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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「発達心理学」の記事一覧

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感情的関わり

もうひとつ女性が重要だと思っているのは,感情的な関わりだ。妻は,夫にも彼なりのやり方で,自分と同じように新しい家族に関わってほしいと思っている。日々の行動で言えば,彼女が自分の疑問や心配,フラストレーションについて話したいと思う時に座って話を聞いてくれ,子供と遊び,世話をしてくれ,店に行く前に冷蔵庫を開けて何が必要なものはないかチェックしてくれることを望んでいる。くりかえして言えば,彼女が基本的に欲しているのはパートナーであって,ヘルパーではない。

J.ベルスキー・J.ケリー 安次嶺佳子 (1995). 子供をもつと夫婦に何が起こるか 草思社 pp.38
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努力と発見

移行期の間に二人の結婚生活がどうなるかは,二人がその不和や分極化を解決しようと努力するなかで,互いについてどのような発見をするかにかかっている。こうした努力によって,結婚生活における自己犠牲や思いやり,共感,同情といった,これまでさほど表面に出てこなかった互いの包容力があきらかになるなら,この夫と妻はより親密な関係になる。しかし,これまで気づかなかったわがままや,自己に固執する頑固さなどが出てくるなら,移行期の終わりには多くのカップルがジョン・アップダイクの作品に出てくる中年夫婦のように感じるだろう。

J.ベルスキー・J.ケリー 安次嶺佳子 (1995). 子供をもつと夫婦に何が起こるか 草思社 pp.27

子どもが生まれると

多くの場合,子供の誕生によって広がるギャップは,生物学的な理由と人間形成の過程にその根源がある。一般に,もともとの生物学的特質と育てられ方が重なりあって,男性と女性はその感じ方,考え方,理解の仕方に違いがある。そして次章で見るように,子供の誕生ほどはっきりと,こうした男女の根本的な違いをきわだたせるものはない。似たもの夫婦だと思っている夫婦でさえ,親になってみると,それぞれの優先順位や必要とするものがあまりにもかけ離れているのを知って愕然とする。家族的な背景や個性の違いも移行期には大きな障害となる。2人がどんなに愛しあっていても,まったく同じ価値観や感情をもっていることはないし,人生についてまったく同じ見方をしていることはない。そしてこうした個人的な違いを子供の誕生ほどはっきりと浮き彫りにするものはないのだ。

J.ベルスキー・J.ケリー 安次嶺佳子 (1995). 子供をもつと夫婦に何が起こるか 草思社 pp.20-21

心の理論と神

三次志向意識水準まで発達すると,「神は私たちに正しくあれと望んでいる」という表現になる。これが個人レベルの信仰である。そこへ別の誰かを引きこもうと思ったら,相手の心理的な立場を意識して「神は私たちに正しくあれと望んでおられるのですよ」と語りかけなくてはならない。こうして四次志向意識水準に達したところで,宗教は社会的なものになる。ただこの段階では,相手はこちらの主張を聞きおけばよいだけで,それ以上のことは求められない。五次志向意識水準,つまり「神は私たちに正しくあれと望んでおられるのを,私たちは承知しているはずです」となると,相手がイエスと答えれば,すなわち信念を共有していることになる。ここではじめて宗教は共有されるのだ。相手も自分も神聖な力の存在を信じ,それにしたがって(強制されて)一定の行動をとるようになる。
 宗教を共有するには五次志向意識水準までが不可欠なのだが,ほとんどの人にとって志向意識水準はそこまでが限界である。これもまた偶然ではない。人間の営みは,道具づくりにしても,複雑にからみあった社会で地雷を避けながら渡り歩くにしても,だいたいが二次か三次の志向意識水準までで片がつく。さらに二段階上までの志向意識水準を編み出すのは,並たいていの知的労力ではなかっただろう。進化はむだを嫌う。だから私たちに備わっているものには,かならずれっきとした存在理由がある。高度な志向意識水準を私たちが持っている理由として考えられるのは,いまのところ宗教しかない。そう考えると,信仰心の芽ばえについても答えが見えてくる。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.

成長と自立を成し遂げる

成長し自立を遂げるということは,子どもが誠実か不誠実かのどちらかを選択する能力と責任を持つようになることを意味する。嘘を隠し通すことが不可能だということが分かっていれば,実のところほとんど選択の余地はない。誘惑が生じるのは,騙そうと思えば騙せることが分かっている場合にかぎられる。
 自立とは,他人に明らかにする自分自身についての情報をコントロールすることを意味する。そして,プライバシーとは,自分に関する情報を誰がどこまで知ることができるようにするかを自ら決断することだ。こうしたコントロールを行う——自らのプライバシーを楽しむ——ために,嘘をつく必要はない。しばしば親は,「いいかい,お前には関係のないことなんだ。そんなことは訊かないでくれ」とやさしく,あるいはきつい口調で言うが,子どもも時には親に対して同じことを言う権利がある。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.152-153

嘘は悪い

重要なのは,4歳という幼い時分から,ひょっとするともっと早くから,誰かを欺こうとする意図を抱くのは悪いことだというのを子どもたちが知っているという点だ。ごく幼い子どもたちは,年上の子どもたちや大人たちよりも嘘を非難する。とある研究者の言葉を借りれば,幼い子どもたちは“真実の狂信者”なのだ。確かに,幼い子どもたちは年上の子どもたちよりも,嘘をよくないことだと考えることが多い。たとえば,5歳児のうち92パーセントが,嘘をつくのはつねに良くないことだと述べた。だが,11歳になる頃までには,この数字はたったの28パーセントに減少していた。また,そうした変化に応じて,5歳児ではその75パーセントが自分は決して嘘をつかないと述べたのに対し,11歳の子どもたちでは,そんなふうに自らの美徳を言い立てる者は1人としていなかった。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.124

話し合うべき

幼い子どもたちは大変無邪気なので嘘などつけないと思っている人たちがいる。また,嘘をつくことが可能ならばそうするだろうが,その能力に欠けていると考える人たちもいる。証拠が示すところでは,子どもたちは,大部分の大人たちが考えているより早い段階で嘘をつく能力を身につける。
 ある子どもたちは,4歳になる頃までに,あるいはもっとい早い段階から嘘をつくことができるようになり,実際に嘘をつく。そういう子たちは,単に間違いを犯したり空想を現実と取り違えたりしているのではなく,意図的に欺こうとしているのだ。
 この年齢での嘘は,取り立てて困った問題というわけではない。子どもたちは皆,そして大部分の大人たちも,時には嘘をつく。しかしながら,子どもが頻繁に嘘をつく場合,とりわけ長期間にわたって嘘が認められる場合には,親は心配して然るべきである。最初に嘘が発覚した時,親は嘘をつくことで生じる道徳的な問題を子どもと話し合うべきだ。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.116

嘘の役割

重要なのは,子どもの反社会的な行動の発達に,嘘がどんな役割を果たしているかということである。嘘をつくことはさらに深刻な問題の兆候なのだろうか,それとも続いて起こる問題の原因なのだろうか?嘘をつくこととは単に,面倒を引き起こす子どもたちがやらかすことの一部に過ぎないのだろうか?利口ぶった子が,教師が背中を向けている最中に紙つぶてを投げたとしよう。こうした推理に従えば,面倒を起こそうとしている子どもたちは嘘をつくだろうが,嘘をつく子どもが皆面倒を起こすとは限らないと言えるだろう。
 それとは反対の見方では,嘘をつくことは子どもを反社会的な行動パターンへと導く第一歩であり,ひょっとしたら非常に重要な一歩かもしれないと考える。嘘をつくことは,子どもが悪い方向へ向かっていることを示すもっとも想起の兆候の1つなのかもしれない。責任を回避する,罰を逃れる方法を学ぶ,成功するためにおべっかを使うといったことは子どもに他のルールを破ることを教えるのかもしれない。嘘をつくことは,問題が持ち上がろうとしていることを示す前兆かもしれないのである。子どもが嘘を隠し通した場合,それによって別の反社会的行動に関わる危険を冒すことになるのかもしれない。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.109-110

片親の場合

ハーツホーンとメイはまた,嘘をつく子どもたちの多くは親による監督が行き届いていない家庭の出身であることを発見した。これは,最近行われた4年生,7年生,10年生の少年たちの嘘に関する研究においても見出された。片親の家庭,あるいは両親が不幸な結婚生活を送っている家庭に暮らす少年たちは,より頻繁に嘘をついていた。ちなみに,結婚生活が上手くいっていない場合には,家庭に両方の親がいても利点にならない。こうした不幸な結婚生活は片親の家庭と何ら変わりがない。子どもたちが嘘をつくかどうかという観点からすれば,いずれも幸福な結婚生活を送る家族よりは不利な環境といえる。
 片親の家庭はほとんどが母親と子ども(父親はいない)の家庭である。そこでは子どもたちに対する監視があまり行き届いていない。母親が手を焼くのはほとんどの場合息子との関係で,とりわけ息子が思春期に達すると苦労する。そうした家庭の子どもは,親よりも仲間に感化されやすいのだ。そのような少年たちは仲間と徒党を組み,反社会的な行動に走りやすい。重要なのは,家庭の所得レベルや親の教育レベルを考慮に入れても,結果に変わりがなかったことだ——つまり,同じような低所得の家庭でも,母親だけの世帯に暮らす子どもは両親が揃った家庭の子どもより多くの問題を抱えていたのである。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.92-93

問題があるときは

嘘をつくことは不適応の特徴なのか,それとも原因なのかという問題に話を戻すと,以上の研究成果だけでは,いずれとも決めがたい。どちらにしても,頻繁に嘘をつくことは危険な徴候である。もちろん,それだけが唯一の要素ではないかもしれない。不適応であることを示す指標は他にもあるかもしれない。それだけが唯一の要素ではないかもしれない。不適応であることを示す指標は他にもあるかもしれない。しかし,もしあなたの子どもが度々嘘をつくなら,そして嘘が(からかいや遊び半分ではなく)長期間続くようなら,あなたはそのことを真剣に受け止めるべきである。人を騙すことがあなたの子どもの典型的な行動パターンになっているようなら,多分,その理由を見つける時期に来ているのだ。真っ先に考慮しなければならないのは,あなた自身の行動が,子どもの嘘を助長してはいないかということである。あなたのルールは厳格すぎないだろうか?あなたは過保護なのではないだろうか?子どものプライバシーを侵害していないだろうか?子どもの目の前でしょっちゅう嘘をつき,嘘をついてもかまわないというメッセージを伝えていないだろうか?嘘をつくことがいかに信頼感を損ない,信頼感を欠いたままで人々が仲良く暮らしていくことがいかに難しいかということを子どもに説明してやってもらいたい。あなたがこれこれの理由で嘘を認めていないことを,子どもにしっかりと分からせてやってほしいのだ。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.83-84

ハロー効果・ホーン効果

スタウサマー-ローバー博士の研究も含め,嘘と不適応に関するこうした研究のほぼすべてはある問題を抱えている。それは,心理学者が「後光効果(ハロー効果)」と呼んでいるものに対してそれらの研究が無防備であるという点である。この言葉は,もしあなたがある人物の良い点や悪い点を知っていれば,ほかにも良い点や悪い点を持っているだろうと考える傾向があるという事実を指している。もしも,マザー・テレサは子犬が好きだろうかと尋ねたら,おそらくあなたはイエスと答えるだろう。わたしはそれを「天使の後光(ハロー)/悪魔の角(ホーン)効果」と呼んでいる。なぜなら,それは肯定的にも否定的にも作用するからである。ヒトラーは赤ん坊が好きだろうかと訊かれたら,多分ほとんどの人はノーと答えるだろう。天使の後光/悪魔の角効果はわたしたちを惑わせ,ヒトラーのような悪人ならば,赤ん坊のことを好むといったやさしさは持っていないだろうという予測へと導くのである。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.80-81

不適応の子どもたち

もっとも規模の大きい研究の1つは,精神科での治療が必要な子どもたちとそのようなケアを必要としない子どもたちに対する親たちのコメントを比較したものだ。4歳から16歳まで,延べ2600人の子どもたちが集められた。男女や白人と黒人の比率が考慮され,さまざまな社会階級を反映するように構成されていた。半数はケアにまわされる必要のある子どもたち(“不適応者”)で,残り半分はおそらく何も問題を持たないであろう子どもたちだった(“コントロール”)。
 親たちは,子どもたちの行動に関して138項目に及ぶ情報を提供した。その中に,自分の子どもたちがどの程度の頻度——度々,時々,皆無——で嘘をついたり不正を行ったりするかを尋ねる質問があった。適応障害の子どもたちについては,およそ半数が嘘をつき不正をしたという報告がなされた。その一方,コントロールの子どもたちでそうした行為に及んだのはわずか5分の1だった。適応障害者とコントロールの子どもたちの間には多くの相違が存在するが,嘘をつくという行為における不一致はその中でも最たるものの1つだった。嘘や不正行為におけるこのような相違は,社会経済的な地位,性別,人種に関わりなく認められた(不適応の子どもとコントロールの子どもとのもっとも顕著な違いが,悲しみ,不幸,抑うつといった感情や学校での成績が芳しくないという事実に反映されるのは興味深いことである)。
 どの年齢においても,不適応の子どもたちの方がコントロールの子どもたちよりも多く嘘をつくとされていたが,その差がもっとも大きかったのは16歳だった。報告によると,16歳の不適応の少年たちの90パーセント近く,そして,16歳の不適応の少女たちのおよそ70パーセントが嘘をつき不正を行っていた。それとは対照的に,年齢が同じコントロールの少年少女たちで嘘をつき不正をしたのは20パーセント以下だった。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.78-79

他の能力の場合は

ハーツホーンとメイは,頭の良い子どもたちが嘘をつくことが少ないのはなぜなのかを説明する際,社会経済的な境遇の果たす役割が大きいのではないかと考えた。より恵まれた上位中流家庭の子弟が知能テストで良い成績を収めていることをかれらは知っていたのだ。また,家庭の文化的なレベル(つまり,子どもが自然に接している芸術や音楽,文学の総量)が嘘に関連しているという証拠も握っていた。家庭の豊かさや家庭の知能指数とは別に,本人の知能指数が重要な決め手となっているのかどうかを見極めるため,かれらは,全生徒が同じように恵まれた家庭の出である私立学校に通う子どもたちを調査した。その結果,同じように家庭に恵まれていても,知能指数の程度によってカンニングするかしないかの率が変わることを突き止めた。
 なぜ,頭の良い子どもはカンニングをしないのだろうか?かれらはカンニングをする必要がないのかもしれない。自分がカンニングや嘘に頼らずとも良い成績が取れる卓越した知性の持ち主であることを知っているのだ。もしもそうした説明が正しいとすれば,自分の並外れた知力が役に立たないと思われるような状況下でテストを受けた場合,かれらも知能指数の低い子どもたちと同じようにカンニングするかもしれない。ハーツホーンとメイはそう推測した。驚くまでもないが,パーティゲームや運動能力測定,あるいは機械の技能テストにおいて不正をするかどうかは,知能指数の善し悪しに関係ないことをかれらは発見した。つまり,こういうことだろう。どんな才能であれ,何かに秀でた才能を持っている子どもは,その才能が成功を保証してくれる可能性が高ければ,ごまかす確率は低いということである。運動能力に恵まれた子どもなら,運動能力がテストされる場合に不正をする可能性は低いはずだとわたしは考えているが,私の知るかぎり,こうした研究を行った者はまだいない。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.71-72

知能の影響

平均以下の知能指数の者は,正直な子どもよりも嘘をつく子どもの方に多く見られた。もっとも知能指数が低い子どもたちのうち,およそ3分の1が嘘をつきカンニングを行っていた。また,もっとも知能指数が高い子どもたちの中に,嘘をついたりカンニングをしたりする者は1人もいなかった。こうした2つの極端な例の中間に位置する子どもたちの場合でさえ,数値は一貫して,知能指数が高いほど嘘をつく子どもの占める割合が低くなることを示している。つまり,頭の良い子どもほど嘘をつく割合は少ないという結論が出されたのだ。このことは,過去50年間に行なわれてきた子どもの知能に関する研究のほぼすべてで確証されてきた。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.71

嘘の動機

要約すると,嘘をつくことには数多くの動機が存在している。

 ■懲罰を受けるのを避けるため
 ■他の方法では得られないものを得るため
 ■友人をトラブルから守るため
 ■自分自身や他の人を危害から守るため
 ■他人の賞賛や関心を勝ち取るため
 ■場が白けるのを避けるため
 ■恥をかくのを避けるため
 ■プライバシーを維持するため
 ■権威に対して自分の力を示すため

 これらは単に嘘をつく動機であるだけでなく,子ども,親,教師らによって,そしてなぜ子どもが嘘をつくのか研究をしてきた専門家たちによって報告されているもっともありふれた動機なのである。これらの嘘の動機は,どれ1つとして子どもに特有のものではない——つまり,それらは大人が嘘をつくときの動機でもあるのだ。だが,子どもの年齢が上がると,幾つかの動機が他のものより重要性を増す。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.61

両論

親たちに対してわたしが行ったインタビューが示唆するところによれば,かれらの大半は,両親の犯した罪を子どもが密告することが正しいことなのかどうかについて,子どもたちと話し合ってはいない。子どもたちは,両親のどちらかが隠れてタバコを吸ったり,誰かといちゃついたり,あるいは速度違反の切符を切られたりすることをもう片方に知らせるべきなのだろうか?親たちは,告げ口屋になってはいけないと子どもたちに伝える一方で,自分たちが情報を要求した時には兄弟たちの悪事を密告するよう期待する。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.44

三つ山課題

近代発達心理学の祖ともいえるジャン・ピアジェは,三つ山課題という実験を考案した。子供に3つの山のある風景の三次元模型を見せ,他のところから山がどのように見えるかを尋ねる。たとえば「君の正面に座っている子には,どのような物が見えているだろう?」と尋ねる。ピアジェはこの作業が,特定の発達段階に達する前の子供にはひどく困難なものであることを発見した。現実的な意味で,子供たちは自分の視点に閉じ込められているのだ。年長の子供になると大人に近づいて,他の場所からの視点を取り入れられるようになる。
 私からすると,幼い子供がこの三つ山課題を「できない」ことではなく,大人にはそれが「できる」ことのほうがおどろきである。これはつまり,私たちは物理的な空間という限界から飛び出せるようになったということに他ならない。私の体はパソコンの前のこの椅子に固定されていても,私の頭の中身は廊下を通ってキッチンへ行ったり,道路へ出て海岸に行ったり,空の高いところから地上を見下ろしたりできるのだ。そしてそれぞれの視点から見える光景の中で,自分の「体」がどこにあるのか,だいたいの場所を判断することができるのだ。

コリン・エラード 渡会圭子(訳) (2010). イマココ:渡り鳥からグーグル・アースまで,空間認知の科学 早川書房 pp.132-133

モンスター

最近学校で,「モンスターペアレント」,すなわち子どものことで理不尽な要求を出す親について,問題提起がなされています。学校側に問題があることもありますので,学校側が話し合いに応じて改善していく姿勢が必要なことはもちろんですが,学校教育にすべての責任を転嫁する親もいます。そのような親は,実際は自尊感情が低い人も少なくないのではないかと思います。虚栄を張ることによって,何とか自尊感情を回復する。学校では時間をかけて説明を繰り返しますが,それでも納得しません。このような親が多数存在すると,学校運営に支障を来します。こういった問題への対応を司法関係者にゆだねる教育委員会もありますが,同時に自尊感情という観点で心理カウンセリングを行う必要もあるのではとも考えます。

古荘純一 (2009). 日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか:精神科医の現場報告 光文社 pp.113-114

低いまま

私がいつも気になるのは,今子育てをしているお母さん・お父さんたち自身が,自尊感情を保てていないのではないか,ということです。第2章でお示ししましたQOL尺度調査は,高校1年生までの結果です。子ども自身が答えたQOLは高校1年生が最も低く,なかでも自尊感情の低下が目立っています。その後,高2,高3と,学年が上がるにつれてQOLが改善していくことを願いたいのですが,そのままの低い状態で社会参加したり,家庭で子育てを行うことになると,自尊感情は回復しないのではないかと危惧しています。

古荘純一 (2009). 日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか:精神科医の現場報告 光文社 pp.112

要因

自分で自分を認めたいと思っていても,他人に悟られる場面では自尊感情を高めることができないのが日本人の傾向です。しかしこのような抑圧された本心は,どこかで回復する必要が出てきます。小さくても希望や生きがいがあればよいのですが,それがはっきりしないと,その抑圧された本心は,周囲の人間,特に自分よりも立場の弱い人間に向かうことになります。典型的には,親の本心が,自分の子どもに向けられる,ということが起こります。自分の子どもはこのように育って欲しい,こんな思いはして欲しくない,という感情です。
 子どもたちにしてみれば,自分自身の本心を出すことには自重を求められるだけでなく,少子化の影響で親のみならず祖父母たちの一方的な期待(子どもたちにとっては要求)を背負うことになります。この期待—今のままではなく,もっとこうなって欲しいという過剰な期待—が,子どもたちの自尊感情を低めるひとつの要因にもなっているように思えるからです。

古荘純一 (2009). 日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか:精神科医の現場報告 光文社 pp.45-46

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