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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

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4つの気質

さて,クロニンジャーのパーソナリティ理論には,「新奇性探究」「損害回避」「報酬依存」「固執」の4つの気質が想定されています。「新奇性探究」は,車に例えると,アクセルに近い働きがあります。そして,「損害回避」とは,車に例えれば,ブレーキの働きに似ているといえます。もっとも,実際には,目の前にある危ない(かもしれない)ものを避けるために止まるだけでなく,避けて別方向に動いたりもします。

木島伸彦 (2014). クロニンジャーのパーソナリティ理論入門—自分を知り,自分をデザインする— 北大路書房 pp.15
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サリアンス

気質は,性格に対して,サリアンスとよばれる効果をもたらします。サリアンスとは,顕現性と訳されることもあり,この文脈では,潜在的に様々な経験をする可能性から,実際にどのようなことを経験することになるのか,つまり,顕現化させるのかに,気質が関わってきます。例えば,学校に入学したとき,潜在的には非常にたくさんの友だちをつくることもできるのですが,実際には驚きやすい傾向の人は,あまり積極的に友だちをつくろうとせず,友達になる数も少ないかもしれません。このように,気質が自分の経験する環境を彩り,結果として,性格の形成に影響を与えると考えるのです。

木島伸彦 (2014). クロニンジャーのパーソナリティ理論入門—自分を知り,自分をデザインする— 北大路書房 pp.11

クロニンジャー理論の特長

このクロニンジャーの理論の特長としては,次のことがあげられます。

(1)学習理論に基づいている
(2)遺伝子との関連性が想定されている
(3)性格は,変容・成長すると想定している
(4)多くの精神疾患との関連性が想定されている
(5)結婚・犯罪等,人間の生活と性格との関わりを明確にできる


木島伸彦 (2014). クロニンジャーのパーソナリティ理論入門—自分を知り,自分をデザインする— 北大路書房 pp.7

勇気の要素

シンシア・プリーらは,勇気を「一般的勇気」と「個人的勇気」の2つに分類しています。一般的勇気とは,私たちが一般的に勇気について想像するものです。それは,人々を驚かせ感銘を与える,劇的かつ大胆な行為です。たとえば,負傷した仲間を救うために銃弾の嵐の中に飛び込んでいく兵隊,子どもを救うために凍るように冷たい川の中に飛び込む親,会社の不正を内部告発する従業員,熊に向かって叫び声をあげ,キャンプ場から追い払おうとするキャンパーなどです。
 対照的に,個人的勇気は,「その個人にとって恐怖を感じる行為」を指します。他者が同じ行為をしても,必ずしも勇敢だと受け止められるとは限りません。
 典型例が,飛行機に乗ることの恐怖です。飛行機恐怖症の人は,飛行機に乗り込む際,他の人がまったく苦にしない行為をするために,必死に自分を奮い立たせなくてはなりません。
 個人的勇気とは,必ずしも他者のためにある必要はなく,自分自身にとって勇敢な方法で行動することです。人から見れば恐怖ではないことも,自分にとっての「個人的な恐怖に打ち勝つこと」を意味するのです。

ロバート・ビスワス=ディーナー 児島 修(訳) 2014). 「勇気」の科学:一歩踏み出すための集中講義 大和書房 pp.46-47

勇気とは

勇気について,これまでに見てきたすべての概念を考慮することで,さらに明確な定義が可能になります。

 「勇気とは,危険,不確実性,恐怖があるにもかかわらず,道義的で価値ある目的に向かっていく行動意志である」

 この定義を注意深く見てみると,要素の一部は個人の外側にあることがわかります。結果の不確実性と危険は,たいていは外的な要因によって生じます。
 一方,行動意志と恐怖の存在は,個人の内側で生じる要素であるため,外的な要因に比べてコントロールしやすいものだといえます。

ロバート・ビスワス=ディーナー 児島 修(訳) 2014). 「勇気」の科学:一歩踏み出すための集中講義 大和書房 pp.40

ロバーツの研究

パーソナリティ心理学の領域で,勤勉性の研究の第一人者といえばブレント・ロバーツである。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の教授で,経済学者のジェイムズ・ヘックマンや心理学者のアンジェラ・ダックワースとも共同研究をしたことのある人物だ。ロバーツの話によると,1990年代後半に彼が大学院を出て専門の研究分野を決めようとしたときには,勤勉性の研究をしたがる者などひとりもいなかったらしい。ほとんどの心理学者が,勤勉性は,パーソナリティ分野の「厄介者」であると思っていた。多くはいまでもそう思っている。文化の問題だ,とロバーツは説明する。「性格」という言葉とおなじように,「勤勉性」という言葉にも,強い,そして必ずしもよい意味でない連想が働く。「研究者というのは自分が価値を置くものについて研究をしたがるものです」とロバーツはわたしにいった。「勤勉性を高く評価するのは知識人でも学者でもない。リベラルでもない。宗教色の濃い保守派で,社会はもっと管理されるべきだと思っている人々です」(ロバーツによれば心理学者が好んで研究するのは「未知のことに対する開放性」だそうである。「開放性はクールですからね」と彼は少しばかり悲しそうにいっていた。「独創力についての研究だから。それに,リベラルのイデオロギーともいちばん強い結びつきがある。パーソナリティ心理学の世界にいる人間はほとんどがリベラルなんですよ。いってしまえばぼくもね。学者は自分たちのことを研究するのが好きなんです」)

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.120

自信と精度は関係がない

自分の予測にどれほど自信があろうと,それはその人の真の予測能力の制度とはまるで関係がない——数々の実験がそれを裏づけている。つまり,相手の性格を見抜けるとどれほど自信満々でも,予測力の精度とはまったく無関係か,あるいは,関係があったとしてもごくわずかでしかない。これまでに誤った予測をしたことがあるから,自分は相手をまったく見抜けないとは,誰も思いたがらないのだ。だから,私も含めて誰もが,人には見込み程度の予測をする能力はあっても,確実な予測は立てられないのを科学が示していると胸に刻んでおく必要がある。そのことは,人に会って,手がかりを敏感に察知したと感じても,決して忘れてはならないのだ。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.197

暴力で命を落とす確率

研究者はある仮説を立てた——幅の広い顔の男性は攻撃的で支配的な傾向があり,ゆえに,ほっそりした顔の男性を相手にした暴力による喧嘩で勝つことが多い,という仮説だ。その仮説をもとに,アメリカで発見された無数の頭蓋骨と,殺害された人々の200以上の頭蓋骨の幅と長さの比率を調べた。殺害された人の頭蓋骨は,死因によって“接触的な暴力”と“その他”に分けられた。接触的な暴力とは絞殺,刺殺,撲殺などで,その他は銃殺や毒殺,また,死因不明などだ。
 ほっそりした顔の男性は,幅の広い顔の男性に比べて,接触的な暴力で命を落とすケースが圧倒的に多かった(女性の死因は,顔の幅と長さの比率に関係なかった)。幅の広い顔の男性のほうが体を使った喧嘩を数多く経験しているはずなのに,ほっそりした顔の男性のほうが,そういった喧嘩で死亡する確率が高いのだ。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.35

幅の広い顔

幅の広い顔の男性のほうが攻撃的という説は,私の私立探偵の友人の,面長の顔の男性に追いかけられたことはないという実体験とも一致する。その友人は「暴力的な態度を示すのは,肉付きのいい顔の男性ばかりだ」と言っていた。もちろん,100パーセントそのとおりというわけではなく,肉付きのいい顔の男性の多くは大きなテディ・ベアのようにやさしいし,ほっそりした顔なのに暴力的な男性もいる。それでも一般的には,顔の幅と長さの比率で攻撃性が予測できる。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.33

無表情の性格判断

無表情な顔写真——服装もアクセサリーも姿勢もわからない写真——でも,ある程度は性格を予測できる。1枚の写真をわずか0.05秒見せただけで,そこに写っている人物が外向的かどうかがわかる。その性格は1枚の写真からかなり正確に予測できるというわけだ。どういうわけか,私たちは無表情なチンパンジーの顔写真から,そのチンパンジーが外向的かどうかを判断できる。信じられないことだが,どうやらそういうことらしい。
 “人は見かけによらぬもの”と言うけれど,現実には,人はいつでも相手をいかけで判断していて,それが正しい場合もよくある。100パーセントの正解率とはいかないが,第一印象は本質をとらえているようだ。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.23-24

一瞬の性格判断

私たちはほんの数秒で,顔をはじめとするさまざまな手がかりから相手の性格を判断している。そしてその判断は,多くの人のあいだで一致する。あなたとわたしがある人の顔を見たら,その人が誠実か,信頼できるかなどについて,ほぼ同じ予測をすることになる。だが,ほんとうに重要なのは,相手の顔や態度を手がかりにして,性格や今後のふるまいを正確に予測できるかどうかだ。最近の科学的な研究では,いくつかの事柄が“正確に予測できる”という結果が出ている。人の顔や行動は,さまざまな意味で人となりを明かしているのだ。性格や知性はもちろんのこと,どのぐらい思いやりがあるか,あるいは,どのぐらい攻撃的かなどの手がかりになるのだ。
 それでも,人は相手を完全に見誤って,それが重大な問題を引き起こすこともある。たとえば,裁判では大人びた顔の被告に比べると,童顔な顔の被告のほうが刑を免れる傾向にある。陪審員はある種の特徴が顔に表れている被告に,死刑判決を下すことが多い——それが事実であるのは,証拠が裏づけている。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.17

事実の巧妙な歪曲

“重要な言葉を伝えずに嘘をつく”方法は,マニピュレーターがよく使う手であり,きわめて見破りにくい。同じように,“事実をねじまげて嘘をつく”方法がある。真相の大半をわざと伝えず,あるいは肝心の部分をゆがめて伝え,相手には事の真相を秘密のままにしておく。はなはだしい例では,事実だけを並べたて,嘘をでっちあげた強者がいた。真実だけを口にしてどうやって嘘をつくことができるのかといえば,話のポイントや全体像の理解に不可欠な事実を“言い忘れる”ことで相手をだましていたのだ。
 事実を巧妙に歪曲する方法のひとつが意図して意味を曖昧にしておくというもので,マニピュレーターが好んで用いる策略である。ストーリーは念入りに組み立てられているため,聞かされたほうは話の全貌を知り得たという印象を抱くが,きわめて肝心な部分が抜け落ちているので,本当の全体像など知ろうにもその手立てはない。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.165-166

エスティームとリスペクト

自己評価(セルフ・エスティーム)と自尊心(セルフ・リスペクト)については,双方のちがいをはっきりさせておくことが肝心だ。自己評価の評価(エスティーム)は,「見積もる(エスティメイト)」という言葉に由来している。自己評価とは自分に対する直感的な“見積もり”であり,その見積もりとは,人生において望みのものを手に入れるために必要な,生まれつきの才能や力量,また成功体験を本人がどのように評価したかで成り立っている。
 自力で何をなしとげられるか自覚している者,望みのものを得る力量に自信を抱いている者は強気の評価をみずからにくだせる。だが,それが真の自尊心をはぐくむかといえばそうではない。
 自尊心(セルフ・リスペクト)の「リスペクト」のそのものの意味は「回想」「追想」,つまり自尊心とは,過去にさかのぼって自分が好ましいと感じているものの評価に由来する。自分が積み重ねてきた努力,社会的に望ましいとされている目的への献身,運のあるなしにかかわりなく,みごとに達成できた業績などに根ざしているものなのだ。
 簡単に言えばつまりこうなる。自己評価の感覚は現在の自分に対する自覚から生まれ,自尊心の思いは,与えられた条件のもとで自分がなしとげたことによって決まる。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.147-148

(引用者注:self-esteemを「自尊心」,self-respectを「自己尊重」と訳すこともある)

潜在的攻撃性

潜在的攻撃性パーソナリティはあの手この手を使い,相手を一段劣った地位にとどめておこうとする。人間関係はパートナーがいて成り立ち,それぞれの言動に対してはみずからが責任を負わなければならないと考えられているが,たいていの場合,このパーソナリティの持ち主は人の弱みや不安定な感情を操ることにかけては達人であり,その正体を見抜ける人などほとんどいない。
 潜在的攻撃性パーソナリティに振り回される人たちも,相手の気をそらさない話しぶりと見た目にも魅力的な人柄に一度は惹かれた。だが,相手の正体に気がつくころには,その関係をなんとかしようとあれこれ気をもんだあげく,へとへとになっているのが普通だ。こうなってからではもはや相手の支配から逃げおおせることさえ容易ではない。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.123

潜在的攻撃性

関心が自分にしかおよばず,ひとの権利や欲求に注意が向かないタイプと,人を搾取することを常習的に繰り返し,災いをなすようなタイプを比べれば,そこに自己愛的な傾向を加えるにしろ,後者のほうはまぎれもなく攻撃的で,それが両者をわかつちがいとして存在する。つまり,人を利用することに巧みで,対人関係を操るエゴイストは,たんなる自己陶酔におぼれている人間ではなく,こうしたタイプもまた潜在的攻撃性パーソナリティの持ち主にほかならないのだ。
 潜在的攻撃性パーソナリティには犯罪者のようなタイプは皆無に近い。とはいえ,人の権利や要求をないがしろにするその良心はあまりにもゆがんでいる。人を支配し,他人を出し抜くことに必死でありながら,その行為が犯罪一歩手前,攻撃もあからさまではないということで責任を負うことから免れているだけに,このタイプには「反社会的」というレッテルを貼りたくなる。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.66-67

攻撃性パーソナリティ

アサーティブ・パーソナリティと異なり,攻撃性パーソナリティは人の権利や要求など眼中にない様子で,対人関係においては自分ひとりの目的を追い求めていく。自分の勝利に揺るぎない決意を抱き,挑戦は真っ向から受けて立ち,気は短くその視野はいたって狭い。恐怖を感知する能力や抑制のきいたコントロールも病的なまでに欠いている。支配的な地位にとことん執着し,弱者と認めた相手はこのパーソナリティ特有の軽視と蔑視で応じる。攻撃性パーソナリティとは骨の髄から“闘士”なのだ。
 また,攻撃性パーソナリティは多くの点でナルシストの特徴と一致している。そのため攻撃性パーソナリティは自己愛性パーソナリティの変形だと考える専門家もいて,実際,このタイプが自分に対して抱く過剰な自信,自己陶酔ぶりはよく知られている。関心の対象は自身の欲望やみずからに課した目的や計画と,すべては自分にかかわるものばかりだ。そして,目的の前に立ちはだかるものは,人であろうがなんであろうがその存在は断じて許そうとしない。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.52

受動攻撃性

「受動」という言葉からもうかがえるように,受動攻撃性は,攻撃行動でありながら,相手に対して露骨な攻撃を加えるような真似はしない。まるで心理ゲームのかけひきをくりひろげるかのように,相手に対して仕返しを重ねていくのがこのタイプ特有のふるまいだ。
 たとえば,相手への強力をわざと拒む。無視する。ふてくされた態度で聞えよがしに文句を言いつのる。相手に頼まれた要件は,偶然を装ってわざと“忘れる”ことも少なくない。それもこれも本人の怒りがなせるわざであり,相手の願いを聞き入れるつもりなど,このタイプの人たちは最初からもちあわせていないのだ。
 潜在的攻撃性はこの点で対照的だろう。その攻撃意図を隠したままで,きわめて“能動”的に相手に攻撃を加えようとする。周到に考え抜かれ,狡猾このうえない方法で相手に応じて自分の望みを果たしたり,あるいは相手との関係を思いのままに操作しようとしたりするが,真意を悟られるような真似は徹底的に避けようとしている。

ジョージ・サイモン (2014). 他人を支配したがる人たち 草思社 pp.25-26

正義を振りかざす

最近特に増えているのは,「正義」を振りかざして相手を追求するやり方だ。たとえば,芸能人の家族が生活保護を受給しているということを知るやいなや,「けしからん。この税金泥棒!」といった具合に相手を攻撃する。ここまでならまだ序の口だ。徹底的に糾弾するにはそれだけでは足りないと,その芸能人の出演番組のスポンサーに「降板させろ」という抗議を申し入れたり,芸能人の過去の発言を掘り起こして発言の矛盾を指摘したりと,相当な労力をかけてまでその人を攻撃しようとする。
 たしかに,生活保護は必要な人に正しく支給されなければならない。そして不正受給が後を絶たないという問題に一石を投じたという点では意味があることだった。しかし,この騒動が起こるまで,その問題と向き合っている人はどれだけいただろうか。また,騒動後も継続してこの問題と向き合っている人はどれだけいるだろうか。当時攻撃していた人たちの目的は,社会問題の根本解決にあったのではなく,自分の攻撃欲を満たすことにあったのではないかと思われる。
 実際,この騒動が収まると,次は芸能人の不倫騒動,人気アイドルの男性との交際騒動と,攻撃ターゲットはめまぐるしく変わっていった。すべての騒動に参加している人がどれだけいたかは知らないが,他人の悪を叩いた人は総じて次のような快感を得たのではないだろうか。
 「悪を叩いてスッとした。楽しかった」

片田珠美 (2013). 他人を攻撃せずにはいられない人 PHP研究所 pp.136-137

自己顕示欲求と承認欲求

目立ちたい。人から注目されたい。そんな彼らの奥深くにあるのは,自己顕示欲と承認欲求,つまり自分が認められたいという欲求であり,まさしく自己愛である。自己愛について,毒舌家のラ・ロシュフコーの言葉をここで再び引用しよう。
 「ちょうど,われわれの目に似ている。何でも見えるが,自分自身だけは見えないのだ」。自分自身が見えないのは,自己愛が「あらゆるおべっか使いのうち,最もしたたか者だ」からである。
 自己愛を満たすことしか考えていない人間の悪ふざけは,周りの人間からすれば,ちっとも面白くないし,後で問題になったらどうするの,と心配もしてしまうところだろう。しかし他人の意見に耳を貸さない人間だということもわかっているので,誰も止めようとしない。暴走しやすい環境を自ら作り出しているわけだ。
 誰かを攻撃せずにはいられない人も同様に,自分自身が見えていない。自分のやっていることは常に正しいと思い込んでいるので,誰の助言も聞き入れない。自分が痛い目に遭わない限り,攻撃を繰り返すのである。

片田珠美 (2013). 他人を攻撃せずにはいられない人 PHP研究所 pp.116-117

価値の押しつけ

自分自身の考え方や価値観を唯一最良の基準として他人に押しつけたり,自分の知識や教養をひけらかしてそれを身につけるのが当然という態度で接したりするのも,攻撃欲の強い人がしばしば用いる手法である。
 こういう人は,他人のものの見方など一切考慮せず,「説得のための説得」のような印象を与える。権威に頼ったり,脅したり,怒ったりしながら,自分の価値観を何としても相手に認めさせようとするわけである。
 相手がなかなか受け入れないと,そのせいで傷ついた,不幸になったというふうに被害者のふりをしてでも,自分の価値観を押しつけようとする。これは,自分の好みや意見,ものの見方や考え方などが普遍的で,誰にでも適用しうると確信しており,それを相手も共有するのが当然と思い込んでいるからである。

片田珠美 (2013). 他人を攻撃せずにはいられない人 PHP研究所 pp.110

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