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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

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昭和30年代の様子

昭和31年に相場均氏が長年の米・独留学を終えて帰朝した。特に氏のクレッチメル教授のもとでの研究業績は注目に値する。昭和31年4月より非常勤講師として授業をもたれた。この時期(昭和32年)に京都大学より矢田部達郎教授を迎え,教育学部と大学院の心理学の講義を担当され,刺激を与えた。新しい学識を得て,教室員の若手研究者は大喜びであった。しかし,翌年に急逝され残念なことであった。三島教授は昭和33年12月教育学部へ転出,主任となる。清原教授は赤松体育局長の下で教務副主任に嘱任される。戸川教授は大学の理事に就任,昭和35年に常任となる。昭和34年に小島謙四郎氏は講師,浅井氏は助教授に嘱任された。昭和35年には,新見助教授が教授になり,昭和36年に冨田正利氏が乙種非常勤講師に嘱任された。昭和36年4月において教室員は赤松教授他9名となった。ちなみに昭和36年の一文の卒業生は42名,同二文の卒業生は19名という大世帯になっていた。

(本明寛・浅井邦二記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.22
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早大版TAT

研究活動として,昭和27年度に科学研究費(戸川教授)が得られ,「プロジェクティブ・テクニックの基礎的並びに臨床的研究」を他大学の研究者と共に進めることになった。早大版TAT(日本版絵画統覚検査——昭和28年金子書房刊)が開発された。なおこの機会に,戸川先生を会長とする「臨床心理学研究会」を発足させた。この会の当時のメンバーは,戸川,清原,三島,浅井,服部,江川,滝沢,木村,本明の他,他大学より品川不二郎,西谷三四郎,祖父江孝男氏であった。

(本明寛・浅井邦二記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.21

クレッチマー説とクレペリン

内田先生がクレペリン検査にかけた期待の今一つは,クレッチメルの言う分裂性気質の者に精神分裂症に見られるのと同様の意志障害がクレペリン検査によって指摘されるのではないか,という問題であった。そこでキプラーの基質診断表によってクレッチメルの分裂質と躁うつ質との学生を選び出し,これにクレペリン検査を施行することによって,分裂質の学生に意志障害者の作業特徴を指摘することができるかどうかを確かめる研究がなされた。この際,分裂質,躁うつ質の特徴をきわめて顕著に示している学生については上半身裸体の写真をとり,ガルトンの合成写真の手法によって,両気質の体格特性がクレッチメルのいう分裂質——細長型,躁うつ質——肥満型という性格と体格との親近関係を示しているかどうかが調べられた。クレペリン検査で指摘される意志障害と,気質診断表での分裂質と,合成写真にみられる細長型の体格との三者の結びつきがとくに研究の中心とされていた。

(戸川行男記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.8-9

早稲田と内田クレペリン検査

さて戦前のわれわれ心理学教室の仕事は後に内田・クレペリン精神作業検査と呼ばれた連続加算検査の研究から始められた。卒業生名簿によると昭和7年から20年までの卒業生は41人であり,以下に「教室の仕事」と呼ぶ諸研究のどれかに参加して先生の仕事を手つだってくれたのはその半数以下であったと思うが,ともかくも当時はこのクレペリン検査の仕事をはじめとして,教室の仕事というそのときどきの特定の研究課題があり,こういう教室体制が戦争までつづいていたのである。それで連続加算検査の研究であるが,前述のように内田先生は五高時代にその25分法を確立され,その後に正常者定型とされたものを発見されていたのであるが,これを後の1万人の作業定型なるものにまで発展させたのは早稲田においてである。赤松先生が第二高等学院の教務主任であった時かと記憶するが,入学試験の2次試験の口頭試問の前であったか後であったか試験の合否には関係しない旨を明らかにした上で全員のクレペリン検査を行った。当時この検査は1桁の数字が縦に並んでいて,上と下の数字をよせて答を右側に書くのであって,被験者1名ごとに検査者1名というやりかたであり,クレペリン以来これがつづいてきたのであるが。これではとうてい多数のいっせい検査はできないので現行の横書検査用紙をわれわれが開発した。その後のクレペリン検査にはすべてこの横書検査用紙が使用されている。

(戸川行男記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.7-8

書棚の様子

われわれの心理学教室の書棚にはずい分早くから,クレペリンの精神病学教科書全巻や,クレペリン派の研究者の心理学的研究機関誌とでもいうべきPsychologische Arbeiten全巻があり,クレッチメルの「体格と性格」,「医学的心理学」,「ヒステリー論」,「敏感性関係妄想」の原書があり,イェンシュの「知覚世界の構造」,べリンゲルの「メスカリン酩酊」,プリンツホルンの「精神病者の絵画」等の原書があり,ロールシャッハの「精神診断学」の原書とその検査図版があった。クレペリンの教科書や心理学的研究誌はもちろんとして,ロールシャッハ検査の図版も,戦前からそれを心理学研究室にそなえていた大学はきわめてまれであったかと思う。後に本明寛氏がロールシャッハ研究を始めたのもこれが機縁になっているかと思われるし,三島二郎教授が精神テンポの研究に着手されたのも内田先生の好みでクレッチメル派のエンケの運動学やフリシャイゼンケーラーの「個人的テンポ」が教室にあったためかと思われる。

(戸川行男記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.7

歩み続けて

しかし,これこそが重要なポイントである。偉大さは平凡の一歩先にあるわけではない。平凡の領域から飛び出し,一歩,一歩,また一歩と進み続ける——数千歩,数万歩先へ行ってはじめて,奥行きも深さも測れないほどの場所にたどり着ける。そこに至るには,道理や条理を置き去りにし,誰よりも遠く,激しく,長く前進するしかない。これを簡単だとか,大抵の人にできそうだなどと思う人もいるかもしれないが,本当にそうならば,もっと大勢がそこに到達しているはずだ。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.150

天才たちの後悔

あるいは,いつか後悔するかもしれないという恐れのなかに隠れているかもしれない。ルイス・ターマンの天才遺伝子研究という感心しない名称のプロジェクトで,最期の遺産となったのが「後悔」だった。1995年,コーネル大学の3人の心理学者の研究チームが,かつてターマンの研究に協力した人びと——すでに高齢になっていた——のくわしい追跡調査を行なった。彼らの研究論文は「行動しそびれる——ターマンの天才たちの後悔[Failing to Act: Regrets of Terman’s Geniuses]」と銘打たれていた。その大きな教訓として,ターマンの協力者たちは,晩年にさしかかり,その他の高齢者たちとまったく同じ後悔をしていた。もっとできたはずだ,と彼らは考えていた。もっと勉強し,もっと仕事をし,もっと目的を貫くべきだった,と。
 これこそ,われわれのすべてがルイス・ターマンの研究から学べることである。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.147

お蔵入り

『ニューヨーク・タイムズ』紙の科学記者のナタリー・アンジェはこう付け加える。「一般大衆はあまり聞きたがらない事実だが,双生児同士には一致しない部分が数多くある。テレビプロデューサーが別々に育てられた一卵性双生児のドキュメンタリー番組を企画したものの,ふたりの個性が大きく異るとわかったため——ひとりは話し好きで社交的,もうひとりは内気で臆病だった——説得力がないという理由でお蔵入りした例を,私はふたつ知っている」

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.102-103

集団の数値

しかし,もっと重要な事がある。これらの数値が当てはまるのは集団のみであり,個人には適合しないのだ。マッド・リドレーの説明によれば,遺伝率は「母集団平均であり,個人には無意味である。ハーミアのほうがヘレナよりも遺伝的知能が多い,などと言うことは不可能だ。たとえば,『身長の遺伝率は90パーセントである』と言うときには,身長の90パーセントが遺伝子によって,残りの10パーセントが食べ物によって決まるという意味ではない。ある標本における分散は,90パーセントを遺伝子に,10パーセントを環境に帰すことができるという意味なのだ。個人における身長の遺伝率は存在しない」
 この場合,集団と個人は昼と夜ほど異なる。マラソン選手が本人を除く1万人の選手のタイムを平均しても,自分のタイムを算出することはできない。平均寿命がわかったところで,自分の人生が何年続くかはわからない。全国平均をもとにして考えても,自分が子供を何人持てるかを予見することは不可能だ。平均は平均にすぎない——ある面では非常に便利でも,別の面では無用になる。遺伝子の重要性を知っていることは有益だが,双生児の研究では個人や個人の可能性について何も証明されていない事実に気づくことも,それに劣らず重要である。集団平均は個人能力の指標にはけっしてならない。

・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.100

才能の堂々巡り

どんな人でも,どんな年齢でも,他人の人生に豊かさや美しさを与えられるのは立派なことである。だが,子供が際立った技量を示したとき,大人の判断はつい曇りがちになる。それが,神経科学者で音楽学者のダニエル・J・レヴィティンの言う「才能の堂々巡り」につながる。「われわれがあの人には才能があると口にするときには,あの人は生まれつき素質に恵まれているという意味でそう言っている。だが結局,われわれはその人がいちじるしい成功を遂げたあと,その言葉を遡及的に使っているにすぎない」

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.82

グレートネス・ギャップ

これをグレートネス・ギャップと呼ぼう。つまり,並はずれた成功者とたんなる凡人とのあいだには,埋まることのない,どこまでも深い溝があるという感覚である。自分とは違って,あの人は何かを持っている。あのように生まれついている。生来の才能に恵まれている。
 われわれの文化にはこういう仮定が織り込まれている。「才能[talent]」をオックスフォード英語辞典で引くと「天分。生来の能力」と説明されていて,その出典は『マタイによる福音書』に記された才能についてのたとえ話である。「才能のある[gifted]」「才能のある状態[giftedness]」という言い方は17世紀から使われている。現在の定義での「天才[genius]」が使われはじめたのは18世紀末のことだ。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.74-75

集団の孤立と反比例

1932年,心理学者のマンデル・シャーマンとコーラ・B・キーは,IQスコアが共同体の孤立の度合いと反比例することを発見した。文化的に孤立すればするほどスコアが低くなるのだ。たとえば,ヴァージニア州の辺鄙な谷間の町コルビンは,成人のほとんどが無教養で,新聞,ラジオ,学校へのアクセスもままならない土地だったが,住民の6歳児のIQを調査したところ,その数値は全国平均に近かった。ところが,その子供たちは成長するにしたがってIQが低くなった——学校教育もい文化になじむ体験も不十分だったために,ついには全国平均を下回ったのである(たとえばイギリスの運河船上で生活する子供たち,いわゆるカナルボート・チルドレンなど,文化的に孤立した地域や集団の子供たちにも,全く同じ現象が見られた)。だから,彼らはこう結論せざるを得なかった。「子供は環境が要求する分だけ発達する」

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.55-56

集団を分類

公然の人種差別を別にして,IQ検査などの知能検査の本当に悲劇は,昔もいまも,それらが発するメッセージにある。高スコアの生徒たちを含むありとあらゆる人びとに向けられるそのメッセージは,つぎのとおりである。「あなたの知能は自分で勝ちえたのではなく,与えられたのである」ターマンのIQ試験は,われわれの大半が感じている根源的な恐怖に,容易につけいった。つまり,われわれには生まれつき,深く,速く思考する能力をあるレベルに抑える,内なる閂が備わっているのではないかという不安に乗じたのだ。これはとんでもないことである。基本的に,IQは集団を分類するツールにすぎないのだ。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.54

スピアマンは,学業評価,教師による主観評価,仲間による「常識」評価の相関関係を確立した。そして,この相関関係によって,知的能力の中核をなす,生来の思考能力の中核をなす,生来の思考能力の存在が証明されると主張した。「gはふつう先天的に決定される。訓練によって背を高くすることが不可能であるのと同様に,訓練によってgのレベルを上げることは不可能である」

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.52

TAT記述の誤り

たとえば当時購入した某国立大学の若手の有名な先生が書かれた『性格の診断』という本を読むと人格テストのノウハウが要領よく並べ立てて書かれ,それなりに人格テストの上面が理解できるようになっている。しかしその本の<TAT>という項目で致命的な誤訳がある。
 TATの説明で数十枚のカードの中に1枚だけ「黒くぬりつぶしてある(何も書いていないカード)」と書かれている。臨床心理学者を標榜する著名なこの方は,当時,時代の先端を行かれていたと思うのだが,TATのカードの中に真っ黒なカードは存在しないのである。ただ,何も書かれていない真っ白なカードは存在する。この先生は文献を読まれて,まだ実際にTATの実物をご覧にならないまま『blank(しろ)』を『black(くろ)』と読み間違えたのであろう。なるほどその種の読み間違いはありうるとは思うが,かわいらしい間違いではすまされないように思うのだが……。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.60-61

テスターではない

この頃阪大の精神科では人格テスト(特にロールシャッハ・テスト)がしきりに話題になり,我々心理学の院生に若いドクターが「君,ロールシャッハの分析できますか?」と問いかけ,「えっ,ロールシャッハの分析……?」とキョトンとすると,「フーム,これから我々の領域では人格テストが大切になりますからね。テスターとして腕を磨かないと相手にされませんよ,臨床心理学の世界ではね」と言われてムカッとし,心の中で「テスター?そんなものになるために心理学やってるのと違うわ。臨床心理学の世界はテスターの世界と違う。実験しながら心的疾病はいかにして生まれるかを考えることが学問であり,研究というものだ」と空嘯いたこともある。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.53-54

四体液

ギリシャ人は物事を4つに分けた。季節も4つ,人生の段階も4つ,惑星も4つだった。元素も4つ(空気,火,土,水)で,これらがさまざまに組み合わさって世界の物理現象と心身の様態を定めているとした。4つの体液(血液,黄胆汁,黒胆汁,粘液)はそれぞれ元素のひとつに対応させられた。これらの不均衡が病気をもたらすと,ヒポクラテスも書き留めている。
 ガレノスはこの標準システムに加えて,パーソナリティも同じ体液の不均衡から生じるとした。血液が多すぎれば多血質(快活)に,黄胆汁が多すぎれば黄胆汁質(短気)に,黒胆汁が多すぎれば黒胆汁質(憂うつ)に,粘液が多すぎれば粘液質(無感動)になる。これらの調和のとれたバランスが,精神の正常な働きをもたらす。体液の混ざり方にはあらゆる組み合わせがあるので,人間の行動や傾向がいくら多種多様でも説明できるし,納得できる。いまならどれも「偽医者」の発言のように聞こえるが,この説は1500年以上にわたって医学を支配した。それに比べれば,現在の理論の多くは,半減期が100年単位ではなく10年単位である。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.90

状況による決定

知的能力に明らかな障害がある境界線としてIQ70を選ぶのは,根拠もないのに便利だからそうしているのにほかならず,人口のうちIQが最も低い2.5パーセントを選んでいるという以外に特別な意味はない。これらの人たちは,すぐ隣に位置するほぼ同じ人たちに対しては拒まれている特別な支援や免除を認められやすい。しかし,標準偏差ふたつぶん離れたIQ70で区切ることに,なんら尊重すべきものはない——現実世界では意味がない。状況によっては,境界線の少し上や下で区切ったほうが,いま以上に理にかなっているはずだ。もっと金をまわせるのなら,IQが70より高い人たちにも支援を提供するべきだろう。IQ70の人たちがうまくやっている場合だってある。それに,標準偏差ふたつぶんが境界線になるべきだとだれが言ったのか。ひとつぶんや3つぶんやひとつ半ぶんではだめなのか。この選択は決まって根拠に乏しく,統計ではなく状況に動かされている。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.45-46

それも才能

「でもね,それは欠点じゃないよ,きっと。健太くんの才能だよ」
 「はあ?飽きっぽいのが才能?」
 「うん。わたしね,本で読んだんだ。自分の欠点だと思っているところを,全部,才能だ,個性だって考えるの。そうすると,だんだん自分のことが好きになれるんだって」
 「へんなの。それじゃ,勉強が出来ないのも才能か?」
 「うん,テストで30点をとれる才能。わたしにはとれないよ,30点は。100点とっちゃうもんね」
 夏葉の言葉を聞いて,大介がうれしそうに笑った。
 「あははっ,じゃあ,足がおそいのも才能?」
 「うん,ゆっくり走れる才能」
 「歌がへたなのは?」
 「音をはずして歌える才能」
 「それじゃ,ぼくなんか,才能だらけだ」
 「そうよ,才能だらけ」

阿部夏丸 (2005). うそつき大ちゃん ポプラ社 pp.190-191

家庭環境

第2原則(共有環境の希少性)と第3原則(非共有環境の優位性)が示唆するのは,1つの家庭が行動の一般的特性の学習の場として均質でもなければ,家庭以外の状況と比べて優位でもないことである。パーソナリティの形成に関して,たとえば外向的あるいは神経質な行動傾向を,家族成員が等しく学習できる機会が家庭内で与えられているわけではない。それは「外向的あるいは神経質な行動」というものが手続き的な知識や技能として,一般的なかたちで学習されるようなシステマティックな環境がないことを意味する。仮に学習され得る手続き的知識や技能として「外向的行動」が表れるとすれば,それはかなり特殊状況(特定の対人関係や問題解決の場面)であり,また個人に特殊(たまたま問題に直面した子どもに対して)なかたちで与えられ,同居する親やきょうだいの行動を見て学ぶというような観察学習に依存するのではないかと考えられる(Jang, 2005)。しかし認知能力に関してはそうではなく,それが一般的な手続き的知識やスキルとして,家族に明示的に,あるいは観察学習を通じて家庭のなかで伝達されている。それはすでに認知心理学や学習心理学で示されてきた効率的な問題解決や知識獲得をうながすメタ認知スキルの具体的教示や,間接的にそれを支える文化的環境(知的なメディアや会話の質や量など),あるいは親自身の知的態度などを通じて学習され得る領域と思われる。

安藤寿康 (2011). 認知の個人差と遺伝 日本認知心理学会(監修) 箱田裕司(編) 現代の認知心理学7 認知の個人差 北大路書房 pp.103-129

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