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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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煙草の理由と似ている

この最後の言い訳が,一番滑稽で,理屈が通らない言い訳だと思う。ありとあらゆる理解不能な理由ゆえに執筆スケジュールを立てたくない人たちからよく耳にするのが,この言い訳だ。「内からあふれてくるものがあるときに,一番よいものが書ける」「気がのらないときに執筆しようとしてもしょうがない。書く気にならないと」と彼らは言う。現に執筆できていない人がこれを言うのは,なんとも妙な話だ。喫煙常習者が,煙草を擁護して,煙草を吸うとリラックスできるというのにとても似ているかもしれない。実際には,ニコチンが切れると,緊張感が増すことが知られている(Parrott, 1999)。執筆できなくて困っている人がスケジュールへの嫌悪感を吐露するというのは,要するに,執筆ができない原因に固執しているということだ。書きたいと思った時にのみ書くべきだと考えるなら,まず,以下の点について自問してみるというのはどうだろう。「これまで,その方法で執筆できてきたか」「自分が執筆している量に満足しているか」「執筆時間を捻出したり,やりかけのプロジェクトを完成させたりするのにストレスを感じていないか」「夕方や週末の時間帯を執筆の犠牲にしていないか」。

ポール・J・シルヴィア 髙橋さきの(訳) (2015). できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか 講談社 pp.25-26
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一気書きはダメ

たいていの人は,気の向いたときに一気に執筆する「一気書き」(binge writing)という無駄で生産的な方法をとる(Kellogg, 1994)。書くのを先延ばしにして不安にかられ,ようやくやってきた土用を執筆だけに費やしたりする。それでも,文章はある程度書ける。焦燥感も解消される。けれども,「一気書き」のサイクルはそのまま次週に持ち越される。「一気書き」派が,執筆が進んでいないことで焦燥感や不安にかられている時間は,スケジュール派が実際に文章を執筆している時間より長い。スケジュール通りに執筆していれば,書けていないことに思い悩む必要はない。書く時間を見つけられないと愚痴る必要もないし,夏休みになったらどれほどの文章を書けるだろうと夢想する必要もなくなる。ということで,決めた時間に文章を書いて,文章のことなどさっさと忘れてしまおう。そう,心配すべきことなら,もっと他にいくらでもある——コーヒーを飲み過ぎていないだろうか,犬が裏庭のきたない池の水を飲んでいないだろうか…,とか。でも,いつ文章を書けばよいのかについては心配しなくてよい。そう,明日の朝8時には,机に向かって執筆にとりかかっているだろう。

ポール・J・シルヴィア 髙橋さきの(訳) (2015). できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか 講談社 pp.15-16

研究者になる困難さ

悪いことに,執筆をめぐる基準は,かつてなく高いものとなっている。心理学者が投稿する論文数や雑誌数はうなぎ上りだし,減る一方の研究助成金をめざす研究者の数も増えるばかりだ。学部長や学科長からも,論文数を期待される。古き良き時代の陽気な大学運営人は,教員が研究助成金を申請すると喜んでくれたものだが,今どきの陰気な経営陣は,新しい教員は研究助成金を申請して当然だと思っている。学科によっては,教員が研究助成金を受け取ることを,テニュアのポジションを得たり,昇進したりする際の条件にしている所さえある。研究志向の大学では,論文数の少ないことが,テニュアになれなかったり昇進できなかったりする理由になっているし,小規模教育志向の大学でさえ,学術論文執筆圧力が高まっている。心理学のキャリアをアカデミズムの現場で開始するには難しい時代になっているということだ。

ポール・J・シルヴィア 髙橋さきの(訳) (2015). できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか 講談社 pp.4

囚人の独房

しかし論文を書いたところで,教授になれるのは早くても10年後である。助教授であっても,研究が出来ないわけではないが,助教授はやはり教授の補佐役に過ぎない。30代はじめに助教授になった新進助教授は,50過ぎまで助教授を務めているうちに,輝きをなくしてしまうのである。
 京都大学の助教授ポストを射止めた白貝博士が,「次の目的は,1日も早く教授になることだ」と言ったことには,それなりの理由があるのだ。
 研究者として暮らすアメリカは,学生として暮らすアメリカと全く違っていた。研究者として負け組に入りこんだ男が見た,業績のない研究者の惨めさは,日本の比ではなかった。
 准教授に昇進できなかったある若手助教授は,死刑が確定した囚人が独房に移されるように,窓なし部屋に移動させられる。窓がない部屋の圧迫感は,そこに暮らした者でなければわからない。

今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.169-170

昇進カレンダー

講座制大学の場合,上司である教授の年齢を考えれば,自分がいつ教授になれるか見当がつくものである。たとえば,東京大学電気工学科では,学科長のオフィスに“昇進カレンダー”なるものがかかっていて,助手に採用された時点で,おおよそ何年後に教授に昇進するかが分かるという。

今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.136

一般教育担当教員

“一般教育担当教員”という言葉が,国立大学で何を意味するかは,ポッと出の助教授でも良く知っていた。当時の国立大学では,専門家を育成するための専門教育担当教員と,専門以外の一般教育を行う教員は,研究費・設備・学生指導の面で厳しく差別されていた。研究費は3分の1,設備も3分の1,そして大学院生と卒研生はゼロである。

今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.89

筑波大学

筑波大学は,政府手動の下に作られた“新構想大学”である。東京教育大学の理学部と文学部を改組した「第一学群」,教育学部と農学部を合体した「第二学群」,それぞれ体育学部と芸術学部を拡大した「体育学群」と「芸術学群」,および新設の「第三学群(工学部)」と「医学群(医学部)」の6学群で構成される総合大学である。
 教育大学にはなかった,工学部と医学部を設置することによって,総合大学のラベルを手に入れ,単科大学である東京工業大学と一橋大学を抜き去って,旧帝大並みもしくはそれを上回る“国際A級大学”を目指して,スタートを切ったのである。
 ではこの大学が,新構想大学と呼ばれる理由は何か?その第一は,研究と教育を切り離したことである。教員は「学系」という研究者組織に所属し,教育組織である「学類」に出向いて教育を行うというシステムである(従来の国立大学で用いられていた教官にかわってこの大学では教員という用語が使われていた)。
 教員の任務は研究と教育であって,大学運営に関わる雑用は,アメリカの大学のように,特別な権限を与えられた“学系長”と“学類長”が一手に引受ける。この結果,一般教員は雑事から開放され,研究・教育に専念できるという仕組みである。研究者にとって,このような素晴らしい環境は,わが国では他に例がない。
 新構想の第二は,講座制の廃止である。教授ー助教授ー助手という閉鎖された組織,すなわち“講座制”の弊害については,学生時代に大体のことは知っていた。教授は絶対的権力の座にあぐらをかき,助教授・助手の研究だけでなく,場合によっては人格までも支配する封建的な制度を廃止して,組織の柔軟化・民主化を図ろうというのである。

今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.43-44

チェスと将棋

他の雑務量も入れてカウントしてみると,しつこいようだが,欧米の大学教員は優雅に「チェス」をプレーしているのに対して,日本の大学教員はより複雑な「将棋」を指しているようなモノなのである。大学当局はそうした認識をぜひお持ちになり,入試業務を負担する教員の担当授業コマ数の軽減か手当の拡充か,どちらかを実行していただきたいと切に願う今日この頃である。
 この業界,狭い世界なので,口コミなどを中心に,いろいろな情報が流れるわ,流れるわ。繰り返しになるが,「◎◎大学は入試業務が公平で簡素化されているし,職員のサポートも手厚い」とか「○○大学では入試手当が充実していて,教員が張りきっているようだ」などのよいウワサが,ひいてはその大学を発展させることを,大学当局は肝に銘じてほしいのである。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.238-239

上をめざすもの

アメリカではむしろ,公立短大・大学を突破して,より上位の大学・大学院へと,上をめざす「学歴ロンダ」が当たり前となっている。そもそも日本語での「学歴ロンダ」のような蔑称的なニュアンスを英語で表現すること自体が,きわめて難しい。むしろ最初に入った大学(やコミュニティ・カレッジなどの短大)はこのレベルなのに,最後はハーバード大ロースクール出身だと,大学時代によほど勉強したんだろう,苦労しているし,今後大いに期待できるということで,社会に出てからの評価が高くなるのがアメリカ社会なのである。
 有名な例としては,ナンと言っても,バラク・オバマ大統領があげられよう。オバマ大統領の最終学歴(学位)は,ハーバード大のロースクール(法科大学院)出身の法務博士(専門職[Juris Doctor = JD])であり,著名な『ハーバード・ロー・レビュー』誌の編集長を務めたことでも知られている。このオバマ大統領の卒業大(学部)は,アイビー・リーグの名門コロンビア大であるが,入学した大学はあまり知られていない。
 実はオバマ氏も,ハワイの名門高校からカリフォルニア州にある学生数2000人規模のオクシデンタル・カレッジという,教養教育系小規模私学に入学して,2年後に有名なコロンビア大に編入しているので,完全な「学歴ロンダ」組なのである。コロンビアやハーバードと比べて,はるかに知名度で劣るが,オクシデンタル・カレッジも『USニューズ&ワールド・リポート』の大学ランキング(2013年版)では,大学院を持たない小規模な私立の学士号授与大学(リベラルアーツ・カレッジ)の中では,全米第39位にランクインされるレベルで,悪くはない。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.197-198

大学教員は関わらない

いずれにせよ,ここでのポイントは,アメリカ版センター試験というべきSATでもACTでも大学教員が直接的に関わっていない点である。センター試験のように,極秘で(独立行政法人)大学入試センターに,いろいろな大学から招集された大学専任教員が集まり,作問したり,解答を作成したりする必要はなく,College BoardやACTに雇用された専門家が作問・解答・採点に専念している。
 つまり,世界第1位の大学大国アメリカには通常,各大学の専任教員が作成・採点しなくてはならない個別大学入試問題というモノがなくて,大学教員は大学(学部)入試関連業務から完全に解放されている。
 カナダや豪州,NZなどもまったく同じである。なお,例外は音楽・美術など芸術系分野の大学専任教員である。受験生の技能を確認するために,「特例的に」入試に駆り出されることもあるようだ。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.190-191

マークシート方式入試との共存

とは言うものの,学力把握のひとつの有力な手段として,マークシート方式テストを使用せざるを得ないのも事実だ。まず,偶然だけで高得点を取得するのは統計学的にも,かなり難しいだろう。また,何十万人(13年のセンター試験の受験者数は54万3271人である)もの受験者の答案を,場合によっては数日間で採点することは,教員の能力や人数からしても,大学によっては不可能だったりする。
 7章で見るが,世界トップの大学大国アメリカでは,大学(学部)入試業務は原則として大学職員が行い,その分,大学教員は(手当も減るだろうが)教育,研究,その他の業務に打ち込めるシステムとなっている。さらに,基礎学力の担保もアメリカではマークシート方式の統一試験のみで判定されている。
 採点業務に十分なスタッフや資金を傾注できるようなシステムを大学が持っていない限りでは,現場の教員が努力してできることはどうしても限定されてしまい,いわば「マークシート方式入試との共存」を大多数の大学教員現場は余儀なくされているのが現状であろう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.177-178

混乱のもと

読者諸氏の中には,「それでも,入学金は払わず,入学手続書類だけを送ることで入学申込をすればいいやんけ!」と思う方もおられるかもしれない。実は入学手続書類のみを返送する入学者確定方式になったら,新たに発生してしまう問題もあるのだ。書類だけでの入学予定者とするようなシステムを取った場合,きわめて簡単に入学予定者になることができるので,多くの受験生や保護者は,ふたつ以上の私学に入学希望を出すようになってしまうことが懸念される。
 もし入学金を納めなくてもよくて,たとえば早稲田の政経学部と慶應の経済学部に書類提出するだけで,入学予定者になり,東大の文II合格発表を待つことができたとしよう。この場合,第一志望は東大であるが,落ちた場合,早稲田にするのか,慶應にするのかは,いろいろなデータをもとにして家族会議やら受験生本人のこのみで決めることになろう。そうなると早稲田としても慶應としても,一体何人くらいが実際入学してくれるのか,入学式当日まで皆目検討もつかなくなってしまい,かなりの混乱が生じてしまう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.143-144

入学金=保険料

まあ,確かに受験生や保護者サイドとしては,第二志望の大学に入学金を払うか否かは大きな問題だろう。払った後に,第一志望が受かった場合,通常は「入学金はいかなる理由があっても返還されない」ことになっているからだ。
 ただし,これは大学サイドとしては,ある意味やむを得ない措置でもある。なぜなら入学金を納めることにより,まずは次年度の入学者数がだいたいどのくらいになるのか,はじめてキチンと見当がつくからだ。また,大規模学部では入学者数も1学年1学部で600人以上,ヘタすると1000人を超すし,国公立大の前期日程合格発表である3月上旬前からも,入学準備を粛々と進めておかねばならないということになる。
 少なくとも20万円を超える入学金を振り込んでもらうことで,入学予定者数とその氏名などの情報を確実に確保しておかないと,4月の入学関連行事に師匠を来しかねない。これが私学の一般的な実情であろう(また私学では入学金に加えて,3月の指定された日[遅くとも末日]までに所定の授業料を振り込むことになっており,これをもって4月の入学者を暫定的に確定するところが多い。無論,入学金は返還されないが,授業料はもしも別の大学に行く場合は返還されるのがフツーである)。
 まあ,(筆者も長男の入試で経験したが)第二志望校への入学金振り込み自体は,保険料と言うか,あるいはその大学への寄付金のようなモノだと考えておくと,保護者の立場としては精神衛生上よいだろう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.142-143

歩留まりは難しい

「歩留まり」をあまりに厳しく読み過ぎると,入学を希望してくれる学生の定員割れをムザムザ引き起こしてしまい,それは大学当局としては経営上もできるだけ避けたいと考えるのが,一般的だろう。かと言って,各私学の各学部には収容定員があり,収容定員8000人未満の大学で,たとえばその定員(4学年分)の1.3倍を超えた入学者を4年間で出してしまうと,文科省(日本私立学校振興・共済事業団)からの補助金がカットされてしまうこともある。
 また,より実務的な問題としては,新入生向け語学クラスやゼミなどの少人数クラスの編成,それにともなう教室の確保などに苦労する(これは主に職員サイドの問題であるが,語学や新入生用のゼミを教える教員の負担増にも最終的にはつながる)。
 なので,経営面からも私学ではキチンとした入学「歩留まり」率を読んだ上で,合格人数を決めなくてはならなくなるようだ。各種入試(付属校,協定校,提携校,姉妹校などを対象とする入試,AO入試と指定校推薦入試など)はすでに終わり,一般入試が行われる頃には,入学者もある程度決まっているので,それに比べて,一般入試の倍率をどうしたらよいのか,偏差値はどうなりそうなのかなどを勘案しつつ,「歩留まり」面でもベストな人数を入試関連委員長は(場合によっては職員サイドと一緒になって)出していかねばならないだろう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.132-133

ヤキソバ

オープンキャンパスは大学を体験するには有効であろうが,あくまでも大学の公式ウェブサイトと同じく,よい面しか見えないというのも事実だろう。また,教員サイドとしては,オープンキャンパスを成功させるために,高校生にウケる模擬授業をやったり,大学事情に通暁する必要もある。
 大学にもよるが,教員自らがヤキソバを作ったり,その大学のシンボルになっているいわゆる「ゆるキャラ」の着ぐるみに入って,高校生を出迎えるなど“特殊営業活動”をやらねばならない所もあるようだ(年をとってからやらされると,結構ツライと思う……)。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.97

ケイタイ電話

設問で,「ケイタイ電話」で漢字の「ケイタイ」の部分を書かせる出題があったが,ナンと,受験生が持っていた受験票の裏に「携帯電話等は必ず電源を切ってください」という記載があったとのこと!にもかかわらず,正解率が7割位だったというので,受験生の注意力にも問題があったのであろう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.87

そんな時代とは違う

かつて某大学の某有名学部の某教授(文系)が20年間1本も論文を書いていないらしいことが暴露されて,問題になったが,そのような牧歌的な時代と今は違う。キチンとした大学では,その大学に所属している専任教員の研究業績は,自己申告により大学ウェブサイトにて公開される時代なのである。ネットでのグーグルサーチはもちろんのこと,後述するCiNii Articlesとか国立国会図書館蔵書検索・申込システム(NDL-OPAC)により,ごく簡単に対象専任大学教員のザッとした研究業績やら博士号の有無などが判明する。ということで,同僚や研究仲間はもちろんのこと,学生ですら,一体全体教員がどのくらい論文とか本を書いているのかを知るのはたやすいことであり,研究業績が可視化されると同時に研究発表への圧力も高まっているのは,間違いない。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.77-78

センター利用試験

センター試験利用入試は,大学サイドからすると,作問と採点のコストがかからない割に,難関私学では,ある程度の確率で一定の学力を担保できるという魅力がある。その反面,国公立の難関大学の滑り止めとして利用する受験生が多々おり,入学「歩留まり」率は通常一般入試よりもかなり悪くなる。慶應やICUも東大・一橋大・東京工大・東京外大・首都大東京・筑波大・京大などの国公立難関大滑り止め校として機能してきた感がある。
 これは,慶應やICUに限った話ではなく,第二志望の大学ならすべての大学に該当する話であるが,東大などに落ちて不本意ながら入学した学生が「仮面浪人」して,翌年別の大学に入り直すケースもあろう。あるいは学習意欲を示さず,大学に上手く適応できない入学生も出てくるかもしれない。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.66-67

大学生の基礎学力

入試は簡単なぶん,基礎学力を徹底的に鍛えることができるか否かで,大学の質が問われる時代になった。たとえば,入学前に読むべき本のリストを与え,感想文を書かせ,それを担当教員がチェックしてコメントするなど,かなり手の込んだ教育を行っている大学もある。英語力が必要なカリキュラムになっているのならば,専門学校や予備校などが実施する英語の補習授業を,入学前に強制的に受けさせる所もある。高校の授業を補修する,いわゆるリメディアル(授業とは別の事前やり直し)教育や学生のレベルに応じた初年次教育を実施している大学も増えてきた。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.57-58

大学募集定員

ここで,受験業界のジョーシキとして,難関大が必ずしも高倍率だとか志願者殺到となるワケではないことを思い起こされたい。これら3大学が表2中のいわゆる中堅大学よりも,志願者が少ない最大の要因は,まず,一般入試での募集定員の少なさだろう。上智は1693人,学習院はおよそ1865人,ICUに至っては,290人のみしか一般入試などで募集していない。この上智と学習院の一般入試での募集定員は,他の大学の半分程度か早稲田のように,5640人を募集する大規模大と比べると,その約3分の1になる。さらに,上智と学習院はセンター利用入試を13年度に導入していなかったために,国公立大を第一志望とする受験生には敬遠された部分もあると推察できる。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.40-41

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