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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

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アイゼンクと占星術

 昔からの占星術の言い伝えによると,12星座のうち,牡羊座,双子座,獅子座,天秤座,射手座,水瓶座は外向的,残りの牡牛座,蟹座,乙女座,蠍座,山羊座,魚座は内向的らしい。また,「土」の星座(牡牛座,乙女座,山羊座)の人は,情緒が安定して実際的であるのに対し,「水」の星座(蟹座,蠍座,魚座)の人は,神経症の傾向が強いとされる。
 この言い伝えが本当かどうかを調べるために,アイゼンク博士は,イギリスで名高い占星学者のジェフ・メイヨーに協力を頼んだ。メイヨーが数年まえに創設したメイヨー・アストロジースクールには,世界じゅうから生徒が集まっていた。そこでアイゼンクは,合計2千人以上にのぼる相談者や生徒の,アイゼンク性格検査と生年月日のデータをもらった。占星術に懐疑的な人びとは,性格と星占いには何の関係もないだろうと予想していた。一方,占星術の支持者は,生まれたときの惑星の位置は,その人の考え方や行動に大きく影響するはずだと固く信じていた。結果は,占星術の言い伝えどおりだったため,懐疑派は仰天した。外向的な星座の人は,外向性の数値が高く,水の星座の人は土の星座の人よりも神経症の傾向が強かった。占星術の雑誌「フェノメナ」は,この発見を,「ことによると,今世紀最大の占星学の進歩か?」と伝えた。
 しかし,アイゼンクは,この調査の協力者が最初から占星術を信じている人びとであるという点が気にかかった。彼らは,自分が星占いでどういう性格の持ち主と言われているか,知っていたはずだ。そのせいで,この調査は信頼性に欠けるのではないだろうか。こういう結果が出たのは,生まれたときの惑星の配置によるのではなく,協力者が自分の星座の性格をあらかじめ知っていたせいかもしれない。
 そこで,アイゼンクはさらに2回,調査した。まず,星座による性格の違いをあまり聞いたことのない子ども千人を対象にした。すると,結果はまえと大きく異なり,星占いで言われている特徴は出なかった。外向性や神経症傾向のレベルは,生まれたときの天体の配置とまったく関係がなかったのだ。念のため,もう一度,大人を対象として「生年月日と性格の調査」を行い,その際,占星術の知識がどれぐらいあるかも考慮した。すると,星座が性格に関係あると考えている人は,占星術にあるとおりの特徴を示し,占星術について何も知らない人はそのような特徴は表れなかった。これではっきりした。生まれたときの惑星の位置が,その人の性格に神秘的な影響をおよぼすことはなく,自分の星座の性格をよく知っている人だけが,占星術者が言うとおりの性格になるのだ。アイゼンクの伝記には,科学と占星術に関する会議で,この追跡調査の結果を報告したときの様子が書かれている。「……占星術者のなかには,アイゼンクが最初は味方の顔をしていたのに,不愉快な真相を発表して裏切ったと強い反感をもつ人もいた」

リチャード・ワイズマン 殿村直子(訳) (2008). Qのしっぽはどっち向き?:3秒で人を見抜く心理学 日本放送出版協会 pp.25-27
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高齢者の自己愛

 自己愛の強い高齢者に見られる妄想症(パラノイア)は,病的な抑うつにたいする防衛のあらわれだ。彼らは自分が人より優れているという考えを維持できず,内側で破綻する。彼らは,復讐心に燃えた人間が弱っている自分を滅ぼそうと攻めてくる,という恐怖に呑みこまれる。だから油断なく目を光らせなければならない。悪意のある者が自分の破滅をもくろんでいるという話は,無力感と依存の恐怖をなんとか制御しようとする最後の努力だ。だがあいにく,そのような荒唐無稽な話は,彼らが依存する相手をいっそう遠ざけ,ますます彼らの人間性を奪う。誇大感と全能感を支えてきたすべてが崩壊するとき,彼らのもろい自己も世界も意味を失い,絶望は病的な抑うつに変わる。慰めを与えてくれる唯一の残された手だてである,幻想へと通じる道だ。悲痛な現実を狂気が引き継ぐ。
 ほとんどの高齢者はそこまで完全に崩壊はしないが,狂気のすぐ上を,不安や恐怖に取り憑かれた状態でさまようのかもしれない。老いた身体の痛みや苦しみはヒステリー近くにまで増幅され,その結果生じたパニックは,周囲を途方に暮れさせることもある。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.209-210
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

辛い目に遭わされるのは

 権力の座にある自己愛人間にもっとも辛い目に遭わされるのは,ことあるごとに自我を防御している自己愛に弱い人たちだ。彼らは権威全般に弱く,自分が指揮できない階層構造ではうまくやっていけない。上司が自己愛人間なら,絶えがたい惨めさを味わう。もっと害のない,自律性と権限の認められる職場に移ったほうがいい。彼らに対処するための重要なポイントは,あなたが自分の自我を超越することだ。確かな自信をもつ者(あるいは前もってプログラムされた者)だけが,この難題を克服できる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.195
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

ねたみと自己愛人間

 ねたみは,権力の均衡の変化にことのほか敏感な自己愛人間にとっても馴染み深いものだ。ふつうは相手をこきおろしたり,相手と張り合って出し抜くというかたちであらわされるが,ときには過剰な賞賛の背後に隠れていることもある。相手をこきおろせば,自分を損なうものをおとしめられる。相手と張り合うのは,相手をだしにして自分を引き上げ,望むものを手に入れようとするからだ。口先だけの賞賛は,ねたみが引き起こす恥の意識を避けると同時に,自分と周囲にたいして侮蔑の念を否認する方法だ。こういった行為があるところ,ねたみと,おそらく自己愛人間がいる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.191-192
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛とスプリッティング

 自己愛人間はしばしば,何らかの意味で欠陥があるか力が劣っていて,自分がコントロールしやすい相手を選ぶ。とはいえ,これは微妙な問題をはらむ。相手がただ踏みにじられ,あまりに惨めか欠点だらけに映れば理想化は危うい。そこで彼らは分裂(スプリッティング)を用いる。相手をよい人間と悪い人間に分裂させ,何らかの方法で良い面は保ち,悪い面は開閉可能な仕切りの奥に隔てておく。これは,ひとりの人間をよい面も悪い面も備えた複雑な存在とみなせない乳幼児のとらえ方に似ている。愛の対象はいつの瞬間もすべてよいかすべて悪いかのどちらかであり,評価は瞬時に入れ替わる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.165
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

親密な関係が困難

 自己愛人間は,自分が征服したものを周囲にうらやましがらせようとするが,彼ら自身が愛の対象を激しくねたんでいることに気がつかない。彼らは本質的に競争心が強く,自分を魅了した相手の素晴らしさが,やがて彼らの心のなかに劣等感を生む。自分の賞賛の渇望を満たすはずの相手が脅威になりはじめると,自分を支えるために相手をおとしめなければならなくなる。相手の素晴らしさは彼らの価値を損なうものでもあり,破壊されなければならない。羨望が侮辱を,侮辱が破壊を生み,完璧を求める自己愛人現は憤懣と虚しさにまみれる。
 彼らにとって,恥と同じくねたみも耐えがたく卑しい感情だ。そこでねたみを他者に押しつけて追い払う。投影という巧みな心の働きにより,ねたまれた側がねたみをもつ側に転換され,投影した側は世間ばかりか自分の目にも賞賛される存在であり続ける。同じメカニズムを用いて,彼らは破壊したいという衝動を相手に移しかえ,現実あるいは想像上のねたみに怯える。この歪曲のせいで親密な関係が築けない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.161
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

役立つか貶めるか

 彼らにとって役に立つ人間は2種類しかいない。彼らの自尊心をふくらませてくれる人間と,彼らがおとしめることのできる人間だ。彼らの自尊心をふくらませる人間は,彼らを賞賛するか,自分自身の特別な資質を共有させて彼らがその威光に浴せるようにする。おとしめられる人間は,彼らが投影によって「恥を投げおろす」か比較によって優越感に浸るのを許す。愛の対象はしばしばその両方の役目を担う。あなたが自己愛人間に夢中なら,たえず相手をほめちぎるいっぽうで,つねに相手からけなされることを覚悟しよう。彼らはあなたの愛よりもそちらに関心が高い。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.159
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛と薬物

 自己愛人間も薬物に頼る人間も,自分の欲求を満たす人物にたいして全能の支配感をもちたがるが,なかなか他者を信用できない。どちらも短気ですぐに結果を求めたがり,他者を利用して請求に満足を得たがる。ところが薬物を利用すれば,精神的な努力なしに欲求が満たせる。彼らは自分の本当の能力を危険にさらす緊張や苦痛や挫折に耐えられず,じっさいの自分の能力にたいする不安を薬物で鎮めようとする。自己愛人間も「真の自己」が起動できず,非現実の世界に生きている。依存症の人間は薬物によって,自分を慰めてくれたものを自分がコントロールしていると感じられた,自己愛人間の乳幼児期の心理状態に戻ることができる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.144
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

魅力的に映る

 それならなぜ,これほど多くの自己愛人間が会社の上層部を占めているのか。彼らが政治家,スポーツ界のスター,歌手や俳優として異彩を放ち,一流企業のトップとして忠実な社員の群れを率いるのはなぜか。女性が傲慢な男に夢中になり,男性が虚栄心の強い薄っぺらな女を崇拝するのはなぜか。
 彼らの魅力的な誘いに応じるのは,しぼんだ自己をふくらませたいというわたしたち自身の欲求のせいだ。自尊心が少々ぐらついているとき,人生に何か足りないものがあるとき,彼らは強力な矯正手段を差しだしてくれる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.98
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛の罠に陥るとき

 言うのは簡単だが,行動に起こすのは難しい。自己愛人間にたいするわたしたちの反応はしばしば複雑で,否定的なものばかりとは限らない。ときには彼らの並外れた特性に惹かれ,その誇大感と全能感に巻きこまれて特別な気分を覚える。彼らの人生の一部となって充実感や刺激が味わえるならば,喜んで代償を払うか,代償があることさえ否認したくなる。だが自分を犠牲にして錯覚を追い求めても,結局は満たされず,傷つくだけだ。彼らの罠に陥るとき,わたしたちは自己を捨てているのだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.89
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

本物の自尊心ではない

 自己愛人間が「自分には権利がある」というメッセージを伝えるとき,彼らが感じているのは自尊心ではない。彼らの特権意識は本物の自尊心とは別物だ。自尊心は,現実の功績や自分自身の理想に忠実なことから生まれる。尊重されて当然だが相手を敬う必要はないと思う者,努力もなしに報いを求める者,不快な出来事のない人生を期待する者は,自己の運命を方向づける能力を失っていく。彼らは本質的に受身の役割に甘んじ,外部に頼って幸せをつかもうとする。期待が実現しないと無力感に包まれる。特権意識を振りかざして,一歳児の幻想の世界に生きようとする。彼らが激怒するのも無理はない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.47
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

軽蔑,妬み

 他のだれかが自分にないものをもっているとき,優越感を確保したいという自己愛人間の欲求は邪魔される。無意識の深部に,自分の優位を脅かす他者の脅威があらわれ,心のなかの風船が割れる。「危険発生!危険発生!」警報が鳴り響く。「制圧せよ!」恥のざわめきを黙らせるために,彼らはどんな手段を選ぶだろうか。
 答えは軽蔑だ。たとえば「だれそれは自分で思っているほど大物じゃないね」などという。その人がじっさいには謙虚で,まわりを不快にさせたことなどないとしても関係ない——これは恥の投げおろしと同類の歪曲で,現実に何の根拠もないだろう。
 そしてそのあとに,相手の欠点をあげつらったかなり卑劣な内容のリストが続く。その目的は,たいてい無意識のうちに,他者をおとしめ,自分が相対的に優位な立場に復帰することにある。彼らが自分の中の感情に気づいたとしても(もちろん,つねに正当化されて),ねたみは断固,否認される。ねたみを認めれば自分の劣位を認めることになりかねず,自己愛人間にそれはありえない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.38-39
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

敗北は屈辱

 自己愛人間にとって競争は優位性を確認する手段だが,彼らの多くは好都合な結果が期待できる競争にしか加わらない。敗北は激しい屈辱だ。彼らは大きな危険や努力もなしに自分が輝ける舞台を選ぼうとし,そこで成功すると,今度は完璧さを追求せずにいられない。その過程で他者からの賞賛を渇望する。自分をほめるよう要求するのは,たいてい優位性に自信がもてず,エネルギーの補給が必要なときだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.36
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

比較が必要

 多くの自己愛人間が世間に見せる表向きの人格(ペルソナ)は,しばしば優越感に満ちている。だが,傲慢な仮面の裏に潜んでいるのは,ふくらんだ自尊心でできたもろい風船で,ただ優秀なだけでは満たされず,非常に優秀なだけでもだめで,他者より優れていなければ何の価値もない。彼らにとって価値は絶対的なものでなく,つねに相対的な尺度で測られる。
 彼らの観点からすると,他人の株があがれば,自動的に自分の株がさがる。逆に,自信をなくしたときは,相手をけなし,おとしめれば,自尊心が取り戻せる。彼らが高飛車で批判的,完璧主義で権力欲が強いのも,そのためだ。欠点や恥の汚点からできるだけ遠ざかっていられる立場を確保したいのだ。人生の逆風によって風船が割れたときでも,他者が自分より劣っていると証明できれば自力で修復できる。ときにはそれが巧妙な方法で行なわれる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.33-34
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛と恥

 自己愛人間にとって恥はあまりにも絶えがたい感情であるために,いっさい恥を感じずにすむ方法が生みだされてきた。心理学者のいう「回避された恥」だ。これによって,見た目には羞恥心がないか良心が欠けているように装われ,恥は回避されて否認や冷淡さ,非難,怒りの防壁の奥に隠れてしまう。彼らの内部には恥を処理する健全なメカニズムがないので,この不快な感情は自己を離れて外部に向けられる。「自分の責任」ではありえないのだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.25-26
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

共感と知性

 共感能力の欠如は知性と関連付けられることがある。時にはそう振る舞うことがひとつの流行とされることまである。でも,私は共感能力の欠如と知性の間には何の相関もないと思う。共感能力がなくても数学や自然科学で高い能力を発揮することはできるし,そういう分野にいる人は一般に聡明だから,知性が共感能力の欠如と関係あるかのように思われるのだろう。実際は,賢くもなく,共感するのもうまくない人だってたくさんいる。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.36

(引用者注:最後の文章は,無関連を示す例になっていない)

リスクと保護

 神経症傾向が強いだけでは認知症のリスクは上がらない。神経症傾向の強い人であっても,家族や友人との交流が多かったり,余暇活動を活発に行なったりしていれば,認知症のリスクは下がる。神経症傾向と外向性—内向性傾向との組合せ,神経症傾向と社会的ネットワークや余暇活動との組合せ,それが重要なのである。

辻 一郎 (2010). 病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告 朝日新聞出版 pp.160

性格とガン

 要するに,アンケート調査の時点でがん既往歴のあった人たちは,そうでない人たちに比べて,神経症傾向の得点が高かった。追跡を始めてから間もないころにがんを発病した人でも,既往歴のある人たちと似たような結果となった。一方,追跡を始めてから3年以降にがんを発病した人たちと,がんにならなかった人たちとの間では,アンケート調査時点のEPQ-R得点に差はなかった。
 がん既往歴のあった人たちでは,治療の後遺症で苦しんだり,再発の不安を感じたりしている人も多いだろうから,その結果として神経症傾向の得点が高くなったものと考えられる。アンケート調査から間もないうちにがんと診断された方がたで神経症傾向の得点が高くなっているのも,自覚症状などの影響が考えられる。一方,アンケート調査からしばらく経ってからのがん発病は,神経症傾向の得点とまったく関係がなかった。つまり,健康だったころ(がんになる前)の性格特徴をもって,その後の発がんリスクを予測することは不可能だった。
 性格はがんと関係ないというのが,この研究の結論である。がんの既往歴のある方がた,調査開始から間もないころにがんと診断された方がたで不安・抑うつ傾向が高まっていたのは,(不安・抑うつが発がんの)原因ではなく,(がんを患ったことによる)結果だったのだろう。

辻 一郎 (2010). 病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告 朝日新聞出版 pp.128-129

因果関係は?

 うつ病とがんとの関係について調査した結果を紹介しよう。1969年から93年までの間に,うつ病で入院した方がデンマーク全体で8万9491名いた。そのうち9922名が,がんを発病した。しかし,がん発生率が増加した時期は,うつ病で入院してから1年以内だけであった。よく調べてみると,脳腫瘍が増えていたという。
 種明かしをしよう。抑うつ状態は,脳腫瘍の症状として起こることもある。それがポイントなのである。うつ病で入院して,詳しい検査をしたら脳腫瘍が診断された。そういう人がいたのである。つまり,うつ病が原因となって脳腫瘍が生じたのではなく,脳腫瘍のためにうつ病が現れた。そのような患者を取り除くと,うつ病で入院した方がたと,そうでない方がたとの間で,がん発生率は何の差もなかった。

辻 一郎 (2010). 病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告 朝日新聞出版 pp.123-124

タイプA

 その論文では,タイプAについて何もコメントがなかったのだが,この数十年間でアメリカ社会はタイプAを克服してきたように思われる。それは,いくつかの点からいえる。
 第1に,タイプAと冠動脈疾患との関係は,じつは時代とともに変わっているのだ。1970年代後半まではタイプAで冠動脈疾患が増えるという報告が多かったが,1980年代になるとむしろ両者の関連を否定する報告が多くなった。つまり,最近のアメリカ人ではタイプAの人たちとタイプBの人たちとで,冠動脈疾患のリスクは変わらなくなったのである。ストレス解消法やリラクセーション法を広く実践するようになったことで,タイプAの有害性が弱まったのではないだろうか。
 第2に,「心筋梗塞はアメリカ社会で成功した者がなる病気」という構図も逆転してしまった。いまのアメリカでは,社会階層の高い者ほど,心筋梗塞の死亡率が低い。彼らは日常生活に気をつけている(たとえば学歴や年収と喫煙率が反比例することは,もはや常識)ことが,その理由の1つと思われる。そして,もう1つは,社会階層の高い者がストレス解消やリラクセーションに熱心であることも関係しているだろう。もちろん,低い階層で健康が悪化しているという問題は見過ごすべきでないが,その一方で高い階層の人が心筋梗塞から解放された過程についても学ぶべきである。

辻 一郎 (2010). 病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告 朝日新聞出版 pp.111-112

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