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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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売れない本を書いても

後に“工学部ヒラノ教授シリーズ”などの一般書を書いたヒラノ教授は,一流出版社の場合は,一般書についても編集者による厳格な審査があることを知った。しかしその審査基準の中で最も大きなウェイトを占めるのは,論文の場合と違って,内容よりも“売り上げ”である。内容が優れていても,売れそうもない本は出してもらえないのである。
 江藤淳教授(東工大)が,専門書を(自費)出版する哲学者を,“売れない本を書いても意味がない”と切り捨てたことを知ったヒラノ教授は,文系の研究者とはそういうものかと深く心に刻んだ。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.43
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時間ではなく結果

仕事とは,時間ではなく結果です。
 最終的にどれだけの業績をあげたのかが問題であって,それに費やした時間はすくないに越したことはありません。深夜までだらだら残業する社員より,集中して仕事を片付けて定時に帰る社員の方が優秀です。
 ところが経営者や上司の多くは,定時に帰る社員を評価しません。ひとりで先に帰ろうとすれば,同僚たちも白い目をむけてきます。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.82-83

勝手に送っていいんですか

講師をしていた頃,授業の際にこうした話をすると,
 「手紙とか封筒とか勝手に送っていいんですか」
 そんな質問が何人かの学生からかえってきました。
 わたしは即座に,勝手に手紙や返信用の封筒を送ってはいけない,と応募要領に書いてあるのかと学生に訊きました。勝手に送ってきたから不採用というなら,そんな融通のきかない会社に入らないほうがいいと答えました。
 こういう学生たちは常識に縛られている典型です。まずなにかをやってみようではなく,なにをしたらいけないかという発想になるのは,学校教育の弊害だと思います。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.62-63

フラット型とピラミッド型

フラット型というと,いかにも平等のようで聞こえがいい。社員の声がじかに届くとか,みんなと一緒に汗を流すとか,経営者もきれいごとをいいます。しかしフラットなのは末端だけで社長は雲の上ですから,正確には中間のないピラミッドです。
 中間のないピラミッドは物理的には存在し得ないのに,組織としては実在する。たとえるなら経営者が神で,末端が人間でしょうか。そうした会社では神のひと声で大勢の人間たちが動くわけですが,神が判断を誤ったら経営は大きく傾きます。ましてや神が行方をくらまそうものなら,一巻の終わりです。
 ピラミッドはたちまち崩壊し,社員は路頭に迷います。ピラミッドを建てなおそうにも,中間がないだけに作業は極めて困難です。神を失った社員たちは,旧約聖書の出エジプト記さながら,格差社会の荒野をさまようしかないのです。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.16-17

住居は基本条件

この結果からも明らかなように,住む場所があることは健康の必要条件であり,これは今さら言うまでもない。ホームレスの人々は,社会のなかの最も弱いグループに属する。住む場所がある人に比べて40年も寿命が短いという調査結果も出ている。また,さまざまな病気を抱えながら,適切な治療を受けられないことが多い。さらに結核などの感染症にかかりやすく,まず彼らが感染し,そこから地域全体に広がっていくという事態も起こりうる。健康の悪化とホームレス状態とは密接な関係にあり,どちらが原因かはっきりしない場合もある。だがどちらが原因であろうとも,この2つが重なると結果は同じで,死亡リスクが極端に高くなり,多くの人が苦しみを背負うことになる。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.217

ウエストナイルウイルス蔓延の理由

こうしてカラスの大量死に始まったベーカーズフィールドの謎が解けた。この都市では,ウエストナイルウイルスが蔓延する前に住宅の差し押さえが蔓延していた。つまり「フォークロージャー危機」が起きていたのである。アメリカの住宅のバブルは2006年にピークを迎え,その後は崩壊へと向かい,2008年までに住宅ローンの債務不履行件数が225パーセントも増えた(2006年から2013年までに600万軒以上の住宅が差し押さえられることになる)。なかでもひどかったのがカリフォルニア州だが,ベーカーズフィールドはカリフォルニア住宅バブルの中心地の1つだったので,バブルがはじけると住宅ローン危機の中心地ともなった。ベーカーズフィールドの住宅ローン債務不履行件数は3倍に跳ね上がり,この増加率は全米の都市のなかで8番目に高かった。住宅所有者のおよそ2パーセントが債務不履行に陥り,人口約30万人のこの都市で5000軒以上の家が差し押さえられた。家が銀行によって差し押さえられると,庭の手入れなど誰もしなくなる。やがて雑草が生い茂り,プールの水は淀み,藻が水面を覆い,蚊にとって願ってもない産卵場所となっていた。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.215-216

ゲーマーは参加容量供給源

ひとつは,ゲーマーはきわめて貴重な——そしてほとんど活用されていない——参加容量提供源だということです。彼らを現実世界の仕事に効果的に関与させる方法を最初に考え出す人は,莫大な便益を手にすることになるでしょう。(ガーディアンの「地元選出議員の経費を調べよう」は,その明らかにその草分け的な試みでした)
 ふたつ目は,クラウドソーシングプロジェクトは——本当に意欲的な目標を達成できるだけの参加容量を集められる見込みが多少なりともある場合には——優れたゲームが与える報酬と同じような内発的報酬を与えるように,意図的にデザインする必要があるということです。そうすることが利用できる総参加容量を劇的に増やす唯一の方法だと,私は確信しています。質の高い熱心な活動に能動的に関わることに,みんながゲーマーと同じくらい長時間費やすならば,私たちは乏しいクラウド資源を奪い合わなくてもよいでしょう。重要な集団的活動に注ぎ込まれる精神的時間が,今よりはるかに多くなるでしょう。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.329-330

何かを残したい

集団的な努力に参加したり,畏敬の念を受け入れたりすることは,意味ある人生を送り,世界に意味のある足跡を残すための潜在能力を解き放つ助けとなります。
 仮想的な世界のことであっても,何らかの証を残すことができれば,私たちは,大いなる目的のために貢献する感覚がどういうものかを学べるのです。私たちの頭脳や身体が,壮大な意味に感情的な見返りとしての価値を感じ,それを探し求めるための準備になるのです。それに最近の研究結果で示されているように,ゲームの世界がそのように壮大な意味を見返りとして与えてくれるのを楽しめば楽しむほど,私たちは実生活にも同様の見返りを求めようとするのです。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.164

ゲームと学習

コスターは,ゲーム業界で評判になった『「おもしろい」のゲームデザイン』A Theory of Fun for Game Design という著作で,ゲームは攻略し終えるまでが楽しいと主張しています。「ゲームの楽しさは攻略の過程から,そして理解しようとする過程から生まれる。ゲームは学習が麻薬となるのだ」だからこそ,ゲームにおける楽しさは,つねに成功できるようになると失われてしまうというのです。
 これはある種の矛盾を含んでいます。ゲームは学習して攻略するためのものであって,上達していけば,最終的には成功を収めます。努力を惜しまないゲーマーはうまくならずにはいられません。上達すればするほど,挑戦の度合いが小さくなっていきます。難易度の高い面になると,挑戦度が上がり,「つらい楽しさ」の感覚はしばらくのあいだ続きます。しかし,プレイを続けるうちに上達していくので,超える必要のない障壁は,時間とともに障壁でなくなるのが必然なのです。
 それゆえコスターは,「ゲームの宿命はやがてつまらなくなることにある。より楽しくなることではない。ゲームを楽しくしようとしているわれわれは,人間の頭脳を相手に勝てない戦いを続けているのだ」と指摘するのです。楽しさは,一度確かな成功をつかむところまで到達すると,退屈に形を変えていきます。こうしてゲームは消費可能になります。プレイヤーは,ゲームからすべての学習(と楽しさ)を搾り取ってしまおうとするのです。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.102

時間を減らされるのは嫌

現実世界で,誰かが通常500時間もかかる仕事をあなたに課したとして,それを半分の時間で終わらせる方法を見つけられれば,おそらくあなたは大喜びするでしょう。しかし,ゲームの世界では,多くのプレイヤーにとってすべては満足のいく仕事をどれほどやれるかということであって,250時間に仕事が減らされるのは残念なことなのです。熱心なMMOプレイヤーたちにとって,最高レベルに達する可能性とは,単に彼らが本当に愛すること,つまりより上達することへの没頭を正当化する理由でしかないのです。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.83-84

それこそゲームがやっていること

世界全体の幸福の正味量を高める要因が何であれ,何百万人もの人々により良質なハードな仕事を提供することで,人々の心と身体を積極的に活性化することができればどんなにいいでしょう。私たちにはそれができるのです。やりがいがあり,自分でカスタマイズできて,独りでも友達とでも家族とでも,いつでもどこでも取り組めるミッションやタスクを提供することができます。私たちは,人々の取り組みの進捗をいきいきとリアルタイムに報告して,その取り組みが世界にどのような影響をもたらしているのかはっきりと示すことができます。
 これはまさしく,今日のゲーム産業が行っていることです。ゲーム産業は,よりよいハードな仕事を求める私たちの欲求を満たし,適切なときに適切な仕事を自分で選んで取り組む手助けをしてくれます。「勉強ばかりで遊ばないと子どもは駄目になる」という古い格言は忘れてよいのです。あらゆる良質なゲームプレイは,やりがいのある仕事なのです。それは楽しくて自分のために選んでやるハードな仕事です。自分がやりたいと思う仕事に励むことは,心を幸福にするための準備なのです。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.50-51

ゲームに共通する4特徴

異なるゲームのジャンルや技術的な複雑さを取り払っていくと,すべてのゲームに共通する4つの特徴があります。ゴールとルールとフィードバックシステムと自発的な参加です。
 ゴールとは,プレイヤーが達成すべき具体的な成果のことです。プレイヤーの注意をひきつけ,ゲームへの参加を促しつづけます。ゴールとは,プレイヤーに目的意識を与えるものです。
 ルールは,プレイヤーがゴールに達する上での制約をもたらします。ゴールに達するために一番わかりやすい方法を奪うか,制限を加えることで,プレイヤーはまだ発見できていない方法を模索せざるを得なくなります。ルールは創造性を解き放ち,戦略的な思考を促します。
 フィードバックシステムは,プレイヤーがどこまでゴールに近づいているかを示すものです。得点,レベル,合計点,進捗表示バーなどの形で示されます。あるいは,もっと簡単な形としては,プレイヤーに「このゲームは……になったら終了です」と,単に具体的な成果として知らせるだけのフィードバックシステムもあります。フィードバックが常時示されることで,プレイヤーはゴールに必ず到達できるという気持ちを保ち,プレイしつづける意欲を得ます。
 最後に,自発的な参加とは,ゲームをプレイする誰もがそのゴール,ルール,フィードバックを理解したうえで,進んで受け入れることを意味します。それにより,ともにプレイする複数の人々が共通認識を持つことができます。自分の意志で参加または脱退できる自由があることは,ストレスが多くて難しい課題でも安全で楽しめる活動として経験できることを保証します。

ジェイン・マクゴニガル 妹尾堅一郎(訳) (2011). 幸せな未来は「ゲーム」が創る 早川書房 pp.39-40

団塊ジュニア世代

1980年代末のいわゆるバブル期が,日本人の生活の中心に消費が置かれた時代のように考えられている。だが,本格的な消費時代は,団塊ジュニア世代が社会に出始めた95年以降と考えるべきだろう。ビールの出荷数ピークは94年だったが,出版や音楽業界などの売上高のピークは,96〜98年くらいに集中している。

速水健朗 (2013). 1995年 筑摩書房 pp.68

男性が…女性が…

男性として生きていると,この社会がいかに男性に有利にできているかについて,忘れてしまいがちだが,認知能力で男性優位といわれているものの中には,こういった社会的な圧力がかかわっているものが多々ある。社会的な圧力を自覚していないものが安易に,「女性のほうが左右の脳をつないでいる脳梁が大きくて,左右の脳の情報交換が活発だから女性のほうがおしゃべり好きであり,上手である!」というような言説を行うのは実は非常に危険なのである。
 実は脳梁の太さ,大きさに性差があるという見解も,科学的にそれを否定するデータもあるくらいであり,まだまだ確定した話として一般の人に広めることができるほど固まった話ではないのだ。実際,男女で脳梁の大きさに違いはないという報告が1997年にビショップらによってなされている。地図が読めない女性という認識も,ただ社会的な圧力が働いたせいで本来の能力を女性が発揮できていないだけである可能性があるのだ。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.58

四季から三季

日本では自国を紹介する時,キーワードとして「四季がある」という言葉がよく使われます。しかし,山では杉植林が,町では枝落としが,国土から「秋」をほぼ抹消したので,そろそろキーワードをアップデートしないといけませんね。これからは「日本には三季がある」ことを誇りにしていくべきでしょう。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.124

工業モードへの慣れ

文化財修理の時に文化的でない仮設を作ってしまう背景には,精神的な問題もあるように思えます。つまり,大きな工場を思わせる「トタンハウス」の方が,木や瓦でできた元の寺院より立派で,技術的に進んでいて,文明的だ,という思い込みです。
 一般の観光客は日常から「工業モード」に慣れているせいか,神聖な場所,あるいは歴史的な空間に,どんなにみすぼらしい建造物ができても違和感を覚えないようです。例えば伊勢神宮は,あれほど自然素材と伝統的な宮大工の技術を大切にしているにもかかわらず,最近行われた式年遷宮の際には,やはりプレハブの鉄筋ハウスを仮設して作業を行いました。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.112

建設業依存

インフラの建設や看板の設置が必要な場所は当然あります。ただし,それには適切な整理と管理が欠かせません。
 社会が必要とする施設を作る,そうでないものは作らない,施設を作る場合には,周辺の環境に与える影響や経済効果を調査して,きちんと分析する。また,老朽化した不要な施設は取り壊して撤去する。それらの仕事を,国内での慣習的な発注工事だけに頼るのではなく,諸外国の技術も巧みに取り入れて行っていく。それこそが先進国のあり方です。
 公共事業にお金をばらまくと,経済効果は確実に出ます。その意味で,私は公共工事を減らすよりは,増やすほうがいいと思っています。
 良し悪しは別として,日本の経済が建設業に依存してしまっている現状がある以上,急に補助金付きの公共事業をやめれば,致命的ともいえる社会混乱に陥ることでしょう。
 ただし,公共事業はもう50年来「自動操縦」になっていて,何かを作るなら,高速道路,林道,ダム,新幹線,護岸工事,といった決まりきったパターンに固まっています。それより社会が本当に必要とするものにお金を投じ,「中身」を変えることが重要です。
 これからの公共事業で大きな課題となるのは,「足し算」より「引き算」です。その観点で見れば,電線の埋設も,不要な施設の取り壊し・撤去も,巨額の費用が必要で,かつ,たくさんの雇用を生む事業となります。
 実際,アメリカでは,この数10年で数百の不要なダムを取り壊しました。しかし日本では取り壊し作業はほとんど顧みられず,その結果,各地に醜い構造物,錆びた看板,閉鎖した工場などが溜まり,実に殺伐とした汚らしい光景が広がっています。日本は戦後の約70年で,見事なまでに国土を汚してしまいました。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.89-90

看板は複数ないと!

日本には看板が1つでは足りないという原則もあるようです。その理由を私なりに考えました。

 1 理解力:人間は頭が悪く,繰り返して言わなければ理解できない。
 2 感覚の麻痺:看板が氾濫し過ぎて麻痺が起きている。メッセージの重複が目に入らない。
 3 移設・撤去のタブー:看板を設置した後は,二度と人の手が触れてはいけない。
 4 献納精神:看板の設置は献納を意味しており,春日大社の灯籠や,伏見稲荷の鳥居にも見られるように,より多くを設置することが徳を得ることにつながる。
 5 シンメトリーの美学:右近の橘,左近の桜……ひな飾りにも受け継がれているように,昔からシンメトリー(左右対称)の美学が大事にされている。

 柵の中に絶対に入らないでほしい時は「柵の中に入らないでください」を左右対称に配置します。紅葉で美しい公園のベンチにも,左右対称に張り紙が貼ってあります。「神話」とともにもう1つ,日本ならではの「美意識」が看板にも反映されていることには感心すら覚えます。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.45-48

看板自体が

「消費税完納推進の町」——これは,一種のプロパガンダです。「人権尊重の町」「交通安全宣言の町」……などもその類です。
 中国の毛沢東やソ連のスターリン時代の共産党を見ても分かるように,スローガンや呼びかけに囲まれても,人間はそれを本能的に無視します。つまり,こうした看板は空回りに過ぎず,何の効果もありません。
 「きれいにしましょう!」という看板にいたっては,この看板自体が町を汚くしています。
 ここにも日本における「神話」が作用していますね。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.37

「神話」

そもそも,この神話の前提としてあるのは「日本の国土は外国と違うから,できない」という思い込みです。それは「日本人の胃はアメリカ人と違うから,アメリカの牛肉は食べられない」「日本の雪はヨーロッパと性質が違うから,フランスのスキー板は危ない」など,一時期,お役所が輸入を制限した時の,笑い話に近い理不尽な理由付けと同じです。
 「日本は独自の……」と始まる話は大抵,「従来のやり方は変えられない」という結論で終わります。そして,その途中に述べられている理由も,大抵はこじつけです。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.27

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