親から少し離れるのは悪いことではないだろう。それは,5歳になったときにマシュマロ2個を手に入れるのに必要な自制のための「冷却」スキルを発達させる役に立ちさえするかもしれない。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.70-71

満足遅延とSAT

子どもたちの実際の学業成績を測定するために,私たちは親に,可能なときには子どもたちの大学進学適性試験(SAT)のクリティカル・リーディングと数学の点数を教えてくれるように頼んだ。SATはアメリカの子どもが大学へ入学を志願するためによく受ける試験だ。親が報告した点数の信頼性を評価するために,私たちはSATを実施する<教育テストサービス>という団体にも連絡をとった。欲求充足を長く先延ばしにできた未就学児は,全体としてSATの点数がはるかに高かった。先延ばしにできた時間が短かった子ども(下位3分の1)と長かった子ども(上位3分の1)のSATの点数を比較すると,平均で210点の差があった(訳注 SATは3科目合計で2400点満点)。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.33

満足遅延の結果

マシュマロ・テストで長く先延ばしにできた未就学児は,およそ10年後には,欲求不満を覚えるような状況で,ほかの人より強い自制心を示す青少年というふうに評価された。彼らは誘惑に負けにくく,集中しようとするときには気が散りにくく,より聡明で,自力本願で,自信に満ち,自分の判断に自信を置いていた。ストレスにさらされても,先延ばしにする能力の低い人ほど取り乱さず,あわてたり,混乱したり,退行して未熟な行動をとったりする傾向も弱かった。また,彼らのほうが先のことを考えて計画し,動機を与えられると,目的を追求するのがうまかった。さらに,彼らのほうが注意深く,理性を使ったり理性に従ったりするのが得意で,邪魔が入っても脱線する率が低かった。ようするに,少なくとも親や教師の目や報告によるかぎり,問題が多くて扱いにくいという,広く浸透した青少年像が彼らには当てはまらないのだ。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.32-33

マシュマロ・テスト

カリブ海で以前に行なった研究から,進んで欲求充足を先延ばしにするための要因として信頼が重要であることがわかっていた。報酬を与えるという約束をする人を子どもたちが確実に信頼するように,気楽に接することができるまで,まず研究者と遊んでもらった。それから子どもたちに1人ずつ,ベルの載った小さなテーブルについてもらった。信頼感をさらに高めるために,研究者は繰り返し部屋から出て,子どもがベルを鳴らすとすぐに戻ってきて,「ほら,呼んだから戻ってきましたよ!」と大きな声で言った。呼ばれるとただちに研究者が戻ってくることを子どもたちが理解したらすぐ,自制のテスト(子どもたちには,これも「ゲーム」と説明してあった)が始まった。
 研究方法はごく単純にしておいたが,私たちは信じられないほど長たらしい学術名称をつけた。すなわち,「先延ばしされたものの,より価値のある報酬のために,未就学児が自らに課した,即時の欲求充足の先延ばしパラダイム」だ。幸い数十年後,コラムニストのデイヴィッド・ブルックスがこの研究を発見し,「マシュマロと公共政策」という題で《ニューヨーク・タイムズ》紙で取り上げると,マスメディアは「マシュマロ・テスト」と名づけてくれた。そして,この呼び名が定着した。ご褒美としてマシュマロを使わないことがよくあったのだけれど。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.26

子どもの測定でおとなを予見

知能指数は,子どもにおいては発達指数であり,おとなにおいては能力の指標だ,と考えられ,しかも,同一の人間は,たえず同じ数字であらわされる知能指数をもちつづけるという仮定のもと,子どもの早熟さを調べることにより,おとなになってからの知的聡明さを予見できると考えられた。こうして,IQという2つのローマ字であらわれれる数字が,変化の背後にある不変な実在をしめす形而上学的魔力をもつに至るのである。
 現代の心理学では,IQの不変性については,確率的なものとしてみなしているにすぎない。つまり,早熟な子どもの多くは,聡明なおとなになりうるし,おくれた子どもの多くは,おとなになっても,精神薄弱にとどまる。しかし,これはあくまでも確率的なものであって,実際に個人個人をとりあげてみると,その発達の道筋は,多種多様である。ゆっくりと発達する子どもが,おとなになってからすぐれた知能を発揮することもありうるし,早熟な子が,聡明なおとなになることを約束しない。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.97

孫に影響

エベルカーリクスの教区で1905年に生まれた303人の成人に注目した研究では,1803年から1849年までの収穫と食料価格から,親と祖父母が入手できた食糧の量を推定した。女の子の卵母細胞(卵子のもと)と,男の子の精祖細胞(精原細胞。精子のもと)は,通常の細胞の半分の染色体(23本)を持ち,それぞれ生殖腺に蓄えられる。エベルカーリクスでの研究は,思春期直前の9歳から12歳まで——それまで陰のう内で守られていた精子が移動しはじめ,そのDNAがエピジェネティックな修飾を受けやすくなる時期——に焦点を当てた。
 最初の結果は驚くべきものだった。祖父母が過食したグループは,祖父母が飢饉を経験したグループより,平均で6年早く亡くなっていたのだ。対象の枠を広げ,性別で分けると,相関はいっそう明らかになった。12歳以下で飢饉を経験した男性の息子の息子(孫)の寿命は長く,心臓発作で死亡する確率は低かった。祖父が過食すると,孫は,心臓病で早死するリスクが高まるだけでなく,糖尿病のリスクも4倍高くなった。相関がはっきりと見られたのは男性だが,女性にも同じような相関が見られた。しかしその場合も,同性同士においてだった。女性は祖母の習慣に,男性は祖父の習慣に影響されていたのだ。つまり,飢饉の間に祖父母の卵子や精子に何かが起きると,それは同姓の孫に影響するのである。ブリストルでなされた追跡調査では,166人の父親の早期(11歳以下)の喫煙は,息子の肥満を導いたが,娘には影響しなかった。思春期前の過食も,次世代に同様の有害な影響をもたらした。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.189-190

7つの要素

ロスバートは乳児期の個性の発達に関わる7つの要素を時間の流れに沿ってまとめています。彼女によれば,(1)適応は新生児期から始まります。(2)不快感も新生児期から。(3)接近行動は新奇な物に近づこうとすることで生後2か月から。(4)いらだち/怒りも生後2か月から。(5)恐れは新奇なものを避けようとする行動で生後6か月から。(6)自己制御は10か月から。(7)親密な関係の時期は明確ではありません。
 新生児期にはいらだち/怒りと恐れの感情はまだ未分化状態にありますが,やがてこの2つは別のものとして分かれます。これら7つの要素のあいだには互いに亢進して高めあったり,抑制したりという相互作用が認められます。ロスバートは7つの要素の1つが欠けているような子どもの場合,残りの要素がそれを補うだろうと考えています。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.31-32

子育ての前提

子どもはもう安全だと言うには早計だが,かつてよりはるかに生きやすくなっているのは確実である。実際,ある面では,子どもを暴力から守るための努力はその目標を通り越して,聖域やタブーの領域に入りはじめていると言えなくもない。
 そうしたタブーの1つが,心理学者ジュディス・ハリスが言うところの「子育ての前提」である。ロックとルソーは子どもを世話する人間の役割を,子どもを叩いて悪い行いを矯正することから子どもの将来の人格を形成することへと書き換えることで,子育ての概念化に革命を起こす下準備をした。その結果,20世紀末までには,親は子どもを虐待したり放置したりすることによって子どもに害をなすことができるという考えが(これは事実だが)発展して,親は子どもの知性や性格や社会的技能や精神障害をつくりあげることができるという考えができあがった(これは事実ではない)。これのどこがいけないのか?それは,移民の子を考えてみればわかる。彼らは最終的に,自分と同じ社会的立場にある人々のアクセントや価値観や規範を身につけるようになるのであって,自分の親のそれを身につけるのではない。つまり,子どもは家族のなかで社会化されるというよりも,身のまわりの集団のなかで社会化されるのである。子どもを育てるには村が必要なのだ。そして養子に関する研究は,養子の最終的な性格や知能指数が生物学的な兄弟のそれと相関関係をなし,養子先のきょうだいのそれとは相関関係をなさないことを明らかにしている。つまり,成人してからの性格や知性は遺伝子によって形成され,偶然によっても形成されるが(たとえ一卵性双生児のあいだでも相関関係は完璧とはほど遠いので),親によってではなく,少なくとも親が子どもに何をしたかによって形成されるわけではないということだ。これらの反証にもかかわらず,親の育て方が子どもの将来を決めるという「子育ての前提」は専門家の意見に完全な支配を及ぼし,母親たちは24時間ぶっ続けの子育てマシンと化すよう助言されてきた。そして子育てのなかで小さな空白の石版に刺激を与え,社会への適合をさせ,その性格を発達させる責任を負わされてきたのである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.122-123

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