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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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複雑な眺め

日本でも景観工学に関する学術的な研究は盛んです。ただし,欧米と異なるのは,その適用においてです。日本では条件がそれぞれに異なる場所でも,全国一律の規制で縛り,その単純で融通がきかない運用を景観工学と,とらえがちなのです。その結果,何が日本に出現しているかと言うと,こと細かな規制とは正反対の,煩雑な眺めです。

アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.18
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民主主義についての思い込み

民主主義についての思い込みは,科学についての思い込みと密接な関係がある。人々は科学が自然の謎を解き明かす的確な方法を提供し,取調官の個人的な偏見を排除してくれると思い込んでいる。嘘発見器に関しては,この思い込みは20世紀の新しい思想と対になっている。自然の生物である人間は,その考えや感情が身体に表れるという思想である。これに基づき,嘘発見器の提唱者たちはみずからの技術を組み合わせて機械仕掛けの預言者を作り,嘘の隠れた証拠を身体から読み取ることができるとした——が,こうした主張をするときに科学者ならふつう要求される詳細な検討作業は避けた。嘘発見器とその流れを汲む装置は,正統派の科学から繰り返し批判された。しかし,正統派の科学から批判されているからといって,何百万ものアメリカ人が何かを信じるのをやめたことがあるだろうか。しかも,マスコミはその力を盛んにほめそやしているのである。迅速かつ確実な裁きを求める国民にとって,嘘発見器の力がはったりであるかどうかなどたいした問題ではない。嘘発見器が「役に立つ」のであれば,それでかまわない。事件を解決し,自白を引き出し,忠誠心を確保し,信頼性を確認してくれるのだから。ひとことで言えば,嘘発見器は答を与えてくれる機械であって,これほどありがたいものはない。嘘発見器は「真実を教える技術」というより,「真実らしいものを教える技術」なのである。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.363

嘘発見器の登場

19世紀のアメリカ人が見知らぬ者と市場で取引するとき,売り手や買い手が信頼できるかを判断するために使われたのは,観相術や骨相学や筆跡学といった性格学だった。つまり,相手の容貌や頭の形や手描きの文字から信頼できるかどうかを見定めようとした。しかし,そもそもこうした学問自体が信頼性に乏しかったため,19世紀の人々はだまされた場合の損失額を取引額に上乗せしておくことも忘れなかった。経済学者たちは,20世紀はじめに企業資本主義が生まれたのは,もっぱらこのような詐欺などの「取引コスト」の回避策になったからだと主張している。事業主たちは,自由市場で怪しげな品を買うよりは,経営者を雇って自分たち専用の供給元を直営させたほうが経済的だと考えるようになった。こうして階層構造を持つ企業体が誕生した。しかし,規模が大きくなり,従業員の入れ替わりが激しくなるにしたがい,事業主は従業員の人となりを把握できなくなっていった。20世紀の経営者にとって,祖父母の時代のイカさま商人と,自分のところの従業員のどちらが信頼できるかは知れたものではなかった。
 そこに嘘発見器が登場した。この装置は,従業員の信頼性を調べることができるだけでなく,不正行為の抑止力になると期待された。キーラーが銀行のためにしたことは,どんな大組織にも応用できた。かつて人びとに正直であることを義務づけていた宗教的・道徳的規範が,アノミー化した近代都市文明のために力を失っているいま,この機械はそのかわりを果たしてくれると歓迎する社会学者もいた。社会学の草分けであるアーネスト・バージェスは,嘘発見器を「社会統制の科学的補助手段」と呼んではばからず,金品を管理する立場にある者が「誘惑に屈する」のを防ぐ力があると主張した。嘘発見器は,根無し草の国民の,科学でできた良心になるはずだった。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.231-232

予言の自己成就

1930年代末,キーラーは嘘発見器を使っている警察署に対し,非公式にアンケートをとった。回答したのは13の地域の警察で,イーストクリーブランド,トレド,インディアナポリス,カンザスシティ,バッファロー,ホノルル,マジソン,セントルイス,シンシナティ,ウィチタの市警察と,ミシガン,インディアナ,ノースダコタの州警察である。概算によれば,9000名近くの被験者のうち,97パーセントが「自発的に」検査を受け,1パーセントのみが拒み,2パーセントは検査の前に罪を告白した。被験者の3分の1が「疑わしい」反応を示し,うち60パーセントが自白に応じた。罪を認めなかった被験者の半分はあとになって自白し,残りの半分は疑いを晴らした。疑わしい反応を示さなかった3分の2の被験者のうち,裁判で有罪判決をくだされたのは0.3パーセントにすぎなかった。
 このアンケート結果は,キーラーの個人的なファイルの中に長いあいだ埋もれていたものだが,部外者が見ていないときに嘘発見器がどう使われるかを浮き彫りにしているといえる。アンケートの結果を額面どおりに受け取るべきではない。何かが起きるかもしれないと思っていると実際にそうなってしまうことを「予言の自己成就」というが,嘘発見器もそれと同じで,警察や検察が容疑者を選別する手段になりかねない。自白させてすみやかに事件を解決するのか,起訴して徹底的にやり込めるのか,釈放するのかを嘘発見器があらかじめ決めてしまうのである。カンザスシティの刑事部長は,「嘘発見器と刑事の一団のどちらかを選ばなければならないとしたら,嘘発見器を選ぶ」と述べている。ミシガン州警察の警官は,自分の嘘発見器がいくつも事件を解決したので,これ1台だけで1938年に2万5000ドルの訴訟費用が節減できたと試算している。
 もちろん,このような効率主義は犠牲をともなった。ウィスコンシン州マディソンの検査技師は,嘘発見器で脅したとたん,4人が犯罪を自白したと誇らしげに回答している。そして,自殺した者も入れれば5人だと余白に書き込んだ。自白が真実でない場合は1パーセントにも満たないと警察は考えていた。アメリカ人は糾問主義的な裁判は過去の話だと思いたがるが,自白があてにならないことはよく知られているにもかかわらず,いまもなおそれは「証拠の女王」でありつづけている。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.184-185

ヒーロー人口

ニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ法科カレッジのダイアナ・ファルケンバックとマリア・ツーカラスは最近,「ヒーロー人口」と名づけた人々——司法や軍や救助など前線ではたらく職業——のなかで,いわゆる「適応性のある」サイコパス的特徴を示すケースを研究している。
 これまでにわかったことは,マームートの実験が明らかにしたデータときれいに整合する。ヒーロー人口は社会志向の生活様式を体現している反面,タフでもある。そうした職業につきまとうトラウマやリスクの度合いを考えれば当然かもしれないが,恐怖心の欠如/支配や冷淡さといったサイコパス的人格目録(PPI)の下位尺度(不安をあまり感じない,社会的支配,ストレスに対する免疫など)と関連づけられるサイコパス的特質が,一般人口に比べて優勢になっている。これらの特質が高めになる位置に調整つまみが回してあるのだ。しかしその一方で,犯罪を犯したサイコパスに比べて,自己中心的な衝動性の下位尺度(マキャベリズム,ナルシシズム,気ままで無計画,反社会的行動など)に関連のある特質はあまり見られない。これらの特質のつまみは低めに設定されている。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.286

人口と豊かさ

実際には,人口の多い国々は不釣り合いなほど貧しい。10カ国中8カ国がひとり当たりGNP8000ドル以下で,5カ国は3000ドルを下回る。裕福な国々は不釣り合いなほど人口が少ない。10カ国中7カ国が人口900万人以下で,2カ国は50万人を下回る。両リストの間の際立った差は,人口増加率にある。裕福な10カ国がごくすべて低い率(年1パーセント以下)を示しているのに対し,人口の多い9カ国(重複しているアメリカを除く)のうち7カ国までが,裕福な国のいちばん高い数字を上回っている。残るふたつの大国のうち,中国では政府の命令で強制的な堕胎が行われ,ロシアでは公衆衛生の破綻で人口がむしろ減りつつある。つまり,経験的な事実としても,人口の多さと増加率の高さは,豊かさではなく,貧困を意味する。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.347

浄化の必要

鉱山は油田に比べて,はるかに多くの廃棄物を生み出し,はるかに多額の浄化費用を必要とする。油井から汲み上げられたのちに捨てられる廃棄物の大部分はただの水で,廃棄物と石油の比率はせいぜい1対1前後,大きくそれを上回ることはない。連絡用の道路を造ったり,ときおり石油漏れがあったりする以外に,石油・天然ガス採掘事業が環境を侵害することはほとんどない。それに引き換え,鉱石に含まれる金属の割合はごく小さく,おまけに,掘り返す土に含まれる鉱石の割合もごく小さい。だから,金属に対する土の比率は,銅の場合で400倍,金の場合は500万倍にもなる。鉱業会社はそういう膨大な量の土を浄化しなくてはならないのだ。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.275

どちらも正論

なにしろ,資源採取の事業はたいてい巨額の先行投資を要するので,大部分を大企業が支配している。環境保護論者と大企業のあいだには,互いを敵とみなす長年の確執がある。保護論者は企業を,環境を損なうことで人々に害を及ぼしてきた。常に自社の利益を公益より優先させてきたと非難する。そう,この告発は往々にして正しい。これに対して,企業は環境保護論者を,ビジネスの現実に無知かつ無関心で,地元住民と現地政府の雇用や開発への渇望を無視し,人類の繁栄より鳥類の安寧に心を砕き,企業が環境に配慮する方針を打ち出してもけっして褒めようとしないと非難する。そう,この告発も往々にして正しい。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.250

二重の皮肉

つまり,オーストラリアの林産物貿易には,二重の皮肉が存在する。第1に,先進国の中でも特に森林の少ないオーストラリアが,縮小する森林を伐採し続け,生産物を日本へ輸出しているが,日本は先進国の中でも国土に占める森林の割合が最も高く(74パーセント),その数字は更に伸びつつある。第2に,オーストラリアの林産物貿易は,事実上,安価な原材料を輸出し,それが別の国で高価かつ付加価値の高い最終製品に加工されたあと,その最終製品を輸入することで成り立っている。そういう特殊な種類の不均衡が見られるのは通常,先進国同士の貿易関係ではなく,経済発展も工業化も遅れた交渉に不慣れな第三世界の植民地が,先進国と取引する場合だろう。先進国は,第三世界の国々を利用し,その原材料を安価で買い求め,自国でその材料に付加価値を与え,高価な製品を植民地に輸出することに長けているからだ——日本のオーストラリアへのおもな輸出品は,車,通信機器,コンピュータ機器であり,オーストラリアの日本への他のおもな輸出品は,石炭と鉱物。つまり,オーストラリアは,貴重な資源を気前よく差し出しながら,その代価をほとんど受け取っていないように見える。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.197

人口の多さ

先進国の住民が現在享受しているライフスタイルを,あらゆる人が切望した場合,世界にどのような影響が及ぶのかについては,中国が良い具体例を示してくれる。中国は,世界最大の人口と,最も急速に成長する経済を併せ持っているからだ。総生産または総消費とは,人口に,ひとり当たり生産率または消費率を掛けた値を意味する。中国では,巨大な人口のせいでその総生産がすでに高い値を示している。とはいえ,ひとり当たりの生産・消費率はまだきわめて小さく,例えば工業生産される4つの主要金属(鋼鉄,アルミニウム,銅,鉛)のひとり当たりの消費率はたった9パーセントにすぎない。しかし,中国は急速に,先進国並みの経済を達成するという目的に向かってシンポを遂げつつある。もし,中国のひとり当たり消費率が先進国の水準まで上がれば,たとえ世界の他の条件——つまり,中国以外の人々の人口と生産・消費率——がまったく変わらなかったとしても,中国の生産または消費率の上昇だけで,前述の主要金属の場合,(中国の人口を掛け合わせてみると)世界の総生産あるいは総消費が94パーセント増加する。すなわち,中国が先進国の基準に達すれば,全世界の人間による資源利用と環境侵害がほぼ倍増するのだ。ところが,現在の世界の資源利用と環境侵害でさえ,このまま維持できるとは考えにくい。どこかで歯止めが必要だろう。中国の問題がそのまま世界の問題になる最も強い理由は,そこにある。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.149-150

高汚染産業

ごみよりもっとひどいのは,進んだ科学技術を中国に伝えて,中国の環境を救おうと努める国々がたくさんある一方で,生産国ではすでに違法となった科学技術を含む高汚染産業(PII)を伝えて環境を損なっている国があることだ。こういう科学技術のうちのいくつかは,中国からさらに開発の遅れた国へと伝わっていく。一例を挙げると,1992年,日本では17年前に禁じられたアブラムシ駆除用殺虫剤フヤマンの製造技術が,福建省の日中合弁会社に売却され,多くの人々を中毒にして死に至らしめただけでなく,深刻な環境汚染を招く結果にもなった。広東省だけを見ても,海外投資家によって輸入されるオゾン層破壊物質フロンの量が,1996年には1800トンに達しており,世界のオゾン層破壊への加担から中国が手を引くことはますます困難になっている。1995年の時点で,中国は推定16998社のPII企業の本拠地となり,合わせて約500億ドルの工業生産高をあげた。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.145-146

トップダウン方式

これと正反対の方式が,ポリネシアのトンガなど,中央集権的な政治体制を採る大きな社会に適したトップダウン方式だ。トンガはあまりにも広大すぎて,群島全体はおろか,大きな島々のうちのひとつでさえ,個々の農民が把握することはむずかしい。群島内の遠く離れた場所で何か問題が起こって,それが農民の生活に破滅をもたらしうるとしても,初期段階で農民が知るすべはない。たとえそれを知った場合でも,お決まりの「われ関せず」の姿勢でかたづけてしまう可能性もある。自分にとってはさして重大ではない,あるいはその影響が及ぶのは遠い未来だ,と考えるからだ。また逆に,自分の地域の問題(例えば森林乱伐)が生じても,別の地域に樹木はたくさんあると決め込んで,おざなりな態度をとるかもしれない。実際にどうなのかは知らないままに。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.14

ボトムアップ方式

小さい島もしくは陸地を占有する小規模の社会は,環境管理にボトムアップ方式を採ることができる。領土が小さいので,住民すべてが島全体の事情に通じ,島内のあらゆる開発に影響されるという自覚があって,帰属意識や共通の利益をほかの住民と分かち合っている。したがって誰もが,隣人とともに妥当な環境対策を採れば,恩恵を受けられることを知っている。これがボトムアップ方式であり,そこでは人々が自分達の問題の解決に一致協力して取り組む。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.13

衣料品から

18世紀のロンドンでは,万引きの27.1パーセントが衣料品だった。衣料品を盗む人の目的がよい服を着ることだったのか,盗んだ服を売りさばいて利益を得ることだったのか,その両方なのかは明らかではないが,衣料品はこの数百年間,万引被害が非常に多いカテゴリーだった。もとは衣料品の万引きを防ぐために50年前に登場した防犯ビジネスも,いまやあらゆる商品を対象にし,業界は数十億ドル規模に成長している。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.147

オンライン上で

この数百年,万引き(ショップリフティング)といえば店(ショップ)から物を盗むことだった。ところが,20世紀末以降の音楽業界のお偉方の言うとおりだとすれば,いま私たちは意識変革を迫られている。ショップリフティングが消えてしまうかもしれないのだ。ほかのあらゆることと同じく,万引きもオンライン上へ移行している。
 1999年,CDを万引きすることなど考えたこともない善良な市民が楽曲を違法にダウンロードしはじめ,そうした行為を非難する側はこれを“電子万引き”と呼んだ。ピアツーピア(P2P)(ネットワーク上で対等な関係にある端末間を相互に直接接続し,データを送受信する通信方式)の各種ファイル交換サイトが,音楽配信サービスを行う<ナップスター>に取って代わったあとも,この呼び名は残った。
 2002年,このようなサイトの規制を検討する<米国議会公聴会>が開かれ,ヴァージニア州選出のある議員はファイル交換ソフト<カザー>を“ホーム・ショップリフティング・ネットワーク”と呼んだ。P2Pファイル交換を万引きと呼ぶ人々は,実店舗での万引きよりも電子的な万引きに重い処罰を科すべきだと主張し,違法にファイルを交換した者(大学生や主婦も多かった)には,従来の万引きより何倍も高い罰金が科せられた。
 それと同時に,かつてアビー・ホフマンやイッピーが万引きを“解放”と呼んだのと同じく,コンピューターの名プログラマーやシリコン・ヴァレーの起業家,技術系ジャーナリストたちは,P2Pファイル交換は万引きではなく“取り引き”だと反論した。彼らの言い分はこうだ。インターネットのファイル交換プログラムという新領域には,従来の財産権法を適用すべきではない。なぜなら,そのようなプログラムを使っても(文字どおりの)ショップリフティングなどできないし,犯罪とは言えないからだ——音楽はチューインガムのように盗むことのできる物ではないから,ファイル交換行為は万引きではない。
 さらに,P2Pは商業性の低い楽曲を広く普及させることによって音楽業界を助けている,という意見まで出てきた。オランダのあるファイル交換企業は,自社を“正直な泥棒”と謳った。しかし,電子万引きとCDの万引きとの関係でいちばん知りたい次の疑問の答えは,いまだに出ていない——「P2Pファイル交換で有罪になった人は,<タワーレコード>米国法人が倒産する前に店舗でCDを万引きしたことがあったのだろうか?」ということだ。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.137-138

収入と万引き

万引きと収入の関係を調査した数少ない研究では意外な結果が出ている。1960年代のある画期的な論文では,裕福に見える万引き犯は貧しく見える万引き犯より拘留されることが少ないことが示された。<センター・フォー・リテイル・リサーチ>社の社長,ジョシュア・バムフィールドは,統計で示される裕福な万引き犯の数は実際の数より少ないと考えている。「<ハロッズ>では数か月に1回,大富豪の万引き犯が逮捕されていますよ」と彼は言う。
 「万引き犯の実像」という論文によると,一般的な万引きの犯人像は「家庭の中心的な買い物担当者」で「通常,収入のある職についていて」,家計の足しにするために盗むとされる。収入と万引きの関係を調査した最新の研究では,年収7万ドルのアメリカ人による万引きは,年収2万ドル以下のアメリカ人より30パーセントも高いことが判明した。収入がいくらか多めの人たちは,収入が少ない人々より,欲望が刺激されやすいようだ。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.124

海外養子縁組

——国内ではなく海外に縁組する理由はなにか。
 「未成年の妊娠や性的暴行による妊娠が増えている。そういうお母さんが傷つかないために子どもを海外に出すんです。海外ですべて手続きをするのなら安心でしょう?それに,障害児は日本では引き取り手がないから,外国を探すことになる。とにかく海外には日本人の養子を求める希望者がいっぱいいます。日系人,国際結婚した日本人と外国人の夫婦,白人夫婦もいる。日本の赤ちゃんはクスリに染まっていないし,健康だから人気がある」
 「そもそも,国内か国外かは生みの親が選ぶんです。こちら側から『海外のほうがいい』と勧めることはない。相談者に何を助けてほしいのか聞くと,世間体のこと,望まない出産の事実が戸籍に残ることなどを切々と訴えてくる。多くの親は,そういう恐怖心があるから海外養子を選択するんじゃないですか」

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.41

選択肢

性習慣が乱れている場合は病院への受診も抵抗感がないし,周囲の友達に異変を相談しやすい環境もある。しかし,まじめな子はなかなか周りに打ち明けられず,独りで悶々と悩んでいるうちに中絶可能な時期を逃してしまう。
 第1志望の大学の試験を控えた現役受験生が来院した時は,河野もさすがに驚いた。診察すると,もう子宮口が開きかかっている。試験本番は1週間後。いま出産したら,これまでの受験勉強が水の泡になってしまう。
 河野は受験生に薬を処方し,「堂々と試験を受けてきなさい」と言って送り出した。
 無事に試験をうけることができた受験生は,翌日,出産したという。

高倉正樹 (2006). 赤ちゃんの値段 講談社 pp.20

出口なし

フィリピン人は困窮邦人に対し,その過去を知らないまま,彼らの悲惨な一面だけを見て同情し,食事を与え,生活の世話をした。国籍を問わない,同じ人間としての温かさに,彼らも甘えた。時にはフィリピン人に対し意のままに振る舞い,怒鳴りつける。そんな彼らの横柄な態度に困り果てたフィリピン人の声を聞くと,同じ日本人として「申し訳ない」と心の中で思い,苛立ったこともあった。では日本に帰国させればいいのかというと,仕事もなく,親族にもやっかい者扱いされているため,そんなに単純に解決もできない。彼らはまさに出口を塞がれているのだ。

水谷竹秀 (2011). 日本を捨てた男たち:フィリピンに生きる「困窮邦人」 集英社 pp.280

フィリピンの拳銃

ちなみに拳銃はデパートなどで販売されており,現在私が住んでいるアパートから歩いて数分のデパートの地下1階にも拳銃販売店が軒を連ねている。ショーケースに並ぶのは米国,カナダ,イスラエル,東欧製などのリボルバー,オートマチックなど。価格は1万ペソ(約2万円)から高いもので9万ペソ(約18万円)まであり,2万〜4万ペソ(約4万〜8万円)が相場といったところだ。店員によると,外国人への販売は禁止されているが,フィリピン人の妻や知人の名前を借りて購入することもできる。つまり,所有者の名義人をフィリピン人にすればだれでも簡単に銃を手に入れられるということだ。

水谷竹秀 (2011). 日本を捨てた男たち:フィリピンに生きる「困窮邦人」 集英社 pp.147

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