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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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MBTIの隆盛

マイヤーズ・ブリッグズの離脱を放置したのは,ETSにとって最悪の経営判断だった。マイヤーズ・ブリッグズは今日,ニューエイジの半ば公式の共通テストになっている。コンサルティング・サイコロジスツ・プレス社が発行し,独立開業している心理学専門家や心理学に知識があると自負する経営者に用いられている。年間の被験者数はSATを上回る。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.115
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割当制度

1951年の春と夏を通して,チョーンシーはたえず表舞台に立ち,講演し,会議に出席し,発言を引用された。チョーンシーは冷静に,忍耐強く,安心させるように,テストは徴兵延期のためで徴兵免除ではないと説明した。70点をとることは,その人のIQが70という意味ではない。詰め込み教育で点数が上がることもない。大学の学年で上位半分の位置にいれば,テストの点数に関係なく徴兵延期を受けられる。米国は,科学的な才能のパイプラインが流れ続けることを強く必要としている。チョーンシーは,吹き出てくる議論を巧みにさばいただけでなく,潜在的な議論が新たに出てくるのを防ぐのも上手だった。
 全米共通テストの1つの難点は,受験者全員の連続ランキングの作成に伴い,異なるタイプの人々の点数に幅広い開きのある実情が明るみに出ることだった。低得点者は生まれつき劣等だと非難されたように感じて,激しく怒る可能性がある。1951年,ETSはある低得点グループを強く懸念した。南部人である。徴兵延期テストでボーダーの70点に達するのはわずか42%と,ニューイングランド出身者の73%を大きく下回った。低得点の学生を徴兵し,大学を離れて入隊させれば,南部の大学が壊滅し,南部の政治家がテストに宣戦布告することが予想された。そこでETS内部では,地域別の割当制度のアイデアが広がった。割当制度は,北部人より点数の低い南部人にも徴兵延期を与えられるようにする。しかしチョーンシーは割当案に抵抗し,地域間の点差を隠し続けるように押し通した。幸運にも,この件は外部に漏れなかった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.95

理性と科学に基づいた

話は戻って1922年,ウォルター・リップマンは,知能テストが本格的に広がれば,テストの監督者は「神権政治の崩壊以来,知識人が手に入れられなかった強大な権力を持つ地位につく」と予測した。チョーンシーは実際,ETSのトップとして,擬似大臣の役割を果たすのを希望した。それはチョーンシー家の先祖たちが米国の国づくりを助けるため手がけてきた作業を一歩進めたものであり,近代化でもあろう。チョーンシーは日記で,自分の考えを言葉にまとめるのに苦労しつつも,ウィリアム・ジェイムズの有名な一節をひねって表現している。「私が打ち立てたいと望んでいるもの」は,「感情と伝統ではなく,理性と科学に基づいた,宗教の道徳的等価物である」。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.87

世界最大のIQテスト利用国

争いの真の勝者はIQテスト派だ。テスト期間の統合が具体化し,SATが米国の大学志願者のテストとして祭り上げられ,米国は世界最大のIQテスト利用国となった。
 しかし勝利には隠れた危険が伴う。コナントは知らぬ間に,根本的な矛盾の下地を作った。高いIQの持ち主だけでなく,全員に対して公的に絶対の機会均等を保障する。これこそ米国社会の中心的な前提であるという考えが神聖視されるのに,コナントは手を貸したのだ。他方では,共通知能テストの点数が表す内面的な価値と思われるものに従って,人間をランク付けするシステムを創りだした。人びとの社会的地位——富と名誉——は共通知能テストの点数をもとに配分された。ここに根本的矛盾がある。すなわち,機会の拡大が約束されながら,大半の人々は人生の初期のある時点で機会が制限されるという現実があるのだ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.82

平等からの出発

コナントが望んだ,新たな,階級なき米国社会では,だれもが平等な立場から出発しなければならない。有能な卒業生は,厳密にそれにふさわしいからこそ,高い地位に就く。しかしこれらの有能な者たちが,特別優遇を子供に譲れるようにしてはならない。コナントは,米国が「政府権力を活用し,各世代の“持てる者と持たざる者”を再編して,社会秩序に流動性を与えることができる」と書いた。そのような社会をどう実現し,管理するのだろうか。公教育を通じてである。「能力は評価され,才能は開発され,野望は指導を受けなければならない」,「それがわれわれの公立学校の課題」だと彼は言う。そして彼はこう続けたかもしれない。ヘンリー・チョーンシーとSATの課題でもある,と。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.62

家柄と関係のない登用

19世紀までの時代で,プラトンのアリストクラシーに最も近かったのが,儒教中国の官吏制度である。この制度は紀元前2世紀に始まり,将来の高官は特別な国立学校で育成された。紀元6世紀以降,官吏は科挙で選ばれるようになった。18世紀末,欧州の数カ国が家柄と関係なく人材を選び出し,上級公務員,専門技術者,軍将校を大学で教育する制度を作り出した。試験による公務員採用制度は,米国で1883年に始まった。しかしたぶん,米国社会は欧州社会に比べて商業的だからであろう。専門職の公務員と国家エリートは,常に,2つのグループに分かれていた。栄光のチャンスを手にする人はほぼ絶対に,人生のすべてを公務員に費やす道を選んだりしなかった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.57

SATの使用開始

コナントが到達度テストを嫌ったのは,それが裕福な少年に有利だったからだ。そういう少年の親は,子供に最高の高校の授業を受けさせることができた。コナントは,社会のあらゆるところから非常に優秀な少年たち——リトル・コナントたち——を集めて,奨学金を与えたかった。コナントは,優生主義者でもIQテストを普及させる社会運動家でもないが,ブリガムが否定に転じた,生まれつきの知能の仮説は信じていた。テストをするなら,カギとなる資質を試せばいい。米国教育の将来像に関する議論の中で,チョーンシーは自分の立場を選ぶことに関心がなかったが,コナントはすでに選択を決めていた。コナントはIQテスト派に属したのである。自体が急展開し始める中,このことが米国民の生活の将来像に大きな違いをもたらすことになった。
 1934年1月,コナントはチョーンシーとベンダーに,成績証明書と推薦状に加えてSATを使い,中西部から10人の若い男子を奨学金受給者に選んで,同年秋から大学に通わせるよう指示した(女子の場合は,ハーバード大学の姉妹校ラドクリフ大学に通うが,彼らはだれ一人として,女子も選抜できることに思い至らなかった)。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.50

新たな見解

ブリガムの新たな見解は,テストを廃止すべきという含みを持っていたわけではない。ブリガムは「何か不思議な力の測定」ではなく,「定型化した面接考査の方法」としてテストを信頼しており,SATの作業も続けた。新たな見解の意図は,計量心理学者が自然に持つ熱意にブレーキをかけなければならないという点にあった。ブリガム自身の経験から見て,計量心理学者はつねに,自分のテストが本質的で内在的な人間の資質を測定ししていると主張し,時期尚早な段階でもテストを広く使ってもらうよう求め,結果を誇張して吹聴する恐れがある。「実行が常に理論に先行した」とブリガムは記す。また「……これは新しい分野で,……正しいことはごくわずかしか行われていない。新情報が入り新手法が開発されると,これまで行われてきたことは,ほぼいっさいがでたらめに思えてくるのだ」と。戦時中,陸軍に大規模なテストを実施したこと(平常時は個人の望みを犠牲にすることが求められる)と,平和時の教育に同じテストの再現を試すことはまったく違う。ブリガムは「人道的な機関たる大学は,個人に対して誤りを犯すことが許されない」と書いた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.45

SATという発明

初期のSATを受けてみると,数学的計算を含む問題や,同じ形あるいは顔の表情を問う問題に多少出くわすとはいえ,大半は,単語への精通という知能テストの永久不変の主成分が占めているのがわかる。つまりSATは長い年月の間に,ほとんど変化していない。初期の版の問題には全寮制学校で教える英文学風の装いがあり,現在それはなくなってしまったが,基本的な構成は,SATの受験経験を持つ多くの米国人に馴染み深いものだろう。初期版から2,3問抜き出してみると,SATが独特の方法で単純化し,同時に誤解を招くようにしていることと,受験者の熱心な受験対策に歯止めがきかない傾向にあることが伝わってくる。

これらの4語の中から反意語を挙げなさい。
obdurate spurious ductile recondite

最初の単語と同じ意味の単語はどれか,あるいはいずれも同じ意味を持つか,いずれも同じ意味を持たないか,答えなさい。
impregnable terile vacuous nominal exorbitant didactic

次の文章の中から誤った単語を見つけ出し,正しい単語に変えなさい。
In the citron wing of the butterfly, with its dainty spots of orange, he sees beyond him the stately halls of fair gold, with their slender saffron pillars, and is taught how the delicate drawing high upon the walls shall be traced in tender tones of orpiment, and repeated by the base in notes of graver hue.

 こんなテストはまったく聞いたことがなく,突然受けさせられたという人なら,このような問題を3時間かけて解けば,知能の大きさを明らかにでき,正答と誤答の数が,受験者の,社会で占めるべき位置を決めるのに活用できるという提案を信じられないかもしれない。しかしテスト作成者の目には,SATや同種のテストは偉大な発明のオーラをまとっているように見えた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.41-42

本質的に知能検査

ブリガムなど先駆的な知能テスト専門家は,第一次大戦後,学校に目を向けた。学校は軍の次に,大人数を極めて迅速に評価・処理しなければならない組織であり,それゆえテストを行うには豊かな土壌といえた。ルイス・ターマンは小学生向けに「全国知能テスト」を開発。商業テスト会社がこれを熱心に売り込んだおかげで,1920年代に年間50万人以上が受験した。コロンビア大学のE.L.ソーンダイクは,学内の生徒向けに知能テストを作成。ペンシルバニア大学も採用した。イェール大学も1920年代初めに,学生に知能テストを実施した——これは実験であって入試目的ではない。ブリガムも大学に注目,陸軍知能テストのあるバージョンをプリンストン大学の1年生に実施し,さらに,ニューヨーク市にある,全生徒が特待生の工業大学,クーパーユニオンの入学志願者選抜にも用いた。
 これらはすべて,本質的にはIQテストだった。多肢選択の設問が用意されており,受験者は解答を選ばなければならない。陸軍知能テストと同様,語彙の設問に強く依存したが,設問が難しくなったのが大きな違いだ。プリンストン大学の学生は,入学が簡単で,勉学の能力より「キャラクター」でもっぱら合否が決まった時代でさえ,陸軍知能テストのどの受験者層よりも得点が高かった。ブリガムはこれに気づき,1926年に同僚への書簡で「尺度の最上位において細かい差別化の手法として行き詰まる」と認めた。ブリガムは設問の改善を続け,陸軍知能テストは1926年までにSATに変身した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.40-41

教育拡大に消極的

IQテスト派の考えは,知能指数の高い人々が能力を無駄にしないよう教育の場を確保することであって,教育改革——特に大学教育——を進めるものではなかった。社会は知力に応じて区分されるべきで,最も優秀な人々が指導者でなければならないと考えた。
 不思議なことに,進歩派,基準設定派,IQテスト派の三派は,さまざまな相違点にもかかわらす1つだけ共通点があった。高校や大学で教育を受ける米国人が今より圧倒的に少ない時代に,いずれも教育拡大を主張していない。IQテスト派は,有能な少数の選抜が最優先の目標。ラーニドやウッドのような基準設定派は,高校や大学は学業に関心も能力もない学生でけしからんほど溢れかえっていると思っていた。リベラルな進歩派でさえ,全米の一部の高校の改革ばかりに関心を注いだ。その高校の大半は富裕層向けの全日制私立学校。生徒は進歩主義教育の恩恵を米国全体に伝えるどころか,さっさとアイビーリーグの大学に進学した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.34

心理学の死神集団

IQテストの運動は第一次大戦期に大きく前進した。ハーバード大学のロバート・ヤーキズ教授が陸軍を説得し,士官候補生選抜の1つの方法として,さらにはIQ運動が統計記録を積み重ねて証拠を確立するのを助けるため,約200万の新兵にIQテストを実施することを認めさせた。これが史上初めて大規模な知能テストを実施した例である。ヤーキズ,主任助手たち,テスト結果を分析した著作のすべてが,優生学の傾向を強く示した。米国で最も頭の切れる若手政治ライターだったウォルター・リップマンは,当時の支配階級の中で優生学とIQテストに強く反対した珍しい人物で,ヤーキズと同僚を「心理学の死神軍団」と評した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.33-34

大学を出るか出ないか

今日の米国社会はこんなふうに映る。米国全土に太い線が走り,片側には大学を出た人々,反対側には大学を出なかった人々がいる。この線は鮮明になる一方だ。今や,この線のこちらにいるか向こうにいるかは,地域,人種,年齢,宗教,性別,階級といった他の線より強く,所得,態度,政治行動の違いを反映する。自分や子供の人生設計では,大学教育が願望の大きな焦点(最難関大学に進む可能性こそ,まさに心の底からの大志)である。学校で好成績をあげるという1つの狭い資質に対するテストが,成功への道の上にどっかりと横たわっている。この能力を持たない者は,あとで他の才能に恵まれていることを示そうとしても,その機会が大きく減ってしまう。
 大学教育にこのような重荷を負わせたため,さまざまな副作用が発生した。大学や大学院への進学を助ける産業が丸ごと1つ誕生した。教育を受ける機会ということが,米国民の頭から離れなくなった。今ではこれに関する政治学,法学,哲学が存在するが,どれも50年前はなかった。教育を受ける機会の改善は,公職の立候補者の大半が基本公約に掲げている。親が子供に教育の機会を与えようとするのは,根本的に善なのだ。良い教育を受けるのに一生懸命になることは,米国民の人生最初の25年の主要課題である。教育を受ける機会が,猛勉強,期待,陰謀,操作,競争の対象になっている。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.12-13

セサミストリートの注意書き

『セサミストリート』の最初期の傑作(1969〜1974年)を収めたDVDボックスが発売されたときには,箱のなかに注意書きが入れられていて,この番組は子どもが視聴するにはふさわしくないと書かれていた!なぜなら番組のなかでは子どもたちがジャングルジムによじのぼったり,ヘルメットなしで三輪車に乗ったり,土管の中をくねくねと這い進んだり,新設な他人からミルクとクッキーを受け取ったりと,さまざまな危険行為を冒しているからだ。番組中の寸劇コーナー「モンスターピース・シアター」などは,徹底的な検閲を受けた。各エピソードの終わりに,英国風のスモーキングジャケットを着てアスコットタイを締めた司会のアリスター・クッキー(クッキーモンスターが演じる)が手に持ったパイプをがつがつと食い尽くしていたのだが,それが喫煙を美化している,窒息の危険性を描いていると見なされたのである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.125-126

幼い人間の利益

心理的な影響はともかくとして,いじめに反対する道徳的な言い分は鉄板である。漫画のなかでカルヴィンが言ったように,大人になれば,もう理由なく人を叩きのめすことはできない。私たち大人は,法律や警察力や職場規定や社会規範を盾にして自分の身を守る。そうであれば,子どもの視点から見ての生活がどんなものであるかを考えようとしない怠慢さや酷薄さのほかに,子どもが大人より無防備なままにされていい理由は考えつかない。道徳的な観点が広く普及して,その一端として子どもの価値がどんどん高まっていることにより,仲間の暴力から子どもを守るための運動は必然的なものとなった。ほかの侵害行為から子どもを守るための努力にしても同様である。子どもやティーンエイジャーは長いこと,昼食代を盗まれたり,持ち物を壊されたり,性的なお触りをされたりといった,校則と刑法執行の境目にあたる軽犯罪の被害者にされてきた。ここでもまた,そうした幼い人間の利益がますます認められるようになってきている。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.120

ドッジボールの禁止

ドッジボールの禁止は,行き過ぎではあるものの,反暴力キャンペーンがまた1つ成功したことのあらわれだ。子供の虐待とネグレクトを防ぐために1世紀にわたって続けられてきた運動の結果がこれである。攻撃性を文明化した結果,文化にはわけのわからない慣習が遺産としてもたらされ,どうでもいいようなことが過失やタブーとされるようになるものだということが,この一件を見てもよくわかる。これらの権利革命が残してきたもろもろのエチケットコードは,ある名前を獲得するまでに普及した。私たちはそれをポリティカル・コレクトネスと呼んでいる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.16

アイデアの伝播

十分な時間とそれを広める人があれば,アイデアの市場はただ単にアイデアを広めるだけでなく,その構成を変えることもできる。大きな価値のあることをゼロから考え出せる人というのはまずいない。ニュートン(謙虚とはほど遠かった)は1675年,ライバルの科学者のロバート・フックに宛てた手紙でこう書いた。「私が遠くまで見ることができたのは,巨人の肩の上に乗ったからだ」。人間の頭脳は,複雑なアイデアをひとつの塊にまとめたり,別のアイデアと組み合わせてもっと複雑な集合にしたり,その集合をもさらに大きな装置へとまとめて,それをさらに別のアイデアと組み合わせたり……ということは得意なのだ。だがそれをするには,途切れなくプラグインや部分組立品が供給されることが必要であり,それは他の頭脳とのネットワークなしにはありえない。
 地球規模のキャンパスは,単にアイデアの複雑性を増すだけでなく,その質を高めもする。周囲から遮断され,閉ざされた状態では,異様なアイデアや有毒なアイデアは腐敗する可能性がある。それには日光に当てて殺菌消毒するのが一番だ。他の頭脳による批判的な光線を浴びせかければ,悪しきアイデアを少なくともしおれさせ,枯れさせることができるかもしれない。文芸共和国においては,当然ながら迷信や教義(ドグマ),伝説などの寿命は短くなり,犯罪のコントロールや国家の運営についてのまずいアイデアも短命に終わる。生きた人間に火をつけて,その燃え方で有罪かどうかを確かめるのは愚かな方法だし,悪魔と交わり,その悪魔を猫に変えたとして女性を処刑するのも同じように馬鹿げている。そして,自分が世襲による絶対君主でないかぎり,世襲による絶対君主制が最高の国家体制だと信じる人はまずいないだろう。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.328-329

有意義

一方日本の大学では,建前上すべての教員の能力は同等だということになっている。また理工系大学では,研究が教育や社会貢献の上位に置かれる傾向があるため,教員は論文生産競争に血道を上げる。
 研究至上主義の教員は,ともすると管理業務を進んで引受ける教員を見下す傾向がある。しかしジャンク論文を量産するより,学生に良質な教育を施し,学科の運営に力を割くほうがはるかに有意義である。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.194

たくさん書いても

論文や本をたくさん書いても,いい人になれるわけでも,優れた心理学者や科学者になれるわけでもない。心理学者には,文章をひたすら量産する人もいるが,人によっては,同じ発想をひたすら使い回す人もいて,実験や観察にもとづく論文を何本か書き,次に,レビュー論文を書き,さらにそのレビュー論文を温め直して書籍の一部に利用し,それをもとに,今度は教科書の一部やニュースレターの記事を書くというような具合だったりする。多産な研究者は文章の数は多い。でもだからといって,他の研究者より発想が豊かだったり優れていたりするとは限らない。執筆は競争ではない。論文数を1つ増やすというだけのために論文を書かないこと。自分の論文や著作の数を数えないこと。投稿をとりやめたために,フィルムキャビネットに眠ることになった原稿,つまり,別の雑誌になら出せるけれど,どの雑誌でもよいというわけではない原稿にも誇りを持つこと。自分が業績数ばかり気にしていることに気づいたら,執筆時間を使って,動機や目標について考えてみた方が良い。

ポール・J・シルヴィア 髙橋さきの(訳) (2015). できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか 講談社 pp.156-157

スランプは

スランプというのは自己撞着のよい例だろう。行動を描写しても,描写された行動の説明にはならない。スランプというのは,書かないという行動以外の何ものでもない。スランプだから書けないというのは,単に,書いていないから書けていないと言っているにすぎない。それだけ。スランプという言い訳の治療がもし可能だとすれば,治療としては,書くことしかありえない。

ポール・J・シルヴィア 髙橋さきの(訳) (2015). できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか 講談社 pp.52

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