I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「パーソナリティ・個人差」の記事一覧

感情的特性

ゴールマンやバーオンなどの混合モデルで,特性としてのEIとされてきたものの中核に,正負両方の感情に関わる気質やパーソナリティがあることは,先にもふれた通り,すでに多くの研究者が指摘するところです。そして,繰り返しになりますが,それは本来,EI(感情的な知能)として概念化されることに必ずしもそぐわないものです。むしろ,それは,より直接的に感情的特性(emotional trait)と呼ばれるべきものです。私たちは元来,事象や刺激に対してどれだけ敏感に反応し,感情的に賦活されやすいか(emotional sensitivity),またネガティヴな感情がどれだけ経験されやすいか(emotionality),あるいはまた共感性なども含めたポジティヴな感情がどれだけ発動されやすいか(emotionateness)といったところに,広範な個人差を有していると考えられます。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

相関が高すぎる

特性としてのEIに関しても,すでにビッグ・ファイヴをはじめとして,さまざまなパーソナリティ指標との関連性が検討されています。たとえば,(混合モデルの指標とはされていますが)実質,特性としてのEIを測定するためのツールであるバーオンのEQ-iに関しては,その下位尺度とビッグ・ファイヴの各特性との間にさまざまに有意な相関が見出されることが数多くの研究によって報告されています。もちろん,特性として仮定されている以上,同じく特性としてあるパーソナリティと一定の関連性を有することは半ば自明のことといえるわけです。
 しかし,そこで問題になるのは,その相関があまりにも高すぎるということです。EQ-iとパーソナリティ指標との相関は,特に(ネガティブ感情に密接に関連する)情緒的不安定性や(ポジティヴ感情に密接に関連する)外向性の次元などを中心に,時に0.8にも達するような不自然に高い値を示す場合が,かなり頻繁に認められることが知られています。すなわち,そうなると,そもそも両者にはほとんど概念的独立性が成り立っていないことになり,結局のところ,EQ-iに従来のパーソナリティ測度にはない独自性を仮定してみること自体,実質的に非現実的であるということになってしまうのです。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

能力として・特性として

また,一部には,質問紙法などの同じ方法論をもって「能力としてのEI」と「特性としてのEI」の両方を正当に測定することはそもそも原理的に無理であるとの判断から,EIを純粋にパーソナリティの下位特性と見なし,特に感情的な適応性に深く関わる自己信頼感や自己主張性あるいは共感性といった視点から再概念化すべきだと主張する「特性モデル」(trait model)の立場もあるようです。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

バーオンの研究

なお,ゴールマンと同様に,EIに関して混合モデルをとる代表的な論者にバーオンがいます。彼は,臨床心理士としての実戦経験に基づきながら,EIを,環境からもたらされる種々の要求や圧力にうまく対処するために必要となる非認知的な能力やスキルおよび特性の総体であると定義した上で,日常における感情的・社会的適応性を測るための自己報告式測度,EQ-iを独自に開発しています。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

EQが流行った背景

こうしたサロヴェイらの発想に触発されて,EI概念を平易に解き明かし,広く世に広めることになった立役者が,サイエンス・ジャーナリストのダニエル・ゴールマンということになります。現在,EIを扱った書物は,欧米圏を中心におびただしい数に上っており,とりわけEI概念の受容は,いわゆる「EI産業」なるものが成り立つほどに,ビジネスの世界で顕著であるといえますが,そのきっかけとなったのが彼のベストセラー『感情知性』(Emotional Intelligence: Why it can matter more than IQ)であることは間違いありません。ゴールマンは,EI概念とその応用可能性を巧みに論じ,(特に欧米圏を中心とした)EIをめぐるある種,狂騒的ともいえる現在の状況をつくり上げたのです。むろん,そこに,彼の筆致の妙が関わっていたことはいうまでもありませんが,うがった見方をすれば,彼の本が,たまたまタイミングよく,当時のアメリカの社会的思潮にうまく合致したという部分も少なからずあったのかもしれません。それというのは,『感情知性』が世に出る前年の1994年,アメリカ社会はもう1冊のベストセラー『ベル・カーブ』(The bell curve: Intelligence and class structure in American life)に揺らいでいたからです。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

4枝モデル

サロヴェイとメイヤーは,EIを,従来のIQの範疇では把握できない別種の「能力」(ability)であると仮定し,いわゆる4枝モデル(four branch model)として概念化してきています。それは,EIが,知覚・認知的に最も低次の水準から最も高次の水準に至るまで,順に階層をなして,

(1)感情の知覚・同定
(2)感情の促進および思考への同化
(3)感情の理解や推論
(4)自分や他者の感情の制御と管理

 という4種の下位要素(4本の枝)から構成されるとするものです。もう少し詳しくお話ししましょう。
 (1)の要素は,その時々の自身の感情の知覚・同定および,小説や映画などの登場人物も含めた他者の感情の知覚・同定を,その真偽も含めていかに的確になし得るかということと,自身の感情や感情的ニーズを他者に対していかに正確に表すことができるかということに関わる能力です。
 (2)の要素は,さまざまな感情や気分を,自発的に自身のなかに誘発したり,想像したりすることによって,意思決定や問題解決あるいは創造性も含む自身の思考や行動にどのように活かすことができるかということに関わる能力です。
 (3)の要素は,感情の法則性の理解,たとえば,1つの感情が他の感情とどのように関連するか,また複数の感情がどのように混じり合う可能性があるか,さらには感情がどのような原因から発し,またどのような結果をもたらすかといったことに関する理解・推論能力です。
 (4)の要素は,正負両面の感情に対して防衛なく開かれた態度を有し,時と状況に応じて自身の感情をいかにうまく制御・調整できるか,また他者の感情をいかにその文脈に合わせて適切なものに導き,管理できるかといったことに関わる能力です。

遠藤利彦 (2015). こころの不思議—感情知性(EI)とは何か 日本心理学会(監修) 箱田裕司・遠藤利彦(編) 本当のかしこさとは何か—感情知性(EI)を育む心理学 誠信書房 pp.1-19.

集団のナルシシズム

コーネル大学のジャック・ゴンガロの研究チームは,グループ内におけるナルシシズムの効用を調べることにした。調査の参加者4人ずつのグループを73チーム作り,困難な問題を抱えた企業のために組織コンサルタントとして働いてもらうと告げた。イノベーティブでしかも実現可能な行動プランを作り出すことが目標である。参加者たちはもちろんプロジェクトを成功させたいと思っているが,それに加えてプレッシャーもある。組織心理学の専門家が2人,各自のアイデアを評価して,もっとも優れた人材を選ぶと言われているからだ。
 まず事前に,292人の参加者それぞれの「ナルシシスト的傾向」を評価する。その後,73のチームは数週間かけてプロジェクトに取り組む。そしてプロジェクトが完成した後,各自に「アイデアについてどのように話し合ったか」「決断を下す前にすべての可能な選択肢について考えたか」など,グループダイナミクスについて尋ねた。さらに専門家が,各グループが打ち出した解決策を評価した。その結果,ナルシシスト的リーダーは本質的に好ましくないという一般的な見方に反し,「ナルシシストが少なすぎても多すぎても最適なグループダイナミクスは生まれず,創造性も限られたものになる」ということがわかった。グループ運営面から見ても,生みだされたソリューションの質から見ても,ナルシシストがグループ内に1人ないしゼロの時に比べ,2人いる状況が最適だという結論が出た。
 皆さんは,「グループにナルシシストがいるなんて,どこがいいのだろう」と思っているだろう。しかしナルシシストは2人いると特に具合がいい。それはイノベーティブに考えようとする時には,規範やルールが妨げになることが多いからだ。創造的であるためには,「こうでなくてはならない」という思い込みに挑戦する必要がある。ナルシシストは,自分だけは特別だと思っており,壮大な幻想を持っているので,アイデアが世間的に見て適正かどうかということに関心がない。ばかばかしいとか実現不可能だとしてさっさと切り捨てられるようなアイデアが,ナルシシストにとっては格好の獲物となる。マイケル・マコビーは,『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の中で,人々に議論をやめさせ行動を起こさせる偉大なナルシシストたちの例をたくさん挙げている。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.238-239

幸せ予測

幸せの予測を誤らせるバイアスは他にもあり,スフレを半分しか食べられないことよりずっと悪い結果につながることもある。一般的な例を挙げれば「インパクト・バイアス」というのがある。これは何かの出来事が感情に与えるインパクトと,その影響が続く時間を課題に見積ることである。たとえば,太陽の降り注ぐハワイで1週間休暇を楽しんだとする。「こんなに素晴らしい場所はない」と感じて,引退後はハワイで過ごそうと考えてしまう。この選択は,明確には意識しないものの,快適な気候,ゆったりした生活ペース,海に近い暮らしなどが「今よりずっと自分を幸福にしてくれる」という推測に基づいている。だが人は常に実際よりも強い感情インパクトを予測しがちである(スポーツにおける勝敗,政治面での勝利,仕事上の成否などに関して行われたさまざまな研究の結果がそれを示している)。また,そのインパクトが,実際よりも長く続くと考える傾向がある。従ってハワイに移住した人の場合も,おそらく一時的に幸福感は上昇するだろう。だが1か月もたてば新しい環境に慣れ,引退前に都会で暮らしていた頃と同じ程度の幸福度に戻ってしまう。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.161

感情というスーパーパワー

皆さんは子どもの頃に,自分が何かのスーパーパワー(空を飛べる,誰よりも強い,不死身である)を持っているつもりになって遊んだことがあると思う。ポジティブ,ネガティブを含め,私たちのすべての感情がそれぞれの利点を持つことを考えれば,人にはスーパーパワーがひとつどころか,たくさんあるということがわかる。勇気を持たせてくれる「怒り」,道に外れた行いを正してくれる「罪悪感」,危険を見張っていてくれる「不安」などである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.131-132

罪悪感と恥

罪悪感の利点が世の中で広く理解されなくなったのは,「罪悪感」と「恥の意識」が混同されてしまったからである。アメリカン・ヘリテージ英語辞典によれば,罪悪感とは「過ちに対する自責の念」であり,「自分の行動が不十分ないし誤りだったと感じることによる自己非難」である。恥の意識はそれとは別のものだ。人が恥の意識を覚える時には,単に自分の行為を過ちや悪行だったと考えるだけではない。自分自身を基本的に悪い人間と感じるのである。罪悪感の場合,悪かったという認識は特定の状況に限られる。しかし恥の意識は,自分という人間そのものをネガティブに捉える。「罪悪感」は役に立つ。しかしその親類の「恥の意識」はあまり有益ではない。罪悪感は限定されるが,恥の意識はずっと広い範囲に及ぶ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.117

ネガティブ感情=シグナル

どのネガティブ感情も,「何かがうまく行っていない,すぐ対応する必要がある」と知らせてくれるシグナルである。怒りやその他のネガティブ感情を,感じるそばから押さえ込んでしまうと,それらがなぜ湧いてきたのか,それがどんな行動を促しているのかわからない。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.96

退屈の機能

たとえば,最近退屈していた時間のことを思い出してみよう。カルガリー大学のピーター・トゥーイに言わせると,退屈というのは機能を持ったツールなのだそうだ。現在の人間関係や日々の雑事に自分は満足していない,ということを自覚させてくれるツールである。長々と続くスピーチや長時間のフライトで退屈している時など,自分ではどうしようもない時もあるが,退屈な状況から自力で抜け出すことが可能な時も多い。退屈のおかげで,正しい選択をしていないことや,新しい状況で心を閉ざしている自分に気づくことができる。また興味深いのは,多くの人は退屈を嫌うのに,その時々の退屈にちゃんと対処していることだ。そしてそういう気分はやがて過ぎ去る。退屈を事前に想像すると耐えがたいものに思えるが,皆さんはこれまでの人生で数えきれないほど退屈を経験し,そのたびに有効に対処してきたのである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.92-93

社会的敏捷性

「社会的敏捷性」というのは,移り変わる状況を認識し,それぞれの場で求められていることに自分の行動を適応させる能力のことである。社会的に敏捷な人は,行動的で,選択能力があり,自分の置かれた状況に影響力を及ぼすことができる。状況によって,人に優しいことも,罪のない嘘をつくことも,相手に圧力をかけることもある。また有名人の名前を出したり,相手にへつらったり,お世辞を言ったり,助力を申し出たりすることもある。配偶者や恋人を感心させるために,少し前に冷蔵庫を掃除したことをさりげなく伝えたりもする。社会的に敏捷な人たちは,決してマキャベリ的というわけではない。単に「よき人間であれ」という規範よりも,もう少し包括的で柔軟な社会規範に従って行動するのである。興味深いのは,人がルールを破るケースの多くが,自分が得をするためでなく,相手を喜ばせたり,関係を深めたり,大事な目標を達成するためだったりすることだ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.43-44

ネガティブ感情の利点

不快と感じて避けがちなネガティブ感情にはいくつか大きな利点があり,そのひとつが,目標達成への執着が薄れることが。悲しみ,欲求不満,自信のなさ,混乱,さらには罪悪感も,そういう働きをする。ネガティブ感情が,いまはブレーキをかけ,じっくり自分の気持を見つめ直し,労力や資源を節約すべきだと教えてくれる。私たちは,達成が望めない信念のために無限に投資を続けてしまいがちだ。望む結果を得る可能性が細る一方なのに,損切りをする決心がつかず,「サンクコスト(埋没費用,投下した労力や資金などが戻ってこないこと)」を考えて止められなくなる。そんな時は,ネガティブ感情のかけるブレーキがとりわけ重要になる。ポジティブもネガティブも包含する「ホールネス」を持つ人たちは,目標に対してもっと柔軟に行動できる。事態がよいペースで進展していれば投資を続け,ダメだと判断すれば見切りをつけて別の目標に切り替えるのである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.36-37

問題のある回避行動

問題になる回避行動にはふたつのタイプがある。「喜びを避ける行為」と,「苦痛を避ける行為」だ。喜びを避けることなんてあるのだろうか,と思うかもしれないが,「面白いことを楽しめない人」が皆さんの周りにいないだろうか(もしかしたらあなた自身かもしれない)。そういう人は,楽しいことがあっても,ほかにもっと有益な時間の使い方があるのではと思ってしまう。幸運を祝うと悪いことが起きるのではと不安になる人もいる。自分の誕生日や昇進を祝ったり,あるいはいい体操教室には入れたことを喜んだりすることさえ,自分本位で他の人をないがしろにしているように思えて心配になる。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.30-31

自己検閲

gという概念のおかげで,デビッド・ウェクスラーは正しい道筋を進んでいたことが裏づけられた。とても喜ばしいことだ。先進国で重んじられる分析的知能の個人差を測るための,現在のところもっとも優れた手段であるウェクスラー知能検査は,gによって理論的な裏づけを得たのだ。アメリカだけが先進国ではない。地球上のほぼすべての国が先進国をめざしている。また,分析的知能の価値がはるかに低い世界でも,gを使えば分析的知能に応じて個人をランキングすることができる。社会経済的地位という概念は,南アメリカ南端部にあるティエラ・デル・フエゴ州の住民にとっては大した意味はないが,社会学者にとってはとても重要だ。それと同じこと。生涯をかけて困難に立ち向かい,gの概念を生み出したアーサー・ジェンセンに,心理学者は感謝しなければならない。ジェンセンは才能にあふれていただけでなく,ときに科学的というより政治的な批判に立ち向かう勇気ももちあわせていた。もし私が学問に大きな貢献を果たしてきたとしたら,それはほぼすべて,ジェンセンが示したたったひとつの問題を踏まえたものでしかない。
 ジョン・スチュアート・ミルの本を読んでほしい。ある考え方を封じこんだら,将来そこから生まれるあらゆる議論の芽を摘みとってしまう。人類の思想史を自分の都合で検閲できると思いこんでいる者たちよ,よく耳を傾けるがいい。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.195

gとは

gを認知能力全般の指標ととらえることは,弊害が大きい。その認識は広まりつつある。第一に,gを利用するにしても,社会的な考え方を忘れてしまってはならない。人が社会的に成功するための認知能力や個人的特性は,分析的知能だけではないのだ。
 第二に,時代による認知能力の変化の歴史を理解するうえで,gはまったくあてにならない。gの意味をけっして忘れてはならない。gは認知的複雑性の指標だ。現代社会の進歩によってさまざまな知的能力が上がっていくのはなぜか?数ある知的能力のうちどれが上がっていくかが,各能力の認知的複雑性の程度によって決まるといった,なんらかのしくみがあるからかもしれない。だがそのようなしくみがないと知的能力は上がっていかない,と考えるのは間違いだ。もしそのようなしくみがあったとしたら,IQの上昇はgの上昇と等しくなるだろう。しかし,社会がどんな能力を求めるかが,そのような奇妙なしくみに従うだろうか。このことからわかるように,たとえgが上がっていなくても,IQの上昇には社会的な意味があるのだ。
 第三に,人種によるIQ差を理解するうえでgは役に立たない。g負荷量の高い下位検査ほど人種間のIQ差は大きいが,そこから,その差は遺伝のせいなのか環境のせいなのか判断がつかない。環境が同じだと仮定しても,複雑な課題ほど集団間の差は大きくなるのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.193-194

社会に目を

知能の研究は,社会学的想像力が欠けているせいで前に進んでいないと思う。どうしたことか心理学者は,自分の研究成果を説明する社会的シナリオを無視することに慣れきっている。そして,社会的側面が抜け落ちた,的はずれな心理学的モデルを好みがちだ。人の知能の心理的側面とその他の側面を統合したうえで,脳生理学を使うべきなのだ。でもここに危険が潜む。往々にして,ふたつを統合するのでなく,還元主義になりかねない。知能の心理的側面を脳の活動へ求めること自体は,価値がある。だが心理学者はそれにとどまらず,人の知能の心理的側面を完全に無視しようとしている。問題を解いているのは人の知性なのに。社会学と心理学を無視して,生理学だけをとり上げる——こんなアプローチをしていたら,知能の研究はますます廃れていくだろう。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.193

それは知能と呼ぶべきか

ハワード・ガードナーはハーバード大学で認知・教育学の第一人者である。ガードナーは,知能は単一ではなく複数あるという「多重知能(MI理論)」を提唱し,言語的・論理数学的・音楽的・空間的・身体運動的・内省的・対人的という7つの知能をあげた(Gardner, 1983)。これらをすべて知能と呼んでいいのかどうか,研究者は科学的な見地から厳密に調べるべきだ。もしかしたら,モーツァルトがさまざまな音楽的「アイデア」を集約して作曲した行為は,アインシュタインがさまざまな空間的・時間的概念を集約して相対論をつくった行為と似ているのかもしれない。もしそうなら,音楽的能力と論理数学的能力のあいだにはこれまで考えられていた以上に共通点が多いのかもしれない。バレエダンサーの見事な身のこなしの知的側面も見落とされているのかもしれない。もしこれらになんらかの共通点がありながら,いままで見過ごされてきたのだとしたら,それらをすべて知能と呼んで人目を引くのは効果的なやりかただろう。
 だが,この理論をこんなふうに取り上げた人はひとんどいない(この説を手放しで信じる人があまりに多いのは,もちろんガードナーの責任ではない)。この7つの能力を「知能」と呼んでいいのかという問題は,能力の違い(スポーツは得意だが勉強は苦手など)によって子供を区別していいのかという倫理的な問題にすり替えられてしまった。そのうえ拡大解釈されて,7つの能力すべてで劣っていても,その人なりにできることにもとづいて評価すべきかどうかという問題まで示されるようになった。
 この倫理的問題に対する私の答えは「イエス」である。しかし,言葉遊びで社会的現実をねじ曲げてはならないと思う。専門家にふさわしい種類の「知能」で90パーセンタイルの位置にいれば何千もの道が開けるが,ソフトボールで90パーセンタイルの位置にいてもそうはならない。それが社会の現実で,親なら誰しも知っていることだ。自分の子供は「身体運動的知能」では高いパーセンタイル順位にいるが,それ以外の知能はさほどでもないと聞かされたら,親はどう思うのだろうか?

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.182-183

ディケンズ=フリン・モデル

そこに,ディケンズ=フリン・モデルによって社会学的側面がくわえられて一気に見通しがよくなった。以前にくわしく説明しているので(Flynn, 2009c),ここでは軽く触れる程度にしたい。
 ある一組の一卵性双生児を考えてみる。一卵性双生児は遺伝子が同一なので,2人とも平均より背が高く俊敏だ。別々に育てられたが,どちらもバスケットボールをよくやって,小学校と高校でチームをつくり,プロの指導を受ける。同一の遺伝子をもつ2人が,同一のバスケットボールをする環境を手にすれば,18歳になったときのバスケットボール能力指数は同じになるだろう。そして,たとえ環境要因がきわめて強力だとしても,双子の研究ではそれは見過ごされてしまうだろう。
 遺伝率は,双子のIQが同じかどうかだけで見積もられている。知能遺伝子が同一であることばかりが注目され,どちらも同じように環境から恩恵を受けたいという点は見向きもされない。宿題をやる,よい意見をもらえる,学校を好きになる,優等クラスに入る,最高の教師に教わる——そうした影響力は完全無視だ。生まれてすぐは小さかった遺伝の差も,正のスパイラルまたは負のスパイラルに入り,歳を重ねるにつれて能力差がどんどん広がっていくのだ。
 ディケンズ=フリン・モデルでは,このスパイラルを「個人倍率器」と呼ぶ。クレア・ハワースらは,この個人倍率器の考え方に触発されて,年齢とともに遺伝率が上がっていく原因を説明している(Haworth et al., 2010)。ハワースらは1万1000組の双子を調査し,IQ差のうち遺伝の占める割合が,9歳では0.41だが,17歳では0.66まで上がることを発見した。「その答えは遺伝子型と環境との相関性にあると考える。子供が成長するにつれ,しだいに,自分の生まれつきの傾向をいくぶん考慮して,自分の経験を選択し,修正をくわえ,さらにはつくりだしていくのだ」(p.112)
 ディケンズ=フリン・モデルには「社会倍率器」という考え方もある。それまでは,環境によって集団間の大きなIQ差が生みだされるメカニズムを論じるときには,奇想天外なX因子の存在がなければならなかったが,この社会倍率器の概念によって不要になった。社会倍率器の考え方はこうだ。テレビの発明によってバスケットボールへの関心が高まると,平均的な能力がどんどん上がっていく。はじめにパスやシュートがうまくなり,誰もがそれに遅れまいとついていこうとする。誰かが片手でパスをしはじめて一歩リードすると,誰もがそれについていかざるをえなくなる。そして次に,誰かが片手でシュートを打ちはじめてさらに先んじると,誰もがそのレベルに追いつこうとする。こうして背の高さや俊敏さをもたらす遺伝子はまったく変化しなくても,一世代のなかでバスケットボールの能力はとてつもなく上がっていくのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.174-175

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