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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

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なんでも知っているよ

 ナルシシストは,自分はなんでも知っていると思いたがる。これを心理学者は「オーバークレーミング」と呼ぶ。「なんでも知っている」という友人に「ビリー・ストレイホーンのジャズを聴いたことはある?」とか,「パウル・クレーの絵を知っている?」「ベルサイユ条約が調印されたのはいつか知っている?」とたずねると,「もちろん」と答える。そこで次はこんなふうに聞いてみたくなるかもしれない。「ミルトン・シラスのジャズを聴いたことはある?」「ジョン・コーマットの絵を知っている?」「モンティチェロ条約が調印されたのはいつか知っている?」。じつを言うとこれらはどれも実在しないのに,その友人は「もちろん」と答えるのだ。これがオーバークレーミングである。ある調査では150問中30問が嘘の問いだったが,知ったかぶりでは誰もナルシシストにかなわなかった。頭がよすぎて存在しないことまで知っているのだろう。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.57
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)
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ナルシシズムと自己価値

 私たち著者の複数世代にわたるナルシシズムの研究が2007年から2008年にメディアに取り上げられたとき,ナルシシズムは激化する競争社会のなかで必要なものなのだという意見が多く聞かれた。これもまた,アメリカ文化において自己価値とナルシシズムの区別がつけられておらず,出世のためなら何をしても許されるとの感覚が強まっていることの表れである。ミシガン大学の学生はインターネットでこんな意見を寄せてきた。「この調査をしている人は私たちほど日々競争にさらされなかったのだ。成功するには自信をもち,自分のことを中心に考えなくてはならない。だから私たちの世代が以前よりも多少『私(ミー)』にとらわれているようでも,それは私たちのせいではない」。サンディエゴ州立大学3年生のカミーユ・クラスビーは同校の学生新聞『デイリー・アズテク』紙にこう書いた。「いまの大学生は昔よりもプレッシャーやストレスが大きい。困難を乗り越えるには,自分を信じるにかぎる。自分を特別だと感じるのは意欲の表われであり,すばらしいことだ」。また,『ニューヨーク・タイムズ』紙に投稿したアトランタ出身の27歳のローレンもこう言う。「自信をもち,自分を信じることは,公私にわたって成功するための基本条件ではないだろうか。もしそれでナルシシストだと言われるのなら,自分がナルシシストであること,さらには成功者であることを誇りに思う」

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.54-55
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

過剰なほど

 ナルシシズムを内心の不安を隠す盾とみなすのには大きな問題がある。ナルシシズムを治すにはもっと自己を賛美すればよいと考える人が多いからだ。ナルシシズムは自己賛美では治らない。「自尊心がもっと高ければ,マイケルはあんなに人をないがしろにしないだろう」と思うかもしれないが,マイケルは本当は自分が相手よりもすぐれていて,自分のことのほうが大事だと思っているから人をないがしろにするのだ。自尊心が高いほど,とくにそれがナルシシズムにまでなってしまうと,問題はこじれるのである。だから学校でのいじめの問題の取り組みでは,自尊心を高めさせようとするときに,ナルシシズムを助長しないよう細心の注意を払う必要がある。いじめっ子に必要なのは他者を尊重する気持ちである。自分のことはすでに過剰なほど尊重している。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.39
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ナルシシズムの誤解

 ナルシシズムに関する多くの情報は,ナルシシストは本当は自尊心が低いという誤解がもとになっている。あるインターネットのサイトには,ナルシシストは「本当は自尊心が低く,不安に苛まれている。ナルシシストが何においても完璧な人間だという誇大な自己像をつくり出すのは,この不安感ゆえである」と書かれている。『ニューヨーク・タイムズ』紙の掲示板には,「ナルシシストに対応するには,『自我』の大きさが自尊心の高さに反比例することを覚えておくとよい。ナルシシストは心の奥深くでは非常に不安を感じ,自分に満足していない。このような問題から人はナルシシストになっていくのだ」という書き込みもあった。多くの人が,不安感がナルシシズムと自信の決定的な違いだと考えている。しかしこの考え方は,矛盾し合う2つの事柄を同時に認めるようなものだ。自分を褒めてよい気分になっても,不安を感じないかぎり,ナルシシズムではないということなのだから。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.36
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ナルシシズム

 今日,フロイトなどの著作から,神話のナルキッソスの名がナルシシズムという人格特性を表わすのに使われている。ナルシシズムの主な特徴は,自分を非常に肯定的かつ過大にとらえることだ。ナルシシズム傾向の強い人,すなわち「ナルシシスト」は,社会的地位,容姿,知性,創造性の点で自分が人よりもすぐれていると思っている。ところが,事実はそうではない。客観的に見れば,ナルシシストはほかの人となんら変わりはない。それにもかかわらず,本人は自分が本質的に優秀だと信じている。自分は特別で,特権があって,肩を並べられる者のない人間だと思っているのだ。一方で,やさしさや思いやりに欠け,人と誠実に交わろうとしない。そこがたんに自尊心の高い人との大きな違いだ。自尊心が強くてもナルシシストでない人は人間関係を大切にするが,ナルシシストはそうではない。結果として非常に偏った人格になる。現実離れした誇大な自己像を描き,他者と深くかかわろうとしない人間なのである。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.27
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

検査の応用

 この検査は,その意図から,先づ民族差の研究に資せらるべきである,次には医学上の診断に参考せられねばならない。又,裁判所に於ける個性調査,殊に少年裁判所に於いて利用せられねばならない。又,学校に於いては,異常児童の研究に於いて,訓練上の参考資料として,又,職業指導の資料として,産業上に於いては,従業者選択の資料として,十分に利用せられるべきものである。上記第六章に,私の試みの一端を,未完成のまま記載したのは,これらの応用の方面を示す意に他ならない。而してかくの如き応用が数多くなされて,私の上記の結果が是正せられることは,私の最も冀ふ所である。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.74-75

ダウネーの業績

 ダウネーは,ゼームズの,意思に就いて発動的と抑厭的とを分ちたる考へと,ダヴエンポートの気質を分ちて,運動性又は活動的と,非運動性又は非動的とした考とに據りて,行動の種々相に表はれる所から,(1)要求に応じて出て来る所の神経エネルギーの量,並に(2)このエネルギーの運動領域に働らく傾向によりて,気質の種々の型を定めることができるとなし,それに従って,運動性又は発動性と,非運動性又は抑厭性とを分ち,気質はこの両極端の間の種々の段階に分たれるとしてゐる。随って,行動又は衝動の,一般水準,抑止の程度,及び,衝動と抑止とが,一個性に於いて,函数的関係を保てるその様子を査定すべき,1組の方法を考案せば,以って,或る個人の智能その他の本能的行動が,如何に発動するかを示す所の指数となすことを得る。而して人格のかかる方面を検査する方法に特に「意志気質検査」と名づけた所以は,ここに気質とは内在的なる,生来性素質に関する名であって,それに意思といふ文字を冠するは,検査せらるべき特殊な素質の性質を示し,特に情緒と区別したものである。而して性格とは内在的なる生来性のものと,外来の獲得的なものと合成せる一組織を指す。故にこの意志気質検査は,性格検査の一種ではあるけれども,その全部ではない。而して以上の意味に於ける意思気質は,性格の内容を決定するものではないけれども,その形式を定めるものといふべきである。同様に,又,智能の高低を定むべきものではないけれども,それを如何に行使するかを定めるものである。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.2-3

意志気質検査

 たしかに,人間の持つ性格には,今日まで発達して来た,種々の智能検査の方法では,測ることのできない,廣い,しかも重要な方面がある。人格のかかる方面は,人間の生活のあらゆる方面に於いて,極めて重大な役割を演じているにも拘らず,その研究は中々捗らない。近頃所謂性格検査と名けられて,種々の方法によって,かかる方面の特性を掴まうとする試みがなされてある。就中,ダウネーの意志気質検査は,今の所,成功したものの一であって,他の種々の所謂智能検査の窺知し得ない方面を見るものである。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.1-2

遺伝への反感

 フランスでは「性格ができる原因は遺伝にある」と言うと,聞いている人の反感を買うことがある。それは次の4つの理由による。
 ——<ユダヤ教とキリスト教の伝統から来る理由>。ユダヤ教やキリスト教では,罪を犯すことについて,あるいは善を行うことについても,人は皆,自由な意思を持っていると考える。だが,性格が遺伝によるものであれば,この考えと衝突する部分が出てくる。すなわち,人間の行いは性格によって生まれた時から方向づけられていることになり,たとえほんの少しであっても,自由な意志が否定されるからである(といっても,<才能>に関する『新約聖書』のたとえ話を読めば,聖書だって遺伝的な不公平を認めていると思うのだが,まあ,それは言わないことにしよう)。
 ——<共和国としての伝統から来る理由>。この理由で反発する人は,次のような論理を展開することが多い。すなわち,「フランスでは伝統的に<機会の平等>と<教育の価値>が重んじられている。ところが,遺伝によって最初から与えられているものがちがうということになれば,その平等の意味が揺るがされ,教育の価値が減じられてしまう」という論理である(個人の能力に遺伝の影響があるということと教育が重要であるということとは別に矛盾しないはずであるが,ともかくそういった論議になってしまうのだ)。
 ——<精神分析の伝統から来る理由>。精神分析では性格の形成について,特に幼児期の体験を重要視する。したがって,「性格は遺伝によるものだ」と言うと,精神分析に携わる人のなかには自分たちの存在意義を疑われたと考える人もいるのである。
 ——<忌まわしい過去の記憶から来る理由>。第二次世界大戦の時にナチス・ドイツが<遺伝の理論>を持ち出してユダヤ人の虐殺を行ったことは,恐ろしい思い出としていまでも人々の記憶に焼きついている。もちろん,その理論には科学的な根拠はなく,ここで問題にしている遺伝とは別のものだが,<遺伝>という言葉を聞くだけで,その時のことを思い出し,激しい反応を示す人がまだ大勢いるのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.304-305
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

頑張れ

 「もっと自分からやる気を出せ」「やろうと思わないからできないんだ」「ともかく,がんばれ」……。そういった言葉は,人類の歴史と同じくらい古くから,抑うつ性の性格の人々に浴びせられてきたものである。だが,それだけ繰り返されているということは,効果がないということでもある。そういったことを言われると,抑うつ性の性格の人々は,表面的にはあなたの説得を受け入れたようで,心のなかでは自分が理解されず,見捨てられたような気持ちになる。そうして,なおいっそう自信を失ってしまうものなのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.207
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

タイプAの場合

 タイプA行動パターンの性格の人は怒りっぽい。だが,ほかの<難しい性格>の人とちがうところは,その怒りがすぐに消えてしまうことである。この性格の人にとって,怒りはきわめて日常的な感情なのだ。したがって,あなたがいつも冷静であまり怒りを表さない性格なら,気をつけたほうがいい。というのも,確かに,あなたにとって怒りを表すということは,めったにない特別なことで,場合によっては決定的な破局を意味することだろう。だが,タイプA行動パターンの性格の人にとってはそんな意味は持たない……。その結果,あなたの側からすれば,相手の怒りの意味を読み違えるということになりかねないからだ。特に相手があなたの上司である場合は,こういった読みちがえをして,事態を深刻に考えないほうがいい。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.186
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

孤独

 もともと孤独に向かう性向があるだけに,分裂病質の性格の人は,放っておくと<隠者>のような生活を始めることがある。いや,<隠者>というのは決して誇張ではない。たとえば,つい20年ほど前までは,研究所をねぐらにして,そこから一歩も出ないという研究者は珍しくなかったが,おそらく,そういったことをする研究者は分裂病質の性格の人であったろう。また,現代のように高度に発達した情報社会になると,直接,人と顔を合わせなくても,仕事を含めてたいていのことができるようになる。そうなったら,分裂病質の性格の人々はますますひきこもりがちになる可能性がある。
 したがって,もしあなたの身近に分裂病質の性格の人がいるなら,やたらと話しかけて相手を疲れさせないようにするいっぽうで,時々は訪ねていったり,家に招待したり,あるいはパーティに連れていったりなど,相手があまり孤独のなかに閉じこもらないよう適度な刺激を与えたほうがよい。そうすれば,マリーヌの夫マルクのように,だんだんそういった状況に慣れてきて,人づきあいが楽になってくるということもある。人とつきあう能力を高めるには,ある程度の訓練が必要なのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.161-162
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

イライラさせる

 自己愛性の性格の人はその自信たっぷりな言い方でまわりの人をイライラさせることがある。したがって,まわりの人のほうは苛立ちをあらわにして,自己愛性の性格の人が言ったことにいちいち反対して,相手のプライドを傷つけたくなる。だが,そんなことをしたら,関係はますます悪くなるばかりだ。自己愛性の性格の人はどうしてそんなことをされるのか理解できず,自分に異を唱える人間を敵だと考えるだろう。自己愛性の性格の人を相手にする時には,まず何よりも<機会があるたびに褒めて,批判は最低限にする>こと。このことをもう一度,繰り返しておこう。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.138
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

成功者の共通点

 テレビなどで,いわゆる<成功した人>のインタビューを見ていると,そういった人々にはいくつかの共通点があることに気づく。すなわち,自分に自信があり,自分の業績を誇らしげに語って,相手の賛辞を当然のことのように受け入れる,という共通点である。
 <いや,その人は成功したのだから,そうなるのはあたりまえだ>と,もしかしたら,読者の皆さんはそう思うかもしれない。だが,<その人はもともと自分に自信があり,ほかの人より優れていると思っていた——つまり自己愛性の性格をしていた。だからこそ,成功したのだ>と,そのようには考えられないだろうか?実際,そのことを裏づける研究もある。
 もしそうなら,能力が同じであれば,自己愛性の性格の人のほうが成功する確率は高いと言える。また,自己愛性の性格の人は競争を厭わず,何かをする時にも失敗を恐れない。自分を売りこむのもうまい。自分の能力に自信があって,人に負けないと思っているからだ。したがって,競争が必要な状況,あるいは,思いきった決断が要求される状況では,多少なりとも自己愛性の性格の特徴を備えているほうが有利だと言える。
 また,このことに関連して,企業の経営者に話を聞くと,優れた営業マンは自己愛性の性格をしていることが多いという。というのも,自己愛性の性格の人は相手の気持ちを動かすのがうまく,断られても傷つくことが少ない(自分のせいではないと考えるからだ)。また,成功したいという気持ちが強いため,困難な状況にも耐えられるというのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.129-130
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

敵とみなすと

 これは特に職場でのことになるが,もし妄想性の性格の人があなたのことを敵だと確信してしまったらかなり面倒なことになる。というのも,厭いてはあなたのしていることを注意ぶかく観察し,あなたが少しでもミスを犯そうものなら,大喜びでそれを利用して,あなたを非難する材料に使おうとする可能性があるからだ。したがって,そういった状況に陥ったら,失言はもちろん,あげ足をとられないように言葉の端々にまで気を配らなければならない。妄想性の性格の人とつきあうことは,言葉を慎重に選び,失言を避けるいい訓練にもなるのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.77
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

分類の意味

 だが,このように人々を分類することに意味があるのだろうか?読者のなかにはあらためてそう問う人がいるかもしれない。人間とは多様な存在であり,世の中にはひとりとして同じ人間はいないのだから,分類という<檻>のなかに入れることが意味を持つのか,と……。
 この疑問に対しては,気象の比喩で答えたい。毎日の空模様は,ひとつとして同じものはない。風や雲の動き,太陽の位置は刻々と変化していくので,空の状態がまったく同じになることはほとんど不可能だと言ってよい。しかし,だからといって,空の様子を分類することには意味がないだろうか?たとえば,気象学では雲の種類を積雲,乱雲,絹雲,層雲の4つの基本形とその複合型(積乱雲等)の合計十種類に分けているが,これなどは分類としては簡単なものである。だが,雲が出ている空の状態を説明するということであれば,この十種で十分こと足りるのだ。もちろん,同じタイプに分類された2つの性格がまったく同じではないように,同じように積雲が出ている2つの空はまったく同じではない。しかし,それでも分類することは可能だし,それなりに意味のあることなのだ。
 もう少し気象の比喩を続けよう。雲を分類する知識があるからといって,素晴らしい空に感動する能力が失われるわけではない。それと同じように,性格を分類する知識を持ったからといって,いつでも友人を分類するはずもなく,ましてや豊かな交友関係が結べなくなるはずもない。むしろその反対に,雲についての知識があれば,これから天気がどうなるか予想することができるように,性格についての知識があれば,ある種の状況においては人とうまくやっていくことができるようになるのである。

フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.21-22
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)

IQテスト

 しかし,IQテストは,成果を予測するという意味においては役に立つ。もともと,IQテストは子どもたちが学校でどれくらい勉強での成果を上げるかを予測するために開発され,その点においては見事に役割を果たしている。また,他の多くの疑問に対しても,中程度〜高度な予測力を発揮する。たとえば,職場での業績,健康,事故死のリスク,収入,アルツハイマー病にかかる可能性のようにあまり明白ではない個人の特徴についてなどだ。私たちの立場をはっきりさせるために,ここで強調しておきたいと思う。私たちはIQスコアには何らかの予測力があると考えているが,それはけっして何もかもがIQによって決まるという意味ではない。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.257-258

人種間IQと遺伝差

 人種によるIQの違いについては,遺伝子は何の役割も果たしていないと自信を持って言える。人種による違いに遺伝子が関与しているとする証拠のほとんどは,間接的であって簡単に否定できる。純粋なアフリカ系からヨーロッパ人の血がかなり混じった人まで,幅があるアメリカの「黒人」を対象としたほぼすべての自然実験では,直接的証拠として,IQに関して遺伝的違いはまったくないことが示されている。また,人種間でのIQや学力の違いは,1世代あたり標準偏差の約3分の1という速さで縮まっている。現在の平均的な黒人のIQは,1950年の平均的な白人より高い。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 245
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

豊かにさせよ

 最後に,貧しい人を賢くしたければ,その人たちをもっと豊かにさせるのがよい方法かもしれない。スカンジナヴィア諸国は所得配分に関してアメリカよりはるかに平等主義で,最富裕層の子供と最貧困層の子供との学力差もそれに応じた程度になっている。社会的価値がある正当な仕事に対しては,家族を養うのに十分な給料を支払うべきだ。それは,最低賃金の引き上げ(最近の引き上げでも40年前の73パーセントにしか上がっていない),勤労所得控除,扶養控除によって一部実現できるだろう。その経済的コストのうち少なくとも一部——おそらくコスト以上——は,最貧層の生産性の向上,そして犯罪率や生活保護給付率の減少によって埋め合わせられるだろう。よいことをすれば,きっと自分にも返ってくるはずだ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 191
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

大学での伸び

 ヘアンシュタインとマレーが示したように,高校で黒人の能力が白人ほどは上がらないのは間違いない。差の開き方はあまりに大きく,不安にさせるほどだ。黒人のAFQTのスコアは,高校入学時には白人より標準偏差の5分の3足らず低いだけだが,高校修了時にはほぼ1標準偏差分低くなる。
 心理学者のジョエル・マイアーソンらは,大学でも黒人は同じように厄介な後れを示すかどうか見極めることにした。能力差が時とともに強く表れてくるという理論にもとづけば,大学でのIQの伸びは黒人のほうが白人より小さく,高校のときよりさらに差が開くと考えられる。
 しかしマイアーソンらは,それとまったく逆の現象を見出した。最終的に大学を卒業することになる黒人生徒の高校修了時の学力は,同じく大学を卒業する白人生徒より1標準偏差分以上低かった。しかし大学生活のあいだ,白人学生のIQがほとんど上がらなかったのに対し,黒人学生のIQはかなりの勢いで上がっていき,最終的な平均IQは白人の平均より標準偏差の0.40倍強低いだけとなっていた。大学教育におけるこの伸びの差はかなり大きい。
 なぜ大学では黒人の方が伸びるのか?というより,なぜ高校ではほとんど伸びないのか?最も明らかな理由が,黒人は白人より悪い高校へ進むということ。もう1つの理由が,白人と同じように振る舞うなという圧力に抵抗するのが,大学より高校でのほうが難しいことだ(大学でも圧力があったとして)。
 あと1つ考えられる理由として,黒人生徒のなかでも,直面している社会環境によってテストの出来や動機づけが大きく違ってくることが,ステレオタイプ脅威に関する研究によって示されている。
 たとえばスティールとアロンソンの実験調査によれば,テストを脅威と感じる方法——知的能力をあからさまに詮索されることで,知的に劣っているという黒人のステレオタイプに当てはまるようなスコアを出さないか心配になるような方法——とは違うやり方でおこなった場合,黒人生徒の出来が著しくよくなることが示されている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 184-185
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

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