I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「発達心理学」の記事一覧

子供の欲求優先

 今日ほど子供の欲求が最優先されている時代はない。親は,自分では答えられないほど幼い子供が相手でも,始終子供におうかがいを立てる(「夕食は何を食べたい?」「おばあちゃんとお話ししたい?」「公園に行きたい?」)あるとき飛行機のなかで,就学前くらいの男の子が楽しそうにDVDを見ていた。母親が自分のヘッドフォンをつなぐと,その子はヘッドフォンを取り上げて「ダメ,ママは見ちゃいけないの」とわめいた。そのときの母親の対応は呆気にとられるようなものだった。3歳の子供に「ごめんなさいね」と言ったのだ。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.89-90
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ハイパーノーマル刺激

 より一般的に言えば,現代生活は進化心理学者が「ハイパーノーマル」刺激と呼ぶ,普通の生活ではあり得ない「完全無欠な」刺激に満ちている。解剖学的にあり得ないプロポーションのバービー人形,エアブラシで補正されたモデルの顔写真,ポップでテンポのよいMTVの画面転換,ナイトクラブの人工的なドラムビート。こうした刺激は祖先の世界にあったどんなものより純粋な喜びをもたらしてくれる。ビデオゲームがもっともいい例だ。私たちがゲームを好むのは,それが自分が何かを支配しているという感覚を与えてくれるからだ。難しいゲームも難関をクリアできる限りにおいては好ましいが,その感覚が消えたとたんに興味は失われる。公平に思えないゲームが面白そうでないのは,自分が進歩したという感覚をもたらしてくれないからだ。ゲームはレベルが上がるごとに満足感が強まるようにつくられている。ビデオゲームは支配欲にかかわるだけではない。その強化にかかわっている。この,技巧を習得すると報酬を与えるという自然過程のハイパーノーマル版は,習熟度に応じてできるだけ頻繁に快楽を与えるようにデザインされている。ビデオゲーム(業界がその開発・製造に年間数十億ドルをかける)が一部の人にとって実生活より楽しいと感じられるものにまでなったなら,それは遺伝子にとって死活問題だ。これらのゲームは快楽を見つける私たちのメカニズムに生得的な隙があることを利用しているからである。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.192-193

子どもが障害を持った時

 わが子に障害があることを知った親は,大変なショックを受ける。人の子の親となれば誰しも,わが子が初めて歩けるようになる日,入学式,卒業式,初デート,成人式,結婚式といった人生の節目となる出来事を思い浮かべ,子どもがすくすくと成長していくことを心から祈るものだ。そして,漠然とした遠い将来のことではあるが,子どもより先に墓に入りたいといったことまで考える。ところが,子どもの目や耳が不自由であったり,子どもが身体障害のために歩けなかったりすると,こうした楽しみな将来が消えてなくなってしまう。彼らは,自分の子どもが健康で自信と誇りに満ちあふれた大人になることを想像できなくなり,代わりに車椅子,白い杖,補聴器,たどたどしい発話,一生誰かに頼って生きていかなければならないことなど,マイナスのイメージを頭に浮かべてしまうのだ。ぼくの両親は,絶望的な気持ちになり,何日間も悩み続けた。
 だが,生まれつき耳が不自由な子どもにとって,教育熱心な親をもつことは大変なプラスになる。ぼくの母は,大学で視覚障害教育を専攻した。乳は児童心理学者だった(今もそうだ)。彼らは,聴覚障害の専門家を探し,残存聴力を補強するための手段について学び,どのような選択肢があるかを調べる作業に取りかかった。ぼくに手話を習わせることも検討したが,結局,ほかの選択肢がすべてうまくいかなかったときの最後の手段とすることにした。両親は,ゆくゆくはぼくに特殊教育ではなく通常教育を受けさせ,ぼくが普通の暮らしを送れるようにしようとした。なんとかして普通に英語を話せるようにすることはできないか,聞き話す能力をもつ人たちに開かれているチャンスをつかめるようにすることはできないかと,真剣に考えてくれたのだ。

マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.53-54

ふと耳にする

 難聴だったことも,ぼくがコンピューターにのめり込んだ理由のひとつだ。ぼくは成長の過程で,人間関係の潤滑油になるような気配りや言葉かけを身につけるのが異常なくらい遅かった。社交術は一種の社会規範であり,社会規範とは本来誰かから教えられるものではなく,ふと耳にするなかで自然に覚えていくものだ。ところが,難聴だと,この「ふと耳にする」ということができない。ほかにどれほどすぐれた能力をもっていても,これだけは絶対に無理だ。ぼくは,世間の人たちが週末になるとパーティに出かけるということを,高校生になるまで知らなかった。仲間付き合い?異性との交際?どちらもぼくにはさっぱり縁がなかった。

マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.33

興味と褒美

 あなたの子供に何かやらせたいと思ったとき,子供がすでにそれに興味を持っていたら,それに対して褒美をあげると約束するのはあまりよい考えではない。
 私は発達心理学者のマーク・レッパ―やデイヴィッド・グリーンと一緒に,保育園児の園児が,マジックペンで絵を描くという新しい作業に取り組む様子を観察した。ほとんどの子供はマーカーで絵を描き,明らかにその作業を楽しんでいた。その後,一部の園児に,マジックマーカーで絵を描いたら褒美をあげると約束すると,園児たちは喜んで絵を描いた。2週間後,再び子供たちにマジックマーカーを渡した。以前に褒美をもらった子供は,もらわなかった子供に比べて絵を描くことが少なく,絵の出来も劣っていた。
 「契約」によって,遊びだったものが課題になってしまったと言える。褒美を約束されなかった何人かの子供の絵を褒めたところ,その子供たちは,褒美ももらわず褒められもしなかった子供より多くマジックマーカーで遊んだ。したがって,子供に何かをさせたければ,やったときに褒めるべきだ。やったら褒美をあげると約束してはならない。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 238-239
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

子どもの自制心

 残念ながら,子供の自制心を高める方法がわかっていると自身を持って言うことはできないが,研究によっていくつか手掛かりは得られている。出来に関係なく自分に報酬を与える大人を見た子供は,自分にもそうすることが多いことがわかっている。出来のよかったときにだけ自分に報酬を与える大人を見ると,子供もそうする。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 235
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

3歳までの回数

 第5章で紹介したハートとリズレーによるカンザス州の家族の調査では,どの集団においても,親が子供に温かく接するか罰を与えるかについて,極めて大きな違いがあった。前に述べられたように,専門職の子供は1回叱られるごとに6回励まされ,労働者階級の親の子供は1回叱られるごとに2回励まされる。しかし,生活補助を受けている黒人の親の子供は,1回励まされるたびに2回叱られる。専門職の白人の子供は3歳になるまでに,励ましの言葉を50万回,気落ちする言葉を8万回聞く。一方,生活補助を受けている黒人の母親の子供は,3歳になるまでに,励ましの言葉を約7万5000回,叱る言葉を20万回聞く。
 さまざまな理由から見て,こうした違いは認知発達に極めて重要な影響を及ぼすと考えられる。そして,このように子供を気落ちさせるという黒人の育児の特徴は,少なくとも1980年代には,中流階級の黒人の親にもある程度当てはまっていたことがわかっている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 145-146
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

労働者階級の場合

 労働者階級の子供も読んだことについて質問されるが,本の内容と外の世界を結びつけることにはあまり努力が払われない。本にアヒルの子の絵が出ていれば,母親は子供に池で見たアヒルを覚えているか尋ねるだろうが,そのとき,本に出ている黄色いふわふわしたアヒルの子と池にいたおとなのアヒルとの関係は説明しないかもしれない。3歳頃を過ぎると,読み手との会話のやりとりは奨励されず,解説や質問は邪魔だと見なされる。(フィラデルフィアでおこなわれたある研究で,社会階級による読み書き能力の差を端的に表している事実とその原因が示されている。成人のほとんどが大学教育を受けている地域では,書店に並んでいる児童書の数は子供100人あたり1300冊だった。一方,ブルーカラーのアイルランド人や東ヨーロッパ人の地域では,子供100人あたりわずか30冊だった。社会階級による読み書き能力の差をこれほどまでありのままに示した数値は,他にほとんどないだろう。)

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 112
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

上級生は恐ろしい

 当時,上級生は恐ろしい存在であった。これは,小学校,中学校,高等学校を問わない。
 上級生イコールイジメ。
 「むかしもイジメはあったが,いまのように陰湿ではなかった」
 という人が多い。テレビのコメンテーターなど,ほとんど全員がそういっているが,あれはテレビ局にいわされているか,コメンテーターがむかしのことを忘れたのだろう。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.150-151

人生と言えるもの

 家族がいたとき,生活を維持することは,それなりに意義があった。だが,ひとりになったいま,生活を維持するために仕事をするのは,意味がないのではないか。
 ぼくの命を維持するため,命を振り絞って小説を書く。無駄なことをするために,無駄な努力をするようなものだ。
 それなら,最初から仕事などしなければいいのではないか。
 10年まえ,20年まえ,仕事と生活と楽しみが噛み合っていた。それらをひっくるめたものが『人生』で,迷いなどまったくなかった。
 80歳になると,人生といえるものがなくなってしまった。
 もうそろそろ,“お開き”にしたほうがいいのではないか。
 そう考えるようになった。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.143

分類する心

 わたしたちは幼いときから,自分の周囲の世界を,自分の好みに応じて分類する作業を始める。「アイスクリームが好き。芽キャベツはきらい。サッカーは好き。宿題はきらい。海賊が好きだから,大きくなったら海賊になりたいな」。このプロセスは,年をとるにつれてますます複雑になるが,わたしたちが自分自身に対して持っている基本的前提は変わらない。「わたしはどちらかと言えば内向的だ」,「わたしはリスクテイカーだ」,「旅行は好きだけど,短気で空港セキュリティの煩わしさには耐えられない」。わたしたちが目指すのは,自分自身と世界に向かって「わたしはこういう人間だ」と宣言し,それを正当な評価として認めてもらうことだ。究極の目標は,自分自身を理解し,自分の本当の姿を,つじつまの合った形で描き出すことなのだ。
 しかし人間は,一生の間に大いに発達し変貌を遂げる,複雑な存在だから,いつもそう簡単に,自分の積み重なった過去を理解できるわけではない。記憶や活動,行動が積み重なった厚い層の中から,自分の中核を象徴するものを何とかして選び出さなくてはならない。だがそうするうちに,さまざまな矛盾がいやでも目につく。たしかにわたしたちは自分の意志で行動することが多いが,諸事情からやむを得ず行動することもある。たとえばわたしたちの職場でのふるまいのうち,服装の選び方や上司に対する話し方などは,家族や友人に見せるふるまいに比べて,ずっと堅苦しく,保守的なことが多い。わたしたちはこうした食い違いや曖昧さが入り混じったものをふるいにかけて,なぜ自分がそのような選択を行ったかを自覚し,その上で将来どのような行動をとるべきかを決めなくてはならないのだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.121-122
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

生命の理解

 それでは,子どもたちはいつ,どこから,生物学の知識を仕入れるのだろう?ハーバード大学の心理学者スーザン・ケアリーが主張するところによると,子どもたちは生物の理を理解するまでには比較的長い時を要する。鳥と飛行機,犬と猫を選り分けられるとはいえ,その類の分類は単純なパターンを発見しているにすぎず,生物学を深く理解していなくてもできることだそうだ。生物について理解するには,生命とは生存している状態であること,それには目に見えないプロセスが伴うことを正しく認識しなければならない。ケアリーの推定によると,生きているとはどういうことかを子どもたちが理解し始めるのは,6歳ないし7歳になってからである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.221
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

手品が分かるか

 ロシアの心理学者ユージン・サボツキーは,単純な手品を使って幼児が魔術的思考をしていることを明らかにした。箱の中に切手を1枚入れて,彼ならではの訛りの強いロシア語でブツブツと呪文をつぶやき,箱を開けると2枚に切れた切手が現れる,という手品である。幼児たちは,破れた切手は元の切手と同じで,このロシア人が呪文で真っ二つにしたのだと信じた。年長の9歳児や大人たちは,切手をすり替えたに違いない,小さい子どもはだまされやすいからと言った。だが,大人はそれほど世の中のことに確信を持っているのだあろうか?この茶番は全部トリックだと思いながらも,サボツキーの箱にパスポートや自動車の免許証を入れるのは嫌がったのだから。万が一と思うと,リスクを冒せなかったのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.167
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

子どもの分類

 子どもたちは生まれつき,世界をさまざまな種類のものに分類する。分類の境界線をどこに引けばよいかよく分からなかったり,ある領域の属性を誤って別の領域のものと判断してしまったりすると,超自然的な思考を持つようになる。たとえば,おもちゃ(物理的属性)は夜になると動き出して(生物学的属性),感情(心理的属性)も持つようになると子どもが考えているなら,これは物事の自然な秩序に反することだ。思考が人の心から心へと伝わると思っているなら,思考とは何か,どこから生まれてくるのかを誤解している。幼い心で分類したカテゴリーの属性が一緒くたになってしまうと,超自然的な思考につながるのだ。動くうえに感情もある無生物ときたらマジックだ。人の心から心へと伝わる思考は別名,テレパシーという。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.161-162
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

カモにされる親

 最新の研究の成果に煽られて,欧米では多くの親たちが我が子を,無限の思考能力と学習能力を備えたミニ天才とみなすようになった。今では,子どもに人生の最高のスタートを切らせてやりたいという親心につけ込んだ,幼児学習・教育の一大産業が花開いている。この親たちが考えている“人生の最高のスタート”とは,実は,我が子が隣の子どもより賢いと確かめることなのである。彼らが「ベイビー・アインシュタイン」や「ベイビー・バッハ」,「ベイビー・ダ・ヴィンチ」,「ベイビー・ヴァン・ゴッホ」,「ベイビー・ニュートン」,「ベイビー・シェイクスピア」といった商品を鵜の目鷹の目で探しているのを見るにつけ,親の期待が少々,非現実的なところまで高まっているように思えてならない。ちなみに,2007年に実施された幼児向けビデオとDVDに関する研究では言語発達障害との関連が報告されて,「ベイビー・アインシュタイン」の著作権を所有しているウォルト・ディズニー・カンパニーを激昂させた。
 子どもの将来の所得能力を向上させる商品を売りつけたい者にとっては,親はいいカモだ。脳の視覚野を刺激しようと,ベビー・ベッドの上に吊るす白黒のモービル(不要)を買い,多感覚入力によって眼と手の協調性を高めるために,中に鈴が入った口に入れても安全なおもちゃを買い(不要),集中力がアップするというモーツァルトの曲のカセットを買い(作り話),赤ちゃんに読み方を教えるフラッシュ・カードを買い(あり得ない),情報に飢えた赤ちゃんの脳を満足させるために,赤ちゃんが何時間もぶっ通しで眼を丸くして眺めるというDVDを買う(不要)。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.135-136
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

子供の嘘

 子どもの嘘に関しては,興味深い実験がある。大好きなおもちゃを「見てはだめ」と言われたら,どうするかという実験だ。まず,子どもを実験室に招き入れ,一方の壁に向かって立っているように言う。実験社は,「これから,君の後ろにすごいおもちゃを置くよ」と言っておもちゃを置く。その後,実験者は,「ちょっと外へ行ってくるけど,振り向いておもちゃを見てはだめだよ」と言って,出て行く。子どもの様子は隠しカメラで撮影されている。数分後に実験者が戻ってきて,「おもちゃを見た?」と訊くと,3歳児は,ほとんどが見ているのに,そのうち半数は「見ていない」と言う。5歳児になると,全員が見て,全員が嘘をつく。この結果,「人はしゃべれるようになると嘘をつきはじめる」ことがほぼ確実と言える。また,驚くなかれ,親は自分の子どもが嘘をついている映像を見せられたとき,嘘をついているのか,本当のことを言っているのか,見抜くことができない。

リチャード・ワイズマン 殿村直子(訳) (2008). Qのしっぽはどっち向き?:3秒で人を見抜く心理学 日本放送出版協会 pp.62-63

夫婦のあり方

 うまくいっている夫婦は,自分を甘やかすような考え方を相手にも当てはめようとする。お互いの間違いは状況のせいであり,思いやりのある優しい行為はその人柄によるものなのだ。相手が分別のない行動をしたり不機嫌なときは,相手のせいではない何かの出来事による結果だとして考慮の対象外とする。「かわいそうに。ものすごいストレスの毎日なのね」「あんな言い方をしたのもわかるな。何日も腰痛のひどい日が続いていたのだから」と考えるのだ。しかし何かすてきなことをしてくれたら,優しくて愛らしい性格ゆえと考える。「あの人ったら,誕生日でもないのに花を買ってきてくれたわ。なんてすてきな人なの」と妻が思えばいいのである。
 幸せな夫婦は相手に対して,「疑わしきは罰せずの法則」を適用し,つまり不確かなときは相手に有利なように考えるようにし,不幸な夫婦はまったく逆のことをする。不幸な夫婦は,片方がすてきなことをしてくれても,単なる気まぐれだとか,しかたなくやったことだとしか考えない。「そうね,たしかに花を買ってきてくれたわ。でもきっと会社じゅうの男性が奥さんに花を買っていったのよ」。そして勝手なことや迷惑なことをされると,人間性の欠点が原因だと考える。「あんな口の効き方をするなんて,どうしようもない女だからなのさ」。家じゅう自分を追い回して,話をしてと迫るデブラについて,頭のおかしな人間のするようなことをしているとフランクは言わなかったし,自分が口を利かないのを不満に思ってそうした行動をしたとも言わなかった。彼は妻のことを頭のおかしな人間だと呼んでいるのだ。デブラも,外食のあとで会話を避けようとする夫について,疲れているからとか,1日の最後を言い合いで終わりたくないからだとは考えない。夫はネクラで退屈な人間だと彼女は言っている。

キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.223-224
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

子どもの正当化

 子どもは早い時期に自分の攻撃的な行動を正当化する方法を覚える。弟や妹をぶって泣かせてしまうと「あっちが先だよ!だから,ぼくがぶったんだ!」とすぐに主張する。たいていの親はこの種の子どもっぽい自己正当化になど意味はないと思うし,実際,たいていは無意味な正当化である。しかし,弱い者いじめをする少年たち,従業員を虐待する雇用者,互いを傷つけ合う恋人たち,抵抗をやめた容疑者をいつまでも殴り続ける警官,マイノリティの人々を投獄し拷問にかける独裁者,一般市民に残酷な行為をおこなう兵士にも,同じメカニズムがはたらいているとわかれば,ぞっとしないだろうか。どの例でも悪循環が始まっている。攻撃的行為が自己正当化を生み,自己正当化がさらなる攻撃性につながる。ドストエフスキーはこうした過程を熟知していた。作家は,『カラマーゾフの兄弟』で,兄弟の父親で一筋縄ではいかない人物のフョードル・パヴロヴィッチにはこう述懐させる。「彼はかつて『なぜそれほどまでに憎むのか』と訊かれたことがあった。そこで彼はお得意のあつかましさで答えたものだ。『教えてやろうか。あいつはおれに何も悪いことなどしていない。なのに,おれはあいつを汚い手で,はめたんだ。だからあのときから,おれはあいつを憎むことにしたのさ』」


キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.40-41
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)

成熟は続く

 「成熟は10歳では終わらず,10代から20代に入っても続いている」と国立精神衛生研究所のジェイ・ギードは言う。4歳から21歳までの145人の健康な脳をMRIで調べたギードは,前頭葉の灰白質が11歳から12歳の頃に増大していることを発見した。「いちばん驚くのは,灰白質の過剰生産の第二の波がやってくることです。これは生後18か月で終わると考えられていたもので,そのあとは目立って低下します。思春期に第二の創造の波が押し寄せるようだが,これは新しい枝が伸びて結合し,その後に刈り込まれることと関係しているのでしょう」
 胎児期の発達と同じで,10代においても,認知やその他の能力を支えるシナプスは使われれば残り,使われなければ消える。使われない回路を組織的に廃棄していくからこそ,刺激を受ける神経ネットワークの効率が上昇するのだろう。言い換えれば,若者が積極的に取り組む行動を支えるネットワークが効率化するということだ。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.135-136
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

よく使えば

 言語の発達に関して指導的な権威であるパトリシア・クールが,おもしろい研究結果を発表している。日本人の成人と子どもが音素を聞き分ける能力を調べるため,彼女はさまざまな音のCDを作って,東京にある言語研究所を訪ねた。テストをする前に,彼女はまずCDを日本人研究者に聞かせた。「rake,rake,rake」という音がヤマハの高級スピーカーから流れ出し,パトリシアと同僚たちはいつ音が変わるのだろうと耳を澄ました。CDの音はやがて「lake,lake,lake」に移行した。しかし日本人研究者たちは全員英語が堪能だったにもかかわらず,まだ期待に満ちて耳を澄ましたままだった。lakeとrakeの音の違いがわからなかったのだ。
 この違いは脳にある。ある言語の音を聞いて育った子どもたちは,その音専用の聴覚野の回路を形成する。ワシントン大学教授であるクールの地元シアトルでは,子どもたちの脳はrとlは別の音だという経験によってできあがっている。では脳はいつ,そのようにつくられるのか?
 クールがテストした生後7ヶ月の日本人の赤ちゃんは,rとlを難なく区別した。だが10か月になると,おとなと同じで聞き分けられなかった。クールがカナダ英語を話す家庭で育った子どもを対象に同じようなテストをしたときも,同じ結果が出た。生後6ヶ月の赤ちゃんは,日常的には聞いたことのないヒンズー語の音の違いを聞き分けることができた。だが12か月になるともう聞き分けられない。6か月から12か月のあいだのどこかで,赤ちゃんの脳には「使わないとすたれる」というシナプス刈り込みのプロセスが始まるのだろうとクールは考えている。聴覚野は,日常聞くことのない音素に対する知覚力をなくす。だから思春期を過ぎてから外国語の勉強を始めた子どもは,めったにネイティブのように話せるようにはならないのだろう。
 ところで,逆もまた真なのである。よく使われる結合は強化され,神経回路の永続的な要素になる。新生児の脳では毎日,何百万もの結合がつくられている。見るもの,聞くもの,感じるもの,味,匂い,すべてが新生児の脳の回路を形成する可能性をもっている。脳の回路は文字どおり経験によってできていく。光景,音,感情,思考が皮質の神経回路に痕跡を残し,その痕跡がある場合とない場合では,未来の光景,音,感情,思考,その他のインプットや精神活動の体験が変化する。幼児の場合,毎日聞いている音素がその音に対応する聴覚野のシナプスを強化するのだろうとクールは考えている。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.125-126
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

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