忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

サイコパスの戦略

サイコパスの行動プロセスで使われる戦略と作戦を3段階に分けて見ていこう。ただしこれは,サイコパスの性格から自然に生じるもので,意図的というより,無意識のうちに行われる場合が多い。
 最初は(1)評価段階で,サイコパスは相手が自分の要求をどの程度満たせるのかを見きわめ,相手の精神的な長所と短所を見つける。
 次は,(2)操作段階で,慎重に練り上げたメッセージを送って,その相手(この時点ですでに犠牲者候補)を操る一方で,相手の反応を絶えずうかがいながら,支配関係をつくり,それを維持しようとする。これは,ほとんどのケースで効果的な作戦であるばかりか,対立したり抵抗されたりした際に,うまく言い逃れをしたり,その場を切り抜けたりするのに役立つ。
 最後は(3)放棄段階で,サイコパスはそのゲームに飽きてしまい,散々振り回されて困惑する相手をあっさり見捨てるのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.64
PR

演技性パーソナリティ障害の場合

演技性パーソナリティ障害には,さまざまな特徴があるが,とくに顕著なのは,多情であることと,過剰と思えるほど強く認めてもらいたがることである。このタイプの人は,極端に大げさな態度をとり,感情表現がオーバーで,ときには,自分が置かれた社会的状況にそぐわない芝居がかった行動をとる。周囲の関心を集めるために着飾り,こびるような態度をとることもある。だが,ナルシシストとは異なり,つねに優越感に浸りたがるわけではない。彼らは,必要とする精神的な支えを得るためなら,脇役に徹することもできる。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.63

ナルシシストの場合

ナルシシストは,自分の周囲で起こることは,他人の言動も含め,すべて自分に関することだ,あるいはそうあるべきだと考える。思いどおりにならない状況でも,自分だけがしゃべり続けるとか,他人を見下した態度をとるなど,つねに自分がものごとの中心になるような行動を取る。
 他人の要求や願望を気にかけるとか,相手の話に耳を傾けるとか,相手の関心と反応を得るために働きかけるといった選択肢がない。彼らにいわせれば,ナルシシストと呼ばれるのは必ずしも悪いことではなく,極端なうぬぼれは,完璧な存在である自分自身へのごく自然な反応にすぎないという。ナルシシストは,自分の才能や長所は,自ら背負うべき重荷だとさえ言いかねない。
 ナルシシストは決まりきった行動しかとれない場合が多いが,ほかのパーソナリティ障害と同様に,時間をかけて,だれかにサポートしてもらえば,自分の行動や他人に及ぼす悪影響をある程度改めることができる。周囲にとっていちばん厄介なのは,彼らの自己愛的な性質,とりわけ,共感の欠如と特権意識が,反社会的で有害な行動に変わっていくことだ。これは,攻撃的なナルシシズム,あるいは悪性のナルシシズムと呼ばれ,このような状態になると,サイコパスと見分けるのが困難になる。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.62-63

心を読み,話術が巧み

第1に,サイコパスは他人の心理を読み取ろうとする意欲が旺盛で,その能力が高く,しかも,相手の好き嫌い,目的,要求,欠点,弱みを短時間で見抜くことができる。人には,そこを突かれると過剰反応してしまう“つぼ”があるものだが,サイコパスは一般の人に比べて,つねに相手のつぼを刺激してやろうと待ち構えている傾向がある。
 第2に,多くのサイコパスは優れた話術を持っている。たいていの人が感じる社会的な遠慮をすることなく会話に飛び込んでくるので,実際以上に話し上手に見えるのだ。人は話の中身よりも話術の巧みさに引かれる傾向があるという事実をうまく利用している。会話に中身がなく,誠意が感じられなくても,自信と迫力に満ちた話しぶり——専門用語,決まり文句,美辞麗句を散りばめることが多い——でそれを補うのだ。このテクニックに,自分はどんなことをしても許される人間だという思い込みが加わり,サイコパスは,相手について知りえたことを,会話の中で効果的に使うことができる。相手を感化するには何をどんなふうに言えばいいのかを心得ているのだ。
 第3に,サイコパスは周囲に与える自分の印象を自在に変えられる。他人の心理を読む力と,深みはないが説得力のある話術の巧みさをもってすれば,状況や作戦に応じて表向きの人格をいかようにも変えることができる。つき合う相手によって仮面を次々につけ替え,変身を繰り返す。そして,狙いをつけたターゲットに好かれるように振る舞うのだ。サイコパスは,ナルシストの目には,注目を集めたいという願望を満たしてくれる人のように映り,心配症の人の目には,安らぎを与えてくれる存在に映るだろうし,多くの人にとって,サイコパスは一緒にいて愉快な存在なのだ。自分の性格や弱みにつけ込んでいると疑う人はほとんどいないだろう。だが,人生という大勝負で,サイコパスはあなたの手持ちのカードを読み取ったうえで,ペテンにかけるのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.59-60

サイコパス・スペクトラム

サイコパシーは段階的に診断される症候群であり,血圧と同じように,低すぎて危険な域から高すぎて危険な域に至るまで,大きな幅がある。最低血圧と最高血圧が極端に低かったり高かったりする人を,低血圧,高血圧と呼ぶが,この両者の間にはさまざまな血圧値があり,正常と診断される人もいれば,病気までとはいえないが,さまざまなレベルで要注意とされる人もいる。
 血圧と同様に,サイコパシーの特性の数と深刻度も,限りなくゼロに近い状態から,異常レベル,問題を引き起こす重症レベルへと上昇し,このなかで高いほうの領域にある人間がサイコパスと呼ばれる。彼らには,サイコパスを定義づける対人関係,感情,ライフスタイル,反社会性に関する特性がきわめて多く見られる。
 たいていの人は最低値と最高値の中間領域に属し,その多くがゼロに近いところに集中している。ちょうど中間域にある人々は,サイコパシーの特性を数多くは持っているが,厳密な意味ではサイコパスといえない。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.49

サイコパシー,ソシオパシー,反社会性パーソナリティ障害

サイコパシー(精神病質),ソシオパシー(社会病質),反社会性パーソナリティ障害(APD)は,しばしば混同される。一般人,専門家を問わず,それぞれ置き換え可能な用語として扱う場合もあるが,症状に関連性はあっても,特徴がまったく同じというわけではない。
 サイコパシーは本書のテーマの根底を成す性質や行動に特徴づけられるパーソナリティ障害であり,サイコパスは良心も,他人への共感,罪悪感,忠誠心も持たない。
 ソシオパシーは精神疾患を示す正式な用語ではない。一般社会で反社会的行為や犯罪行為をみなされる態度や行動パターンを総称する言葉である。反社会的と言っても,当人が育った社会環境や文化のなかでは正常,あるいは当然とみなされる行為もあり,その点では,ソシオパスは十分な善悪の判断力も,他人への共感,罪悪感,忠誠心をもつ能力も備わっているといえる。ただ,自分の属する文化やグループの規範や予測に基づいて善悪を判断する傾向があるというだけだ。犯罪者にはソシオパスが多いといえるかもしれない。
 アメリカ精神医学会が発行した『DSM-IV 精神疾患の診断・統計マニュアル』(American Psychiatric Association著,高橋三郎訳,医学書院)を見ると,APDの診断項目は多岐にわたっている。診断基準の中心は反社会的行動や犯罪行動であり,その意味ではソシオパシーに類似している。APDの症状がある人の一部はサイコパスだが,大多数はそうではない。サイコパシーには他人への共感の欠如,誇張癖,情緒の乏しさがあるが,APDの診断基準では,これらの特性は必須項目ではない。
 一般社会においても刑務所においても,APDはサイコパシーよりも3,4倍多く見られる。ソシオパシーと判断される者の比率は不明だが,APDと比較すると,ソシオパシーのほうがかなり多いと推測される。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.37-38

ハイリスク・ハイリターンを好む

第4に,ルールや規制を無視し,悪賢く他人を欺くことに長けたサイコパスにとって,このような新しい柔軟性のある企業構造が魅力的だったという点だ。サイコパスの素質を持った人間にとって,スピーディで競争が激しく効率のよい“過渡期”企業,とりわけ拘束が少なく,報酬も高い企業には,抗しがたい魅力がある。こうして彼らは,スピーディでハイリスク・ハイリターンのビジネス環境を持つ職場にますます引きつけられていく。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.5

自信と強靭さ,冷静さ

不幸にも,変化にさらされ混乱状態に陥った企業には,自信と強靭な精神力,冷静さを兼ね備えたサイコパスは救世主に見えてしまいやすい。さらに悪いことに,そういった特性を持つ人材の採用が,いかにも正しい判断のように思われる。目まぐるしく変化する非常なビジネス界で生き残るために必要な能力とスキルがあるなら,自己中心,無神経,無感覚といった欠点には目をつぶってもいいという考えが,突如としてまかりとおるようになったのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.4-5

サイコパスを採用する理由

第1に,サイコパシーの中核を成す特性——才能とも呼ぶべきもの——が,企業にとっては求職者の資質として魅力的に見え,採用の決め手になるからだ。サイコパスはチャーミングで,ベテランの面接官さえも自分のペースに巻き込んでしまう巧みな話術を持っている。自分に有利になるとあれば,持ち前のカリスマ性を発揮して,人一倍警戒心の強い人間をも油断させ,だますことができる。不覚にもサイコパスと結婚してしまった人が,後になって相手の策略と虐待と苦痛の網にかかったと気づくように,企業もまた,誤った採用決定を下し,後々厄介な事態に陥ることがある。世間の目を欺くことに長けたサイコパスにとって,採用面接は自分の才能を発揮できる格好の機会だ。
 第2の理由は,採用担当者が,サイコパス特有の態度に“リーダーとしての適性”があると思い込み,本性を見抜けないまま雇ってしまうことにある。たとえば,采配を振る,決断を下す,他人を意のままに動かす,といった要素は,リーダーや経営者に求められる典型的な特性だが,じつはそれが,周囲を威圧し,支配し,欺く姿勢を覆い隠す体裁のよい包装にすぎない場合もある。型どおりのリーダーシップという化けの皮の下に隠れたパーソナリティの内部作用を見抜けないと,取り返しのつかない採用決定をすることになる。
 第3に,ビジネスそのものの質の変化が,サイコパスの採用を促したともいえる。20世紀初頭,多くの職業が相互に関連するようになり,それに携わる多数の従業員の作業を調整し,効率を高める際に生じる問題解決のビジネスモデルとして,“官僚主義”が発達した。競争が複雑化するにつれて,企業を支える体制が複雑化し,下部組織の規模も拡大した。その結果,官僚型組織の常として,従業員数が膨れ上がり,業務プロセスや手順が煩雑になり,コストも増加した。その結果,官僚体制は非効率だという悪評を買うようになった。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.3-4

時間志向テスト

ジンバルドの「時間志向テスト」では,時間的なバイアスを評価し,6つのカテゴリーに分類している。過去否定型,過去肯定型,現在宿命論型,現在快楽型,未来型,超越未来型である。彼のテストを使えば,あなたの志向がどのカテゴリーにどの程度入っているかがわかる。人は1つの時間枠だけを考えて過ごしているわけではないが,たいていの人は,この6つのカテゴリーのうち2つか3つが優位を占めている。現在快楽志向の人は今この瞬間を生きているので,ギャンブルや飲酒にはまったり,危険運転をしたりしやすい。一方,未来志向の人(今,少額のお金をもらうより,将来,多くのお金をもらえるのを待てるティーンエージャー)は,試験でよい成績をとる傾向があり,歯のフロスティングもきちんとすることが多い。
 ではどの時間志向が最も幸福に結びつきやすいのだろうか。過去否定型はあまり望ましいとは思えないが,過去を失ってしまったことを嘆くのではなく,過去を懐かしむという見方であれば,過去肯定型なら好ましいとジンバルドは考えている。未来志向の人は一般的に幸福度が高いと考える研究者が多いが,ジンバルドは違う意見だ。未来志向も度を過ぎると,仕事中毒,社会とのつながりの欠如,連帯意識の希薄化につながると警告している。彼の研究によれば,1つの志向タイプを目指すのではなく,バランスを取ることが大切だ。しかしこれは口で言うほど簡単ではない。ジンバルドの同僚の研究によれば,完全にバランスのとれた時間志向の持ち主は,調査の参加者の8パーセントにすぎなかった。彼は幸せになるにはこのバランスが必要だと信じているが,幸福度を調べる調査では,はるかに高い割合の人々が自分の生活に満足していると答えている。

クラウディア・ハモンド 度会圭子(訳) (2014). 脳の中の時間旅行:なぜ時間はワープするのか インターシフト pp.231-232

信仰ではなく行動を

楽観やポジティブ・シンキングの威力を賛美するびっくりするような主張は,そこらじゅうに掃いて捨てるほどある。「必要なのはただポジティブに思考することだけ。そうしていれば良い出来事は勝手に起こりはじめる」というやつだ。ポジティブに考えてさえいれば,たとえばがんは完治し,ずっと望んでいた仕事が手に入り,非の打ちどころのないすてきなパートナーが突然目の前にあらわれる——という具合に。エーレンライクが指摘するのは,この種の考え方が現実から完全にかけ離れた,ほとんど信仰の域に堕ちていることだ。
 何人もの導師がどれだけ力説しても,思考自体に魔法のような力があるわけではない。だが楽観が行動と関連することや,その行動こそが利益をもたらすという点については,それを裏づける証拠がある。たとえば事故で下半身不随になっても,質の高い生活をぜったいにあきらめないと信じている人なら,みずからジムに通って上半身の機能を強化し,内にこもらずに外に出て,活発な社会生活を楽しめるようにしようとするだろう。
 いっぽう同じ目にあっても,人生もう終わりだと思いこんでしまえば,その人はそうした行動をおそらく起こさない。人がどんな生活を送ることになるか,その質の差に深くかかわるのは,「ポジティブに思考する力」というよりも,「ポジティブな行動を起こす力」だ。これらふたつはたがいに無関係ではないが,楽観がもたらす実りを刈り取る役は,思考ではなく行動が果たすはずだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.92-93

オプティミズム・バイアス

これまで見てきたように,サニーブレインの重要なはたらきのひとつは,究極の報奨に向けてつねに人間を駆り立てることだ。楽観は,人間が生き延びるために自然が磨きあげた重要なメカニズムであり,そのおかげでわたしたちは,ものごとがみな悪いほうに向かっているように見えるときでさえ前に進んでいくことができる。心理学者はこれを「オプティミズム・バイアス(楽観的偏向)」と呼ぶ。程度の差はあるが,このオプティミズム・バイアスの魅力に屈しない人はほとんどいない。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.86

快楽の追求

ケンタッキー大学のジェイン・ジョゼフ率いる心理学者のチームはある実験で,刺激追求度が高い人と低い人の双方に一連の写真を見せ,その間の脳の活動をスキャンした。非常に刺激的な画像を見せると,刺激追求度が高い被験者の快楽中枢はオーバードライブ状態におちいり,感情を抑制したり統御したりする前頭前野の活動はほぼゼロになった。逆に刺激追求度が低い人は,前頭前野が強く活性化した。このパターンが意味するのはつまり,刺激追求度が高い人は興奮によって大きな当たりを獲得もするが,いっぽうでその興奮を統制するのは不得手だということだ。
 報奨に強く反応するこの傾向は多くの利益をもたらすいっぽう,マイナスの面もある。快楽にはそもそも持続性がないため,快楽の追求は制御のきかないスパイラル状態におちいりがちなのだ。悪くすると,リスクを冒したり何かの依存症になったりという方向にも進みかねない。
 けれど,制御を保ちさえすれば快楽の経験は,サニーブレインの回路を強める源になる。そして楽観的な心の傾向を育むという,大きなメリットがもたらされる。この心の傾向は,単に喜びや幸福を感じたり,未来を明るく前向きにとらえたりすることだけではない。そこには,利益や意味をもたらす何かを努力してやりとげるという姿勢も含まれている。サニーブレインの回路は,人間が自分にとってプラスになるものごとにつねに焦点をあわせられるよう手助けをしているからだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.81-82

左右不均衡

休息している人の脳の活動状態にも,同じような現象が見られる。静かに座っているときでさえ,楽観的な人と悲観的な人の脳には根本的な差がある。安静にした状態でも,楽観的な人の脳の左半分は右半分よりもかなり活発にはたらいているが,悲観的な人の脳の左半分の活動度は楽観的な人と比べてずっと低いのだ。このように脳の左半分の活動度が低いことは,抑うつ患者に特有の快楽の欠乏感が,神経レベルで現れた現象だといえる。
 脳内のこうした不均衡はヒトだけでなく,サルにも同じように認められる。怖がりで心配症のサルは,脳の左半分よりも右半分のほうが活発にはたらいているが,幸福で健康なサルの大脳皮質の左半分はそれにくらべ,ずっと活動度が高い。こうした不均衡が皮質下の領域と皮質上の領域のどちらに起因しているのかは,まだ十分に解明されていない。
 はっきりしているのはこの不均衡が,報奨にすすんで接近するかしないかという傾向にかかわっていることだ。また,脳の左側へんぽ偏りが大きい人は,右側への偏りが大きい人に比べ,おしなべて幸福度や楽観度が高いこともあきらかになっている。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.78

快楽の維持が不得手

つまり,抑うつの人々は快楽を感じられないというよりも,快感の維持が不得手なのだ。じっさい,実験中に側坐核の活動がいちばん急激に弱まった被験者は,快楽や幸福をいちばん経験しにくいと報告していた人々だった。抑うつ型の脳のはたらきがポジティブな感覚の保持をむずかしくしていること,そしてサニーブレインの回路が快感や幸福度を高めるのに重大な役目を果たしていることを,実験結果は強く示している。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.77

自己充足的予言

ミネソタ大学の心理学者マーク・スナイダーは多くの実験から,信念が自己充足的な予言になることを確認した。たとえば,初対面の人に会うときに,その相手が神経質だという情報を事前に聞かされていたら,その人物の行動の中でいかにも心配性に見えるところばかりが目についてしまうものだ。これを証明するためにスナイダーは被験者を2人ひと組でペアにし,何人かには「ペアを組んだ相手が外向的な性格かどうか」を判断するように指示し,何人かには「相手が内向的かどうか」を判断するように指示した。
 相手が外向的な性格かどうか見極めなければならず,しかも質問はわずかしかしてはいけないとしたら,何をたずねるべきだろうか?もしもあなたがスナイダーの被験者と大差ないとしたら,おそらくこんな質問を口にするはずだ。「パーティを盛り上げるためにあなたなら何をしますか?」「大勢の初対面の人々と会うのは楽しいですか?」。だがよく考えてほしい。これで肝心の情報が集まるものだろうか?これらの質問は,単に疑問を確認する役目しか果たしていない。だが,被験者同士のやりとりをスナイダーがビデオテープで検証したところ,質問者がこの種の質問に頼りがちなのはあきらかだった。
 <内向型>グループの質問者の大半は,「もっと社交的になりたいと思う時はありますか?」などの質問を相手に投げかけていた。スナイダーいわく,このときほんとうに必要なのは反証的な証拠なのに,「人々は確認的な証拠ばかりを探そうとする傾向がある」のだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.51-52

皆偏っている

ネガティブな情報はなぜ,どのように,不安症の人の心を強く引きつけるのだろう?この疑問を解明しようとする研究のごく早い段階で,わたしはあることに気づいた。
 対照群として実験に参加した人々は,あまり不安を感じず,どちらかといえば楽観的だからこそ対照群に選ばれたはずだ。わたしは当初,対照群の被験者はポジティブなものごととネガティブなものごとの両方に同程度の注意を向ける,非常にバランスのとれた人々なのだと予測していた。けれど実際には,対照群の人々にも認識の偏りがあった。これは当時としては驚きだった。当時の理論では,不安症の人は良いニュースを認識のフィルターからはじき,悪いニュースばかりを感知しているからこそ不安におちいるのだと,そして不安をあまり感じない人は,良いニュースと悪いニュースの両方に同じほど重きをおいているのだと考えられていたのだ。
 だが,不安症でない人にはネガティブな情報を避ける方向に強い偏りがあることが研究を進めるうちにわかってきた。嫌な感じの画像や言葉が画面に浮かぶと,彼らはすぐにそこから注意を逸らしてしまう。不安症の人が悪いニュースについ引き寄せられるのと同じように,不安症でない人にはそうしたニュースを避けようとする偏りがある。けれど,被験者はだれひとり,自分のそうしたバイアスに気づいていなかった。おおかたの被験者は「たくさんの写真が画面に出てきたのはわかった。けれど,三角形に反応することばかりに気をとられていて,どんな写真のときにどうだったかということには気づかなかった」と語った。三角形が,ポジティブな画像とネガティブな画像のどちらの側にあらわれるかで,発見にかかる時間が変化していたこと,そこに一貫性があったことを説明しても,被験者たちはなかなかそれを信じようとしなかった。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.46-47

ペシマム

悲観主義の特徴は楽観主義とほぼ反対だ。悲観的な気質の人はネガティブな考えに染まりやすく,何か障害に出会うたび,「自分は世界から拒絶されている」と受けとめてしまう。ラテン語の「ペシマム」から生まれた「ペシミズム」は哲学的観点からいえば,あらゆる可能性の中で「最悪な」世界を意味しており,「ものごとは究極的にはすべて悪に引き寄せられる」という考え方だ。だが,心理学の世界では「ペシミズム」は「オプティミズム」と同様,気質的な傾向や感情のスタイル——つまり,世界と向きあうときの,人それぞれの姿勢——としてとらえられている。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.26

出来事に影響

オーストラリアのメルボルン大学のブルース・ヘディとアレクサンダー・ウェアリングは1989年に発表した研究の中で,「人がどんな経験をするかは気質に影響される」ということを示唆した。2人はヴィクトリア州の住民に数年がかりで聞き取り調査を行い,人が感じる幸福度に「出来事」と「気質」のどちらがどのくらい影響をおよぼすかを解明しようとした。幸福度の(たとえば)40パーセントは気質に,残る60パーセントは起きた出来事に起因するかもしれないし,逆にもともとの気質のほうが出来事より重要な可能性もあると,2人は予測していた。
 だが2人の研究者はまもなく,「気質と出来事は,それぞれ別個に幸福度に影響する」という前提そのものが誤っていたかもしれないことに気づいた。調査が進むにつれ,同じような出来事が同じ人の身に繰り返し起きていることがあきらかになったのだ。幸運な人には何度も幸運が訪れていた。いっぽうで,別離や失業など不運に何度も見舞われている人もいた。そして,楽観的な人はポジティブな出来事を,悲観的な人はネガティブな出来事をより多く経験していた。気質と出来事が別個に幸福度に影響するというのはどうやら誤りで,気質はむしろ,起きる出来事に強い影響を与えているようだった。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.21

人をだますなら

「ジェームズ・ボンド」の心理学を広めているピーター・ジョナソンは,サイコパシーについての持論がある。他人を食いものにするのはリスクが高いと,ジョナソンは指摘する。たいてい失敗する。みんな殺し屋やいかさま師を警戒しているだけではない。そういう連中には法的にもそれ以外でも邪険にしがちだ。人をだますつもりなら,外向的で魅力的で自尊心が高いほうが,拒否されたときにも対処しやすい,とジョナソンは言う。放浪の旅にも出やすい。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.303-304

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]