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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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グローバル?

大学で語学の授業といえば,いつまで経っても英語,中国語,ロシア語,フランス語,ドイツ語などと,安全保障理事会の常任理事国みたいな顔ぶれです。最近になって韓国語(朝鮮語)を入れるようになりましたが,アラビア語はもちろん,マレー語やタイ語やインドネシア語のような東南アジアの言語を初修から必修の外国語枠で開講している大学はほとんどありません。
 そんな教育を進めながら,いきなり「グローバル人材を要請せよ」とお上から言われても,せいぜい,みんな英語圏に留学しましょう,語学留学でもなんでもよいから,とにかく行きましょう,ということにしかなりません。ここ数年,粗雑なグローバル化政策が学生と大学の上に覆いかぶさるようになりました。

内藤正典 (2015). イスラム戦争:中東崩壊と欧米の敗北 集英社 pp.52-53
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パラグラフの規則

パラグラフには厳密な規則がいくつかあり,その規則は書き手にある一定の制約を押しつけます。パラグラフの規則を守りながら書けばそれがそのまま論証のスタイルになるというわけです。規則は次のようなものです。

 (1)ひとつのパラグラフにはひとつの主張または結論しか書いてはいけない。すなわち,ふたつの主張がある場合には2つのパラグラフに分けて書く必要があるのです。
 (2)主張はパラグラフの戦闘にトピックセンテンスとして書く必要がある。これにより,各パラグラフの先頭にはそれぞれのパラグラフで述べられる主張が並ぶことになります。
 (3)トピックセンテンスとして書かれた主張のあとにその主張をささえる根拠をサポーティングセンテンスとして書く。これは論証に必要な条件を整えるためです。
 (4)サポーティングセンテンスに書かれる根拠は文頭に述べたトピックセンテンスの主張と直接に関係すると考えられる根拠のみを述べること。
 (5)パラグラフの最後にコンクルーディングセンテンスとして同パラグラフで主張したトピックセンテンスの内容を再度書く。サポーティングセンテンス(根拠)の内容が長くなり,パラグラフの最初で述べた主張が読者の記憶から薄れてしまう場合もあります。コンクルーディングセンテンスでもう一度主張をくりかえすことにより,パラグラフで書き手が言いたかったことが再度確認されるわけです。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.122-123

基準・ルール

議論のルールをサッカーのルールとのアナロジー(対比)で話す場合に誤解しないように気をつけたいのは,議論は白黒が明確につく試合ではないということです。ある議論が有効(ゴールに相当)であることを議論の参加者全員が承認する場合でも,それは必ずしも「議論の勝ち負け」を意味しません。
 むしろここで私が重要だと思うのは,議論の評価をする必要がある場合に,その議論をある「基準」または「ルール」に照らして評価できるということです。基準があるからこそ,他者の議論だけでなく,自分の議論に対しても評価できるのです。「あなたの考え方は誤っている」とか「あなたの論証には問題がある」と誰かに指摘された場合でも,それに対してむやみやたらに反発するのではなく,その指摘の正当性を「ある基準またはルール」に照らし合わせることで承認できるようになるというわけです。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.63-64

教授は忙しい

最も多くの人が抱く不満は,研究室に顔を出す暇もなく,以前はとても楽しみにしていた研究活動を行う時間がほとんどもてない,というものだろう。教授には処理すべき業務が無数にあり,それを終わらせるために一心不乱に働かなくてはならない。そのため研究そのものに関しては,たいていの場合,他人の手を借りることになる。現場で実際に作業をしているのは,学生やポスドクである。控えめに言っても,教授には自分のために使える時間はほとんどないのだ。
 パーマネント・ポストに就いたのだからもう何もしなくていいのだとシニカルに考えているテニュアは,ありがたいことにほとんどいない(とはいえ,「役立たず」の教授は十分すぎるほどいて,まだテニュアを取得していない助教たちを苦々しい気持ちにさせている)。わたしが知っている教授たちは,1日8時間以上働くし,契約上はもっと長くとれるにもかかわらず,長期休暇も年に1〜2週間しかとっていない。
 教授職とは,事実上,複数の仕事をひとつにまとめたものだ。まず第1に,教育者でなくてはならない。講義ノートが古びて黄ばんでいたなんて話もよく耳にするとはいえ,人にものを教えるということを真剣に考えるなら,時代に即した,得るところの多い,首尾一貫した授業にするために,かなりの労力が必要になる。それに加えて,宿題一式と試験,有意義な実験室実習を用意する必要もあるし,オフィス・アワーは学生と過ごさなければならない。
 教授はまた,良き組織人であることも求められる。具体的には,数々の会議に出席して方針を決めたり,雇用や昇進について議論をする必要がある。意欲的な教授であれば,多くの時間をマネージャーとしての仕事に費やすだろう。その場合は,プロポーザルを書いたり,助成金管理の担当者に会うためにワシントンまで足を運んだり,ラボのスペースを確保したり,院生やポスドクを受け入れたり首にしたり等々を行う。
 科学コミュニティに積極的に貢献する必要もあるかもしれない。論文の査読やプロポーザルの審査,他の研究機関での講演,各種会議への出席は,時間をどんどん吸い取っていく。企業でコンサルティングをしたり,教科書を執筆しているのなら,それに輪をかけて時間がなくなっていくはずだ。こうした状況を見れば,教授には,小説を読む暇も子どもと遊ぶ時間もほとんどないことが難なく理解できるだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.99-100

アウトラインを表示するか

ちょっと考えてみてほしい。あなたが最近読んだ小説や,観に行った舞台は,プロットのアウトラインの説明からはじまっていただろうか?政治家に立候補した人が演説をするとき,その候補者はアウトラインを表にまとめているだろうか?そんなことはないし,あなただって,原則的にはそうすべきではないのだ。
 口頭発表のためには,たしかにアウトラインを考える必要がある。だがそれは自分のデスクで個人的にすべきであって,発表の場ではストーリーを伝えることに専念したほうがいい。口頭発表は有機的に構成されるもので,しかもその構成が目に見えてはならない。バッハのフーガを聴いて感じるのと同様の必然性をもって,聴衆をアイデアからアイデアへと導くようにすべきだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.67-68

口頭発表のスキル

覚えておきたいのは,論文を読む時間が豊富にあるプロの研究者など,ほとんどいないということだ。だから,なにか新しい研究で面白いものはないかと思えば,学会に出席し,セミナーで話を聞いてみようということになる。もしそこで自分の研究結果をうまく伝えられれば,支持者もぐっと増えるだろうし,そうした支持者を得ることは,ジョブ・セキュリティを高めるための優れた戦略だと言える。
 このように口頭発表は,研究者としてのキャリアを築き上げるうえで決定的な役割を担うので,準備をおろそかにするようなことがあってはならない。発表のうまい研究者を見て自分のセミナーにいかすのも,いい考えだ。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.61-62

あなたと競争しない指導教員を

したがって傑出した人物を指導教官として選ぶ利点とは,

1 その人物が属している「オールドボーイ・ネットワーク」,すなわちOB同士のつながりを利用できること(厳しい時代でも,あなたが生き残れるように手助けできる。ときには,あなたにその価値がない場合でさえ)
2 あなたと競争しないということ

 である。1については,考えるまでもなく明らかに有益だろう。だが2に関しては,経験のない人にとっては説明が必要かもしれない。
 もし指導教官がパーマネント・ポストを目指しはじめたばかりの若手であれば,証明すべきことはたくさんあるだろうし,学生やポスドクに出し抜かれるのを警戒し,それゆえ研究のアイデアや進展において彼らの貢献があったと認める寛容さをもちにくくなる。それとは対照的に,すでに名をなした人物が指導教官なら,学生たちの業績を誇りに思い,喜びさえ感じてくれるかもしれない。したがって,他の条件が同じであれば,すでに評価の確立した(テニュアを取得している)教員を選ぶ方が,よい選択だと言える。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.46-47

自分が勝つ確率

自分がいつの日かパーマネント・ポストに就けるかどうかを考える際には,次の2つの要因を考えてみるとよい。ひとつは,自分に適したポストで応募可能なものはいくつあるか,ということ。もうひとつは,それらのポストをめぐる競争で自分が勝つ確率はどれくらいあるか,ということだ。第1の要因に対してあなたができることは実質的にない(どうしてもと言うなら政治家に陳情するくらいはできるだろう。がんばりたまえ!)。そうであれば,意味があるのは第2の要因のほうに集中することだ。ポストが少ないと絶望していても,何も得るものはない。だが,いくつかめぐってくる機会に備えていれば,何かが手に入るかもしれない。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.43

相談相手を探す

本書は,研究者を目指すうえで有益となる考え方を知る一助になればと願い書いたものだ。だが,どんな著者であれ,一人ひとりの読者を待ち受けている個別の落とし穴は予見できない。それを考えれば,研究者としての一歩を踏み出すためにできる最善の準備とは,自分自身の手で「研究におけるおじ,おば」をさがすことだと言えるだろう。つまり,親戚のおじさん,おばさんのように,自分に対して権力をふるうことはほとんど(あるいはまったく)ないが,相談相手としては十分な経験を有していて,的確な助言をしてくれる人を見つけるのだ。
 指導教官以外の人たちと知り合うのに及び腰になってはいけない。これまで面識がなかった研究者たちも,他の人との交流をとても大切にしているはずだ。オフィスや研究所の閉ざされたドアの向こうでは,そうした研究者たちが日々多くの時間を過ごしており,そして誰もが誰かにアドバイスをしたがっているのである。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.35-36

次はうまくいくよ

1960年代,アメリカの学校では,子どもたちはしばしばIQの高い順に並べられ,そのことは,IQの高い子にも低い子にも,長期的な悪影響を及ぼした。今,時代は,遺伝子検査と遺伝子決定論の方向に進もうとしている。わたしたちは再び知能検査の過ちを犯すつもりなのだろうか。どんな遺伝子を持っているかによって,わたしたちの心は硬くもなれば,過度に楽観的にもなるが,遺伝子ですべてが決まるわけではないのだ。
 たとえば,テストの点が悪かった時に,「次はきっとうまくいくよ」と力強く励まされたほうが,「ベストを尽くしなさい。でも仕方ないよ,遺伝的にはたぶん能力の限界なのだから」と言われるより,次はよい点がとえるはずだ。将来,遺伝子構造によって人の行動をある程度予測できるようになったとしても,遺伝情報から才能があると決めつけるのは,逆の効果をもたらすだろう。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.68

いじめにも影響

前述のラットの実験と併せて考えると,この結果は子どものとき親から十分な養育を受けることが,ストレスに対する耐性を獲得するうえできわめて重要であることを意味していて,子どもの時期に起きるエピジェネティックな調節は成人期に至るまで影響し,精神病理的な結果(自殺)をも引き起こすと考えられました。さらにこのエピジェネティックな変化は,次の世代にも引き継がれるのです。ただし,動物実験に関するかぎり,前述のように十分な養育をしてやったり,薬物投与によって元にもどすことが可能です。以上から連想することですが,現在,我が国ではいじめが大きな社会問題になっています。いじめの成立にも遺伝子,環境,そしてエピジェネティックスが関わっているはずです。いじめ問題の解決には広汎かつ深い分析が必要で,発達心理学的,また,行動遺伝学的理解も不可欠だと思います。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.58-59

見当外れの権威志向

昨今では,日本の学歴秩序の「さらに上」を狙って直接ハーバードへの入学を目指す,などという親子もあると聞く。たしかにハーバードはよい大学だが,受験生を成績順に並べて上から取るなどということはしないし,合格した学生でも2割は別の大学を選ぶ。アメリカでは大学そのものも目的や構成が多様で,日本のように一元化した序列には乗らない。このような見当外れの権威志向が一般の人びとばかりでなく政府にも大学にもメディアにも蔓延しているうちは,日本に真正の反知性主義が開花することは難しいだろう。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.272-273

平等を求めて独立

プロテスタント教会には,カトリックのような修道院も存在しない。修道士として出発したルターは,あえて元修道女と結婚し,世俗社会に暮らす者にも修道者と同じように神に仕える道があることを示した。教科書風にまとめるなら,これがマックス・ヴェーバーの論じた「プロテスタント倫理」を生み出してゆくことになる。かくして,プロテスタントが圧倒的な主流派であったアメリカでは,「平等」という価値観が他のどの国よりも強力な原理となり,それが民主主義の原則とも適合してさらに強められる結果となった。
 個人だけではない。国家としてのアメリカ合衆国の独立も,この「平等」原理に基づいて進められた。イギリスの圧政に抗してトマス・ジェファソン(1743-1826)が起草した独立宣言には,「すべての人は平等に創られた」とある。本国人と植民地人との間に,住む所によって不平等が生じている事態を許さない,という意味である。イギリスという国家がそういう平等を実現できないなら,独立して別の国になるしかない。アメリカは,平等を求めて独立したのである。独立宣言のこの言葉は,福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉へと翻案され,やがて日本でも知られるようになった。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.96-97

ジョン・ハーバード

「ハーバード」という大学名は,公立大学として設立された時の議決には記されていない。これは,その後同大学に多額の遺産を寄付したジョン・ハーバード(1607-1638)を記念してつけられたものである。ジョン・ハーバードは,イギリスに生まれ,ケンブリッジ大学のエマニュエル・カレッジを卒業して牧師となった。同カレッジは,ピューリタン学生を受け入れる数少ない大学だったため,ニューイングランドには彼の他にも多くのエマニュエル・カレッジ出身者がいる。彼も修士号を取得して1637年にニューイングランドへ移住するが,翌38年には結核で死の床についてしまう。その遺言で,320冊にも及ぶ自分の蔵書と遺産の半分である780ポンドを大学に寄付したのである。これは,2年前に植民地議会が拠出を決めた400ポンドのほぼ倍にあたる金額だった。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.45-46

初期の授業の様子

学生は,基本的に1日に1学科だけを学ぶ。なぜかと言うと,先生がいなかったからである。ハーバードに限らず,イェールでもプリンストンでも,数人の若い助手を他にすれば,専任の教員は長いこと学長1人だけで,学長は全学年の全学科を担当しなければならなかった。これはかなりハードな責務である。
 授業内容を見ると,伝統的なリベラルアーツの三学四科を基本として,ルネサンス期に加えられた三哲学(自然哲学,道徳哲学,形而上学),それに古代東方言語で成り立っていることがわかる。授業は午前中だけで,午後は各人の読書や自習にあてられた。時間割のサンプルも残っている。月曜日と火曜日には,1年生は論理学,2年生は倫理学か政治学,3年生は算術と幾何学あるいは天文学を学ぶ。水曜日は全学年がギリシア語,木曜日はヘブライ語かアラム語かシリア語を学ぶ。金曜日は修辞学である。これらをすべて担当できる教授は,よほどの者でなければならなかっただろう。明らかに,授業内容の焦点は,聖書がきちんと読めて解釈できるようになることにあてられている。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.37

まず大学を

現代アメリカには,世界の大学ランキングで常にトップの位置を占めるハーバード,イェール,プリンストンといった大学がひしめいているが,これら3校はいずれもこうした任務に就くピューリタン牧師を養成することを第一の目的として設立された大学である。3校ともアメリカ独立以前から存在しているが,最初のハーバード大学が設立されたのは,1636年のことである。プリマス植民地への入植から考えても16年,マサチューセッツ植民地への入植からは,わずか6年しか経っていない。
 考えてもみていただきたい。植民地の人口は,まだ1万人にも満たない段階である。人々はようやく無事に航海を終えてたどり着き,自分の家を建て,礼拝などに用いる公的な集会所を作り,何とか自治政府の体裁を整えたところである。そんな時に,次に作ろうと思うものは何だろうか。「大学だ」と思う人は,まずいないのではないだろうか。「学校を作ろう」と思う人はあるかもしれないが,その場合はまず小学校からだろう。ニューイングランドではやがて初等教育も充実してゆくが,よく知られた「アダムの堕落でわれらみな罪人なり」(In Adam’s Fall, We Sinned All)という一言で始まるアルファベット教科書が発行されるのは,半世紀ほど先のことである。
 なぜそんな時に,「まず大学を作ろう」と思ったのか。彼らが恐れたのは,現在の牧師たちが死んでいなくなった後,教会の説教を誰がするか,ということであった。もしニューイングランドに大学がなければ,牧師になるためにわざわざ大西洋の向こうの旧世界へ戻り,大学を出て帰ってこなければならない。そんな苦労や危険を続けることは,何としても避けたかったのである。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.34-35

TOEFLの不正

圧倒的かつ急速に伸びているETSのテストは,TOEFLと呼ばれる,多くの学術系大学院が留学希望者に受験を義務づけているテストだった。TOEFLは世界中で実施されていたが,市場のかなりの部分がアジア。TOEFLはエリス島の現代版のような機能を果たしていた。米国にたどり着きたい人たちは,この狭いポイントを通過しなければならない。このため,TOEFLは最も不正の多いテストだった。替え玉受験が横行し,ETSはTOEFLのスコアレポートに受験者の写真を印刷しなければならなかった。時差を使った不正は,TOEFL実施側に刺さったもう1つの棘だった。問題が台湾のテストセンターからひそかに持ちだされ,ロサンゼルスにファクシミリで送られる。ロサンゼルスでは,だれかが夜明けまでに正解を作成し,その日の受験者に売りつけることができた。ある者は,受験者がテスト本番で使う鉛筆に,正解を印字する方法を編み出した。またある者は施行者の追跡を受け,露見して家族に恥をかかせるかもしれないと思い,自殺した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.297-298

入試改革

この結果,アイビーリーグの他大学では見られなかったような表立った争いが起きた。他大学はメリトクラシー的な入試制度に段階的に移行した。イェールも他大学と変わらないコースを選んだが,勇敢で,栄光に輝く改革志向の個性的な若者を軸にメリトクラシー導入を組織したところが,とにかく非常にイェール的だった。卒業生のあいだでは,クラーク憎しの熱気が急激に盛り上がった。入学はゼロサムゲームで,新しい人が入学すれば,だれかが閉めだされる。卒業生には,それがだれだかわかっていた。卒業生の子息が占める比率は,ハウの最後の学年の20%から,クラークの最初の学年の12%へと低下した。イェール大学への進学者数が第1位だったアンドーバーからの,入学者数はほぼ半減した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.184

エリート主義と平等主義

偉大な大学は必然的にエリート主義——能力に基づくエリート——になるが,運営は平等主義の考え方に徹した環境で行われる。ならばどうやってエリートの貢献が平等主義に資すると明らかにできるのか,どうやって知性のアリストクラシーが全人口におのれを正当化できるのか。

 それは良い質問だ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.171

イギリスのイレブン・プラス

そこで英国は,IQが生涯にわたって安定すると考えられた年齢で受けさせる,11歳試験(引用者注:イレブン・プラス試験)という全国試験を導入した。私学教育を受けさせる資力が親にない11歳の子供はこの試験結果により,社会の中でどのような人生を送るのかが決まってしまう。学費無料の公立学校が二種類創設された。グラマースクールでは,11歳試験の高得点者が,ホワイトカラーの仕事に就き中流の暮らしを送るための教育を受ける。セカンダリーモダンでは,高得点を取れなかった大多数が職業技術訓練を受ける。これは英国における機会の制限ではなく,機会の拡大を意味した。なぜなら,以前は庶民が出世する方法はほとんどなかったからだ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.142

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